アホヲタ元法学部生の日常

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ガールズ&パンツァーの法的考察〜突然戦車道を復活させた大洗女子学園は、戦車道が嫌で転校した西住みほに対して法的責任を負うか? 


【ご注意】本エントリは、テレビアニメガールズ&パンツァーのネタバレを含みます。テレビアニメを見ていない人も、劇場版の公開前に予習したい人も、ぜひ先にテレビアニメ版を見てから本エントリをご覧下さい。


なお、12月20日0時(19日11時59分が回ったところ)にあわせ、劇場版のネタバレを解禁しました。
憲法9条の解釈における「武力なき自衛論」の再興〜ガルパン劇場版の法的考察 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常
以下のエントリでは「まあ、それは「設定」ということで、とりあえず置いておこう。」と書いてしまったネタを正面から扱っています。


1.ガールズ&パンツァーとは


 「戦車道」ガルパンの世界において女子の嗜みとして行われる武芸である。法律の世界には、「職質道」がある(相良真一郎ほか『誰にでもできる職務質問―職質道を極める』参照)があるが、それと似た、インパクトのある言葉である。


 西住流戦車道の家元の家に生まれた西住みほは、戦車道の名門黒森峰女学園で戦車道に邁進していたが、ある事故を原因として、戦車道をやめる。そして、戦車道のない学校を探し、茨城県にある大洗女子学園に転校した。


 ところが、文部科学省の方針による統廃合の波は大洗女子学園に及び、大洗女子学園は廃校の危機に瀕した。廃校を免れる唯一の方法は、スクールアイドルの祭典、ラブライブ!で優勝すること。



 ではなく、戦車道の公式戦に参加し、黒森峰女学園を初めとする名門校を押しのけて、優勝することである。この目的を達成するために白羽の矢が立ったのは、学園唯一の戦車道経験者である、西住みほ。必修選択科目に戦車道を復活させると、猛烈な圧力をかけて戦車道を選択するよう要求する。西住みほは最初は断るが、最後は再び戦車に乗ることを決意する、そして、旧式車両に未経験者という極めて厳しい条件の下、公式戦を戦う。これが、ガールズ&パンツァーである。


 2015年11月21日からは「劇場版 ガールズ&パンツァー」が公開される。劇場版公開を祝してガルパンを法的に分析したい。


2.「ええっ!話が違う!」


 ガルパンで一番の法的問題は、やはり大量かつ強力な*1戦車を有する国公立学園艦の集合体は、もはや「実力であって戦力ではない」と言える程度を遥かに凌駕しており、憲法9条に違反するのではないかという点なのだが、まあ、それは「設定」ということで、とりあえず置いておこう。


 この問題を除くと、やはり大きな問題は、かわいそうな西住みほであろう。


 そもそも、西住みほがなんで転校したか、特になんで転校先として大洗女子学園を選んだのかといえば、それはまさしく戦車道がなかったからである。それにもかかわらず、完全な学校側の事情で戦車道を復活させて、しかも、廃校を免れると言う高度な必要性から強いプレッシャーをかけて西住みほに戦車道を選択させた。西住みほにいわせれば、「話が違う!」である。



 このような、学校教育の内容が事後的に変更され、入学(転校)を決定した際のものと大きく異なってしまった場合に、学校は責任を負わないか。


3.教育内容の変更と学校の責任
 もちろん、「教育内容が宣伝・説明と元々違っている」という詐欺的な事案は多い*2が、本件のような「当初は説明どおりだったのだが、その後事情が変化して大きく違ってしまった」という事案はほとんどない。


 しかし、最高裁判例に、本件に一見似ている事案がある。それが最判平成21年12月10日民集63巻10号2463頁である。同判決とその調査官解説*3の内容を簡単に説明しよう。



 この事件が起こったのは、茨城県(残念ながら大洗ではない)のとある高校である。この高校では、前校長が、特色のある論語に依拠した道徳教育を行っており、それを生徒募集説明会等で明確に説明し、原告を含む親権者の中には、このような道徳教育を受けさせたいと考え、子女を同高校に入れさせようとした者が少なくなかった。ところが、前校長が金銭問題等を原因として突然解任されるという事件が起こり、外部から新校長を招へいする必要性が生じた。新校長は、論語に依拠した道徳教育を廃止し、通常の学習指導要領どおりの道徳教育に切り替えた。そこで、原告らが、学校選択の自由を侵害された、ないしは、論語に依拠した道徳教育がなされるという期待・信頼が侵害されたとして提訴したものである。


 原審(東京高判平成19年10月31日判例タイムズ1271号165頁)は、原告勝訴の判決を下した。要するに、このような突然の教育内容の変更が学校選択の自由を不当に侵害したとしたのである。


しかし、最高裁は、原判決を取消し、学校を勝たせた。


 最高裁のロジックはややわかりにくいが、主に2つの議論をしている。
 まず1つ目は、学校選択の自由の侵害の問題である。最高裁は、親の学校選択の自由については,その性質上,特定の学校の選択を強要されたり,これを妨害されたりするなど,学校を選択する際にその侵害が問題となり得るものとした上で、本件では、そのような事情はないとして学校選択の自由は侵害されていないとした。*4


 そして2つ目として、期待・信頼への侵害について検討した。そして、学校による生徒募集の際に説明,宣伝された教育内容等の一部が変更され,これが実施されなくなったことが,親の期待,信頼を損なう違法なものとして不法行為を構成するのは,当該学校において生徒が受ける教育全体の中での当該教育内容等の位置付け,当該変更の程度,当該変更の必要性,合理性等の事情に照らし,当該変更が,学校設置者や教師に裁量が認められることを考慮してもなお,社会通念上是認することができないものと認められる場合に限られるとして、本件においてはやむを得ない変更だったとして、期待・信頼への侵害を否定した


 ここで、留意すべき点が2つあるだろう。
 まず1つ目は、本件と最高裁判決の共通点である。特に最高裁判決が重視したのは、学校設置者や教師の教育内容等における裁量である。入学後、小学校であれば最大6年間の期間があるのであって、その間に諸般の事情が変更し、入学前に宣伝、説明していた内容の教育を行うことがむしろ不合理になることは十分あり得る。そして、どのような教育内容を行うかどうかは、専門家である学校設置者や教師の裁量にゆだねられるべきものとしたのである。この点は、本件と最高裁判決の事案で共通しており、裁量の存在は否定すべくもないだろう。


 次に2点目は、本件と最高裁判決の違いである。調査官解説を参考に最高裁判決を読むと、重要な違いが見つかる。最高裁判決では「親」が教育変更を問題視しているのである。特に、調査官解説では、(私見と付されながらも)中学校以上の場合には生徒が在学契約の当事者と解すべきとの見解が付されており(928頁)、結局、最高裁判決の事案は、在学契約の当事者ではない親がその利益侵害を主張したものであるところ、本来子が在学契約の債務不履行の問題として学校設置者に対し責任追及すべきものであり、それと別個に親の利益が認められるとしても、それは狭い保護にならざるを得ないのは必然だろう(調査官解説918頁参照)。



 そして、実際に、下級審ではあるが、事後的な変更を理由に損害賠償請求を認めた事案がある(東京高判昭和52年10月6日判例タイムズ352号163頁)。この事案は、大学生であった原告に対し、大学側が大学学部と修士の計6年の一貫したプログラムがあると公示し、原告に対して編入を勧めたので、原告は編入を決意して大学4年生まで来たところ、修士課程の募集を突然打ち切ったというものである。裁判所は、このようなプログラムがあるという言明を信じて神学科三年に編入学した原告に対し、大学は信義則上正当な理由なくしてその信頼に違背するようなことをしてはならない義務を負担するとし、その信頼を裏切ったとして、慰謝料の請求を認めた。


そう、在学契約の当事者である生徒本人が学校を訴えれば、勝つ余地はあるのである。


4.西住みほは勝てるか?
 西住みほは、大洗女子学園との間で、在学契約を結んでいる。西住みほが損害賠償を請求する上で、1つ目の課題は、在学契約において、戦車道が存在しないことが契約の要素になっているかである。確かに西住みほ本人の主観としては戦車道がないことが重要な選択な理由だったのだろう。しかし、上記高裁判決のように、「修士一貫プログラムを提供すること」という教育内容として積極的に何かが宣伝・説明された場合と異なり、単に存在しないというだけである。もしかすると、「戦車道はありますか?」「ありません」というやりとり位はあったのかもしれないが、戦車道がないことを積極的な学校の選択理由とする人は、西住みほのような特殊事情でもない限り普通はいないと思われ、在学契約の中に「戦車道が存在しないこと」が含まれたかは、難しい問題である。


仮にこの課題をクリアしても、更に難しい2つ目の課題に引っかかるだろう。それは、学校による教育内容変更の裁量である。最高裁が述べているように、教育期間中に事情が変更し、それに応じて教育内容を変更する必要が生じることは否定できない。
 そして、今回の事情変更は、戦車道をやらないと、いや、戦車道の公式戦で優勝しないと廃校である。このような緊急事態を招く重大な事情変更があった以上、論語に依拠した道徳教育を(論語に依拠しない)学習指導要領に依拠した道徳教育に切り替えことのが正当化されたように、西住みほに対する教育内容を(戦車道以外の)何らかの伝統的な伎芸から戦車道へと切り替えることも正当化されるのではなかろうか。


まとめ
判例の学校による教育内容変更の裁量を念頭に置くと、大洗女子学園は戦車道を復活させて、西住みほに戦車を操らせることが正当化される。
そう、テレビアニメシリーズにおける大洗女子学園の行動は、法律的に分析しても適法だったのである。
さあ、待望の「ガールズ&パンツァー劇場版」公開は明日11月21日。映画館へ、パンツァー・フォー!

*1:12/20修正

*2:詐欺的事案については、平野裕之「教育サービスの債務不履行とその救済」http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=12727 が詳細な説明をしている

*3:平成21年度調査官解説民事編(下)907頁以下、西田隆裕裁判官

*4:調査官解説では「教育内容の変更が、当該学校で教育を受け続けることを強制するものではないし、他の学校の選択を妨げているわけでもな」いことを強調している(916頁)。

寿司債権論研究序説〜寿司債権の法的性質と執行方法〜


鮨 すきやばし次郎: JIRO GASTRONOMY

鮨 すきやばし次郎: JIRO GASTRONOMY

(イメージ)



1.はじめに
 寿司債権は、現在の法クラ(法学クラスタ)においては、寿司債権発生原因事実が生じた場合に、債権者が債務者に対して有する債権という意味で使われることが多いようである*1。この語は、2014年の法クラ流行語大賞で入賞*2しており、法クラの間では寿司債権の発生及び履行は相当普遍的に見られる現象と言える。しかし、その法的分析が進んでいるとは到底言えない。例えば、寿司債権に関する公刊された論文は私がci.niiで探した限り一本もなく*3、その意味では、法的議論の空白地帯が存在するのである。


 それでは、寿司債権発生原因事実とは何であろうか。また、寿司債権は寿司以外で履行することはできるのだろうか、寿司債権者は寿司債権をどのように執行すればいいのだろうか。その他の寿司債権にまつわる諸問題について、「試論」という形で問題を提起し、私のテンタティブな見解を述べたい。本論稿の趣旨は、議論の喚起に過ぎず、私自身、自説が正しいとは露も思っていないことから、皆様からの反論を歓迎したい。



2.寿司債権発生原因事実論


 まず、いかなる場合に寿司債権は発生するのか、要するに、寿司債権履行請求訴訟の請求原因事実は何か。これを、債務者側の要件と債権者側の要件に分けて検討する。


(1)債務者側の要件
 まず、債務者側の要件というのは要するに、寿司を奢らせるべき理由である。



(a)不労所得の獲得
 例えば、寿司債権の現実の履行案件として著名な、本年4月29日に実施された寿司債権者集会においては、債務者がベストセラーライトノベルを執筆し、印税収入という不労所得を得たことから寿司債権が発生されたものと推測される。


 もちろん、印税収入は、それまでの執筆作業に対する対価という意味もあるので、それを「不労」所得と評すべきかには争いがあるところだろうが、少なくともベストセラーまで行けば、それにより得られた超過利潤分を世の中に還元すべきという議論は十分に合理的であり、これが発生原因であるという通説的理解は妥当であろう。
 

(b)高収入を誇示する発言
 次に、例えば、「税金が高い」「節税しなきゃ」「今月は新件が多い」発言をする等、高収入を得てそれを誇示するような発言をすることも、寿司債権の請求原因事実と理解することができる。


 ここで、この類型の発生原因事実が、「高収入を得た事」そのものなのか、それとも公然と高収入を「示唆した事」なのかについては争いがあり得る。私は、不労所得の獲得と同様、社会通念上、他人に還元すべきと認められる程度の高収入を得た事そのものが債権の発生原因事実であって、それを示唆したことはその証拠(間接事実)に過ぎないと考えるが、金持ちアピールをしたことではじめて、「そんなに金があるなら寿司奢れ」という形で寿司債権を発生させるという反対説も合理的であって、この点は更なる議論が必要であろう。


(c)ぼっち飯発言?
 上記2類型とやや様相を異にするのは、「夕飯を一緒に食べる相手がいない」発言である。要するに、ボッチ飯の寂しさをアピールし、その裏で「誰か一緒に食べてくれるなら奢ってあげてもいいよ」と示唆することも、寿司債権の発生原因事実になり得るのではないかという問題である。ただし、この類型はあまり事例(特に、ぼっち飯アピールの後に実際に奢ったのかどうか)が蓄積しておらず、この点は今後の研究課題と思われる。


(2)債権者側の要件
 次に、債権者側の要件というのは要するに、この人が寿司を奢られるべき人である理由である。


(a)具体的な内容
 例えば、宣伝が挙げられる。特に上記の(a)不労所得の獲得の場合には、当該本を宣伝してくれた人が債権者と理解するのは自然である。


寿司債権発生の瞬間 - Togetter


 という数少ない、寿司債権の発生の瞬間が目撃された事案においても、当該書籍の宣伝者(寿司債権者)につき、印税の獲得者(寿司債務者)に対する寿司債権が発生するという前提であることが読み取れる。


 その他、ツイッターを「寿司債権」で検索すると、寿司債務者が必要としている情報を提供したり、「明示的に寿司債権者であることを強く主張する」こと等が寿司債権者となる要件として認められていることが推測される。


(b)相関関係論
 私は、これらの多様な「債権者側」の発生原因について、相関関係論を提唱したい。
すなわち、上記で見たような債権者側の発生原因は一言で言えば「(寿司債務者に対する)貢献」という言葉でまとめられるであろう*4。そして、債務者側の奢るべき理由が強ければ強い程、貢献の程度が低くても成立するというのが、私の提唱する相関関係論である。


 例えば、某ベストセラーライトノベルに関しては約30名というかなりの多くの人が寿司債権者として債権届出をしたそうであるが、これは、当該ライトノベルがベストセラーであって、債務者側の奢るべき理由が強い事案であったからという分析ができる。このような事案においては、超過利潤が莫大であるから、比較的貢献度が乏しい人も寿司債権者となり得る。これに対し、印税が少ない書籍等であれば、相当大きな貢献が必要であり、もしかすると寿司債権者となり得る程の貢献者は1〜2名しかいない*5ということもあり得るだろう。


 更なる問題は、このように相関関係論を取った場合において、「寿司債務者側の奢るべき理由が莫大であれば、貢献が0に限りなく近くても寿司債権者になれるのか」ということであるが、「相関関係論を取る以上、超過利潤が無限大なら理論上貢献が0でも寿司債権者になれると考えるべきで、単に実務上超過利潤が無限大にはならないことから、実務上寿司債権者となるため0を超える貢献が必要とされているだけ」という考えと、「最低限満たすべき貢献の程度はある」という考え方の双方があると思われ、今後の議論を待ちたい。



(3)まとめ
 以上をまとめると、


(超過利潤を得る等して)社会通念上世間に対する還元を求められても当然と解される地位にある寿司債務者に対して、何らかの意味での貢献を行った寿司債権者が有する債権が寿司債権である


という寿司債権理解に到達することになる。これが正しい理解なのか、異論もあろうことから、皆様の反論を待ちたい。



3.寿司債権と債務の本旨に従った履行
 寿司債権の実際の履行においては、それが債務の本旨に沿った物かが問題となる。例えば、回転寿しの場合はどうか、例えばフレンチはどうか、天ぷらは、焼き肉は? という問題である。


 まず、寿司債権者がそのような履行でよいと同意・承諾している場合には、その内容が債務の本旨に従っていると言える。


 問題は、例えば「寿司債務者は1000円の回転寿しで安くあげたいが、寿司債権者は1万円の回らない寿司を要求する」というように、寿司債務者と寿司債権者の見解が対立する場合であろう。この場合については、社会通念上どのような内容が「寿司」債権かというのを基準として判断せざるを得ないのではなかろうか。そして、寿司債権というのは、貢献者たる寿司債権者が、超過利潤を得る等した寿司債務者に対して有する債権なのである。そこで、そのような状況下において「寿司を奢る」ならば、「最低限これくらいは必要だろう」という水準が寿司債権が債務の本旨に従った履行として認められる最低限であろう。


 その観点からすると、回転寿しというのはいかにも安上がりであって、あえて寿司債務者に対して奢らせる内容としては社会通念上不足している、つまり、債務の本旨に従った履行ではないという考えを持つ人が多いのではなかろうか。逆に言うと、厳密な意味での「寿司」ではなくとも、天ぷらやフレンチのような(回らない)寿司と同等ないしそれ以上の価値のものであれば、債務の本旨に従った履行であるという考えを持つ人が多いのではなかろうか。(もちろん、異論はあるだろう。)


 なお、寿司債権の履行に際し、寿司債権発生原因事実について債務者に自ら説明させるという実務上の取扱いがなされた例があると仄聞するが、この事案が特殊事例か、一般化できるものかについて、今後の事例の蓄積を待ちたい。


4.寿司債権と相殺
 寿司債権については、やや特異な考えかもしれないが、私は相殺禁止債権であると考える。つまり、民法505条1項但書は「債務の性質がこれを許さないとき」は相殺が不可能であるとするところ、寿司債権の性質上相殺が許されないと解するのである。


 それは、寿司債権について相殺を認めると、実務上不都合が生じるからである。すなわち、寿司債権者と寿司債務者の関係を考えると、例えば、「Aが本を書く際に、Bが協力し、逆にBが本を書く際にはAが協力する」とか「Aがその専門分野外の事件の処理をして儲ける際に、専門家であるBからの情報提供を得て、逆にBがその専門分野外の事件の処理をして儲ける際に、専門家であるAからの情報提供を得る」といった持ちつ持たれつの関係が少なからず存在するように思われる。此の様な場合に、相殺を許してしまうと、寿司債権が履行されることが実務上かなり減ってしまうのである。


 もちろん、「現実の履行が減ったって別にいいじゃないか」という見解も十分説得的である。この点は、寿司債権の実務上果たしている機能と関連するところ、これは単独説かもしれないが、私は「寿司債権」という言葉には、他人を食事に誘う際のきっかけと言う面があるのではなかろうかと考える。つまり、私のようなコミュニケーション能力が低い人は、一般に自分から他人を食事に誘うのは躊躇してしまうことが多いものの、「この間お世話になったので『寿司債務』を履行させて下さい!」という形であれば、人を食事に誘うハードルが低くなるということである。


 もし、このような機能(私はこれを「誘い水機能」と呼びたい。)を重視すれば、寿司債権が相殺で消えてなくなってしまうと、この誘い水機能が果たせなくなる。それよりもむしろ、相殺禁止債権と考えることで、多くの人がより気楽に食事に誘って、人間関係が円滑になり、社会がうまく回って行くことに貢献するという効果を期待してはどうだろうか。更に、寿司債権者及び寿司債務者が弁護士の場合には相互に奢り合うことで、節税できるという効果も期待できるだろう。


 この辺りはもしかすると解釈論というより立法論なのかもしれないが、一応1つの試論として提示させて頂きたい。



5.寿司債権と執行
 最後に、寿司債務者が寿司債務を履行しない場合、寿司債権者は寿司債権を法的手段を用いて実現できるかという問題がある。


 この点は、私は寿司債務について、自然債務説を取り、法的手段を用いた実現を否定したい。その理由は、寿司債務者が嫌々奢る寿司は美味しくないからである。これは、人それぞれ考えが違うのかもしれないが、寿司債権の履行の際、寿司債権者と寿司債務者が二人、ないしは複数人で寿司ないしはその他のおいしい料理を食べることになる。そして、この状況下において、寿司債権者と寿司債務者が寿司等を食べながら語り合い、相互に親睦を深めるという現象が比較的普遍的に見られる。このような現象を、もし、寿司債権履行に伴う反射的効果に過ぎないと考えるのであれば、寿司債権の本質は「寿司の引渡し請求権」ないしは「寿司代金相当額の金銭支払請求権」であり、寿司債権も執行が可能という解釈になるだろう。


 しかし、上記の通り、寿司債権の呼び水機能を重視すると、寿司債権の履行に伴い債権者・債務者同士のコミュニケーションが図られる機能(これを「寿司債権のコミュニケーション機能」と呼びたい)は無視できない。そして、このような寿司債権のコミュニケーション機能を重視すれば、寿司債権を無理矢理行使しても、何らコミュニケーションは果たされず、むしろ寿司債権者と寿司債務者の間の人間関係が悪化するのであるから、寿司債権はあくまでも寿司債務者が任意に履行してはじめて意味がある、自然債務と解するのが自然ということになるだろう。


まとめ
 寿司債権については、法クラの間でよく使われる法律用語であるにも関わらず、法的分析がこれまでほとんどなされてこなかった。
 そこで、1つの試論として、上記のとおり、テンタティブな見解を提示させて頂いた。例えば、寿司債権発生原因の相関関係論、寿司債権の誘い水機能、寿司債権のコミュニケーション機能等は全て私の造語であって、それもかなり特異な議論である。その意味で、私は本稿の内容が正しいとは思っておらず、むしろ、皆様の議論の「呼び水」として使って頂ければという趣旨で本稿を執筆させて頂いた。
 なお、寿司債権と相続・債権譲渡、寿司債権の電子化、寿司債権回収機構と弁護士法72条・サービサー法、寿司債権者集会による遮断効等の他の論点については他日を期したい。


【追記 8/19】
このような論文(論文形式を取ったネタ記事)を書いたところ、バベル先生から以下のような補足・批評を頂いた。

改めて感謝の意を評させて頂きたい。


【追記 8/20】
 上記脚注で「反論の論文があればぜひ読んでみたいものである」と書いたところ、野良猫氏が、原義主義に基づく論文を公表された。
寿司債権に関する基本的な考え方について|猫務庁
 まず、野良猫氏が思想の自由市場にふさわしい「論文」の形で反論を行われたということは、それ自体賞賛に値する。そして、このことから、野良猫氏が、私の論文を反論に値するものと認めていると推察され、それについても感謝したい。
 次に、反論文の「内容」であるが、野良猫氏は、パクツイ以外に寿司債権の発生原因は存在しないとでも考えているのであろうか。もしそうであれば、現実に法クラにおいて発生し、履行されている「寿司債権」はいったい何なのであろうか?(本文でも寿司債権の発生及び履行の事例をいくつか紹介しているが、ツイッターで「寿司債権」を検索すれば、


https://twitter.com/search?q=寿司債権


私の論文の意味での「寿司債権」という用語の利用例が圧倒的多数であり、パクツイを理由とする例が圧倒的少数であることはお分かりになるだろう。)
 野良猫氏をはじめとする原義主義者の皆様が、「寿司債権が実際に法クラにおいてどのように使われているのか」という現実を直視せず、原義にのみこだわることにつき、疑問なしとしない。
 なお、私は、単に、「寿司債権」の現実の利用実態から見ると、パクツイは「用語の発生の経緯」に過ぎず、実際にはそのような意味で利用されている事例がほとんどないという点を重視して、上記のようにパクツイを寿司債権の発生原因事実から一応除外しているに過ぎない(私はこのような「実質」を重視しているのであり、「形式」的な批判をしているものではない。)。今後原義主義者の皆様が、精力的に「パクツイ」により発生する債権という意味で「寿司債権」という用語を利用され、その頻度・利用事例が一定程度に達するのであれば、私は喜んで寿司債権の発生原因事実としてパクツイを追加する用意がある
 最後に、寿司債権に関する論争が更に深化し、本論文と上記反論文の間で交わされた論争が、例えばイースターブルック対レッシグの「馬の法」論争に比肩するものとして歴史に残ることを期待する次第である。


【追記 8/23】
リーガルニュース様にご紹介頂きました。ありがとうございます。

http://legalnews.jp/2015/08/22/okaguchik_girl/

*1:なお、某ツイッタラーがパクツイをしたお詫びに寿司を奢るという経緯から「寿司債権」という言葉が生まれたとのことであるが、私は原義主義を取らない。ただし、原義主義者からの反論がなされることは、「思想の自由市場」において望ましい事態であり、むしろ反論の論文があればぜひ読んでみたいものである。

*2:法クラ流行語大賞2014【本選】投票結果速報 #LCN2014award - Togetter

*3:なおci.nii「寿司」and「債権」で検索すると一本論文が出て来るが、全く無関係の論文である。

*4:債権者であると強く主張するというのは「何らかの形で自分は寿司債務者に対して貢献した」と強く主張をするということであろう

*5:この場合の寿司債権者がその本の謝辞欄に記載された人と一致するかについてはまだ事例が少ないので、今後の事案の蓄積を待ちたい

海未を絶望のどん底へ陥れた穂乃果の責任?ーラブライブ!The School Idol Movieで学ぶ国際私法


当エントリは、映画「ラブライブ!The School Idol Movie」のネタバレを含みます。未見の人は映画館へ急げ!なお、私はアメリカ法の専門家ではありませんので、本エントリを元に行動をされても、何ら責任を負いかねます。


1.簡単な事案の、ような……
 スクールアイドルブームを更に盛り上げるため、ニューヨークはJFK空港*1に降り立ったμ'sの9人。3人ずつタクシーに分乗してホテルに向かうことに。ホテルに着けるか不安がる海未に、穂乃果はホテルの名前を書いたメモを渡す。


 しかし、海未らは、ニューヨークの町外れ、場末の寂れたホテルの前で下ろされる。なんと、穂乃果が軽率にもメモをする際にホテルの名前をミスしてしまい、別のホテルに連れていかれてしまったのである。絶望のどん底に陥る海未。この場合の穂乃果の法的責任はどうなるか?



 実は、この問題は簡単、いや、むしろそもそも論じる価値すらない問題のように思われる。日本では不法行為民法709条)は過失によっても成立する。転記ミスという過失によって、海未に精神的損害を与えた以上、穂乃果は慰謝料を払わなければならない。死の恐怖の慰謝料としては、ヘリコプターの墜落による死の恐怖について50万円の慰謝料を認めた東京地判昭和61年9月16日判タ618号38頁や、土の中に生き埋めとなった者が味わった死の恐怖の慰謝料として150万円が認められた大阪地判平成1年1月20日判タ695号125頁等から考えると、あんなに精神的に追いつめられた海未は、穂乃果に対して不法行為に基づき、数十万円の損害賠償請求権を持つということで終わり、こう考えてみると、あまりにも簡単であって、わざわざ取り上げて法的分析をするまでもない話である。



2.ニューヨーク州法の適用なんて、こんなの絶対おかしいよ
 ところが、本件の大きな特徴は、アメリカで起こっているということである。アメリカで発生した事件を例えば帰国後に東京地方裁判所で裁く場合を考えよう*2



 そもそも、アメリカで、日本人同士の間で行われた不法行為について関係しそうなのは、日本法とアメリカ法の2つである。ただ、日本法とアメリカ法では規律が全然違っている。そこで、このような国際訴訟においては、どちらの法律が適用されるかを決めるルールが必要である。



 それが、国際私法ないしは抵触法といわれる問題である。日本の裁判所で裁かれる案件で適用される、法の適用に関する通則法*317条はこのように規定する。

不法行為によって生ずる債権の成立及び効力は、加害行為の結果が発生した地の法による。ただし、その地における結果の発生が通常予見することのできないものであったときは、加害行為が行われた地の法による。

 要するに、結果発生地を原則として、例外的に加害行為地を考慮する。本件の場合、精神的ショックを受けた場所はニューヨーク州、そして、加害行為地もニューヨーク州であるから、いずれにせよニューヨーク州となる*4



 ニューヨーク州法では、過失による精神的加害(Negligent Infliction of Emotional Distress)が認められる条件は厳しい。要するに、
・精神的損害だけではなく、物理的損害を伴う場合(physical injury)
・後一歩で物理的損害が生じた場合(near miss cases)
・危険区域で近親者が死傷するのを目撃した場合(bystander cases)
等の非常に特殊な場合にしか過失によって、精神的被害が生じた場合にこれを不法行為として認めてくれないのである。


 これに対し、故意による精神的加害(Intentional Infliction of Emotional Distress)は比較的緩い
 これは、極悪な行為(outrageous conduct)の結果*5、重大な精神的損害(severe emotional distress)が発生することが必要である。

 このうちの、「重大な精神的損害」については、海未のあのショックの受け方を見る限り、この要件を満たすと思われる*6


 また、「故意」とはいえ、この故意による精神的加害の場合には、軽率な行為(reckless conduct)を含む。そして、本件の穂乃果の行為は、生徒会長とは到底思えないような非常に軽率なものであり、これに該当すると言ってもよいのではないか。


 問題は、「極悪な行為」である。ここでいう、極悪な行為というのは「脅し、嫌がらせ又はちょっとした圧迫、又はその他の現代生活において予想され、随伴するたいしたことのない出来事(threats, annoyances or petty oppressions or other trivial incidents which must necessarily be expected and are incidental to modern life)」を含まない*7。本件では、確かにひどい行為であるが、この範囲であれば、現代生活において予想されるという議論はあり得る。しかも一回限りの出来事である。この点において、海未の主張はなかなか難しいところがある。


 そう、ニューヨーク州法が適用されることによって、海未の法的主張は、日本法と比べて格段に弱くなるのである


3.当事者による準拠法の変更も、明らかにより密接な関係がある地がある場合の例外も、あるんだよ。



 ここで、まず海未が考えるべきは、穂乃果と「日本法を適用する」ことに事後的に合意することである。通常、契約がある場合には、事前にどこの法律を準拠法とするか合意している(法適用通則法7条参照)。そこで、どの国の法律が適用されるかはあまり問題とならない。そして、不法行為については、事前に合意できないにせよ、法は第三者を害さない限り、事後的に合意を許す。そう、穂乃果が法律にうといことを利用して、日本法を適用するのに合意すればいいのだ*8


 しかし、このような合意をしなくても、海未を救う方法がある。それが、法適用通則法20条である。

前三条の規定にかかわらず、不法行為によって生ずる債権の成立及び効力は、不法行為の当時において当事者が法を同じくする地に常居所を有していたこと、当事者間の契約に基づく義務に違反して不法行為が行われたことその他の事情に照らして、明らかに前三条の規定により適用すべき法の属する地よりも密接な関係がある他の地があるときは、当該他の地の法による。

 要するに、機械的に適用される法律を決めたのではおかしな結論になる場合に、もっと密接に関連し、もっとふさわしい法律があるというのであれば、そちらを適用できるという条項が設けられているのである。


 本件では、ニューヨーク行きは一時的な出張に過ぎない。海未も穂乃果もその常居所は日本である。そうすると、日本法が二人にとって最も密接な関係がある地の法律と言えるので、日本法を適用することができるのだ*9


まとめ
 国際紛争においては、どこの法律を適用するかで結論が全然違ってくる事がある。過失によって精神的な損害を与えた場合は、アメリカ法(ニューヨーク州法)と日本法の間で大きな相違が存在する。
 そして、どの法律を適用するかを決めるのが、国際私法・抵触法であり、日本の裁判所では法適用通則法が適用される。
 そして、法適用通則法には、個別の事案に応じた柔軟な解決を認める条項も設けられているので、国際弁護士等の専門家に依頼することで、合理的な解決を図ることが可能である。

 

*1:実はこれがニュージャージー州ニューアーク空港だったら法的に全く異なる話になる。一応特定班の皆様によれば、JFKらしいので、それに従うことにする。

*2:ニューヨークの裁判所で裁く場合、アメリカ国際私法を考えないといけません。

*3:昔、「法例」と言われていたものが改正されたもの。

*4:そして、だからこそ、ニューアーク空港が加害行為地だと、「その地における結果の発生が通常予見することのできないもの」かどうかを判断するという必要が生じる訳です。

*5:Murphy v American Home Prods. Corp., 58 NY2d 293, 303

*6:身体的症状(physical symptom)は不要

*7:Zimmerman v. Carmack, 292 A.D.2d 601 (N.Y. App. Div. 2d Dep't 2002)&Lincoln First Bank v Barstro & Assoc. Contr., 49 AD2d 1025, 1025-1026

*8:ただ、穂乃果の「真姫ちゃん! 電車賃貸して!」は法的に考え抜かれた非常に「うまい」方法。未成年である穂乃果が消費貸借契約を取り消せば(民法5条2項)、現存利益を返還するだけでよい(民法121条但書)。電車に乗って消費してしまえば、もはや返す必要はなくなるのだ。

*9:なお、ニューヨーク州法の結論が非常におかしい時には公序違反(法適用通則法32条)等を使うこともできる。

生徒会は一度決定した美術部への活動費支給を撤回できるのか〜ラブライブ!の行政法的考察

μ's Best Album Best Live! Collection II (通常盤)

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本エントリはラブライブ!第2期までのネタバレを含みます。未見の方は先にご覧になって、ぜひぜひラブライバーになってください!(布教) そして、ぜひ、大人気の映画「ラブライブ! The School Idol Movie」もご覧になって下さい! *1

なお、本エントリにつきましては、ぱうぜ先生(@kfpause)に目を通して頂き、アドバイスを頂きました。ありがとうございました。ただし、本エントリ中の誤りは全て私の責任です。


1.美術部予算支給撤回問題とは
 廃校の危機にある母校・国立音ノ木坂学院*2を救うため、スクールアイドル、μ’sを結成した高校二年生の高坂穂乃果らの奮闘を描いたのがラブライブ!第一期である*3。学校を廃校の危機から救った後、第二期では、元生徒会長でμ'sのメンバーである絢瀬絵里*4に推薦され、穂乃果は生徒会長になる。しかし、新生徒会長の穂乃果は、μ'sの活動に追われる中、大失敗をしてしまう! それが、美術部活動費支給撤回問題である。



 音ノ木坂学院において、各部への活動費の配分は、来期の予算申請書を各部が提出し、その後全部長が集まった予算会議を開催した上で、最終的に予算が承認・決定される。ところが、予算会議開催前に、美術部の予算申請書を間違って承認の箱に入れてしまい、そのまま承認印を押してしまった。美術部は、「予算が通った」と大喜びで、それを聞いた他の部活から高坂会長に対してクレームが入った。実際は、入学者が減少し、各部の活動費に回せる予算の総額が減少していることから、申請どおり承認することは不可能であり、かつ、予算会議という必要な手続も経ていなかったのであり、これは、穂乃果を始めとする新生徒会執行部の大きなミスであった。美術部活動費支給撤回問題を簡単にまとめると、概ねこんな感じである。


 さて、アニメ本編では、なんとかしようと手を差し伸べる絵里に対し、穂乃果は、「自分で解決します!」と新生徒会長の自覚を表明した。μ'sのメンバーでかつ新生徒会執行部である穂乃果、園田海未及び南ことりの三人は、美術部に対して不手際を謝罪した上で、各部の従前の活動の継続に支障がないよう、申請額の8割以上を確保するという方針で予算案を作成し、各部の代表者に丁寧に説明し、予算会議を通した訳である。
 しかし、もし、一度承認された活動費支給を撤回されてしまった美術部がこれに納得しなかったらどうなるのだろうか。映画『ラブライブ!The School Idol Movie』が大ヒット中である今、この問題を法的に検討したい



2.行政行為の職権取消と取消し制限の法理
 そもそも国立学校内の生徒会と各部の間の関係をどのように捉えるかは議論があるところであるが、今回は、行政庁たる生徒会長(穂乃果)*5が、美術部長*6に対して給付決定を行い、美術部の活動費を給付するという理解を前提に検討したい。


 給付行政に関しては様々な法的仕組みがある*7。部活の活動費等の給付決定については、行政行為という行為形式で行政庁の一方的決定として行うという可能性と、契約という行為形式で行うかという双方の可能性がある*8。本件の場合には、(1)美術部に対する助成金補助金の給付という実質があることから、補助金給付に準じて理解することができること*9、及び、(2)限られた予算総額の中から他の部活との関係で分配を決定するという側面があり、当該給付が行政(生徒会)と受益者(各部活)の二者間に留まるものではなく、第三者との関係でも影響があるという2点に鑑み、これを行政行為と理解することが適切であろう。


 そして、予算会議の位置づけはアニメだけからは不明確ではあるものの、予算会議を経なくても一応有効な(ただし瑕疵が存在する可能性のある)活動費給付決定がなされていることが前提になっていると理解されるので、予算会議は一種の審議会のようなもので、そこに諮問をすることが根拠法令上要求されていると理解される*10


 このように理解すると、今回の美術部に対する活動費給付という行政行為は法定された予算会議への諮問手続を欠いた、瑕疵ある行政行為となる*11。そして、当該行政処分を行った行政庁*12職権取消と言って、職権で当該行政行為の効力を失わせることができる*13。「法律による行政の原理」は、行政行為が違法にされた場合、これを是正することを要請する。そこで、職権取消を認める明文の規定がなくても一般的に職権取消が可能であり、かつ、原則として取消をすべきとされる*14。なお、活動費支給の決定は、裁決等の紛争を裁断する行政行為ではないので、いわゆる不可変更力はない*15


 しかし、補助金の給付のような受益的行政処分等の場合には、行政庁が自ら誤ってした処分を任意に取り消すと、相手方その他関係者の法的地位を不安定にし、信頼を裏切る結果になる*16。取消の効果は原則として遡及するので*17美術部は一度貰えたと思った活動費を失ってしまうから、この美術部の信頼は保護に値するのではないかという問題である。



 確かに、取消し制限の法理が一般に該当すると言われており、受益的処分等の取消しは、国民の信頼や既得権益の尊重を上回る特段の必要性が認められない限り許されない*18。問題は、本事案において、美術部の信頼と、取消の必要性のどちらが重要かということであろう。



 そこで、法治行政と信頼保護に関するリーディングケースである最判昭和62年10月30日判時1262号81頁で検討された諸点*19を参考に検討すると、活動費の予算には上限があり、美術部にだけ申請通りの予算を認めると、他の部活の活動費がその分減額になるという意味で、他の部活との間の平等・公平を犠牲にしても美術部を保護すべき場合か疑問があること、美術部は毎年予算会議を経て予算承認をされてきていることを知っているはずであること、また、美術部は予算申請書どおりの活動費を得ることができる「既得権」を有している訳ではなく、入学者が減少する中、申請よりも減額される可能性が高いことは分かっているはずであることに鑑みると、美術部の責めに帰すべき点は特にないことを鑑みても、取消しを認めていいのではないかと思われる。
 ただ、この点はやはり難しい問題であり、その判断には異論もあり得るところだろう。



3.「部分社会の法理」と判例法理による
 1つの解決策は、かなり「やらせ」的な訴訟だがμ’sのメンバーである矢澤にこ取消訴訟を提起させることであろう。にこは、生徒会から活動費の支給を得ている「アイドル研究部」の部長である*20。ある年の部活全体に対して配分できる活動費の総額が決まっている中、美術部に対する活動費全額支給処分と、いわば競願関係にあるアイドル研究部等の他の部活に対する活動費減額処分は裏表の関係であることから、東京12チャンネル事件*21の法理に基づき原告適格を認めることができるだろう。



 職権取消ではなく取消訴訟を用いることの最大のメリットは、美術部の信頼を考慮しなくてもよいということである。

 職権取消しの限界は、行政が処分を職権で取り消した場合に、処分を信頼した者の保護との関係から論じられる理論である。これに対し、裁判所が違法処分を取り消す場合には、処分を信頼した者の保護という観点から、取消権の限界があるとの発想はない。裁判所の取消権は法治行政一本である。例外は行訴法31条の事情判決である。さもないと、処分の相手方に利益を与える行為を第三者が争うことはそもそもできなくなり、原告適格(これは第三者が出訴する場合にだけ問題になる)という行政法上最も重要な問題も、ほとんど意味がなくなるからである。
阿部泰隆『行政法解釈学I』354頁

 つまり、*22違法な処分であれば裁判所はこれを取消すことができ、この際に、美術部の信頼保護と言う観点を検討することは不要なのである。



 この意味で、この方法はかなり良さげな気もするが、実は結構難しい。それは、「部分社会の法理」があるからである。
 「部分社会の法理」とは、団体の内部規律については、それが一般市民法秩序と直接抵触しない限りは、司法権が及ばないという法理である。国立学校内部の問題はその典型である*23


 ここで、一般市民法秩序と抵触するかという問題は、要するに、団体内部の問題でも、それが名誉毀損等の不法行為に該当するとか、業務に影響を及ぼすとか、一般市民として享有する権利を侵害するという場合にはなお裁判所は審理できるという法理である。この点については、既に響け!ユーフォニアムとの関係で検討したので、興味のある方は、こちらをご参照頂きたい。


「中世古先輩がソロを吹けないのは許せません!」吉川優子の訴えは法的に通るのか〜響け!ユーフォニアムの法的考察 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常


 いずれにせよ、内部における予算分配は通常『一般市民法秩序との抵触』には当たらないと言えるので、裁判所は審理を差し控える可能性が高い。裁判所で審理をしてもらうことはあまり現実的ではないだろう。



 この問題を解決する方法は、職権取消しを前提にむしろ、高松高判昭和45年4月24日判時607号37頁を使うことではなかろうか。
 この事案は、旧軍人の遺族扶助料支給裁定について職権取消をしたという事案である。上記の通り、職権取消の遡及的効力になり、給付時に遡って扶助料は本来全額返還しなければならない。しかし、このような誤って支給された扶助料を、その処分が違法だと知らずに利得した(善意の利得者)として、民法の規定*24を適用して*25取消された時点でまだ残っている利益だけを返還すればよいとしている*26


 本件でも、美術部が既に全額使ってしまっていたのであれば、その後に生徒会がミスをしたとして返還を求めるのはあまりにも美術部に酷だが、まだ使っていない段階で返還を求めるのであれば、それは上記の諸点に鑑みれば正当化が可能だろう。そこで、高松高判の理論を使うことを前提に職権取消をすれば、現行法上最大限美術部と生徒会の利害を適切に調整することが可能ではなかろうか。


 そして、本件で穂乃果はかなり初期にミスに気付いて謝罪しており、部費はまだ使っていないと理解される。そこで、美術部が異議を申し立てたとしても、なお美術部は一度承認された活動費を返金し、減額された新しい活動費に基づき活動しなければならない

まとめ
 予算会議を経ずに承認した美術部への活動費支給は違法であり、行政法上穂乃果は(「既に承認してもらったと信頼して使ってしまいました」という場合には高松高判の法理によって救済することを前提とすれば)これを適法に取り消すことができる。
 ただし、違法・適法の問題と、生徒会への信頼の問題はまた別問題である。穂乃果がしたような、謝罪をし、全ての部が妥協できそうな予算を組んで承認を求めるというのは、行政の説明責任という意味でも妥当な対応と言えよう。

*1:私は映画は見ていますが、本エントリにおいては映画のネタバレを含みません。

*2:国立大学の附属高校として、同大学の学則により設置されている可能性が高いところ、同大学における学則改廃手続を経ることにより廃止をすることが可能だろう。

*3:第1期は、法科大学院の廃校過程を知っているとめちゃくちゃ心にグサグサ来るので、法クラの皆様に特にオススメである。なお、『女性法曹のあけぼの』は、母校の明治大学女子部廃校の危機を救おうとしたOGの奮闘が描かれており、ラブライブとあわせてオススメである。

*4:特に何かを批判する時はエリチの様でありたいものです。ただ、特にCGの時のエリチのダンスは、私の目からは他のμ’sのメンバーとの違いがよく分からないので。。。なお、「響け!ユーフォニアム」の高坂麗奈のレベルの覚悟を持って批判をするのは一般人にはかなり難しいと思われます。

*5:行政機関は生徒会

*6:権利能力なき社団たる「美術部」等を支給の対象とするとの理解もあり得るが、そうすると、権利関係が複雑になるので、今回は分かりやすいよう、「美術部長」という個人に給付するという仮定をしたい

*7:太田匡彦「権利・決定・対価(1)〜(3)」法協116巻2号185頁、3号341頁、5号766頁参照

*8:これは通常立法裁量による。宇賀克也「行政法概説I第5版117頁参照。

*9:補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律は交付決定を行政行為としていると解される、宇賀前掲117頁。

*10:最低賃金法上の最低賃金審議会のような、利害関係人からの意見聴取手続なのだろう。

*11:例えば、審議会の諮問を経ることが法定されている計画立案に関する、「この手続(注:審議会への諮問)が法律上要求されているのに、特段の事由もなくこれを省くことは許されない。諮問を経ずに策定された計画は違法である。」原田尚彦『行政法要論』全訂第7版補訂2版127頁参照。

*12:この場合は生徒会長。但し、上級行政庁の職権取消については争いがある。宇賀前掲358頁参照。

*13:宇賀前掲書358頁

*14:宇賀前掲書359頁

*15:宇賀前掲書351頁

*16:原田前掲書190頁

*17:宇賀前掲書359頁

*18:最判昭和33年9月9日民集12巻13号1949頁参照

*19:同判決は、青色申告の承認の申請をせず、青色申告書を提出した場合について、(1)納税者間の平等・公平を犠牲にしても納税者を保護しなければならないか、(2)税務官庁が納税者に信頼の対象となる公的見解を表示したか、(3)納税者が税務官庁の表示を信頼して行動したことにより経済的に不利益を被ったか、(4)納税者に責めに帰すべき点はないかを検討して判断した。

*20:なお、自分の部の部員であり、かつ後輩である穂乃果に対し、部費増額を頼むとプレッシャーをかけるにこの行為は疑問なしとはしない。

*21:最判昭和43年12月24日民集22巻13号3254頁

*22:上記のとおり、にこに原告適格が認められるという前提において

*23:国立大学の単位認定が司法審査の対象にならないとする、最判昭和52年3月15日民集31巻234頁

*24:民法703条は善意の受益者について「その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う」としている

*25:同判決は「民法703条にもとづいて」と判示しているので、本文中は「適用」と書いたが、行政行為による給付について民法703条を直接適用したというものであれば、疑問なしとはしない。

*26:上記高松高判は、結論として、現存利益なしとして返還不要とした。

中二病をこじらせたら裁判はどうなる? 〜 アイドルマスター・シンデレラガールズ「神崎蘭子」の訴訟法的考察


 7月17日深夜24時00分(シンデレラタイム)からアニメ・アイドルマスターシンデレラガールズの第二期が放映される。それを記念して、デレマスを題材にした法律ツイートをしたところ、一番受けがよかったのが

であった。しかし、神崎蘭子*1厨二病ツイートに反応して下さったフォロワーさんがいらっしゃって、なかなか楽しい会話になったことから、それを膨らませて記事を書いてみることにした。
 もちろん、デレマス1期のネタバレありですので、ご注意ください。


1.はじめに
 346プロ所属の神崎蘭子は、重度の中二病を患っているアイドルである。ゲーム版では同時通訳が付くが、台詞の吹き替えがないアニメ版ではコミュニケーションに苦しんでいる。
 本稿は、神崎蘭子を題材に中二病が訴訟法上どのように扱われるかを検討したい。


2.事例
 デレマスにおける典型的な犯罪は、武内Pによる東京都迷惑防止条例違反のつきまとい行為(「せめて名刺だけでも」)のように思われるが*2、あまり問題視されていないが実は大きな問題は無許可路上ライブであり、基本的には、道路交通法77条1項4号*3に基づき許可が必要であり、道路交通法119条1項第12の4号により三月以下の懲役又は五万円以下の罰金に処される犯罪である(上記迷惑防止条例違反が五十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料なので、迷惑防止条例違反よりもずっと重い犯罪である。)。



 そこで、346プロで路上ライブをした結果、神崎蘭子を含む全員が刑事裁判を受けることになった*4という事例を想定して、神崎蘭子に対する処理を検討しよう。



3.言語の問題
 さて、蘭子の重篤中二病を訴訟法的に分析すると、日本語を話せないという問題になる。


 イメージ的には、罪状認否において

P*5「公訴事実。被告人は、武内某らと共謀のうえ、所轄警察署長の許可を受けないで、平成27年●月●日●時頃から●時頃までの間、東京都●区●●●町目●ー●先道路において、『-LEGNE- 仇なす剣 光の旋律』を歌い、もって奏楽の方法により、道路に人寄せをしたものである。」
J (裁判官)「被告人、あなたには黙秘権という権利があります。あなたは質問に対し、終始沈黙することができます。また答えたい質問に対してだけ答えることもできます。但し、この法廷であなたが述べたことは、有利不利を問わず証拠となるので注意してください。では、お尋ねしますが、今検察官が朗読した起訴状の内容に間違いはありますか?」
蘭子「この紙片に紡がれるは過去の姿(この起訴状はダメだわ。)。
(一同困惑の表情を浮かべる)


 こんな状況が生じ得る訳である。


 裁判所法74条は「裁判所では、日本語を用いる。」と規定しており、裁判所においては下僕達の紡ぐ言霊(日本語)を用いる必要がある。そのために、通訳制度がある。国語に通じない者に陳述をさせる場合には、通訳人に通訳をさせなければならない(刑事訴訟法175条)。
 ところが、彼女の言語を解する者はみりあと武内P(勉強中)しかおらず、しかも二人とも共同被告人である。そうすると、蘭子の通訳者がいないということになる。


4.訴訟能力の問題
 この点も問題であるが、実はもっと大事な問題がある。それは訴訟能力である。
 訴訟能力とは、被告人として重要な利害を弁別し、それに従って相当な防御をすることのできる能力である*6
 このような能力を持たない者を法廷に引き出して裁判をしても単なる「裁判ごっこであって、裁判を受ける権利の保障にもとる。そこで、被告人に訴訟能力が欠ける場合においては、公判手続を停止しなければならない(刑事訴訟法314条1項)*7



 問題は、上記のように重篤中二病の結果、他人とコミュニケーションができないことが訴訟能力の欠缺となるかという点である。



 この点、最高裁は、重度の聴覚障害により意思疎通能力がほとんどない者について*8訴訟能力があると判示したことがある*9。確かに、意思疎通ができるかどうかという問題と、自分で利害を判断して防御ができるかという問題は別の問題であり、意思疎通能力がない場合にそのことだけを理由に直ちに訴訟能力を否定することは適切ではないだろう*10



 もっとも、例えば、刑事訴訟で防御をするということは、「否認するか自白するかを決めてそれを表現する」とか「自己の弁解を述べる」といったコミュニケーションの側面を必然的に伴う。コミュニケーションができないことにより、最低限の防御ができないのであれば、訴訟能力欠缺と言う余地があるのではなかろうか。


 特に、重篤中二病については、精神障害に該当する可能性が高いDSM-V(精神障害の診断と統計マニュアル第5版)という診断基準によれば、社会(実用)コミュニケーション障害(Social (Pragmatic) Communication Disorder)というものがある*11

A.以下の全てで示される、言語的そして非言語的コミュニケーションの社会的な使用の持続的な困難:
1.挨拶、情報の共有といった、社会的な状況で適切な方法での、社会的目的のためのコミュニケーションの使用の欠如。
2.校庭と教室では話し方を変えたり大人相手と子供相手で話し方を変えたり堅苦しすぎる言葉の使用を避けたりするといった、状況や聞き手の要求に合わせて、コミュニケーションを変える能力の欠如。
3.順番に話したり相手が理解できていないところは繰り返し話したり言語的または非言語的なサインで相互作用を調節する方法を知っていたりするといった会話や語りの上でのルールに従うことの困難。
4.はっきりと言われていないこと(例、ほのめかし)、そして、論理的では無いまたは曖昧な言葉(例、熟語、ユーモア、比喩、文脈の理解によって変わる複数の意味を持つもの)の理解の困難。

B.有効なコミュニケーション、社会参加、社会的な関係、学術的な成果、または仕事のパフォーマンスに、その欠陥が単体で、または併せて機能的な限界が生じる。

C.発達の早期に症状が出現している(しかし、社会的コミュニケーションの要求がその能力の限度を超えるまでには、完全には症状が現れないかもしれない)。

D.その症状は他の医学的または神経学的状態、あるいは言葉の構築や文法の領域での低機能によるものではなく、自閉症スペクトラム障害、知的な障害(知的発達障害)、包括的発達遅滞、その他の精神障害でよりよく説明することができない。


 蘭子は、挨拶ですら「闇に飲まれよ」や「眩しい太陽ね」等であり、社会的な状況に応じて適切な方法でコミュニケーションすることができない。武内Pとの関係でも、同僚のアイドルとの関係でも同じ中二病語しか話せていない。更に、自分はホラーな感じではない方がいいといった思いを持っていても、それを相手が理解できない場合には単に頬を膨らませるだけで、言い方を変える等して対応することができない。その結果、仕事のパフォーマンスにおいて機能的限界が生じている。彼女の熊本時代は不明であるが、少なくとも彼女は知的障害や精神遅滞等ではなく、常同行動(同じことを繰り返す)等もないので、自閉症等で説明することもできない。


 すると、蘭子は、単に日本語を話せないだけの人というよりもむしろ、社会(実用)コミュニケーション障害という精神障害者と理解するのが適切である。


 そして、このように理解するのであれば、精神障害のため、起訴状に書かれた公訴事実について自白するのか否認するのかと問われても、「この紙片に紡がれるは過去の姿(この起訴状はダメだわ。)」「私の記憶の泉は枯れ果てたわ…(覚えていません)」等と中二病語しか答えることができない。そこで、最低限の防御をすることもできないとして、刑事訴訟法314条1項を適用し、公判を停止する余地が出て来る。



5.手続打切り?
 更に、名古屋地岡崎支判平成26年3月20日は、手続停止から一歩進んで、手続打切り(公訴棄却)の判決を言い渡した*12。この事例は、被告人が2人を殺したとして起訴されたが、精神疾患のために17年もの長きに渡って公判が停止されていて、回復の可能性がないと診断された。そこで、最決平成7年2月28日刑集49巻2号481頁に千種裁判官が付した、被告人の状態等によっては、手続を最終的に打ち切ることができる*13との補足意見に依拠して、打切りを認めた。打切りを認める理由としては、「公判手続の構造的基礎が失われる」*14とか、高田事件判決*15に照らした迅速な裁判を受ける権利の侵害*16等と色々あり得るが、いずれにせよ、訴訟能力の欠缺が一時的ではなく永続的であれば、訴訟手続を打ち切ることができる可能性がある。


 もっとも、悩ましいのは、特に第13話で分かるように、蘭子の中二病が改善傾向にあるということである。特に、武内Pやシンデレラプロジェクトの仲間への信頼感の向上から当該精神障害の改善傾向が生じたということと理解される。


 このような場合には、まさにしばらく公判を停止して、様子を見るという刑事訴訟法314条1項の趣旨があてはまるだろう。その後、裁判ができる程度にまで改善すれば再開し、回復しないなら手続を打ち切るべきである。


まとめ
 蘭子の中二病は、法的には社会(実用)コミュニケーション障害という精神障害によって適切に防御することができない状況と理解される。
 すると、まずは裁判を停止すべきであり、その後の改善状況を見て裁判を再開するか、それとも打ち切るかが決まる。
 コミュニケーション能力の改善状況を判断するという意味でも、アイドルマスターシンデレラガールズ2期における蘭子の活躍を注視することが必要である。さあ、皆、心してデレマス2期を見るがよい!

*1:デレマスは面白い子が多いのですが、一番私の琴線に触れたのが神崎蘭子です。なお、無印アニメだと千早(8歳)ですね。

*2:「人の身体又は衣服をとらえ、所持品を取りあげ、進路に立ちふさがり、身辺につきまとう等執ように役務に従事するように勧誘すること。」を禁止する東京都公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例7条1項7号違反

*3:及び東京都道路交通規則18条6号

*4:少年法については、私は「熟知」していませんので省略ということで、よろしくお願いしたい。ちなみに、少年法14条2項は「刑事訴訟法 中、裁判所の行う証人尋問、鑑定、通訳及び翻訳に関する規定は、保護事件の性質に反しない限り、前項の場合に、これを準用する。」としている。

*5:検察官という意味でありプロデューサーではない。「プ……プロ……プロセキューター(素直になれない…orz)」というネタを理解できる人は少ないかもしれない。

*6:最決平成7年2月28日刑集49巻2号481頁

*7:同条は「心神喪失」というがそれが訴訟能力が欠けるという意味だとするものとして、最決平成7年2月28日刑集49巻2号481頁参照

*8:それでも手話通訳を介することで刑事手続において自己の置かれている立場をある程度正確に理解して、自己の利益を防御するために相当に的確な状況判断をすることができ、個々の訴訟手続においても、手続の趣旨に従い、自ら決めた防御方針に沿った供述ないし対応をすることができるとして

*9:最決平成10年3月12日刑集52巻2号17頁

*10:なお、「耳や口が不自由で、しかも聾教育を受ける機会がなかったため手話もできず文字も読めない、したがって常識に欠け(または知能が劣るため)、刑事手続が全く理解できないような者などは、訴訟能力がないと解してよいと思われる。」とするものとして寺崎嘉博『刑事訴訟法』41頁参照

*11:https://www.autismspeaks.org/what-autism/diagnosis/dsm-5-diagnostic-criteria参照

*12:補足:本エントリ公開後の名古屋高判平成27年11月16日で破棄・差戻の判断がされ、現在上告中です。 @doublespeaker様、ご教示頂き、どうもありがとうございました。

*13:但し、「手続の最終的打切りについては、事柄の性質上も特に慎重を期すべき」

*14:松尾浩也刑事訴訟法(上)』151頁

*15:最判昭和47年12月20日刑集26巻10号631頁

*16:佐々木史郎「訴訟能力を欠く被告人と手続打切り」法セ401号137頁

「中世古先輩がソロを吹けないのは許せません!」吉川優子の訴えは法的に通るのか〜響け!ユーフォニアムの法的考察


本エントリは、「響け!ユーフォニアム」第11話までのネタバレを含みますので、まだ未見の方は、ぜひご視聴下さい!13話まで筆者は見ていますが、本エントリに関する限り12、13話のネタバレは含みません。



1.響け!ユーフォニアムとは
 「ダメ金」で金賞は取ったものの関西大会への出場権を得られなかった中学時代。マジ泣きするトランペットの高坂麗奈に、「本気で全国行けると思ってたの?」と突っ込んでしまった主人公の黄前久美子は、高校から新たなスタートを切ろうと、中学時代の友達がほとんどいない上、吹奏楽でもパッとしない北宇治高校*1に進学した。ところが、北宇治には、あの高坂麗奈がいた。麗奈は、北宇治に新たにやってきた吹奏楽部顧問の滝昇先生を慕って、吹奏楽の名門校の推薦を断ったのだった。ユーフォニアムをまた担当することになった久美子は、同級生でコントラバス担当の川島緑輝*2や同じく同級生で、吹奏楽は初心者でチューバ担当の加藤葉月らの低音パートの仲間とともに、パートリーダーで三年生の田中あすかの指導の下、全国を目指して練習に邁進する。そんな高校生活を描いた小説・アニメである。個人的には、噂となっている二期が大変楽しみである!


2.ソロパート問題、発生!
 滝先生は、全国大会出場という目標達成のため、55人という大会の出場枠を学年順ではなく、オーディションの結果、つまり実力で選ぶことを決定した。吹奏楽の「華」であるトランペットのソロも、実力主義で選ばれる。
 三年生でトランペットパートのリーダーである中世古香織は、吹奏楽部のマドンナとして、吉川優子*3らに慕われていた。香織は、二年生の時は、部で一番トランペットがうまかった(吉川談)が、学年順という当時の顧問の方針で、たいしてうまくもない(吉川談)三年生がソロを担当し、今年こそソロを吹こうと、頑張って練習を積んだ。しかし、オーディションの結果、高坂麗奈がソロを担当すると発表された。
 これで収まらないのは優子の方である。優子は、麗奈と滝先生が知り合いという噂を滝先生につきつけて、オーディションが不公正ではなかったのか、滝先生に直接問い糾した。滝先生は、親同士が知り合いである関係で、中学時代から麗奈を知っていたことを告白するが、オーディションに不正はないとして、優子の疑惑を突っぱねた。しかし、部内の滝先生に対する不信は広がっていった。そんな中、滝先生の提案で、ホール練習の日に、高坂麗奈中世古香織が全員の前でソロパートの演奏を披露し、どちらがソロにふさわしいかをみんなで決めるという再オーディションをすることになった。


 結果として、再オーディションにおいて、高坂麗奈の演奏を聴いた中世古香織は、技量の差に納得し、麗奈がソロを担当することに決まるが、もし、この決定にも優子が納得しなかったら、どうなるのだろうか? 優子は、裁判でこれを争うことはできるのか?


3.司法審査の限界
 裁判所で争うというのは、国の機関において、裁判官(公務員)等の時間と費用(税金)をかけて審査をするということである。また、裁判所で判断者の役割を果たす裁判官は、事実を認定(証拠から発見)し、法律を適用することに関するプロではあるものの、学問または技術上の知識、能力、意見等の優劣、当否の判断のプロではない。そこで、どのような争いでも裁判所で争うことができるのではなく、「法律上の争訟」(裁判所法3条1項*4)、つまり、「法令を適用することによつて解決し得べき権利義務に関する当事者間の紛争」*5についてのみ裁判所は判断(司法審査)をすることができ、それ以外の訴えは許されない。
 例えば、技術士国家試験の合格、不合格の判定の当否についての訴えは、法律上の争訟に当らず、裁判所で審査することは許されない(最判昭和41年2月8日民集20巻2号196頁)とされている*6
 麗奈と香織のいずれがトランペットを吹くのがうまいのかという問題は、技術上*7の能力の優劣の判断であり、法令を適用する事によって解決はできず、司法審査の範囲外であると考えられる。



4.部分社会の法理
 もう1つの問題は、この決定が、府立高校(の吹奏楽部)内の出来事だということである。
 自律的規範を有する団体の内部における法律上の紛争については、それが一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる場合には、原則として、当該団体内部の自治的、自律的な解決に委ねられるのを相当とし、「法律上の争訟」に当たらないものとして、裁判所の司法審査権が及ばない。これを部分社会の法理という。要するに、議会、学校等の団体では、それぞれの「決まり(校則等)」があり、その団体内部の判断・紛争解決プロセスが存在するのだから、団体内においてなされた判断を裁判所は尊重するということである。例えば、国立大学の単位認定は司法審査の対象にならないとされている*8
 その意味でも、府立高校(の吹奏楽部)という自律的な団体における紛争である、トランペット・ソロにふさわしいのは誰かという問題は、仮に法令を適用する事によって解決できても、裁判所はそれについて判断することを控えるべきであるとも考えられる。


 そこで、二重の意味で、「中世古先輩がソロを吹けないのは許せません!」という問題は、裁判所の司法審査の範囲の外であって、優子がこれを訴えたところで、裁判所はこれを取り上げず、門前払いする可能性が高いのである。



5.判例を追え!
 一見絶望的な状況。法律問題を検討する場合には、よくこのような状況に直面する。ここで諦めるのも1つの選択である。しかし、諦めないという選択肢もある。諦めずに進む場合のヒントは、過去の判例にある。


 まず、部分社会の法理は、「一般市民法秩序と直接の関係を有しない」場合に判断を控えるというものである。一般市民法秩序と直接関係する場合には、裁判所は判断をすることができる。
 この、一般市民法秩序というのは分かりにくい概念であるが、例えば、
・団体の行為が名誉毀損に該当する(ないしは個人の社会的評価を低下させる)場合*9
・団体内部の処分が個人の資格や業務に一定の制約を及ぼす可能性のある場合*10
・一般市民として享有する権利と関係する団体からの除名等の場合*11
 等が該当するとされる。その観点からは、この問題が純粋に「中世古先輩が吹奏楽部内の内部手続としてソロに選ばれるかどうか」だけの問題ではないと言えれば、これを裁判所の審査の範囲に持って行くことができる可能性がある。


 次に、問題となっている紛争の内容が実質的に技術的・技術的な優越に関するものであることに関しても、克服の余地がある。例えば、実質的に芸術家(茶道)の家元が誰かが問題となっている事案において、いずれが家元であるかを判断をするためには、流派、流儀、技能等に対する価値判断をする必要はなく、ただ、当該家元の選任に関する事務的な手続の適否を判断すれば足りるとして司法審査が可能とした事案(大阪高判平成3年2月22日判タ756号204頁)があるように、手続的な内容であれば、裁判所による判断の余地がある*12



6.島根大学事件を「梯子」にする
 このような双方の観点から参考になるのは、島根大学事件(松江地判平成14年3月6日)である。この事件は、要するに、某大学の助教授が教授に昇任できなかったのは違法だとして裁判所に訴えた事案である。
 裁判所は、確かに、教授会が業績(=学術上の優劣)等を踏まえ最終的に教授に昇任できるかを決定することができるとされており、この教授会の決定権について裁判所が審理判断することができず、教授会の決定の当否という問題そのものは「法律上の争訟」に当たらないとした。
 しかし、原告である助教授の請求には、教授昇任手続が適正になされず、そのような適正な手続を享受できなかったこと自体に対する精神的苦痛を理由とした慰謝料請求をする趣旨を含んでいるところ、裁判所はこの精神的苦痛について審理判断することが可能としたのである。


 この「手続の正しさ」というのは、「遠山の金さん」*13とかが好まれている日本社会ではなかなか理解されにくい話なのであるが、(1)正しい手続で判断されなければ、その判断の内容も誤ったものになる可能性があるし、(2)手続自体が正しければ、負けた方も納得し易い等という意味で、純粋に手続の正当性自体にも意味があるのであって、実はかなり重要なものである*14


 本件において、島根大学事件を活用すると、
・滝昇先生によるソロの決定そのものは裁判所は審理判断することができない。
・しかし、ソロの決定の過程が適正になされなかったのであれば、そのような適正な手続を享受できなかったこと自体に対する精神的苦痛を理由とした慰謝料請求をすることができる
・その手続、決定過程の正当性については、裁判所は司法審査をすることができる

 という立場も取り得ない訳ではないだろう。
 

 このように考えると、本件で裁判所が審査すべき問題は、
再オーディションが適切な手続で行われたか
 という点であり、そこに尽きるということになる。


 本件においては、滝先生によれば、2度目のオーディションは「来週全員の前で演奏し、全員の挙手によって合格を決定します」(第10話)という決定方法であった。


 それが、当日突然「両者が吹き終わった後全員の拍手によって決めましょう」という決定方法に変わった。(これ自体を単体で違法というつもりはないが、この事実自体、滝先生が手続を重視していないことを示唆する事情と言える。)


 両者が吹き終わった後香織がいいと言う拍手は、優子と部長(確認できた限り)、麗奈がいいという拍手は久美子と緑輝(確認できた限り)であって、両者一歩も引かなかった。


 このように極端に「投票率」が低い場合、「全員の拍手」という方法が、「全員で聞いて決定する、これなら異論はない」(第10話滝昇発言)からこそ選択されたという観点からは、残り49人(55人−6人)全員に促して香織か麗奈かどちらかを選択させ、全員の決定の形を取るべきであったのではなかろうか。


 それにも関わらず、滝先生は、香織本人にソロパートを吹くかを尋ねるという、当初の手続で示されておらず、かつ、「全員での決定」という当初の方向性とは異なる方法でソロパートを決定した。この点において手続上の違法があったと解釈する余地があるように思われる。


5.当事者適格の欠缺
 このように、香織本人が未だに異議があれば、裁判所に訴え出ることで、手続の違法を主張することができる余地がある。


 しかし、今回香織は納得しており、問題視するのは、「別人」である優子の方である。


 その人の権利が侵害された場合、裁判所に訴え出ることができるのは本人だけである。例えば、恩師の名誉が毀損されたとして、死亡した恩師の名誉回復のための謝罪文の提出を求めた請求について、指導を受けた学生*15であったというだけで原告になって請求することはできないとして請求が棄却された事案がある*16


 香織が納得している限り、いくら大好きな先輩の夢が絶たれたとしても、優子が代わって請求することはできないのだ。

まとめ
 吹奏楽部のトランペットのソロパートを誰が吹くかと言う問題は、原則として司法審査の対象にならない。
 しかし、その決定手続の違法により精神的な苦痛を受けたという請求を立てた場合に、その決定手続の適正について裁判所が審査できると解する余地がある。
 もっとも、そのような請求をできるのは、ソロパートのオーディションに落ちた本人であり、「中世古先輩がソロを吹けないのは許せません!」という優子の思いは、残念ながら、現在の司法制度では通じないのである。





 

*1:京都府立北宇治高等学校

*2:さふぁいやと読む。なお、もう15歳なので、家裁に改名を申請すれば普通に通るだろう。「みどり」という通称も相当程度通用性が高いし。

*3:頭につけた大きなリボンが可愛い2年生。艦これの島風とか咲の天江衣にも似ている。

*4:「裁判所は、日本国憲法に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有する」

*5:最判昭和29年2月11日民集8巻2号419頁

*6:それ以外に法律上の争訟に該当しないとされた例として、スポーツ競技における順位(東京地判平成6年8月25日判タ885号264頁)、2つ以上の研究の前後(東京地判平成4年12月16日判タ832号172頁)、大学の卒業制作の合否(名古屋地判昭和58年3月29日判時1083号61頁)、物理学会が会員の論文を機関誌に掲載するか否か(東京地判昭和56年12月15日判タ470号144頁)、宅地建物取引主任者資格試験の合格、不合格の判定(大阪地判昭和48年7月26日訟月20巻4号81頁)等参照。

*7:もしくは芸術上

*8:最判昭和52年3月15日民集31巻234頁参照

*9:この類型は多いが、最近の高裁レベルのものとして「名誉が侵害されたとする点は、団体内部で生起した問題ではあるけれども、個人の権利侵害の違法性の問題として、市民法秩序の中で判断されるべき事柄である」東京高判平成27年2月12日

*10:例えば司法書士への注意勧告に関する高知地判平成24年9月18日判タ1395号343頁やタクシー協同組合の個人タクシー運転手へのタクシーチケットの換金停止処分等に関する神戸地判平成22年4月22日判タ1337号155頁参照

*11:国公立大学における専攻科修了認定行為は、司法審査の対象になるとした最判昭和52年3月15日民集31巻2号280頁等参照

*12:なお、政党が党員に対してした処分の当否は、当該政党の自律的に定めた規範が公序良俗に反するなどの特段の事情のない限り右規範に照らし、右規範を有しないときは条理に基づき、適正な手続に則つてされたか否かによつて決すべきであり、その審理も右の点に限られるとした最判昭和63年12月20日判タ694号92頁も参照。

*13:適正手続とは全く無縁、むしろ「真逆」の世界

*14:よくある例としては、ケーキをAとBで2つに切り分ける際、「Aが切って、Bが選ぶ」という方法をとれば、もしかすると最終的にAとBのケーキの大きさは違うかもしれないが、AもBも納得できる「適正」な切り分け「手続」だというものがある。

*15:正確には「満州開拓青年義勇隊内原訓練所准幹部養成所第一区隊第一小隊の訓練生」

*16:東京地八王子支判平成1年11月9日判時1334号209頁。なお、訴え却下ではなく請求棄却にしたことには疑問はなしとしない

765プロの高木社長は事務員の音無小鳥にゲームマスターとして接待TRPGを命じてもいいのか?〜iM@S架空法律相談


1.はじめに

 5月に入ってから、まだ半月も立たないのに6本目の更新です(ご挨拶)。


 さて、フォロワー様(@elfte様)から、要旨iM@S架空戦記シリーズにおける高木順一朗社長の行為って、法律的にどうなんですか?」というご質問を頂きました。そういえば、私は、10年前にこのブログでアイマス&法律のネタ記事を書いていたのですが、せっかくのご質問ですので、10年振りにアイマス(派生作品)の法律問題について検討してみたいと思います*1


萌え法学シミュレーション〜法学者マスター - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常


2.事案の概要*2
 音無小鳥は、765プロという弱小芸能プロダクションの事務職員。ある日、高木順一郎社長(愛称「無茶振りに定評のある黒いの」)から、876プロという芸能プロダクションと懇親のためのTRPGに参加することを命じられる。TRPGのど素人である小鳥に対し、PL(プレイヤー)としての参加ではなく、GMゲームマスター)としての参加を強制される。シナリオ作成を含めた準備期間は一晩(!?)。小鳥は徹夜でルールブックを読んで勉強をし、TRPGに参加することとなった。頑張れ、ピヨちゃん!



3.そもそも断れるのか?
 まず、この高木社長の「無茶振り」は断れるのだろうか。もしも高木社長の無茶振りが、使用者による従業者に対する適法な業務命令ということであればこれを断ることはできない、むしろこれに反したことを理由に懲戒等を食らってしまう。そもそも事務員として採用した従業員である音無小鳥ゲームマスターをするよう命じることはできるのだろうか


 まず、業務命令権の範囲は本来的職務のほかに、出張、研修や健康診断、自宅待機などにも及ぶ*3。業務命令権の根拠は労働契約、労働協約就業規則等であるが、まあ765プロはしっかりした会社なので、このような規定が存在することを前提としていいだろう*4


 問題は、音無小鳥が、事務職員であり、ゲームマスターとして採用した訳ではないことだが、この点については、例えば医師有資格者が病院との間に「医者」として働くという職務内容を限定する合意(職務限定合意)がある場合には、一般的な配転命令権限に基づき、例えば経理や清掃等の別の職務を命じることはできないとされている*5。もっとも、音無小鳥はいわゆる「正社員」であり、特に明確に職務が限定されていないように思われる。一般に日本においては労働者の職務内容が個別労働契約で特定されず、また、職務内容の特定されたポストに必要な人員を雇い入れるという慣行もないので、使用者に広範な業務命令権が肯定される傾向にある*6。そして実際に、音無小鳥は、CDデビューまでしている訳である*7。そうすると、音無小鳥妄想力*8を見込んでゲームマスターとしての業務遂行を命じるということ自体は、765プロ(高木社長)の業務命令権の範囲と一応解することができるだろう。


 ただ、業務命令を出せるとの規定があっても、その業務命令が、嫌がらせみせしめ等の不当な目的による場合や、肉体や精神に不当な苦痛を与えるなど、人格権を侵害するような場合には無効とされる*9。本件は、単なる「無茶振り」であって、嫌がらせ目的ではないだろうから、問題は、徹夜での準備等による肉体精神への苦痛であろう。この点、これまでの事例では、危険海域への渡航が、労働者の生命や身体に予測困難な危険をもたらすとして無効とされている*10。しかし、危険海域の渡航等と比べるとその危険の程度が大きいとは必ずしも言えず、翌日にTRPG懇親会が控えていて、今準備してもらわないと間に合わないという点*11に鑑みると、これをもって無効な命令とまでは言いがたいのではなかろうか。



4.業務なの?
 ゲームマスターとしての活動が、このように会社の適法な命令に基づくものであれば、その活動は「業務」ということになるとも思われる。しかし、この問題はそう単純ではない。上司に言われて得意先の人と接待ゴルフや麻雀をすることがあるだろうが、こういう場合にタイムカードを押したり残業代を請求するということは普通はないだろう。そこで、その行為が業務として判断されるのかという問題は、命令の効力とは別の問題として判断する必要がある。


 ここはちょっと分かりにくいので、1つの事例を出そう*12取引先とのゴルフコンペへの移動中に事故にあった労働者の遺族が、これが業務中の災害であって労災であるとして遺族補償給付等を請求した事案であるところ、裁判所は、ゴルフコンペは親睦目的の会合であるとした上で、

親睦目的の会合ではあつても、右会への出席が業務の追行と認められる場合もあることを否定できないが、しかし、そのためには、右出席が、単に事業主の通常の命令によつてなされ、あるいは出席費用が、事業主より、出張旅費として支払われる等の事情があるのみではたりず、右出席が、事業運営上緊要なものと認められ、かつ事業主の積極的特命によつてなされたと認められるものでなければならないと解すべき

 と判断した。要するに、親睦会的な会合への参加が業務になるためには、事業の運営上の必要性と、上司の積極的命令が必要であり、単に上司が親睦目的の会合に参加するよう命じただけでは足りないということである。すると、内容が親睦目的の会合であるTRPGの集いについては、単に上司(高木社長)の命令があったというだけで、それが必ず業務になるということではないように思われる。特に、TRPGの過程においてほとんど業務の話は出てこない訳であり、事業の運営上、TRPGを行う必要性は低そうである。少なくとも、小鳥以外の765プロ所属のアイドル達(プレイヤーとして参加している参加者)については、それがプロデューサー等の命令によるものであっても、業務ではないと理解することが適切なように思われる。



 もっとも、最近の裁判例を見ると、いわゆる接待等をしている時間について、これを業務時間だと認めるものが出てきている。例えば、いわゆる過労死事案の判断において接待時間が時間外労働時間かが問題となり、酒も飲めず会食や接待が苦手であったが業務の必要があると判断して接待や会合に参加していたこと等を理由に結果的には接待が業務として認められている事案がある*13。この他にも、接待を業務としたものに、東京地判平成15年9月24日判タ1181号225頁*14があり、懇親会の幹事的雑用を業務とみているらしい裁判例*15、ゴルフコンペの幹事としてゴルフや麻雀をこなすこと等も業務と見ているらしい裁判例もある*16。なお、上記の前橋地判と類似した事案で、業務性が認められた事案もあるそうである*17


 加えて、少し古いが、「単なる懇親を主とする宴会は、その席において何らかの業務の話題があり、また業務の円滑な運用に寄与するものがあったとしてもその席に出席することは、特命によって宴会の準備等を命ぜられた者、又は、出席者の送迎に当たる自動車運転者等のほかは原則としてこれを業務とみることはできない」という労働局の裁決がある*18



 音無小鳥は、(少なくとも「無茶振り」をされた当初は)特にTRPGが好きな訳ではなく、参加の理由はひとえに高木社長の命令によるものである。また、プレイヤーとしての参加ではなく、ゲームマスターとしてTRPGの準備をし、参加者のためにサービスを提供している。そこで、懇親としての側面が強い会合であるものの、業務性をいわば例外的に認める余地があるように思われる*19



 小鳥が行うGMとしての活動及びその準備作業が業務であることの帰結は、これが労働時間ということである。徹夜でゲームの準備をしている時間*20はもちろん、TRPGのプレー時間も労働時間である。高木社長残業代を請求できる! これは、プレイヤーとして遊んでいるアイドル達とは異なる扱いであり、プレイヤーの場合には、原則通り業務ではなく労働時間でもないと考えるべきであろう。


 また、業務性があるということは、必要な経費は会社が出すべきことになる。例えば、ソード・ワールドのルールブックは会社から支給されているが、これは業務である以上当然であろう。


 更に、このような慣れない業務を行ったために、精神を病んだり、病気になった場合には、労災の可能性がある。何しろ、素人にゲームマスターをやらせるなんていうのは「無茶振り」以外の何者でもなく、高木社長は使用者としての安全配慮義務を果たしていないと解される可能性が高いだろう。iM@S架空戦記シリーズではそのような悲惨な結果にはなっていないが、現実にはそういう場合もあり得るので留意が必要であろう。

まとめ
 素人にゲームマスターをさせるよう命じるという「無茶振り」を法的に検討すると、いわゆる職種が限定されていない正社員に対する「無茶振り」も、業務命令として有効である可能性が高い。
 そして、一般に上司の命令であっても、取引先等と懇親を行うことは業務ではないと解されるが、自分が懇親をするというよりも、他人が懇親できるようゲームマスターとして準備し・奉仕するということであれば、例外的に「業務」と解される可能性がある。
 いずれにせよ、こんな無茶振りをして精神を病んだり、病気になった場合には、労災として責任を問われる可能性が高い。「無茶振りに定評のある黒いの」は、765プロが「ブラック企業」という汚名を着ることがないよう、自重すべきであろう。さもなくば、961プロの黒井社長を諌める資格はないだろう。

*1:なお、基本的にはアイマスアニメ+劇場版、デレマスアニメくらいを見ているという程度のアイマス初心者が書いているので、細かい点はお許し下さい。一番好きなのはアイマスだと千早(8歳)、デレマスだと蘭子です。

*2:とりあえず、典型的な「小鳥さんのGM奮闘記」をベースに事案を作りました。

*3:水町「労働法」5版115頁

*4:最判昭和61年3月13日労判470号6頁参照

*5:荒木「労働法」2版351頁参照

*6:荒木「労働法」2版252頁

*7:某クラブでも時々歌っている訳ですし

*8:ちょっと妄想の方向がBL気味に振れているところはゲームマスターの適格性と言う意味では疑問がないでもないが、まあこれは一応捨象しましょう。

*9:水町「労働法」5版115〜116頁

*10:最判昭和43年12月24日民集22巻13号3050頁

*11:そもそも、その前に伝えるのを忘れていたという問題はあるとしても。なお、日本はいわゆる36協定と残業についての根拠規定があれば(水町「労働法」5版271頁)24時間(正確には休憩時間を除く23時間)働かせられる国である(水町「労働法」5版50頁)。

*12:高崎労働基準監督署長事件・前橋地判昭和50年6月24日訟月21巻8号1712頁

*13:大阪地判平成23年10月26日労判1043号67頁。「確かに、一般的には、接待について、業務との関連性が不明であることが多く、直ちに業務性を肯定することは困難である。しかし、亡太郎が行っていた顧客等との接待は、〈1〉顧客との良好な関係を築く手段として行われており、本件会社もその必要性から、その業務性を承認して亡太郎の裁量に任せて行わせていたこと、〈2〉本件会社が協力会社に甲の取引を獲得ないし維持するため、工期の短い工事等の無理な対応をお願いする立場であったため、乙、丙、丁、戊等の協力会社に対してその必要性があったこと、〈3〉亡太郎が前職当時から付き合いのある人脈を利用して営業の情報を収集したり、根回しをし、そのために顧客とコミュニケーションをとることによって問題の解決に当たっていたこと、〈4〉亡太郎が大阪事務所長として必要と判断したものであって、本件会社にとって有益で、必要な業務の一部であったこと、〈5〉亡太郎の後任である乙山春夫もその職責を全うするため重要であると認識していたこと、〈6〉会議終了後等に行われる場合、取引先(甲)関係者との間で、全体の保全会議では議題にしにくい個別の技術的な問題点をより具体的に議論する場であったこと、〈7〉甲関係者にとって、技術的に詳しい亡太郎から本音で込み入った技術的な話を聞く場として、会議終了後の会合を位置付けていたこと、〈8〉亡太郎にとって、得意ではなく、酒も飲めないため、会食や接待が苦手であったところ、業務の必要があると判断して、周囲に気付かれないように接待や会合に参加していたこと、〈9〉その費用を本件会社が負担していたところ、大阪事務所の接待費の月額枠は二〇万円であったが、実際の亡太郎の接待はこれに収まるものではなく、それを超える額についてもケア(保全)やインプリ(建設)の経費処理を行っていたこと、〈10〉週に五回くらいあり、平成一七年に亡太郎から本件会社経理部に対して請求された交際関係のレシートは九か月間で四八回分に及んでおり、亡太郎死亡後、更に五二枚のレシートが発見されたことから、本件会社は原告に対して二〇〇万円を超える金員を交際費として会社経費で清算していることがある。以上の事実を踏まえると、亡太郎が甲の関係者等との飲食は、そのほとんどの部分が業務の延長であったと推認でき、同認定を覆すに足りる証拠はない。」

*14:「接待が行われた日について、原告が研究所を訪問した客を接待する場合、敷地内にある施設「三井クラブ」を利用するのが通例である(証人P7、弁論の全趣旨)ところ、甲111(P2が事後に同僚らから独自に聞き取り調査した結果を記載したノート)の9〜15によれば、昭和62年10月以降で「夜三井クラブ」と記載のある日は、10月が2日、11月が1日、12月が3日、合計6日となっている。他方、会社が労働保険審査会に提出した昭和63年8月23日付けの「お客様等との会食出席状況」(乙41)によると、10月6日、10月8日、10月12日、10月21日、11月13日、12月23日、12月29日(仕事納め)の7日となっており、日数においてさほど差異がないため、乙41に従い、上記の日に接待が行われたと認める。ただし、12月29日については仕事納めなので(甲112)、接待のあった日とはしない。なお、原告は、このほかにも、自己が統括する各グループの忘年会や新年会に参加したり、退勤後部下と飲食することが多くあったが(甲68、証人P7)、これら懇親会的なものは業務とは関係がないから、労働時間とすべきではない。」

*15:大阪地判平成20年5月26日労判973号76頁

*16:名古屋地判昭和56年9月30日労判378号64頁の、特に「その外に秀夫が具体的に担当していた仕事のうち主なものに次のようなものがあった。」参照。

*17:東京労働基準局・労災保険審査官平成9年3月11日

*18:労働局裁決昭和45年6月10日

*19:まあ、その後小鳥自身も楽しむようになっているというのはあるが、仕事を楽しんだからといって仕事ではなくなる訳ではないとは言えるだろう。

*20:深夜労働かつ残業なので、更に割増率がアップする。