アホヲタ元法学部生の日常

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コクリコ坂からのカルチェラタン取り壊し問題も裁判で解決できる??〜豊郷小学校事件

コクリコ坂から [DVD]

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1.はじめに

 「コクリコ坂から」は、高度経済成長前夜の日本を舞台に、高校生の風間俊と松崎海(メル)の間の愛を描いた良作である。


 風間俊がその「居場所」としている古い部室棟、カルチェラタン。このカルチェラタンの取り壊しを、俊はなんとか阻止しようとする。古い建物を簡単に破壊していいのか。これは、コクリコ坂からのストーリーを貫く重要なテーマの1つだ。


俊らは、演説会を開催したり、新聞を発行したり、果ては池に飛び込んで注目を浴びるパフォーマンスをしたり等と、なんとか政治解決を目指している。


 ところで、同じ古い校舎を保存しようという目的であっても、これとは全く違うアプローチで解決した事案がある。それが、豊郷小学校事件(大津地決平成14年12月19日判タ1153号133頁)である。



2.豊郷小学校事件
この事案は、豊郷小学校という、いわゆるけいおん!のモデルとしても有名な小学校が舞台となった。


 どのような校舎なのかをパノラマで見ることがでできるアプリのPVがyoutube上にアップされているので、これを見ると概ねイメージができるのではないだろうか。


ウィリアム・メレル・ヴォーリズという大正から昭和初期にかけての有名な建築家が設計したこの建物は、昭和12年5月30日に建築されてから60年以上が経過し、老朽化が進んでいた。そこで、行政は校舎と講堂を解体して、新しい校舎等を立て直そうとした。


古くなったから壊すと言うなら、君達の頭こそ打ち砕け!
古いものを壊すことは過去の記憶を捨てることと同じじゃないのか?
人が生きて死んでいった記憶をないがしろにするということじゃないのか?
新しいものばかりに飛びついて歴史を顧みない君達に未来などあるか!
少数者の意見を聞こうとしない君達に民主主義を語る資格はない!!
コクリコ坂から」における風間俊の演説より



一部の住民がこれに反対する運動を始めた。
もちろん、俊らと同様に、政治的な運動も行っているが、反対住民が目を付けたのは法律である。


住民訴訟と仮処分に関する技術的な問題をはしょると*1、要するに、当時は公立学校を費用を支出して解体しようといった地方公共団体の執行機関又は職員による財務会計行為について違法性が認められれば、裁判所に仮処分という形で、一時的にそれを止めるよう命じてもらえるという状況であった。そこで、反対派住民は、大津地方裁判所に、仮処分を求めて訴え出たのである。


そもそも、古くなった公共の建物を取り壊して新しいものにすること自体、頻繁に行われていることである。取り壊す度に裁判所から差し止めを命じられていては、円滑な行政目的は達成できない。だから、差し止めが認められるのは、その財政支出行為(今回でいえば建て替え)が違法でなければならない。実際に校舎の取り壊しが違法として仮処分で止まったというのは、過去に例がない*2そこで争点は、歴史のある建物を取り壊すことが違法かという点に絞られた。


この事案でも、建物の老朽化に伴い耐久性が低下しており、耐震補強をしなければ地震に堪えられないと専門家からの指摘があり、耐震補強工事をして校舎を残す場合と、校舎を建て替える場合では、建て替えの方が約4億5000万円安いという見積もりがなされていた。「どうせ修理か建て替えをしないといけないなら安い方がいい。」これが建て替えの重要な理由とされていた。必要な耐震化のために、より安価な建て替えを選んだだけであり、何ら違法はない!この行政側の主張は、それだけを取り出せば、説得力がある。


しかし、 反対派住民は力説する。この建物には、文化的価値があるんだ!


そもそも、 最高裁も、

良好な景観に近接する地域内に居住し,その恵沢を日常的に享受している者は,良好な景観が有する客観的な価値の侵害に対して密接な利害関係を有するものというべきであり,これらの者が有する良好な景観の恵沢を享受する利益(以下「景観利益」という。)は,法律上保護に値するものと解するのが相当である。
 もっとも,この景観利益の内容は,景観の性質,態様等によって異なり得るものであるし,社会の変化に伴って変化する可能性のあるものでもあるところ,現時点においては,私法上の権利といい得るような明確な実体を有するものとは認められず,景観利益を超えて「景観権」という権利性を有するものを認めることはできない。
最判平成18年3月30日民集60巻3号948頁


としており、まず、周辺住民の良い景観に対する利益を法律上保護に値するとまでは認めている。


また、文化財保護法は「文化財を保存し,且つ,その活用を図り,もって国民の文化的向上に資するとともに,世界文化の進歩に貢献することを目的とし」(1条)ているし、古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法は、我が国の歴史上意義を有する建造物、遺跡等が周囲の自然環境と一体をなして古都における伝統と文化を具現し、及び形成している土地の状況を歴史的風土といい、その保存のための措置を規定している。更に、地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律は地域におけるその固有の歴史及び伝統を反映した人々の活動とその活動が行われる歴史上価値の高い建造物及びその周辺の市街地とが一体となって形成してきた良好な市街地の環境を歴史的風致といい、その維持向上のための措置を規定している。


 つまり、建造物に歴史的及び文化的な価値がある場合には、法律上もこれを保護すべきものとされているのである。 そして、このような歴史のある建物で勉強することは、児童の情操教育にも良い影響を与えるであろう。


文化価値の高い小学校の建物を破壊することは、このような文化的価値を失い、児童の教育上の価値も損なわれるということになる。建物を保存し改修工事に留めるのか、それとも、既存の建物を取り壊して新しい建物を建てるのかは単に双方の工事費用だけを比較対象するのではなく、文化的価値やそれが情操教育に与える影響を考慮すべきじゃないか、それを考慮せず、単に工事費用が安いというだけで建物を取り壊すのは違法だ。これが住民の主張の要点である。


その住民の熱意に動かされたのか、裁判所は、住民の主張を受け容れた


注:債権者は住民、債務者は行政、「改築」とは、建て替えのこと。

前記認定事実によれば,豊郷小学校改築計画は,耐震上の安全性や豊郷小学校における教育環境の整備及び施設の充実を図ることを目的としたものであって,この点においては,十分合理的な根拠を有するものということができる。
 他方,前記1(1),(3)の事実及び疎明(証拠略)並びに審尋の全趣旨によれば,豊郷小学校の建造物としての文化的価値が高いこと,本件校舎の保存改修が可能で,それにより学校施設として有用となる旨の専門家の意見及び本件校舎の保存を望む町民が少なからず存すること,見積りによれば,本件校舎を改築した場合の工事費用は,改修の場合と比べ約4億5000万円高くなるとされていることが一応認められる。
 したがって,豊郷小学校改築計画の策定に際しては,検討委員会及び債務者において,上記の教育環境の整備の必要性と文化的価値のある建造物との保存の要請との調整を図るという観点から,その価値がどの程度のものなのか,そのような文化的価値を有する建造物における学習が児童に与える情操面への教育的効果等を考慮しても,なお本件校舎を解体して改築する以外に採り得る方法がないのか,改修保存によることが可能であるとすれば,具体的にどのような改修方法があるのか等について,複数の専門家の意見を聴取するなどして,改築した場合と改修保存した場合とで建物の耐用年数,安全性,必要経費,教育環境に生じる利点,欠点にどのような差異があるのかを詳細に比較検討して,計画を策定すべきところ,債務者がそのような検討をしたことはうかがえず,かえって,本件決定後に設置した建設委員会においては,債務者は,平成14年2月に実施された豊郷小学校PTAを対象としたアンケート結果では約65%の者が本件校舎の改築を希望していたとして,本件校舎の改築を前提に森野設計事務所に一部設計変更を依頼し,それに基づき,本件校舎を解体して跡地に新校舎を建築し,その左右に図書館と本件講堂を現状を残す方向での豊郷小学校改築計画を進めようとしていることが一応認められる(証拠略)。
 また,豊郷小学校改築計画の根拠の一つとされた森野設計事務所による本件耐震診断結果について,本件校舎の北側半分だけしか調査せず補正計算をしていないこと,柱の太さを実際のものより細く入力して計算していること等の具体的な問題点を指摘する専門家の意見が提出されたところ(証拠略),森野設計事務所から,上記各問題点を事実として認めた上で,構造耐震指標値を再計算した結果,なお,補強を必要とする旨の本件耐震診断結果は正しいものであるとの説明資料(証拠略)が提出されたが,債務者あるいは建設委員会において,本件耐震診断結果又は同資料において算出された構造耐震指標値や森野設計事務所の見解の正確性,信用性について,他の専門機関や公的機関の意見を聴取するなどの措置を執ったことはうかがわれず,上記問題点解明のための議論,検討が十分尽くされたことの疎明はない。
 以上によれば,債務者は,本件校舎の文化的価値,保存改修の可否,保存改修する場合の必要経費,耐震性の程度等を十分に調査せず,真に実現可能な改修案があるか否かを十分な検討しないまま,豊郷小学校改築計画を決定し,本件校舎の解体工事を行おうとしているといえるのであって,このことは,債務者に広範な行政裁量が認められていることや本件講堂を保存する方向で豊郷小学校改築計画を一部変更したことを考慮しても,債務者が豊郷町長として負っている町の財産の管理方法や効率的な運用方法として,なお,適切さを欠くものといわざるを得ず,地方財政法8条に違反するものと認められる。
大津地決平成14年12月19日判タ1153号133頁


 裁判所は、このように判示して、建て替えの一時差止を認めたのである。


 もちろん、司法の判断が出ればこれで終わりではない。その後、行政に保存を決定させるまでは、一筋縄ではいかない経緯があったが、最終的には、司法の判断が出たことが1つの大きな理由となって保存が決まり、豊郷小学校の建物は、国の登録文化財になることも決まっている

まとめ
コクリコ坂から」では、俊ら反対派生徒が、演説会を開催したり、広報誌を刷ったりすることで政治的解決を試みていた。これは1つの解決である*3
しかし、同じような古くからの建物を保存するためであっても、豊郷小学校事件のように、法的な措置をとり、裁判により建て替え差止を勝ち取った事案もある。
 裁判所がいうように、建物の文化的価値を無視した取り壊し判断は、単に政治的におかしいだけではなく、少なくとも行政の所有する建物であれば、「違法」なのだ。

参考:コクリコ坂関連エントリ
コクリコ坂で学ぶ家族法〜婚姻障害とその除去 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常
コクリコ坂の時代背景を教えてくれる「蛇足」審判〜「判例史学」という新たな地平 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常
コクリコ坂からのカルチェラタン取り壊し問題も裁判で解決できる??〜豊郷小学校事件 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常

*1:実務上は非常に重要なのですけどね...。

*2:実は、横田基地と関係する訴訟で、浦和地裁が取り壊しを差し止めた仮処分を東京高裁がひっくり返した東京高判昭和52年11月16日判タ365号267頁がある。

*3:また、私立学校では、本件のような住民訴訟を前提とした戦略は使えず、少なくとも「管理権濫用」が必要だろう。例えば、私立高校の体育館改築工事差止を高校生が求めて認められなかった事案(大阪地判昭和57年8月27日判例時報1057号96頁)では「申請人らがいずれも本高校への入学を認められて入学し、定の納付金を納入しているものである以上、その対価として、本高校に就学し本高校の施設を利用しうるという在学契約の一方当事者としての法的地位を有しているのであるから、他方当事者である被申請人がその管理権を濫用して、合理的な理由もなく従来の教育条件及び教育環境を甚だしく改変し、その結果申請人らを含む布校生が本高校において教育を受けることを著しく困難にするような場合には、これに対する司法的救済を受け得る立場にある」としたことが参考になるだろう。

コクリコ坂の時代背景を教えてくれる「蛇足」審判〜「判例史学」という新たな地平

コクリコ坂から(ロマンアルバム)

コクリコ坂から(ロマンアルバム)

*本エントリには、コクリコ坂からのネタバレを含んでいます。ご注意下さい。


1.コクリコ坂の時代背景?
  コクリコ坂からについては、もはや多言を要しないだろう。
既に、このblogでも、「コクリコ坂は家族法というエントリをアップしている。
コクリコ坂で学ぶ家族法〜婚姻障害とその除去 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常


この作品を見て、当時の時代背景を知りたくなった
どうするか。


普通は、史書や歴史研究者の論文を読むだろう。例えば、
『コクリコ坂から』 忘れ去られたモデルとなった事件 :映画のブログ
は、石丸安蔵氏の歴史研究を引いて、LSTの犠牲について調査したエントリを書かれている。



 しかし、「法律ヲタク」は違う。判例集を読むのだ。各判決には、事実認定といって、証拠から裁判所が存在したと判断した事実を認定している項目がある。この中には、その事案の解決のためだけのスペシフィックな事柄もあるが、その事案を適切にとらえるための背景となる歴史経緯等を厚く認定しているものもある*1。もちろん、その認定の背景をよりよく理解するために歴史書もひも解く必要はあるが、このように、裁判例で認定されてきた事実の中から歴史を研究する学問を判例史学」と呼ぶこともできるかもしれない。


2.名古屋家審昭和47年3月1日の事案
名古屋家審昭和47年3月1日判例時報679号52頁という家裁の審判がある。これを以下、「本件審判」と呼ぼう。
本件審判は、戦後27年が経過する昭和47年に行われた。「コクリコ坂から」の約10年後であり、東京オリンピックもとっくに終わっている。「時代が違うじゃないか」と思わずに、もう少し付き合っていただきたい。


  戦時色が濃くなる昭和12年、ある男女が恋愛「結婚」した。しかし、両家はいわば名家であり、恋愛結婚は簡単には許されない。婚姻届を出せないまま、妻は妊娠した。妻は出産のため実家に戻ったが、実家は夫との連絡を禁じ、夫は妻の状況がわからないまま軍隊に応召された。各地を転戦するうち、たまたま広州で親友である申立人の英比八郎さん*2に出会った。いつ死ぬかも分からない、まさに死と隣り合わせの時代。夫は、英比さんに、「八郎、お前が生きて帰った時、妻が無事子供を出産していたら、その子の出生届を俺の代わりに出してくれ」と依頼した。
  夫はガダルカナル島で戦死したが、申立人の英比さんはやっとの思いで内地に引き揚げた。
  引き揚げ後、英比さんは、死んだ親友の妻と再会し、女児が無事生まれたことを知った。しかし、女児は「無戸籍」だった。


 親友の依頼をどう実現すればいいのか分からないまま、種々の話し合いがなされたものの、その手続が不明であったこともあって、まさに「中ぶらりん」の状況が続いた。四半世紀以上も
その後、妻において、たまたま知り合った弁護士の畠山国重先生に事情を話したところ、先生が、「委託又ハ郵便ニヨル戸籍届出ニ関スル件」(昭和十五年法律第四号)のことを教えてくれた。


  要するに、当時は父親がバタバタ戦死するので、父親の死後でも、父親からの委託を受けた友達等が出生を届け出ることができるという規則があり、戦後も、戦時中に委託されたものに限っては有効とみなされていた*3。そして、このような第三者への委託事例では、事実関係が不明になることが多いので、届け出があった場合、家庭裁判所が審判で確認することになっていた*4


 英比さんは、畠山先生に依頼して、大阪家裁に申し立てた。名古屋家裁の天野正義裁判官は、申立人の申し立てを認め、女児(当時はすでに一児の母となっていた)の戸籍を作成できるようにした


 父親の戦死等により、戸籍がなくなり、または、戸籍が違った形になる。まさにこれは、コクリコ坂ではないか
 そう、当時は、無数の「コクリコ坂から」があったのだ。


3.蛇足判決?
 コクリコ坂からの事案でも、この「委託又ハ郵便ニヨル戸籍届出ニ関スル件」制度を利用することができれば、澤村雄一郎は、「委託を受けた者」として、俊の戸籍を正しく届け出ることもでき、これによって無戸籍を回避しながら、かつ、海との婚姻障害を除去できた*5
 しかし、実際に「委託又ハ郵便ニヨル戸籍届出ニ関スル件」制度を活用することは、当時の実情としては、極めて難しかった。


 本件審判が特筆すべきことは、当時の実情を、法的判断の部分の2倍以上の紙幅を使って述べていることである。これは、一種の「蛇足」であり、本来判決書に書く必要のないものといわれればそのとおりである。裁判官が判決に蛇足を書くことを批判する向きもあることも十分に承知している。しかし、本来書くべきではない蛇足をあえて書くところに、その裁判官の、蛇足部分にかける熱い思いや、人間性が表出されているのではないか。
戦争時代の実情や、「委託又ハ郵便ニヨル戸籍届出ニ関スル件」制度について、天野裁判官がその率直な心情を吐露した本件審判の「蛇足」を読んでいただきたい。

第三、本件についての当裁判所の所感
一、ところで、一般論としては、本来、裁判書にはいわゆる蛇足を付け加えるべきではあるまい。すなわち、蛇足は、文字どおり蛇足なのであって、これあるがために、その審判書は、かえって或いは理由齟齬を招き、ときとしては、その真意が誤解されることさえも生じ得ないとはいえないからである。しかし、本件においては、当裁判所は、この警しめは、これを充分に熟知しながらも、あえて以下に特にいわゆる蛇足を付加せざるを得なかった。よって、以下に文字どおりの蛇足ながら、当裁判所の本件についての所感の一端を披瀝しよう。

(中略)
なるほど、戦後のわが国の経済復興は、実にめざましいものがあった。その限りでは、(注:戦後25年以上が経過した審判日時点では)まさに戦後は終ったということも可能であろう。
 しかし、ここに注目したいことは、その背後には、そのかげには、声を大にして叫ばれこそはしないが、またそれ故に多くの耳目に触れることもないままに、いまなお、ひっそりと歌われ、しめやかに奏でられている戦争悲歌があるという事実である。
(中略)
これらの戦争は、彼を平和な小市民としておくことを許さなかった。すなわち、当時のわが国は、戦斗要員としての彼をまず必要としたのであった。かくて、彼は、恐らくはみずからは必ずしも好まざるところではあったろうが、右国家の求めにより、生木をさかれるように、その愛する者と別れて、軍務に就くことを余儀なくされ、まさに後ろ髪をひかれる思いにかられながら、各地を転戦した。この間には、愛児の誕生をみたものの、子の父として、彼には、これを慈しみ愛護するという当然の機会さえも全く与えられないままに、諸々に辛酸をなめながら、遂に南冥のガダルカナル島(Guadal Canal以下にガ島と略称する)の陣中において戦没するにいたった。
(中略)
しからば、一方、同じく戦陣にあった申立人と銃後に残された者はどうであったか。当裁判所は、粛然と襟を正して本件の審理を重ねながら、本件にあっては、まず、これに直接間接に関与した多くの関係人のすべてが、まことにいずれも善良にしてそして誠実な人達ばかりであったことに着目した。
(中略)
  本件は、右のような多くの善意の人の手によって事が推移し、しかも、これらの人々が、いずれも当時としては殆んど最高に近い教育を受け、相応の常識と教養を積んでいたにもかかわらず、戦後四分の一世紀を経た今日にいたって本件が漸くここに陽の目をみるにいたったのは何故であろうかということである。なるほど、法令としては、旧戸籍法の特例として、「委託又ハ郵便ニヨル戸籍届出ニ関スル件」(昭和十五年法律第四号)がある。しかし、それでは、国民のうち、一体何人がこの法令の趣旨を熟知しているか。しかも、本件の関係者は、そのいずれもがいわば戦争の犠牲者であるといえよう。国家は、よし悪意はなかったとしても、結果としては、彼らにこのような深刻な犠牲を一方的に強いたのである。まことに戦争の傷跡は、本件において殊に大きく深かった。罪なくして生れた前記和美は、いまはすでに婚姻し、家庭の人となったのみか、その夫との間に一子さえある。しかも、その戸籍はなくして、今日にいたるまで個人の身分関係を公証する戸籍の上では、全く無籍のままに推移した。まさしくかつての靖国の遺児として、国家から相応の好待遇をこそ受けるにふさわしい者が、戸籍上は、かえって結果において右のような取扱しか受け得られなかった。その原因は、制度はあっても、一にかかって関係者が過失なくして右法令を充分に熟知しなかったことにあろう。
十四、しかしながら、当裁判所は、ここに再度重ねてあえて言おう。一体、何人が右の法令を正しく熟知し得よう。問題は、何人が現にこれを正確に熟知しているかということである。
(中略)
戸籍の事務処理に当る諸機関に国の充分な配慮が与えられ、その広報活動がより活発になされるならば、本件のように、関係者の善意にもかかわらず、今日に及んで漸くその解決をみるという事態は、ここに全く避け得られることになろう。
十六、当裁判所は、本件の処理に当り、まさに襟を正すの思いで、国の適切なしかも可急的速かな一連の諸施策がこれら不幸な事案に優先的に与えられることこそ、国の責務であることを再びここに断じ、その速かな実現を心から念願するとともに、これを深く期待しつつ、筆を擱きたい。
名古屋家審昭和47年3月1日判例時報679号52頁

注:末尾に審判書全文を掲載したので、興味のある方はぜひ、詳細をお読みいただきたい。


 本件審判が力説するように、 多くの市民が戦争の犠牲になり、特に父親の死亡による戸籍届け出の困難があった。
そのための戸籍届け出の便法が認められてはいたものの、このようなフル活用されるべき情報が一般市民には全然周知されていなかった


この結果が、本件審判のような、昭和47年になってはじめて戸籍が出来る女児の存在や、愛するメルと結婚できなくなりそうになった俊の存在なのである。


天野裁判官は大正14年9月30日生まれ。20歳で終戦を迎え、4期司法修習生として昭和27年に法曹となり、昭和31年に裁判官に任官した。まさに「昭和」を生きた方であり、英比さんや死んだ夫、そして妻(女児の母)と同世代を生きる方である。一人の人間として「蛇足」を書かざるを得なかったのだろう*6

 この審判は、判例時報誌の評者によって、

事件の背景には、本審判があえて蛇足として付加したように、多くの感懐が秘められている。一つの事例として紹介するに値しよう。
判例時報679号52頁

と評価されている。


そう、コクリコ坂も、本件審判も、このような時代背景に基づく「感懐」の一断面なのだ。

まとめ
判決をたくさん読むと、「蛇足」といった形で時々垣間見える裁判官の肉声。
そこには、「人間」がいる。
同じ時代を共有し、悩みに悩んで判決する人間が。
こういう判決・審判を見ると、司法に問題がたくさんあっても、上を向いて歩こう、きっと明日は今日より一歩良くなるはずだから。こう思えるのだ。


参考:コクリコ坂関連エントリ
コクリコ坂で学ぶ家族法〜婚姻障害とその除去 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常
コクリコ坂の時代背景を教えてくれる「蛇足」審判〜「判例史学」という新たな地平 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常
コクリコ坂からのカルチェラタン取り壊し問題も裁判で解決できる??〜豊郷小学校事件 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常


参考:本件審判書全文

戸籍届出の委託確認審判申立事件
名古屋家裁昭四六(家)二七九八号
昭47・3・1審判
申立人 英比八郎
代理人弁護士 畠山国重
事件本人亡 甲野和郎


       主   文

申立人が、昭和十六年十二月四日、広洲省虎門附近において、事件本人から、現住所横浜市○○区○○○××番地乙山和美につき、同人が事件本人を父とし、本籍広島市○○○町×丁目××××番地の××乙山花子(大正五年九月一日生)を母として、右両名間の庶子女として昭和十三年十二月十四日広島県○○郡○○○町××番地において出生した旨の出生の戸籍届出の委託を受けたことを確認する。


       理   由

(申立の趣旨ならびに申立の実情)
 申立代理人は、主文同旨の審判を求め、その実情として、次のとおり述べた。
一、主文に表示された乙山花子と事件本人は、いずれも昭和十二年頃、ともに当時の東京市牛込区若松町にあった○○アパート内に寄宿し、花子は、同所から洋裁修得のため虎の門富士ビル内の伊東茂平洋裁研究所に通学し、事件本人は、また早稲田大学専門部商学科の学生として、同アパートから右大学に通学していたが、やがて相思の仲となり、同年十一月三日、申立人を含む友人五名の出席を得て、同アパート内で結婚披露をなし、直ちに同所において同棲した。
二、しかし、この結婚は、右当事者双方がいずれも若年の学生であることと、いわゆる恋愛結婚を双方の父兄がともに不道徳視していたことが主たる原因となって、同棲はなされたものの、結局、双方の実家の同意を得られないままに推移した。
三、すなわち、事件本人は、同十三年三月、同大学専門部を卒業したので、花子とともに相携えて事件本人の郷里名古屋に赴き、名古屋市○区○町に新たに花子と新世帯をもち、この間、右結婚に対する実家の同意を得べく、同人は勿論、親友である申立人等においても、事件本人等の生活を援助するとともに、種々奔走したが、これも遂に実家の同意を得られず、結局、その効を修め得なかった。
四、ところで、乙山花子は、事件本人と前記のアパートに同棲中、すでに妊娠していたので、前記のように、いったんは事件本人とともに右名古屋にあったが、同年六月、その実家で出産すべく、事件本人と別れて、単身、主文表示の○○○町××番地に赴き、一方、その後、同女の親友である広田松子において、事件本人の生家の同意を得べく、名古屋に赴いたこともあったが、これも遂に効を奏しないまま、同年十二月十四日、同所で女児を出産した。
五、この間、事件本人は、右花子との間になんらの連絡がとれないまま、同十三年十二月、応召入営のうえ、軍務に服するにいたったので、母たる花子は、その生家の監視を受けて事件本人との連絡が全くとれないままに、右女児の名として、事件本人の和郎の「和」と花子の父乙山美夫の「美」の一字をとって、同児に対し、「和美」と名づけた。
六、一方、事件本人は、その後、各地を転戦し、同十六年十二月にいたったところ、同月四日、たまたま応召して同様軍務に服していた親友の申立人と広洲省虎門附近で偶然再会し、ここに、申立人は、同所において、事件本人から、主文記載の趣旨の子の出生の届出を委託されるにいたった。
七、かくて、事件本人は、この頃、いわゆる香港攻略戦に参加し、以後も、終始、軍人として、野戦の事に従事して、ソロモン群島ガダルカナル島(Guadal Canal)に転じたが、遂に同十七年十二月十一日、同地での戦斗で戦死するにいたった。
八、よって、申立人は、委託の趣旨を実現するため、ここに主文同旨の審判を求める次第である。
(当裁判所の判断)
第一、当裁判所の認定した事実
一、まず、《証拠略》、ならびに以上の資料によって認定される申立人主張の事実を各綜合し、これに本件の全趣旨を併せると、更に次のような事実を認定するに充分である。
二、すなわち、
(一) 申立人と事件本人は、ともに名古屋の出身で、双方の父親がいずれも相応の素封家でまたともに裁判所の調停委員などに選任されていたため、すでに両名が旧制実業学校に在学中から相互に熟知の間柄にあったものであるが、右学校を卒業後は、両名ともに早稲田大学専門部に進学したことから、更に一層親密の度を重ね、相共に当時の東京市牛込区若松町所在の○○アパートに寄宿するようになり、昭和十二年当時は、両名そろって同所から同大学に通学するほどの間柄であった。
(二) ところで、当時、このアパートには、同じく広島から洋裁等の修得のために上京していた乙山花子、広田松子らが居住していたが、事件本人らは、ここでその止宿先を共にする同女らと親しくなり、申立人主張のとおりの経過を経て、やがて殊に相思相愛の仲となった事件本人と右花子は、遂に同アパートにおいて同棲するにいたった。
(三) しかし、申立人がその主張の二の項に述べたように、事件本人等において、申立人を含む双方の友人に対しては、事件本人と花子は右のような関係にあって近い将来正式に婚姻をする旨のことが同年十一月三日披露されはしたが、双方の実家の承諾は、遂に得られることなく、かくて、事件本人は、同十三年三月、右大学の専門部を卒業し、申立人主張の三ないし五の各項に記載された経緯を経た。
(四) かくて、乙山花子は、女児を出産したものの、その生家は、事件本人との関係を極度に嫌い、同女と事件本人との連絡を絶つよう同女の行動を絶えず監視したため、花子は、結局、事件本人との間にはなんらの連絡がとれないままに、母子の生活を維持するため、和美とともに、同十七年頃京城に渡り、同地において、洋裁店を経営したが、やがて今次戦争の終戦を迎え、同二十年十二月、和美を連れて郷里広島に引き揚げるにいたった。
(五) 一方、事件本人も、花子の安否を深く心に気にかけながらも、これまた花子との間になんらの連絡をとる暇もなく、同十三年十二月、現役兵として歩兵第六連隊に入営し、以後、各地を転戦し、同十六年十二月にいたった。
(六) また、申立人自身も、この間、同十五年、同連隊に入営し、やがて陸軍経理部甲種幹部候補生となり、陸軍少尉に任官のうえ、広洲省虎門において軍務に服していたところ、同十六年十二月四日、たまたま香港攻略戦に参加するため、兵科下士官として同地を行軍してきた事件本人と偶然再会し、ここに申立人は、事件本人から、主文記載の趣旨の子の出生の届出を委託されるにいたった。
(七) しかして、事件本人は、その後、申立人がその主張の七の項において述べたような経過を経て、遂に同十七年十二月十一日、前記ガダルカナル島砲台西南側沖川河合分流点附近において戦死するにいたった。
(八) 一方、前記のように、京城から引き揚げた乙山花子は、その後、諸々に伝手を求めて当時広島方面に駐留中の英豪軍基地内で洋裁店を始め、以後二十数年にわたり、終始、和美とその生活を共にし、これを愛育して、現在は、広島県呉市横浜市等において、手広く洋裁店、喫茶店等を経営し、今日にいたっている。
(九) また、右和美は、結局、無籍のままで今日にいたったが、この間、東京の○○高等女学院等を卒業のうえ、○○屋洋裁部門の専属主任デザイナー等を勤め、またこの間、○○航空にエンジニアーとして勤める丙川一夫と婚姻し、すでに右両名の間には、同四十六年十月に生れた長女春子がある。
(十) ところで、申立人がさきに戦死した事件本人から受託された本件の戸籍届出については、戦後再会した申立人、乙山花子、前記広田松子等との間で、種々の話合がなされたものの、その手続が不詳であったこともあって、申立は延引したが、花子において、たまたま知り合った本件代理人に事情を話したところ、改めて同代理人からの手続教示があり、これにもとづいて、申立人から本件申立をなすにいたった。
 以上の事実が認められるのである。
第二、法令の適用
一、しかして、以上の事実によれば、右事実は、戸籍法第百三十八条第二第三項、旧委託又ハ郵便ニ依ル戸籍届出ニ関スル件(昭和十五年法律第四号)第一条に該当することまた明らかというべきである。
二,ところで、記録に編綴されている本件申立書によれば、その申立の趣旨欄に、申立人が、事件本人から、乙山和美が、事件本人を父とし、主文表示の乙山花子を母として、その間の「女」として出生した旨の戸籍届出の委託を受けたことを確認する旨の申立の記載があるが、申立人が本件委託を受けた当時施行されていた旧戸籍法(大正三年法律第二十六号)第八十三条の規定するところによると、当時は、父が「庶子」出生の届出をしたときはその届出は認知届出の効力を有する旨が規定されているから、昭和十七年二月十八日民甲第九〇号通達をもって、私生子なる用語が戸籍の届書上使用されなくなった以前の事に属する本件においては、申立の趣旨を右のように善解し、なお、主文のように表示し、これを認知届出の委託を受けたものと同視するのを相当とする。 
三、よって、本件申立は、その理由があるものとして、これを認容すべきである。
第三、本件についての当裁判所の所感
一、ところで、一般論としては、本来、裁判書にはいわゆる蛇足を付け加えるべきではあるまい。すなわち、蛇足は、文字どおり蛇足なのであって、これあるがために、その審判書は、かえって或いは理由齟齬を招き、ときとしては、その真意が誤解されることさえも生じ得ないとはいえないからである。しかし、本件においては、当裁判所は、この警しめは、これを充分に熟知しながらも、あえて以下に特にいわゆる蛇足を付加せざるを得なかった。よって、以下に文字どおりの蛇足ながら、当裁判所の本件についての所感の一端を披瀝しよう。
二、今次大戦の終戦から十年を閲した昭和三十年頃、巷間に、戦後は終ったなる言葉が流布され、国民一般も、その大部分は、さほどの抵抗を覚えないままにこの言葉を受容したことがあった。しかしながら、果して真に然りといえるであろうか。当裁判所は、本件の審理を閉じて、いまこの審判書を起案しつつあるが、国民の一部については、右終戦の日から実に四分の一世紀を経た今日にいたるも、いまなお、この言葉は、全く妥当するものではないことをしみじみと感じつつある。なるほど、戦後のわが国の経済復興は、実にめざましいものがあった。その限りでは、まさに戦後は終ったということも可能であろう。

 しかし、ここに注目したいことは、その背後には、そのかげには、声を大にして叫ばれこそはしないが、またそれ故に多くの耳目に触れることもないままに、いまなお、ひっそりと歌われ、しめやかに奏でられている戦争悲歌があるという事実である。
三、本件についてふりかえってみよう。まず、昭和十二年に当時日支事変と呼ばれた不幸な戦闘が華北の一角に起きたということ、これが事変の拡大化とともにやがて支那事変と呼ばれるようになり、遂に同十六年には、大東亜戦争なる公式呼称をもって呼ばれる今次大戦に発展してしまったということは、そのすべてが、全く彼自身の関知したところではなかった。彼は、当時としては恵まれた中京地方の素封家の家に生れ、これらの子弟として一般に受ける相応の教育を授けられ、更に東京に遊学して、この頃、若い頃にありがちな平凡なしかしむしろ微笑ましい恋愛問題をひき起こし、これに関連して、その身辺に、当時としては所々にみられた生家との間にありふれた些末な葛藤を起しながらも、愛する人との生活を享受しながら、平凡ではあるが、善良な一般小市民として、まことにささやかな幸福感に酔っていたであろう。彼、すなわち本件の事件本人たる甲野和郎である。
四、しかるに、これらの戦争は、彼を平和な小市民としておくことを許さなかった。すなわち、当時のわが国は、戦斗要員としての彼をまず必要としたのであった。かくて、彼は、恐らくはみずからは必ずしも好まざるところではあったろうが、右国家の求めにより、生木をさかれるように、その愛する者と別れて、軍務に就くことを余儀なくされ、まさに後ろ髪をひかれる思いにかられながら、各地を転戦した。この間には、愛児の誕生をみたものの、子の父として、彼には、これを慈しみ愛護するという当然の機会さえも全く与えられないままに、諸々に辛酸をなめながら、遂に南冥のガダルカナル島(Guadal Canal以下にガ島と略称する)の陣中において戦没するにいたった。
五、当時のガ島の戦場は、故国からする物資の補給は、僅かに潜水艦等を主体とする海軍の小艦艇によってなされたのみで、戦陣のわが将兵は、常に耐えざる慢性的な甚しい飢餓感に苛まれ、餓死寸前の状況を彷徨し、加えて故国からの便りは遂には全く途絶し、しかも、この間を縫っての筆舌に尽しがたい激烈な戦斗で、多くの若い兵は、本来春秋に富む身であるのに、故国をひたすらに偲びながら、否、故国に残した愛する人の上にひたむきに想いをはせながら、空しく同島の土となったものであって、これらの事は、いずれもすでに当裁判所に顕著な事実である。これらの空しく陣没した年若い無名の兵が、表面の上では、かつて仮に「天皇のために」死の道を選ぶと述べたとしても、これは必ずしもその真意を伝える言葉ではない。その真意は、これこそまさしくその言葉の代りに、わが「愛する父母のために」、「愛する妻子のために」、そしてまた「愛する人のために」という言葉でもってこそその言葉は置きかえられるべく、然らざれば、その真意に反しよう。然り、彼らが、みずからは、かつて見たことさえもない、その限りでは彼らにとって甚だ抽象的な存在でしかなかった「天皇」個人のためにのみ死ねるわけはない。すなわち、彼らは、まことにその各々が、実にその「愛する者のために」、「愛する者」が生き残るであろう祖国を守るために、そのためにこそあえて異国の戦場において死の道を選んだのである。戦塵を浴びてその戎衣は汚れていたろう。しかし、汚れて画一化された戎衣を身にまとっていても、その下には若々しい情念が溢れていたことでもあろう。なるほど、前述したように、わが国の戦後の経済成長には、まさにわれわれの目を見張らせるものがあろう。しかしながら、このように解するのでなければ、同様に戦陣に在った者には、耳をそばだてなくても、経済成長という声の背後から聴えてくる啾啾たる彼らの鬼哭の声を慰める術はない。然らずんば、無数の彼らの尊い鮮血を吸ったガ島の生命なき石も叫ぼう、無心の草木も彼らのために慟哭しよう。
六、彼、甲野とても、もとよりその例外ではなかった。自己の運命に忠実に従って終始野戦に在った彼にとって、故国に残した乙山花子、そして彼とその間に生れた和美のことは、後事を申立人に託しはしたものの、恐らくは、死の瞬間にいたるまで、夢寝の間にあっても、その脳中を絶えず去来し続けたことであろう。
七、しからば、一方、同じく戦陣にあった申立人と銃後に残された者はどうであったか。当裁判所は、粛然と襟を正して本件の審理を重ねながら、本件にあっては、まず、これに直接間接に関与した多くの関係人のすべてが、まことにいずれも善良にしてそして誠実な人達ばかりであったことに着目した。
八、まず、本件の申立人である。彼は、右甲野の竹馬の友として、これと学業を共にし、亡友と右花子との新婚生活(本件ではその婚姻がいわゆる法律婚事実婚かということは全く問題にしないでおこう)の継続を陰に陽に助け、同じく花子の親友であった広田松子とともに、相携えてその双方の実家の誤解を解くべく奔走し、みずからも召集を受けてからは、前認定のように昭和十六年末のいわゆる香港攻略に際して亡友から前認定の委託を受け、記録によって明らかなように、戦後はまた戦争未亡人たる右花子の行方を探し当て、その良き友として、右松子とともに花子に絶えざる暖かい援助を与え今日にいたったものであって、これらの人の暖かな好意がなかったならば、本件は、遂に陽の目をみることも或いはなかったかもしれないことを考え併せると、当裁判所としても、これらの人々に心から感謝したい心情である。
九、戦争未亡人たる乙山花子については、前認定の事実によって明らかなように、もとより最早多くを語るを要しまい。亡夫甲野の応召後、日かげの身ながら、ひたすらに愛児の愛護養育に励み、その今日を築いたことを顧みるならば、同女に対して、当裁判所は、その積年の労苦に心からなる同情の念を抱くとともに、改めて深く敬意を表したい。
十、ところで、ここでは、すでに鬼籍に入った両家の家長のことにも言及しよう。家族制度が牢固として国民の間に定着していた当時にあって、しかも、名古屋なり広島なりの地方においてそれぞれ素封家の立場におかれていた両家の家長が、両家の人の全く関与しないところで結ばれたいわば学生同志の婚姻にたやすく直ちに同意を与えなかったとしても、これ又当時としては、まことに無理からぬところであって、当時の婚姻に対する国民一般の観念がいわゆる家族制度を抜きにしては語れなかった事実に想到するならば、両家の家長のとったこれらの措置にとかくの批判を加えることはできない。子を思わぬ親はないという一般的な観念は、特段の事情のない限り、概ね妥当するところである。しかして、本件においても、これらの家長は、それぞれに、将来は、右婚姻を黙示的にしろ、いずれは許そうとの考えでいたであろうことは、本件の全趣旨に徴して、またこれを認めるに足りる。ところが、戦争は、彼らにこれらの時間を全く与えなかった。ここに甲野が軍務に服してから右戦死にいたるまで四年の空白ができてしまった。本件の不幸は、ここに生じ、しかして、これは、やはり彼らの意図を超えたものであった。
十一、しからば、筆を今一度右甲野と花子のことに戻そう。彼らが東京に遊学中互いに相知り、相互に憎からずといった恋愛感情を抱いたこと、そして、これがやがて彼らの同棲となり、相共に将来を誓う仲となって愛児の出産といった事態にたちいたったこと、以上の事実を辿ったこれら一連の推移は、これまた、まさしく自然のなりゆきというべく、第三者が一層慎重な配慮が望ましかったと言うのは容易ではあるが、それでは一体、誰が真にこれを責め得よう。当裁判所は、本件を契機として、右両家が今や血肉を分けた親類としての親密な交際関係を維持するよう、これのみを今後に期待することにしよう。
十二、以上のように考えるならば、さきにも一言したとおり、本件は、それ自身がひとつの戦争悲歌ではあるが、これに登場するすべての人々は、そのいずれもが、誠実な善意の人々であった事実を知るに充分であり、それ故にこそ、本件には、また大きな救がある。
十三、ところで、ここで、特に注意したいことは、本件は、右のような多くの善意の人の手によって事が推移し、しかも、これらの人々が、いずれも当時としては殆んど最高に近い教育を受け、相応の常識と教養を積んでいたにもかかわらず、戦後四分の一世紀を経た今日にいたって本件が漸くここに陽の目をみるにいたったのは何故であろうかということである。なるほど、法令としては、旧戸籍法の特例として、「委託又ハ郵便ニヨル戸籍届出ニ関スル件」(昭和十五年法律第四号)がある。しかし、それでは、国民のうち、一体何人がこの法令の趣旨を熟知しているか。しかも、本件の関係者は、そのいずれもがいわば戦争の犠牲者であるといえよう。国家は、よし悪意はなかったとしても、結果としては、彼らにこのような深刻な犠牲を一方的に強いたのである。まことに戦争の傷跡は、本件において殊に大きく深かった。罪なくして生れた前記和美は、いまはすでに婚姻し、家庭の人となったのみか、その夫との間に一子さえある。しかも、その戸籍はなくして、今日にいたるまで個人の身分関係を公証する戸籍の上では、全く無籍のままに推移した。まさしくかつての靖国の遺児として、国家から相応の好待遇をこそ受けるにふさわしい者が、戸籍上は、かえって結果において右のような取扱しか受け得られなかった。その原因は、制度はあっても、一にかかって関係者が過失なくして右法令を充分に熟知しなかったことにあろう。
十四、しかしながら、当裁判所は、ここに再度重ねてあえて言おう。一体、何人が右の法令を正しく熟知し得よう。問題は、何人が現にこれを正確に熟知しているかということである。当裁判所に顕著なように、全国の家庭裁判所においては、法令上に明確にその根拠を持たないにもかかわらず、したがってまた、何らの予算措置も講じられないままに、自然発生的に関係職員のいわば奉仕の手によって、いわゆる家事相談が現に行なわれている。人的物的設備の点でいまなお必ずしも十全とはいえない家庭裁判所において、このような措置があえてとられているその原因は、一体何であろうか。いまその詳細をここに論述することはできないが、その原因は、また、一にかかって、民間になお残されている本件のような潜在的なしかし関係者にとっては切実な問題を採り上げることによって、平和で円満な家庭の建設が可能であるという理念に根ざしているものといえよう。しかるに、その必要はこのように充分に認識はされながらも、未だにその法制化はなお困難のようである。
しかし、本件の審理を通じて、当裁判所は、右法制化の速かな実現を図るとともに、広く家庭裁判所の門戸をより国民に開放する必要を一層深く認識した。何故ならば、右のような立場に在る本件の人達でさえも、善意はあっても、法律的には殆んど知るところがないままに、本件においては、前記のような事態を迎えてしまった事実に着目したからである。すなわち、本件の関係者にして、右の家事相談を速かに利用していさえすれば、否、利用し得る機会を与えられていれば、本件の解決は、もっと早かったであろうことに留意したからである。当裁判所は、再言しよう。すなわち、家事相談の速かな法制化が図られ、これが制度として実現され、本件のような事案も含めて、多くの潜在的な家庭内の諸問題の解決が完全に図られてこそ、ここに始めて家事審判法第一条の精神が国民の間に完全に定着することになろうということを。この意味で、本件に関連して、ここに戸籍事件の処理に当る家庭裁判所の人的物的のより一層の充実強化が重ねて望まれる次第である。
十五、かくして、当裁判所は、まず制度の問題として、その一例を家事相談にとってはみたが、同様のことは、戸籍事務を直接に管掌する法務局、市町村長の戸籍事務に関する広報活動についてもいいえよう。これら戸籍の事務処理に当る諸機関に国の充分な配慮が与えられ、その広報活動がより活発になされるならば、本件のように、関係者の善意にもかかわらず、今日に及んで漸くその解決をみるという事態は、ここに全く避け得られることになろう。
十六、当裁判所は、本件の処理に当り、まさに襟を正すの思いで、国の適切なしかも可急的速かな一連の諸施策がこれら不幸な事案に優先的に与えられることこそ、国の責務であることを再びここに断じ、その速かな実現を心から念願するとともに、これを深く期待しつつ、筆を擱きたい。
 以上により、当裁判所は、主文のとおり審判した。
(家事審判官 天野正義)

*1:一番有名なのは、その解釈の適否はともかく、日本の戦争責任を追及する原告らの損害賠償請求を棄却する上で、明朝成立以降、ムガル帝国滅亡、第二次世界大戦キューバ危機までの日本を中心とした世界近現代史に関する裁判所(当該裁判体)の歴史認識を詳細に判示した東京地判平成11年9月22日判タ1028号92頁だろう。

*2:判例時報があえて名前を仮名にしていないので、判例時報の表記にならわせていただく。

*3:戸籍法138条2項

*4:戸籍法138条3項

*5:上記blogでは、俊の出生は1945年と想像する。

*6:日本民主法律家協会「全裁判官経歴総覧」34頁参照。なお、同年4月1日付で退官されており、言いたいことが言いやすかったのかもしれない。

不注意な「契約」をした「インキュベーター」取締役の責任が認められた事案〜カブトデコム事件

魔法少女まどか☆マギカ ラバーキーホルダー キュゥべえ

魔法少女まどか☆マギカ ラバーキーホルダー キュゥべえ


1.起業支援者としての「インキュベーター
 IPO(アイ・ピー・オー)。新規株式公開という意味である。
 IPOに成功すれば、創業者は大きな株式売却益と、自己の手元の株式の含み益を得ることができる(創業者利益)。また、IPOをする株式を安値で買っていれば、IPO時には、買った時の数倍から数十倍といった暴騰を期待することもできる。こういうことから、IPOを目指しているベンチャー企業は多い。
 しかし、単に「会社の業績がいい」とか「ビジネスモデルがいい」というだけで上場はできない。必要なファイナンスの手当、業務提携先の候補調査等、いろいろな支援が必要である。インキュベーターは、このような立ち上げ期の会社を支援し、上場までこぎつけさせることを通じて、IPOの利益を分かち合う起業支援者のことをいう。


 魔法少女まどか☆マギカでは、キュゥべえことインキュベーターが、少女と契約して、魔法少女になってもらう代わりに、願いを叶えるという設定となっていた。
 この、まどか☆マギカインキュベーターを、起業支援者という意味のインキュベーターとうまく関連付けて話題になったのが、磯崎哲也先生の、

http://www.yomiuri.co.jp/job/entrepreneurship/isozaki/20110531-OYT8T00567.htm

 である。このエントリでは、ベンチャー企業の視点から、

 アニメにも実社会にも共通する教訓は、「契約する際には、十分すぎるほど注意せよ」ということです。相手がなぜその契約を結びたがっているのか、相手はこの契約の対価として何を得るのか、契約にはどのような義務が伴うのか、どのような条件が発生すると契約が終了するのか、契約終了後はどうなるのか。そういった注意は、(ベンチャー企業に限らず)必要です。
「『まどか☆マギカ』で考える『インキュベーター』の役割」より

 といった興味深い考察がされている。


2.インキュベーターが裁かれた!?
 さて、この起業支援者としてのインキュベーターについて、法律の観点から見ると、もう1つの観点がある。それは、不適切なベンチャー企業を支援をしてしまったインキュベーターの責任という問題である。まどマギ風に言えば、適性のない魔法少女と契約してしまったインキュベーターの責任である。これが実際に争われた判決が、最判平成20年1月28日判例タイムズ1262号69頁である。カブトデコム事件の方が通りがよいかもしれない*1


 インキュベーターとなったのは北海道拓殖銀行、後に破綻したことで有名である。魔法少女、もとい、新興企業の名は、カブトデコム。北海道の新興不動産デベロッパーといった感じである。
 時は昭和63年、まさに、バブル真っ盛りであり、北海道にもバブルのあだ花が咲き乱れていた時代である。
 北海道拓殖銀行は、当時、インキュベーター路線を取っていた。この事件の控訴審判決が認定した、拓銀の方針について、ちょっと引用しよう。

拓銀は,昭和60年ころから,金融自由化時代を乗り切るべく,事業収益を挙げるため,道内企業,若手経営者の育成に注力するようになり,(中略)中堅・中小インキュベート事業と題し,中堅・中小の成長企業を主体に,経営情報サービスの提供を通し,企業の成長と拓銀のリターンを拡大し,法人向け中核事業として重点的に取り組むことで拓銀の顧客ポートフォリオの若返りを図ることを目標に掲げ,同年10月までは法人部を中心に,同月以降は育成企業担当部として新設された総合開発部において,道内の若手経営者を中心に企業育成を行った(いわゆる,インキュベーター路線)。インキュベーター路線の実行は,当初は,バブル経済を背景に,拓銀に一定の収益をもたらしていた
カブトデコム事件控訴審判決(札幌高判平成17年3月25日判例タイムズ1261号258頁)

 この路線の一環として、北海道拓殖銀行は、カブトデコム(の関係会社)に計約195億円の融資を行った。カブトデコム洞爺湖のほとりに大規模なホテルを建築するということで、カブトデコムがその関連会社に新株を引き受けさせた。この引き受けのための資金を北海道拓殖銀行が融資した。実質的には、洞爺湖のほとりのホテル建築プロジェクトの資金の融資と考えてもらって差し支えない。
 後で問題になったのは3つ融資があるが、インキュベーターと関係するのは、このホテル建築プロジェクトの資金の融資である*2
 この融資の際、北海道拓殖銀行は、カブトデコム(の関係会社)から担保をとった。それが、カブトデコムの株式なのである。ホテル建築プロジェクトが順調に進み、カブトデコムが順調に成長し、IPOに漕ぎ着ければ、カブトデコム株は、当初の何倍にもなる。そこで、融資を十分に担保するだけの価値を持つことになるだろう。逆に言うと、カブトデコムには、他に担保になりそうなめぼしいものはないので、株式以外の担保をよこせというと、195億円も融資をすることはできず、カブトデコムがこのプロジェクトを通じて成長することはできなくなる訳である。
 この目論見は、少なくとも最初は当たったカブトデコムは、平成元年3月、国際証券*3を主幹事証券会社として日本証券業協会に店頭登録した。今でいうJASDAQ上場である。当初は株価も順調に上がり、株価4万円以上をつけたこともあるそうである。
 ところが、バブル崩壊と共に、カブトデコムの業績は悪化し、ホテル建築プロジェクトも頓挫する。カブトデコムは事実上破綻し、北海道拓殖銀行カブトデコム向け融資は焦げ付いた。北海道拓殖銀行の破綻の原因の一つがカブトデコム向け融資とも言われる


 北海道拓殖銀行破綻後、カブトデコムへの融資が問題視され、北海道拓殖銀行の取締役の責任が裁判上争いになった*4。特に、カブトデコムの株式を担保として取ったことが適切かが問題となった
 控訴審裁判所は、ホテル建築プロジェクトの資金の融資について、インキュベーター路線を評価し、取締役には責任はないとした。
要するに、カブトデコムへの融資は、当該融資そのものによる金利等の収益を目的とする通常の銀行融資とはその性質を異にするもので、相当期間の長期にわたる融資先の育成を見据えた拓銀としての将来における長期的な営業戦略の一環であって、単純な貸付とは異なり、拓銀にとっては,融資元本の回収及び利息による収益を超える利益を目指した投資的性格が色濃く認められる融資であったことから、融資先に既存の物的かつ確実な担保提供を求めること自体が不可能を強いるものであり,発展途上の企業を育成するという目的からは、カブトデコムの株式を担保とする融資も相応の相当性を認めることができる。としたのである。


 これに対し、最高裁は、全く逆の判断をした。他の融資と併せ、計50億円の損害賠償を北海道拓殖銀行インキュベーター)取締役に負わせたのである
 株式は一般に価格の変動幅が大きいところ、いったんカブトデコムの業績が悪化すると、担保となっている株式の価値も一緒に下落する。これを言い換えると、融資の回収が難しくなる場合、つまり、一番担保が必要な場合に株価が下落して担保の役目を果たさなくなるというリスクがある。そこで、株式を担保に195億円もの巨額の融資を行うことは,そのリスクの高さにかんがみ,特に慎重な検討を要するものというべきであると指摘した。
 その上で、銀行が,特定の企業の財務内容,事業内容及び経営者の資質等の情報を十分把握した上で,成長の可能性があると合理的に判断される企業に対し,不動産等の確実な物的担保がなくとも積極的に融資を行ってその経営を金融面から支援することは,必ずしも一律に不合理な判断として否定されるべきものではないが、カブトデコムは、その財務内容が極めて不透明で、借入金が過大で財務内容は良好とはいえないなどの報告がされていたのだから、北海道拓殖銀行が当時採用していた企業育成路線の対象としてカブトデコムを選択した判断自体に疑問があるといわざるを得ない等とした。そこで、インキュベーター路線の一環として行われた融資であることを考慮しても,当時の状況下において,銀行の取締役に一般的に期待される水準に照らし,著しく不合理なものといわざるを得ないとして、取締役の責任を認めたのである。


3.カブトデコム判決の教訓
 インキュベーターは、一社だけをインキュベートすればよいのではなく、通常は複数の有望なベンチャー企業を発見し、次々と支援先を増やしていく必要があるだろう。魔法少女まどか☆マギカにおいて、キュゥべえ「契約」のノルマを課せられていたように、インキュベーターも、多くの原石となるベンチャー企業を発掘して「契約」することが必要である。
 しかし、ダメ企業と「契約」してしまうと大変なことになる。これを示すのが、北海道拓殖銀行カブトデコムへの融資であり、将来の成長に期待して、株式を担保に巨額の融資をしたところ、それが焦げ付き、銀行そのものの破綻の原因となったのである。最高裁も、インキュベーターが一定のリスクを取る事自体には理解を示している。しかし、財務内容が極めて不透明で、借入金が過大等の危ない企業と「契約」して資金的な支援をするのは、投機*5に過ぎない。
 リスクを怖がり、誰もインキュベーターがいない社会。そこは、新たな成長のない、まるで魔女に破壊し尽くされたような暗い社会であろう。しかし、インキュベーターが適切にどのベンチャー企業を支援するか判断しなければ、インキュベーターに大きな損失を与え、取締役個人の責任を問われることになる。加えて、カブトデコムの株式を購入して、それが紙くずになった個人投資家の方もいらっしゃるだろうインキュベーターが、支援先の選別を誤って、上場させてはいけない企業を上場させてしまった時、証券市場に混乱を巻き起こすファイナンスが回らなくなりソウルジェムが濁った企業は、怪しいファンドへの第三者割当増資やMSCBの発行(グリーフシードの供給)等を行い、ハコ企業とか株券印刷業等になって、最後に上場廃止(魔女化)して、多くの投資家に被害を与える。このように、インキュベーターインキュベート責任は重いのであり、キュゥべえ達(インキュベーター達)には、誰を魔法少女として契約するか(どのベンチャー企業を支援するか)について、慎重な検討が求められるのだ。

まとめ
 磯崎先生が指摘されるように、ベンチャー企業側が注意すべきことについて、魔法少女まどか☆マギカは非常に示唆的である。
加えて、カブトデコム判決は、インキュベーター側も、どのベンチャー企業を支援すべきかについて、重要な示唆を与える。この判決を理解する上でも、魔法少女まどか☆マギカは必見のアニメであろう!

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*1:同じ日に最高裁で3件の同じような判決があったうちの1つ。

*2:判決や評釈では「第一融資」と呼ばれる

*3:今の三菱UFJモルガン・スタンレー証券

*4:RCC整理回収機構が提訴。

*5:松山昇平「銀行取締役の融資判断における注意義務」金融法務事情1833号30頁は、「拓銀カブトデコムに対してとった企業育成路線とは、企業育成の名の下に投機的な融資を行ったにすぎない」と指摘する

加藤一二三事件から学ぶ「ペットと近隣訴訟」〜法律学的にも「伝説の判決」

一二三の玉手箱

一二三の玉手箱

1.将棋界の「伝説の棋士
 近時、日本将棋連盟の米長会長のTwitterの内容がスゴイということで、話題になっている。
日本将棋連盟会長・米長邦雄氏のツイッターがマジキチと話題に | ニュース2ちゃんねる


 将棋界には米長会長のような「伝説の棋士」は数多くいらっしゃるが、やはり、何といっても加藤一二三九段である。
  名前と段位を繋げると何段なのか分からないというベタな伝説から始まって、成績のみならず、「伝説」でも確固たる地位を築き上げられた


  ところで、加藤九段が近隣住民に訴えられたというニュースは、衝撃的であった。
 「ピシャリという駒音の響きが騒音公害で訴えられたのでは!? 全将棋界一丸となって守らねば!」「いや、『あと何分?』を言い過ぎたか、空咳のし過ぎでうるさいというだけだから、将棋界全体への影響は少ないだろう」等といろいろ想像していたら、


野良猫に餌をやったため、沢山猫が来るのが近所迷惑という訴訟であった。


  さて、この裁判は、近隣住民の勝訴に終わったが、法学徒として真面目に同判決を評釈したい


2.ペットと近隣関係に関する従来の議論
 現在日本の法令上は猫を放し飼いにすること自体は禁止されていない*1。もっとも、それは無制限な自由が認めるということにはもちろんならない。
 動物愛護管理法は、7条で動物を飼っている人の責任を規定する。

動物愛護管理法 七条  動物の所有者又は占有者は、命あるものである動物の所有者又は占有者としての責任を十分に自覚して、その動物をその種類、習性等に応じて適正に飼養し、又は保管することにより、動物の健康及び安全を保持するように努めるとともに、動物が人の生命、身体若しくは財産に害を加え、又は人に迷惑を及ぼすことのないように努めなければならない。


 要するに飼ってる動物が他人に迷惑をかけないよう適正に飼養することが求められているのである*2


 では、迷惑をかけたらどうなるか。行政上の措置はひとまず措くと、迷惑を被った近隣住民が飼い主に慰謝料を求めることが考えられる。これは、不法行為に基づくものである*3。ここで、不法行為が認められるためには、ペットによる迷惑が、「受忍限度」を超える必要がある。簡単言えば、住宅地でお互いに生活上の騒音を出すのは、それが多少であれば人が生活する上で避けられないことであって、一定範囲で我慢しないといけない。ただこういう我慢の限度(受忍限度)超えた場合、具体的には、その騒音が異常性を持ち、近隣への迷惑が甚だしい場合には、それが不法行為となる*4


 判例としては、犬が「一般家庭における飼い犬のそれとは大きく異なり、長時間にわたり、連日のごとく深夜、早朝に及ぶなど極めて異常」な泣き方で、近隣住民がノイローゼになった事案で一人30万円の賠償が認められたり*5、シェパードの鳴き声による騒音と糞尿の悪臭、蝿の発生により近隣*6へ迷惑をかけたとして一人10万円の賠償が認められたり*7している。
 また、「飼う」状態に至らなくとも、野良猫に餌をやり続け、猫が徘徊するようになり、その糞尿による悪臭が受忍限度を超えれば、ペットを飼うのと同様、損害賠償が認められている*8


 ところで、一般にこのような事件の賠償額はせいぜい一人数十万円程度と低く、お金だけでは損害が回復できないこともある。その場合には、人格権に基づき差止を求めることが理論上考えられる。ただ、差止を求める、つまり相手にペットを飼えなくする*9というのは、飼い主側の権利侵害の程度も高いため、容易ではない。「近隣住民の説得や、地方自治体の勧告や命令にも応じず、近隣の被害が著しい」場合*10等、非常に例外的である。
 例えば、浦和地判平成7年6月30日*11は、アメリカンピット等の闘犬の鳴き声による損害賠償は認められた事案であるが、原告の求めた犬の撤去請求は裁判所によって否定された。「これまでの飼育闘犬による吠え声が、原告の受忍限度を超えるものであったからといって、飼育方法、管理方法、防音方法等の変更による、吠え声の発生や到達を減少させ、被害を軽減することは可能」だから必ずしも「受忍限度を超える吠え声の発生につながるものと推認できない」として、犬の撤去請求を否定したのだ。人格権による差止が認められた例は、調べた限りこれまでなかった。
 もっとも、これは契約がない第三者間の問題なので、例えばペット禁止といって借りた家でペットを飼うとか、管理規約でペット禁止のマンションでペットを飼うという場合には契約等に基づく措置(契約解除等)や、区分所有法に基づく請求が認められることはある。
 例えば、マンション居住者(所有者から使用貸借)による野鳩の餌付けが、区分所有者の共同の利益に反するとして、区分所有法60条1項により、使用貸借契約の解除及び退去が認められた事案がある*12


3.加藤一二三事件判決
(1)判決の概要
  加藤一二三判決(東京地立川支判平成22年5月13日*13)は、簡単にいうと、一戸建て風の家が軒を並べるタウンハウス(区分所有権法が適用される)において、住民の一人*14が野良猫に餌をやったため、野良猫がたかり、糞が他の住民の家等に落ちて蝿がたかる等の被害があったことから、管理組合が猫に餌を与えることの差止を求め、住民が、損害賠償と差止を求めた事案である。
 裁判所は、猫への餌やりによって多くの猫が集まり、一部はすでに「段ボール箱等の提供を伴って住みかを提供する飼育の域に達している」として、管理規約上の動物飼育禁止違反があったとした。
 また、餌やりには、確かにいわゆる「地域猫活動」の趣旨に沿う部分もあり、餌をやっている住民が、糞を減らすために共用部分をパトロールする等の一定の努力をしていたことも認めた。しかし、結局、トイレへの配慮が不十分で、パトロールも不十分であって、糞尿による被害が続いていること、そして、管理組合との話し合いの機会である管理組合総会をほとんど欠席したこと等から、管理組合との関係で、迷惑行為禁止という管理組合規約に違反するとして餌やりの差止を認めた。
 加えて、上記の餌やりの状況は、受忍限度を超え、住民個人の人格権を侵害しているとして、住民個人による餌やり差止請求も認め、また、慰謝料も認めた。


(2)餌やり行為につき人格権による差止を認める
  人格権による差止は、例えば政治団体の街宣活動等であれば認められる事例は多いが、餌やりという私生活上の行為につき人格権を侵害するとして、差止が認められるというのは異例である。調べた限りは初めての判断であった*15
  上記の浦和地判平成7年6月30日におけるような、餌やり方法改善による対応の可能性に期待して差し止めないという判断がなされなかったのは、平成14年頃からの長期に渡る餌やりと、それに対する管理組合との協議の経過、つまり、総会に出席して餌やりについて対話をすることがほとんどなかったことが重視されたと思われる。


(3)棋士には辛い判断
 ところで、プロ棋士にとって、土日は大事な将棋普及の機会である。
将棋大会審判長、将棋まつり、指導将棋・・・。普及のための大事なイベントは土日に設定され、特に加藤九段のような売れっ子の棋士は大忙しである。
  ここで、マンション等の管理組合の総会は通常土日に設定される。サラリーマンが参加できるようにするためであり、なかなか平日に設定されることはないだろう。
  本件で、裁判所が個人の人格権による差止まで認めてしまった理由のうち重要なものは、管理組合総会に参加せず、話し合いに応じなかったというものである。加藤九段の、仕事で日曜日は参加できないという主張に対して、裁判官は、「他の曜日に話し合いの機会を持つことを提案すべきであった」という理由で一刀両断である。
  例え管理組合の総会を平日にやろうと提案しても、総会は平日にできないと断られる可能性は高いのではないか。その意味で、裁判所の示す代替案の実現可能性には疑問が残り、ある意味で棋士に厳しい判断と言えよう*16
 なお、裁判官の加藤九段への考え方は判例時報81頁の、本人尋問の信用性について判断している部分に表れていると言えよう*17

まとめ
 加藤一二三九段の、「猫に餌をやったら訴えられた」伝説は、
人格権侵害による差止を認めた初判断という意味で、法律界でも伝説的な判決を産んだものである。
  もっとも、裁判所も、もう少し棋士が土日は忙しいということに理解を示してもらってもよかったのではというきらいはなくもない。今後の将棋界の一層の裁判所への普及活動の促進に期待する。

*1:長尾美夏子他「ペットの法律相談」83頁

*2:渋谷寛他「Q&Aペットのトラブル110番」102頁

*3:民法709条。なお、動物の占有者には民法718条で特則がある。

*4:長尾美夏子他「ペットの法律相談」78頁

*5:横浜地判昭和61年2月18日判時1195号118頁

*6:賃借人

*7:京都地判平成3年1月24日判時1403号91頁

*8:神戸地判平成15年6月11日判時1829号112頁

*9:又は相手を退去させる

*10:長尾美夏子他「ペットの法律相談」85頁

*11:判例タイムズ904号188頁

*12:東京地判平成7年11月21日判例タイムズ912号188頁

*13:判時2082号74頁

*14:加藤九段

*15:仮処分レベルではあるかもしれないが、正式判決までいくとは・・・。

*16:裁判所が問題視したのは、話し合いをしようとしない「姿勢」であり、総会は例にすぎないといった見方も可能と思われますが

*17:ご興味をお持ちの方は図書館で読んでみてください。なお、ご本人が「猫の命を大切にするという私の取ってきた行動を認めてくれている」とおっしゃっているのは、この部分の判示のことと思われる。

なれるSEと法務〜リスキーな対応を強要するユーザとトラブった場合の法的判断

なれる!SE 2週間でわかる?SE入門 (電撃文庫)

なれる!SE 2週間でわかる?SE入門 (電撃文庫)

注:今回もいつもどおりネタバレを含んでおります。第一巻の内容が含まれております。


1.顧客の無理難題のせいでシステムトラブル!?
 なれる!SEは、IT業界をテーマにしたライトノベルである。スルガシステムに入社した桜坂工兵が、指導担当の室見立華にいびられながら、SEの現実を目の当たりにする。
 条件や納期を考えず仕事を取ってくる営業、 理不尽に仕事を振る上司、徹夜と会社での宿泊、忙しい最中にやってくるトラブル対応・・・。*1現実でも「あるある!」な姿が描かれる。同書が中小IT企業の労働法意識を示すことは、別稿で論じたところである。


 さて、「なれる! SE」第一巻では、「リスキー過ぎることをやらせる客」が登場する。
 堀留証券は、日本橋に本社を置く中堅証券会社。VPN(仮想プライベートネットワーク)のパフォーマンスが足りないということで、機器の入れ替えをスルガシステムに依頼した。そもそも、室見立華をアシスタントだとか、新卒に毛が生えた程度と見る*2時点で、堀留証券の担当者に見る目がない訳だが、既存機器流用で、かつ、切替日ギリギリまで代替機を利用し続けるというリスキーな案件を平然と投げる
 当然、立華と工兵は不安に思う。

「あと、作業時間も平日の昼休み*3って言ってたでしょ? つまりシステムの停止時間が最大で一時間しか取れないってことよ。順調に進めばいいけど何か起きたときのことを考えるとちょっとね。特に今回はVPNのセンター機器を入れ替える訳だし」
「ど、どうなっちゃうんですか。その・・・何か起きると」
「通信切断。顧客の業務停止」
夏海公司なれる!SE」252頁


 しかも、当日、代替機のテストをする前に、ユーザが、突然、現行機器を取り外し、持ち去るよう指示した


 立華が、これではトラブルがあった時に切り戻しもできず、リスクが大き過ぎると抗議すると、堀留証券の担当者は平然と答える。

「あー、はいはい。あなた方お得意のリスクとかバッファって奴ね。そうやって作業時間や単価を吊り上げてるんでしょうけど、おあいにく様。私らにはそういうの通じないから。今までそういうの全部削らせてコストカットしてきたんで、うち」
夏海公司なれる!SE」274頁〜275頁

こうして現行ルータは取り外され、持ち去られていった。
 立華はそれでも、平静を装って予定通りの手順で代替機を繋ぎ、コンフィグを入れる。・・・通信が確立しない! 響く顧客の怒号。
  同様の事案で頭を抱えた経験というのは、全SE*4共通の経験ではないだろうか。


 物語では、立華の能力と、工兵の機転でうまく原因を発見し、予定時間までになんとかリプレースを完了したが、もし、運悪くして顧客の業務の停止等の大惨事になった場合、法的にどう判断されるか*5


2.両当事者の共同作業
  システムに関連する業務は、単にベンダがユーザのために一方的に作業をするというだけではなく、共同作業的側面がある。ベンダは、ユーザから情報を得、ユーザとの協議を通じて要件を確定させ、それに従って、ユーザの協力を得ながら当該要件を実現していく。本件でも、豊洲のデータセンタで作業する前に、日本橋本社で堀留証券の「キツネ目の男*6」と打ち合わせを行い、要件を確定させている。


 このような、共同作業的側面から、ベンダとユーザは特殊な義務を負うといわれる。これが、ベンダの負うプロジェクトマネジメント義務、ユーザの負う協力義務である。
  プロジェクトマネジメント義務や協力義務については判例は多いが、例えば、東京地判平成16年3月10日判タ1211号129頁は、ユーザが、「本件電算システムの開発過程において、資料等の提供その他本件電算システム開発のため必要な協力を行うべき契約上の義務を負っていた*7」として、ユーザの協力義務を認めた。要するに、ベンダが適切なシステムを作れるよう、適切な時期に正確な情報を提供する、意思決定*8をする等の協力をしないといけない。
 反面、ベンダ側も専門業者として、ユーザの「システム開発へのかかわりについても、適切に管理し、システム開発について専門的知識を有しない」ユーザ「によって開発作業を阻害する行為がされることのないよう」ユーザ「働きかける義務を負っていた」として、ベンダのプロジェクトマネジメント義務を認めた*9
 このような両当事者の義務を前提に、堀留証券事件を検討しよう。



3.リスキー行為を敢行するユーザについての判決
 既に、リスキー行為を敢行するユーザについての判決が下されている。要するに、堀留証券みたいなユーザはままいるということだろう。これが、東京地判例平成18年1月23日*10である。
 この事案はやや古いものであるが、いわゆるVAN*11システムのダウンサイジング事案である。
 大規模なダウンサイジングは極めてリスキーであり、十分な準備期間をかけてベンダとユーザで十分な情報の共有を行い、また十分なテスト期間を経てカットオーバーという日程にしなければ、予想外のアクシデントに見舞われ、最悪システムダウンもあり得る。
 それにもかかわらず、ユーザーは、「リスクとかバッファって奴」を全部削らせ、ベンダの反対にもかかわらず、総合テストを経ていない段階での本番稼働を決定した。また、ユーザは、例えばピーク時の通信量等の適切な情報を明確に提示しなかった。
  その結果、システムのハードウェアが現実のピーク時の情報の量には対応できないという問題がカットオーバー直後に顕在化し、データを処理できなくなった(システムダウン)


  このような事案について、まず、裁判所は、ベンダとユーザの相互の協力によりはじめてダウンサイジングプロジェクトが成り立つとした。その上で、ユーザがその協力義務を履行したか、及び、ユーザに対し、ベンダがどのような説明をしたかを検討した。
  まず、協力義務については、上記のとおり、ユーザから情報が適切に提示されておらず、ベンダにおいてハードウェア容量を適切に決められなかったとした上で、ユーザがベンダの反対を押してテスト前の稼働を強行したところ、テストをしていれば、本番稼働時のダウンは避けられたとして、ベンダはトラブルについて債務不履行責任を負わないとした。ユーザがなすべき協力をしていない以上、トラブルになっても責任はユーザにあるということである*12
 次に、説明義務については*13、ダウンサイジングに積極的だったのはユーザであったとした上で、

(ベンダは、この)規模のダウンサイジングは実例がなく、そのリスクが大きいことを指摘して、思いとどまるように説得に当たったことが認められ、むしろ、原告(ユーザ)において、被告(ベンダ)からのリスク告知に対して、ダウンサイジングのメリットであるコスト削減等に重点を置いて、被告(ベンダ)に対して提案、実施を強く求めたことが認められる。
 そうすると、被告(ベンダ)は、本件契約において、本件ダウンサイジングの危険性を説明していたものと認められ、原告(ユーザ)主張に係る義務違反の事実を認めることはできない
東京地判例平成18年1月23日

このようにして、裁判所は、ベンダは十分な説明をしていたと認定し、ベンダの責任を否定したのである。


 堀留証券の案件でも、ユーザは「現行ルータは切り替え前に持っていく」という重要な情報を最後の最後になって伝えるという協力義務違反をしており、また、リスクを理解しながら、「全部削らせてコストカット」するために、リスキーな対応を強く求めたと言えよう。
そこで、そのリスクが顕在化しても、ユーザの協力義務不履行が原因で、スルガシステムには説明義務違反はなく、スルガシステムの責任は否定*14されると考えるのが相当である。

まとめ
 立華が、「切り戻しができなくなる」と言ったことは、法的にはリスキーな顧客が敢行しようとしている時に、ベンダ側の説明義務の履行の一環として、そのリスクを説明したと言えよう。顧客が当該説明を理解した上でなおリスクを取るなら、これは説明義務違反ではなく、ベンダは「法的」責任を負わない可能性が高い*15
 本件の教訓としては、何がユーザに理解できる十分な説明かについて裁判所がどう判断するか不確実性がある以上、ベンダできるだけ懇切丁寧に説明し、「翻意を強く促したがユーザがリスクを取った」ということを証拠に残すのがよいだろう*16
 ユーザとしては、「ベンダのせいでトラブっている」と言おうにも、リスクを取ったと判断されると「自己責任」となる可能性がある。ベンダとよく相談をして、リスクを十分理解できるような説明を受けた上で、どうしても早期のカットオーバーが必要ならそのための体制を構築する*17等の対策を取って「無理を強要」しないようにするのが、実はユーザのリスクを軽減することにもなるのである*18

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*1:デフォルメはあるが

*2:247頁

*3:業務知識がなくて恐縮だが、証券会社の昼休みは、東証の休み時間関係なく12時から1時なんでしょうかね?

*4:思い通りに動かないという意味ではネットワーク系だけの悩みではないと思われます。

*5:物語としては、最終的に障害の切り分けとしては、ユーザ側の原因であることが判明したが、実際はユーザ側かベンダ側か切り分けができない事案も多い。

*6:顧客担当者のことですよ?

*7:契約上明文があった事案。明文なくとも通常は認められると思うが、契約書に書いておいてこしたことはない

*8:仕様変更を依頼するか等

*9:以下で問題となる、リスキーな行為のリスクを説明する義務をプロジェクトマネジメント義務から導く論者もいるが、この関係についてはまだ定説はない。

*10:内容が古いので想像がつくと思われるが、ダウンサイジングについての最初の調査設計フェーズの契約は平成5年である。裁判で判決まで争われる事案は、五年以上の長期間に渡って議論がされる事案も多いし、場合によっては十年以上の超長期間のものもある(裁判所の名誉の為に一言述べると近年は紛争解決までの期間は短縮傾向にある。)。

*11:value added network。この言葉は最近あまり聞きません

*12:なお、過失相殺等の問題にすることもできたと思われるので、ユーザに問題があればベンダは免責というように即断すべきではない。

*13:説明義務違反がないと言っているので、説明義務の有無そのものは認定されていないが

*14:まあ、仮にスルガシステム側に若干の責任があっても過失割合は堀留証券側がかなり高い

*15:まあ、まともなベンダは事態収集くらいは手伝うと思いますし、それが望ましいとは思いますが。

*16:ベンダが翻意を促しユーザが拒絶したというメールのやりとりや、会議の議事録(相手の印鑑入りがベストだが、メールで議事録を送って相手から異議がなければまあまあ強い、最悪自社内の議事メモ)等が考えられる。

*17:ベンダにもっとお金を払うというだけではなく(というか、単に人数を増やしただけで効率的になるものではない)、例えば、兼任のユーザー側システム開発プロジェクト関与メンバーが「本業が忙しいので・・・」という時間を織り込んでスケジュールが組まれているなら、開発終了まで専任にするというのも手であろう。

*18:まあ、「どうせベンダはうちを訴えることはないだろう、次の案件がなくなるから」と思っているユーザの場合には、無理難題を押し続ける状態は変わらなそうですが・・・。

超個性的な初期の最高裁少数意見〜隼町白熱教室!?

裁判官と学者の間

裁判官と学者の間

1.昔の判例の勉強はつまらない!?
  判例の勉強というと、最近の判例が脚光を浴びることが多い。近時重要な判例が多いのは事実であり、「全部の判例は回らないから、重要な最近のものを先に」というのは理解可能な心理である。
 これに対し、昔の判例、例の基本書で結論の後に「(判例・通説)」とだけ書いていて、理由付や反対説が紹介されていないものは、結論は覚えても、その理由や内容について吟味する機会が少ないのではないか。
 判例が長い年月を経ていわゆる「確立した判例」になると、いわゆる「論点」ではなくなり、これを試験で問うこともあまりなくなるのは事実である。そこで、このような判例はあまり脚光を浴びず、ロースクール生等の法律学習者がこれらの原文を読むのも稀かと思われる。
 しかし、昔の判例は、実は今の判例よりも、判決自体の「面白さ」は上であることが多い


 現在の判例は、判決文自体が一定の形式に従ったもので、少数意見が付されることはなくもないが、少ない。調査官解説や判例タイムズ判例時報の解説によって背景がよくわかってはじめてその意義が分かり、やっと面白くなってくる。
 しかし、制度的に安定する前の話は違う。つまり、最高裁判所設立当時は、最高裁の合議における多数意見と少数意見の白熱した議論がビビッドな形をとったまま、判決文に持ち込まれるのである。そこで、意見の対立点、つまり(当時の)論点も分かりやすいし、多数意見と少数意見を分けたものも、判決文だけから容易に了解可能である。何より、お互いが「自分が正しい」と主張しあう姿は、白熱するディベートを聞いているような面白さがある。これは、最近の判決にはなかなかない面白さである。


そもそも、多数意見や少数意見とは何か。最高裁判決では、全員一致の意見の場合もあるが、

裁判所法第十一条 (裁判官の意見の表示) 
最高裁判決の)裁判書には、各裁判官の意見を表示しなければならない。

とされており、多数意見に反対する者がいれば、意見が表明される。この少数意見制度は、裁判官の国民審査制度のために作られた。
 つまり、国民がどの裁判官を不適格か審査するためには、どの裁判官がどのような意見を持っているか知らしめる必要があるのである。


 ここで、特に最高裁判所が設立された後の最初の十年間は、情熱的な少数意見が頻繁に記載され、場合によっては生きすぎて「少数意見制度の濫用」と批判されるものすら生じた。後に最高裁の裁判官となった伊藤正己先生*1は、「裁判官と学者の間*2」では、

少数意見制は、ときに不当とみられる用い方をされるおそれがあるといわれる。その一つの例は、もっぱら個人的感情を露呈し、自己と異なる意見を論難し、さらに特定の裁判官の名を示して罵倒するようなものである。
(中略)
我が国の最高裁にあって、初期の不慣れな時期にこの種の少数意見が散見され批判を呼んだ
伊藤正己著「裁判官と学者の間」74頁*3

とされている。現在では、反対の意思を強く表現する場合でも(多数説には)到底賛同できないという程度であるが、当時は全く違ったのである。


2.名誉毀損!? 白熱する最高裁判決内のバトル
 白熱ぶりを実感していただくため、具体的に、少数意見の例を挙げよう。
 まず、刑事判決について数個の犯罪事実についてまとめて証拠の標目を示すことが許容されるとする多数意見に対し

雑挙主義(つまり、多数意見のようにまとめて証拠の標目を示すこと)は、証拠を軽んじ、時に不明確な証拠を採って有罪に処する恐れなしとしない。少なくとも、その疑いを受けるに足る場合があり、延いて裁判の威信にかかわるものである。
 以上情理何れから考えても之程見易い道理を何故最終審であり指導審である最高裁判所が以上の態度を採らねばならないであろうか。到底肯首し難い
小谷勝重裁判官最判昭和29年5月28日刑集8巻5号775頁


  執行猶予を言い渡された犯罪の余罪について更に執行猶予を言い渡すことができるかにつき多数意見を批判して

(多数意見のような)微視的な恣意的解釈論には賛同できない
齋藤悠輔最判昭和28年6月10日刑集7巻6号1404頁


  控訴趣意書提出期限直前に弁護人選任権を行使したため、期限途過後に弁護人が選任されたことにつき、「控訴趣意書提出期限内に控訴趣意書を提出できるような適当な時期」に選任すべきとした多数意見を批判して

(多数意見のいう「控訴趣意書提出期限内に控訴趣意書を提出できるような適当な時期」という)こんなボンヤリした標準に従って、憲法上の権利の行使の適否を決定するのは、国民に難きを強うる酷なものがあるではないか?
真野毅最判昭和28年4月1日刑集7巻4号713頁


差し戻し後の控訴審判決がその破棄された前判決との関係においても不利益変更禁止の原則に従うべきものとした多数意見を批判して

(多数意見をとってしまった場合のように、)原裁判所が折角その(差し戻しを命じた上告審判決の)命令に従って詳細に事実審理をした結果犯罪事実並びに犯情に前の判決と異なった結果を生じたと認めてこれに適当する刑を科しても、次の上告裁判所では同一事件に対し出し抜けに刑だけは前の判決よりも不利益に変更してはならない、変更したら旧刑訴452条(注:不利益変更禁止の原則)の精神に反し違法で御座るというがごときは全く上告裁判所の横暴、無理というものであって、下級裁判所としては到底納得し得ないところといわなければならない。されば、多数説は、法理と常識と下級裁判所を無視したいわば安価な慈善的上告勧奨論であって、反対せざるを得ない
齋藤悠輔最判昭和27年12月24日刑集6巻11号1363頁


食糧管理法の大法廷判決に従った多数意見に反対して

この大法廷の判決は、一見頗る常識に富んだ尤もな議論のようにも見える。しかし、それは、飽くまでも目先のことであって、その実極めて浅薄な謬論である
(中略)
わたしは、前記大法廷判決には声を大にして反対する。最高裁判所の裁判というのは、もつと大所、高所からすべく、より毅然たるべきであると信ずるからである。
齋藤悠輔最判昭和26年12月27日刑集5巻13号2657頁

詐欺の起訴状に前科等の余事記載があったことについて、これは違法で治癒不能とした多数意見に対し、

(起訴状一本主義を定める刑訴256条)六項の規定だけを根拠として直ちに多数説の説くがごとき結論は絶対に生じない。

(中略)
(多数説は)山鳥の尾の長々と、いかにも尤もらしく説明している(中略)(しかしながら、)多数説は、重要である後者と重要でない前者*4とを混同する詭弁(に過ぎない)

(中略)
多数説の力説するがごとくこれを以って、いわば綸言汗のごとき治癒不能の違法であると見るのは浅見、迂遠も甚だしい


(中略)
多数説は極めて窮屈な形式論であつて、抑も裁判は証拠によるべきものである大原則を忘れ、裁判官自らを殆ど人形乃至奴隷視するものといわざるを得ない
齋藤悠輔最判昭和27年3月5日刑集6巻3号351頁

少し例を挙げただけでも、白熱ぶりが分かるだろう。
また、少数意見が一方的に多数意見を批判するのではなく、多数意見側からも少数意見を批判するのもある*5

 銃砲火薬取締法が既に失効したとした多数意見について、齋藤裁判官は以下のように憤然とする。

そのような戦後派的考え方は、わが国の従来の立法形式を理解しない極めて浅薄な考え方といわなければならない。

(中略)

地方自治法が与えた委任の範囲と、銃砲火薬取締法の委任の範囲を比較して)この新しい自治法の規定に目を蔽い、ひたすら彼の旧い法律八十四号だけを非難するがごときは、驚くべき偏見であり、笑うべき自己矛盾というべきである。

(中略)

(多数意見のいうような)一部の罰則規定だけは、或る期限で失効し、一部の禁止命令だけは、その後も依然法律と同一の効力を以って存続し、かくて制裁の伴わない禁止命令だけを徒らに空しく叫び続けるというようなことは、常識からいつても、また、右法律七十二号を熟読玩味しても、到底了解することはできない。(中略)多数説は無理であり、曲解であると言わざるを得ない
齋藤悠輔最判昭和27年12月24日刑集6巻11号1346頁

ここまで言われて多数説の裁判官(残りの裁判官全て)も憤然としたのだろう。うち、河村又介裁判官と入江俊郎裁判官は補足意見を出して、

齋藤裁判官は誤解している
河村又介裁判官入江俊郎裁判官最判昭和27年12月24日刑集6巻11号1346頁

と、あえて名指しで反論している。


 このような少数意見への反論の最たるものは、尊属傷害致死罪を合憲とした多数意見の立場から、尊属傷害致死罪を違憲とする穂積重遠裁判官、真野毅裁判官の少数意見に対して齋藤悠輔裁判官*6がなした反論であろう*7

 少数説に対しては特に世道人心を誤るものとして絶対に反対(する)
(中略)
真野説は、勢頭米国連邦最高裁判所に掲げられている標語や国際連合人権宣言を由ありげに引用している。だが、悲しいかな、米国各連邦では、必ずしも法律が同一でなく、従って、かかる異なる法の下における実際上の正義が平等であり得ないことはいうまでもない。しかのみならず、米国には人種による差別的法律の多数存在することは、世界周知の事実である。さすればこそ米国連邦最高裁判所においては特に標語として論者引用の四字(Equal Justice Under Law)をかの真白の大理石深く刻んでおく必要があるのであって、我憲法上段鑑とするは格別毫も模範とするには足りないものである。
(中略)
わが憲法十四条を解釈するに当り冒頭これらを引用するがごときは、先ず以って鬼面人を欺くものでなければ羊頭を山懸げて狗肉を売るものといわなければならない。以下の論旨については前に一、二触れたものであるが要するに民主主義の美名の下にその実得手勝手な我儘を基底として国辱的な曲学阿世の論を展開するもので読むに耐えない
齋藤悠輔最判昭和25年10月11日刑集4巻10号2037頁


  上記の最判昭和27年12月24日や、最判昭和25年10月11日のレベルにまで達すると、名誉毀損の疑いさえ生じ、最高裁の権威という意味では問題がありそうだが、十五人の裁判官が時に感情的になりながらも激論を交わした痕跡が判文上も窺われ、人間味溢れる激論の面白さは感じ取れると言えよう*8


3.刑法230条の2第3項
 ところで、ここまで熱が入りすぎると、これらの行為が名誉毀損にならないか心配になる。

名誉毀損
第230条 公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。

 刑法230条は名誉毀損罪を規定する。
 裁判の公開により、裁判書の記載は「公然」と言ってよいだろう*9
 そして、例えば最後の例なら、「憲法十四条を解釈するに当り冒頭」「米国連邦最高裁判所に掲げられている標語や国際連合人権宣言を由ありげに引用した」と、事実を摘示している。
 もっとも、その相手が裁判官という公務員である場合には、刑法302条の2第3項は以下のように規定する。

(公共の利害に関する場合の特例)
第230条の2 前条第1項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
2 前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。
3 前条第1項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。

 これを受けて、最高裁判所は、公共の利害に関する事項について自由に批判、論評を行うことは、もとより表現の自由の行使として尊重されるべきものであり、その対象が公務員の地位における行動である場合には、右批判等により当該公務員の社会的評価が低下することがあっても、その目的が専ら公益を図るものであり、かつ、その前提としている事実が主要な点において事実であることの証明があったときは、人身攻撃に及ぶ等論評としての域を逸脱したものでない限り、違法性を欠き名誉毀損にはならないとする(最判平成1年12月21日民集43巻12号2252頁。最判平成9年9月9日民集51巻8号3804頁)
 少数意見を書いた裁判官は大真面目であり、自分の意見が正しいと確信していると思われる。 すると、公益目的に出たのだろうし、また、指摘する事実は全て判決に書いているので、少なくとも主要部分*10は真実である。問題は、国辱的な曲学阿世とまで論評をするのは、「論評としての域を逸脱」していないかである。
 この点、ゴーマニズム宣言事件(最判平成16年7月15日民集58巻5号1615号)では、「原告が、被告をひぼうし、やゆするような表現が多数見られる」という点を重要な理由として未だ、「論評としての域を逸脱」していないとした。これは、名誉毀損の成否が「論争型の紛争において、両当事者の主張が表現という意味での全体の文脈の中で、意見ないし論評としての妥当性が判断される*11
 上記のような活発かつ時には感情的なやりとりに鑑みれば、名誉毀損というまでは至らないと考えもあり得るが、非常に微妙であり、正直告訴されれば起訴されてもやむを得ないレベルと言えよう*12
 名誉毀損罪が親告罪で本当によかった(刑法232条1項)


4.よりよい裁判制度への熱意
 このような 行き過ぎはあるものの、このような活発少数意見のやりとりがなされた背景を探ったところ、興味深い判例に行き当たった。

 最判昭和24年5月18日刑集3巻6号794頁の真野毅裁判官の少数意見である。

戦後のあわただしい法制の変革を大観するとき、われわれの最も注意しなければならないことの一つは、プラグマティズムの哲学思想が、法令のそこここに採り入れられ、時の鐘がわれわれの迷夢を破ろうとしている現実を感得することができる。手近に二、三の例を拾ってみよう、(一)まず、最高裁判所の「裁判書には、各裁判官の意見を表示しなければならない。」(裁判所法第一一条)と規定された。従前は長い間一元論的な哲学思想の流れをうけて、裁判というものは是が非でも無理やりに一本に纏め統一ある姿に仕上げなくてはならぬものとされていた。しかるに、ここには、各裁判官の意見が、現実の問題として互いに相岐れた場合には、無理に一つに纏めず、現実が多元的である以上その多元性をそのまま率直に認めて行こうとされたのである。これはまさにプラグマティズムの思想である。(中略)米国においては、卓越した裁判官の示した幾多の優れた少数意見が、やがて数年、十数年、数十年の後には、多数意見となり、ロー・オブ・ザ・ランドとなっていったことは、すでに多くの経験の実証するところである。私は、この制度が、わが司法の進歩と発展に貢献するところ多いことを信じて疑わない。
真野毅最判昭和24年5月18日刑集3巻6号794頁

当時の裁判官は、 少数意見制度の活用が司法の進歩に貢献すると考え、情熱的によりよい裁判を目指していたのである。

まとめ
 昭和20年代には、名誉毀損になりそうな記載を判決に少数意見として書いた最高裁判官がいた。名誉毀損罪が親告罪でないとぶっちゃけ危ない気もする。
 このような「行き過ぎ」はあっても、最高裁判所設立当時の裁判官による判決からは、「評議の熱気」が伝わり面白い。
 彼らがこのような少数意見を積極的に展開したのは、よりよい裁判制度を目指した熱意による。
 このような「白熱した最高裁判決」は、最高裁の威厳を保つという理由からか近年は減っているが、 現在でもよりよい裁判制度を目指そうという彼らの「熱意」に学ぶべきところはあるのではないか。

*1:憲法英米法学者

*2:Amazonで4万円で売られているが良い本なので、図書館で一読されることをお薦めする

*3:後半も面白いので機会があれば

と一緒にレビューしたい。

*4:具体的に指すものは判決本文をご参照あれ

*5:まさにディベートだが、やり過ぎると伊藤先生ご指摘の特定の裁判官の名を示して罵倒になりかねない。

*6:なお、合憲との結論は多数説と同じだが、破棄自判か否かの取扱においては多数意見と異なる

*7:これ以上に強烈なものをご存知の方はぜひご教示いただきたい。

*8:ここまで激しいと、合議の後気まずい思いをしなかったのかなぁとか、「一人反対意見」を書くのがほとんど特定の裁判官なのは、なんか理由があるのかなぁ等と、読者の想像を掻き立てる

*9:現に公式判例集にも掲載されている。

*10:誤解にもとづく反論も一部ありそうですが

*11:重判平成16年度民法7事件

*12:弁護士用語では、こう言う場合、「リスクは無視できない」と言うらしい。

著作権の世紀〜フィギュア利用実態についての高裁裁判官の洞察力

著作権の世紀 ――変わる「情報の独占制度」 (集英社新書)

著作権の世紀 ――変わる「情報の独占制度」 (集英社新書)

1.分かり易い例で著作権の問題を提起する「著作権の世紀」
骨董通り法律事務所は、 著作権等の分野で有名な弁護士事務所である。そして、同事務所の福井健策弁護士は、単に代理人として活躍されるだけではなく、「著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム世話人等の積極的活動でも有名である。
 福井先生の前著著作権とは何か」は、ロミオとジュリエットやライオンキング等のイメージし易い題材を下に、著作権法の基礎を解説する良書であった。


 先般、この福井先生が、新作を出された。これが 「著作権の世紀」である。前著が比較的伝統的題材を使っているとすれば、本書は、最近のトピックを扱っている。
 著作権が「情報の独占制度」であるというポイントを抑えた上で、どの範囲で独占するのが望ましいか等につき、保護期間の延長論、DRM、アーカイヴィング、カバー・アレンジ等の最近ホットな話題について、福井先生の鋭い切り口で分析し、問題を提起する。
 最近話題の「擬似著作権」、つまり「撮影許可」等著作権がないのに、著作権らしきものがあるかのように主張される現象についても一章を割いて解説している。
 本作も期待に違わず非常に興味深いものであり、最近の著作権の話題を検討する上では、本書を読んで福井先生の問題意識を学ぶことは必須と思われる。


2.福井先生が判例を疑問視する「食玩事件」 
  本書において、著作権が情報の独占制度であることを説明するにあたり、福井先生は、「実用品」には著作権が成立する余地が狭いとする。著作権はその情報を独占させる。要するに、直立歩行する某ネズミに著作権が成立するということは、他人は保護期間中勝手に某ネズミを描いたりできないのである。すると、実用品、例えば、ボールペンの握り部分(グリップ)にゴムを使うデザインは、確かに格好良くまた長時間書いても疲れにくいという画期的なものであるが、これに「著作権」を与えるということは、最初に作った人が死亡後50年に至るまで、これを独占し続けることになってしまうが、ゴムのグリップというデザインは、多分に書き易さといった機能に異存している。実用品の世界では、「こうすると握り易く疲れにくい」という機能(アイデア)がデザインにも影響するので、著作権が制限されるのである*1
 しかし、実用品、例えば茶碗でも、楽吉左衛門の楽茶碗等の美術工芸品や、独立して鑑賞の対象となる程の高度の審美性がある場合には、実用品のデザインでも、著作権の対象となる*2
 本書は、この点を示す例として、一つの判例を挙げる。これが、食玩事件判決(大阪高判平成17年7月28日最高裁HP【リンク先PDF注意】)である。

事案
 海洋堂は、フルタ製菓に、妖怪シリーズ、動物シリーズ、不思議の国のアリスシリーズのフィギュア(食玩)を供給していたが、フルタが売上を過少申告したとして、不足分のロイヤリティ(著作権使用料)支払いを求めた。フルタは、フィギュアに著作権はなく、著作権がないならロイヤリティの額はもっと少ないはずと争った。

阪高知財集中部の裁判官は、「こうした食玩実用品であり、純粋美術と同程度の美術性がなければ著作物ではない」とした上で、妖怪シリーズのみ高度の審美性があり著作権は成立するが、それ以外には著作権は成立しないとした。


ここで、福井先生は、本判決を批判する。まず、通常はフィギュアは飾って眺めて楽しむものとし、

おそらく、フィギュア同士でごっこ遊びなどをした人も、中にはいるのではないか。「動物」シリーズを使って、ライオンとトラはどっちが強いか、ライオンは集団で行動するから、一頭同士だと実はトラが強い、とか言って戦わせた人もいるのではないか、という気もします
福井健策「著作権の世紀」38頁

とした上で、これらを例外として切り捨てこのような例外を除けばフィギュアは鑑賞目的であり、「鑑賞目的で実用品と言うなら、ゴッホの絵だって実用品です*3」として判決を批判するのである。


3.すごいぞ裁判官
 要するに、福井先生によれば、「玩具」等の実用的使途で用いられるのは例外であり、通常は鑑賞目的なのだから美術品として扱うべきということである。これは本当か?

 
 ここで、留意すべきは、フィギュアの購入者層がオタクだということである。福井先生は、子どもがフィギュアを遊びに使うという例を挙げているが、購買層にずれがありそうである。
 まず、発表時の記事や発売時にいち早く購入した人の速報レビューでは、縦横斜上下等の様々な角度から、造型、塗り、質感、パンツの有無等を眺めることが多いのは事実であり、これは「鑑賞」と言えるだろう。
 しかし、鑑賞という「誰もがすること」で満足しないのがオタクであろう

シチュエーションを創造する
http://tyo-dai.com/110207/110207.html
闇芥: ねんどろいど ○ッキーマウス
http://blog.livedoor.jp/hisabisaniwarota/archives/51769920.html
等参照

魔改造
ttp://makaizou.com/index3.htm
ttp://www.makaizoucollection.com/index.html
ttp://www.gssp.jp/best/wataoni3/index.htm
注:18禁のため、hを加えてリンク先に飛ぶ方は自己責任で

別の意味の「実用」
リアルラブドール オリエント工業
注:リンク先の商品をどのような用途で使うかはご想像にお任せします


このように、一通り鑑賞した後、もう一歩先に進むのが、オタクのオタクたるゆえんである! フィギュアについて、実用品とした大阪高裁の判断はまさにフィギュアの利用実態を忠実に反映したものだったのである!

まとめ
阪高知財集中部の裁判官は、フィギュアの利用実態を的確に把握し、適切な判決を下している。このような実務を踏まえた判断は、判決の納得性や裁判への信頼という意味でも極めて望ましい。福井先生も一本取られた形であろう。
裁判官がどのようにこのような利用実態を把握したのかを詮索するのは野暮というもの。流石は裁判官と言うべきだろう。

*1:詳しくは、本書32頁参照

*2:詳しくは、本書32頁参照

*3:38頁