アホヲタ元法学部生の日常

連絡はTwitter ( @ahowota )でお願いします。アニメを見て法律を思い、法律を見てアニメを思う法アニクラスタ、ronnorのブログ。メールはronnor1あっとgmail.comへ。BLJにて「企業法務系ブロガー」として書評連載中。 #新人法務パーソンへ #オタク流勉強法 #明認方法 「アホヲタ元法学部生の日常」(ブログ)、「これからの契約の話をしよう」(同人誌)、『アニメキャラが行列を作る法律相談所』(総合科学出版)等。

ぼくたちは英文契約(外国法準拠)のレビューができない

 ぼくたちは英文契約(外国法準拠)のレビューができない

  一部界隈では、外国法を知らなくても、日本法のアナロジーで外国法準拠の契約をレビューできるという言説があるらしい。

 ここでは、「英文」契約の問題(つまり「英語」の問題)はさておき、「外国法準拠」の問題のみを取り上げたい。つまり、「日本語で書かれた韓国法準拠の契約をレビューできるのか?」といった問題状況を設定したい。

 

 なお、本エントリ作成の際、dtk先生(Twitter : @ dtk1970 )のご意見を参考にさせていただき心より感謝している。但し、本稿は完全に私の私見であり、むしろdtk先生のご意見は主に「想定される反論」の部分の参考とさせていただいている。

 

1.「素人」は(日本法準拠の)契約をレビューできるか?

 本エントリの読者は、法務パーソンその他法務に関係が深い人が多いだろう。営業等の人には失礼を承知で書くが、(日本法準拠の)契約レビューの素人といえば、営業が典型的である。イメージしてほしい。営業がやって来て、「先方の雛型に少し本件の情報入れて私の方で修正しておきました。問題ないと思いますが、一応法務確認お願いします!」と言う。これって、死亡フラグの典型ではなかろうか?

 

 営業は素人なのだから、法律のことは何も分からずにビジネス文書として契約書を読んで、その理解に基づきリスクの有無を判断する。しかし、契約書は、「日本語」で書かれているのではなく、法律の世界で厳格に定義された用語を用いて、法令の規定によって「何も書かれていない場合には特定の規律が適用される」ことを前提に、その例外条件等を書き出している(なお、任意規定と同じ内容の「確認規定」もある)。

 

 すると、素人が日本語だと思って読んでリスクがあるかどうか考えることにほとんど意味はない。皆様は、営業等の素人が法務に相談せずに、変な覚書にサインして、トラブルになってから「契約書というタイトルでなかったので、ビジネス文書としてサインしました。あれ、なんかヤバかったですか?」みたいな「アチャー」感のある状況の経験はないだろうか?

 

 

2.法務部門の存在意義

 そもそも、契約が素人の手に余るからこそ、素人に勝手に対応させず、専門的な部署である法務部門がチェックすることこそが、「会社を守る」ことにつながる、だからこそ、我々法務パーソンは雇われている。

 「素人でも契約書がチェックできる」という命題を認めることは、まさに我々「法務部門」や「法務パーソン」の存在意義そのものを否定することである。

 もちろん、法務部門を維持し、法務パーソンを雇うことには費用がかかる。経営資源は貴重なのだから、これを法務なんかに回すべきではない、というのは昔の「常識」であった。しかし、先人の努力により、徐々に、法務部門に経営資源を配分することが、長期的な会社の発展につながる、との理解が広まってきた。もちろん、中小企業では未だに法務部門が存在しないこともあるが、大企業では(「部門」まであるかはともかく)法務担当者を置くことが増えている。

 

注:企業法務戦士(@k_houmu_sensi)先生から以下の貴重なコメントを頂戴した。

 

確かに、法務の成り立ちは各社毎に異なっており、契約書の管理等が法務の成り立ちである会社もあれば、それとは異なる成り立ちの法務部門もある、という視点は重要である。企業法務戦士(@k_houmu_sensi)先生に感謝するとともにこの点を補足させていただく。但し、私の趣旨は、「契約レビュー業務」そのものの重要性というよりは、「法務部門が法律・法務のプロフェッショナルであり、そのようなプロフェッショナル組織の維持のために会社が経営資源を投入すること」の重要性の部分にあったので、その点について誤解があったとすれば残念である。


 

3.外国法準拠の場合には、我々は「素人」である

 ここで「我々」というのは、日本法の知識や実務経験はあっても、いわゆる外国法を知らない、外国法の素人である法務パーソンをイメージしている。

 

 日本法の素人が日本法準拠の契約を取り回すのがリスキーなら、外国法の素人が外国法準拠の契約を取り回すことも同様にリスキーである。例えば、「中国企業との契約で東京地裁管轄に合意する」、これは、日本法のアナロジーからすれば素晴らしい発想だが、東京の勝訴判決は中国では執行できない。準拠法を理解しない素人が取り回すには契約は危険すぎるのである。

 

4.法務のレゾンデートルを守るために
 法務がプロフェッショナルである条件は、プロフェッショナルな仕事ができない案件については手を引く、要するに「やらない」、ということである。素人は、何が自分ででき、何が自分でできないかの判断ができない。しかし、プロフェッショナルな法務パーソンは少なくとも「これは無理だ」と、顧問弁護士に頼むという判断をしているだろう。そして、プロフェッショナルな法務パーソンであれば、外国法準拠の契約については「自分はできない」というべきであろう。

 以下、いくつかの、想定される反論について検討しよう。
 まず、「そもそも日本法で合意できる可能性もある」という点については、日本法で合意できる可能性が90%あれば普通に日本法前提で交渉し、合意できない可能性が増えて来た段階で外部専門家に頼むことは可能であろう。しかし、契約交渉開始時点で日本法で合意できる可能性が高かったからといって、日本法で合意できない可能性が増えて来た段階でもなお自分でできるという理由にはならないだろう。

 次に、「国際契約の汎用スキルを身につけている」という反論も想定される。確かに、FOB条件等、いわゆる「国際取引実務」の知識は別に準拠法がどこの国でも必要である。しかし、それはいわば「私はこのビジネスを長くやっているから、ビジネスリスクを知っている」と豪語する営業と同じであり、そういう知識があるからといって、ただちに「契約」のレビューができることにはならないだろう。

 更に、現在は経営資源の配分についてやっと大企業が国内法務について法務部門に資源を投入することの理解が広まった段階であり、外国法務について外部専門家のコストを負担するということへの理解はまだ広まっていないのだから、将来的な「理想論」はともかく、現時点での「現実論」としては、「やらざるを得ない」という反論がある。これは、一番説得的な反論だと思われる。もしかすると、目の前の仕事に対する姿勢としては、「外部弁護士の起用を提案するが、それは予算がないと言われ、自分で対応する」という姿勢はやむを得ないのかもしれない。しかし、同じ状況を何度も繰り返し、そのような現実を(たとえ消極的でも)肯定すべきなのだろうか。少なくとも長期的対応としてなすべきことは、「まずは試験的に外部弁護士を起用して、どの位専門家のレビューと素人のレビューが違うのかを見てみる」等、できるだけ現実を理想に近づける対応だと考える。

 法律問題、コンプライアンス、そして契約書は専門的だから、社内にプロフェッショナル集団が必要である、これが法務のレゾンデートルなのであれば、そのレゾンデートルを自ら否定するようなことはすべきではない。仮に目の前の仕事では、現実論を無視できない部分があるとしても、長期的対応として理想に一歩でも近くように努力をすることを怠れば、「そもそも、素人が英文契約できるなら、素人が和文契約をレビューしてもいいよね」という話になっても何もおかしくない。

 

 だからこそ、「僕たちは英文契約(外国法準拠)のレビューができない」ことを、正面から認め、それを前提に、予算取り等外部専門家の協力を調達することにリソースを注ぐべきである。

 

追記:

dtk1970.hatenablog.com

dtk先生に補足を頂いた。

基本的には、「米国法準拠契約のレビューについてプロフェッショナルなレベルの知識、経験、能力をお持ちのdtk先生であれば、何の問題もないことには100%同意するのですが、私が想定しているのは、普通の『日本法準拠の契約書ならレビューできます。え、Perfect Tender Ruleって何それ?おいしいの?』という程度の法務パーソンなので、想定される対象が違います」という印象であるが、いずれにせよ、本エントリに対してアンサーエントリーを頂戴したこと自体は極めて光栄であり、深く感謝の意を表したい。

 

 

判例データベース収録裁判例数「徹底比較」!

 

【免責事項】本エントリは、判例データベースサービスの選択の際の1つの参考情報を提示しているに過ぎず、本エントリのみに依拠して判例データベースサービスを契約・解約等されても、当方において一切責任を負うことはできません。

 

1 はじめに

 

私は単なる一介の法務パーソンであり、何ら特定の判例データベースないしはデータベース提供会社と利害関係はありません。しかし、判例データベースについては一家言あり、かつて、私はあの『大嘘判例八百選第4版』に「判例検索システムクロスレビューへの参加という形で寄稿させていただいたこともあります。

 

go3neta.hatenablog.com

 

さて、最近、どうも、判例データベースの収録裁判例数の比較をしよう、という議論があるようです。そこでは、1〜2年分のデータでの比較がなされているようです。しかし、私は、「最近1、2年の比較によって、収録裁判例数の多寡を云々するのは適切ではない」と思いますので、面倒ですが、20年分比較したいと思います

 

2 手法

幸いなことに、当アカウント*1内でD1-Law、判例秘書、TKC(LEXDB)、Westlawの4判例データベースのアクセスが(適法に)できる環境にあるため、単純に、期間を1年毎に区切って各判例データベースに収録されているその時期の全裁判例を検索するという「地味で地道な作業」をしました*2

 

3 集計結果

2019/5/12現在では、以下のとおりとなります。

その年の最高は赤字+太字、最低は青地+下線としてみました。

 

まず、2010年代から。 

 

2010年代比較

DB名 D1 Law Westlaw TKC 判例秘書
2019
581
247
249
167
2018
6782
4166
4422
2539
2017
8810
7226
7350
4311
2016
9527
7864
9097
6591
2015
9098
7121
9488
4093
2014
9245
7159
9792
3382
2013
9913
6856
10000
3547
2012
3956
5848
12176
3500
2011
2959
5616
4141
3373
2010
3195
6007
3459
3503
2010年代計
64066
58110
70174
35006

 

TKCとD1のデッドヒートの末、辛うじてTKCがかわして2010年代の栄冠はTKCに輝いた感じですが、最近はD1が強いので、数年内にD1が追い抜く可能性があります。これに対し、2010年代だけを見る限り、判例秘書の収録裁判例数が圧倒的に少なく、最大のTKCの約半分と大きく差をつけられています。

 

次は、2000年代を見てみましょう。

 

2000年代比較
 DB名 D1 Law Westlaw TKC 判例秘書
2009
3319
7163
3276
3661
2008
3298
5624
3089
4145
2007
3523
6864
3288
6456
2006
3566
3681
3405
7033
2005
3847
3682
3598
7358
2004
3998
3796
3747
7446
2003
4194
3918
4004
7707
2002
4363
4055
4099
4819
2001
3853
3593
3554
2889
2000
3443
3298
3091
2510
2000年代計
37404
45674
35151
54024

 

ところが、2000年代になると、2010年代の「優等生」のはずのD1とTKC最下位レースを繰り広げることになります。逆に、判例秘書は5回も収録裁判例数ナンバー1の年があり、堂々の1位、次いでWestlawとなります。

 

4 まとめ

基本的には、

判例秘書が2002年(平成14年)〜2006年(平成18年)まで強く

・Westlawが2007年(平成19年)から、2011年(平成23年)まで強く

TKCが2012年(平成24年)から2015年(平成27年)まで強く

・D1-Lawが2016年(平成28年)以降は強い

という結果になりました*3

 

私は、『大嘘判例八百選第4版』に寄稿した、「判例検索システムクロスレビュー」の中で判例データベースは4社全てを状況に応じて適宜使い分けることが大事!」と書きましたが、この「感覚」が、今回「数字」で裏付けられたのは大変良かったです。

 

なお、例えば2019年の裁判例が少ないのは、現在収録準備(匿名化等)をしているからであって、しばらくすると3000ー1万件程度収録されるようになると思います。その意味で、ここで出てきた数字はあくまでも「参考」であり、しかも、収録された裁判例の数以外にUIとか文献データへのリンク等様々な評価軸が存在すると思われますので、判例DBをお選びになる際は、本エントリのみに依拠せずに、様々な情報を入手して慎重にお選び下さい!

*1:本ブログを運営するronnorの「中の人」という意味。

*2:その結果、例えばD1-Lawの「収録準備中」(特定の裁判例が存在していることを知っているが、まだ全文を公開できていないもの)も数に入ってしまう等、「誤差」がある数字だとご理解ください。

*3:これは、同時に、わずか1〜2年の収録裁判例数をもって比較することが比較方法として妥当ではないということの証明にもなったと思います。

あるPMIの思い出ーラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbowの感想に代えて

 

 

 

【超ネタバレ注意】このブログエントリは、ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow、すなわち、2019年1月4日に公開されたいわゆる「ラ!サ!!劇場版」の核心部分を含むストーリー全体の超ネタバレです。まだ映画館に行っていない人は映画館へ急げ!!

 

1.はじめに

 

「ラ!サ!!劇場版」に心が揺さぶられ、ブロガーとして感想を書きたくなった。しかし、正面から、この映画を「『受容』と『引継』の物語」として論じたところで、あまり法アニクラスタ兼現役法務パーソンらしくないので、私は「PMI」すなわち、ポストマージャーインテグレーション(合併後の統合)の物語としてとらえたい。

 

複数組織が一つに統合される事態は、単純な企業内の組織再編、グループ内再編等でも起こる。それは、それなりに大変ではあるが、やはり第三者との関係での統合は格別である。その法的位置付けとしては、様々なものがあり、事業譲渡や会社分割等もあるが、典型は合併である。

 

本当の合併の実態にはグラデーションがあるので単純ではないが、話を単純化させれば、実質的に対等なもの(対等型)と、実質的に一方が他方を吸収するもの(吸収型)がある(法的には新設合併より吸収合併というスキームが採用されることが多いが、ここでいう対等型と吸収型はこのような法的スキームの話ではない)。

 

たしかに対等型も大変である。一部の対等合併事案では、いわゆる「たすき掛け」人事を行い、特定のポストについてまずはA社出身者、次はB社出身者と交互に担当することで、どちらからも不平等との声が出ることを防ごうするが、それは、長期間各社員に「●●出身」のラベルが貼られることを意味する。むしろ、会社全体の長期にわたる大変さだけでいえば、対等型の方が大変かもしれない。

 

2. 吸収型の大変さ

しかし、吸収型が非常に大変であることは嫌という程知っている。これは決して私が最初に入った企業(なお、その後外資系等へと転職しながら現在も某企業の法務部門で法務パーソンをやっています)のことではないが、吸収する方(強者)はともかく、とりわけ吸収された方(弱小側)はとても大変である。

 

確かに会社規模は総体的に小さいかもしれないが、弱小側にだってもともと「組織」があって、その中で出世競争がある訳である。例えば、今の法務部長は後●年。その後はあの課長が順当に行けば部長になり、その次はこの中のどちらかで、自分はその次の次あたりかな、みたいな大きな流れを読みながら職業生活の見通しを立てて毎日を過ごしている。

 

ところが、その会社が吸収されると、例えばポストが文字通り「なくなる」。(本当の)対等合併なら約半分になるのだが、吸収型だと、主要ポストは全て強い方に握られ、弱小出身は、例えば次期法務部長と目されていたようなエリートでも、たちまち出世の目がなくなる。

 

もちろん、吸収型でも、「対等の建前」に弱小側がこだわり、それを合併の条件としたりするので、合併前や合併直後は、ある程度メンツは保たれるかもしれないが、例えば出世部門と左遷部門を半々に分けて、出世部門トップは強者出身、左遷部門のトップは弱小出身とするとか、弱小出身の部長相当の者を「部付部長」とする、と言った、表面上の対応がされるに過ぎず、実質的には、弱小出身に出世の目がなくなる。

 

例えば、そのような表面上の対応の一つに、(弱小側の一番美味しい花形部門を本社側に持っていった上で)弱小側を独立した事業部として、そこだけは人員もポストも弱小側で独占させる、というのがある。例えば合併後に新オフィスに移転するが、新オフィスは、強者+弱小花形部門のスペースしかないので、弱小側は元倉庫を改造したオフィスで自由に事業をしてくれ、但し、独立採算なので稼いでくれよ、赤字になったら分かっているよな。みたいな感じである。

 

実は、これは費用を抑えてレイオフするという意味もあり、基本的には、花形部門がなくなった「お荷物部門」ばかりが残っている事業部門は、当然業績は最悪で、「成果主義」の名の下、予算は削られるばかりで、将来の展望が見られない中、勝手に辞めて行く。そのような中、優秀な人がその弱小事業部門にいれば、「踏み絵」を踏ませて、最悪の状況から救ってあげた、という体で引き抜く。

 

3.弱小側の対策と「結末」 

このような逆境において、弱小側も、色々なことを考える。例えば、弱小側の凄さ、良さをアピールして、わかってもらおうとする。しかし、おうおうにして、そこにかける熱意が空回りして、失敗し、逆効果となる。

 

また、今強者側にいる人をこちらの味方に引き込んで、弱小側を正当に扱ってもらえるように試みる。「たまたまあそこに従兄弟がいるので、ちょっと話を聞いてもらいに行くよ」、そんなこともあるだろう。

 

更には、既に統合の際に「ヤバさ」を察知して辞めていった先輩を追いかけ、先輩に相談することもあるだろう。流石に外国までわざわざ追いかけた例は聞いたことがないが。ただ、同情はしてくれるだろうが、その先輩に頼りきりになってはならず、やはり最後は自分たちで対応して行くことになる。

 

加えて、他の会社にいる友達にこちらに来てもらうという話が出てくることもある。確かに「戦力」は必要だが、なぜ優秀な人がこのような「逆境」に来るべきなのかについて合理的な説明ができなければ、やはり最後は来てくれないだろうし、その友達の転職の本当の動機によっては、その動機を別の方法で解決した方がお互いにとって良いかもしれない

 

結果、抵抗を誓い合った同志も、一人減り二人減りとなり、最終的には四方八方に散り散りになって終わることは多い。強者の支持を集めて弱小側が尊敬され、対等に扱われる「ハッピーエンド」はフィクションの世界にしか存在しないといっても過言ではないだろう。

 

しかし、それでも、この映画は全く他人事とは思えずに、Aqoursのみんなを心の中で応援した。エンディング後、館内の電気がついた時、前がボヤけて見えなくなっていた。ハンカチで目をぬぐったら、水分を吸収したその重さに、自分の感情が溢れたことを改めて気付かされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これがはてなブログへの移行後の最初のエントリです。初めての方は「初めまして」、そしてはてなダイアリー時代の方には「お久しぶりです」ということで、今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

 

 

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書評:『緊急避難の理論とアクチュアリティ』

緊急避難の理論とアクチュアリティ

緊急避難の理論とアクチュアリティ


1.はじめに
私は、刑法の緊急避難論については全く何も知らない*1。しかし、実務で様々な問題に直面する者として、最近のアクチュアルな問題には興味関心を有している。


ここで、緊急避難論がアクチュアルな問題にどう関係するかを主にドイツ語圏の比較法研究に基づいて提示した圧巻の一冊が弘文堂から出版された。深町晋也『緊急避難の理論とアクチュアリティ』である。


本日はちょうど12月24日という自分の愛するもの(=ほむほむと法律書)と触れ合う日であり、法律書と触れ合う「リア充」な時間を過ごすことは本日の目的に適っていることから、簡単に紹介したい*2。なお、まだきちんと「読む」というほどの時間をかけて読むことができていないので、誤読等があれば平にご容赦頂きたい。



2.自動運転車やブロッキング論が論じられている「アクチュアル」さは魅力的
 実務家にとっての本書の最大の魅力は、自動運転車やブロッキング論が論じられている「アクチュアル」さである。(なお、家族法に関する実務に従事している実務家にとっては、DV反撃殺人等の、家族刑法についても深く議論がされているので、この点も興味深いが、私は二次元に嫁(暁美ほむらちゃん)がいるだけなので、この点は割愛する。)



例えば、自動運転については、現在様々な議論が進んでいるが、生命法益のジレンマ(ディレンマ)状況について、いわゆる「トロッコ問題」を中心に、ドイツ法をその背景をも踏まえて参照した上で、日本法にどこまでの示唆が与えられるかをきちんと論じている(243-255頁)。


また、例えば、海賊版サイトのブロッキングと緊急避難についても、短いものの、「児童ポルノサイトと海賊版サイトとでは、違法なコンテンツに関するサイトという点では共通するものの、緊急避難の成立要件との関係では、様々な事情において差異が存在すると言わざるを得ない」(257頁)等と論じており、今後のブロッキングのあるべき姿に関しても重要な示唆を与えている。


その意味で、本書は、研究者はもちろん、弁護士、企業法務パーソン、法学部生・法科大学院生・司法修習生、自動運転に興味がある方、ブロッキング問題に興味がある方、家族に関する法律問題に興味がある方等全ての人にとって必読の一冊である。


3.米国法について


*以下は、米国法に関して全く不勉強な法学徒による雑文ですので、その前提でお読みください。


 ここで、興味深いのは、本書の大部分がドイツ語圏との比較法研究であるが、一部*3において、米国法に関する比較法研究がされていることである。


 まず、気になったのは、(「緊急避難」の理論とアクチュアリティなのに)「緊急避難」についての米国法の制度と議論が紹介されていないことである。本書のテーマは緊急避難である以上、緊急避難というのが米国に存在するのか、存在するならば、それがDV反撃殺人についてどこまで使えるのか、使えないか、を論じるべきだと思われる。


 確かに日本の刑法37条の「緊急避難」と1対1対応ではないことは当然であるものの、いわゆるnecessityの法理は、日本語に訳する際に「緊急避難」という訳語を用いることも多いといえる*4。すると、例えばUnited Sates v. Paolello等を引きながら、米国における「緊急避難」というのがどのような法理であって、これがどのような事例に適用され、なぜDV反撃殺人に適用されないのか、というところに議論を持ってくることが、前提として必要だったように思わる。



 また、いわゆる生命に関わる有形力の行使(use of deadly force)という、DV反撃「殺人」事案で問題となる事例については、本書207頁のように「主観的な要素を大幅に重視」することで、正当防衛理論をドイツやスイスの規定よりも拡張している、という側面が強調されている。


 しかし、実際には、逆に、米国法が生命に関わる有形力の行使の文脈において、正当防衛理論の利用を制限している面がある点を指摘しなければ、米国の正当防衛に関する法制度の紹介として、必ずしもバランスの良い紹介とは言えないように思われる。


すなわち、模範刑法典3.04(2)(b)(ii)は「the actor knows that he can avoid the necessity of using such force with complete safety by retreating or by surrendering possession of a thing to a person asserting a claim of right thereto or by complying with a demand that he abstain from any action that he has no duty to take」の場合には原則として生命に関わる有形力の行使による正当防衛が認められないとされている。これは、一定範囲でいわゆる退避義務ないし回避義務を認めたものと理解される。


 これに対し、少なくとも日本法では、退避義務ないし回避義務を否定する見解が有力なように思われるところ*5一定の場合に退避義務ないし回避義務を認めようとする米国法*6は、特に生命に関わる有形力の行使が問題となる場面においては一面では(確信の相当性を問題とするという意味で)その適用範囲を拡張しながら、他方では(一定の場合に退避義務ないし回避義務を認めることで)適用範囲を縮減しているという指摘が可能なように思われる。そうであれば、この両面を紹介しなければ、外国法の紹介としてバランスの良いものとはいい難いように思われる*7


  もちろん、本書185頁において「従来、我が国においては、本事例(注:DV反撃殺人事例のこと)は専ら正当防衛・過剰防衛の成否という文脈で論じられており、正当防衛論による解決の可能性を探る」ために米国法について検討するとあり、そういう意図から、あまり紙幅を割くおつもりがなかったのだろう、とは考えているものの、個人的にはなお脚注等でこの辺りの「米国の緊急避難論及び正当防衛論の全体像のうちどこに位置付けられる議論なのか」を明確化することが望ましかったのではなかろうか、という疑問が拭えないでいる。


*注:上記は、12:20時点の、本書のみを読んでの感想をまとめたものです。後記の補足をご覧ください。

まとめ
深町晋也『緊急避難の理論とアクチュアリティ』は、まさに適切なドイツ法圏の比較法を通じて日本が直面するアクチュアルな問題に対する示唆を与える、圧巻の一冊であり、全ての人にとって必読の一冊である。
もっとも、米国法の紹介部分は、紙幅等の制限があったのだとは想像するものの、もう少し言葉を補って紹介すべきではなかったか、という疑問がないわけではない。


補足(2018年12月24日13:45)

本稿につき、著者の先生から、


「ドイツやスイスに比して拡張的な適用がなされ得るアメリカ正当防衛論からしても、DV反撃殺人事例の解決は困難であり、翻って緊急避難論による解決可能性を指摘することを意図していた」との指摘を頂戴しました。


本当にご丁寧にありがとうございます。

*1:せいぜい、井上宜裕『緊急行為論』と遠藤聡太「緊急避難論の再検討」(いわゆる「法学協会雑誌論文」)、西田・山口・佐伯編『注釈刑法第1巻総論』472〜505頁(刑法第37条、深町晋也執筆部分)を読む程度であり、緊急避難論について「知」っているとは到底言えない

*2:他にも書評したい本(例えば緑大輔『刑事訴訟法入門(第2版)』(日本評論社)等)があるものの、たまたま本日ツイッターで比較法の難しさについて考える機会をいただいたので、最近の模範的比較法研究をドイツ語圏についてされている本書を紹介したい

*3:具体的には「第3章緊急避難規定のアクチュアリティ 第1節DV反撃殺人事例 IV アメリカにおける議論状況の分析」(203頁〜207頁)の5頁

*4:本書で引用されているドレスラー著『アメリカ刑法』427頁も「緊急避難」という訳語を用いる。

*5:例えば、「侵害を予期した場合にその急迫性が失われるのであれば、侵害に対して正当防衛により反撃できないことになるから、侵害が予想される場所に赴いて実際に侵害を受けた場合、無抵抗で被害を甘受するか、反撃して処罰されるかのいずれになってしまう。」「それでは、一般市民に不正な侵害に屈した行動を採ることを求めることになり、侵害を不正と評価することを実際上矛盾した事態を招くことになってしまう。こうして予期した侵害について回避・退避義務を認めることは基本的にできない」(山口厚刑法総論(第3版)』124頁)参照

*6:少なくとも本書が引用する模範刑法典のレベルにおいて、ということである。その後は退避義務ないし回避義務を限定する議論があると承知している。

*7:なお、この模範刑法典3.04(2)(b)(ii)には例外規定が存在し、例えば模範刑法典3.04(2)(b)(ii)(A)では「 the actor is not obliged to retreat from his dwelling or place of work, unless he was the initial aggressor or is assailed in his place of work by another person whose place of work the actor knows it to be」とされているので、DVであれば、この例外規定によって退避・回避不要となりやすい、ということは理解しているものの、それでも、本書203頁〜207頁では、米国の「正当防衛」法を紹介して批評されている訳であり、確信の合理性が問題となっていて広く正当防衛が使えるという話だけを取り上げることがバランスが良いのか、という疑問はなおあたると思われる。

江頭会社法の第7版と第6版の相違点からこの2年間の会社法の動きを探る(江頭差分)

株式会社法 第7版

株式会社法 第7版


1.はじめに
 伝統芸能化している本ブログの 法務系アドベントカレンダー( #legalAC ) 企画に、「江頭会社法の改訂版のどこが改訂されたのかを通じて近侍の会社法の重要な変化を探る」というものがある。


 そもそも、このような企画が始まった理由は、アニメ、漫画、ゲームの話しかしていない当アカウント (twitter:@ahowota) が、2014年の法務系アドベンチャーになぜかエントリーしてしまい、直前まで
3月のライオンと法律*1
・楽園追放と法律*2

等のエントリしか思いつかないまま、戦々恐々としていたところ、そういえば、昔江頭会社法の初版と2版を比較したことがあったことを踏まえ、


「江頭」第2版から「新司法試験商法」にヤマをかける - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常


 法務関係の皆様のお役に立てることといえば江頭差分以外にないだろう(逆に、アニメの法律分析等をすれば皆様に「ドン引き」されるだけだろう)というものであった。


2014年
「江頭会社法第5版」でこの4年間で会社法の変わったところを総さらえ〜「修正履歴付江頭会社法」〜 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常


2015年
Legal Advent Calendar 2015企画:江頭憲治郎『株式会社法』第6版改正点まとめ - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常


と、総じてご好評をいただき、江差追分等と呼ばれながら、ここまでくることができた*3


 昨年は江頭会社法が改正されなかったので、この企画は大変残念ながら開催できなかったが、今年はついに江頭会社法第7版が発売されたことを受け、本エントリを公開させていただきたい。


 今年の法務系アドベントカレンダーはポエム系が多いように思われるところ、全くポエムではない空気を読めないエントリをあげたこと、おわび申し上げる*4


法務系 Advent Calendar 2017 - Adventar



2.本エントリの構成
 某記事でも少し書いたところであるが、

Business Law Journal(ビジネスロージャーナル) 2018年 02 月号 [雑誌]

Business Law Journal(ビジネスロージャーナル) 2018年 02 月号 [雑誌]


 統計的にいうと、第6版から第7版への変化が10頁増、つまり1%しか増えていないことから、買い替えは不要なのではないかという人もいるかもしれない。しかし、そうではないことを明らかにする、これが本エントリの重要な目的である*5


 この目的を達成するため、本エントリは、まず、江頭会社法がその「はしがき」で改訂の契機として述べる、民法改正及びコーポレートガバナンス改革について簡単にどの部分に影響しているかを要約したい。その上で、それ以外の重要判例や重要改訂点について説明したい。


 なお、文献の入れ替え等*6細かな改訂は多い。新規引用文献では「企業法の進路 -- 江頭憲治郎先生古稀記念」からの引用が比較的多く、同書掲載の論文のうち、江頭会社法で引用されているものとされていないものを比較すると面白いと思われる。その意味では、網羅的に改訂点を説明するというよりは、一個人がその独断と偏見により興味深いと思ったところをいくつかピックアップしたとご理解頂きたい。


3.民法改正
 民法が改正されることで、会社法にはいかなる変化がもたらされるのだろうか。
 会社法民法の特則の部分があるところ、「本則」たる民法が変わることは、会社法にどのような影響を与えるのだろうか*7


(1)時効関係
 まず、 江頭会社法「はしがき」は、以下のように述べる。


>>
消滅時効に関する「債権者が権利を行使することができることを知った時」(民166条1項1号)とは、株主代表訴訟については、いつの時点なのだろうか。
江頭憲治郎『株式会社法』(第7版、有斐閣、2017年)1頁

*1:http://d.hatena.ne.jp/ronnor/20141214/1418484677

*2:http://d.hatena.ne.jp/ronnor/20141210/1418139000

*3:法務系アドベントカレンダーをみて著作権モノを期待された方には平に謝罪申し上げる。

*4:なお、トリを務めたいと思った訳ではないが、単純に12月があまりにも忙しく、1日1秒でも時間が欲しかったというのと、「24日の夜にブログ記事書けるのは非リアの特権!」と思ったというだけであり、他の例えば「法務組織の(中間)管理職は何をしているのか」 (http://tokyo.way-nifty.com/blog/2017/12/legalac-07c2.html)のような、素晴らしい記事がトリを務める機会を奪った結果になったことにつき心からお詫び申し上げる。

*5:要するに「ステマ」であるが、私は単なる1ファンとして本書を「布教」しているだけである。

*6:ただし、細かいかどうかは議論があるものもないではないかもしれない。個人的には第6版402頁注4の3段落の野村修也「内部統制への企業の対応と責任」企会58巻5号100頁が第7版407頁注4で削除されているところが気になったところである。

*7:関係する論文としては431頁で引用される青竹正一「民法改正の会社法への影響(上)(下)」判時2300号19頁以下がある。

江頭会社法の第7版と第6版の相違点からこの2年間の会社法の動きを探る(江頭差分)

株式会社法 第7版

株式会社法 第7版


これは
法務系 Advent Calendar 2017 - Adventar
の記事です。

1.本エントリの構成
 某記事でも少し書いたところであるが、


 統計的にいうと、第6版から第7版への変化が10頁増、つまり1%しか増えていないことから、買い替えは不要なのではないかという人もいるかもしれない。しかし、そうではないことを明らかにする、これが本エントリの重要な目的である*1


 この目的を達成するため、本エントリは、まず、江頭会社法がその「はしがき」で改訂の契機として述べる、民法改正及びコーポレートガバナンス改革について簡単にどの部分に影響しているかを要約したい。その上で、それ以外の重要判例や重要改訂点について説明したい。


 なお、文献の入れ替え等*2細かな改訂は多い。新規引用文献では「企業法の進路 -- 江頭憲治郎先生古稀記念」からの引用が比較的多く、同書掲載の論文のうち、江頭会社法で引用されているものとされていないものを比較すると面白いと思われる。その意味では、網羅的に改訂点を説明するというよりは、一個人がその独断と偏見により興味深いと思ったところをいくつかピックアップしたとご理解頂きたい。


2.民法改正
 民法が改正されることで、会社法にはいかなる変化がもたらされるのだろうか。
 会社法民法の特則の部分があるところ、「本則」たる民法が変わることは、会社法にどのような影響を与えるのだろうか*3


(1)時効関係
 まず、 江頭会社法「はしがき」は、「消滅時効に関する「債権者が権利を行使することができることを知った時」(民166条1項1号)とは、株主代表訴訟については、いつの時点なのだろうか。」(江頭憲治郎『株式会社法』(第7版、有斐閣、2017年)1頁)という問題を提起する。


改正民法166条1項は、

債権は、次に掲げる場合には、時効によって消滅する。
一 債権者が権利を行使することができることを知った時から五年間行使しないとき。
二 権利を行使することができる時から十年間行使しないとき。


と規定する。


 ここでいう「債権者が権利を行使することができることを知った時」というのは、取引に基づく代金支払請求権等であればその時期について争いはないものの、取締役の責任はどうだろうか、しかも、株主代表訴訟を考えると、誰の認識を基準とすべきだろうか。この点は読者の皆様も興味を持たれるのではないか。


 さわりだけ紹介すると、江頭会社法は481頁で「取締役の責任の消滅時効期間につき、「債権者が権利を行使することができることを知った時」(民166条1項1号)とは、原則として、会社の提訴権限を有する機関(会社349条4項、353条、364条、386条1項1号)が当該取締役に責任があることを認識した時と解すべきである。」という原則を示している。問題は、代表訴訟であるが、会社の提訴権限を有する機関が責任はない(権利を行使できない)と考えているからこそ提訴請求が来るものの、提訴請求を受け取った時点で会社の提訴権限を有する機関は認識したと見るべきと論じた上で、会社法853条1項の類推といった解釈論まで展開している(481頁注16)。


 このように、民法改正によって会社法に生じる影響について論じているところが、第6版から第7版への大きな改訂点であり、やはり第7版を購入すべきである。*4



(2)連帯債務
 連帯債務の免除については、改正民法441条が以下の通り定める。

改正民法441条 第四百三十八条、第四百三十九条第一項及び前条に規定する場合を除き、連帯債務者の一人について生じた事由は、他の連帯債務者に対してその効力を生じない。ただし、 債権者及び他の連帯債務者の一人が別段の意思を表示したとき は、当該他の連帯債務者に対する効力は、その意思に従う。


これは、免除の相対効の原則を定めるものである。


ところで、責任限定契約(会社法427条1項)は、業務執行取締役等については結ぶことができないことから、関係する(責任がある)役員の間で「責任限定契約により免除を受けられる者」と「免除を受けられない者」に別れることになる。すると、免除を受けられない者が全額を支払った後、免除を受けられる者に対して求償をすることが可能となる可能性がある。この問題につき、江頭会社法は、長めの脚注で他の連帯債務者の免除を可能とする定款の定め、求償権放棄契約、事後的補償という3つの方策を検討している(480頁注18)*5


(3)債権者代位
 債権者代位権が行使される場合、債務者(代位行使対象債権の債権者)は、当該債権を処分できるのか。改正民法423条の5は以下の通り定める。

改正民法423条の5 債権者が被代位権利を行使した場合であっても、債務者は、被代位権利について、自ら取立てその他の処分をすることを妨げられない。この場合においては、相手方も 、被代位権利について、債務者に対して履行をすることを妨げられない。


 つまり、民法の原則としては、債務者は処分ができるということになっている。では、代表訴訟につき、例えばまずいと思った会社は役員に対する損害賠償請求権を役員に対して責任追及の手を緩めることが記載される第三者に譲渡することができるのだろうか。


 ここで、大判昭和14年5月16日民集18巻557頁*6株主代表訴訟のような法定訴訟担当の対象債権の債務者による処分を禁じるのが原則としており、第6版487頁注3もそのような前提であった。しかし、民法改正を踏まえ、江頭会社法第7版では、民法423条の5により、処分は一般に禁じられるわけではないが責任追及回避目的の譲渡は会社法の責任免除の制限規定との関係で無効と論じる(496頁)。民法の原則が会社法では修正されるという議論は注目に値する*7


(4)債権譲渡
 改正民法466条2項、3項は以下の通り定める。

改正民法466条2項 当事者が債権の譲渡を禁止し、又は制限する旨の意思表示(以下「譲渡制限の意思表示」という。)をしたときであっても、債権の譲渡は、その効力を妨げられない。
3 前項に規定する場合には、譲渡制限の意思表示がされたことを知り、又は重大な過失によって知らなかった譲受人その他の 第三者に対しては、債務者は、その債務の履行を拒むことがで き、かつ、譲渡人に対する弁済その他の債務を消滅させる事由をもってその第三者に対抗することができる。


 つまり、債権譲渡の効力そのものは妨げられないのであって、譲渡制限を知り又は重過失により知らなかった場合でも、履行を拒んだりできるに留まる。江頭会社法第7版は、この点を捉え、金商法における公募と私募の区別等に転売制限の有無を利用しているが、これが問題になるのではないかと論じる(735頁注23)。

(5)その他
・指図証券の譲渡における債務者の抗弁の制限(民法520条の6、178頁)
・代表権の濫用について民法107条を本文で引いた上で(431頁)脚注(433頁注5)で、会社法356条1項3号との均衡を問題視している。
・詐害行為取消(445頁注4、918頁注2)
・錯誤が取消事由となる(755頁)
・免責的債務引受(民法472条)又は更改(民法514条1項)(949頁)
等々についてもそれぞれ言及がある。


3.コーポレートガバナンス
(1)コーポレートガバナンスコード

 本文で独立社外取締役の2名以上の選任等についてコンプライ・オア・エクスプレインが求められていること(388頁)を述べた上で、脚注では、コーポレートガバナンスコードの導入の経緯、内容面における特徴等を述べた上で、独立社外取締役等のコーポレートガバナンスコードの採用する手法が企業の持続的な成長という目的と合致したものであるかは、相当疑わしいと論じている(390頁注9)江頭節がなかなか良買った。なお、より詳しくは、江頭憲治郎「コーポレート・ガバナンスの目的と手法」早法92巻1号109頁を参照されたい。


(2)スチュワードシップコード
 スチュワードシップコード及び議決権行使助言会社等の存在により「経営者支配」に変化の兆しがあるとした上で(310頁)、スチュワードシップコードについて、国際比較を含むその概説がなされている(310頁注6)。


(3)会社補償
 会社補償とは、取締役が職務執行に関して損害賠償請求、刑事訴追等を受けた場合に、取締役が要した争訟費用、損害賠償金等を会社が負担することを言う。コーポレートガバナンスコード策定等に伴いこの問題への関心が高まったことから、項目を立てて約2頁に渡ってこれを論じている(466〜467頁)。
 関連してD&O保険についても本文で取締役が会社に対して負う損害賠償部分の保険料を会社が負担することについて、平成28年以降保険実務の取り扱いは、社外取締役の承認等の一定の手続きを経た場合には可能として処理するとした上で(491頁)脚注で補足している(491頁注32)。


(4)その他
 監査等委員会設置会社に既に移行したか、移行する旨を表明した上場企業の数が平成28年6月までに700社であることについて、コーポレートガバナンスコードの2名以上の独立社外取締役設置の要求を満たしやすい、取締役会による業務執行の決定の委任が広く認められる等が理由だとされている旨の言及がある(582頁)。


4.その他
(1)最新判例

 新規収録裁判例は多いが、最高裁レベルだと
最判平成27年2月19日民集69巻1号25頁(122頁注3)
最判平成27年2月19日民集69巻1号51頁(771頁注3*8
・最決平成27年3月25日金判1467号34頁(19頁注8)
最判平成27年7月17日民集69巻5号1253頁(979頁注1)
最判平成28年3月4日民集70巻3号827頁(401頁注11)
・最決平成28年7月1日民集70巻6号1445頁(162頁)
最判平成29年2月21日判タ1436号102頁(318頁注5)
 の7判例が新規収録である。


 新規収録下級審裁判例で個人的に興味深いのは、
・属人的定めに関する東京地判平成27年9月7日判時2286号122頁及び東京地立川支判平成25年9月25日金判1518号54頁(169頁)
・取締役の実質解任について東京地判平成27年6月29日判時2274号113頁(393頁)
安全配慮義務違反による取締役の第三者責任についての東京地判平成26年11月4日判時2249号54頁(514頁注4)
監査役の任務懈怠責任が認められた大阪地判平成28年5月30日金判1495号23頁(546頁)
・新株発行差し止めが認められた山口地宇部支判平成26年12月4日金判1458号34頁(773頁注4)
・募集株式発行等の無効訴訟の提訴期間経過を会社が信義則上主張できないとされた名古屋地判平成28年9月30日金判1509号38頁(782頁注8)
MBOに失敗した事案につき会社にMBO費用相当額の損害を被らせたとした大阪高判平成27年10月29日判時2285号117頁(835頁注2)
 辺りだろうか。

(2)税制改正
 完全子会社化のための全部取得条項付き種類株式の利用が株式交換等の一種として税制の均一化が図られた(164頁)
 特定譲渡制限付株式というインセンティブ報酬に関する税制改正(455頁注7)
 スピンオフ税制の導入による適格株式分配(688頁注10)や適格分割型分割(900頁注6)。
 その他合併と税制の変更(859頁注7)
 交付金株式交換(937頁注3)
 等の部分に改正の影響があるので参考にされたい。

(3)その他
 少なくとも代表取締役の一人の住所を日本としなければ会社の設立登記申請を受理しない扱いにつき変更があったことをフォローしている(104頁)。
 特別支配株主に対する売渡株主の差し止め請求については、会社に対するものではないので個別株主通知が不要という点はそう言われればそうなのだが、明記してもらえるのはありがたい(282頁)。
 特別利害関係を有する取締役が加わってされた議決であっても当該取締役を除外してもなお議決に必要な多数が存するときは、その効力は否定されないという点を最判昭和54年2月23日民集33巻1号125頁を引いて論じている(421頁注15の末尾)。この判例は、第6版では持分払い戻しの際の価格算定の判例として同19頁注9で引くだけであったので、興味深い。
 ベイルイン(bail-in)債*9について新たに記載が追加されている(726頁)。
 公正な価格につきシナジー分配を織り込むべきではないという議論に対する反論が詳細化している(880頁注4)。


まとめ
 江頭会社法は、改訂前後の「差分」に着目することで、その期間における会社法のトレンドを理解できる、たいへん素晴らしい書物である。
 ただ、例えば第6版315頁注4で「今後、そのような新株予約権の発行を定款の定めにより株主総会の決議事項とした上で行う事例が増えるであろう」という記述を2005年の文献を引用して述べていたところが、第7版では文献のみが消えており、実際に増えたかどうかが明確にされない(318頁注4)等、疑問が残る部分があることは否めない。やはり第8版においてもより良い内容になる改訂を期待したい。


 なお、この企画、毎年やるのはものすごく大変なので、勝手なお願いではあるが、第8版の刊行はあと数年位待っていただけるとありがたい、と思ったところである。


なお、過去のものに

2014年
「江頭会社法第5版」でこの4年間で会社法の変わったところを総さらえ〜「修正履歴付江頭会社法」〜 - アホヲタ元法学部生の日常


2015年
Legal Advent Calendar 2015企画:江頭憲治郎『株式会社法』第6版改正点まとめ - アホヲタ元法学部生の日常

がある。

*1:要するに「ステマ」であるが、私は単なる1ファンとして本書を「布教」しているだけである。

*2:ただし、細かいかどうかは議論があるものもないではないかもしれない。個人的には第6版402頁注4の3段落の野村修也「内部統制への企業の対応と責任」企会58巻5号100頁が第7版407頁注4で削除されているところが気になったところである。

*3:関係する論文としては431頁で引用される青竹正一「民法改正の会社法への影響(上)(下)」判時2300号19頁以下がある。

*4:なお、自己監査の問題に関する言及の際も消滅時効期間は「10年」(第6版561頁注1)から「5年以上」へと変わっている(569頁注1)。

*5:ただしいずれの方法もとても優れた解決とは言えないだろう。

*6:会社関係の事件ではないようである。

*7:なお、特殊な状況につき687頁注9も参照。

*8:判例索引では「772頁」とされているが誤り。

*9:金融機関が発行する劣後債で実質破綻事由が生じた場合に元利金支払いを免除されるもの

はぐれた九官鳥を拾ったら誰の物になる? 90年前の大事件「九官鳥事件」を読み解く

われらの法 第3集 有閑法学 (穂積重遠法教育著作集)

われらの法 第3集 有閑法学 (穂積重遠法教育著作集)

本エントリはラブライブ!サンシャイン!!の2期アニメ第5話のネタバレになる可能性があります。


1.手に汗握る逆転事件
 九官鳥事件(大判昭和7年2月16日大審院民事判例集11巻138頁)、これは民法195条を勉強する法学部生は皆聞いたことがある事件である。しかし、この事件は、手に汗握る逆転事件であり、内容自体が面白い。


まるで、アニメの原作になりそうなくらいである。


以下、穂積重遠『有閑法学』の第53話と第54話を題材に、九官鳥事件の解説をしたい。


2.事案の概要


さて、場所はある港町*1。話は、桜内某(仮名)の家に九官鳥が飛び込んできたことから始まる。


桜内某は、九官鳥をかわいがり、ノクターン(仮名)と名付けた。


それから、荒牧某(仮名)がやってきて、この九官鳥は荒牧が飼っていたアンコ(仮名)であるとして、九官鳥を持ち去ってしまった。


そこで、桜内は、荒牧に対し所有権に基づく九官鳥の返還を請求した。要するに、この九官鳥は自分の所有物であるから返せ、ということである。




3.所有権に基づく主張と占有権に基づく主張


 少し複雑だが、民法において「物を返せ」という主張には2種類のものがある。


 1つは所有権に基づく請求であり、自分の物、所有物については、それが第三者の下にあれば、所有権(自分のものだ!)を理由にその返還を請求できる。


 もう1つは占有権に基づく主張であり、ある物を自分が事実として持っていたことを理由に第三者に対して返還を請求できる。


 そして、桜内がノクターンの所有者で、かつ、占有者であれば、荒牧に対し、所有権に基づく返還を請求できるだけではなく、占有権に基づく返還請求もできる。


 このような2つの類似の請求が存在する理由は非常に分かりにくいが、簡単に言えば、裁判制度がある以上、どういう理由があっても、他人が現に占有しているものを裁判制度外で持っていくこと(自力救済)は許されないので、とりあえず事実上占有していることを根拠に(つまり所有者が誰かを問うことなく)、元々の占有状態への復帰を認めるという趣旨ということになる*2



4.所有権に関する訴訟ー民法195条を巡る戦い


 さて、桜内はノクターンが自分の物だ、つまり、自己の所有物だから返せという所有権に基づく訴訟を荒牧に対して起こした。



 このような主張の根拠として、桜内は、民法195条を使った。

民法195条 「家畜以外の動物で他人が飼育していたものを占有する者は、その占有の開始の時に善意であり、かつ、その動物が飼主の占有を離れた時から一箇月以内に飼主から回復の請求を受けなかったときは、その動物について行使する権利を取得する。


要するに、桜内は九官鳥という「家畜以外の動物」を、他人(荒牧)のものとは知らずに1ヶ月以上飼っていたので、九官鳥の所有者になった、と主張したのである。


第一審と第二審では、この主張が認められ、桜内が勝訴した。


ここで重要なのは、第一審と第二審では、時系列として、


先に桜内のところに九官鳥(ノクターン)が舞い込んできて、その後で荒牧の九官鳥(アンコ)が逃げた


という時系列を認定していたことである。つまり、この2つの九官鳥が違う九官鳥である、というのが第一審と第二審の認定であって、当然に九官鳥は荒牧のものではないことになる。


ところが、最終審の大審院(今の最高裁判所)は、民法195条の解釈を理由に桜内を敗訴させた

「九官鳥は我国においては人に飼育されその支配に服して生活するを通常の状態となすことは一般に顕著な事実なれば、同条にいわゆる家畜以外の動物に該当せず。」(カタカナをひらがなにする等の所要の修正済み)

要するに日本において九官鳥は「家畜」なので、家畜以外の動物に関する民法195条は本件には適用されないから、桜内は所有権を同条に基づき手に入れることはできないとされてしまったのである。


確かに(上記第一審と第二審のいうように)荒牧は所有者ではないかもしれない。しかし、桜内が起こした訴えは「(桜内の)所有権」を根拠とする訴えである。そこで、桜内は自分の所有権の存在を基礎付けなければならない。その際に桜内は民法195条を根拠としていた。大審院の判断によると、民法195条が適用されない以上、桜内の所有権を理由とする返還請求は認められないことになった、というだけである。


5.占有権に関する紛争ー桜内の勝訴


このように、所有権に基づく訴えでは桜内は苦杯をなめたが、ノクターンへの思い入れの強い桜内は、抜かりなく別の請求もしていた。


つまり、桜内は、荒牧に対し「占有権」に基づく訴えを別の事件として起こしていたのである。


上記のとおり、この占有権による訴えは、それが所有権に基づくものではなくてもよく、あくまでも自分が元々占有していた物(ノクターン)の占有を奪われたということを主張すればよい


つまり、桜内がこれまで占有していたノクターンについて、荒牧がその占有を奪ったとさえ主張すれば、誰の所有物かに関係なく、その返還を求めることができるのである。


そして実際に桜内は占有の訴えに勝訴し、大審院での敗訴判決後にかかる勝訴判決の執行により九官鳥の返還を受けることに成功した



6.差戻し後の経緯


 とはいえ、これで全てが終わった訳ではない。占有の訴えによって暫定的に元の状態に回復はしたものの、最終的には所有権者が荒牧であることが決まれば、荒牧は桜内に対しアンコの返還を求めることができる


そして、所有権の帰属を争う事件は、大審院によって元の裁判所に差し戻された


桜内は、もう民法195条を根拠に、九官鳥が自分のものであるとは主張できないことから、違う理由で桜内の所有権を基礎付けようとした。


なんと、「実は津島某(仮名)が九官鳥(ライラプス)を逃がしており、桜内が拾ったのはこの九官鳥である。桜内はその後津島から九官鳥の譲渡を受けた。」と主張したのである。


これに対し、荒牧は反訴を起こして所有権等の確認を求めると共に、(上記のとおり占有の訴えで負けてアンコが桜内の下に移転したので)所有権に基づく引渡も求め、徹底抗戦の姿勢を取った


この際には、荒牧は「差戻し前の第一審と第二審での事実認定は誤りであり、荒牧が九官鳥(アンコ)を逃がした直後に桜内が九官鳥を飼い始めたのだ」と主張した。


このように、荒牧の主張と桜内の主張は真っ向から対立した。勝敗は裁判所の事実認定にかかっている。


裁判所は、荒牧に軍配を上げた。


裁判所は、津島の九官鳥(ライラプス)と、桜内の九官鳥(ノクターン)の同一性について、問題の九官鳥(ノクターン)は時折「バカヤロウ」といった下品な言葉を使って鳴くが、津島の九官鳥(ライラプス)はこのような下品な言葉を使うことはなかったとして、桜内が津島の九官鳥を譲り受けた事実を否定し、その上で、荒牧が九官鳥(アンコ)を逃がした直後に桜内が九官鳥を飼い始めたとして、桜内の九官鳥(ノクターン)は、荒牧の九官鳥(アンコ)であると認定したのであった。


こうして、九官鳥は荒牧のものであるとして、荒牧の勝利(荒牧に九官鳥の引渡を命じる判決)で裁判は終わりを迎えたのである。


まとめ
 九官鳥事件は九官鳥の所在が荒牧ー(逃げる)→桜内ー(奪う)→荒牧ー(占有権の訴えの執行)→桜内ー(所有権の訴えの執行)→荒牧とめまぐるしく移っていく、大逆転に次ぐ大逆転事件であった。


 しかも、第三者(津島)からの譲渡の話が大審院判決後に突然出て来る等、まるで「運命」とか「見えない力」が働いているようである。



 このようなストーリーであれば、アニメの原作になってもおかしくない



私は密かに、ラブライブ!サンシャイン!!2期アニメ第5話の原作は、九官鳥事件ではないかと思っているのだが、テレビ版ではクレジット表示がなかった。ブルーレイに「原作 大審院」という表示が出ることを期待したい


本当の関連記事

ronnor.hatenablog.com

*1:小樽市である。

*2:そこで、事実上の占有をしていたかだけを問う占有の訴えは簡易迅速に行うことが想定され、所有者が誰かと言った議論は無関係である(民法202条)。