アホヲタ元法学部生の日常

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なぜ、執事は密室でお嬢様を罵るか?〜「謎解きはディナーのあとで」の法的考察

注:本エントリは、いつもどおり「謎解きはディナーのあとで」のネタバレを含んでおります。お気をつけください。

謎解きはディナーのあとで

謎解きはディナーのあとで


1.「謎解きはディナーのあとで」とは
  お嬢様刑事宝生麗子は、どんな難事件でも、一晩で真相を解明すると評判である。
 しかし、真実は、毒舌執事影山に侮蔑されながら、謎を解いてもらっていたのだった。
 そんな、二人のやりとりを描いた安楽椅子探偵物のライトな推理小説、これが「謎解きはディナーのあとで」であり、近時、本屋大賞にも選ばれた。
  

 ここで、法律学習者の目から同書を眺めると、執事の毒舌が侮辱罪に当たるんじゃないのかという疑問が生じる。 影山は、麗子に逮捕されるのではないか??



2.毒舌と侮辱の間
 刑法第231条は侮辱罪を定める。

刑法第231条  事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、拘留又は科料に処する。


  侮辱罪とはどういう犯罪か。その本質を理解するためには、名誉毀損罪(刑法230条)と合わせて読むのが望ましい。

刑法第230条 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。


人は生きていく過程で、何らかの「社会からの評価(社会的評価)」を獲得している*1。例えば、どんな難事件も、一晩でたちどころに解決する名刑事といった評価である。ところが、「実は執事に謎を解いてもらっており、自分一人では問題を解決できない」などということが公になれば、社会が当該刑事に対して与える評価は著しく下がってしまう。
(学説上争いはあるが)名誉毀損罪や侮辱罪は、このような社会的評価を守ろうとしたものである*2


 ところで、社会的評価を守るために、なぜ名誉毀損罪と、侮辱罪の二つの規定が必要か。それは、社会的評価を傷つける「態様(やり方)」に二種類のものがあるからである。
 一つが、「事実を摘示する」方法であり、何らかの社会的評価を下げるような事実を具体的に指摘する場合である*3。このような態様の場合には、名誉毀損罪によって社会的評価を保護する。
 もう一つが、「事実を摘示しない」 方法であり、単に「馬鹿」「阿呆」「売国奴*4」というだけで、具体的な事実を示していない場合である。このような態様の場合には、侮辱罪によって社会的評価を保護する。


 条文をもう一度みていただきたい。名誉毀損罪は3年以下の懲役(若しくは禁錮又は50万円以下の罰金)という比較的重い刑*5である。これに対し、侮辱罪は拘留*6又は科料*7に過ぎない。
 このような刑の重さの差異は、侮辱の場合、具体的な事実が指摘されていないから、名誉に対する危険性が低いところにあると説明される*8。つまり、「あの刑事は無能」と*9言う場合、確かにそのことにより、多少は社会的評価が害されるが、害される程度は低い。これに対し、事実を摘示した場合、例えば、「実は執事に謎を解いてもらっており、自分一人では問題を解決できない」という事実が公けになれば、これによる社会的評価の低下は大きいだろう。だからこそ、法は、具体的事実を指摘する、名誉毀損罪を重く罰する
 

 ここで、影山は、自分が簡単に解ける謎を麗子が解けない場合に、以下のようにして麗子を貶める。

お嬢様はアホでいらっしゃいますか?
東 川篤哉 「謎解きはディナーのあとで」26頁

ひょっとして、お嬢様の目は節穴でございますか?
東 川篤哉 「謎解きはディナーのあとで」75頁

それでもお嬢様はプロの刑事でございますか? 正直、ズブの素人よりもレベルが低くていらっしゃいます
東 川篤哉 「謎解きはディナーのあとで」113頁


 これらの影山の発言は、具体的な事実を指摘していないから、名誉毀損罪には当たらないが、社会的評価を傷つける行為、つまり「侮辱」行為と言える。
 なお、いわゆるワトソン役の常道として、確かに麗子が推理力が低く、影山の指摘が真実であることは否定できない。しかし、侮辱の内容が真実であっても侮辱罪は成立するというのが判例である*10


3.「公然」性の欠如
  ところで、このような侮辱行為は、どこで行われているか。それは、麗子の自宅や影山が運転する車内である。つまり、侮辱発言を聞いているのは麗子だけで、他に人はいない。
  刑法321条は、「公然と人を侮辱」した者を罰する。つまり、侮辱罪が成立するためには、公然性が必要であり(320条も同じである)、不特定の人、または多数の人が認識できる状態で侮辱しなければならない*11
  そう、密室で麗子だけを相手に侮辱しても、民事上の効果*12はともかく、刑事罰は課せられないのである。
  

 執事影山が、なぜ*13現場に出ずに安楽椅子探偵  をやっているのか? それは、お嬢様である宝生麗子に対する侮辱発言が、刑法の侮辱罪に問われないようにするためだったのである!

まとめ
  謎解きはディナーのあとでは、今まであまり推理小説に縁のなかった人に気楽にミステリに触れてもらえるという意味があるだけではなく、「侮辱罪の構成要件」についても考えさせるミステリーである。本屋大賞、おめでとうございます。

*1:評価の程度は人によるでしょうが・・・。

*2:名誉毀損罪について大判昭和8年9月6日刑集12巻1590頁、侮辱罪について大判大正15年7月5日刑集5巻303頁

*3:大塚他「大コンメンタール刑法12巻」19〜20頁

*4:阪高判昭和30年3月25日裁特2巻6号180号

*5:上限が2年の証拠隠滅罪よりも重いんです。

*6:30日未満刑事施設に拘束する。刑法16条

*7:千円以上1万円未満を支払わせる。刑法17条

*8:判例・通説。大塚他「大コンメンタール刑法12巻」63頁

*9:事実を摘示せずに

*10:大塚他「大コンメンタール刑法12巻」66頁。なお、上記大阪高判昭和30年3月25日裁特2巻6号180号は、巡査を具体的に批判し、左の者は売国奴につき注意せよという壁新聞を掲示した事案につき、確かにその批判の内容は真実なので、刑法320条の2により名誉毀損罪は成立しないが、侮辱罪が成立するとした。

*11:名誉毀損罪の公然性についてのものだが、最判昭和36年10月13日刑集15巻9号1586頁参照

*12:不法行為であるとか、解雇理由になる等

*13:不特定多数の人がいる

セイルーン王国とソヴュール王国の国際法上の地位〜GOSICKと国際法

本エントリはタイトルからして「ゴシック」第8話までのネタバレを含んでおります。予めご了承下さい。なお、本日発売のGOSICK第7巻のネタバレは含んでおりません。

1.GOSICKとは〜うれしい再開
今年連載が再開されたライトノベルと言えば、最も有名なのは言わずもがな、涼宮ハルヒシリーズであり、嬉しさのあまりエントリを書いてしまった程である*1
 しかし、忘れてはならないのが、桜庭一樹先生のGOSICKである。桜庭先生の本は、直木賞受賞作の「私の男」、第60回日本推理作家協会賞長の「赤朽葉家の伝説*2」、富士見ミステリー文庫で出版され、熱狂的人気の余り単行本化もされた「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない*3」等代表作は多いが、なんといってもGOSICKである。


 時は1924年第一次世界大戦後のヨーロッパ。フランス、イタリア、スイスと国境を接するソヴュール王国には、聖マルグリット学園という貴族の子弟の為の寄宿学校がある。ひょんなことから聖マルグリット学園に留学することになった帝国軍人の三男である久城一弥が、少女ヴィクトリカと共に難事件に遭遇する。そんな物語である。


富士見ミステリー文庫で2003年から2007年まで刊行され、みんなが続編を楽しみにしていた*4が、その後5年近く音沙汰がなく、あきらめかけていたところで、アニメ化と再開の知らせである。角川文庫の新装版をそろえて待ち望むのは、まさに因果の流れである*5本日(25日)、第7巻「薔薇色の人生」が発売された
  残念ながら*6今季のアニメの話題No.1は魔法少女まどか☆マギカにさらわれてしまったが、GOSICKは、アニメも小説も安定した面白さである。


2.「村長」のビックリ発言
 アニメ第6〜8話、小説第二巻は、灰色狼の「村」と言われる山奥の寒村で行われる「夏至祭」と呼ばれる祭りにヴィクトリカと久城が参加する話である。
 知恵の泉からカオスを再構成し、シオドア前「村長」を殺したというヴィクトリカの母親(コルデリア)の濡れ衣を晴らしたヴィクトリカ。しかし、別にいた真犯人が白日の下に
  前村長を殺したのは、6歳の頃のハーマイニアであった。前村長がハーマイニアに対し、「26歳で死ぬ」と予言したことから、未来を変えようとして殺したのである。
  セルジウス村長は、ハーマイニアが自白すると、助手のアンブローズにハーマイニアの処刑を命じ、ブロワ警部を驚かせた。

「ここはセイルーンだ。セイルーン王国なのだよ。わたしも村長ではなく、国王ということだ。我々はそもそも種族が違うのだよ・・・・・わかるかね、君に?」
(中略)
「アンブローズ、この者の首を打ち落とせ!」
「・・・・・・・えっ?」
言われたアンブローズが大きく口を開けた。セルジウスは大声で続けた。
「罪人の首は打ち落とす、もともとそういう風習だった。大きな罪をおかす村人がいなくなり、すたれてはきたが・・・・。わしもおまえの歳のときには、罪人の首を斬る仕事をしたこのだ」
後ろのほうで聞いていたブロワ警部が、あわてて前に出てきた。
「あの、セルジウスさん。もう一度言いますが、デリクはわたしが逮捕して警察署に連行します。そしてこの娘さんの罪は時効が成立しています。首を落とせば、今度はこっちの若者がソヴュール警察から殺人罪に問われます。そして村人が黙認すれば殺人幇助*7に・・・・・
ここはソヴュールではない!」
(中略)
「ここの掟だ。ハーマイニアはシオドア様の予言どおり、二十六歳で死ぬのだ
桜庭一樹「GOSICKIIーゴシック・その罪は名もなきー」282頁以下、315頁以下。アニメ版第8話も同旨

 
  さて、実際のストーリーでは、アンブローズはこの命令に従わなかったが、命令に従っていればどうなっただろうか*8

 
3.私刑と村八分を違法とする裁判例
  近代国家形成後は、司法権中央政府に集約された。ブロワ警部が言うように、村で行われた犯罪でもソヴュール王国裁判所でソヴュール王の名の下に裁くということである。
  このような中央政府から見れば、勝手にハーマイニアを殺してしまうのはいわば「私刑(リンチ)」であり、到底許容できない殺人事件ということになる。
 日本では、このようはコミュニティーによる私刑事例*9についての判例はあまりないが、村八分行為を違法とした裁判例もある*10


4.ソヴュール王国とセイルーン王国の国際関係
 しかし、これは、あくまでも「名もなき村」で起こった出来事がソヴュール王国の国内問題の場合である。これが国際問題となれば話は全く異なる。つまり、国際関係における大原則たる、内政不干渉の原則のため、基本的には別の国が変なことをやっていても、文句は言えないのである
 

(1)セイルーン王国は「国家」か!?
  国際法上の主体となるためには、国家でなければならない*11。セイルーン王国はどの国とも国交はなく、どの国もセイルーン王国を国と認め(国家承認)ていないものの、現在の多数説は、国としての要件さえ満たせば、誰にも認められなくとも、内政不干渉を含む最低限の国際法の権利を有するとするのである(宣言的効果説*12)。では、セイルーン王国は国家としての要件を満たすか
  国家の要件は(1)恒常的住民*13(2)領土*14(3)政府(4)外交能力と言われる*15である。基本的に、「名もなき村」には、住民も領土もあり、村長(国王)と助手が構成する「政府」もあるといってよいだろう。問題は、外交能力である。


  ヴィクトリカは、「異端審問と魔女狩り」によって迫害されたセイルーン人がバルト海からソヴュールに追われ、山奥にひっそりと住むようになったと述べる*16。そして、セイルーンであることは、「けしてそれを言ってはいけないと。その名も口にしてはいけないと。なぜなら迫害され、焼き払われてしまうからと...*17」されてきた。
 このように、ソヴュールとは別の国であることを隠している以上、セイルーン王国に外交能力はないと言わざるを得ないだろう。
 セイルーン王国が「国家」というのは辛いと言わざるを得ない。


(2)民族自決
   ここで、注目すべきは、我々はそもそも種族が違うのだよという村長(国王)の発言である*18。セイルーン人は、波打つ金色の髪に、白い肌。薔薇色の頬に、小さな体。全員、判で押したように同じような容姿*19という生物学的特徴を持つ。また、中世そのままという文化の違いに鑑みると、かかる「種族」は、単なる比喩ではなく、国際法的にはソヴュール人と異なる民族ということだろう。すると、セイルーン人の民族自決が認められないか?
  

 ここで、国際法民族自決(人民の自決権等とも)には難しい問題があり、植民地化された人民の「自決」(外的自決)は認めるが、国内少数派の分離運動は認めないという微妙な方向性が見られるのでこの点に簡単に触れたい。


 自決権とは、全ての人民が、その政治的地位を自由に決定し、その経済的、社会的及び文化的発展を自由に追求する権利(国連人権規約共通第一条)である。ナミビア事件や西サハラ事件に関する国際司法裁判所の勧告的意見は人民の自決権は法的権利とみなされるとした。
  民族自決の思想は18世紀の啓蒙期自然法思想にその萌芽的形態をとり、民族自決の思想は、その後、19世紀のヨーロッパにおける民族国家形成の指導原理となった*20。第一世界大戦後、レーニンとウィルソンが民族自決を訴え*21、この影響下で、エストニアオーストリアチェコスロバキア等が独立した。つまり、本来自決権を持つ各民族は自分らで自分たちを統治できるはずが、植民地等で従属下の抑圧されたのだから、かかる自決権を実現するため、宗主国(支配者)から独立できるという発想で、現実に多くの独立国が生まれたのである*22。1960年の植民地独立付与宣言が、外国による人民の征服、支配および搾取に従属する住民は無条件に完全な独立を達成すべきとしたのは、この外的自立権を象徴的に示す
  これに対し、いわゆるマイノリティと言われる「既存国家内の少数派」については、「現国家の枠組みの中で」人民が、その政治的地位を自由に決定し、その経済的、社会的及び文化的発展を追求すること(内的自決)が認められているに過ぎない*23。つまり、単なる少数派に分離独立権はないのである。これは、全ての国にマイノリティがいるので、全てマイノリティに独立権を認めるのが現実的でないことから、基本的には少数派を平等に扱おうといった一つの国の中での尊重が認められるに過ぎないということである。
  では、セイルーン王国とソヴュール人民関係は、内的自決の問題か外的自決の問題か。ここで、ソヴュール王国の領土にセイルーン王国の人民が逃亡してきたという理解であれば、セイルーン人は単なる内国マイノリティであり、内的自決の問題になる。つまり、ソヴュール王国内の政治過程においてその自決権を行使できるだけということになる。
  しかし、少なくとも現在のセイルーン王国区域(名もなき村)は、セイルーン人が逃げてきた際に、ソヴュール王国領だったのか
  ソヴュール王国が当該領域を既に実効的占有していたのであれば、「先占*24」ということで、ソヴュール王国領となる。
 ここで、実効的占有とは、「その権力の規則的行使を確保するのに十分な地域的行政権を設定」することとされる*25


 ここで、ヴィクトリカの以下の説明に着目しよう。

ソヴュールに逃れた彼らは、みつかるたびに村を焼き払われ、さらに森の奥に追われて行く。やがて、子孫の数は減り、伝統と古い村だけが残った。
桜庭一樹「GOSICKIIーゴシック・その罪は名もなきー」349頁

 森の中でも、権力の規則的行使を確保できていれば、移動してきた民族を焼き払う。しかし、この世ならざる場所に迷い込んだような*26深い深い森の奥、馬車で最寄りの村からもどれくらいの時間走ったかと言われる場所*27に至っては、ソヴュール王国の実効的占有がなかったのだろう。そして、実効的占有がなかったからこそ、「名もなき村」だけは焼き払われず、今も中世の姿を残すのであろう。このように考えれば、少なくとも「名もなき村」の領域においては、セイルーン人が「先住民」と言える。つまり、外的自決の問題なのだ。いわゆる「植民地」でなくとも、自らの意に反して外国の抑圧的支配下に置かれた住民、特に先住民も外的自決については植民地と同じように捉えられる*28という指摘は重要である。
 ソヴュールにおいて国土の開発が進み、麓の村ができると、ソヴュール人も「名もなき村」と接触するようになった。セイルーン人の知略か、もしくはその頃には魔女狩りと異端審問の波も収まっていたのか、ソヴュール人はセイルーン人を焼き討ちにまではしなかった。しかし、ソヴュール人がセイルーン人の村を焼き払い、迫害してきた歴史から、セイルーン人はその村がセイルーン王国であると名乗ることもできず、ソヴュール人であるというアイデンティティを対外的に主張することもできなかったのである。これも一種の「意に反する外国の抑圧的支配」と言えよう。実際、セイルーン人がセイルーン王国を名乗って外交活動ができないのはまさにそのような抑圧のせいであり、かかる抑圧の度合は、植民地支配にも比肩し得る
 よって、セイルーン人には植民地民と同様、ソヴュール王国から分離独立する権力が認められる


(3)非自治地域の自治権
  では、外部的自決権が認められるが、まだ独立していない人民はどのように扱われるのか。この点については、自治地域の取り扱いが参考になる。
 非自治地域というのは、人民がまだ完全には自治を行うにいたっていない地域をいう*29
 非自治地域(この場合「名もなき村」)については、自治地域の施政国(この場合ソヴュール王国)は、以下の義務を神聖な信託として受諾する義務を負う。

a 関係人民の文化を充分に尊重して、この人民の政治的、経済的、社会的及び教育的進歩、公正な待遇並びに虐待からの保護を確保すること。
b 各地域及びその人民の進歩の異なる段階に応じて、自治を発達させ、人民の政治的願望に妥当な考慮を払い、且つ、人民の自由な政治制度の漸進的発達について人民を援助すること。
c 国際の平和及び安全を増進すること。
d 本条に掲げる社会的、経済的及び科学的目的を実際に達成するために、建設的な発展措置を促進し、研究を奨励し、且つ、相互に及び適当な場合には専門国際団体と協力すること。
e 第12章及び第13章の適用を受ける地域を除く外、前記の加盟国がそれぞれ責任を負う地域における経済的、社会的及び教育的状態に関する専門的性質の統計その他の資料を、安全保障及び憲法上の考慮から必要な制限に従うことを条件として、情報用として事務総長に定期的に送付すること。
国連憲章73条より

 ここで、この非自治地域に認められるべき「自治」の程度は高い。「自治」は独立を排除しないとされ*30、植民地独立付与宣言により、「非自治地域、またはまだ独立を達成していない他の全ての地域」において、その人民が「完全な独立と自由を享受」するため、早急な措置を講じるべきとされている*31


 セイルーン王国の人々は、上記のとおり、独立を排除しない高度な自治が認めるところ、「何を犯罪としどのよう刑を課すべきか」は自治において極めて重要である。例えば、共産主義の施政国内の一部地域で自治を認める」と言いながら、共産党以外の思想を持つと刑罰を課す法律が適用されたのなら、「自治」の意味は何らない。。
 とはいえ、確かに、自治といっても、「何をやってもいい」のではない。デモをしているだけの人を空爆する等、非人道的行為をすれば、国家間ですら人道的介入としていわば内政干渉が正当化される。そこで、名もなき村がやっていることが、そのような刑事手続の範囲を著しく逸脱するものであれば、もはや自治権は及ばないと言われてもやむを得ないだろう。
 しかるに、セイルーン王国は時効についてはかなり長期間でいいという態度を取った上で、刑罰を課すための「責任」については悪いことと分かってさえいれば十分という発想に基づき、本人の陳述*32を聞いて刑を課す仕組みであると思われる。これは少なくとも20年前の行為を時効とし*33、子供の行為に死刑を課さない*34というソヴュール王国とは異なる発想である。しかし、日本だって今は殺人罪の時効は廃止された*35。また、責任年齢をどこに定めるかは各国で異なり得るし、日本でも行為時少年処罰時大人*36という被告人が死刑に処せられている*37。つまり、セイルーン王国の制度が、政策的に妥当かはともかく、刑事手続の範囲を著しく逸脱したとは言えないだろう。


 よって、 少なくとも、名もなき村( セイルーン王国)がその自治権の行使として、当該領域内で起こった村人同士の刑事事件*38村の掟(セイルーン王国刑法)に従って処罰するというアンブローズの行為は、ソヴュール王国において「殺人」とは問疑されてはならないー。これを殺人罪とすれば、これはセイルーン人民の自治権侵害となるだろう*39

まとめ
  名もなき村(セイルーン王国)には広汎な自治が認められる
「勝手に国名をつけて山奥に住まれてもだね、話にならないだろう。ここはソヴュールの国土なのだから。まったく頭のおかしいやつらだよ。*40」というブロワ警部の方が、民族自決権を正しく理解していなかったのである。

*1:鬱屈しまくっている愛情表現ですみません。もし涼宮ハルヒの驚愕が発売されなかったら〜前後編&シリーズ物の途中終了と法律関係 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常

*2:

赤朽葉家の伝説 (創元推理文庫)

赤朽葉家の伝説 (創元推理文庫)

『赤朽葉家の伝説』とダイイングメッセージの信用性 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常で取り上げさせていただきました。

*3:

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない (富士見ミステリー文庫)

砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない (富士見ミステリー文庫)

実は個人的には桜庭先生の一巻完結作品ではこれが一番好きです。漫画版も雰囲気が漂ってきていいです。

*4:人によっては待ちきれずドイツ語版を買ってしまう人もいただろう・・・って自分だけでしょうか?

*5:ただ、新装版って、巻頭/文中イラストもなければ、狛犬トーク等が炸裂する桜庭先生の後書きもないってのは痛いです。そこで、ビーンズ文庫でイラスト入りを出すと言われればもちろん、買います。彩雲国とかで経験済みなので、もう羞恥心なんてなくレジに出せますし(彩雲国物語と労働法〜冗官一斉解雇の適法性 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常)。ただ、なんとなく有斐閣商法(NOT有斐閣「商法」)を思い出しましたが。

*6:まどマギ信者化してしまっているので個人的・主観的には「残念」といえるかはやや考え込んでしまうところではあるが

*7:ここは、殺人が行われるのを止める作為義務があるかの問題であり、作為義務なく幇助否定という説の方が有力でははいか。むしろ村人みんなでかくまうことを犯人隠避罪ととらえられないか検討するということになろう。

*8:BPOに苦情が殺到するといった「事実」上の話ではなく、「法律」の問題です。

*9:反社会性勢力の私刑事件はあるが、本件ではあまり参考にはならないだろう。

*10:例えば、村八分が人格権を侵害する共同不法行為とした津地判平成11年2月25日判タ1004号188頁や、村八分行為の差止と損害賠償を認めた新潟地新発田支判平成19年2月27日判タ1247号248頁等がある。

*11:まあ、国際組織とか、交戦団体とかありますが、まあ本件では関係ないでしょう

*12:例えば、「未承認国家も一般国際法の基本的権利義務(領域権や不干渉義務も含まれる)を享有しているといわざるをえない」とする藤田久一「国際法講義I」195頁参照

*13:少なくともよい

*14:狭くともよい

*15:杉原高嶺「国際法学講義」187頁

*16:「GOSICKIIーゴシック・その罪は名もなきー」32頁

*17:「GOSICKIIーゴシック・その罪は名もなきー」348頁

*18:「GOSICKIIーゴシック・その罪は名もなきー」282頁

*19:「GOSICKIIーゴシック・その罪は名もなきー」282頁

*20:杉原、水上、臼杵、吉井、加藤、高田「現代国際法講義」57頁

*21:杉原高嶺「国際法学講義」183頁

*22:これは建前であって、本音は大国による緩衝国作りという側面は否定しないが、1924年以前にこのような原則に基づき現実に国が独立するという国家実行があったことは重要である。

*23:杉原高嶺「国際法学講義」185頁

*24:誰のものでもない土地は、先に実効占有した国のもの

*25:杉原高嶺「国際法学講義」281頁

*26:「GOSICKIIーゴシック・その罪は名もなきー」118頁

*27:「GOSICKIIーゴシック・その罪は名もなきー」119頁

*28:杉原高嶺「国際法学講義」184頁

*29:国連憲章73条。なお、主に植民地や従属地域のうち信託統治領(憲章75条)以外のものである。

*30: 藤田久一「国際法講義I」290頁

*31:もちろん、これらの憲章、宣言は1924年以降のものであるが、このような「植民地、被従属地域は高度な自治が認められるべき」というのは、ウィルソンやスターリンらが唱え、実際に第一次世界大戦後に多数の独立国を産んだ「民族自決」思想を正しく適用した結果なのだから、憲章や宣言が後だからといって必ずしも憲章宣言の趣旨をそれ以前は尊重しなくてよかったということにはならないだろう。

*32:今回は自白

*33:「GOSICKIIーゴシック・その罪は名もなきー」315頁

*34:「GOSICKIIーゴシック・その罪は名もなきー」318頁

*35:なお、冤罪被害者の反証可能性という意味で時効を延ばせば延ばす程よいという考えには与することはできないが、短期の時効が生む不公平性もあるほで、どこまでが適切な時効期間かは難しいところである

*36:この意味ではハーマイニアと同じ。まあ、日本だと被害者一人では死刑にはならないが。

*37:その是非はともかくとして

*38:なお、非自治地域外が関係してくるデリクの件はやや微妙

*39:刑法的解釈としては違法性阻却とすべき

*40:「GOSICKIIーゴシック・その罪は名もなきー」346頁

万能鑑定士Qの事件簿の刑事訴訟法的考察〜消去法的認定と裁判員裁判


本エントリもいつも通りネタバレを含んでおります。概ね第1巻と2巻のラストが明かされています。三巻以降は違うエピソードなのであまりネタバレの心配はありません。


1.万能鑑定士Qとは
  高校時代は大の劣等生で天然ボケ、就職活動も面接で奇想天外なことを言って失敗ばかりする。こんな凛田莉子が、リサイクルショップ「チープ・グッズ」のオーナーの助言を得て勉強し、修業した結果、どんなものでも鑑定できる万能鑑定士になって活躍する「人が死なないミステリー*1」が「万能鑑定士Qの事件簿」シリーズである*2


2.誰にも区別できない偽札と通貨偽造罪
  多くのマスメディアに、同一番号の二枚の一万円札が送られるという事件が発生した。
  周知のとおり、お札には、偽造を避けるため、通し番号が振られている。そこで、同じ番号のお札があれば、どちらかが本物で、どちらかが偽物ということになる*3

 ところが、科学鑑定でも、莉子による鑑定でも、二枚のお札の間には「相違」が発見できず、どちらが偽札かどうかも判明しなかった。


 このような、極めて巧妙な偽札を作った場合には、通貨偽造罪になるのか?

刑法第148条 行使の目的で、通用する貨幣、紙幣又は銀行券を偽造し、又は変造した者は、無期又は3年以上の懲役に処する。
2 偽造又は変造の貨幣、紙幣又は銀行券を行使し、又は行使の目的で人に交付し、若しくは輸入した者も、前項と同様とする。

3.偽札性についての合理的な疑いを容れない程度の証明
  ここで、刑事事件で有罪とするには、被告人が犯行を行ったことについて、「合理的な疑いを容れない程度の証明」が必要である。最高裁はこう述べる。

刑事裁判における有罪の認定に当たっては,合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要である。ここに合理的な疑いを差し挟む余地がないというのは,反対事実が存在する疑いを全く残さない場合をいうものではなく,抽象的な可能性としては反対事実が存在するとの疑いをいれる余地があっても,健全な社会常識に照らして,その疑いに合理性がないと一般的に判断される場合には,有罪認定を可能とする趣旨のものである
最決平成19年1月30日刑集第61巻7号677頁

 要するに、検察側は、100パーセントの真実だとまで裁判官を確信させる必要はない。例えば、抽象的には有罪事実がなかった可能性があっても、それが、「奇跡も、魔法もあるんだよ?」的な、抽象的可能性があるに過ぎないのであれば、なお、有罪にしてよいのである*4。これを被告人の弁解との関係で言えば、被告人が無罪だとして述べる弁解が、世の中は「偶然」というものがある以上、絶対にあり得ない弁解ではないとしても、常識的に考えて不合理な、取るに足らないものの場合には、なお、有罪と認めてよいということである*5


  ここで、1セットだけ、同一番号の二枚の一万円があるという場合、これは、可能性は低いもののエラー品の可能性がある。このようなエラー紙幣の出現率は低いが、同書中でも、一度は「エラー紙幣が流出したもの」という科捜研の見解が示されている*6。そこで、一セットだけであれば、「エラー紙幣を見つけた」との弁解が不合理とまでは言えず、有罪にすることが難しいのでははないか*7
  これに対し、十セットや二十セットとなると、話は別である。国立造幣局の何重ものチェックをまぬがれて、全く異なる番号*8のエラー紙幣が流出するとは考えられない。だからこそ、紙幣での支払いを拒絶する等の大混乱*9が起こったのである。よって、「エラー紙幣が何十も流出した」という弁解は、抽象的には可能性があっても、常識的に見て不合理と言えよう。そこで、被告人が犯人であることの認定さえできれば、二つのお札のうち、どちらが本物でどちらが偽札かについて認定できなくとも有罪として差し支えない


4.危ない工芸官!? 「消去法的認定」に潜む罠
  日本銀行券への信認を守るため、警察は、逮捕状が出ていないのに指名手配をするという暴挙に至った*10。警察は現行犯等の例外を除けば裁判所の令状審査なしに、逮捕等、一般市民の人権を制約できない(令状主義)。
  それにもかかわらず、令状なしに逮捕するよう全国に周知したのだから、裁判所軽視以外の何者でもない*11


 さて、こんな刑事司法の根幹を揺るがす暴挙をしてまで身柄を確保した相手は誰か。これが工芸官の藤堂俊一、つまり、一万円札の原版を描ける職人である。
  警察は、「本物と同水準の偽札は、工芸官の藤堂さんに匹敵する技術を有していなければ作れないはず*12」という論理で藤堂を犯人と考えた。
 このような考え方を「消去法的認定」という。

 犯行が起こった

犯罪を実行できるのはお前以外にいない

犯人はお前だ!


という論理である。これは一見合理的であり、推理小説では、探偵がこの方法で犯人を自白に追い詰めることが多い。
 

 しかし、「消去法的認定」には、がある。
  すなわち、この人以外に犯罪を実行できないという部分が間違ってしまうと、冤罪が発生するのである。真犯人が嘘のアリバイを主張して、それを捜査機関が信じてしまい、無実の人についてお前しかあり得ないと言ってしまう可能性があるのである。


 本件でも、

本物と区別できない偽札が出現

工芸官でないとこんな精巧なもの作れない

工芸官が怪しい

という論理のうち、「工芸官でないとこんな精巧なもの作れない」という部分の詰めが甘いまま、指名手配まで行ってしまったが、結局莉子らの活躍で工芸官の無実が明らかになった


5.裁判所も指摘する消去法的認定の危険性
 このような消去法的認定の危険性については、既に裁判所も判決の中で指摘している。
 例えば葛生事件と言われる事件では、夫が妻を殺したとして起訴された。検察官は、妻の死因、犯人像から、「自由に家に出入りすることができ、入っても騒がれないような人物」が犯人であって、夫以外にありえないとした。第一審判決、検察官の考えを受け入れ、被告人を有罪とした(懲役14年)。
  ところが、東京高裁は、被告人を無罪とした(東京高判平成7年1月27日判例タイムズ879号81頁)。確かに、状況からして、「自由に家に出入りすることができ、入っても騒がれないような人物」が犯人であろう。しかし、被告人を犯人と認定するにはそれだけでは足りず、被告人が現場に存在したという相当程度の蓋然性(可能性)と、妻殺害の明確な動機が必要とした。それは、上記の消去法的認定の危険性に基づく。本来被告人が犯人と断ずるだけの積極的証拠が不足するところを、「被告人以外に犯人はありえないから被告人は犯人だ」という論理的推認でカバーするのは、事実を誤る危険性を多分に孕んでおり、「被告人以外の者の犯行の可能性は考えにくい」ということをもって、直ちに「被告人が犯人である」との証明にはならないとしたものである。

同判決を下した早川裁判長に指導された門野博判事は、この例を引いて、

改めて、検察官の主張(起訴事実)は検察官が構想した仮説(ストーリー)にしかすぎない、その余の見方(アナザーストーリー)もありうる、ということを理解しておくことは(裁判員裁判でも)大変重要なことだと思います。
門野博「刑事裁判ノート〜裁判員裁判への架け橋として(4)」判例タイムズ1306号80頁

と指摘している。

まとめ
「迷宮入り」を嫌う捜査機関が、乏しい証拠にも関わらず、「被告人以外に犯人はありえないから被告人は犯人だ」という消去法的推認で有罪を求め起訴することがある。これは、一見合理的ストーリーだが、本当に被告人以外ありえないのかそもそも被告人を有罪にする方向の根拠の証拠が、消去法的推認でカバーできる程度に存在するのか等を考えなければ、冤罪を生む危険性を孕んでいる。
 万能鑑定士Qの事件簿は、このような裁判員裁判で問題になり得る消去法的認定に警鐘を鳴らすという意味でも、司法関係者、及び裁判員になる可能性のある全ての人にお勧めである

*1:多分第二巻の混乱の中、多くの人が死んでいっているので、「探偵役が解き明かす謎の内容が、人の生死でない推理小説」という程度の意味だろう。

*2:なお、一応ヒーロー役の小笠原は週刊誌週刊角川のうだつの上がらない記者。取材が苦手と酷評されているが、謎の“力士シール”都内で相次ぎ発見 “犯人”は誰?…カルト教団説、テロリスト説も 「意味も目的も分からないし気味が悪い」 - 東京 - ニュースな何か∑(゚∀゚ノ)ノよりもずっと深堀した取材をしているように思われる

*3:まあ、どちらも偽札ということもあり得ますが

*4:つまり、裁判所は、上條君については、奇跡や魔法でもって治る可能性があっても「不治」と認定する訳である。

*5:なお、被告人が述べる弁解自体がいくら不合理でも、検察側の証拠がそもそも弱いものであれば有罪にできないのは当然である

*6:第二巻31頁

*7:なお、マスコミへの送付は偽計業務妨害罪が成立するだろう。ちなみに、最初、「義兄業務妨害罪」と変換され、どこかから「お兄ちゃん」という声が聞こえてきたのは秘密である。

*8:裁断前のシートすら異なるということ

*9:本書63頁以下

*10:第二巻228頁

*11:更に、自宅に侵入しようとするのも同様に重大な違法捜査であり、ここまでひどいと公訴棄却すらあり得るのではないかと思う程である。

*12:本書242頁

かけ出し裁判官の事件簿

かけ出し裁判官の事件簿

かけ出し裁判官の事件簿

1.淡々と描かれる裁判官の生活
 裁判員制度の導入により、少なくとも、司法、特に裁判への関心が高まってきたということは事実のようである。裁判を担う法曹三者のうち、「判断者」として、裁判員と一緒に協議をする裁判官。この人が、普段どのように生活を送り、どのように物事を考えて事件を処理し、特に慎重な判断を求められる否認事件でどのようにして結論を下すのか。
 以前は、こういうことは、司法修習生、つまり司法試験に受かった人だけが知ることができて、それ以外の人は蚊帳の外であった。そして、それで問題はなかった時代があった。ところが、裁判員制度では、裁判官は、被告人を裁くために一般市民が共に議論する相手である。裁判官の生活や、思考過程の「見える化」の必要性は、過去になく高まっている。


 この、「かけ出し裁判官の事件簿」は、2年目の裁判官の著者が、自己の経験を下に、ある否認事件を縦糸、裁判官の日常生活を横糸に、裁判官の生活を淡々と描き出す作品である。

2.推理小説的展開を期待してはダメ
 多少推理小説的な筋書きになっているため、推理小説的な展開を期待して読むと、(詳しくはネタばれになるので言えないが)がっかりする可能性がある。
 この中で描かれるのは、裁判官が「普通の」否認事件を扱うプロセスであり、名探偵が特殊能力や偶然で真実を解明するプロセスではない。
 主人公の裁判官の心の中の言葉として、こんなことが記載されている。

以前、アメリカの刑事ドラマで見たが、衛星写真を使って逃げた犯人を追跡し、居場所を突き止めていた。これが本当の話だったら、(中略)行動をはっきりと証明できるかもしれない。しかし実際には、そんなことは期待できないから、それ以外の証拠で、過去にどんな事実があったのかを推理する必要がある。
(中略)
裁判は「真実追及」の場だ。しかし、ある結論に証拠上の理屈がとおり、それ以外の結論でその理屈が通らない場合、仮にそれが真実と違っても、その結論が裁判での事実だ。裁判官は神様じゃない。普通の人間だ。
だからといて、決して安易な判断はできない。被告人だけではなく、その裁判に関わった人のたちの人生が、多少なりとも変わる可能性が高い。どの裁判も、一期一会。「次」はない。
八橋一樹「かけ出し裁判官の事件簿」212〜214頁より

3.「検察審査会の午後」と比較するのが面白い
 この逆をいくのが、「検察審査会の午後」であり、現実の検察審査会では「真実」なんてまず発見できないが、小説の中では、ある意味の「真実」が発見される(そこが、「検察審査会の午後」の面白さでもあるのであるが)。この点は、検察審査会の現実、裁判員の現実 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常で論じたところである。
 
 フィクションながら、小説としての面白さを追求した「検察審査会の午後」と、淡々と裁判官の実態を描き出す「かけ出し裁判官の事件簿」。二つを比べるのも面白いだろう。

まとめ
 よく、「裁判で真実を明らかにする」と言われるが、裁判では、証拠から検察官が主張する(被告人がやったとされる)犯罪事実が、「合理的な疑いを容れない」、つまり、「通常人なら誰でも疑いを差し挟まない程度の真実らし」さ*1を確信できるかだけが問題となる。そこで、例えば「Xが犯人とされていたのに無罪」という判決が下る場合、「Yが犯人なのか、Zが犯人なのか」といった、いわゆる「真相」は明かされないことが多い。また、訴訟法の制約から、裁判官が独自に調査した結果を証拠とすることはできない*2。その意味で、真実発見を期待すると、被害者や裁判員等がフラストレーションが溜まることは否定できない。現行制度の下では、裁判員にとっては、過度の真実発見を期待せず、淡々と証拠から、無罪という合理的な疑いを挟む余地がないと言えるかを判断することが、できる唯一のことである。「かけ出し裁判官の事件簿」は、このようなプロセスを*3具体的な事件を題材にして描き出した作という意味で、裁判員に選ばれた人であれば一読の価値があろう。

*1:最高裁昭和23.8.5判決

*2:「この桜吹雪が〜」はNG

*3:フィクションですが

検察審査会の現実、裁判員の現実

検察審査会の午後 (新潮文庫)

検察審査会の午後 (新潮文庫)

 三軒茶屋様の別館号外さんちゃ0122号 - 三軒茶屋 別館の記事に触発されて読んだのが、「検察審査会の午後」である。

 「検察審査会の午後」は、検察審査員補充員である主人公の佐田が、検察審査会で様々な事件に出会い、証人を呼ぶ、他の審査員と議論する等しながら、「事件解決」ないし「事件の落としどころ」を見つけていくというミステリーである。

 同書のテーマになっている検察審査会について簡単に説明すると、検察が「不起訴」処分にした事件について、告訴人等が不満がある場合に、有権者から無作為で選ばれた11人の検察審査員が、「起訴すべきか否か」を議論して決めていくというシステムである。ちなみに、佐田はこの11人の審査員に事故病気等があった場合のための「補充員」(いわゆる補欠)である。

 この「検察審査会の午後」に持ち込まれる事件は、「よく分からない」「有罪判決は難しそう」なものが多い。「友達にプレゼントをもらったぬいぐるみに盗聴器が入っていたので『平穏の窃盗だ』として告訴したが不起訴になった」だとか「夫が不倫相手とホテルに行った後、ホテル内で脳出血で死んでいるのが発見された。不倫相手のアリバイからは、夫の体調が悪くなった頃には既に不倫相手はホテルを出ているので遺棄罪にはならないとして不起訴になった」「ボケ防止といってお守りを5000円で売っているのは詐欺として告訴したが不起訴になった」といった事案を聞くと、この事情を聞けば普通の検察官なら不起訴にするわなといった問題ばかりである。

 しかし、[1]検察審査会では、これらの事案について丁寧に証人尋問等を行い、その上で、不起訴不当、起訴相当、不起訴相当といった判断を下している。
 特に、[2]本書においては、例えば「審査員である新聞記者が足で情報を調べて証人尋問をした結果真相が明らかになる」といった特殊な事情がからんで、全ての事件について最終的には「一応の落ち」がついている

 検察審査会が[1]のように、こういう「よくわからない」事件についても丁寧に調べて議論することは望ましいことである。

 検察審査会というのは、検察官が起訴しなかった事案について審議するわけだから、ある意味では検察官より厳しい立場で、事件を考えなければならない。
佐野洋検察審査会の午後」p77

 と同書にも触れられているが、厳しい視点で再調査することが、検察の持つ起訴裁量権(刑事訴訟法248条参照)を濫用させないためにも必要だろう。

 とはいえ、[2]の「一応の落ち」という点はフィクションだからこそという面が強い。例えば、「殺人で捕まった被疑者に対する嫌疑不十分での不起訴に対し、審査が申し立てられたが『不起訴相当』の意見となった」等の場合において「じゃあ、いったい本当は誰が殺したの?」といった疑問が審査員に残る可能性は高い。このように、実際の検察審査会では、落ちがつかないことの方が多いだろう。

 そして、これから導入される裁判員にとっても、検察審査会と同じことは言えるだろう。裁判員は裁判官と共に議論し、事実認定及び量刑を行っていく。しかし、非常に怪しいが、証拠が不十分で合理的な疑いを超える証明がなされていないから無罪といった事案を判断せざるをえない場合もあるだろう。この結果、被告人は無罪だが、真犯人はシャバで自由の身になっており、被害者は誰が本当の犯人なのかと途方にくれるといった「事件解決」にならない*1場合がある。
 こんな場合に、「事件解決」を求めて「やっぱり被告人しかやれる人はいないから有罪にしよう」といった動きが裁判員の間で出てくるのは非常に危険である。このような事案の場合には、「本当の犯人は誰かはこの法廷では問題となっていない」「問題は、検察側が被告人を有罪とするだけの十分な証拠を提出できたかのみである*2として、心を鬼にして判断しなければいけない。

まとめ
 「検察審査会の午後」は、裁判員制度に似た制度である検察審査会の様子が分かって興味深い小説である。
ただし、現実には「検察審査会の午後」のような落ちがつかない、事件の真相が見えない」ことも十分ありうる。同様のことは、裁判員でもいえるだろう。ここは同書が「フィクション」だということを理解して、ある意味冷酷に判断していくことが求められている。

*1:被告人については一つの解決にはなるだろうが

*2:なお、木谷明「刑事裁判の心」p35では元裁判官の著者に対する「木谷さんが無罪を言い渡された事件で、本当は被告人がやっているかもしれないと思ったことはどれほどありますか。またやっているかもしれないと思えた場合に、一人の人間としてどのように気持ちの整理をつけていったのですか。」との質問に対し「刑事裁判の事実認定は、あくまで、検察官が合理的な疑いを容れない程度の証拠を提出したかどうかを判定する佐合だと割り切って考えていましたし、今でもそう考えています。ですから、私は、証拠は薄いが本当は被告人が真犯人ではないのかというような次元の問題で裁判官が悩む必要はないし、またそのようなことで裁判官が頭を悩ましてはいけないのだと割り切っております。」と答えている。

犬神家の遺言

犬神家の一族 (あすかコミックスDX―金田一耕助ベスト・セレクション)

犬神家の一族 (あすかコミックスDX―金田一耕助ベスト・セレクション)

1.はじめに
 三軒茶屋 別館様が、「アホヲタ法学部生の日常さんをリスペクトして法律ネタを書いてみよう」コーナー第三弾*1として 『犬神家の一族』で考える遺言の内容の法的有効性 - 三軒茶屋 別館という、「犬神家の一族」の遺言の有効性を考えるエントリを掲載されている。非常に興味深い問題なので*2、補足させていただきたい。

2.遺言の内容
 ここで、問題となっている犬神家の遺言状は、大財閥の創始者、犬神左兵衛翁が作成したものであった。全文は三軒茶屋様のエントリに掲載されているので参照いただきたいが、要約すると、以下のようになる。

 野々宮珠世が遺言公表から3ヶ月以内に、犬神佐兵衛の三人の孫のうちから配偶者を選べば珠世は犬神家の事業と財産を取得できる。期限内に配偶者を選ばない場合には、珠世は事業と財産を取得できない。
 仮に3人の孫が珠世との結婚を拒んだり、3人の孫が全員死亡した場合には、珠世は誰と結婚しても事業と財産を取得できる。
 珠世が孫以外から配偶者を選んだり、遺言公表から3月以内に死んだため、珠世が財産と事業を取得できなくなった場合、事業は長女の息子の佐清が事業を継ぎ、財産は3人の孫が5分の1づつ、青沼静馬が5分の2を取得する。なお、現在静馬は行方不明なので、3ヶ月以内に静馬が発見されない場合には、静馬にいくはずの5分の2の財産を犬神奉公会に寄付する。
 珠世が財産と事業を取得できなくなった場合に、3人の孫の中に死ぬ者があった場合、事業は残った孫で協同する。財産については、残った孫はそのままであるが、死んだ孫の分は静馬にいく。3人の孫が全員死ねば、事業も財産も全て静馬にいく。
犬神家の一族』p66〜70より

3.遺言の有効性
 この遺言については、「この遺言状は、けっしてにせものでもなければ、また、法的にもすべての条件を具備しているのです。」と古舘弁護士が述べている*3


 しかし、これは、本当なのだろうか。この遺言の最大の問題は「結婚を財産取得*4の条件とすることの是非」であろう。
 遺言にも条件を付すことも可能(985条)であるが、「この人と結婚しないとお金が入らない」という遺言は公序良俗(90条)に反して無効なのではないだろうか。

 この点、三軒茶屋様は

 自分の娘が気に入らない相手と結婚したら援助せず、そうでなかったら援助する、といったようなことは生前なら私的自治の原則に即したものとして普通に認められるでしょう。であるならば、生前許されていたものが遺言になったら許されないというのも変な話でしょうから、この遺言はやはり有効なものとなるのでしょう

とされる*5

 そもそも、公序良俗違反というのはある契約等が社会の一般的秩序または道徳観念に反するとき、すなわち、その社会的妥当性を欠くときに、無効となる(90条)というものである*6
 ここで、「甲が結婚した場合には特定の土地を遺贈するとの遺言は、甲が結婚するとの条件を成就させた時に効力を生じる(民法985条2項)*7」とされており、結婚を条件とする遺言は有効とも読める。しかし、ここで言われている趣旨はあくまでも「結婚して独立した時には、家を建てたいだろうから、そのための土地をあげるよ」という遺言が有効というだけであり、「誰と結婚するかが決められている」場合ではないだろう。

 ここで、参考になるのは、林良平編「注解判例民法」p312の以下の記述である。

たとえば、一定の営業活動をしない契約とか、結婚をしない契約など、契約の内容自体は自発的にされるかぎり違法でなくとも、それを違約金その他によって拘束することが個人の自由を制限し、反社会性をもつものとして契約が無効とされるものもある。
林良平編「注解判例民法」p312

 要するに、結婚の自由を違約金で縛るような契約は婚姻の自由(憲法24条1項)を害するから反社会性をもち、無効ということである。この観点からは、この遺言は無効とも思える。

 問題は、珠世は遺産を拒絶すれば、誰とでも結婚できるという点であろう。この点は、「信州の大財閥で莫大な財産を抱えている」という点が重要になってくる。「よほどのバカでもないかぎり、この結婚を拒むものはありますまい*8」と金田一耕助が述べていることからも、その額のすごさがわかる。
 すると、事実上、珠世は遺産を拒絶して他の人と結婚するという選択肢が奪われていることになり、この点は、結婚の自由を違約金で縛るような契約と同視でき、公序良俗違反で無効となるのではないか。

 更に、この遺言は、1人でも他のライバルである孫が消えれば相当有利になるのであるから、3人の孫*9が他の孫を殺す大きな動機になる。更に、珠世が孫以外を愛している場合には珠世が孫を殺す動機にもなる。更に言うのであれば、犬神一族の青沼静馬に対する恨みが増幅し、静馬を殺す動機にもなる。この動機は、財産が莫大であるからこそ、現実化の危険性は極めて高い。実際に、連続殺人事件*10という形でこの危険は現実化している。
 この意味でも、「こいつを殺せば財産をやる」という遺言に近いものがあり、この点でも公序良俗違反と言いうるのではないか。

 そして、このような公序良俗違反の不法の条件が付着した場合、民法132条前段により無効となる*11

 このように考えれば、この遺言は無効となろう。

4.大丈夫か? 古館弁護士
 さて、三軒茶屋様は、古館弁護士の説明について、以下のような指摘をされている。

 また、本来なら(裏の事情はここでは加味しないことにします)相続人は松子・竹子・梅子に青沼静馬の4人ですが、松子・竹子・梅子はこの遺言状を通して無視されていますし、静馬も野々宮珠世が候補者三人のうちの誰かと結婚した場合にはやはり一銭も貰えません。こうした場合には遺留分の減殺請求(1031条)を主張することによって、本来の相続分の2分の1の範囲で自らへの相続財産の帰属を主張することができます。犬神家の財産となれば本来の半分でも相当な額になるでしょうから、それで満足するのも十分ありでしょう。遺言状の開封作業の場において遺留分の説明をしなかった古館弁護士の失敗は看過できないものがあると思います。

 遺留分というのは、遺族の生活等を保障するため、死者*12が遺言によっても処分できない財産であり、子どもがいる場合には、「財産の2分の1」となる。要するに、子どもが4人いれば、それぞれ8分の1づつ、計2分の1まではどんな遺言がされても相続できるのであり、残り2分の1についてしか遺言では処分できない。これに反する遺言がされれば、遺留分減殺請求(1031条)という請求をできるのである*13
 三軒茶屋様が指摘されるとおり、「こんな遺言があっても、4人のお子さんは必ず8分の1づつは相続できますよ。珠世さんもこのことは覚悟してくださいね。」と古舘弁護士が説明していれば、殺人事件は防げたかもしれないのである*14

 更に、開封・検認手続きをしていないという問題もある。
  犬神家の遺言書は、封印されている*15ため、遺言書は家庭裁判所において相続人等の立会いの下で開封されなければならない(1004条3項)。そして、保管者である古舘弁護士は、遅滞なく、これを家庭裁判所に提出して、その検認を請求しなければならない(同条1項)。
 遺言内容が争いになることを防ぐために、裁判所の前で開封し内容の確認をしてもらう*16手続きが開封・検認であり、これに反すれば過料の制裁*17が課されている。
 しかし、古館弁護士は少なくとも家庭裁判所において相続人立会いの下での開封は行っていない*18
 古館弁護士に対し、懲戒請求がされれば、連続殺人の引き金を引いたともいえる不十分な説明、及び法律家なら絶対に履践すべき手続き違反を理由に、最低でも戒告、連続殺人との関連性を重く見れば業務停止等となることも十分ありえるだろう。

まとめ
 「犬神家の一族」は、上記遺言状以外にも、某登場人物に対し、警察署長が「共犯...事後共犯の罪がある」と述べている*19等、法律的に怪しいところがいくつもある。
 もっとも、ミステリーとして一級品であるから、「法律的にはどうだ」といった無粋なことを考えずに素直に読むのが、同書を楽しむ一番いい方法なのだろう*20

*1:第一弾はこちら当サイトの補足はこちら、第二弾はこちら、当サイトの補足はこちら

*2:遅くなって大変申し訳ないのだが

*3:同書p76

*4:遺贈と解するべきだろう

*5:なお、「三か月以内に結婚相手を決めろとは何とも無茶」とされた上で、「この点については私も自信があるわけではないので、ご意見どしどし募集しております」とされている

*6:林良平編「注解判例民法」p285より

*7:第二東京弁護士会法律相談センター編「相続・遺言法律相談ガイドブック」p132

*8:同書82、なお、珠世が孫の1人を選んだ場合に孫が拒絶することはないという趣旨で言われていることに注意

*9:及びその関係者

*10:詳しくは同書をお読み下さい

*11:条件のみをとりだして反社会的かどうかは判断できないので、法律行為全体として考察すべきだから。林前掲書p313

*12:被相続人

*13:なお、遺留分は旧民法にもありました。「第1130条 法定家督相続人たる直系卑属遺留分として被相続 人の財産の半額を受く此他の家督相続人は遺留分として被相続人の財産の3分の1を受く(取384,1項)本条は家督相続人の遺留分を定めたるものなり。しかしてその遺留分相続人の種類によりて同じからず。もし相続人が法定相続人たる直系卑属ならんがその遺留分被相続人の財産の半額としほかの家督相続人ならんがその財産の3分の1とせり。けだし家名を維持するに必要なる費用は相続人の何人たるにより差異あるべからずといえどもしかも直系卑属被相続人の財産を受くべき当然の地位に在る者なるが故に偶然家督相続人たるべきほかの者と区別し特に直系卑属遺留分を大にせり。」梅謙次郎『民法要義 巻之四親族編〔第22版〕』(有斐閣書房,1912)なお、http://homepage1.nifty.com/ksk-s/MY5.htm様の復刻による

*14:まあ、そうすると金田一耕助の出番がなくなり、小説にならないのですが。

*15:同書p65

*16:なお、有効性の確認ではない

*17:1005条

*18:同書p65以下なお、同書からは公正証書遺言の可能性もあるが、公正証書遺言だと、公証人に遺言書の謄本を出してもらえるので、若林が死亡することはなかったはずである。この点からは自筆証書遺言と推認される。

*19:刑法上、犯罪後に手助けをしても、それが独立して犯人隠避や盗品罪という構成要件に該当しなければ不可罰である。例えば福田平・大塚仁著「刑法総論」p291では事後従犯は「中世ドイツ法以来、一般に、共犯と混同されてきた。英米法においては、今日もなお、この観念が残されている。だが、大陸法上は、すでに、このような観念は否定され」ているとしている。

*20:などといいながら、いつも無粋なことを考えてしまっているのであるが

『赤朽葉家の伝説』とダイイングメッセージの信用性

赤朽葉家の伝説

赤朽葉家の伝説

※本エントリは『赤朽葉家の伝説』のネタバレを含みます。
1.はじめに

 刑事訴訟法の業界に「臨終供述(Dying Declaration)」という専門用語がある。一般に「ダイイングメッセージ」と言われるこの臨終供述は、一般に高度の信用性があるとされている。しかし、これは本当なのだろうか、どのような点に注意して臨終供述を扱うべきだろうか。この点について、第60回日本推理作家協会賞長編及び連作短編部門受賞作である『赤朽葉家の伝説』の事例を使いながら考察していきたい。

2.特信情況と臨終供述
 刑事訴訟法学会においては、臨終供述は類型的に高度の信用性があるとされている*1

江家義男博士は、信用性の情況的保障の態様として(引用者注:以下の情況にあてはまる場合は類型的に高度の信用性があるといえるとした)、以下の基準を抽出された(江家・基礎理論74頁以下)。すなわち、(1)現在(供述の時)の精神的又は身体的苦痛に関する事件直後の供述、例えば、傷害の被害者が傷害を受けた直後に身体の苦痛を他人に告げた場合、(2)現在(供述の時)の計画、動機、感情などの事件発生前における自然な供述、(3)事件に関係ある客観的事実の事件中又は事件直後における衝動的供述、例えば、殺人の現場を目撃した者が即座に「あっ、AがBを殺した」と叫んだ場合とか、「殺して逃げた奴は黒い帽子の男だ」と叫んだ場合、(4)いわゆる臨終の供述、例えば殺人事件の被害者が死に直面し、死の免れ得ないことを自覚しつつ、事件の経過についてした供述、(5)公文書及び業務文書、(6)自己の利益に反する事実を供述した場合、等を基準として提示され、(1)ないし(3)の場合については供述の自然性、(4)の場合について供述の良心性、(5)の場合について供述の公示性、(6)の場合について供述の不利益性が、それぞれ類型的に把握される旨指摘された。
藤永幸治河上和雄山善房編「大コンメンタール刑事訴訟法5巻1」p267

 要するに、死に際して全ての利害を超越したものがうそを言うわけがないということで、類型的に高度に信用できるとされている。

 例えば、事故により瀕死の状態にある被害者が「やられたやられた、小森小森」と発言した供述についてこの情況を考えれば「犯人が小森だ」と述べる内容は特に信用できるとされた判決*2がある。

 また、ミステリにおいても、ダイイングメッセージを解読した探偵はダイイングメッセージにその名が書かれた人が犯人だという前提に立って、これを裏付ける証拠を探し始めることが少なくない。

 しかし、この「ダイイングメッセージ神話」はそこまで確固たるものなのだろうか?


3.『赤朽葉家の伝説』に見る臨終供述の信用性
 『赤朽葉家の伝説』第三部「殺人者」は、語り手の瞳子が、祖母万葉の「私は人を一人殺した」という臨終供述を元に、なぜ、誰を、どうやって殺したのか?という謎を探っていく話である。しかし、万葉の主観として「人を殺した」ことに間違いはないものの、臨終供述は客観的事実には合致していなかった*3
 その理由は、臨終供述はその時の記憶に従った真摯な供述であるという点において信用性があるだけで、臨終時の記憶形成過程の問題点は他の供述と変わらず存在するからである*4


 人は死に際し、打算等がなくなり、「最後に本当のことを話したい」と思うようになる。これは経験則上明らかといってもいいだろう。
 しかし、その「本当のこと」というのはあくまでもその人が本当だと思っていることに過ぎない。見間違える記憶違いをする自分独特の表現をするといったことは誰でもあることであり、記憶が客観的には間違っている場合でも、主観的にそれが「本当のこと」だと思っている限りは、臨終の際に「その間違った内容」通り真摯に供述することは十分ありえるのである。
 
 『赤朽葉家の伝説』のエピソードは、*5臨終供述にひそむこの危険性を指摘するエピソードとしても秀逸といえよう。


4.「臨終供述」の信用性を否定した大阪高判平成5年5月8日
 このような「臨終供述」の信用性について詳しく吟味した判決に大阪高判平成5年5月8日判例タイムス837号p279がある。事案としては以下のようなものである。

A女とV男は昔はつきあっていたが、V男はA女を振り、その後A女がV男に嫌がらせをしていた。ある日、V男の家が寝具等に灯油がふりかけられて家事になり、真っ黒こげになったV男が発見された。V男は救急車で病院に運ばれ、うなずきや手話によって「寝ていたら、A女が火のついた紙をかぶせて放火したのを見た。」と供述したため、A女は逮捕された。V男は数週間後に死んだ。公判でA女は否認した。

この事案において、裁判所はV男の供述は信用できないとしてA女を無罪とした。客観的事実と内容が齟齬することが最大の理由である。
 まず、鑑定によると、灯油をまいて火をつけると点火から30秒間は火の勢いは弱いが、それを過ぎると急激に燃え出すと認定した。その上で、

仮に被害者(引用注:V男)の供述が真実であるとした場合、被害者は身体に引火するまで気付かず熟睡中であったため逃げ遅れ、その時に被告人(引用注:A女)を見たか、それよりも早期に気付いて被告人を目撃したが消火または逮捕に手間取り結局逃げ遅れたと考えるのが合理的である。
判例タイムズ837号p282

とした。そして、逮捕や消火活動の形跡はないので、熟睡していたため急激に火が燃え出してから初めてA女の存在に気付いたことになるとした。
 ところが、急激に火が燃え出すような自己の脱出が危険になるまでA女がずっとV男宅にいるのはおかしいA女の事件当日の服には全く煤等がついていないのはおかしい等と指摘し、V男の供述は信用できない、日頃A子から恨まれていることを気にしていたため、寝覚めの瞬間でもあり放火と被告人を直感的に結びつけ、確信したとの合理的疑いを払拭できないとしたのである*6

 この判例の結論自体の当否はともあれ、死に際して供述をしたからといって、すぐさま信用できるとせずに、「寝ぼけて見間違ったり勘違いをしたのではないか」といった疑いをもって、客観的証拠との整合性等からその疑いが払拭されるかを判断するというこの判例判断手法自体は上記の臨終供述の危険性に照らして評価すべきである。

まとめ
 刑事訴訟法学会も、またミステリー界においても、臨終供述、ダイイングメッセージは高度に信用できるという臨終供述ドグマに拘泥しているきらいがある。
 しかし、『赤朽葉家の伝説』の事例や『大阪高判平成5年5月8日』から分かるように、臨終供述だからといってその内容が常に正しいとは限らない。真摯な供述であることは状況的に担保されていても、それにいたる知覚・記憶の誤りの可能性はなお残るのである。
 今こそ、臨終供述ドグマを克服する時である。

 関連:三軒茶屋アイヨシ様の『赤朽葉家の伝説』書評

参考:はじめての伝聞法則〜刑事訴訟法321条1項3号と特信情況
 刑事訴訟法で信用性が問題となる場合は、「2人の供述が対立しているといった場合にどちらの言うことが正しいのか」といった場合と、伝聞法則の例外としての特信情況の場合がある。後者について簡単に説明したい。
 まず、刑事訴訟法321条1項3号という条文がある。非常にわかりにくいので、かいつまんで解説する。

321条1項3号 前2号に掲げる書面以外の書面については、供述者が死亡、精神若しくは身体の故障、所在不明又は国外にいるため公判準備又は公判期日において供述することができず、且つ、その供述が犯罪事実の存否の証明に欠くことができないものであるとき。但し、その供述が特に信用すべき情況の下にされたものであるときに限る。

 書面や「また聞き」の内容の証言(これらを「伝聞証拠」という*7)は、原則として証拠として裁判で使うことができない(伝聞法則、刑事訴訟法320条)。「え!書面が証拠にできないの?」と驚かれる方もいらっしゃるかと思いますが、その理由について学者の本を読むと、「伝聞証拠は知覚→記憶→表現の過程を経るところ、その過程に誤りが介入する可能性がある」という説明がされている。
 例えば、

被告人XがYを殺したというのをAが見たので、AがBに「XがYを殺した」と言い、Bが法廷で「Aが『XがYを殺した』と言っていた」と証言した

という場合を考えてみよう。この場合には、事件が起こり、これをAが見(知覚)、これを記憶して、その後Bに言う(表現)という過程がある。

事件:XがYを殺す
知覚:事件をAが見て知る
記憶:事件の内容をAが記憶する
表現:AがBに「XがYを殺した」と言う

 しかし、Aが見間違える(知覚の誤り)、Bに話す頃には記憶があいまいになっている(記憶の誤り)、Aが故意ないし言い間違い等で間違って表現する(表現の誤り)可能性がある。だからこそ、被告人Xとしてはこのような誤りがないかをAを法廷に呼んで反対尋問をしてチェックする憲法上の権利があり*8、そのために、書面や又聞きの供述は原則として証拠になれない(これを専門用語で証拠能力がないという)。
 とはいえ、この伝聞証拠についての原則を貫くと、いろんな不合理なことが起こる*9。そこで、伝聞証拠(書面やまた聞きの証拠)を使う必要性があり、かつ、誤りがほとんどないといえる場合、即ち信用性のある場合には証拠にできる、証拠能力が認められる
 このことを規定したのが321条で、上で述べた321条1項3号は一般の書面(1、2号に掲げた書面以外の書面)について、(1)供述者(上の例でいえばA)が死亡する等して供述できず、かつ(2)その供述が犯罪の証明に不可欠な場合という必要性があり、かつ(3)「特に信用すべき情況(いわゆる特信情況)の下にされたものである」という信用性がある場合に証拠能力が認められるとする*10

小さなまとめ
 伝聞証拠(書面や又聞きの証拠)はその過程に誤りが入る可能性があるので、原則として証拠にできない(証拠能力がない)。しかし、必要性と信用性がある場合には証拠にできる(証拠能力が認められる)。具体的には、321条1項3号によると(1)供述不能(2)犯罪の証明に不可欠(3)特信情況が必要である。

*1:ここにおける特信性は321条1項3号の話である。この点、詳しくは「参考」に書いた。

*2:福岡高判昭28.8.21高集6巻8号1070頁

*3:どのように合致していないのかはここでは触れない

*4:平場等「注解刑事訴訟法中巻」p717は、臨床供述が321条1項3号の特信情況を満たすという学説状況をふまえ、「本来は知覚・記憶・表現・叙述の全過程についての特信情況をさすと考えられるのであるが、現実には、表現すなわち供述の真摯性の点における特信情況に重点が置かれる傾向がある。」と指摘しており、まさにこの問題を指摘しているといえる。

*5:ストーリー自体が秀逸であるのみならず、

*6:なお、「被害直後には」「歩行もかろうじて可能であり」「回復への期待を十分有していた」から「いわゆる死期を察知した者の全ての利害を超越した真摯な供述と同等に評価することは相当でない」として、「そもそも臨死供述でない」と言っているところには注意。

*7:原供述の内容の真実性が問題となる場合辺でないといけないのですが、これを説明するのがややこしいので省略

*8:憲法37条2項「刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。」

*9:目撃証人が死んでしまった場合に、目撃証人の供述調書を証拠にできないと有罪の人が無罪になる等

*10:なお、伝聞供述、又聞きの供述については324条2項が321条1項3号を準用していることに注意