アホヲタ元法学部生の日常

アニメを見て法律を思い、法律を見てアニメを思う法アニクラスタ、ronnorのブログ。頻繁にツイッター(@ahowota)に出没しております。メールはronnor1あっとgmail.comへ。BLJにて「企業法務系ブロガー」として書評連載中。 #新人法務パーソンへ #オタク流勉強法 #明認方法 「アホヲタ元法学部生の日常」(ブログ)、「これからの契約の話をしよう」(同人誌)、『アニメキャラが行列を作る法律相談所』(総合科学出版)等。

「鬼門! 原作者チェック」〜判例に見るSHIROBAKOの法律問題


注:本エントリは、SHIROBAKOの主に23話(但し、23話までの話も色々と出てきます)ネタバレを含みますので、未見の方は十分にご注意下さい!


1.はじめに
 SHIROBAKOとは、高校時代アニメ同好会でアニメを作り、商業の世界でまた一緒にアニメを作りたいとの誓いを立てた5人が、アニメ業界における新人として、それぞれの立場で奮闘する姿を描き出したアニメである*1
 武蔵野アニメーションという架空のアニメーション制作会社で、「えくそだすっ!」と「第三飛行少女隊(サンジョ)」という2つの架空の*2作品を制作する過程で生じるトラブルと、その解決に奮闘する宮森あおい(新人制作進行→新人制作デスク)、そして悩みながらも自分の居場所を見つけていく安原絵麻(新人原画→作監助手)、坂木しずか(新人声優)、藤堂美沙(新人3Dクリエーター)、今井みどりシナリオライター助手)*3らの姿に涙が止まらない視聴者も多い*4。メインの5人以外のキャラもなかななか魅力的であり、個人的なオススメは、「武装」してても、可愛い後輩のためには一肌脱ぐゴスロリ様(小笠原綸子)ですね


 さて、SHIROBAKOには、色々な法律問題があるが*5王道を行く法律問題として、原作者とアニメ制作会社との関係を取り扱いたい。


 SHIROBAKO23話では、サンジョ最終話のアフレコも終わった後で、原作者が「結論」(結末)にキレてNGを出し、全修正を命じたという恐ろしいトラブルが生じた。これを監督がどのように解決したかは、23話を見て頂くとして、最後まで揉めて裁判沙汰になった場合、裁判所ではどのように判断されるのかを、判例から見てみたい。


2.原作者の意向は尊重される
 まず、一般論であるが、裁判所は、アニメの内容、特にその「結論部分」(結末部分)について、原作者の意向を尊重している。
 この事を示す興味深い事例として、東京地判平成21年4月17日がある*6。この事案は、1月放映のアニメ(1クール、13話)について4月くらいから本格稼働を開始したが、シリーズ構成及びシナリオについて、(当初の)制作会社側と原作者の間で9月段階まで対立が続き、結局折り合えなかったことから、注文者(製作委員会の幹事会社)が制作会社への発注を取りやめ、契約を解除したという事案である*7
 この事案では、原作者側と制作会社がアニメ化自体に合意したのだが、制作会社の連れて来た監督と原作者が「合わなかった」というのに尽きるだろう。原作者が「シリーズ構成は自分でやりたい」と言い出したので、じゃあ、原作者にシリーズ構成を出してもらいましょうということで、原作者に案を作ってもらったものの、監督は「アニメにはアニメのやり方がある」等と言って原作者のシリーズ構成案を没にし、制作会社側で独自にシリーズ構成案を作成した。しかし、原作者は、逆に制作会社側のシリーズ構成案を「原作の世界観にあっていない」等と言って批判した。判決文によると制作会社側が4回、原作者が5回シリーズ構成案を出したとされており、お互いの対立の深刻さが分かる*8
 制作会社の方は、原作者らが、制作会社側のシリーズ構成案に対してキャラ設定やストーリー変更を求めているものの、見解の相違は致命的ではないと甘く考えていたようである。その結果、原作者からの反対があったにもかかわらず、制作会社側の案をベースにシナリオ作成に入ってしまったようである。ただ、そのシナリオ作成は難航したようで、シナリオが締切に遅れたことから、更に原作者側の信頼を失ってしまったようである。シナリオ読み合わせの当日早朝にやっとシナリオができたものの、その場ではそのシナリオについて合意できず、むしろ原作者側からのクレームが入る状況であった。そして、最終的には原作者側は、制作会社側のシナリオが、結論部分(結末部分)において本件原作の世界観を無視している旨を指摘し、制作会社とはアニメを作ることはできないと伝えた。その結果、注文者(製作委員会の幹事会社)は制作会社への発注を取りやめ、契約を解除した。


 裁判所は、

被告において,本件原作の世界観等に配慮し,(原作者側)が本件原作のキャラクター等の使用を許容する内容のストーリーを作成しなければ,(原作者側)の了解を得られないことは明らかであるから,被告(制作会社)は,原告(注文者)に対して本件アニメーションの制作を約束した以上,原告に対して(原作者側)が許容するような本件アニメーションのストーリーの作成をも約束したものと認めるのが相当である

と認定している。


 この事案では、制作会社側がそのアニメーションを作りたいと考えて原作者側と交渉した上で、出資者として注文者(原告、製作委員会幹事会社)を勧誘したという経緯がある。そこで、例えば広告代理店等が中心となってある原作のアニメ化を企画し、出資者を手配した上で、「これを原作するアニメを作ってくれ」と指定してアニメ制作会社に委託するという場合*9にはまた異なる判断になる場合もある。とはいえ、サンジョ制作過程におけるムサニと原作者側の関係を考えると、ナベPが主体的に動いて雀荘で原作者側と交渉して契約にこぎつけているという状況からみると、この東京地判のような判断を食らう可能性が高いだろう*10。そう、企画の時点でアニメ化の許可を得たら後は勝手に進めていいのではなく原作者の了解を得られるような、原作者の許容範囲のものを作らなければならないのであり、特に、アリアが再び飛行機に乗るのかどうかという、ストーリーの「結論」(結末)部分は重要である。


3.原作者チェックの時期
 しかし、いくら原作者が「神様」でも、アフレコ後にダメ出しというのはないだろう、というのは多くの人が思うところではなかろうか。
 この点については、なかなか適切な判例が見つからなかったが、裁判所の考え方を知るヒントになる判決がある。これが東京地判平成20年8月5日である*11

 この事案は、わずか1年くらいで企画から訴訟まで突っ走っているのだが、この期間に
・作業量に関する認識の相違(当初の想定と比べて大幅な業務量の増加)
・報酬の過少見積り(自分のところが受けた単価より低い単価で受けてくれる外部委託先さん*12がいない!) 
・引っ張ってきた人材の能力の問題が顕在化
・作業が遅延し「作業の遅延原因報告書」の提出を余儀なくされる
・注文主が「手を抜け」と言ったかと思えば「クオリティも心配」と言ったりする
・永遠に終わらないリテイクの嵐(リテイク3のカットも。結局多くのカットにつき最終的承認が得られないまま裁判に突入)

といった、数多くの問題が発生しており、最後は訴訟提起で終わっていることから、この事案において、制作会社側で進捗管理をやっていた人*13のことを考える度に胃がキリキリと痛むSHIROBAKOの宮森あおいを見て、制作進行という仕事をちょっとでも「いいかも」と思った方は、自分が原告側の制作進行をやっていると想定してこの判決の事案の経緯を読むと良いのではないか。*14


 さて、既にこれだけトラブルが出てきているこの事案、もうこれ以上トラブルはご免と言う感じだが、現実は厳しい。更なるトラブルとして、著作権者修正があった。この事案は、実は典型的なワンクールアニメの制作ではなく、某有名ロボットアニメ*15の劇場版をパチスロ用の3DCGにする業務であり、当該ロボットアニメの著作権者の承認を得る必要があった。上記のような色々な苦労をして制作会社が制作したカットについて、著作権者である会社の担当者が125カットをチェックし、うち102カットに修正指示が入ったそうである。この修正について、裁判所は「本来的に本件業務の作業としては,疑問の余地のある指示がされたとも窺える」と判示しており、著作権者から、注文者との間で合意した内容と異なる「ちゃぶ台返し」がされた*16という制作会社側の主張をほぼ認めている形になっている。
 しかし、この著作権者修正による追加コストについて、裁判所はこれを注文者が制作会社に追加で支払う必要がないと判断している。その理由として裁判所は、

本件元映像(注:某ロボットアニメの映像)を扱う本件業務の性質上,被告(注文主)としても,(著作権者担当者)氏の意見に一定の配慮をもって対応せざるを得なかったことも止むを得ないと考えられることからして,なお,(著作権者担当者)氏の意見に基づく被告(注文主)の指示が本件各契約の作業範囲を超えるものであったとまでは認め難い

と述べている。要するに、注文主が一部著作権者の追加指示により、「ちゃぶ台返し」的な指示を制作会社にしたとしても、それが本来の契約の範囲(本来の契約の報酬の範囲)を超えないというものである*17



 この判断だけを見ると、カットが一度できた後(サンジョもほぼ同様の状況と言えよう)に著作権者(サンジョの場合は野亀先生)が後だしで「ちゃぶ台返し」をしても、制作会社(ムサニ)は(当初の契約の内容として)これに従わなければならないということになるかもしれない。



 しかし、注目したいのは、実際の作業量である。そもそも、制作会社は報酬として約1億円*18を求めており、判決では一部作業の未完成等を理由に約5000万円弱が認められている*19。このうち、著作権者の指示による追加作業というのは約10人で約10日かけて行う作業で、約300万円相当の作業とされている。100人日の作業は「軽い」作業とは言わないまでも、このプロジェクトにおいて制作会社によってなされた作業全体に占める割合は制作会社の主張によれば3%、判決の認定でも5%強である。この判決の判断は、著作権者の修正指示が仮に「後出し」であっても、その影響範囲がそこまで大きくないならば、その追加作業は制作会社が「原作あり作品」に付随するリスクとして想定すべき範囲だから、これを甘受すべきというものと理解される。逆に言うと、影響範囲が甚大な後だし指示による追加作業まで甘受すべきという趣旨ではないだろう。


 このように考えると、例えば、サンジョについては、「そういう経緯」*20で100カット追加、50カット削除という修正によりなんとか原作者の野亀先生と折り合いがついた訳だが、この件で発生した追加費用*21をムサニが製作委員会*22に対して請求するのはなかなか微妙であり、もしかすると難しいかもしれない*23。しかし、もしも、野亀氏が、当初の主張通り、シナリオ総取っ替えの大修正をあくまでも求め続けたという場合、上記のような裁判例を前提としても、夜鷹出版の承認を得てそのシナリオで作業を進めていたムサニ側がそのような要求を飲まなければならないとはいえないだろう。


まとめ
 SHIROBAKOで描かれたような原作者による修正要求事案は現実のアニメ制作過程でも起こっており、「訴訟沙汰」になったものもいくつかある。
 裁判所は、一般論として原作モノでは原作者の意向を尊重すべきという考えを示しており、原作者の了解が得られないようなシナリオしか作れない制作会社は下ろされてもしょうがないし、一定の範囲では後だしで原作者側が修正を指示しても、その要求に応じなければならないとしている。ただ、そのような原作者の権限も有限であって、裁判所が「原作者は神様」と言ってるとまでは読むべきではないだろう。
 いずれにせよ、現実の裁判沙汰になった事案では、制作進行の仕事はアニメの宮森あおい以上にストレスフルであり、安易に制作進行の道に進む前に、判決文を読んでどんなトラブルが待っているのかを理解しておくことは、これから制作進行になりたいと思った人(特にSHIROBAKOの宮森あおいの姿に憧れを感じた人)にとって重要であろう。

*1:登場人物が一丸となって完成を目指す成果物の「入れ物」の名前をタイトルとしているので、検察アニメにこの命名法を応用するなら「FUROSHIKI」になりますね。

*2:とはいえ、BD/DVD3巻には「えくそだすっ!」第1話がついているので、「全くの架空」ではない

*3:個人的にシンパシーを感じたキャラは、好奇心旺盛で調査をガンガン進めていくディーゼルさん(今井みどり)。私にはシナリオライター方面の才能はないですが。

*4:かくいう私も。。。

*5:例えば、本田デスクがなかなか最終話のコンテを切れない監督を監禁したところとか

*6:以下は、基本的に裁判所の判決の認定に準拠する。

*7:その後制作会社を変えて4月アニメとして放送しているようである。

*8:回数的に言うと、井口祐未ちゃんのキャラデザの時と同じかそれ以上のダメ出しが入っている

*9:内藤篤「エンターテイメント契約法第3版」418頁参照

*10:なお、判決では、原作を今後も発展させていくつもりであることも強調されているが、その観点からも、サンジョはアニメ放送終了後も第6巻以降のストーリーが続いていくという点で、強調できる

*11:http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/292/037292_hanrei.pdf

*12:イメージとしてはスタジオカナブンみたいな感じのところ。

*13:判決文からはあまり明確ではないが、各会議における報告者名を見ると、α10ではなかろうか。

*14:「それでもやっぱり制作進行がやりたい!」「自分ならうまく社内と外部委託先をコントロールして、この事案でも裁判沙汰にせずにうまく回せるはず!」と思った方こそが、制作進行に向いていると思います、本当に。

*15:イデポンの元ネタの方とは別の物

*16:「指示は,本件各 契約上の本件仕様に合致せず,これと矛盾したり,これを超えていたりした」

*17:なお、経緯として、注文主側が制作会社側に事前に一定程度著作権者の意向を踏まえないと行けない旨伝えているというのが出てきている。

*18:但し、うち既払い金約1500万円

*19:ただし、既払い金を除き約3327万円の支払いが認められている。

*20:詳しくはアニメをご覧下さい

*21:赤鬼プロダクションに払った坂木しずかの出演料とか。

*22:製作委員会からムサニが元請けしていることは、政治力で声優をごり押ししようとした会社が出てきた第14話「仁義なきオーディション会議!」辺りの経緯から推定される

*23:製作委員会側は上記2判例を根拠に追加費用を拒否するだろう。これに対しムサニとして対抗するとすれば夜鷹出版の承認の話でどこまで押していけるかだろう。

面白判例百選〜面白判例検索の世界へご招待

民法判例百選1 総則・物権 第7版 (別冊ジュリストNo.223)

民法判例百選1 総則・物権 第7版 (別冊ジュリストNo.223)


 ゴールデンウィーク企画最終回ということで、独断と偏見で面白判例を100本選んでみました。カテゴリー毎に分けて10本ずつ選んでみました。



司法判例10選
 裁判、司法に関する判決を10個選びました。


判例1 裁判所が改名を認めたら、目が見えるようになる?

「改名すれば目が見えるようになる、チャンスは今だけ」との占いに従って改名を希望する婦人につき、改名を認める審判をしたら、後に目が見え始めたとの報告があった事案(名古屋家審審判年月日不明)*1

 本来、名を変えると健康になるとか、字画を良くしたいという「迷信」に基づく改名は認められない(長崎家審昭和35年3月10日家月12巻8号144頁、名古屋家半田支審昭和44年3月19日家月21巻9号104頁等)。裁判官が裁量をフルに働かせた結果、こんな世にも奇妙な結果が生じた。




判例2 警察官が取調べ中の被疑者を姦淫

警視庁の警察官が覚せい剤取締法違反の被疑者である若い女性の取調べ中に取調室で同女を強姦したという事案において、警察官は「女性の積極的な誘惑があった」と述べて争ったが、誘惑の事実はなかったと断じられた事案(東京地判平成23年5月19日)

 事案的には、既に警察官が刑事事件で特別公務員暴行陵虐罪で有罪(東京高判平成18年3月20日)とされ、その後東京都側が被害女性と和解し、和解金相当額を警官に求償したという事案です。極端な例ではありますが、警察官と二人きりで取調べというシチュエーションは、実は恐ろしいのですね。。。関連判例として東京高判平成15年1月29日判時1835号157頁参照。


判例3 法務博士は使えない?

採用した法科大学院卒業生である労働者の能力不足を指摘して一時待機を命じたことにつき、給与の支払いを正当化する労働提供不能ではなく、配置転換等も可能であった等として労働者を勝たせた事案(大阪地判平成24年4月26日)

 法科大学院修了の3年後(三振?)にキャバクラ等を全国展開している会社に就職したという原告は、裁判には勝ちました。しかし、裁判所は、「原告が作成した文書を見ると、法務の専門知識を期待される労働者のものとしては高い評価に値するものではないし、専門性以前に業務上の文書作成の基礎的能力にも欠ける面も窺われる」と判断しているので、原告は全然喜べない判決。いわば裁判に勝って勝負に負けた事案?
 なお、法務博士の法的知識関係については、「法学部卒業程度の法的知識を有していた」とする京都地裁平成21年9月25日も参照。



判例4 東京地裁が訴えられる?

東京地裁厚生部」と呼ばれた職員の互助団体が支払不能に陥り、業者が東京地裁(国)を訴えた事案。東京地裁は「厚生部はうちの一部門じゃない」と判断したが最高裁で逆転(最判昭和35年10月21日民集14巻12号2661頁)

 東京地方裁判所(正確には「国」)が東京地方裁判所に訴えられ、東京地方裁判所では勝った(東京地判昭和29年9月13日判タ46号74頁)が、最高裁で負けるという希有な事案。裁判所の内部部門のような外観を黙認してはいけません。
 なお、「東京高裁民事事件係長Y1又はその後任」を相手に、「1200円の収入印紙貼付し、4210円切手同封の平成16年6月30日付け訴状に同封の葉書に対象事件番号等を記載して送付」することを求めた事案も参照(東京地裁平成16年9月22日)。



判例5 裁判官が相手をゆすり屋呼ばり?

原告は、某裁判官の訴訟指揮が違法であると、当該裁判官を個人的に訴えた。当該裁判官は、答弁書において原告を「因縁をつけて金をせびる」等と中傷したところ、これが名誉毀損であるとして、原告1人あたり10万円の損害賠償を命じられた事案(前橋地判平成15年7月25日判時1840号33頁)

 このような裁判官がいる事自体が驚きであるが、東京高裁は逆転判決を下し、裁判官を免責している(東京高判平成16年2月25日判時1856号99頁)。
 

判例6 裁判官が酒酔いで勤務?

裁判官は、現場見分の日の払暁に飲酒し、そのため現場見分の際、酒のにおいが若干残つていたことが窺われるとし、極めて不謹慎な行為だが、同裁判官が飲酒のために正常な判断をする能力を欠いていたものとすることはできないとした事案(東京地判昭和61年7月12日判タ622号149頁)

 この裁判官、当事者に「バカか」と暴言を吐いているのですが、これも違法行為とまでは言えないとされてしまいました。



判例7 弁護士が酒酔い?

弁護人が、酒気を帯びたり酒臭を発しつつ弁護活動を行ったことが誠実義務を負う国選弁護人としての義務に違反したとされた事案(和歌山地判平成15年6月24日)

 うつ病及びアルコール依存症と診断され約7年間弁護士業務を休止した後再度弁護士業務を再開し、主に刑事訴訟における国選弁護人として活動していたが、不眠のためまたアルコールを飲み始め、日中においても酒気を帯びた状態となって酒臭を発するようになり、接見の際や公判廷において酒臭を発した状態で業務を行ったと認定されている。


判例8 判例雑誌への掲載は違法?

有名判例雑誌が、判決文を掲載する際に当事者名を実名で表示したことについて、裁判公開原則、知財訴訟であったこと、判例専門誌の性質等に鑑みプライバシー侵害による不法行為は成立しないとされた事例(さいたま地判平成23年1月26日判タ1346号185頁)

 自分の判決を実名入りで掲載するな!という訴えが否定された事案。性犯罪等内容が違えばまた異なる判断がされる可能性がある。類似事件として、長野地飯田支判平成1年2月8日判タ704号240頁がある。


判例9 受験予備校悪玉説

「司法試験予備校が編さんした教材を読んで、論点ごとの判例や学説の状況を記憶し、その後、過去問等を集めた問題集を読んで、解答例を記憶するという論点・解答例暗記型の勉強方法を採る受験者が増加」していると判示された事案(東京地判平成16年9月29日)

 司法試験の成績表等を開示するように求めた訴訟において、開示が及ぼす悪影響として予備校の問題点が縷々指摘されている。司法制度改革推進派が何を立法事実と捉えていたのかを推測させる重要な判例といえよう。


判例10 六法は武器です!

取り調べ中に検察官に対し、六法全書等三冊を胸部及び腹部に投げ付けて暴行を加え、事務官を手拳や鉄パイプ製椅子で殴打する等して公務執行妨害を理由として有罪とされた事案(大津地判昭和60年5月14日税務訴訟資料(1〜249号)148号696頁)

 六法全書を武器として利用した事例。確かに鈍器ですわな。。。



基本判例


基本書*2等に掲載されている基本判例をまとめました。


判例1 百円札模造事件

表は百円紙幣のデザイン、裏は広告というサービス券につき、警官から格別の注意も警告も受けず、かえって警官が配付してくれた等の事情があっても、通貨模造罪の違法性の意識欠缺についての相当の理由を否定した事案(百円札模造事件・最決昭和62年7月16日刑集41巻5号237頁)

 有り体に言えば、「警察官を信じてはいけない」ということですね。


判例2 麹町中学校内申書事件

麹町中全共闘を名乗り、機関紙『砦』を発行、学校文化祭の際、文化祭紛糾を叫んで他校生徒と共に校内に乱入し、ビラまきを行う、大学生ML派の集会に参加する等の内申書の記載は思想信条の自由を害さない(麹町中学校内申書事件・最判昭和63年7月15日判タ675号59頁)

 この原告の方が現在の世田谷区長というのは興味深いところです。代理人の方も有名な政治家ですね。


判例3 豆腐屋事件

わずか豆腐数丁の財産的利益を防衛するため人命を害するがごときは、仮に急迫不正の侵害に対する防衛行為であるとしても、その程度を超えたものであるとして、正当防衛(刑法36条1項)は成立しないとされた事例(豆腐屋事件・大判昭和3年6月9日新聞2891号14頁)(再掲)

 豆腐のために人を殺すのは全然男前ではないですね。


判例4 勘違い騎士道事件

空手有段者が、被害者の男性が女性と揉み合うのを目撃し、女性を守ろうと回し蹴りをしたところ、被害者は死亡し、しかも、被害者は酔った女性を介抱しているだけだったという事案において、誤想過剰防衛を認めた事例(勘違い騎士道事件・最判昭和*362年3月26日刑集41巻2号182頁)

 騎士道精神自体はいいのですが、きちんと女性の意思を確認しましょう。
法学ガール〜勘違い騎士道事件 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常参照。


判例5 レック東京リーガルマインド事件

司法試験受験予備校役員につき退職後2年間の競業避止義務を定める特約について、元監査役の超有名講師との関係で競業避止の必要性の疎明なく合理的代償措もないので、公序良俗に反し無効等とした事案(レック東京リーガルマインド事件・東京地決平成7年10月16日判タ894号73頁)

 あの超有名な某先生の独立の経緯が重判にも掲載されています。


判例6 プラカード事件

デモで「国体はゴジされたぞ 朕はタラフク 食つてるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」というプラカードを掲げたことにつき、不敬罪旧刑法74条)として起訴されたが、大赦により免訴とされた事案(プラカード事件・最判昭和23年5月26日刑集2巻6号529頁)

 表現の自由との関係で言うと、最後まで実体判断がされなかったのがやや残念なところです。


判例7 隣人訴訟事件

好意で預った近所の幼児が溜池に落ちた事故で、幼児を預った近所の夫婦に損害賠償責任が認められた事案(津地判昭和58年2月25日判タ495号64頁)

 この判決が報道されると、世間から「近所付合いに冷や水を浴びせるな」と非難を浴びて訴えを取り下げざるを得なくなっている。日本人の法意識を推察させる事案。


判例8 放尿と器物損壊

 器物損壊とは単に物質的に器物その物の形体を変更又は滅尽させる場合だけでなく、事実上若しくは感情上その物を再び本来の目的の用に供することができない状態にさせる場合を含むとして、すき焼き鍋及びトックリに放尿したことは器物損壊であるとした事案(大判明治42年4月16日刑録15輯452頁)

 その後の「心理的瑕疵」の判例にもつながる興味深い判断。実はこの事案、強姦&器物損壊事件であったことはあまり知られていない。



判例9 塩を振りかける行為と暴行

塩に関する判例のリーディングケースである、人の頭、顔、胸および大腿部に食塩を数回ふりかけた行為が暴行にあたるとされた事例(福岡高判昭和46年10月11日速報集1117号)

会社側の被告人が、組合員の被害者を嫌悪して圧迫を加えた労働紛争であることは、あまり知られていない。



判例10 信玄公旗掛松事件

停車場に接近し線路からわずかに一間未満の地点に生立する松はなはだしく煤煙の害を被る位置にありかつその害を予防する方法がないわけではないから、その方法を施さないでその松を枯死させた行為に不法行為が成立するとした事案(大判大正8年3月3日民録25輯356頁)

実は松を鑑定した結果、年代的にその松に信玄公は旗を掛けていなかったことが判明したということはあまり知られていない。



ネットネタ判例10選


 ネットで話題になったネタに関する判例を10個選んでみました。


判例1 DQN判例

「DQN」が侮辱的表現であることは甲第17号証より明らかである。」と判示した事案(東京地裁平成15年9月17日判タ1152号276頁)

 別に裁判官がDQN判例ではない(裁判官がアレな判例は「司法判例」参照。)。弁護士に対して「DQN」等と侮辱的な表現を使って誹謗中傷したとして、発信者情報開示請求が認められた事案。
 本判決以外にも「『DQN会社(ドキュン会社と読むとのこと。)』とは,『ブラック会社』と同義で用いられるインターネットスラングであることが認められる」とした東京地判平成22年9月2日等がある。


判例2 パンツ何色判例

警察官が、刑事事件の被疑者の母親の事情聴取の際に、母親が警察官の追及を否定して沈黙が流れた際、何の前触れもなく「お母さん、パンツは何色ですか。僕は白です。」と申し向けたことについて違法として国家賠償法に基づく損害賠償を認めた事案(那覇地判平成19年5月28日)

 同じ日に、同じ警察官が、母親に対し、手をつなぐよう誘う趣旨の発言をしたこととあわせて沖縄県に対し慰謝料30万円、弁護士費用5万円の支払いが命じられた。
 ネット上では、パンツ何色判例として、東京高判平成22年12月17日東高刑時報61巻342頁を押す声もあるが、現役警察官の行動ということで私はこの那覇地判を押したい。



判例3 クリスマス中止判例

クリスマス・イルミネーションにより、観光客による飲食物等ごみの散乱・立ち小便、たばこの投捨てによる火災の危険等が生じるとして人格権等に基づき申し立てたクリスマス中止仮処分命令申立てが却下された事例(東京地決平成10年12月17日判タ1001号264頁)

 バレンタイン、ホワイトデー、そしてクリスマス。これらのイベントの度に、リア充対非リアの戦いが起こる。非リアはリア充爆発せよ!」と念じるのみならず、クリスマスの中止に向けて様々な努力をする。この方法として、裁判でクリスマスを中止できないかという声が上がることがあるが、何と15年前に既にクリスマス中止を試みた先人がいた
 決定本文を読む限り、あくまでもクリスマスイルミネーション設置点灯禁止を求めるだけであり、申立人が非リアであるかも定かではないが、この先人の努力もむなしく、裁判官によって「却下」とあいなった。


判例4 霊言は著作物判例

新興宗教による「霊言」と呼ばれる宗教行為の動画映像の著作権等が争われた事案につき、某宗教法人の代表役員が題名、主題、列席者及び文殊菩薩が同人に降霊したという設定等その映像全体の構成を決定したとして、その個性が表現されている映画の著作物とされた事案(東京地判平成24年9月28日)

 時流に合わせて「霊言」本を大量発行することで有名な某新興宗教であるが、ある裁判例において、裁判所によって、文殊菩薩が降臨したというのは代表役員が決定した設定であり、要するに、霊言はフィクションであると認定されてしまった。インハウスロイヤー等をどんどん登用して、次こそは裁判所に「霊言は本物」と認めてもらえるよう頑張って欲しい。


判例5 憲法無効論判例

憲法が旧憲法改正の限界を越えているため、全体として無効であることを主張しながら、憲法第三二条等に依拠して最高裁判所に対し申立をするのは不適法である(最決昭和40年7月6日裁判集民79号699頁)

 最近喧しき改憲論。その極北を行くのが押し付け憲法無効論な訳ですが、何と、既に押し付け憲法無効論について判断した判例がありました。事案としては、不動産の競売に関する原決定に不満があった抗告人が「帝国憲法の根本原理は、天皇主権に在り、現行憲法主権在民に在るのであるが、帝国憲法に於ける天帝主権の規定は絶対改正を許されないものであつたから、現行憲法に於ける主権在民の宣言は帝国憲法改正の限界を越えたもので、無効たるを免れない。而して現行憲法に於ける、その根本原理が無効である以上、現行憲法規定は従つて無効である。従つて現行憲法の下に於ける裁判制度も無効たるを免れないから原審決定も無効であり、破毀を免れないものと思料する」と主張して最高裁に上訴したところ、最高裁からはつれない返事が。最高裁もあくまでも(新)憲法に基づく機関ですからね。


判例6 キラキラネーム判例

「悪魔」の命名命名権の濫用であって、市長が他の名にすることを示唆しても、命名者がこれに従わず、あくまでも受理を求めるときは、不適法として受理を拒否されてもやむを得ない(東京家八王子支審平成6年1月31日判タ844号75頁)

 キラキラネームというのはいつの世でも問題となっており、20年前に既に「悪魔」という名前を付けた事案についてこんな審判が出されている。
 なお、この事案は、本当はもう少し複雑で、本来受理を拒否すべき名前について誤って市長が受理してしまった後、市長が「名未定」と訂正した事案であった。裁判所は、一度受理した以上、戸籍法による訂正手続を取るべきで、職権で抹消できないと判示し、名前を元に戻すよう命じた。なお、その後で色々な反響を踏まえ、別の名前にしたとのことである。その元悪魔ちゃんは今年20歳(平成5年8月頃生まれ)になる。元気に暮らしているだろうか。。。


判例7 コスプレ判例

「被告のコスプレ活動やホームページの開設は何ら違法なものではなく、憲法によって保障される表現の自由や営業の自由に基づいて当然に許容されるべきもの」と判示した事案(東京地判平成19年10月10日)

 この事案の当該判示部分は、コスプレの自由が憲法で保護されているという興味深いものであるが、この事案はコスプレイヤーと結婚できると勘違いした原告が*4、「コスプレ活動の中止・撤退」等を約したと主張してその履行を求めたと言う事案であり、裁判所は仮にそのような約束をしていてもこれを禁止する約束は私人間においても公序良俗違反で無効としたものである。
 なお、国家試験会場でメイド姿で生徒への激励をした教員につき、服務規律違反が主張されたが、天使の羽を付けて応援する教師がいる等仮装をして激励することが許容される校風があり、学校における品位を汚し、服務規律に違反するものとまで認められないとされた事案(京都地判平成25年5月10日)もあるので、メイド服姿をブログで披露された某刑法学者の先生にとっては朗報であろう。


判例8 信教の自由vs公序良俗判例

秘仏の写真も人の性欲を刺激興奮せしめ通常人の正常な性的羞恥心を害し善良な性的道義観念に反する以上猥褻物とした事案(東京高判昭和29年11月12日高刑集7巻12号1709頁)。 #エアリプ

 エロ漫画教を作れば信教の自由で対抗できるとか、児童ポルノの単純所持が規制されるなら児童ポルノを本尊にすればよいという人は、この先例を乗り越えないといけませんね。



判例9 おっぱい判例

「おっぱい」を「授乳」に改めるとした事案(札幌高決平成17年6月3日家月58巻4号84頁)

 原審を引用した上で、そのうち誤記等があれば改めるのが上訴審のスタイルですが、札幌高裁は「おっぱい」に反応した訳です。
 この事案は、子の監護者の指定に関する争いで、原審が「おっぱい、食事の世話、おむつ替えその他、ほとんどの世話を申立人がしてきた」等の事実を認定した事案です。



判例10 お年玉判例

幼少だった子ども(0〜2歳程度)に送られた祝い金やお年玉の受贈者は子ども自身ではなく、両親であるとも考えられるとした事案(東京地判平成24年12月7日)

 「お年玉はお母さんが預かっておくわね」というのが適法かについては、横領罪説等色々な主張がされていますが、そもそも社会的儀礼を合理的に解釈すると、(形式的に手渡されたのが子どもであっても)実質的には両親に贈られた可能性があるという可能性を示唆するこの判決は、新たなパラダイムを引き起こす可能性があるもので、注目です。




下ネタ判決10選


 男女関係や、強姦・強制わいせつ等の判例をまとめました。


判例1 オレオレ詐欺的強姦事件

深夜無差別に電話をかけて、「俺だけど」と言って、応答した女性が被告人を何人と誤解するかに応じて間違えられたその本人になりすまして女性を姦淫したとの事案につき、強姦罪の成立を認めた事案(名古屋地岡崎支判平成9年11月17日)

 オレオレ詐欺の技術をこちら方面に発展させた事案が現実にあります。電話口でお金を要求しない場合でも警戒してあたりましょう。


判例2 AV出演歴の告知義務?

婚姻時に、過去のアダルトビデオ出演歴を告知しなかった事実自体は不法行為とは認められないが、婚姻後に男優との性行為を内容とするビデオに出演することは貞操保持義務違反であるとした事案(東京地判平成24年1月25日)

 一度婚姻した後婚姻が取消された事案で結納金の返還を求めたという事案であるが、結婚の際にAV出演歴の告知義務はないという判示は興味深い。但し、「過去のアダルトビデオ出演歴は,その事実が将来に向かって婚姻関係を継続しがたい重大な事由に当たり,離婚事由となり得る場合がある」ともしており、留意が必要であろう。


判例3 男子の貞操喪失に対する賠償?

婚約後双方が童貞処女を喪失し、その後婚約が破棄された場合、慰謝料を請求し得るのは女子のみであつて、男子はこれを請求し得ない。それは女子の貞操の喪失、即ち其の純潔の喪失に対する社会的評価は男子と異なるからであるとした事案(東京地判昭和26年2月9日判タ12号71頁)。

 ある意味男女不平等な約65年前の事案だが、今もこの判示が生きているのでしょうか?


判例4 アダルトビデオ鑑賞は趣味の範囲 

夜中にアダルトビデオを見る等の夫の性的趣味に対する嫌悪感等から離婚に至ったものの、その「性的な趣味については個人の嗜好の範囲内に止まると解することも可能」等として慰謝料請求を否定した事案(東京地判平成15年6月10日)

 この事案では、原告(妻)が不倫をした一方、被告(夫)も露天風呂でのぞきをする等の経緯があり、「原告と被告の婚姻関係が破綻したのは,双方の物の考え方,価値観等に由来する部分が大きいといえ,被告のみの責めに帰すべき事由に基づくものとまではいうことができない」とされている。その一連の判断の中で、被告(夫)のアダルトビデオ趣味についてこのような判断がされている。なお、有名芸能人がテレビ番組等で公開していたAVマニアとの性的趣向と同一性を有する記事の大半につきプライバシー侵害を否定したが、ビデオ店の防犯カメラ映像の公表は、肖像権侵害と同時に,その人格的利益を侵害したといえるとした事案(東京地判平成18年3月31日判タ1209号60頁)も参照。


判例5 裏ビデオ公序良俗

芸能人のマネジメントを行う会社の、所属女優のノーカット版映像を配信する利益は「適法な利益として保護を受けることはできない」とされた事案(東京地判平成19年8月31日)

 原告が、「原告所属女優の映像を一定の目的のために撮影するが、その映像は勝手に配信してはいけない」という約束に反して被告が海外配信をしたとして損害賠償を請求したが、裁判所は「原告が主張するノーカット版とは,モザイク処理などによる修正をしないわいせつな映像であり,日本国内においては,不特定又は多数人に販売することは禁止されており,そのような作品の頒布を目的として,ある業者が他の特定の業者に販売することも,民法上,公序良俗に違反すると解される。」等として原告の請求を棄却した。関連判例として、わいせつ物には未だ該当しない程度のSM写真につき、本件写真の内容に照らすと、未だそに著作物性が否定される程までは公序良俗に反するものとはいえないとした事案(SM写真集事件・東京地判昭和61年月20日判タ637号209頁) 参照。


判例6 2000万円以上つぎ込んだのに

出会い系サイトで「セレブな処女姫♪19歳C☆」等とやりとりをしたたが、すべてさくらで会う事ができなかった事案につき、サイト利用料及び弁護士費用を不法行為による損害賠償として認めた事案(東京高判平成25年6月19日判時2206号83頁)

 原告は2000万円以上(2031万3000円)つぎ込んでいるが、例えばそのセレブな処女姫は「祖父が裕福なため,話し相手になったり,会ってくれればお礼に数千万をあげる」というような話であり、よく過失相殺されなかったなぁと。。。
 なお、代理人の弁護士自身が実際に登録して試しているところが興味深い*5


判例7 おっとい嫁じょ

婚姻を申し込んだが断られたため、相手に暴行を加えて強姦したところ、弁護人が、この地方には婚姻に同意しない婦女を承諾させるためその婦女を強いて姦淫する「おっとい嫁じょ」と呼ばれる慣習があり、被告人はこの慣習に従って本件行為に出たもので、違法性の認識を欠き故意がないと主張した事案(鹿児島地判昭和34年6月19日判時190号21頁)

 裁判所は「被告人の当公廷における供述同じく検察官に対する供述調書によれば、被告人が右の如き慣習が反社会性を帯びるものであることの認識を有していたことが明らか」として被告人を有罪としたが、こういういわば「略奪婚」の慣習が存在すること自体は前提となっていると思われる。
これ何てエロゲ? な判例〜オタク判例百選第1事件 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常参照。


判例8 英語の勉強法?

英語教師である被告人が、英語レッスンに来た女子高生に、TOEFLの好成績を得るには下着を脱いで着替えることが必要と言葉巧みに説きわいせつ行為に及んだとして準強制わいせつ罪とした事案(東京高判平成15年9月29日東高判決時報54巻1〜12号67頁)

 食い物にされた女子高生は大変かわいそうですが、英語教師の発言が本当か嘘か、TOEFLの成績が上がらなくて悩んでいる方は試してみては?


判例9 盗撮ビデオ

入浴中にその裸体を盗撮され、その映像をビデオに録画されるに至ったところ、盗撮ビデオとされるものの中にも、実際にはいわゆる「やらせ」によるものがあり、自ら進んで裸体をさらしているのではないかという印象を与えかねず名誉毀損罪も成立するとした事案(東京地判平成14年3月14日)

 盗撮された被害者は、そのプライバシーが侵害されただけではなく、視聴者から「やらせの盗撮モノに出演しているのでは」と思われるので、名誉も毀損されるという判決です。裁判官、盗撮モノの実務に詳しいですね。なお、露天風呂はその構造からして、犯罪としての盗撮が行われやすい場所であることは経験則上明らかであるとした東京地判平成16年7月14日も参照。


判例10 近親婚

近親婚(叔父姪間)の事実を隠ぺいして婚姻するため、同様の事情をもつ女とその氏名を交換的に用いて婚姻届をした事案で、夫の死後の戸籍訂正請求が否定され、婚姻無効等の方法を取るべきとされた事案(名古屋高金沢支決昭和60年12月5日家月38巻4号101頁)

 近親婚はそもそも普通にしていれば婚姻届が受理されない訳ですが、こういう方法もあるんだなぁと、なかなか興味深い事案です。



名言判例


 裁判官や当事者の「名言」(or迷言)が含まれている判例を紹介します。


判例1 死刑合憲判決

一人の生命は、全地球より重い(最判昭和23年3月12日刑集2巻3号191頁)

死刑が合憲かどうか争いとなり、「一人の生命は、全地球より重い」ものの、死刑そのものは合憲とした事案。なお、「国家の文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする平和的社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情により否定されるにちがいない。」という裁判官島保、藤田八郎、岩松三郎、河村又介の意見が付されている*6



判例2 教授ご乱心事件

法学の授業中の「こんな三流大学に入って,この先の人生は終わったようなものだ。」「一生懸命勉強してこの大学に入学した学生は,なおさら人間のカスである。」等との発言を認定した上で、教授の解雇を有効とした事案(東京地判平成25年2月14日)

 教授の発言として認定されたものとしては、
「Y大学に入学をするなんて,馬鹿な学生だ。」
「三流のY大学に入っても就職先はない。あったとしても,ろくな企業ではない。」
「a大学の学生とは比較にもならない。」
「こんな三流大学に入学したものは,人間のカスだ。」
「一生懸命勉強してこの大学に入学した学生は,なおさら人間のカスである。」
「こんな三流大学に入って,この先の人生は終わったようなものだ。」

 といったものがあり、これに憤慨した半数以上の学生が授業中に退席したと認定されている。


判例3 奴隷?

専任講師が別の教師に「今日から私は先生の奴隷になります。ポチと呼んで下さい。」と言ったが、冗談であり解雇理由にならないとされた事案(青森地弘前支判平成16年3月18日)

 最近でも、某大学非常勤講師と学生の間の事案が報道されていますね*7


判例4 自由競争?

「恋愛の自由市場における競争の結果に過ぎない」とうそぶき訴訟提起後も不貞を継続する不貞相手に対する慰謝料請求において、離婚へ向けて助言し、子を妊娠させ、マイホーム建築を頓挫させ、調査費用を支出させた事等として400万円の慰謝料を認めた事案(東京地判平成22年10月7日)

 そもそも、先に結婚されてしまった段階で、「恋愛の自由市場」で敗北したのではないかという疑問が。


判例5 司会者は免責

平均視聴率11.2%の番組でゴミ収集車の運転手の承諾なしにその容貌を生放送したことにつき、テレビ制作会社、放送会社に不法行為責任を認めたが、「映っちゃってるよ、もう十分」と発言した司会のキャスターの責任は否定された事案(東京地判平成21年4月14日判タ1305号183頁)

 有名司会者が誰か分かっても、あえて触れないようにしましょう。


判例6 中二病

好訴妄想を主症状とする精神病患者が、法の力によって入院先からの解放を図るほかないとして六法全書を購入して研究し、人身保護請求をなした事案で、患者の即時釈放を命じた事案(釧路地網走支判昭和45年8月18日民集25巻3号447頁)

 事案としては中二病っぽくて格好いいのですが、最判昭和46年5月25日同435頁で破棄されています。
 他に中二病っぽい事案として、伝説の鏡が出て来た、「八咫の鏡所有権確認等請求事件」(岡山地津山支判昭和40年1月19日判時400号8頁)も参照。

判例7 裁判官の愚痴事件

裁判官の「あなたの審理が終わらないので、私は上司から怒られているんだ。いつまで裁判をやっているんだ。私の左遷の話まで出ている。私の将来に影響するかもしれない。」との発言が違法とされた事案(長野地飯田支判平成26年1月30日訟月61巻1号51頁)

 裁判官が何を気にしているのかよく分かる判決です。ただ、東京高判平成26年5月29日訟月61巻1号39頁で取り消され、賠償が必要ないとされています。


判例8 ラブホに入ったら終わり

不貞行為に対する請求に対する「ラブホテルに行ったがマッサージしかしていない」との抗弁が否定され、十数年に渡る婚姻が破壊され、心療内科に通院するような精神的苦痛を受けたことや養育すべき長女の存在等に鑑み、400万円の慰謝料を認めた事案(東京地判平成21年3月11日)

 トランプの抗弁ともいわれる有名な抗弁ですが、不貞の有無においては、ラブホテルに入ったら相当まずいようです。


判例9 裁判所も認める林原めぐみ御大

林原めぐみ御大が東京高等裁判所「声優として著名」と認定された事案(2ちゃんねる小学館事件・東京高判平成17年3月3日判タ1181号158頁)

 林原めぐみ閣下は、刑事弁護専門雑誌で少年法改正についても意見を述べています。
アナログ調査の効用ー刑事弁護専門書に声優インタビュー掲載 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常


判例10 援助交際

推薦入試の面接で、受験生である女子高生に対し「まさか援助交際はしていないだろうな」との発言したこと等を理由に短大教師が解雇された事案(東京地決平成15年3月25日)

 これだけを取り出すと、解雇もしょうがないかとも思いますが、その発言は解雇の4年前の事情であり、解雇までの間何ら問題とされてこなかった等として解雇を無効としたところがポイントです。



言い訳判例百選


通った言い訳、通らない言い訳、色々あります。


判例1 精液を20リットル飲んだ?

尿から覚せい剤反応が出た原因は、覚せい剤常用者の精液を飲んだことによるという弁解に対し、尿から覚せい剤反応を検出するのには20リットルの精液が必要と認定してその弁解を排斥して有罪とした事案(東京高判平成11年12月24日速報集平成11年116頁)

世界の99.99%の人が無視する、マニアックな判例紹介サイト「ム4ネタ」(http://d.hatena.ne.jp/mu4neta/)の中ではてなブックマークの件数最多の「人気判例です。
「警視庁科学捜査研究所薬物研究員の丙の原審証言によると,尿から覚せい剤反応を検出するのには20リットルの精液が必要であって,現実には精液を飲んだことが原因で尿から覚せい剤反応が出ることはあり得ないというのであって,この説明に疑問とすべき点はないと認められるのであるから,以上の事情に照らすと,被告人の右供述を信用することはできないというべきである。」と判示されています。


判例2 コンドーム

口腔内に隠匿所持していたコンドーム表面に覚せい剤が付着し、その覚せい剤が経口摂取されていた可能性を一概に否定できない等として覚せい剤自己使用については無罪を言い渡した事案(金沢地判平成22年7月13日)

 そもそもなんでこの被告人がコンドームを携行したのかについては「警察官から覚せい剤の検査のため尿の任意提出を求められたり,強制採尿の執行を受ける場合にそなえて,コンドーム内に茶を入れたものを携行していた」と供述しています。
 なお、建設会社の残土置場から鉄板2枚を窃取した窃盗では有罪。


判例3 キムチ

キムチを摂取した場合に顕出されたとして報告されている覚せい剤は尿一〇〇グラム中に1マイクログラム未満に過ぎないのだから、被告人の尿から検出された覚せい剤は、キムチ摂取によるものではないとした事案(東京高判昭和59年10月9日東京高裁判決時報刑事35巻10〜12号81頁)

 とある法医学の教授が、「キムチを食べると覚せい剤が出る」と報告したことから、一時期「キムチを食べた」という弁解が大ブームに。裁判所がこの弁解を排斥したので、また落ち着きました。


判例4 奈良漬け

呼気からアルコールが検知されたのは手の甲くらいの大きさの量の『奈良漬け』を食べたからである」というの弁解が排斥された事案(甲府地裁平成21年3月13日)

「アルコールが運転に与える影響の調査研究」によれば50グラム食べても呼気からアルコールは検知されなかったとのこと。


判例5 鉄道ファン

スリ未遂が疑われる被告人の乗車履歴は確かに不自然だが、被告人が鉄道ファンであることを考慮するとあり得るとして無罪を言い渡した事案(東京地判平成24年4月19日)

 防犯カメラ等も無罪の理由となったが、「確かに,本件犯行の際,被告人は電車に乗って駅間を往復する行為を行っており,これが通常の利用形態と異なっていることは検察官指摘のとおりであるが,被告人が鉄道ファンとして日頃からひんぱんに電車を利用していることは他の証拠とも整合する上,本件当日の行動として被告人が供述する内容も明らかに不自然不合理と断じることはできない。また,被告人が,本件当日の行動や目的について逮捕当初供述しておらず,一部の内容に変遷があるとしても,そのことから,直ちにスリを目的とした電車の利用であると推認することにも飛躍がある。」として、鉄道ファンであることが無罪の理由の1つとされている。
オタクと刑法の話〜3つの事例から紐解くオタクと刑法の意外な関係 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常参照。


判例6 エヴァンゲリオン

「友人とエヴァンゲリオンのビデオを見ていた」とするアリバイ主張が排斥できないとして無罪を言い渡した事案(東京地裁八王子支部平成12年4月13日判タ1053号284頁

この事案については
オタクと刑法の話その2〜裁判例から探るオタクと刑法の意外な関係 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常参照。


判例7 ガンダムオタク

「被告人の趣味はガンダム(ロボット)などのアニメであることが明らか」として盗撮で起訴された被告人を無罪とした事案(東京高判平成22年1月26日)

「被告人は,幼稚でアニメキャラクターにのめりこみ,およそ女性への関心が薄いことが認められ,被告人が1週間に3,4回恒常的にエロビデオを見るような生活をしているということはあり得ないというのである。さらに,被告人がレンタルビデオ店において,アニメ等のDVDを借りていることはうかがえるものの,アダルトビデオ関係のDVD等を借りている状況は全くうかがえず,被告人の趣味はガンダム(ロボット)などのアニメであることが明らかである。」とされている。なんか、こんな判断が「判決書」として公開されるとすると、無罪もあまり喜べない気がしますが。。。


判例8 スカートかショートパンツか

強制わいせつ罪で起訴された被告人が「スカートをめくろうとしたら、スカートだと思っていたものはショートパンツだったのでその上から触った」等と否認し、犯人性に疑問ありとして無罪とされた事案(長崎地判平成23年9月2日)

多数の通り魔系強制わいせつを行っていた被告人が、確かに主張される日時頃にその場所で強制わいせつをしたが、被害者がキュロットスカートを履いていたというのであれば、自分が強制わいせつをした相手とは別人であり自分は犯人ではないと主張し、その主張が認められた事案。警察が「ついでに当地で発生した未解決強制わいせつ事件を全部こいつに押し付けよう!」と思って行動した疑いが。


判例9 ポッキーゲーム

ナンパし車に連込だ女性に対する強制猥褻事件で「ポッキーゲームをしようという冗談に笑ったので、接吻、胸部接触、口淫を持ちかけたらこれに応じた」との被告人主張のとおり、被害者がその強引さに押切られ任意に応じた可能性ありとし無罪とした事案(奈良地判平成21年4月30日)

ポッキーゲームからリア充はこういう発展をする可能性があることが前提になっているのだろうなぁと複雑な気持ちで読みました。


判例10 リア充だから無罪

地裁所長に対する強盗致傷事件の共犯とされる少年が、彼女にバレンタインとしてチョコクッキーをもらったアリバイを主張し、彼女の証言は大筋電子メールとも符合しているとしてその証言に信用性を認め被告人に無罪を言い渡した事案(大阪地判平成18年3月20日判タ1220号265頁)

リア充にはこうやってアリバイができて無罪になるという事が分かる判決です。



そこまでするか判例10選


 人は思い詰めるとそこまでするのかということを思わせる判例です。


判例1 組合対策は組長に依頼

学校法人の組合対策部長が、元暴力団組長に労働組合幹部の殺害を依頼したところ、元暴力団組長が誤って一般市民を銃撃し傷害を負わせた事案につき、学校法人の責任を認めた事案(福島地郡山支判平成16年10月12日判タ1211号188頁)

組合との対立が激しいと、なんとかしたいと思う使用者側の気持ちは分かります。だからといって、組長に組合幹部を殺してと頼むとは。。。


判例2 大学教授に漢検の勉強を命じる

ブログで大学を批判した組合副委員長である教授に対し、漢字検定準一級と日本語検定1級模擬試験に取り組めという業務命令を行い最終的に解雇した事案(名古屋地判平成26年9月18日)

幸いにも解雇は無効となっていますが、大学当局は恐ろしいなぁと。


判例3 不毛な争い

かつら製造や増毛、植毛を行う会社同士が訴訟後和解をし、一方が特定のかつらを製造販売せず、販売した場合には違約金を支払う旨約したところ、他方が客を装って当該かつらの製造を委託したことは、民法一三〇条の類推適用により、条件未成就とみなされるとした事案(最判平成6年5月31日民集48巻4号1029頁)

 違約金を請求するために、あえて客を装ってかつらの製造を委託するという不当な行為をしている以上、裁判所がそのような当事者を助けないのもある意味当然でしょう。



判例4 迷惑施設対策の奥の手?

個室付浴場業の開業を阻止することを主目的として、その附近に児童遊園を設置することを許可したことが、行政権の著しい濫用によるものとして国家賠償法1条1項にいう公権力の違法な行使にあたるとされた事例(余目町個室付浴場業事件・最判昭和53年5月26日民集32巻3号689頁)

児童遊園があると風俗を害する施設は立てられないのですが、開業阻止のためあえて児童遊園を作ってはいけないということですね。



判例5 生き埋め

担任教師らが体罰として、生徒を砂浜に首まで生き埋めにしたことについてこれを違法として国家賠償責任を認めた事案(福岡地判平成8年3月19日判時1605号97頁)

確かに生徒の方も、恐喝をする不良だったようで、いわば「愛の鞭」としてされた体罰だと主張されたのですが、


「とりわけ原告に与える屈辱感等の精神的苦痛は相当なものがあった」


とされており、違法とされています。



判例6 何度でも繰り返す

放電焼結装置の発明に関して被告と紛争が生じた原告が、敗訴しても何度でも何度でも訴訟を繰り返し、最近では不当な訴訟提起として逆に損害賠償が認められている事案(東京地判平成22年2月12日)

 「放電焼結装置」で判例データベースを検索すると原告の「執念」が分かります。



判例7 裁判所には従いません

被告八王子市の訴訟代理人らは、本件仮の義務付け事件における審尋期日で裁判所の仮の義務付け決定に従う意思はない旨明言し、その後本件仮の義務付け決定は確定したにもかかわらず、これに従った措置をしていないことは当裁判所に顕著である(東京地判平成25年2月26日)

八王子市が判決(仮処分命令)に従わなかったことが認められた事案。司法制度の存在意義が問われます。そういえば、議員定数違憲とかも。。。あれ? こんな夜遅くに誰かが来たようだ。。。



判例8 依頼者は誰?

共犯の一人が捕まったので、シャバにいる共犯が、弁護士に捕まった共犯の弁護人になるよう依頼し、弁護士が真の依頼者に捜査の手が及ばないよう、黙秘を指示し、自白したいという被疑者を脅迫したとして有罪とされた事案(宮崎地判平成21年4月28日)

 弁護士のアドバイスも時には信じていけないことが。。。


判例9 選挙に勝つためなら

新潟県岩船郡粟島浦村長が、自らが立候補する村長選で、戸籍抄本が添付されなければ立候補が受け付けられないのを利用して、対立候補の戸籍抄本発行をしないよう強く命じ、結果的に無投票当選を果たしたことにつき、選挙無効とされた事案(最判平成14年7月30日民集56巻6号1362頁)

 確か村長が戸籍抄本発行の最終責任者ですが、その権限を濫用してでも選挙に勝とうという執念はおそろしい。



判例10 究極のSMプレイ

風俗店勤務の被告人が、被虐趣味を有する被害者の依頼で殴打プレイをしていたところ、下腹部をナイフで刺すよう依頼され、究極のSMプレイとして被害者に対しナイフ刺突行為を行ったところ被害者が死亡した事案を嘱託殺人罪とした事案(大阪高判平成10年7月16日判タ1006号282頁)

 重度のアニオタですので、他人の趣味には何も言えない立場ですが、ここまで来ると流石に司法が介入するということで。



特徴的名称の判例10選


 判例には興味深い名前がついていることがあります。そんな判例を10個ご紹介。



判例1 ときめきメモリアル事件

メモリーカードを使用することで、パラメータをあり得ない数字とし、美少女ゲームのストーリーが本来予定された範囲を超えて展開されることは同一性保持権の侵害とした事案(最判平成13年2月13日民集55巻1号87頁)


こういうのを真面目に勉強できるので、新司の選択科目は知財がオススメです。



判例2 ロックマン事件

硬度の高い土質に適したロックマン工事に必要な機械の大部分を販売している者が機械販売を拒絶することが「単独の取引拒絶等」に該当するとした事案(勧告審決平成12年10月31日審決集47巻317頁)

ゲーム?と思ったら独占禁止法の事案。



判例3 光清撃つぞ事件

被害少年に対し「光清撃つぞ」といいつつ銃を発砲し、被害少年を失明された事案で、12歳2ヶ月に満たない加害少年が法律上の責任を弁識するに足る知能を有さないとして責任能力を否定したもの(大判大正6年4月30日民録23輯715頁)

光清君は被害者。加害者は秀麿君。当時は未成年者でも名前が事件名に採用されていた。類例に少年店員豊太郎事件(大判大正4年5月12日民録21輯692頁)。


判例4 残念事件

被害者が「残念残念」と叫びながら死亡したことは、慰謝料を請求する意思表示であるとして、慰謝料請求権を相続人に承継させた事件(大判昭和2年5月30日新聞2702号5頁)

そもそも元の判例は死者が慰謝料を請求する意思を表示していない限り、慰謝料請求権を相続できないとしていたので、かわいそうな相続人のために裁判所が色々と工夫をしていた。その後、「悔しい」ならオッケー、「助けて」ならダメといったカオスな判例が続出し、最終的には、最判昭和42年11月1日民集21巻9号2249頁でそもそも慰謝料を請求する意思を表示する必要はないとした。



判例5 踏んだり蹴ったり判決

離婚原因を作った夫(有責配偶者)の方から離婚を請求できるとすれば、妻は踏んだり蹴ったりであり、法は勝手気儘を許さないとして離婚を否定した(最判昭和27年2月29日民集6巻2号110頁)

その後最判昭和62年9月2日民集41巻6号1432頁で判例変更され、一定の要件の下、有責配偶者も離婚を請求できるようになりました。


判例6 そんなあほな事件

被告人の家から覚せい剤が見つかり、被告人が「そんなあほな」と言ったので警察官が被告人に暴力を振るった事案(最判平成8年10月29日民集9号683頁)

被告人は、覚せい剤を証拠として使ってはならないと主張したが、証拠収集後の違法行為なので覚せい剤は証拠として使えると判断した。暴力をふるわれた上に有罪になるとは、本当に「そんなあほな」という事件



判例7 やっぱりブスが好き事件

編集者が漫画家の絵柄、セリフ等を改変することは同一性保持権を侵害するが、判示の事情の下ではやむなく行ったと言え、そのような事情の下では漫画家の請求は権利濫用とした(東京地判平成8年2月23日知裁28巻1号54頁)

 編集者による改変としては懸賞論文を出版する際に送り仮名の付け方の変更等をしたことを違法とした事案がある(東京高判平成3年12月19日判時判例時報1422号123頁)。



判例8 50年訴訟

昭和7年に原告の仙台が訴訟を提起し、12年に原告が引き継いだ後、戦争への従事もあって約50年も訴訟が中断していたところ、長年被告を不安定な立場に置くことは許されない等として訴えを却下した原判決を是認した事案(最判昭和63年4月14日判タ683号62頁)。

 この訴訟を超えると目されているのが光華寮事件(最判平成19年3月27日民集61巻2号711頁)。昭和42年の提訴後約40年が経過しているが、後10年や20年で終わるとは思えない事案。


判例9 オデコ大陸棚事件

日本の大陸棚での掘削作業の対価への課税可否が争われ、大陸棚にも主権を行使できるので課税可能とされた事案(東京高判昭和59年3月14日行集30巻8号1472頁)

オデコはOcean Drilling and Exploration Companyの略であって顔の一部ではない。


判例10 ポルノランドディズニー事件

いわゆるアダルトショップが、「ポルノランドディズニー」等の名称およびミッキーマウス等の図柄を利用したことが、周知なディズニーの名称およびキャラクターの図柄と同一ないし類似するとして、不正競争防止法違反を認めた事案(東京地判昭和59年1月18日判タ515号210頁)

 関連判例として、ディズニーのキャラクターには、「中の人」がいることを当事者の主張摘示欄に明記してしまった東京地裁平成21年4月7日判タ1311号173頁とかもあります。



これは何のアニメですか判例10選


 アニメや漫画っぽい事件が実際に発生しています。



判例1 リアル笹の葉ラプソディ

ある中学校の卒業生が、中学校の校庭に机で「9」の字を描くため、同校に侵入した上、計画を実行するのに障害となる警備員を逮捕監禁し、机による文字を描いた事案。(「9」の字事件・東京地判昭和63年7月7日)

判決を7月7日に下すなんて、なんて粋なのでしょう。


判例2 30分間待ってやる

「着替えをするまで待ってほしい。」と言うので、約三〇分間、玄関前で待機する等の配慮をしたこと等から任意同行等が適法として、被疑者の国家賠償請求が棄却された事案(京都地判平成22年3月24日判時2078号77頁)

もし、待っている時間が3分間だったらどうなるのでしょうか。40秒で支度できるなら3分でも適法な気が。


判例3 どこの逆転裁判

判決に対し異議が述べられたため、裁判官が判決を撤回し、当初のものとは異なる判決を下した事案(横浜地判昭和50年4月16日刑集30巻10号1898頁)

 裁判官が執行猶予付判決を宣告した後、書記官が執行猶予にできないと勘違いして異議を述べたため、実刑判決を再度下したが、実は執行猶予にできたという事案である。最高裁は手続自体は適法とした上で*8量刑が重いとして執行猶予の温情判決を下した(最判昭51年11月4日刑集30巻10号1887頁)。



判例4 男?女?

日本人男性がフィリピンパブで知り合ったフィリピン人「女性」と結婚したところ、後で相手が男性だと判明したことから「同性婚は、男女間における婚姻的共同生活に入る意思、すなわち婚姻意思を欠く無効なもの」として戸籍の訂正を認めた事案(佐賀家審平成11年1月7日家裁月報51巻6号71頁)

 なんと同性婚が一度(誤って)受理された事案が。


 なお、いわゆる男の娘事件として、登校中の被害男児(当時13歳)を女子児童と誤認し、納屋に誘い込み胸付近を手でなで回し、同人の体操用長ズボン等を脱がせて陰部を露出させるなどした等として強制わいせつ罪で有罪とされた事案(神戸地判平成17年11月25日)参照。



判例5 みさくらなんこつ判決

『ラ』の音は、発音の際舌のさきではじくのと同時に起る破裂の度合によつて『ダ』と聞き違いやすい

(中略)

語頭に『ラ』の音がくると特に正確に発音しにくく『ラ』を『ダ』と発音してしまう(東京高判昭和49年9月12日判例工業所有権法)

裁判所も「らめぇ」と「だめ」の互換性を認めている



判例6 どこかで聞いた事が?

戸籍上「父を同じくする兄妹」として記載されている二人が事実上夫婦関係を営むところ当該戸籍記載の理由が父とされる者による事実と異なる認知行為によることが明白な場合には、認知行為は無効として戸籍法113条による戸籍訂正が許される(熊本家玉名支審昭和41年9月22日判時480号52頁)

 光る海に〜かすむ船は〜


判例7 どこかで聞いた事が? その2

審判の「蛇足」の中で戦時中、 多くの市民が戦争の犠牲になり、特に父親の死亡による戸籍届け出の困難があったことを力説した事案(名古屋家審昭和47年3月1日判例時報679号52頁)

昭和47年になってはじめて戸籍が出来る女児の戸籍作成を認めた事案。
コクリコ坂の時代背景を教えてくれる「蛇足」審判〜「判例史学」という新たな地平 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常参照。


判例8 ハーレムは違法!

性的交渉を前提とした男一人女二人による同棲生活を維持するための費用負担に関する合意は善良な風俗に反し無効である(東京高判平成12年11月30日判タ1107号232頁)

裁判所も認める通り、ハーレムは無効です! リア充は爆発すべきです!


判例9 ストックホルムなんとか?

パイロットを装い客室乗務員にならないか等の甘言で「カフェー」の女給をわいせつ目的で誘拐したが公訴提起後結婚したことで有罪判決を回避した事案(名古屋高金沢支判昭和32年3月12日判タ71号69頁)

 刑法229条により、誘拐した相手と結婚した場合、婚姻の無効又は取消しの裁判が確定するまで起訴条件を満たさず、起訴されても有罪にはできない


判例10 霊感療法なら準強姦も無罪

あなたは病気にかかっており、霊感のある自分にしか治せない等と言ってわいせつ行為に及んだ自称霊媒師が準強姦で起訴されたが、無罪とされた事案(東京地判昭和58年3月1日判時1096号145頁)

 性行為自体については承諾があったところ、その過程で暴行・脅迫と同程度に相手方の自由意思を無視したものと認めざるを得ないような事情がなかったので無罪ということのようである。



今昔判例10選


昔の常識は今の常識とは違うということがわかる判例です。


判例1 寿退社?

ところで一般に女子は結婚と前後して退職し、主婦として家事労働に従事するのが経験則上今なお通常と認めるのを相当とする(大阪地判昭和44年4月28日交民集2巻2号611頁、大阪地判昭和43年3月12日判時522号54頁)

 こういう時代もありましたが、隔世の感ですね。


判例2 特撮悪玉論?

仮面ライダーは、その形態が極めて低級俗悪で、年端も行かない幼児、学童にとつては甚だ非教育的でさえあり、良俗にも反するため、著作権はもとより意匠権、商標権等による保護も到底受けられない性質のものであるとの主張が排斥された事案(東京地判昭和51年4月28日無体集8巻1号144頁)

 仮面ライダーの模造玩具を作成しておきながら、仮面ライダーのことを公序良俗違反とまでのたまう被告の盗人猛々しさが光る事案だが、当時のアニメ悪玉論等の影響があったかもしれない。なお、仮面ライダーを「改造人間であるとされ、平時は人間の姿でいるが、いつたん有事の場合には、上半身が特にある種の昆虫を連想させるような姿に変身し、超人的能力を発揮しつつ縦横無尽に活躍する」と定義している。


判例3 クールビズで解雇?

「わが国の夏季のように高温と湿気に悩まされるところで、冷房装置なくしてネクタイの着用を強制することは無理なことである」(ノーネクタイ教諭解雇事件・東京地決昭和46年7月19日判タ266号210頁)

クールビズを40年前に励行したら解雇されたという恐ろしい事件ですが、裁判所は上記のように述べて教諭を救いました。



判例4 朝日新聞ナンバーワン時代

朝日新聞毎日新聞・読売新聞とを比較すれば、朝日新聞の方が発行部数が多いことは公知の事実である」(東京地判昭和43年11月25日判タ232号191頁)

 その後読売新聞が頑張ったということでしょう。



判例5 非モテも結婚できていた時代

(当時健康な28歳の独身男性であった被害者は)将来世帯主となることが推認される(大阪高判昭和46年5月27日下民集22巻5・6号656頁)

 お見合い等は批判もありますが、昔はそういう事を通じて非モテでも誰でも結婚できていたんですよね。。。(まあ、「俺の嫁」は暁美ほむらちゃんなので関係ない訳ですが。)


判例6 強姦犯を擁護した裁判官

実の娘である被告人を強姦した父親を殺したとして尊属殺人罪で起訴された被告人を有罪とするにあたって、裁判官が「被告人とお父さんの関係は、いわば「本卦がえり」である。大昔ならばあたりまえのことだった。ところで、被告人はお父さんの青春を考えたことがあるか。男が三十歳から四十歳にかけての働き盛になにもかも投げ打って被告人と一緒に暮した男の貴重な時間をだ。」と述べた事案(東京高判昭和45年5月12日判タ255号235頁)*9

 このような旧時代の遺物(子どもは親の物的な考え)は最判昭和48年4月4日刑集27巻3号265頁で否定され、尊属殺人罪が違憲無効となったことはよく知られています。


判例7 純潔

いかに男女間の交際関係が自由になつたとしてもその最後の一線である性的交渉そのものは、あくまで純潔を保つことを理想としなければならないと判示した事案(大阪高判昭和25年6月20日判時13号53頁)

 戦前と比べて交際が自由になっている事を認めながらも、純潔論を論じている65年前の判決です。


判例8 風俗

温泉地の享楽的雰囲気の中に、トルコ風呂等の形式による性的享楽を期待する気分のあることは否定できない(名古屋高金沢支判昭和41年2月22日下刑集8巻2号245頁)

 そもそも「トルコ」という言葉自体が死語ですね。なお、昭和50年10月末ころの状況として「全国のトルコ風呂営業のうち約一割以上に暴力団が関与しているうえ、女性従業員の多くには暴力団員の情夫がいる。」との事実を認定した新潟地判昭和58年12月26日判時1129号110頁も参照。


判例9 携帯二台持ちはダメ?

経験則上、個人の携帯電話の使用台数は、多くの場合一台であり、一個人が複数台所持・使用することは比較的少ないと考えられる(名古屋地判平成18年10月12日税資256号10526順号)

 平成18年なので、個人が携帯を持っていることそのものは当たり前になったものの、まだ二台持ちは少ないとされています。


判例10 今も残る村八分

集落構成員らの構成員らに対するごみ収集箱や集落内の施設の使用を禁止する行為,村の広報紙等を配布しない行為等について,人格権を侵害するものとして差止め及び慰謝料請求が認容された事案(村八分事件・新潟地新発田支判平成19年2月27日判タ1247号248頁)

村八分と聞くと過去の遺物のようですが、注目して欲しいのは判決年月日です。なんと、平成19年になってもまだこんなことをしていたのですね。。。

まとめ
 筆者は判例検索が好きである。判例を読むのは最高に面白いと思っている。
 しかし、判決は無味乾燥な悪文だと考え、判例を読むのを苦行だと思っている人も少なくないだろう。
 判例検索の面白さを示すため、私が知っている判例のうち、面白いものを100個選んで紹介してみた。興味のあるものがあれば、ぜひ自ら検索して、「面白判例検索」の世界へ足を踏み入れて欲しい。


追記:5月10日、特にサイ太(@uwaaaa)先生のコメントを参考に、修正を行いました。

*1:加藤新太郎「職業としての法律家」早稲田法学71巻4号141頁

*2:基本法の基本書とは言っていない

*3:サイ太先生に平成→昭和の修正をご指摘頂きました。ありがとうございました。

*4:完全に原告の勘違いなのかというと、被告側にも落ち度はあるようで、「被告の言動を原告に対する求婚であると受け止め,被告との婚姻を考えるようになった一方,被告には原告との婚姻意思はなかったものと認められる。そして,上記認定以外に婚姻に関して原告被告間における具体的な話し合いがされていたとは認められないことからすれば,被告がした結婚したいとか原告となら結婚してもよいとの趣旨の発言は,独身の被告が独身の原告に対して行ったもので,原告の心を惑乱させる不適切なものではあったが,これをもって直ちに被告の原告に対する婚姻申込みであるとまではいえない。したがって,原告の主張する本件結婚詐欺行為の前提となる被告の婚姻申込みや婚約が存在したとすることはできない。」と認定。

*5:控訴人代理人らは,本件訴訟係属中に「△△」に,地域及びハンドルネーム等を変えて女性名で3件の登録をしたところ,その3件のアドレス宛に数分後から大量のメールが届いた。そのメールは,3件とも「愛を知らない男(代表取締役)」など同一名の相手方からのものであり,その内容も財産の譲渡を示唆する全く同一の文言であった。控訴人代理人がそれらに返信をすると,次々とサイト運営会社への入金を促す個別のメールが繰り返された。これらのメールは,3件とも同一名で,同一時刻に送られることが多く,その内容も同一文であるが,登録地域に応じて待ち合わせ場所や送信者のプロフィール(出身地)などは変えられていた(甲53,87)。

*6:我々の国家の文化は発達したのでしょうか、それとも退化したのでしょうか?

*7:http://www.tais.ac.jp/other/news/latest_news/blog/2015/01/10-182032.html参照

*8:第一審裁判所の裁判官は、いつたん保護観察付き刑の執行猶予の判決を宣告した後、その内容を変更して実刑の判決を宣告したが、その変更は、判決宣告のための公判期日が終了する以前にこれを行つたことが明らかであるから、変更後の判決が第一審裁判所の終局的な判断であつて、その内容どおりの判決が効力を生じたものというべきであり、かつ、変更後の判決内容にそつた判決書が作成されているのであるから、第一審判決及びこれを是認した原判決にはなんら法令の違反はない。

*9:ただし、この説諭は判決文には記載されていない。津田岳宏「賭け麻雀はいくらから捕まるのか〜賭博罪から見えてくる法の考え方と問題点」169頁参照

判例に学ぶ、納期遅延と瑕疵担保責任についての注意事項〜エンジニアへの法的知識の伝え方

瑕疵担保責任と債務不履行責任

瑕疵担保責任と債務不履行責任

本エントリは、あくまでもエンジニアの皆様にシステム開発訴訟に関する正確な知識を分かり易く知って欲しいという一心で作成したものであります。「特定のセミナー」とは「一切」関係ございませんのでご了承下さい。


1.法律とITの架橋
 法律家とエンジニアの間には深い溝ないしは高い壁がある。その理由の1つには、エンジニアがまじめに法律を学ぼうとしても、自分の問題意識に対応した、分かり易くかつ正確な説明が提供されることが少ないからという点があるだろう*1。非法務系の方相手に講演(と言う程のたいそうなものではないが)をすることも多く、一応国家資格*2であるプロジェクトマネージャ試験(情報処理技術者試験)に合格し、過去に
非法務系の聴衆に対する研修はどうすればいいのか〜『Web業界受注契約の教科書』の例を通じて - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常
のような記事を書いている立場から、今回は、納期遅延と瑕疵担保責任について裁判例*3から簡単に説明をしたいと考える。


 以下では、東京地方裁判所平成25年11月12日判決(以下、「平成25年判決」という。)と、東京地方裁判所平成9年2月8日判決(以下、「平成9年判決」)について説明する。


2.事案の概要
(1)平成25年判決

 平成25年判決の事案は、システムの受託開発等を目的とするレッドフォックス株式会社(原告)が、Jリーグ向け電子チケットサービス用のシステムを提供していたウェルネット株式会社(被告)から次世代電子チケットプラットフォームと称するシステムを受注し開発したとして、残代金の支払いを求めた事案である*4
 事案を単純化すれば、納期遅延があった事案で、原告が被告に対してシステム開発にかかる残代金の支払いを求め、被告が、納期遅延と瑕疵によって損害を被ったとして、その分を差し引く(相殺)と支払うべき報酬はないと反論したものである。裁判所は、525万円の請求額のうち、約321万円については被告が支払うべきであるが、約204万円については相殺を認めて支払いは不要とした。要するに、納期遅延及びシステムの問題があったとして、被告に対し、報酬のうち一部を差し引いて払うように命じたのだ。


 概ねの時系列表はこうなる。

平成21年9月17日 原告・被告間でソフトウェア開発基本契約締結
同月28日 要件確認・機能詳細化に関する個別契約締結
同年11月13日 基本設計・詳細設計に関する個別契約締結
同年12月25日 詳細設計・プログラム作成・テストに関する個別契約(本契約)締結
平成22年6月30日 納期として予定されていた5月31日まで納入できないので、納期を9月30日に伸ばす覚書(本件覚書)締結
同年11月30日 成果物の納入
同年12月14日 この日までの間に被告は検査を行い、不具合等を指摘
平成23年1月27日 原告が修補後の成果物を再納入
同年末 原告が被告に対し残代金を求めて提訴
平成24年8月10日 第一回弁論準備手続
平成25年11月12日 判決


 提訴から一審判決まで約2年間という期間は長いように見えるが、複雑で長期化しがちなシステム開発訴訟では十分にあり得る範囲であろう。当事者、代理人弁護士、そして裁判官*5も、通常のシステム開発訴訟並に苦労したものと思われる。


(2)平成9年判決*6
 もう1つの事案は、システム開発訴訟について、弁護士の間でも裁判官の間でもまだ知見が蓄積されていなかった平成4年に提訴された事件である。提訴から、一審判決まで足掛け5年の超長期訴訟になった。相互に訴訟を起こしていたり、間に商社がからんでいるのでわかりにくいが、要するに、貨物自動車運送業を行うユーザー(ダイセーロジスティクス株式会社)が、商社を通じてベンダー(エヌエスアンドアイ・システムサービス株式会社)に運送システム関連ソフト、給与計算ソフト、財務会計ソフトの各ソフトウエアの開発を委託した事案である。納品されたシステムに不具合があったとして、ユーザーはベンダー(正確に言うと商社)に損害賠償を求め、ベンダーはユーザーに対して仕様変更分等の未払い代金の支払いを求め、それぞれ提訴した。裁判所は、バグが一部存在するが、これは瑕疵に該当するものではないとして、ベンダーを勝たせた。


 概ねの時系列表はこうなる。

昭和63年12月 ソフトウェア開発委託
平成2年2月 テスト稼働開始*7
その後 仕様変更・機能追加等を行い、それぞれ納品がなされる
平成4年3月13日 ベンダーがユーザーにプログラムの再設計・再製作を申し入れる
同年6月23日 ユーザーがベンダーに対し解除通知
同年8月20日 ユーザーがベンダー(正確には商社)を提訴
平成5年 ベンダーがユーザーを提訴
平成6年7月〜8月 検証実験を実施し、実験記録として、三者共通の書面にまとめる
平成7年6月〜7月 検証実験の結果明らかになった問題点について原因解明作業を実施
平成9年2月18日 判決


 本判決では、検証実験及び原因解明作業により「コンピュータープログラムについて専門の知識を有しない裁判官であっても判断が可能な程度にまで争点の整理がなされ、後は健全な常識に基づく判断を残すのみとなり、審理の見通しが明瞭に立つこととなった」とされており、この作業が賞賛されている。その背景には、鑑定人*8を選任する手続で両当事者が対立したことがあると説明されている。
 システムの現況と不具合事象の原因の究明は当時だけではなく現在も行われる。但し、両当事者が長期に渡って訴訟外で共同作業を進めるというよりも、例えば、「説明会方式」といって各当事者がシステムをラウンドテーブル法廷や調停室に持ち込んで実演をする期日を設けるとか、一方当事者の作成した不具合事象原因究明報告書のようなものを提出する等、より簡易な方法を採用することが多いと思われる*9


3.納期遅延
 平成25年判決で大きな問題となったのは納期遅延である。確定的期日を納期として合意していた場合、その日までにベンダーが納入できなければ、原則として債務不履行履行遅滞)の責任を負う
 但し、システム開発では純粋にベンダー側だけの原因で納期遅延になる場合だけではなく、ユーザー側の責任で納期遅延になることも少なくない。例えば「予定日までに仕様が固まらない」「仕様変更が入る」等々である。
 ベンダー仮に納期遅延を起こしたとしても、その原因がユーザー側にあり、ベンダーの責任ではないことをベンダー側が立証できれば、ベンダーは債務不履行による損害賠償等の責任を免れることができる*10


(1)覚書の「罠」
 平成25年判決でも、原告は仕様確定の遅延や度重なる仕様変更、設計変更、契約外の要求等があったと主張し、履行遅延は被告の責任で発生したと主張した。但し、上記の時系列表にあるとおり、平成22年6月30日に納期を延長する覚書が締結されていた。裁判所は、この覚書の趣旨を、それまでに被告側の仕様確定の遅延や度重なる仕様変更、設計変更の要請があったことから、両当事者は当初の期日までに納入が難しいことを認識し、そのような仕様変更等を前提として納品可能な日時を改めて合意したものと理解した*11。その結果、覚書締結以前に発生した仕様変更等があっても、原告が覚書で合意された納期(9月30日)の納入ができないことを正当化しないと判断されたのである。


 実際のプロジェクトでは、「納期」は「お客様」の都合で一方的に指定されることが多く、もしかすると、平成25年判決の原告は、覚書について「取りあえず伸ばすことに合意してもらったが、『お客様』側の都合で相当の遅延が生じており、実際に9月30日までに完成させるのは難しいだろう。そうはいっても、遅延は『お客様』の都合によるものだから、よもや債務不履行責任を問われることはないだろう。」といった認識でいたのかもしれない。


 平成25年判決の実務的意義は「裁判所にはそのような甘い考えは通じない」ということであり、遅延が生じた後、納期を伸ばす合意をする場合には、ベンダーとしては、「既に生じた遅延の原因(仕様変更等)に鑑みて、この日までなら確実に納入できる」という日を合意しなければ、ある意味予想外の債務不履行責任を負わせられるのであって、注意が必要である。


(2)プロジェクトマネジメント義務
 なお、一点誤解がないように本判決の内容について説明しておくと、本判決は、受託者(ベンダー)である原告が仕様を確定しないといけないとは言っていない。(注文者の求める仕様通りのシステムを構築するのが「受託者」なのだから、当たり前である。)むしろ、仕様確定は注文者(ユーザー)の義務であり、本判決は、「被告は、システムの設計・開発業務の注文者として、本件システムの仕様を最終的に決定する義務を負っていた」と明確に判示している。


 このように言うと、仕様をいつ確定するかは全部被告側の責任で、原告はただ待っているだけいいのかというと、そうではない。受託者である原告はプロジェクトマネジメント義務を負うのである*12。その中身として、様々なものが挙げられるが*13その重要なものとして進捗管理義務がある。スケジュールの遅れを防ぐため、注文者側(ユーザー)の作業であっても、受託者(ベンダー)がきちんとスケジュールに間に合うよう話し合い、助言をしなければならない*14


 本件では9月30日という納期に間に合わないことが見込まれるのに、「納期の見直しを要望し、あるいは各仕様の項目にこれ以上の変更追加がないかを積極的に確認していた事実などは認められない」とされており、プロジェクトマネジメント義務が履行されていないことから、この点においても、納期遅延は原告(受託者)の責任であるとされた。


(3)口頭のやり取りは証拠化が鍵
 ここで、11月4日に原告・被告の代表者間の協議が行われ、原告(受託者)は、被告(注文者)の代表者のその場での発言を根拠に、納期を遅らせる旨の合意があったと主張した。しかし裁判所はそのような合意を認めなかった。
 そもそも、口頭のやり取りの場合、

・そもそもその発言がされたのか
・それがどのような文脈の下でされたのか
・それがどのような意味を持つものとしてされたのか

等が後で問題となることが多い。議事録を取って相手に確認をしてもらう*15等の証拠化が重要だろう


なお、既に和解済みの事案であるが、訴訟になってからユーザーから「(ベンダーの)発言は全部(秘密裏に)録音していた」と主張された事案に接した事がある。


4.不具合
(1)「瑕疵」とは何か
 およそバグがないシステムは存在しない。ここで、バグ等による不具合が発生した場合、ユーザーはこれを問題視することが多く、場合によってはベンダーに損害賠償を請求することもある。
 しかし、システムに瑕疵があってはじめてベンダーは責任を負うのである。瑕疵とは、システムが約束した仕様・性能に仕上がっていないことをいうが、簡単に直せる程度のバグが混入していても、それが軽微なものであれば、ベンダーに修補させればいいのであり、これを瑕疵としてベンダーの法的責任を追及すべきではない。平成5年判決はこのように判示する。

プログラム納入者が不具合発生の指摘を受けた後、遅滞なく補修を終え、又はユーザーと協議の上相当と認める代替措置を講じたときは、右バグの存在をもってプログラムの欠陥(瑕疵)と評価することはできないものというべきである。これに対して、バグといえども、システムの機能に軽微とはいえない支障を生じさせる上、遅滞なく補修することができないものであり、又はその数が著しく多く、しかも順次発現してシステムの稼働に支障が生じるような場合には、プログラムに欠陥(瑕疵)があるものといわなければならない。

要するに、

「軽微なバグについて指摘を受けてからすぐに対応した場合」には瑕疵にはならない
「重大な不具合(バグ)」又は「なすべき対応をしない場合」には瑕疵になり得る

 という整理をしたのである。平成5年判決の事案では、バグが見つかったが、全て軽微なもので、検証実験後の原因解明作業の中で、半日ないし一日程度の作業により補修を終えた等として瑕疵はないとされた*16。これに対し、平成25年判決では「ログインできないなど、本件システムを稼働する上で障害となる不具合が少なからず存在した」とされており、不具合は重大だと認定されている*17


 ここで留意すべきは、対応義務があるのは「バグ」等の問題がある場合に限られるということである。例えば「仕様通り」の場合については、そもそもユーザーから指摘があっても対応義務はない*18ことである。平成5年判決でも一部の機能(データ削除に関するもの等)は、仕様通りであり、瑕疵ではないとされてる。


 
(2)検収と瑕疵
 では、検収」と「瑕疵」はどのような関係にあるのだろうか。検収は仕事の完成を確認するプロセスを言う。
 請負契約といわれる仕事(プログラム等)の完成を目的とする契約においては、仕事が完成してはじめてベンダーはユーザーに対して報酬等を請求できることになる。不具合があっても、それは瑕疵担保責任の問題であり、もはやユーザーはシステムが「できていない」とは言えなくなる*19。逆にいうと、通常は検収後も瑕疵があれば、ベンダーはそれを修補しなければならない。そこで、平成25年判決は検収期間満了前に指摘がなかった瑕疵についても、ベンダーは修補義務を負うとした。(なお、検収による瑕疵の遮断効を認めると読めるものとして東京地判平成15年5月8日参照。)


 (1)で述べた、バグと瑕疵の話と、(2)で述べる「検収」の話を一緒にまとめると、検収後については、

軽微なバグについては、それが瑕疵にならないようにするためすぐに対応しなければならない
重大な不具合については、瑕疵担保責任の履行(瑕疵修補義務の履行)として対応しなければならない


 ということになる。もちろん、永久に対応が必要なのではなく、例えば半年等*20の瑕疵担保期間に合意しておけば、それ以降については不具合が指摘されてもベンダーは瑕疵の責任を負わないことになる。


まとめ
 エンジニアが忙しい中、わずかな休暇時間を削って、しかも身銭まで切ってセミナーに参加した結果、もしも仮に誤った説明しか受けられないとすれば、それは大変不幸なことである。
 もし、私が「三題噺」として「エンジニア向け」「平成25年判決」「平成9年判決」というお題が与えられたセミナーの講師になったら何を話すかということで簡単なレジュメを作ってみた。エンジニアの方には法律に関する「正確」な知識を習得して、実務に生かしてもらいたいものである。


参考:
スルガ銀行対IBM事件控訴審判決(東京高判平成25年9月26日) - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常
IBM対スルガ銀行事件判決評釈(東京地判平成24年3月29日第一法規判例体系) - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常

*1:この点について、システムに関しては「99%の弁護士は素人」と説明されることがあるが、そもそもほとんどの弁護士はそもそもシステム開発訴訟に関与しないのであり、少なくともベンダー側の代理人として出てこられる先生方は知識と経験がある方が多い。もちろん、ユーザー側の代理人として「素人」と評さざるを得ない先生が出て来る可能性があるが、ユーザー側でも専門の弁護士を選ぶことが増えてきているし、また、ユーザーの顧問弁護士なのによくシステム開発について勉強していらっしゃる先生もいらっしゃるので、少なくとも「システム開発訴訟の代理人」の中で素人が占める割合が99%なんかになることはおよそあり得ないだろう。なお、従来裁判官の方はシステム開発について知識がない方も多かったが、最近では裁判所内で勉強会を開催する等して知識を貯えつつある。

*2:経済産業大臣にご認定頂いております。

*3:なお、これはこの分野の法律を少し勉強した者にとって「常識」であるが、最高裁判所の先例拘束性のある判断という意味での「判例」はシステム開発に関しては存在しない。

*4:なお、当事者名については、別に私が特別な調査をしたのではなく、当事者名は「隠され」ていないので、判例データベース上で簡単に確認できた。

*5:「検察」は含まれない

*6:通常は判決日なので平成9年と略すべきであろう。なお、本判決もいうように、メインは平成4年に提訴された方なのであって、少なくともこれを「平成5年判決」と表現すべきではない。

*7:システムは(ユーザーの意図通りではない部分があるにしても)動いている

*8:「司法委員」ではない

*9:その理由の1つとしては、専門委員、専門家調停委員等の形で専門家の力を借りることが容易になり、これらの実演や報告書を読むことで瑕疵の有無に関する判断をしやすくなったという点があげられるだろう。

*10:なお、ベンダーの帰責性が否定された事案には、東京地判平成15年6月30日や東京地判平成21年3月25日等がある。

*11:「これらの要望を前提に本件覚書を締結し、平成22年9月30日という納期が設定された」とある。

*12:東京地方裁判所平成16年3月10日判決判例タイムズ1211号129頁等参照

*13:合意した開発手順、工程に従って開発作業を進める義務やユーザーによって開発作業を阻害する行為がされることのないよう働きかける義務等も挙げられる事が多い

*14:本判決が「被告から仕様の変更追加の申出があった際に、それによってスケジュールに遅延をもたらす場合にはその旨説明するなどして被告と協議し、その都度納期を見直すなどした上で、最終的に決められた納期に間に合うように仕様を確定させていく義務が原告にあった」というのは、このプロジェクトマネジメント義務の履行のことを言っていると理解される。

*15:少なくともメールで送付する

*16:システムのテスト稼働の約5年後にバグの原因が解明され対応されているので、「すぐに(遅滞なく)」といえるかは問題となり得るが、「本件システムが原告の業務の用に供されていないものであることを合わせ考えると、(エヌエスアンドアイ・システムサービス株式会社)による右補修作業に不相応な遅滞があったものということはできない」とされた。

*17:なお、ログインができない不具合にも、その理由によっては軽微なものもあるとは思われるが、この辺りは判決文だけからはなんとも言いようがない。

*18:「仕様通り」と回答すればよい

*19:なお、「納品から●日以内に異議がなければ検収とみなす」といういわゆる「みなし検収」について、そのような「検収」としての効果以上の効果が期待できるはずがない。

*20:平成25年判決の事案では12ヶ月

オタクと刑法の話〜3つの事例から紐解くオタクと刑法の意外な関係

鉄道と刑法のはなし (NHK出版新書)

鉄道と刑法のはなし (NHK出版新書)


1.はじめに
 「鉄道と刑法の話」は、鉄道オタクの刑法学者である和田俊憲教授が、「鉄道と刑法」という内容で半年の演習が成立したことに触発されて「書斎の窓」で連載された、「鉄道と刑法(1)〜(10)」に大幅に加筆したものである。ガソリンカー事件、三鷹事件松川事件等の刑法を学ぶ者は誰しも知っている有名な事件から、マニアックだがうならせられる事件までを縦横無尽に駆使して法律と刑法の関係を描き出す、「則鉄(のりてつ)」必読の、「法鉄学」の最良の書である。


 ところで、ひるがえって考えてみると、これは、「鉄道だけについて成立するのか」という思いにかられる。和田教授は「法律関係者には鉄道好きが多い」とおっしゃる*1が、鉄道に限らず、法律関係者にはオタクが多いようにも思われる。じゃあ、「オタクと刑法の話」で半期の演習は成立するのだろうか。



 そういう思いに一度捕らわれると、実際にやってみたくなるのが人間というものだ。アイドルオタク、鉄道オタク、そしてアニメオタクを題材にした3つの判決を元に、オタクと刑法のお話の始まり始まり


2.握手権は有価証券?
 アイドルオタクと刑法といえば、最近の凄惨な事件を除けば、握手権偽造が有価証券偽造罪になるか否かが問題となった東京地判平成22年8月25日が外せない。
 そもそも、権利、義務若しくは事実証明に関する文書(私文書)を偽造すれば、私文書偽造罪で三月以上五年以下の懲役である(刑法159条1項)。しかし、偽造したものが「有価証券」だと、三月以上十年以下の懲役と、刑の長期が2倍に伸びる(刑法162条)。要するに、握手権というのを単にアイドルと握手できる権利を証明する文書に過ぎないと考えれば私文書偽造罪で軽い刑になるが、これが「有価証券」だと刑が重くなるのである。当然、弁護人は、握手権は有価証券ではないと主張して、激しく争った。「AKBの握手券」は、「有価証券」なのだろうか?


 有価証券の代表例は、国債、手形等であり、これまでの教科書で握手券を明示的に有価証券だと述べたものは、私の知る限り存在しない。しかし、有価証券かどうかは、有価証券の典型例と似ているかどうかではなく、刑法がなぜ有価証券偽造罪という犯罪を定めているのかから考えるべきである。上述のとおり、ある文書が「有価証券」だとすると、刑が重くなる。その意味は、それだけ国家として偽造を防ぎたいのであるから、有価証券とされるものは、単なる権利、義務若しくは事実証明に関する文書についての取り扱いを超える手厚い法的保護が必要なものでなければならないだろう*2


 ここで興味深いのは、各法律間における有価証券の定義の違いである。有価証券という語は、代表的には、民商法、金融商品取引法、そして刑法で用いられる。


 民商*3における有価証券は、概ね財産的価値ある権利を表章する証券であって、権利の行使および譲渡に証券が必要とされるものをいうとされている*4。定義だけを読むと砂を噛むようでなかなか分かりにくいのだが、概ね、「別の方法で権利を証明して権利行使ができるのか」を考えればいいというわけだ*5。例えば、「借用書」は、これがなくても貸し借りの立ち会人の証言等があれば貸したことを証明して権利を行使できるので、民商法上の有価証券ではない*6。また、例えば、クロークの携帯品預かり札(例えばコートを預けた時にもらうもの)は、これをなくしても、例えばコートの裏地に縫い込まれている名前等から、自分のコートであることを示せばコートは返してもらえるので、民商法上の有価証券ではない*7



 これに対し、金融商品取引法上の有価証券は特殊である。ある方の整理によれば、民商法上の有価証券(+α)*8に加え、有価証券に表示されるべき権利*9、特定電子記録債権(法2条2項中段)、いわゆる「みなし有価証券」(法2条2項後段・各号)の計4種類があるという*10。これは、要するに、「投資者保護」のために何を規制すべきかという観点から、民商法上の有価証券に限らず、広く投資対象を列挙しているものと理解される*11



 最後が、まさに今回問題となった、刑法上の有価証券である。判例は、*12財産上の権利が証券に表示され、その表示された権利の行使又は移転に通常その証券の占有を必要とするものを指称する最判昭和34年12月4日民集13巻12号3127頁)としており、この「通常」という辺りから、民商法上の有価証券をベースに、普通の文書以上に保護すべき必要性が高いものを追加しよう(民商法上の有価証券+α)という最高裁の態度が見え隠れする*13


分野 ポイント 理由
民商 財産的価値を示すもので、証券がないと権利行使ができないもの 権利取引の円滑確実性の保護
金商法 民商法上の有価証券に加え、証券が発行されていないもの等についても広く含む 投資者保護のために規制が必要な投資商品を広く含む
刑法 民商法上の有価証券をベースとしながら、法的保護の必要性が高いものは加える 有価証券偽造を私文書偽造よりも重く罰するのは、その分高い法的保護の必要性があるから


 AKBの握手券は、(少なくとも本判決で問題となった握手券に関する限り)CDを購入すると、CD1枚につき1枚の割合で受け取ることができ、握手会のイベントにおいて、握手券と交換で券面上に記載されたメンバーとの握手をすることができる。すると、有価証券の定義について上記のように考えると、まさに、証券(握手券)がなければ(握手会で握手するという)財産上の権利を行使できない以上、握手券は、刑法上の有価証券と考えられる。


 この意味で、握手券偽造事件においては、検察側がそもそも優勢な事案であった。これに対し、被告人側は、握手券が表象しているのは「財産上の権利」ではないとして争ったのである。弁護人は、握手券は、発売されたCDに同封されていた付属物にすぎないし、表象された権利自体は金銭的価値を評価することができないと主張した。握手券は、CDを買った場合のただのオマケに過ぎず、AKBに興味がない人にとって、メンバーと「握手」ができることに何ら経済的価値を見出し得ないのであって、主観的にうれしいと思う人がいる(主観的価値)以上に、客観的にみて経済的価値があるものとは言えない、とまあそんな感じである*14


裁判所は、弁護人の主張を採用しなかった。被告人自身、対価を受ける約束で、偽造握手券を渡しているし、ネットオークション上で出品されており、財産的価値の存在は明らかだとしたのである。結局、被告人に対し、懲役1年6月執行猶予3年の判決が下された。


被告人が犯行に至った動機は今一つわからないところがあるが、どうも、偽造の握手券を流通させて混乱を生じさせたいというものだったようである。ファン以外には価値はないものでも、オークション等の社会的実態からみて財産的価値がある権利を示していて、その権利を行使するのに証券が必要な握手券は有価証券であるということを明確に示したこの判断は、アイドル業界に限らず、「おまけ」として様々な引換券が現代のビジネスにおいて広く使われていることに鑑みれば、そのようなおまけとしての引換券を使ったビジネスが、偽造券により混乱しないよう、強力な「有価証券偽造罪」が守ってくれることを示していると言え、アイドル関係に限らない意義を持つ判断と言えるのではないか。



3.鉄道オタクだから無罪?
 和田先生が挙げられなかった鉄道関係裁判例に、東京地判平成24年4月19日がある。これは、窃盗未遂事件について、被告人が鉄道オタクであることを理由に無罪とされた事案である。


この事案は、被告人は、夕方7時頃、新宿駅停車中の埼京線の車内で、スリをしようとして隣の人のトートバッグに左手を差し入れたとして、警察官に現行犯逮捕された事案である。捜査機関としては、警察官がスリの現場を現認してその手をつかんで逮捕したのだから、間違いなく有罪と考えていたものと思われる。


しかし、埼京線車内には防犯カメラが設置されていたところ*15、その映像は、警察官の証言と異なっていた。警察官は、被告人がバッグに手を入れたところで手を掴んだが、被告人がものすごい勢いで手を引っこ抜いたと証言した。しかし、防犯カメラ映像上、被告人の手は大きく動いていなかったのである。しかも、逮捕した警察官と同行していたもう一人の警察官は、逮捕時には被告人は手はバッグに入っていなかったと証言したのである。


検察官も、逮捕した警察官の証言の信用性が揺らぎつつあることは感じていたのだろう。検察官は、被告人の信用性を徹底的に突き、「無罪と言っている被告人は、こんなにおかしいことを言っている/やっている、こんなに怪しい」と主張して、無罪という判断を避けようともがいた


この事案の被告人の行動は、確かに、普通の人としてはおかしな行動を繰り返していた。例えば、パスモの履歴によれば、赤羽駅で入場してから池袋駅で出場するまでに1時間40分以上」かかっていたり*16、電車に乗って駅間を往復する行為を行ったりしていた。検察は、こんな「おかしな行動」をした理由は、スリのターゲットを探していたからに違いないと主張した訳である。


しかし、その検察官の唯一の望みは、ある1つの事実によって粉砕された。そう、被告人は鉄道オタクだったのである。「通常の交通手段として電車を利用した状況とは考えにくいものの,他方において,被告人が鉄道ファンであり,電車の車両や運行状況などに興味を持って調べていたことも証拠から認められるところであり,被告人が鉄道の乗車状況やその理由として供述するところを直ちに排斥することもできない。」等として、裁判所は、被告人の一見怪しい行動は、鉄道オタクであることから説明が可能だとしたのである。



状況にもよるだろうが、多くの場合、満員電車で他人のバッグの近くに手が行ったり、バッグに触れる程度であれば、よくあることで、よっぽどの事情でもない限り、それをもって「スリ」とか「窃盗未遂」と言えることは難しい。しかし、他人のバッグの中に手が入るという状況は、逆に何か事情がなければ、それは客観的に見て「バッグの中のものを盗もうとした」と見られてもやむを得ないところがある。だからこそ、逮捕した警察官の、被告人の左手がバッグの中に差し込まれたという証言が信用できるかが本件では決定的に重要であって、この決定的に重要な証言が防犯カメラの映像とも矛盾し、同僚の警察官の証言とも異なる、信用できないものである以上、他の事情が何であれ無罪とすべき事案と言えるだろう。それにもかかわらず、検察が、被告人が怪しい言動をしていると主張するのは、はっきり言って苦し紛れであり、裁判所がそれを排斥したのは正しい判断と言える。



もっとも、私の狭い範囲の経験では、本件のように、検察が、要するに検察側証人の証言と、被告人の主張、どっちが信用できるんですか?という論法を使って、怪しげな検察側証人の証言をもとに被告人を有罪*17にしようとする例は実は結構あるように思える。そもそも、怪しくない人は逮捕・勾留・起訴されないのであって、被告人になった以上は、何らかの「怪しい」*18ところがあるのは当然である。だからこそ、裁判官、裁判員は、被告人の表面上の怪しさに目を狂わされることなく、果たして検察官は、提出した証拠・呼び出した証人の証言により、被告人の有罪を合理的疑いを容れない程度に立証できたのかを判断することが重要である。


本判決は、被告人の外見上の「怪しさ」が、鉄道オタクであることから合理的に説明された事案であるというだけではなく、刑事裁判における裁判官・裁判員のあるべき判断手法を学ぶという意味でも意味のある判決であろう。


4.ガンダムファンだから無罪?
 最後に紹介するのが、東京高判平成22年1月26日である。本件は、一言で言えば、エスカレーターでの盗撮事案であり、「被害者」の女性が膝の後ろ辺りに何かが触れる感じを覚え、直後に電子音が聞こえたので、後ろで携帯を握りしめていた被告人が盗撮したものと判断し、すぐに被告人を取り押さえたという事案である。駅員に事情を聴取された際、「どうしたの,盗撮しちゃったのか,まだ若いんだから,素直に認めて謝りなさい。」と言われて「はい、はい」と素直に応じており、状況証拠的にはかなり有罪は固い事案であったと言える。


本件で興味深いことは、被告人がアスペルガー障害を負っていること、及び、被告人の携帯に被害者のスカートの中の画像が残っていなかったことである。後者の、画像が残っていない点については、被告人は、駅員から「画像をどうしたの。」と問われて、「消しました。」と返事していたことから、検察は、盗撮後画像を消したのだと主張していた。


 被告人は、自分はアニメオタクであり、携帯電話でガンダムの画像をいくつか切り替えながら見るのに熱中していたことから、偶然持っていた傘が前に立っていた女性の足に当たってしまっただけであり、女性が聞いた電子音は、画像切り替え時の音であると主張した。実際、女性を証人尋問に呼んでみると、足に何かが触れたのは一瞬のことで、携帯か傘かを判別できないと証言しており、また、女性は、聞いた電子音は短いものだったと証言したが、被告人の携帯で写真を撮った時には、「かっしゃ〜ん」という長い電子音がするのであって、現行犯性を裏付ける事実はどんどん崩れていった


数少ない重要な発言としては、「消しました」という発言がある。検察は、盗撮画像を消したと認めたものだと主張した。しかし、被告人は、「その時見ていたガンダムの画像の画面を消した」という趣旨だと述べた。裁判所は、被告人が、アスペルガー障害で、一つのことに過剰に集中する性格であることに着目した。つまり、被告人は当時ガンダムについてのみ集中しており、「画像をどうしたか?」という質問はガンダムのことを言っているとしか聞こえなかったとしても不思議ではないとしたのである。


最後に残った被告人に不利な事実が、検察官が非常に詳細で迫真的な自白調書を取っていたことである。自白調書によると、被告人は、「1週間に3,4回恒常的にエロビデオを見る生活」をしていたところ、ビデオのシーンが浮かんで盗撮に至ったのだそうである。このような説明は、何も知らない人が聞くと「なるほど」と思ってしまいがちである。ところが、これは検察官による真っ赤な作文だったのである。


被告人は,幼稚でアニメキャラクターにのめりこみ,およそ女性への関心が薄いことが認められ,被告人が1週間に3,4回恒常的にエロビデオを見るような生活をしているということはあり得ないというのである。さらに,被告人がレンタルビデオ店において,アニメ等のDVDを借りていることはうかがえるものの,アダルトビデオ関係のDVD等を借りている状況は全くうかがえず,被告人の趣味はガンダム(ロボット)などのアニメであることが明らかである。
東京高判平成22年1月26日


 こうして、被告人は無罪になったが、アスペルガー障害のために誤解を招く言動をした被告人について、警察・検察段階で障害に一切配慮せず、むしろ、その性格を悪用して、捜査機関の思うがままの「作文」を書いた自白調書に署名をさせて、有罪にしようとしたことが濃厚である。


被告人が猛烈なアニメファンで、アニメキャラクターにのめりこみ,およそ女性への関心が薄いことや、大量のアニメビデオを借りていたこと等から、検察官の作った「作文」のウソが明らかになり、本件の被告人は無罪となった。しかし、被告人は、地裁では有罪となっていたのであり、高等裁判所で、大変な思いをしてやっと冤罪を晴らすことができたのである*19


アニメファンであることを1つの理由として無罪となったこの事案は、捜査機関による不当な取り調べが行われていることや、自白調書が(それが表面上迫真的で生き生きとしていても)いかに信用できないか等を教えてくれる重要な事案である。

まとめ
 オタクがからむ3つの刑事事件は、それぞれ、重要な意義を持つものであった。
 「鉄道と刑法の話」だけではなく、「オタクと刑法の話」も、研究テーマとして面白いのではないだろうか。

*1:和田「鉄道と刑法の話」3頁

*2:大塚仁他『大コンメンタール刑法第8巻第3版』250頁

*3:民法にも若干の規定があるが、大部分は商法に規定されている。そこで、「商法」上の有価証券という文献もある。大コンメンタール刑法第8巻248頁以下参照。

*4:森本滋『商行為法講義第3版』166頁、なお、学説上の対立は概ね株券の扱いについてのものである

*5:要するに、権利利益の流通が円滑確実にするために、券面なくして権利行使できなくしているものが有価証券なのだから、別の方法で権利を証明して権利行使ができるなら有価証券ではないということ。

*6:いわゆる、「証拠証券

*7:いわゆる、「免責証券」

*8:「金商法2条1項各号の有価証券」

*9:有価証券表示権利、法2条2項前段

*10:松尾直彦「金融商品取引法第3版」47頁

*11:森本商行為法講義166頁

*12:実は、その2年前に、最判昭和32年7月25日刑集11巻7号2037頁というものもあるのですが

*13:この点について、『大コンメンタール刑法第8巻』250頁参照。そしてこのように考えているからこそ、最高裁は、上記昭和34年最判において、増資新株式申込証拠金領収書という権利が本当に証券に化体されているか疑わしいため、民商法上の有価証券とはいえなそうなものでも、経済価値をもって流通する以上は刑法上の有価証券として保護するという態度を取っている。『大コンメンタール刑法第8巻』257頁

*14:なお、判決文からの推論である。

*15:なぜ埼京線に設置されているのかは、分かりますよね?アレですよ、アレ。

*16:ちなみに、普通に行けば8分である。

*17:フォロワーの方(@ushimilksan様)に誤記のご指摘頂きました。ありがとうございました。

*18:それは、本件のような、本人の言動が「怪しい」場合もあれば、例えば、「(足利事件のような)誤った鑑定書がある」とか、「(村木さんの事件のような)まったく事実無根であるにも関わらず、『犯人だ』と供述する人がいる」とかそういう場合もあるだろう。

*19:なお、その後、国家賠償が認められている。横浜地判平成24年10月12日参照。

魔王が家賃を払ってくれない場合の法的対応〜どこまで家賃を滞納すれば追い出せるのか?

魔王が家賃を払ってくれない (ガガガ文庫)

魔王が家賃を払ってくれない (ガガガ文庫)

本エントリには、「魔王が家賃を払ってくれない」のネタバレを含みますので、未読の方はご注意ください


1.「魔王が家賃を払ってくれない」とは
伝説の勇者により魔王アーザ十四世が倒され、平和が訪れた。そんな世界。
その魔王は美少女で、なぜか勇者(当時女子短大生)の実家が経営するボロアパート(四畳半)に住んでいた。
主人公高良田義経(ヨシツネ)は、勇者の弟。毎日のように魔王の部屋を訪れる。


その目的は「集金」
魔王は家賃を滞納していたのだ!


2.家賃滞納の法的分析
 法律的にいうと、家賃滞納は債務不履行(正確にはその一類型である「履行遅滞」)と定義される。債務不履行は、簡単にいえば、契約によって負った義務(債務)をきちんと果たさないこと
家(アパート)を借りる時、賃貸借契約書にサインをする。これが「契約」(賃貸借契約)である。この契約によって、大家さん(貸主)は家を貸す、つまり、家を使える状態にする義務を負い、反対に借主は賃料(家賃)を支払う義務を負う。
契約で決めた期限までに賃料が支払われないということは、この借主の契約上の義務を果たしていないということであり、これが債務不履行である。


債務不履行をされた側(大家、債権者)の対応については、一般的には、民法414条と541条が規定する。

民法第414条1項  債務者が任意に債務の履行をしないときは、債権者は、その強制履行を裁判所に請求することができる。ただし、債務の性質がこれを許さないときは、この限りでない。

民法第541条  当事者の一方がその債務を履行しない場合において、相手方が相当の期間を定めてその履行の催告をし、その期間内に履行がないときは、相手方は、契約の解除をすることができる。

要するに、民法414条1項というのは、家賃を払わなければ、裁判所に行って家賃の支払いを強制 できるということ。
民法541条というのは、家賃を払わなければ「いついつまで家賃を払え」と通告し、それでも払わなければ契約を解除できるということである。


民法414条によって裁判所に申し立てれば、例えば魔王のパンツを競売にかける等の方法で確かに当座の家賃の支払いを確保できるかもしれない。
しかし、魔王は部下が必死で働いて送金をしたお金をアニメ、ゲーム等に費やしてしまっており、自発的に家賃を支払う意欲を持たず、督促に来たヨシツネをパンモロ等でごまかそうとしている。これでは何回裁判所に申し立てなければならないか、気が遠くなる話である。


 そこで、民法541条は、契約の解除を認めた。つまり、最後通告をしてそれでも払わない奴とは契約を打ち切ってもよい、そういう制度である。


3.賃借人の保護
ところが、不動産賃貸借契約、家等の貸し借りを内容とする契約については、この民法541条が定める解除についての原則について、裁判所が変更を加える

確かに、「本を買ったが引き渡されない」といった場合には、民法541条にもとづき契約を解除して他の書店で購入するというのは自然であり、問題もないだろう。


しかし、建物を借りる契約(賃貸借契約)には、継続的契約の性質がある。「本を渡してお金を払って終わり」という契約(一回的契約)と異なり、建物は借りたらずっと住み続ける訳で、その間賃料を払い続けることになる。
ここで出てくる問題意識は、借り主にとってその生活基盤である借家。確かに期限までに払わないのは借り主が悪いが、軽微な家賃不払い程度で解除を認めて、その生活基盤を破壊してもいいのか、ということである*1。そもそも、継続的な関係の中で重要なのは信頼関係である。その信頼関係を破壊するような行為を一方がすれば、他方が解除をすることはやむを得ないだろう。でも、軽微な滞納等、信頼関係を今だ破壊するに至らない場合には、形式的に民法の要件を満たしていても解除を認めるのは酷だ。最高裁判所の先例(判例)は、単に形式的に不払い等の債務不履行があれば解除を認めるということではなく、それが大家と借り主の間の信頼関係を破壊する程度の不誠実性であるとはいえないのであれば、解除をすることはできないとする(最判昭和39年7月28日民集18巻7号1220頁)。



 このような信頼関係の破壊の有無の判断においては、確かに滞納の回数(期間)が重要である。一般的な目安は、土地を貸す場合(借地)には、6ヶ月〜1年程度、建物を貸す場合(借家)には3ヶ月程度で解除が認められる(信頼関係破壊アリ)とされる*2


 しかし、回数だけではなく、不払いに至った事情等を総合的に考慮して判断される。例えば古典的な事例として、昭和25年12月〜昭和26年7月末までの8ヶ月分の家賃を延滞し、その後最後通告を受けたのに、支払うべきとされた期間内に家賃を支払うことができなかったという事案がある(神戸地判昭和30年1月26日下民集6巻1号116頁)。滞納期間だけを見ると解除されてもおかしくないだろう。しかし、裁判所は、契約の解除を認めなかった
 裁判所は、借主が、戦争により経営不振に陥り、12人の子供を抱え貯蓄を取り崩して生活している状態であつたところ、たまたま長男が肺結核を患い、入院し、これに多額の治療費を支払わねばならなかつたため、賃料を延滞するに至つたものであり、大家からの催告書到達以来、借主は、その調達に奔走したが催告期限に間に合わず、4、5日後に支払いを申し入れたが大家に拒絶され、やむなく法務局に供託をしたという事情を認定し、このような不払いに至った理由を考慮すると、そこにはやむを得ないものがあり、相互の信頼関係を破壊したとは言えないので、契約を解除できないとしたものである。


4.魔王との契約は解除できるか?
 当初、勇者が集金をしていたことから魔王は家賃を支払っていたが、ヨシツネが集金を始めてから3ヶ月*3魔王は家賃を払っていない。


 その理由が、「病気で治療費がかさんでしまって…。」等であれば、事情によっては、上記の裁判例のように、信頼関係を破壊しないという結論にもなるだろう。
 しかし、今回は、ネット、アニメ、ゲームにはまってニート生活を繰り広げ、支出が収入を上回ってしまったから という、裁判所的にはなかなか同情されにくい理由である。


 そこで、ヨシツネは、期限を切って支払いを請求をし(催告)、それまでに支払いがなければ、契約を解除することができる。契約解除後も魔王が居座るのであれば、裁判所に行って明け渡しを求めることも可能である。


まとめ
法律の力を借りれば、既に魔王との契約を解除し、明け渡しを求めることができる。
ヨシツネは、毎日魔王の部屋に行って「督促」名目でパンチラ(?)を鑑賞する暇があったら、弁護士に相談すべきである。

追記:著者の伊藤先生ご本人にツイッターで取り上げていただきました!!

暖かいお言葉、本当にありがとうございます。

*1:我妻有泉コンメンタール民法1018頁

*2:野辺博「借地借家の法律相談」(第一次改訂版)88頁

*3:伊藤ヒロ魔王が家賃を払ってくれない」19頁

IBM対スルガ銀行事件判決評釈(東京地判平成24年3月29日第一法規判例体系)

巨象も踊る

巨象も踊る

1.はじめに
  ITクラスタに多大な衝撃を与えた、IBMスルガ銀行事件判決。判決直後の「4月1日」に、その時点で明らかになっていた情報から憶測して、以下のネタ記事を書いたことは記憶に新しい。
判例評釈速報:IBM/スルガ銀行システム開発事件〜東京地判平成24年3月29日判例集未登載(控訴) - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常


 判決直後には、IBM側の申立てにより開示されなかった*1判決本文が、平成24年5月16日第一法規判例体系に掲載された。同業他社のデータベースを確認したところ、現時点の掲載はないとのことであるので、第一法規の「スクープ」として評価できよう。
追記:その後5/21に日経新聞に「スルガ銀・IBM裁判、判決全容が判明 〜「他社パッケージソフトの検証不足」が不法行為」という記事が掲載されている。
テクノロジー : 日経電子版


 さて、判決本文を見たところ、従前の「評釈」のうち一部はそのとおりであるが、一部は修正を要するということが判明した。一言で言えば、本判決は、「合意書の意義については、IBMの主張をほぼ全面的に認めたが、プロジェクト・マネジメント義務違反を書証から認めた」というものである。よって、以下の通り再度評釈する。なお、判例本文を引用する際、分かりやすさを優先し、原告を「スルガ」、被告を「IBM」と表記する。


前提となる事実関係については判決文では極めて長い認定がなされているものの、おおむね前評釈で述べたとおりである。前評釈後に日経新聞が「IBMに74億円の賠償命令、スルガ銀裁判の深層」と題した記事を書き(テクノロジー : 日経電子版)、その中で、テクノロジー : 日経電子版という形で要領よくまとめているので参考になる。


 要するに、スルガ銀行の基幹システムをリプレースする計画について、IBMは、これまで日本では実績がない外国のパッケージであるCorebankを担いだ。スルガ銀行はこのIBMの提案を採用し、平成16年9月に要件定義開始後、第一回目の要件定義が終わる間際の翌17年9月に「最終合意書」(合意書)が交わされて、新システムを89億7080万円で開発することが約されたところ、その後要件定義(BRD*2)をさらに2回やり直すことが必要となった。その後平成18年8月頃にIBMはスルガに対してコストの大幅な増額を申し出、その後スルガとIBMの間で交渉が行われ、平成19年4月頃に、IBMがパッケージソフトの変更を提案し、これに対しスルガが拒絶したことにより、訴訟になったといった経緯である。


2.まるでIBMの「詐欺」〜書面主義による10対0判決
 この判決文を読めばすぐに分かることは、事実認定勝負であるということである。そのキモとなる認定は以下の通りである。

そうすると、本件システム開発が頓挫したことの責任はもっぱらIBMにあるのであり、そのことについて、IBMはスルガに対してプロジェクト・マネジメント義務違反の責任を負うものというべきである。
(略)
スルガには、本件システム開発について協力義務違反があるとはいえないこと、IBMとの間で不誠実な交渉をしたということもできないことについては、前記(略)のとおりである。その他、スルガがIBMに対して不法行為をしたことの根拠となる事実を認めるに足りる証拠はない。


 要するに、IBMはスルガに対してプロジェクト・マネジメント義務違反の責任を負うが、スルガはIBMに対して協力義務違反等の責任を負わないという、いわば「10対0」の責任分担であることが示されている。


 このような責任割合の判断について疑問を呈する向きもあろうが、実は、裁判所の事実認定を前提とすると、それに基づく法的評価は概ね妥当と解される


 まず、1つ目の争点である合意書(本件最終合意書)の意義について、東京地裁は、おおむねIBMの主張を認めた
  要件定義段階で結ばれた、「約90億円でシステムを作りましょう」という合意書の意味について、「IBMはスルガに対して合意書記載の89億7080万円で最後までシステムを構築する義務がある(スルガの主張)のか、それとも今後の個別契約の締結を前提としており、これ自体に法的拘束力まではない(IBMの主張)のか」が争いになっていた。



 下馬評は、おおむね、IBMの主張に理があるというものであったが、東京地裁も、

本件最終合意書に記載されたスルガの支払金額の法的拘束力については、スルガとIBMとの間で本件プロジェクトの各局面における義務を定めた個別契約が締結されることを前提条件として生ずるものとされている〔ところ〕業務に関する外部設計・内部設計・開発・テスト局面、並びに制御及び基盤に関する開発・テスト以降の局面に関する個別契約の大半が未締結である〔ため〕上記支払総額が法的拘束力を有するに至る程度に条件が充たされているとはいえない(評釈者注:つまり、まだ90億円で最後まで作るという合意は法的拘束力を持ったとは言えないということ。)


として、下馬評通り、IBMの主張を認めた。


  ただし、その次の論点への布石として、「本件最終合意書が交わされた平成17年9月30日の時点において、IBMは、本件システム開発のコスト見積りの前提となる基礎数値を確定させてスルガの支払金額を決めたものであることなどからすれば、上記支払総額の規定された本件最終合意書が交わされたとの事情が、IBMの信義則上ないし不法行為上の義務違反の有無を考慮するに当たり意味を有し得るものであることを否定するものではない」としている。


重要なのは、2番目の論点である、IBMプロジェクト・マネジメント義務の問題である。ここにおいて、東京地裁は、「システム開発業者として、自らが有する高度の専門的知識と経験に基づき、納入期限までにシステムを完成させるようにユーザに提示し、ユーザとの間で合意された開発手順や開発手法、作業工程等に従って開発作業を進めるとともに、常に進捗状況を管理し、開発作業を阻害する要因の発見に努め、これに適切に対処すべき義務や、ユーザのシステム開発への関わりについても適切に管理するなどの行為をすべき義務」という広い意味でプロジェクト・マネジメント義務という表現を使っていることにまず留意されたい。


 このような前提の下で、東京地裁は、IBMにプロジェクト・マネジメント義務違反を認めた。以下、東京地裁の認定を要約する。
  まず、パッケージとしてIBMが「担いだ」Corebankがこれまで日本の銀行において導入された経験のないものであり、リスクが高いものであった。
 そして、費用・納期の削減を目的にパッケージが利用される以上、当初よりフィット&ギャップ分析を行うことが求められた。それにもかかわらず、「合意書」締結以前の段階における第一回目の要件定義では、ユーザの現行システムの機能を基礎にしてそれに新システムで必要な機能を積み上げるという手法がとられており、これでは、ギャップ開発の量が不必要に膨らんでしまう。そのようなアプローチによる要件定義終了後、IBMは、当初の要件定義の考え方に誤りがあったとして更に2回目及び3回目の要件定義(新旧BRD)を実施しているのであって、IBMは、Corebankを利用した場合の適切な開発方法についてあらかじめ十分な検証又は検討をしていなかった
 また、IBMはCorebankによるシステム開発について知識や経験のある技術者等の要員を本件プロジェクトのメンバーとして配置しておらず、3回目の要件定義段階ではじめてCorebankの開発業者であるFIS社の要員を関与させた。しかも、IBMはCorebankの改変権を有しておらず、その改変はFIS社によって又はFIS社の承諾に基づいて行わなければならなかった。ところが、IBMは、本件システム開発において、Corebankの改変権を有しているFIS社との間で協議をするなどしてCorebankのカスタマイズ作業を適切に実施できる体制を整えていたとはいえず、これが作業の遅延や費用の増大を招いた。
 このような状況にもかかわらず、合意書を交わした平成17年9月30日の時点においても、IBMがCorebankの改変権を有していないことが本件システム開発において作業の阻害要因になり得ること、Corebankを改変するために必要とする役割分担、作業量・作業時間、費用等に関してIBMとFIS社との間で十分な協議が整っていないことなどの事情について、これをスルガ側に説明してはいなかった。
 合意書の内容は、上記のとおり法的拘束力までを持つものではないとしても、既に要件定義が進んでいる状況において、システム開発コスト見積りの前提となる基礎数値(オンライン取引数、帳票数、リンクデータ数、バッチジョブ数)についてはほぼ確定に近づいたなどという経過報告をして、最終的に同年9月30日に本件最終合意を締結したというものであって、その後も、大きく費用を増加させる必要がある旨は、平成18年中は説明されていなかったのであり、スルガとしては、少なくとも、平成18年8月にIBMからサービスインの時期の修正について提案がされ、追加費用の負担についての申出がされるまで、スルガにおいて追加費用の負担を考慮する必要はないと考えていたのである。そして、そのような認識の下で、約60億円という膨大な代金を支払った。
 その後、平成19年4月頃のIBMからスルガへの別のパッケージによる開発の提案についても、代替案を出す以上は、完成時期や費用負担について十分な検証を行って成算がある、ないしはスルガにとっても利益があるという確かな見通しが持てるようなものでなければ、スルガにとって受け入れ難いものであることは明らかである。そうであるにもかかわらず、IBMは完成時期や費用負担について十分な検証を済ませないまま代替パッケージによることをスルガに提案したのであり、そのこと自体、スルガとの信頼関係を失わせる根拠になるものということができる。
 よって、スルガが、IBMから別のパッケージソフトの利用の提案を受けた段階で、IBMに対して本件プロジェクトを白紙に戻したいと伝えて本件プロジェクトを中止する決断をしたことについては、何ら非難に値するものではないし、むしろ、相応の根拠があるものということができる。そうすると、IBMのプロジェクト・マネジメント義務違反により本件プロジェクトが頓挫したものであり、IBMはこの点について責任を負わなければならないというべきである。
IBMは、プロジェクト頓挫の責任はスルガにあるというが、スルガは商品数削減等に協力しており、協力義務への違反はない。


  いかがであろうか、ここまで認定されると、要するに、IBMが使えないパッケージを担いだ挙句、綻びを取り繕えなくなるところまで綻びを隠し続け、その挙句プロジェクトが破綻したというようなものであり、まるで詐欺である。
  この事実認定を前提にしてしまうと、「IBM側は悪くない」とか、スルガを勝たせた裁判所の「法解釈」がおかしいというのはなかなか難しいのではないか。まさに、本判決は「事実認定」がキモといえよう。


3.不利な「書面」は作ってはならない!
 なぜ、このような事実認定になったのか。もちろん、「本当にIBMが使えないパッケージを担いだ挙句、綻びを取り繕えなくなるところまで綻びを隠し続けた」可能性も否定できない。ただ、IBMは控訴しており、この点を強く争っている。そこで、違う可能性、具体的には、IBMに多かれ少なかれミスはあれど、誠実に頑張っていたにもかかわらずこのような認定になった可能性も視野に入れて考えてみよう。


  この判決は、争いのある部分は基本的に書証に基づき認定している。例えば、スルガが商品数削減に協力したかについては、ステアリング・コミッティーの議事録から、

こうやって具体的な数値(削減商品数やグループ数)を出すことができた。スルガの担当者の方には負担をかけ、ありがとうございました。

  というIBM事業部長によるスルガに対するお礼の言葉を引いて、スルガが協力義務を尽くしたと認定している。


 また、数少ないIBMに有利な事実も、書面を根拠にその意味が減殺されている。要件定義のやり直しの際にIBMが提出した「BRDの概要」という書面には、要件定義のやり直しの目的として、

「当初想定投資の再見積りを行う」

という文言が記載されていた。これは、要件定義のやり直しに伴い、当然に予算は変わってくるというIBM側の認識を示す良い資料である。


 ところが、この資料については、

スルガが、後付けで目的を追加することは認められないので、削除されたい、追加する理由も本件最終合意を破棄するためのものなのかと指摘したのに対し、上記の項目はIBM内部の事項であり当初設定した目的にはなかったことなので、削除する旨回答した

 という事実が議事録らしき書面に基づき認定され、結局、合意書の金額を大きく上回らないことを前提に要件定義のやり直しが行われた旨が認定されている。


 このようなIBMにとって圧倒的に不利なもろもろの書面が作られた経緯については、前評釈で述べたとおり、IBM側は「脅迫」「軟禁」等を主張しているようである*3が、裁判所は争いのある事実程書面に基づき認定しており、「IBM程の大企業が脅迫されて事実と異なる書面を作るなんて」という裁判所の見方がうかがわれる。


 実は、実務上、弱い立場にあるベンダーが事実と異なる書面を作らされることは現実には少なくない。しかし、裁判では書面がものをいうのであって、仮に事実がIBMのいうとおりであっても、これだけ書面がガチガチ固められれば、裁判所が本判決のように認定することも十分うなずけるところである。



 今後、ベンダーとしては、70億円の敗訴判決を食らわないためにも、書面を出す際に慎重に慎重を期すべきことを物語る判決と言えよう。


4.訴訟戦略ミス?
 本件について、もし、スルガも相当程度責任があるというのが実態であれば、その可能性として一番高いのは、「スルガ側の当初の合意の前提をぶち壊し、膨大な要件の実現を求め、それによって期間も費用も伸ばさざるを得なくなった」という主張である。
 これは「あり得る」話であって、かつ、これが認められればIBMの責任は僅少になる。


 IBM代理人も、このような主張をしており、判決文の中でも、

 IBMは、本件プロジェクトの頓挫原因について、開発フェーズのコストの見積りが105億円から226億円に増大したことの定量的分析をすると、スルガ側に原因(銀行によって内容が異なる要件及びスルガ独自の要件を開発するための費用の増加)のあるものが91.96億円(82.85%)、IBM側に原因(邦銀標準のパッケージを作るための費用の増加)があるものが19.04億円(17.15%)であり、圧倒的な割合でスルガ側の原因によって見積りが増加しているし、仮に、本件最終合意締結後に新たに判明した要件のみがスルガ側の原因によるものであるとしても、なお56.32%という割合であるから、本件プロジェクトの頓挫原因はスルガにあるなどと主張する。

と認定されている。


 ところが、東京地裁は、以下のとおり判示して、IBMの「一番強い主張」を簡単に排斥した

開発費用の増加原因を上記のように分類するのが相当であるのか疑問がある上、そもそも、本件プロジェクトの頓挫原因は上記(略)で述べたとおりの事情であると認められるのであるから、IBMの上記主張は採用することができない

 要するに、上述のような、IBM側のプロジェクト・マネジメント義務違反がプロジェクト頓挫の原因なのであって、スルガが要件を膨らませたかどうかは関係ないという認定である。


 なぜ、このような認定になってしまったのか。アウトサイダーである筆者にとって真相は分からない。しかし、判決文の不思議な記載を見つけた。

本件プロジェクトが頓挫するに至ったのは、平成19年5月ないし6月であるということができる。すなわち、IBMがスルガに対して同年4月18日にTCBの提案をしたが、スルガがこれを受け入れず、同年5月9日に本件プロジェクトをいったん白紙に戻したいとIBMに通知した上、さらに、IBMがスルガに対して同年5月31日付けの書簡により現状の課題の整理とその解決の検討を提案したのに対し、スルガは、同年6月8日、これをも返却して、その提案を受け入れなかったのであり(略)、この時点においては、本件プロジェクトは頓挫したものということができる。
  この点について、IBMは、本件プロジェクトが頓挫したのは平成19年1月であると主張する。しかし、前記1の認定事実によれば、この時点においては、スルガ及びIBM共に、本件システム開発をいつまでに、どのような範囲で、また、いくらの費用で行うかについての交渉を続けていたのであり、本件プロジェクトが上記時点で頓挫したなどということはできない。
  なお、IBMが、本件訴訟の当初、本件プロジェクトはスルガがTCBによる代替案を拒絶して本件プロジェクトを白紙に戻すこととする旨を一方的に宣言したことで頓挫したと主張していたことは当裁判所に顕著である(答弁書19頁、42頁)。


  この「なお書き」は、なぜ記載されているのかが最初はよく分からなかったが、少なくとも言えるのは、


時期 プロジェクト破たん時点に関するIBMの立場
訴訟開始時点 平成19年5月
現在 平成19年1月


 ということである。


 訴訟継続中に立場をコロコロと変えるのは、一般に禁忌とされ、裁判所の心証を悪くするだけなのであるが、なぜ、あの有名事務所はあえてこのようなリスクを犯したのか


 その理由は、想像するしかないが「代替パッケージ論が無理筋である」ことに、後になって気づいたということではないだろうか。


 つまり、IBMの代理人が当初ヒアリングした際には、IBMの担当者は「要件が膨れ上がり、Corebankでの対応が困難になったことから、代替パッケージまで提案して誠意をもって交渉したのに、スルガがこれを断ったため、平成19年5月頃プロジェクトが頓挫した」と説明したのだろう。このような説明は、話としてはあり得るが、その前提は、もちろん、代替パッケージの提案が「まともな」提案ということである。


 ここで、代替パッケージの提案が弥縫策に過ぎず、合理的な提案でなければ、その点を強調することは得策ではない。むしろ、代替パッケージの提案がどうであれ、平成19年5月の提案以前の同年1月の段階で、既にスルガが大量の要件を当初の予算でシステム化することに拘泥し、システム開発は頓挫したと言えば、大体パッケージに焦点を当てずにスルガの非を主張することができる。この場合は平成19年1月破綻説になるだろう。


 本件で、上記のような主張の変遷をせざるを得なくなった経緯を推察するに、当初、IBM代理人は、「代替パッケージの提案は誠実性の証明」説に従って、平成19年5月の頓挫説を主張していたが、その後で、代替パッケージがあまり練られた提案ではなことに気づき、その段階で、代替パッケージに焦点を当てない戦略へと方針転換をせざるを得なくなり、だからこそ、平成19年1月へとプロジェクト頓挫時点を変遷させざるを得なくなったのではないか。上記の通りIBMの「一番強い主張」が排斥されたその理由の重要な1つは、このような「戦略ミス」だったのではないか。


 現場の担当者は「自分の提案は完璧です」といいがちであり、これを外部の弁護士に疑えというのは厳しいのかもしれないが、初期の段階において、例えばインデペンデント・レビューのような形でプロジェクトに利害関係のない有識者(外部が望ましいが、内部の違うラインの人やOB等にお願いせざるを得ないこともあろう)にレビューをしてもらうこと等は検討に値するだろう*4


まとめ
 判決の事実認定通りIBMがダメダメなプロジェクト運営をしたのであれば、この結論はやむを得ない。
 ただ、もし、IBMがミスはあれども誠実に頑張ったのであれば、それにもかかわらずこのような判決を食らった大きな理由は、不利な内容の書面を残したこと当初の訴訟戦略の誤りがあったものと推測される。
 なお、上記はすべてインサイダー情報等を得ていない部外者が判決文だけを基に分析したものであり、その結果事実認識等に誤りがある可能性は否定できない、特に控訴審において事実認定が変わればコメントも変わり得ることにご留意いただきたい。
 また、判決文を読んでいると、プロジェクトがおかしくなるにつれどんどんIBMのグローバルの介入が強まるが、結局止血できない様子等がよく分かり、ITクラスタにとってはかなり胃が痛くなるが反面勉強になるので、ITも法律も中途半端な筆者の手による本エントリのみに依拠して検討するのではなく、判決本文を読まれることをお勧めする。

ご参考
本エントリはプロジェクトマネージャー&情報セキュリティスペシャリスト資格を一応持っている法学クラスタの手によるものです。
PM未経験者のプロジェクトマネージャ試験(情報処理技術者試験)1ヶ月合格体験記 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常
知識0からの情報セキュリティスペシャリスト3ヶ月合格法 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常


その他以下のようなIT系エントリーを書いております
なれるSEと法務〜リスキーな対応を強要するユーザとトラブった場合の法的判断 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常
なれる! SEと法律〜中小企業の法律理解が浮かび上がる - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常
ほむほむのプロジェクト・マネジメント〜ぷろ☆マネ!? - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常
IT企業法務部員の仕事〜おおまかなスケッチ - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常
正式契約結ぶ前なら、内定済のベンダを取り替えてもOK?〜なれる!SEと契約締結上の過失 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常
はじめてのウイルス作成罪〜「はじめてのクソゲー」から考えるウイルス作成罪 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常

*1:後掲の通りこれはIBMとして開示をぜひ避けたい内容だが、法的には開示を防ぐことの困難性が高い。

*2:Business Requirement Definition

*3:http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20100615/349225/参照

*4:判決文を読む限りIBMはプロジェクトを進める過程で様々なレビューをしているようであるが、頓挫後にレビューを行ったかは必ずしも明らかではない

コクリコ坂の時代背景を教えてくれる「蛇足」審判〜「判例史学」という新たな地平

コクリコ坂から(ロマンアルバム)

コクリコ坂から(ロマンアルバム)

*本エントリには、コクリコ坂からのネタバレを含んでいます。ご注意下さい。


1.コクリコ坂の時代背景?
  コクリコ坂からについては、もはや多言を要しないだろう。
既に、このblogでも、「コクリコ坂は家族法というエントリをアップしている。
コクリコ坂で学ぶ家族法〜婚姻障害とその除去 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常


この作品を見て、当時の時代背景を知りたくなった
どうするか。


普通は、史書や歴史研究者の論文を読むだろう。例えば、
『コクリコ坂から』 忘れ去られたモデルとなった事件 :映画のブログ
は、石丸安蔵氏の歴史研究を引いて、LSTの犠牲について調査したエントリを書かれている。



 しかし、「法律ヲタク」は違う。判例集を読むのだ。各判決には、事実認定といって、証拠から裁判所が存在したと判断した事実を認定している項目がある。この中には、その事案の解決のためだけのスペシフィックな事柄もあるが、その事案を適切にとらえるための背景となる歴史経緯等を厚く認定しているものもある*1。もちろん、その認定の背景をよりよく理解するために歴史書もひも解く必要はあるが、このように、裁判例で認定されてきた事実の中から歴史を研究する学問を判例史学」と呼ぶこともできるかもしれない。


2.名古屋家審昭和47年3月1日の事案
名古屋家審昭和47年3月1日判例時報679号52頁という家裁の審判がある。これを以下、「本件審判」と呼ぼう。
本件審判は、戦後27年が経過する昭和47年に行われた。「コクリコ坂から」の約10年後であり、東京オリンピックもとっくに終わっている。「時代が違うじゃないか」と思わずに、もう少し付き合っていただきたい。


  戦時色が濃くなる昭和12年、ある男女が恋愛「結婚」した。しかし、両家はいわば名家であり、恋愛結婚は簡単には許されない。婚姻届を出せないまま、妻は妊娠した。妻は出産のため実家に戻ったが、実家は夫との連絡を禁じ、夫は妻の状況がわからないまま軍隊に応召された。各地を転戦するうち、たまたま広州で親友である申立人の英比八郎さん*2に出会った。いつ死ぬかも分からない、まさに死と隣り合わせの時代。夫は、英比さんに、「八郎、お前が生きて帰った時、妻が無事子供を出産していたら、その子の出生届を俺の代わりに出してくれ」と依頼した。
  夫はガダルカナル島で戦死したが、申立人の英比さんはやっとの思いで内地に引き揚げた。
  引き揚げ後、英比さんは、死んだ親友の妻と再会し、女児が無事生まれたことを知った。しかし、女児は「無戸籍」だった。


 親友の依頼をどう実現すればいいのか分からないまま、種々の話し合いがなされたものの、その手続が不明であったこともあって、まさに「中ぶらりん」の状況が続いた。四半世紀以上も
その後、妻において、たまたま知り合った弁護士の畠山国重先生に事情を話したところ、先生が、「委託又ハ郵便ニヨル戸籍届出ニ関スル件」(昭和十五年法律第四号)のことを教えてくれた。


  要するに、当時は父親がバタバタ戦死するので、父親の死後でも、父親からの委託を受けた友達等が出生を届け出ることができるという規則があり、戦後も、戦時中に委託されたものに限っては有効とみなされていた*3。そして、このような第三者への委託事例では、事実関係が不明になることが多いので、届け出があった場合、家庭裁判所が審判で確認することになっていた*4


 英比さんは、畠山先生に依頼して、大阪家裁に申し立てた。名古屋家裁の天野正義裁判官は、申立人の申し立てを認め、女児(当時はすでに一児の母となっていた)の戸籍を作成できるようにした


 父親の戦死等により、戸籍がなくなり、または、戸籍が違った形になる。まさにこれは、コクリコ坂ではないか
 そう、当時は、無数の「コクリコ坂から」があったのだ。


3.蛇足判決?
 コクリコ坂からの事案でも、この「委託又ハ郵便ニヨル戸籍届出ニ関スル件」制度を利用することができれば、澤村雄一郎は、「委託を受けた者」として、俊の戸籍を正しく届け出ることもでき、これによって無戸籍を回避しながら、かつ、海との婚姻障害を除去できた*5
 しかし、実際に「委託又ハ郵便ニヨル戸籍届出ニ関スル件」制度を活用することは、当時の実情としては、極めて難しかった。


 本件審判が特筆すべきことは、当時の実情を、法的判断の部分の2倍以上の紙幅を使って述べていることである。これは、一種の「蛇足」であり、本来判決書に書く必要のないものといわれればそのとおりである。裁判官が判決に蛇足を書くことを批判する向きもあることも十分に承知している。しかし、本来書くべきではない蛇足をあえて書くところに、その裁判官の、蛇足部分にかける熱い思いや、人間性が表出されているのではないか。
戦争時代の実情や、「委託又ハ郵便ニヨル戸籍届出ニ関スル件」制度について、天野裁判官がその率直な心情を吐露した本件審判の「蛇足」を読んでいただきたい。

第三、本件についての当裁判所の所感
一、ところで、一般論としては、本来、裁判書にはいわゆる蛇足を付け加えるべきではあるまい。すなわち、蛇足は、文字どおり蛇足なのであって、これあるがために、その審判書は、かえって或いは理由齟齬を招き、ときとしては、その真意が誤解されることさえも生じ得ないとはいえないからである。しかし、本件においては、当裁判所は、この警しめは、これを充分に熟知しながらも、あえて以下に特にいわゆる蛇足を付加せざるを得なかった。よって、以下に文字どおりの蛇足ながら、当裁判所の本件についての所感の一端を披瀝しよう。

(中略)
なるほど、戦後のわが国の経済復興は、実にめざましいものがあった。その限りでは、(注:戦後25年以上が経過した審判日時点では)まさに戦後は終ったということも可能であろう。
 しかし、ここに注目したいことは、その背後には、そのかげには、声を大にして叫ばれこそはしないが、またそれ故に多くの耳目に触れることもないままに、いまなお、ひっそりと歌われ、しめやかに奏でられている戦争悲歌があるという事実である。
(中略)
これらの戦争は、彼を平和な小市民としておくことを許さなかった。すなわち、当時のわが国は、戦斗要員としての彼をまず必要としたのであった。かくて、彼は、恐らくはみずからは必ずしも好まざるところではあったろうが、右国家の求めにより、生木をさかれるように、その愛する者と別れて、軍務に就くことを余儀なくされ、まさに後ろ髪をひかれる思いにかられながら、各地を転戦した。この間には、愛児の誕生をみたものの、子の父として、彼には、これを慈しみ愛護するという当然の機会さえも全く与えられないままに、諸々に辛酸をなめながら、遂に南冥のガダルカナル島(Guadal Canal以下にガ島と略称する)の陣中において戦没するにいたった。
(中略)
しからば、一方、同じく戦陣にあった申立人と銃後に残された者はどうであったか。当裁判所は、粛然と襟を正して本件の審理を重ねながら、本件にあっては、まず、これに直接間接に関与した多くの関係人のすべてが、まことにいずれも善良にしてそして誠実な人達ばかりであったことに着目した。
(中略)
  本件は、右のような多くの善意の人の手によって事が推移し、しかも、これらの人々が、いずれも当時としては殆んど最高に近い教育を受け、相応の常識と教養を積んでいたにもかかわらず、戦後四分の一世紀を経た今日にいたって本件が漸くここに陽の目をみるにいたったのは何故であろうかということである。なるほど、法令としては、旧戸籍法の特例として、「委託又ハ郵便ニヨル戸籍届出ニ関スル件」(昭和十五年法律第四号)がある。しかし、それでは、国民のうち、一体何人がこの法令の趣旨を熟知しているか。しかも、本件の関係者は、そのいずれもがいわば戦争の犠牲者であるといえよう。国家は、よし悪意はなかったとしても、結果としては、彼らにこのような深刻な犠牲を一方的に強いたのである。まことに戦争の傷跡は、本件において殊に大きく深かった。罪なくして生れた前記和美は、いまはすでに婚姻し、家庭の人となったのみか、その夫との間に一子さえある。しかも、その戸籍はなくして、今日にいたるまで個人の身分関係を公証する戸籍の上では、全く無籍のままに推移した。まさしくかつての靖国の遺児として、国家から相応の好待遇をこそ受けるにふさわしい者が、戸籍上は、かえって結果において右のような取扱しか受け得られなかった。その原因は、制度はあっても、一にかかって関係者が過失なくして右法令を充分に熟知しなかったことにあろう。
十四、しかしながら、当裁判所は、ここに再度重ねてあえて言おう。一体、何人が右の法令を正しく熟知し得よう。問題は、何人が現にこれを正確に熟知しているかということである。
(中略)
戸籍の事務処理に当る諸機関に国の充分な配慮が与えられ、その広報活動がより活発になされるならば、本件のように、関係者の善意にもかかわらず、今日に及んで漸くその解決をみるという事態は、ここに全く避け得られることになろう。
十六、当裁判所は、本件の処理に当り、まさに襟を正すの思いで、国の適切なしかも可急的速かな一連の諸施策がこれら不幸な事案に優先的に与えられることこそ、国の責務であることを再びここに断じ、その速かな実現を心から念願するとともに、これを深く期待しつつ、筆を擱きたい。
名古屋家審昭和47年3月1日判例時報679号52頁

注:末尾に審判書全文を掲載したので、興味のある方はぜひ、詳細をお読みいただきたい。


 本件審判が力説するように、 多くの市民が戦争の犠牲になり、特に父親の死亡による戸籍届け出の困難があった。
そのための戸籍届け出の便法が認められてはいたものの、このようなフル活用されるべき情報が一般市民には全然周知されていなかった


この結果が、本件審判のような、昭和47年になってはじめて戸籍が出来る女児の存在や、愛するメルと結婚できなくなりそうになった俊の存在なのである。


天野裁判官は大正14年9月30日生まれ。20歳で終戦を迎え、4期司法修習生として昭和27年に法曹となり、昭和31年に裁判官に任官した。まさに「昭和」を生きた方であり、英比さんや死んだ夫、そして妻(女児の母)と同世代を生きる方である。一人の人間として「蛇足」を書かざるを得なかったのだろう*6

 この審判は、判例時報誌の評者によって、

事件の背景には、本審判があえて蛇足として付加したように、多くの感懐が秘められている。一つの事例として紹介するに値しよう。
判例時報679号52頁

と評価されている。


そう、コクリコ坂も、本件審判も、このような時代背景に基づく「感懐」の一断面なのだ。

まとめ
判決をたくさん読むと、「蛇足」といった形で時々垣間見える裁判官の肉声。
そこには、「人間」がいる。
同じ時代を共有し、悩みに悩んで判決する人間が。
こういう判決・審判を見ると、司法に問題がたくさんあっても、上を向いて歩こう、きっと明日は今日より一歩良くなるはずだから。こう思えるのだ。


参考:コクリコ坂関連エントリ
コクリコ坂で学ぶ家族法〜婚姻障害とその除去 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常
コクリコ坂の時代背景を教えてくれる「蛇足」審判〜「判例史学」という新たな地平 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常
コクリコ坂からのカルチェラタン取り壊し問題も裁判で解決できる??〜豊郷小学校事件 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常


参考:本件審判書全文

戸籍届出の委託確認審判申立事件
名古屋家裁昭四六(家)二七九八号
昭47・3・1審判
申立人 英比八郎
代理人弁護士 畠山国重
事件本人亡 甲野和郎


       主   文

申立人が、昭和十六年十二月四日、広洲省虎門附近において、事件本人から、現住所横浜市○○区○○○××番地乙山和美につき、同人が事件本人を父とし、本籍広島市○○○町×丁目××××番地の××乙山花子(大正五年九月一日生)を母として、右両名間の庶子女として昭和十三年十二月十四日広島県○○郡○○○町××番地において出生した旨の出生の戸籍届出の委託を受けたことを確認する。


       理   由

(申立の趣旨ならびに申立の実情)
 申立代理人は、主文同旨の審判を求め、その実情として、次のとおり述べた。
一、主文に表示された乙山花子と事件本人は、いずれも昭和十二年頃、ともに当時の東京市牛込区若松町にあった○○アパート内に寄宿し、花子は、同所から洋裁修得のため虎の門富士ビル内の伊東茂平洋裁研究所に通学し、事件本人は、また早稲田大学専門部商学科の学生として、同アパートから右大学に通学していたが、やがて相思の仲となり、同年十一月三日、申立人を含む友人五名の出席を得て、同アパート内で結婚披露をなし、直ちに同所において同棲した。
二、しかし、この結婚は、右当事者双方がいずれも若年の学生であることと、いわゆる恋愛結婚を双方の父兄がともに不道徳視していたことが主たる原因となって、同棲はなされたものの、結局、双方の実家の同意を得られないままに推移した。
三、すなわち、事件本人は、同十三年三月、同大学専門部を卒業したので、花子とともに相携えて事件本人の郷里名古屋に赴き、名古屋市○区○町に新たに花子と新世帯をもち、この間、右結婚に対する実家の同意を得べく、同人は勿論、親友である申立人等においても、事件本人等の生活を援助するとともに、種々奔走したが、これも遂に実家の同意を得られず、結局、その効を修め得なかった。
四、ところで、乙山花子は、事件本人と前記のアパートに同棲中、すでに妊娠していたので、前記のように、いったんは事件本人とともに右名古屋にあったが、同年六月、その実家で出産すべく、事件本人と別れて、単身、主文表示の○○○町××番地に赴き、一方、その後、同女の親友である広田松子において、事件本人の生家の同意を得べく、名古屋に赴いたこともあったが、これも遂に効を奏しないまま、同年十二月十四日、同所で女児を出産した。
五、この間、事件本人は、右花子との間になんらの連絡がとれないまま、同十三年十二月、応召入営のうえ、軍務に服するにいたったので、母たる花子は、その生家の監視を受けて事件本人との連絡が全くとれないままに、右女児の名として、事件本人の和郎の「和」と花子の父乙山美夫の「美」の一字をとって、同児に対し、「和美」と名づけた。
六、一方、事件本人は、その後、各地を転戦し、同十六年十二月にいたったところ、同月四日、たまたま応召して同様軍務に服していた親友の申立人と広洲省虎門附近で偶然再会し、ここに、申立人は、同所において、事件本人から、主文記載の趣旨の子の出生の届出を委託されるにいたった。
七、かくて、事件本人は、この頃、いわゆる香港攻略戦に参加し、以後も、終始、軍人として、野戦の事に従事して、ソロモン群島ガダルカナル島(Guadal Canal)に転じたが、遂に同十七年十二月十一日、同地での戦斗で戦死するにいたった。
八、よって、申立人は、委託の趣旨を実現するため、ここに主文同旨の審判を求める次第である。
(当裁判所の判断)
第一、当裁判所の認定した事実
一、まず、《証拠略》、ならびに以上の資料によって認定される申立人主張の事実を各綜合し、これに本件の全趣旨を併せると、更に次のような事実を認定するに充分である。
二、すなわち、
(一) 申立人と事件本人は、ともに名古屋の出身で、双方の父親がいずれも相応の素封家でまたともに裁判所の調停委員などに選任されていたため、すでに両名が旧制実業学校に在学中から相互に熟知の間柄にあったものであるが、右学校を卒業後は、両名ともに早稲田大学専門部に進学したことから、更に一層親密の度を重ね、相共に当時の東京市牛込区若松町所在の○○アパートに寄宿するようになり、昭和十二年当時は、両名そろって同所から同大学に通学するほどの間柄であった。
(二) ところで、当時、このアパートには、同じく広島から洋裁等の修得のために上京していた乙山花子、広田松子らが居住していたが、事件本人らは、ここでその止宿先を共にする同女らと親しくなり、申立人主張のとおりの経過を経て、やがて殊に相思相愛の仲となった事件本人と右花子は、遂に同アパートにおいて同棲するにいたった。
(三) しかし、申立人がその主張の二の項に述べたように、事件本人等において、申立人を含む双方の友人に対しては、事件本人と花子は右のような関係にあって近い将来正式に婚姻をする旨のことが同年十一月三日披露されはしたが、双方の実家の承諾は、遂に得られることなく、かくて、事件本人は、同十三年三月、右大学の専門部を卒業し、申立人主張の三ないし五の各項に記載された経緯を経た。
(四) かくて、乙山花子は、女児を出産したものの、その生家は、事件本人との関係を極度に嫌い、同女と事件本人との連絡を絶つよう同女の行動を絶えず監視したため、花子は、結局、事件本人との間にはなんらの連絡がとれないままに、母子の生活を維持するため、和美とともに、同十七年頃京城に渡り、同地において、洋裁店を経営したが、やがて今次戦争の終戦を迎え、同二十年十二月、和美を連れて郷里広島に引き揚げるにいたった。
(五) 一方、事件本人も、花子の安否を深く心に気にかけながらも、これまた花子との間になんらの連絡をとる暇もなく、同十三年十二月、現役兵として歩兵第六連隊に入営し、以後、各地を転戦し、同十六年十二月にいたった。
(六) また、申立人自身も、この間、同十五年、同連隊に入営し、やがて陸軍経理部甲種幹部候補生となり、陸軍少尉に任官のうえ、広洲省虎門において軍務に服していたところ、同十六年十二月四日、たまたま香港攻略戦に参加するため、兵科下士官として同地を行軍してきた事件本人と偶然再会し、ここに申立人は、事件本人から、主文記載の趣旨の子の出生の届出を委託されるにいたった。
(七) しかして、事件本人は、その後、申立人がその主張の七の項において述べたような経過を経て、遂に同十七年十二月十一日、前記ガダルカナル島砲台西南側沖川河合分流点附近において戦死するにいたった。
(八) 一方、前記のように、京城から引き揚げた乙山花子は、その後、諸々に伝手を求めて当時広島方面に駐留中の英豪軍基地内で洋裁店を始め、以後二十数年にわたり、終始、和美とその生活を共にし、これを愛育して、現在は、広島県呉市横浜市等において、手広く洋裁店、喫茶店等を経営し、今日にいたっている。
(九) また、右和美は、結局、無籍のままで今日にいたったが、この間、東京の○○高等女学院等を卒業のうえ、○○屋洋裁部門の専属主任デザイナー等を勤め、またこの間、○○航空にエンジニアーとして勤める丙川一夫と婚姻し、すでに右両名の間には、同四十六年十月に生れた長女春子がある。
(十) ところで、申立人がさきに戦死した事件本人から受託された本件の戸籍届出については、戦後再会した申立人、乙山花子、前記広田松子等との間で、種々の話合がなされたものの、その手続が不詳であったこともあって、申立は延引したが、花子において、たまたま知り合った本件代理人に事情を話したところ、改めて同代理人からの手続教示があり、これにもとづいて、申立人から本件申立をなすにいたった。
 以上の事実が認められるのである。
第二、法令の適用
一、しかして、以上の事実によれば、右事実は、戸籍法第百三十八条第二第三項、旧委託又ハ郵便ニ依ル戸籍届出ニ関スル件(昭和十五年法律第四号)第一条に該当することまた明らかというべきである。
二,ところで、記録に編綴されている本件申立書によれば、その申立の趣旨欄に、申立人が、事件本人から、乙山和美が、事件本人を父とし、主文表示の乙山花子を母として、その間の「女」として出生した旨の戸籍届出の委託を受けたことを確認する旨の申立の記載があるが、申立人が本件委託を受けた当時施行されていた旧戸籍法(大正三年法律第二十六号)第八十三条の規定するところによると、当時は、父が「庶子」出生の届出をしたときはその届出は認知届出の効力を有する旨が規定されているから、昭和十七年二月十八日民甲第九〇号通達をもって、私生子なる用語が戸籍の届書上使用されなくなった以前の事に属する本件においては、申立の趣旨を右のように善解し、なお、主文のように表示し、これを認知届出の委託を受けたものと同視するのを相当とする。 
三、よって、本件申立は、その理由があるものとして、これを認容すべきである。
第三、本件についての当裁判所の所感
一、ところで、一般論としては、本来、裁判書にはいわゆる蛇足を付け加えるべきではあるまい。すなわち、蛇足は、文字どおり蛇足なのであって、これあるがために、その審判書は、かえって或いは理由齟齬を招き、ときとしては、その真意が誤解されることさえも生じ得ないとはいえないからである。しかし、本件においては、当裁判所は、この警しめは、これを充分に熟知しながらも、あえて以下に特にいわゆる蛇足を付加せざるを得なかった。よって、以下に文字どおりの蛇足ながら、当裁判所の本件についての所感の一端を披瀝しよう。
二、今次大戦の終戦から十年を閲した昭和三十年頃、巷間に、戦後は終ったなる言葉が流布され、国民一般も、その大部分は、さほどの抵抗を覚えないままにこの言葉を受容したことがあった。しかしながら、果して真に然りといえるであろうか。当裁判所は、本件の審理を閉じて、いまこの審判書を起案しつつあるが、国民の一部については、右終戦の日から実に四分の一世紀を経た今日にいたるも、いまなお、この言葉は、全く妥当するものではないことをしみじみと感じつつある。なるほど、戦後のわが国の経済復興は、実にめざましいものがあった。その限りでは、まさに戦後は終ったということも可能であろう。

 しかし、ここに注目したいことは、その背後には、そのかげには、声を大にして叫ばれこそはしないが、またそれ故に多くの耳目に触れることもないままに、いまなお、ひっそりと歌われ、しめやかに奏でられている戦争悲歌があるという事実である。
三、本件についてふりかえってみよう。まず、昭和十二年に当時日支事変と呼ばれた不幸な戦闘が華北の一角に起きたということ、これが事変の拡大化とともにやがて支那事変と呼ばれるようになり、遂に同十六年には、大東亜戦争なる公式呼称をもって呼ばれる今次大戦に発展してしまったということは、そのすべてが、全く彼自身の関知したところではなかった。彼は、当時としては恵まれた中京地方の素封家の家に生れ、これらの子弟として一般に受ける相応の教育を授けられ、更に東京に遊学して、この頃、若い頃にありがちな平凡なしかしむしろ微笑ましい恋愛問題をひき起こし、これに関連して、その身辺に、当時としては所々にみられた生家との間にありふれた些末な葛藤を起しながらも、愛する人との生活を享受しながら、平凡ではあるが、善良な一般小市民として、まことにささやかな幸福感に酔っていたであろう。彼、すなわち本件の事件本人たる甲野和郎である。
四、しかるに、これらの戦争は、彼を平和な小市民としておくことを許さなかった。すなわち、当時のわが国は、戦斗要員としての彼をまず必要としたのであった。かくて、彼は、恐らくはみずからは必ずしも好まざるところではあったろうが、右国家の求めにより、生木をさかれるように、その愛する者と別れて、軍務に就くことを余儀なくされ、まさに後ろ髪をひかれる思いにかられながら、各地を転戦した。この間には、愛児の誕生をみたものの、子の父として、彼には、これを慈しみ愛護するという当然の機会さえも全く与えられないままに、諸々に辛酸をなめながら、遂に南冥のガダルカナル島(Guadal Canal以下にガ島と略称する)の陣中において戦没するにいたった。
五、当時のガ島の戦場は、故国からする物資の補給は、僅かに潜水艦等を主体とする海軍の小艦艇によってなされたのみで、戦陣のわが将兵は、常に耐えざる慢性的な甚しい飢餓感に苛まれ、餓死寸前の状況を彷徨し、加えて故国からの便りは遂には全く途絶し、しかも、この間を縫っての筆舌に尽しがたい激烈な戦斗で、多くの若い兵は、本来春秋に富む身であるのに、故国をひたすらに偲びながら、否、故国に残した愛する人の上にひたむきに想いをはせながら、空しく同島の土となったものであって、これらの事は、いずれもすでに当裁判所に顕著な事実である。これらの空しく陣没した年若い無名の兵が、表面の上では、かつて仮に「天皇のために」死の道を選ぶと述べたとしても、これは必ずしもその真意を伝える言葉ではない。その真意は、これこそまさしくその言葉の代りに、わが「愛する父母のために」、「愛する妻子のために」、そしてまた「愛する人のために」という言葉でもってこそその言葉は置きかえられるべく、然らざれば、その真意に反しよう。然り、彼らが、みずからは、かつて見たことさえもない、その限りでは彼らにとって甚だ抽象的な存在でしかなかった「天皇」個人のためにのみ死ねるわけはない。すなわち、彼らは、まことにその各々が、実にその「愛する者のために」、「愛する者」が生き残るであろう祖国を守るために、そのためにこそあえて異国の戦場において死の道を選んだのである。戦塵を浴びてその戎衣は汚れていたろう。しかし、汚れて画一化された戎衣を身にまとっていても、その下には若々しい情念が溢れていたことでもあろう。なるほど、前述したように、わが国の戦後の経済成長には、まさにわれわれの目を見張らせるものがあろう。しかしながら、このように解するのでなければ、同様に戦陣に在った者には、耳をそばだてなくても、経済成長という声の背後から聴えてくる啾啾たる彼らの鬼哭の声を慰める術はない。然らずんば、無数の彼らの尊い鮮血を吸ったガ島の生命なき石も叫ぼう、無心の草木も彼らのために慟哭しよう。
六、彼、甲野とても、もとよりその例外ではなかった。自己の運命に忠実に従って終始野戦に在った彼にとって、故国に残した乙山花子、そして彼とその間に生れた和美のことは、後事を申立人に託しはしたものの、恐らくは、死の瞬間にいたるまで、夢寝の間にあっても、その脳中を絶えず去来し続けたことであろう。
七、しからば、一方、同じく戦陣にあった申立人と銃後に残された者はどうであったか。当裁判所は、粛然と襟を正して本件の審理を重ねながら、本件にあっては、まず、これに直接間接に関与した多くの関係人のすべてが、まことにいずれも善良にしてそして誠実な人達ばかりであったことに着目した。
八、まず、本件の申立人である。彼は、右甲野の竹馬の友として、これと学業を共にし、亡友と右花子との新婚生活(本件ではその婚姻がいわゆる法律婚事実婚かということは全く問題にしないでおこう)の継続を陰に陽に助け、同じく花子の親友であった広田松子とともに、相携えてその双方の実家の誤解を解くべく奔走し、みずからも召集を受けてからは、前認定のように昭和十六年末のいわゆる香港攻略に際して亡友から前認定の委託を受け、記録によって明らかなように、戦後はまた戦争未亡人たる右花子の行方を探し当て、その良き友として、右松子とともに花子に絶えざる暖かい援助を与え今日にいたったものであって、これらの人の暖かな好意がなかったならば、本件は、遂に陽の目をみることも或いはなかったかもしれないことを考え併せると、当裁判所としても、これらの人々に心から感謝したい心情である。
九、戦争未亡人たる乙山花子については、前認定の事実によって明らかなように、もとより最早多くを語るを要しまい。亡夫甲野の応召後、日かげの身ながら、ひたすらに愛児の愛護養育に励み、その今日を築いたことを顧みるならば、同女に対して、当裁判所は、その積年の労苦に心からなる同情の念を抱くとともに、改めて深く敬意を表したい。
十、ところで、ここでは、すでに鬼籍に入った両家の家長のことにも言及しよう。家族制度が牢固として国民の間に定着していた当時にあって、しかも、名古屋なり広島なりの地方においてそれぞれ素封家の立場におかれていた両家の家長が、両家の人の全く関与しないところで結ばれたいわば学生同志の婚姻にたやすく直ちに同意を与えなかったとしても、これ又当時としては、まことに無理からぬところであって、当時の婚姻に対する国民一般の観念がいわゆる家族制度を抜きにしては語れなかった事実に想到するならば、両家の家長のとったこれらの措置にとかくの批判を加えることはできない。子を思わぬ親はないという一般的な観念は、特段の事情のない限り、概ね妥当するところである。しかして、本件においても、これらの家長は、それぞれに、将来は、右婚姻を黙示的にしろ、いずれは許そうとの考えでいたであろうことは、本件の全趣旨に徴して、またこれを認めるに足りる。ところが、戦争は、彼らにこれらの時間を全く与えなかった。ここに甲野が軍務に服してから右戦死にいたるまで四年の空白ができてしまった。本件の不幸は、ここに生じ、しかして、これは、やはり彼らの意図を超えたものであった。
十一、しからば、筆を今一度右甲野と花子のことに戻そう。彼らが東京に遊学中互いに相知り、相互に憎からずといった恋愛感情を抱いたこと、そして、これがやがて彼らの同棲となり、相共に将来を誓う仲となって愛児の出産といった事態にたちいたったこと、以上の事実を辿ったこれら一連の推移は、これまた、まさしく自然のなりゆきというべく、第三者が一層慎重な配慮が望ましかったと言うのは容易ではあるが、それでは一体、誰が真にこれを責め得よう。当裁判所は、本件を契機として、右両家が今や血肉を分けた親類としての親密な交際関係を維持するよう、これのみを今後に期待することにしよう。
十二、以上のように考えるならば、さきにも一言したとおり、本件は、それ自身がひとつの戦争悲歌ではあるが、これに登場するすべての人々は、そのいずれもが、誠実な善意の人々であった事実を知るに充分であり、それ故にこそ、本件には、また大きな救がある。
十三、ところで、ここで、特に注意したいことは、本件は、右のような多くの善意の人の手によって事が推移し、しかも、これらの人々が、いずれも当時としては殆んど最高に近い教育を受け、相応の常識と教養を積んでいたにもかかわらず、戦後四分の一世紀を経た今日にいたって本件が漸くここに陽の目をみるにいたったのは何故であろうかということである。なるほど、法令としては、旧戸籍法の特例として、「委託又ハ郵便ニヨル戸籍届出ニ関スル件」(昭和十五年法律第四号)がある。しかし、それでは、国民のうち、一体何人がこの法令の趣旨を熟知しているか。しかも、本件の関係者は、そのいずれもがいわば戦争の犠牲者であるといえよう。国家は、よし悪意はなかったとしても、結果としては、彼らにこのような深刻な犠牲を一方的に強いたのである。まことに戦争の傷跡は、本件において殊に大きく深かった。罪なくして生れた前記和美は、いまはすでに婚姻し、家庭の人となったのみか、その夫との間に一子さえある。しかも、その戸籍はなくして、今日にいたるまで個人の身分関係を公証する戸籍の上では、全く無籍のままに推移した。まさしくかつての靖国の遺児として、国家から相応の好待遇をこそ受けるにふさわしい者が、戸籍上は、かえって結果において右のような取扱しか受け得られなかった。その原因は、制度はあっても、一にかかって関係者が過失なくして右法令を充分に熟知しなかったことにあろう。
十四、しかしながら、当裁判所は、ここに再度重ねてあえて言おう。一体、何人が右の法令を正しく熟知し得よう。問題は、何人が現にこれを正確に熟知しているかということである。当裁判所に顕著なように、全国の家庭裁判所においては、法令上に明確にその根拠を持たないにもかかわらず、したがってまた、何らの予算措置も講じられないままに、自然発生的に関係職員のいわば奉仕の手によって、いわゆる家事相談が現に行なわれている。人的物的設備の点でいまなお必ずしも十全とはいえない家庭裁判所において、このような措置があえてとられているその原因は、一体何であろうか。いまその詳細をここに論述することはできないが、その原因は、また、一にかかって、民間になお残されている本件のような潜在的なしかし関係者にとっては切実な問題を採り上げることによって、平和で円満な家庭の建設が可能であるという理念に根ざしているものといえよう。しかるに、その必要はこのように充分に認識はされながらも、未だにその法制化はなお困難のようである。
しかし、本件の審理を通じて、当裁判所は、右法制化の速かな実現を図るとともに、広く家庭裁判所の門戸をより国民に開放する必要を一層深く認識した。何故ならば、右のような立場に在る本件の人達でさえも、善意はあっても、法律的には殆んど知るところがないままに、本件においては、前記のような事態を迎えてしまった事実に着目したからである。すなわち、本件の関係者にして、右の家事相談を速かに利用していさえすれば、否、利用し得る機会を与えられていれば、本件の解決は、もっと早かったであろうことに留意したからである。当裁判所は、再言しよう。すなわち、家事相談の速かな法制化が図られ、これが制度として実現され、本件のような事案も含めて、多くの潜在的な家庭内の諸問題の解決が完全に図られてこそ、ここに始めて家事審判法第一条の精神が国民の間に完全に定着することになろうということを。この意味で、本件に関連して、ここに戸籍事件の処理に当る家庭裁判所の人的物的のより一層の充実強化が重ねて望まれる次第である。
十五、かくして、当裁判所は、まず制度の問題として、その一例を家事相談にとってはみたが、同様のことは、戸籍事務を直接に管掌する法務局、市町村長の戸籍事務に関する広報活動についてもいいえよう。これら戸籍の事務処理に当る諸機関に国の充分な配慮が与えられ、その広報活動がより活発になされるならば、本件のように、関係者の善意にもかかわらず、今日に及んで漸くその解決をみるという事態は、ここに全く避け得られることになろう。
十六、当裁判所は、本件の処理に当り、まさに襟を正すの思いで、国の適切なしかも可急的速かな一連の諸施策がこれら不幸な事案に優先的に与えられることこそ、国の責務であることを再びここに断じ、その速かな実現を心から念願するとともに、これを深く期待しつつ、筆を擱きたい。
 以上により、当裁判所は、主文のとおり審判した。
(家事審判官 天野正義)

*1:一番有名なのは、その解釈の適否はともかく、日本の戦争責任を追及する原告らの損害賠償請求を棄却する上で、明朝成立以降、ムガル帝国滅亡、第二次世界大戦キューバ危機までの日本を中心とした世界近現代史に関する裁判所(当該裁判体)の歴史認識を詳細に判示した東京地判平成11年9月22日判タ1028号92頁だろう。

*2:判例時報があえて名前を仮名にしていないので、判例時報の表記にならわせていただく。

*3:戸籍法138条2項

*4:戸籍法138条3項

*5:上記blogでは、俊の出生は1945年と想像する。

*6:日本民主法律家協会「全裁判官経歴総覧」34頁参照。なお、同年4月1日付で退官されており、言いたいことが言いやすかったのかもしれない。