アホヲタ元法学部生の日常

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二十年前の特許法入門〜濃厚かつ分かりやすい伝説の一冊

特許侵害訴訟の実務
村林隆一著
大阪弁護士共同組合
平成5年発行

1.二十年前の特許法入門?!
  二十年前の特許法の入門書と聞いて、どう思われるだろうか? この二十年で特許法の法改正が進んでおり、また判例も多数出ていることから、改訂がなされていなければ、使い物にならないという見方もあるだろう。しかし、本当にそうだろうか?


村林隆一氏の「特許侵害訴訟の実務」(大阪弁護士共同組合)を入手するのは難しい。
 

特許侵害訴訟の実務 全面改訂 (現代産業選書 知的財産実務シリーズ)

特許侵害訴訟の実務 全面改訂 (現代産業選書 知的財産実務シリーズ)


 
特許権侵害訴訟の実務 (弁護士専門研修講座)

特許権侵害訴訟の実務 (弁護士専門研修講座)

のような似た*1タイトルの似た趣旨の本はごまんとある。しかし、Amazon等の新刊としては本物は売っていないし、古本屋でもなかなか置いていない。


 このような本をなぜ取り上げるか。それは大阪の特許弁護士のパイオニアである著者のノウハウが、特許法を知らない弁護士向けにわかりやすい大阪弁の講義口調で説明されているからである。


2.大阪にいない特許弁護士を増やしたいという熱意
そもそも、本書は大阪弁護士会で行われた講演をまとめたものである。
今でこそ、大阪は*2特許弁護士も相当数いる。しかし、二十年前は状況が違った

(大阪では)弁理士さんが書いたものに弁護士が判を押して裁判所にお出しになっている。
(中略)
東京には沢山弁護士がおられるわけです。大阪地裁の二十一部*3で原告代理人東京の弁護士、被告代理人東京の弁護士、これは嘆かわしいことですわね。やはりちゃんと大阪にも二千人近い弁護士さんがおられるわけだから、少なくとも片方は大阪の弁護士さんが付いてもらいたい。そういう意味ではみなさんが勉強していただいて書いていただかなければいかんと思うんです。
本書44頁

このような、大阪にいない特許弁護士を増やしたいという熱意から、本書は、特許のことなどてんで分からないというズブの素人の弁護士用に、分かりやすく特許法を解説してくれる。


3.こんなに簡略化していいのか!? 実務直結の平易な説明
  本書の説明の特徴は、「こんなに簡略化していいのか?」というくらいの簡略化である。「発明」の定義は、これだけで物の本では数ページから十数ページかけて説明しているところ、

皆さん方とすれば、お客さんが特許広報を持ってきますから、そこに書いてあるものが発明なんだということでお考えになって徐々に発明とはどういうものかということがお解りになるかと思います。実際、我々仕事をしておりまして、これ発明なのかというようなものもございます。しかし、特許庁が認めてているものですから、発明なんだなぁということでお仕事をしてこらったらいいんじゃないかと思います。
本書1頁

何しろ、「特許広報にあるのが発明」という極めて分かりやすい説明である。そもそも、弁護士実務で発明性が問題となることはないではないが、主に発明性が問題になるのは、弁理士が特許を出願する時だろう。特許庁も微妙な事例で判断を間違うこともあるが、実務ではこの理解でよい。こういう割り切りによる実務直結の平易な説明は、長期の実務経験がなければできないだろう。
その他、 侵害の有無について天ぷら鍋等を使って説明するところも、とても分かりやすくて良い。


4.共感を呼ぶ、特許法へのコメント
  更に共感を呼ぶのは、特許法への村林先生のコメントである。

私も最初やり出したときは大変だったんですけれども、いまだに特許広報は読むのは嫌です。嫌やけどこれはやっぱりパンのために読んでいるわけです。やはり慣れていただかなければ仕方ないわけですね
本書32頁

  特許法を極められた村林先生すらこういうことをおっしゃっているのだから、初心者でも、安心感を持って勉強を進められる。
 

5.大丈夫か? という程の秘密のノウハウ
 これだけでも素晴らしい内容であるが、本書の最大の特徴は、村林先生が還暦になるまで蓄積されたノウハウが公開されているということである。何しろ、「ノウハウに属することもお話したいということで、そういうことはあまり文章にしない方がいい」と思ってレジュメにすら書いていない*4ことが公刊されているのである。


  例えば、ライバル会社Aが特許を取ってしまいそうという時に、公知資料を見つけたとする。当時は異議申立ができた。今も似たものとして情報提供制度がある*5

異議の申立をするときも、何でも異議の申立をしたらいいかという問題があるわけです。
(中略)
刊行物を特許庁に出さずに、これを持ってAの会社に行くわけです。
「おまえ、どうしてくれるんや、私はこういう資料持ってるよ、異議を申立てたらつぶれるけど、どうかな」と言うわけですね。
本書47頁

先生によると、こういう経緯で共同特許になっているのが一定程度あるそうである。
だから、例えば特許権を「侵害」と警告を受けた際にも、

案外無効理由があっても、こういうことで共有にしておるのはあるわけです。したがって、共有の権利は疑わにゃいかんわけです。特に見てもらったら解かる訳ですね。共同発明をすれば、最初から共有なんです。これがご承知のように、出願のときはAが単独で出願しておる。ところが、途中でBが共有者となった。これは何か臭うぞと。こういう発想なんですね。そういうことをやはり考えていただかなければいけない。そうすると、あらっ、どこかに公知刊行物があるぞ、こいつら隠しとるなとなるわけですね。そういうのをつかむのが被告代理人の仕事なんです。
本書48頁

こういう門外不出のノウハウが詰まっているのが本書の最大の特徴である。


6.望まれる補訂
 もっとも、法改正や判例の流がフォローされていないのは辛い。
 無効特許の侵害訴訟での扱いが固まってなかったり、職務発明の説明がミノルタ事件だったりと、ああ、補訂さえされていればなぁとの思いは強まる一方である。


7.ノウハウ大公開の理由

 ところで、同書にはこういう記載がある。

私も還暦になりまして、もう十年も働けませんから、こうやって出していただいたのは、できるだけ皆さんに後を継いでいただきたいということで、もう十年したら私もやめますから、ただし、生きておったらの話ですが。
本書44頁

 このような心意気でノウハウを公開されたのかと納得したが、 関西法律特許事務所のWebページによると、現在も現役でご活躍のようである

まとめ
村林先生が 二十年前におっしゃっていたこととはちょっと違うようにも見えるが、お元気そうなのは何よりである。
  本書は実務的な観点からノウハウを含む特許法についてわかりやすく解説するという極めて素晴らしい本である。唯一残念なのはそれが古いということである。
 ぜひ、補正版を出して欲しいものである。

*1:というかタイトルが同じで著者が同じ本すらある。

*2:被告側代理人業が中心の人が多いように思えるのはなぜだろうか

*3:知財

*4:本書45頁

*5:特許法施行規則13条の2

著作権の世紀〜フィギュア利用実態についての高裁裁判官の洞察力

著作権の世紀 ――変わる「情報の独占制度」 (集英社新書)

著作権の世紀 ――変わる「情報の独占制度」 (集英社新書)

1.分かり易い例で著作権の問題を提起する「著作権の世紀」
骨董通り法律事務所は、 著作権等の分野で有名な弁護士事務所である。そして、同事務所の福井健策弁護士は、単に代理人として活躍されるだけではなく、「著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム世話人等の積極的活動でも有名である。
 福井先生の前著著作権とは何か」は、ロミオとジュリエットやライオンキング等のイメージし易い題材を下に、著作権法の基礎を解説する良書であった。


 先般、この福井先生が、新作を出された。これが 「著作権の世紀」である。前著が比較的伝統的題材を使っているとすれば、本書は、最近のトピックを扱っている。
 著作権が「情報の独占制度」であるというポイントを抑えた上で、どの範囲で独占するのが望ましいか等につき、保護期間の延長論、DRM、アーカイヴィング、カバー・アレンジ等の最近ホットな話題について、福井先生の鋭い切り口で分析し、問題を提起する。
 最近話題の「擬似著作権」、つまり「撮影許可」等著作権がないのに、著作権らしきものがあるかのように主張される現象についても一章を割いて解説している。
 本作も期待に違わず非常に興味深いものであり、最近の著作権の話題を検討する上では、本書を読んで福井先生の問題意識を学ぶことは必須と思われる。


2.福井先生が判例を疑問視する「食玩事件」 
  本書において、著作権が情報の独占制度であることを説明するにあたり、福井先生は、「実用品」には著作権が成立する余地が狭いとする。著作権はその情報を独占させる。要するに、直立歩行する某ネズミに著作権が成立するということは、他人は保護期間中勝手に某ネズミを描いたりできないのである。すると、実用品、例えば、ボールペンの握り部分(グリップ)にゴムを使うデザインは、確かに格好良くまた長時間書いても疲れにくいという画期的なものであるが、これに「著作権」を与えるということは、最初に作った人が死亡後50年に至るまで、これを独占し続けることになってしまうが、ゴムのグリップというデザインは、多分に書き易さといった機能に異存している。実用品の世界では、「こうすると握り易く疲れにくい」という機能(アイデア)がデザインにも影響するので、著作権が制限されるのである*1
 しかし、実用品、例えば茶碗でも、楽吉左衛門の楽茶碗等の美術工芸品や、独立して鑑賞の対象となる程の高度の審美性がある場合には、実用品のデザインでも、著作権の対象となる*2
 本書は、この点を示す例として、一つの判例を挙げる。これが、食玩事件判決(大阪高判平成17年7月28日最高裁HP【リンク先PDF注意】)である。

事案
 海洋堂は、フルタ製菓に、妖怪シリーズ、動物シリーズ、不思議の国のアリスシリーズのフィギュア(食玩)を供給していたが、フルタが売上を過少申告したとして、不足分のロイヤリティ(著作権使用料)支払いを求めた。フルタは、フィギュアに著作権はなく、著作権がないならロイヤリティの額はもっと少ないはずと争った。

阪高知財集中部の裁判官は、「こうした食玩実用品であり、純粋美術と同程度の美術性がなければ著作物ではない」とした上で、妖怪シリーズのみ高度の審美性があり著作権は成立するが、それ以外には著作権は成立しないとした。


ここで、福井先生は、本判決を批判する。まず、通常はフィギュアは飾って眺めて楽しむものとし、

おそらく、フィギュア同士でごっこ遊びなどをした人も、中にはいるのではないか。「動物」シリーズを使って、ライオンとトラはどっちが強いか、ライオンは集団で行動するから、一頭同士だと実はトラが強い、とか言って戦わせた人もいるのではないか、という気もします
福井健策「著作権の世紀」38頁

とした上で、これらを例外として切り捨てこのような例外を除けばフィギュアは鑑賞目的であり、「鑑賞目的で実用品と言うなら、ゴッホの絵だって実用品です*3」として判決を批判するのである。


3.すごいぞ裁判官
 要するに、福井先生によれば、「玩具」等の実用的使途で用いられるのは例外であり、通常は鑑賞目的なのだから美術品として扱うべきということである。これは本当か?

 
 ここで、留意すべきは、フィギュアの購入者層がオタクだということである。福井先生は、子どもがフィギュアを遊びに使うという例を挙げているが、購買層にずれがありそうである。
 まず、発表時の記事や発売時にいち早く購入した人の速報レビューでは、縦横斜上下等の様々な角度から、造型、塗り、質感、パンツの有無等を眺めることが多いのは事実であり、これは「鑑賞」と言えるだろう。
 しかし、鑑賞という「誰もがすること」で満足しないのがオタクであろう

シチュエーションを創造する
http://tyo-dai.com/110207/110207.html
闇芥: ねんどろいど ○ッキーマウス
http://blog.livedoor.jp/hisabisaniwarota/archives/51769920.html
等参照

魔改造
ttp://makaizou.com/index3.htm
ttp://www.makaizoucollection.com/index.html
ttp://www.gssp.jp/best/wataoni3/index.htm
注:18禁のため、hを加えてリンク先に飛ぶ方は自己責任で

別の意味の「実用」
リアルラブドール オリエント工業
注:リンク先の商品をどのような用途で使うかはご想像にお任せします


このように、一通り鑑賞した後、もう一歩先に進むのが、オタクのオタクたるゆえんである! フィギュアについて、実用品とした大阪高裁の判断はまさにフィギュアの利用実態を忠実に反映したものだったのである!

まとめ
阪高知財集中部の裁判官は、フィギュアの利用実態を的確に把握し、適切な判決を下している。このような実務を踏まえた判断は、判決の納得性や裁判への信頼という意味でも極めて望ましい。福井先生も一本取られた形であろう。
裁判官がどのようにこのような利用実態を把握したのかを詮索するのは野暮というもの。流石は裁判官と言うべきだろう。

*1:詳しくは、本書32頁参照

*2:詳しくは、本書32頁参照

*3:38頁

社長島耕作で考えるタイトルと商標

専務 島耕作(5) <完> (モーニング KC)

専務 島耕作(5) <完> (モーニング KC)

1.はじめに
島耕作がついに社長になったそうである。見事な出世街道である。こうなれば、「会長島耕作」→「顧問島耕作」→「相談役島耕作」という路線は規定路線だろう。


2.「社長島耕作」は商標登録されている?
 ここで、プレステ2発売時に、すでにプレステ3が商標登録されていたというニュースを思い出した。最低でも、「会長島耕作」くらいは、商標登録されているのではないか?

 ここで、利用するのは「特許電子図書館」である。ここの「簡易検索(商標)」から検索すれば、今日本で登録されている商標名がわかる。

 ところが、「社長島耕作」すら見つからない。

1. 登録3357360 課長島耕作
2. 登録3357361 課長島耕作
3. 登録4003920 課長島耕作
4. 登録4003921 課長島耕作
5. 登録4033795 課長島耕作
6. 登録4789549 島耕作\SHIMAKOHSAKU
7. 商標出願2007-117882 島耕作

 この7件だけ、実質的には「課長島耕作」と「島耕作」だけなのである*1。この少なさはなぜなのだろうか?

 また、注目すべきは「指定商品」の範囲である。
 商標というのは、それによって、他社商品と区別をし、その商標がついているものであれば安心だと顧客を信頼させ、誘引する(顧客吸引力)。他人の商標を自由に使えるとすれば、商標による区別ができなくなり、顧客も困るし、製品をよくしようとする企業努力をも阻害する。そこで、商標を登録することで、独占使用を許した。

 商標登録をしても、すべての商品・サービスについてその商標を独占できるわけではない。例えば、三菱は自動車等ではいわゆる財閥の三菱グループ企業が商標を独占しているが、鉛筆の業界では、三菱グループとまったく無関係の三菱鉛筆が「三菱」という商標を使っている

 そして、独占使用できる商品等の範囲を画するのが「指定商品」なのであるが、ゲーム、宝飾品、被服、石鹸等のみが「指定商品」となっており、「本」「漫画」はない*2。なぜなのだろうか?


3.タイトルと商標
 書籍のタイトルについては、登録申請された商標が特定の書籍のタイトルを示すものである場合には、「品質」表示として、商標登録できないとされている*3。この理由はなかなか難しいのであるが、簡単にいうと「タイトルは、著作物を示すものであっても、出所を示すものではない」というところがポイントなのである。
 商標は、他社商品との区別して、顧客を誘引するところにポイントがあるのだから、その出所を示す機能がなければならない。タイトルは、その「本」を示す意味はあっても、出所、例えば出版社がどこであるかを示す訳ではない。出所を示すのは、出版社の商号*4等である。そこで、原則として、商標登録はできないのである*5

 他人の商号を本のタイトルに使っても、それが商標として使用されない限り、つまりどこの商品かを示す目的で使われていない限りにおいて、商標権侵害にはならない*6。そこで、仮に誰かが「会長島耕作」の商標をとっても、弘兼憲史氏はなんら問題なく、「会長島耕作」を描けるのである*7

 もっとも、本のタイトルが、本以外のもの、例えば、あるゲームに使われ、そのゲームの出所を示す機能を持つようになれば*8、それは「本のタイトル」としての使用ではない。このような場合には、商標になり得る*9

 島耕作シリーズは、団塊の世代を象徴する作品として知名度が上がり、グッズ等も出てきている。そこで、それらのグッズ等の出所を示すものとして、上記の商標の登録申請がなされ、登録が下りているのである。

 本のタイトルは、それ自体重要な意味を持つが、「出所を識別する」意味を通常は持たない。
だからこそ、他の商品のように、「シリーズものは、先の商品が出るずっと前に商標権を取る」といったことをする必要はないし、そもそも、出所識別機能を持つようになるまでは、商標が取れないのが原則なのである。
「会長島耕作」が商標登録されていないのは、こういう理由があったのである。

*1:なお、権利者は講談社

*2:ちなみに、「モーニング」は、雑誌・新聞について、講談社が商標を持っている。第1877699号

*3:専門的にいうと、商標法3条1項3号は、「その商品の(中略)品質(中略)を普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる商標」は登録できないとする。例えば「優れた」「特別」「うまい」等の品質を普通に表示するフレーズは、みんなが自分の商品のよさを示すために使い得る表示であり、これでは「他社の商品との区別」ができない。だから、こんなものは、商標として独占を許すことはできない。これが3条1項3号である。そして「書籍の題号については、題号がただちに特定の内容を表示すると認められるときは、品質を表示するものとする。」(商品に係る商標審査基準5(1)より)とされている。

*4:講談社」等

*5:なお、上記のような解釈が定まったのは漱石商標事件といわれる事件による、昭和24年10月25日審決

*6:東京地判昭和63年9月16日

*7:但し、4条1項10号により、講談社関係者以外はたぶん「島耕作」の入った商標を取れないと思われる

*8:例えば、

*9:なお、上記通達5(2)においては、原則として、雑誌・新聞については、タイトルも商標とできるとされており、「書籍」を指定役務としての申請については、「雑誌・新聞」に変更すれば登録が下りる。

無断翻訳と著作権法

アメリカ著作権法

アメリカ著作権法

<<本件エントリはOnline Translation - Dealing with Copyright and Plagiarism Issues Part II - A Legal View | ComiPress様とのコラボレーション企画です。こちらもぜひご覧下さい。>>
1.問題の背景事情
 海外のオタクは日本人と同様、いや、それ以上に日本のアニメ・漫画の最新情報を知りたがっている。比較的最近の例として、Rozen maidenの休載問題は海外サイトでも大々的に取り上げられた*1。ところが、涼宮ハルヒの憂鬱*2等の一部の全世界的展開を目論む作品以外は出版元等から英語のプレスリリース等が出ることはほとんどない。日本語という世界的に見れば少数言語による情報発信しかされていないのである。
 これは、日本の最新情報を欲しがる海外のオタクたちにとっては困った事態である。そこで、日本のサイトの情報を翻訳してこれを海外サイトに掲載するということが頻繁に行われている。
 COMIPress*3等の、一部のサイトにおいては、翻訳元の日本のサイトの著作権者から許諾を取って翻訳を掲載する。この場合には、何ら問題は存在しない。
 しかし、かなり多くのサイトにおいては、無断翻訳が行われている。要するに、出版社や、ファンらの作成した日本語サイトを無断で翻訳して海外サイトに掲載しているのである。もちろん、翻訳には1つのサイトを丸々翻訳するものもあれば、サイトの一部のみを翻訳するもの、翻訳だけのものもあれば、翻訳の後にコメントや論説がついているものもある。これらを「無断翻訳」と総称して、この著作権法的な問題について考察していきたい。
*お断り 本記述は法曹実務家が書いたものではなく、法学徒が書籍・雑誌を参考にしながらまとめたものですので、内容の信頼性は保障できかねます。個別具体的な問題については、弁護士等の専門家にご相談いただきますようお願い申し上げます。
2.どの国の法律が適用されるか
 (1) 設例

 例えば

 アメリカ在住のAさんが、アメリカ国内において日本のBが著作権を持っている記事を英語に翻訳し、この訳文をアメリカに存在するサーバーにアップし、これをアメリカ在住のCや、日本在住のDが読んだ。

 この事例について考えてみる。
 (2) 翻訳権侵害について
 この場合においては、まずは「アメリカ国内において日本のBが著作権を持っている記事を英語に翻訳」した行為が翻訳権(著作権法27条参照)の侵害にならないか問題となる。
 この場合の問題は少ない。アメリカ在住のAさんは、ベルヌ条約締結国であるアメリ*4において、アメリ著作権法により保護されている日本のBさんの持つ当該記事の翻訳権ないし翻案権の侵害の問題になる*5
 (3) 公衆送信権等の侵害について
 アメリカ国内にあるサーバーに情報を蓄積し、これにより送信が可能な状態になることから、複製権・公衆送信権(著作権法23条参照)の侵害にならないか問題になる。
 この場合には、大きな問題がある。この場合、送信地(この場合はAのいるアメリカ)の著作権法を適用すべきという考え方が送信地主義、受信地(この場合はCのいるアメリカやDのいる日本)の著作権法を適用すべきという考え方が受信地主義であり、この2つの考え方が鋭く対立している*6

長所 短所
受信地主義 リアルワールドの国際私法の解釈と整合的 発信行為者にとって何が規制されるのかわからず萎縮効果が生じる
送信地主義 発信行為者にとって何が規制され、何が規制されないかがよくわかる コピライト・ヘブン等からの送信行為の規制が困難
受信地主義(改) 受信地主義送信地主義の問題を克服 どこが「最も重大な結果が発生した地なのか」が不明

 受信地主義は、リアルワールドの国際私法解釈と整合的という利点がある。この点、一般の不法行為については原則として被害結果が発生地とするとされている(法の適用に関する通則法17条本文参照*7)。この現実世界の考えをサイバースペースについてもそのまま適用すれば、被害発生地、即ち送信地が不法行為地となる*8わけである。しかし、インターネットで受信地主義を取れば、どの国の人が受信するか分からないのだから、国によって著作権法が違う以上、発信行為者にとって何が規制されるのか分からず萎縮効果があるといった問題がある*9
 これに対し、送信地主義は、上記の規制範囲の問題はないものの、著作権の保護が緩い国、いわゆるコピライトヘブンからの送信による著作権侵害行為が規制不能になるといった問題もある*10
 ここで、「インターネットの法律問題」p43においては、上記の2つの問題を克服する方法として、基本的に受信地法をとりながら、すべての受信地国の法律の適用を認めるべきではなく、同時に複数国に損害が発生した場合には最も重大な結果が発生した地をもって結果発生地として、そこの著作権法を適用するという説を取っている。この説によると、例えば「他人が著作権を持つ日本語の作品をインターネット上でばらまいた」場合は、日本語のネイティヴスピーカーが日本1国に集中している以上、日本の著作権法が適用されることになる。私も、この説が最も妥当と考える。
 この説によれば、英語のコンテンツの場合においては、どの国のどれだけの人がそのサイトを見たかという点が1つのメルクマールになるだろう。サイトによって大きな差異があることは事実であるが、日本においてアメリカ以外の外国著作権法研究書がほとんど存在しないこと、及び当サイトの英語圏のアクセス元は2位以下をぶっちぎりに引き離してアメリカが多いこと*11等から、アメリ著作権法を1つの例として以下では考察する
3.「フェアユース」等による正当化の可能性
 フェア・ユースは、米国著作権法などで認められた著作権侵害訴訟での抗弁の一つである。著作権の侵害と見られるような行為でも、これがフェア・ユースであると立証できれば、著作権者の許可や対価の使用なく、利用を継続できる*12。フェア・ユースが存在するのは対立する利害関係についての適正な調整である*13。ある作品はそれ以前の作品の持つ要素等をふまえて成立しているのであり、それ以前の作品と全く独立の作品は存在しないといってもよい(この理は107条の例示する「批評、解説、ニュース報道、教授」等においては特にあてはまるだろう。)。このような著作物を著作権者の制限から離れて自由に利用したいという社会的な利益も存在するからこそ、別の人が著作権を持つ著作物の使用も「正当な範囲」では認められているのである。

第107条 排他的権利の制限:フェア・ユース
第106条および第106A条の規定にかかわらず(引用者注:著作権者の排他的権利について規定)、批評、解説、ニュース報道、教授(教室における使用のために複数のコピーを作成する行為を含む)、研究または調査等を目的とする著作権のある著作物のフェア・ユース(コピーまたはレコードへの複製その他第106条に定める手段による使用を含む)は、著作権の侵害とならない。著作物の使用がフェア・ユースとなるか否かを判断する場合に考慮すべき要素は、以下のものを含む。
(1) 使用の目的および性質(使用が商業性を有するかまたは非営利的教育目的かを含む)。
(2) 著作権のある著作物の性質。
(3) 著作権のある著作物全体との関連における使用された部分の量および実質性。
(4) 著作権のある著作物の潜在的市場または価値に対する使用の影響。
上記の全ての要素を考慮してフェア・ユースが認定された場合、著作物が未発行であるという事実自体は、かかる認定を妨げない。
http://www.cric.or.jp/gaikoku/america/america.html

 アメリ著作権法107条は、フェア・ユースになるかどうかの考慮のポイントを4つ指摘しているので、これらの4つのポイントを順に検討していき、最後にこれらを総合して、無断翻訳サイトを作成する場合の注意点について検討する。
(1)使用の目的と性質
 使用方法が商業的性格(commercial character)の使用であるか、または非営利の教育的性格(non-profit educational character)の使用であるかは重要なメルクマールとなる*14。そこで、無断翻訳・公開をしたサイトが非営利目的であれば、フェア・ユースとなる場合が比較的多くなるだろう。もっとも、非営利目的だから常にフェア・ユースとなるわけではない*15
 批評、解説、ニュース報道、教授、研究または調査という列挙されている使用は、一般的に社会にとっても利益となると考えられ、少なくとも全くの営利目的の使用よりも公正であると考えられる*16
 インターネットにおいてよく見られる「ニュースサイト」は*17、世の中の情報を知りたいという人に対し、記事のリンク、翻訳、コメントという形で情報を提供し、適宜解説をするメディアであり、世の中のニーズに答えている。そこで、ニュース報道に準じてフェア・ユースを広く認めていくべきである。
 なお、一部営利目的サイトにおける無断翻訳があるが、非常に危険である。それは、そのような使用方法は著作権法の規定により不公正であると推定される*18からであり、フェア・ユースと全く認められる余地がないわけではないが、非営利目的ニュースサイトよりも格段に違法とされる可能性が高くなる。
(2)著作物の性質の要素
  非商業的目的でなされる使用のうちでも、情報伝達の性質(informational nature)を有する著作物の使用は、娯楽的な性質(entertaining nature)を有する著作物の使用よりもフェア・ユースと認定される場合が多い*19。限定配布の時事通信紙のように広く公衆に配布するものでない著作物は新聞のように大量に配布される著作物に比べフェア・ユースに基づく制限が狭い*20。これは大量にコピーされることで時事通信紙の需要が減るという点が考慮されている。すると、誰にでも公開されているニュースリリース等、逆に公衆に伝達することを目的としている記事については、無断翻訳・転載においてもフェア・ユースとする範囲を広くすべきであろう。
(3) 量と実質性の要素
 一般的規則はないが、著作物全部の使用については通常フェア・ユースの法理に基づく制限規定は適用されない*21。他方著作物が一部であれば、使用された部分の量と実質性を検討しなければいけない。実質性の検討においては、作品の重要な部分の使用や骨子の使用は相対的に使用量が少なくともフェア・ユースの認定を否定する大きなポイントになる*22
 そこで、原則として記事を丸々翻訳・転載する場合にはフェア・ユースによる正当化は不可能ということになるだろう。抜粋・要約であっても、それが「実質上全体」に当たる場合にはフェア・ユースにはならない*23
(4) 使用の影響
 現在の裁判所は、この使用の影響を最も重視している。使用方法が使用された著作物の潜在的市場と価値に対していかなる効果を有するかを問題としている*24。例えば、日本のライトノベルについてのネタバレを含む詳細なあらすじがインターネット上で英語で公開されることで、そのライトノベルの英語版を出した場合に売れなくなる可能性がある*25。このような潜在市場に対する効果が重要な考慮要素となるのである。
 この点は、公正とされた場合に公衆の得る利益と、不公正とされた場合の著作権者が得る個人的利益の調整の観点*26が重要になってくる。そして、ある著作物を使用することにより著作物にとって同じニーズを満たす著作物(前述のあらすじ事例参照)が作成されたとなれば、裁判所はその使用をフェア・ユースとは認定しない*27。これに対し、著作物の使用によりその著作物と競合しない別の著作物が作成され、その著作物の潜在的市場や使用された作品の評価に悪影響を与えない場合においては、フェア・ユースと認定される場合がある*28
(5) 無断翻訳がフェア・ユースとされるための指針
ア 非営利目的
 まず、無断翻訳をするのであれば、非営利目的でのサイト運営をすることがかなり重要になってくる。営利目的の運営の場合においては、「非営利で同じ事をすればフェア・ユース」の場合でも営利目的ならアウトということが少なくない。営利目的サイトの場合には、著作権者の許諾を得ることを強く推奨する。
イ 全体の翻訳は避ける
 次に、非営利を前提としても、著作物全体の翻訳を避けることも重要になってくる。仮に批評や評論が目的であっても、全体を翻訳しなければ、その批評・評論目的を達し得ない場合はほとんどないのであるから、全体の無断翻訳・転載はフェア・ユースにはほとんどならない。全体を翻訳したければ、著作権者の許諾を得ることを強く推奨する。
ウ 出所明示
 なお、出所明示は「これをすればフェア・ユースになる」というものではないが、1つの判断要素となる*29ものであり、出所は明示すべきである。
エ コメントすらない単純な翻訳転載サイト
 これを前提に類型化してみてみる。まず、コメントすらなく、単に翻訳・転載をするのみというサイトの場合には、「ニュース報道」に準じてフェア・ユースと言えるかが問題となる。もっとも、ニュース報道というのは「単に他の著作物を転載するだけ」ではなく、それに編集・要約・主張等の知的作業が入るからこそ、社会的価値が高まると言えるだろう。フェアユースとされた事例として、「ニュース報道において、演説を書面にしたものや、記事の要約を若干の引用も含めて作成すること*30」とされているが、この太字部分に鑑みると、単なる翻訳・転載はフェア・ユースになる余地はかなり乏しいだろう。
 更に、使用の影響を考えると、アクセス制限サイト、有料サイトの内容の翻訳・転載もフェア・ユースとなる余地はかなり乏しいだろう。
オ 翻訳転載と共にコメント評論等のあるサイト
 これに対し、翻訳・転載した部分に加えコメント、評論、解説、批判等が入っているものについては、前述の「編集・要約・主張」等の知的作業が含まれており、社会的価値は高く、フェア・ユースになる余地が大きい。特に、最も重要な考慮要素である使用の影響について考えるに、この情報を多くの人に無料で知ってもらいたいと思いながらも、コスト等の問題から日本語のみで情報提供をしているサイトにとっては、翻訳がされることで、英語圏の人に対し自分の作品を売る市場・利益が阻害されるなどということはない。むしろ、翻訳がされることで、自分の情報が多くの人に知ってもらえるというのは非常に大きな利益であり、無断でも、翻訳をしてもらってうれしいという場合すらある。
 卑近な例で申し訳ないが、私の書いた看板作品の休載と錯誤〜ローゼンメイデン休載問題についての法的考察 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常http://www.animangaweb.com/noticias.php?idn=5295&clase=1という形でスペイン語で無断翻訳された。しかし、私としては、この記事を日本語が分からない人にも知ってもらえたということで、「著作権の侵害であり、訴えてやる!」とは全く思わなかった。むしろ、即日「どうもありがとうございました」とお礼すらした程であった。
 私の例は1つの例に過ぎないが、多くの無断翻訳がなされているのに、著作権者が著作権侵害として法的手段を講じた事例がほとんど見つからないのは、このような潜在的市場を阻害する恐れの低さという点が大きいと考えられる。そこで、「日本のアニメファンが無料で公開している記事」を「引用して翻訳した上で、解説・コメントを加える」という場合には、無断で翻訳した場合でもフェア・ユースになる場合が多いといえるだろう。これに対し、公式サイトの場合においては、誤訳がされて、謝った情報が「公式情報」として流れることを防ぐため、情報の正確性を記すために、無断で翻訳されない利益が非公式サイトに比して高い。そこで、コメントの量・質が低い場合には、フェア・ユースとならない可能性がある。しかし、「公式サイトであっても、多くの人に知ってもらうために、無料で公開するが、コスト等から日本語のみにする」という場合は少なくないのであり、コメントの量・質によっては無断翻訳も十分にフェア・ユースになりえると考える。

まとめ
 無断転載・引用サイトでの禁忌は
?営利目的
?全文翻訳
?翻訳のみでコメントなし
?有料・制限サイトの内容の翻訳
?出典なし
の5点である。この5点を避けた場合に常にフェアユースとなる訳ではないが、特に非公式サイトではフェア・ユースとなる可能性は高く、公式サイトでもコメントの質・量と引用部分の質・量によっては十分フェア・ユースとなり得る。

4.推定的承諾論ー試論
*以下は、全くの私見である
 上記で考察したように、「1つの記事まるごとの無断翻訳」や「コメントなき翻訳」は通常フェア・ユースにならない例である。しかし、上記の私が「1つの記事をまるごと(しかもほとんどコメントなく)無断翻訳をされた(というより「してもらった」)際に、これを喜んだ」という事例を考えると、私はある類型の無断翻訳においては、著作権者による推定的承諾さえ認められるのではないかとすら思うのである。
 即ち、(1)日本語のみで情報を公開する(2)非公式のファンサイトで、かつ(3)著作権侵害を行っていないサイトで、かつ(4)無料で考察・レビュー・意見等を公開しているサイトにおいては、(5)出典が明示され、(6)翻訳内容が正確で、(7)無断翻訳であること及び著作権者の反対の意思表示を受ければ即刻撤回するとの意思表明の明記がある場合には、全体の翻訳やコメントがほとんどない、単なる翻訳・紹介だけといったフェア・ユースに当たらない場合でも推定的承諾を認めて一定の範囲の利用を正当化してよいのではないかというのである*31
 まず、(1)日本語のみで情報を公開するというのは、英語等でも情報を公開している場合には、市場の競合が起こる可能性があるために承諾が得られない恐れがあるために必要な要件である。
(2)非公式ファンサイトという限定は、公式サイトにおいては、「情報のコントロール」の要請が非常に強いことから必要な要件である。
(3)著作権侵害を行っていないサイトというのは、例えば「同人誌の公開サイト」といった場合においては、これが大々的に行われると、オオモトの著作権者に目をつけられる可能性があることから、たくさんの人に知られることを好まない可能性が高いために必要な要件である。
(4)無料での考察レビュー意見等の公開というのは、無料性により市場侵害性の低さが基礎付けられ、考察レビュー意見等は、内容の性質上「通常、多くの人に知ってもらいたい」と推認してよいものである。
(5)出典の明示は、勝手に自分のものが他人名義で公開されることを認容する人はほとんどいないであろうから必要とされる。
(6)翻訳の正確性は、誤訳による著作権者の不利益を避けるために必要な要件である。
(7)無断翻訳であること及び著作権者の反対の意思表示を受ければ即刻撤回するとの意思表明の明記は、誤訳等が仮にあった場合に著作権者が責任を負わないこと及び、著作権者の(最低限度の)情報コントロール確保のための要件である。
 かかる要件を満たす場合には、仮に上記のフェア・ユースの議論からは正当性が認められない全文翻訳や、コメントなき翻訳の場合であっても、推定的承諾が認められるとして、著作権者からの撤回要求を受けるまでの掲載」を正当化できる*32と解するとしても、さほど不当ではなく、むしろ無断翻訳が多発しており、これに対する著作権違反が大きな問題となっていない現状に照らしても妥当な結論を導くことになるのではないかと考える。

まとめ
 フェア・ユースの概念では正当化できない無断翻訳でも、
(1)日本語のみで情報を公開する
(2)非公式のファンサイト
(3)著作権侵害を行っていないサイト
(4)無料で考察・レビュー・意見等を公開しているサイト
の4要件を満たすサイトに対する
(5)出典が明示され
(6)翻訳内容が正確
(7)無断翻訳であること及び著作権者の反対の意思表示を受ければ即刻撤回するとの意思表明の明記
の3要件を満たす翻訳転載の場合には、推定的承諾ありとして「著作権者からの撤回要求を受けるまでの掲載」を正当化できると考えても、さほど不当ではないのではないだろうか。

*1:http://comipress.com/news/2007/04/28/1894参照

*2:ASOS Brigadeのホームページ参照

*3:少なくとも最近における

*4:デイヴィッド・A・ワインステイン「アメリ著作権法」p356「アメリカは1988年10月31日においてベルヌ条約加盟に必要な法律改正を行い(Berne Convention Implemention Act of 1988),改正法は、1989年3月1日、ベルヌ条約正式加盟と同時に発効した。」

*5:岡村・近藤著「インターネットの法律実務(新版)」p134「ベルヌ条約は」「世界統一私法の形をとりましたので」「条約の締結国の間においては、条約が対象として国内法が制定されている事項については法の抵触が生ずることはなく、国際私法を通さないで、統一私法たる国内法(すなわち、著作権法)が直接適用されることになります」

*6:TMI総合法律事務所「著作権の法律相談」p199参照、なお同書の同頁は「無用のクレームを避けるためには現時点では受信地主義を選択せざるをえない」としている。これは弁護士が法的リスクを避けるために顧客にアドバイスするという観点では「正解」と言えるだろうが、「裁判の際にも受信地主義を取るべき」という主張ではないと読むべきだろう。

*7:小出邦夫編著「一問一答・新しい国際私法」p99以下

*8:道垣内正人「サイバースペース国際法」ジュリスト1117号63頁参照

*9:作花文雄著「詳解著作権法」p667参照

*10:作花文雄著「詳解著作権法」p666参照

*11:当サイトのメインコンテンツが日本語のため、根拠としてはかなり薄弱です

*12:デイヴィッド・A・ワインステイン「アメリ著作権法」p85以下

*13:前掲書p86

*14:前掲書p89

*15:前掲書p89は、教育目的目的で映画を大量に複製する場合が例示されている

*16:前掲書p90

*17:定義もばらばらであり、かつ実態も様々であるが、総括的には

*18:前掲書p91

*19:前掲書p94

*20:前掲書p94

*21:前掲書p96

*22:前掲書p96

*23:前掲書p96は「ある本の50パーセントが1語1句そのままにコピーされ、実質的にはその比率がコピーされた本の実質上全体に当たる場合は、フェア・ユースとはされません」とされていることに留意

*24:前掲書p96

*25:もちろん、どれだけ詳しいあらすじかによって影響は変わると思われますが

*26:前掲書p97

*27:前掲書p98

*28:前掲書p99

*29:前掲書p96

*30:前掲書p99

*31:典型は当サイトを翻訳する場合

*32:この点、フェア・ユースであれば、翻訳者は撤回要求があっても記事の公開を継続できる点で大きく異なる

「巫女の日」商標登録問題に関する法的考察

巫女みこナース (美少女ゲーム・ベストシリーズ)

巫女みこナース (美少女ゲーム・ベストシリーズ)

 本日は3月5日、巫女の日であるが、この「巫女の日」をある個人*1が商標登録したという問題がweb上で話題になっている。
 web上では「巫女の日のイベントが行えなくなる!」等といった悲鳴や、その商標権者である個人に対する批判の声が上がっているようだが、本エントリでは、感情的にならずに
1.当該商標の登録により、何が制限されるのか(当該商標の有効性が前提)、
2.当該商標は有効か?
という2つの問題について法的に考察してみたいと思う。


1.当該商標の登録により、何が制限されるのか
 まず、1つ目の問題であるが、

商標は、標章のうち、事業者が商品又は役務について使用するものとされ(商標2条1項)、この商標を使用する者の業務上の信用の維持を図ることを商標法は目的としている(同法1条)。
牧野利秋著「法律知識ライブラリー5 特許・意匠・商標の基礎知識」p272より

例えば、株式会社S○NYが「ソニーソース」というソースを作っていたとする。その場合、品質のよいソースに「ソニー」という商標がついて売られることで、消費者は「ソニーとつくソースを買えば間違いがない!」という信頼を寄せる。これが商標の機能である。
 ここで、ライバル会社が粗悪品の「ソニーのソース」というソースを発売したとしよう。消費者は「ソニーとつくソースを買えば間違いがない!」と思っているのだから、ライバル会社のソースを買ってしまう。これでは、ソニーのブランドへの信用に傷がつき、しかも経済的にも損をしてしまう。
 そこで、S○NYは「ソニーソース」という商標を登録することで、ソニーソースという商標をS○NYだけが使え(専用権、商標法25条) 、かつ、他の者が類似の商標を使うことを禁止できる(商標法37条1号、禁止権)のである。こうすれば、消費者からの信用の維持を図ることができる。
 

 ということは、逆に言えば信用の維持に不要な場合には商標法の規制が及ばないというのが原則となってくる。
 例えば、三菱鉛筆三菱重工等の三菱グループとは一切関わりがない*2。それにも関わらず「三菱」の名を使えるのは*3、事業が被らないので信用を維持する上で問題がないからである。
 この観点から、商標法は商標を登録する際に「指定商品又は役務(5条3号)」を定めることを要求し、指定商品・サービス又はそれに類似する商品・サービスにつき同一又は類似の商号が使用された場合に禁止権(37条各号参照)を持つことになり、異なる商品・サービスについては専用権・禁止権を有しないとしている。例えば、指定商品をソースとして「ソニー」を登録した場合、「ソースと全く無関係の商品・サービスについてソニーの商標を使うことは問題がない*4」のである。


 さて、本件において

【商品及び役務の区分並びに指定商品又は指定役務】
「シンポジウムの企画・運営・開催」
「軽食堂・喫茶店・簡易食堂における飲食物の提供」
http://www.ipdl.ncipi.go.jp/Syouhyou/syouhyou.htmより

ということであるから、
「シンポジウムの企画・運営・開催」ないし「軽食堂・喫茶店・簡易食堂における飲食物の提供」と無関係な商標の使用は原則として自由にできるということになる。
 「巫女の日」と題して、巫女さんの絵を描いたり、web上でみんなで巫女さんの絵を描く企画に「巫女の日」という名前をつけることは、商標権が登録されても、問題がない*5行為である。


2.当該商標は有効か?
要するに、こんな商標を取っていいのか?という問題である。
 ここで「いい」に倫理的意味を含ませない。例えば、まとめサイトで批判されている点として

商標登録をして2ヶ月間は、誰でも取った商標に異議申し立てが出来るが、11月に取って、その2ヵ月が切れてから取ったことを突然公開した
http://anond.hatelabo.jp/20070124032341より引用

という点があるが、これは倫理的な観点からの非難で、法的には問題はない。すなわち、商標法は、

(登録異議の申立て)第43条の2 何人も、商標掲載公報の発行の日から2月以内に限り、特許庁長官に、商標登録が次の各号のいずれかに該当することを理由として登録異議の申立てをすることができる。この場合において、2以上の指定商品又は指定役務に係る商標登録については、指定商品又は指定役務ごとに登録異議の申立てをすることができる。
1.その商標登録が第3条、第4条第1項、第7条の2第1項、第8条第1項、第2項若しくは第5項、第51条第2項(第52条の2第2項において準用する場合を含む。)、第53条第2項又は第77条第3項において準用する特許法第25条の規定に違反してされたこと。
2.その商標登録が条約に違反してされたこと。

と規定しており、きちんと「こんな商標が登録されますから、文句あったら異議をいってな!」という広報が発行されている。「そんなの見てないよ!」という人もいるかもしれないが、「見ようと思えば見ることができた」以上はそれで法的にはいいのであり、それ以上に何かリアクションを起こして商標を登録したことを積極的に公表する法的義務は存在しない。


 このような倫理的問題はさておき、法的問題だけについて考えよう。
問題点1記述商標ではないか?

(商標登録の要件)
第3条 自己の業務に係る商品又は役務について使用をする商標については、次に掲げる商標を除き、商標登録を受けることができる。
1.その商品又は役務の普通名称を普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる商標
2.その商品又は役務について慣用されている商標
3.その商品の産地、販売地、品質、原材料、効能、用途、数量、形状(包装の形状を含む。)、価格若しくは生産若しくは使用の方法若しくは時期又はその役務の提供の場所、質、提供の用に供する物、効能、用途、数量、態様、価格若しくは提供の方法若しくは時期を普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる商標
4.ありふれた氏又は名称を普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる商標
5.極めて簡単で、かつ、ありふれた標章のみからなる商標
6.前各号に掲げるもののほか、需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができない商標
2 前項第3号から第5号までに該当する商標であつても、使用をされた結果需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができるものについては、同項の規定にかかわらず、商標登録を受けることができる。

商標法3条は上記のように規定しているが、この3条1項3号の「その商品の産地、販売地、品質、原材料、効能、用途、数量、形状(包装の形状を含む。)、価格若しくは生産若しくは使用の方法若しくは時期又はその役務の提供の場所、質、提供の用に供する物、効能、用途、数量、態様、価格若しくは提供の方法若しくは時期を普通に用いられる方法で表示する標章のみからなる商標」は、記述的標章(descriptive mark)と言われる*6
 このような商標は取引の際において一般に使用されることが多い表示であるから、自他識別能力を欠く。例えば、「大バーゲン」という家具の性質(価格が安い)についての表示は、商標を登録した会社のみならず他の家具でも「家具の大バーゲン」といって安く売りたいだろうから、「ソースといったらソニー」という例と異なり「大バーゲンといったらこの会社」という関係がない(自他識別能力がない)*7。更に、取引上何人にとっても必要な表示であるから、特定人にのみ独占させることは公益上も妥当ではない。これが、3条1項3号の趣旨である。 
 サービスの記述的商標について、こんな指摘がある。

 役務の態様 建造物の外壁の清掃に「高圧洗浄」、駐車場の提供に「ソフトシステム」、飲食物の提供に「セルフサービス」、美容に「ストレートパーマ」
網野誠「商標」5版p236より引用

 このように役務の態様を表す商標は記述的商標として、登録されてはならない
 「巫女の日」については、少なくとも喫茶のイベントにおいては、
ある(1ないし連続した数)「日」に、ウェイトレス等が「巫女の」格好をしてサービスをするのだから、まさに「役務の態様」を表しているのである。
 そこで、この商標は登録されてはならない商標だったという疑問をぬぐえない。


問題点2自他商品(役務)識別力がないものではないか?
3条1項6号は「需要者が何人かの業務に係る商品又は役務であることを認識することができない商標」、すなわち自他商品(役務)識別力がないについては商標登録が受けられないとする。
 この意義については、網野誠「商標」5版p173によれば「登録査定時に現実にその商標を商品に使用した場合において、需要者が商品(役務)を識別できない商標」はもちろん「登録査定時においては識別できても、何人でも自由に使用し得るような商標と同一であるか、そのような商標にきわめて類似するためそれを他人が自由に使用する場合においては識別力がなくなるおそれのあるような商標」まで含まれるとされる。
 なかなか分かりにくい話であるが、要するに「独占するのに不適切」な商標*8を1号〜5号で挙げ、その上で、6号で例示に該当しなくとも独占に不適切なものは登録してはいけないと規定したわけである。
  すると、遅くとも2005年1月の時点で「メイド喫茶における巫女の日イベント」が始まっており*9、その後も様々なメイド喫茶で「巫女の日」というイベントが行われ続けていたのだから、慣用商標とまで言えないとしても、一般に「巫女の日」と言われても、その商標権者の事業を想像・識別することは不可能*10な状況にある(むしろ、メイリッシュ等、有名メイド喫茶のイメージが頭に浮かぶ方が自然であろう)。
 そこで、「慣用商標に類似する商標で広義において識別力が認められないもの*11」として、6号に該当する登録されてはならない商標だったという疑問をぬぐえない。


問題点3:自己の業務に係る商品又は役務について「使用」しているのか?
 まず、商標登録は自己の業務に係る商品又は役務について「使用」する商標について認められ(同法3条1項)る*12
 この商標権者はどうも一般人で、シンポジウムを行う意図があるようであるが、「軽食堂・喫茶店・簡易食堂における飲食物の提供」をする意図は不明であり、むしろそのような意図はない節がある。
 使用しないのであれば、商標を保護して信用を保つ必要性はない。不使用は一定の要件の下で更新登録拒絶事由となり、一定の要件の下で商標登録取消事由ともなる。
 もちろん、今後はやるんだというのであればよいが、現在のような拒否反応が広がる中で、「商標権者による*13メイド喫茶巫女の日イベント」というのが成功するかは疑問符を付けざるを得ない。果たして「使用」しているのか、使用できるのかという適法性の根本に関わる疑問が残る訳である。


問題点4:既に巫女の日を行ってきたメイド喫茶「先使用」により商標使用権が認められるのではないか。

 他人の商標登録出願前から、日本国内において、不正競争の目的でなく、その商標登録出願に係る指定商品またはこれに類似する商品について、その商標またはこれに類似する商標の使用をしていた結果、その商標登録出願の際に現にその商標が自己の業務に係る商品を表示するものとして需要者の間に広く認識されているときは、その者は、継続してその商品についてその商標の使用をする場合は、その商標についてその商標を使用する権利を有する(商標32条1項)。
紋谷暢男「商標法50講」p172

要件は4つ。
�出願前からの使用
�不正競争の目的がないこと
�需要者に周知されていること
�継続使用
である。
�の継続使用は季節的に商品販売を中止してもよいことになっているので、毎日巫女の日をやっていなくても大丈夫である。
最大の問題は�周知要件であるが、「国内の1地方で特定の事業者の業務に係る商品を表示するものとして広く需要者の間で知られている」という商標4条1項10号の要件よりも緩いと解されている*14ので、有名メイド喫茶で前から巫女の日イベントを行ってきたところでは、該当する場合もあるだろう。

まとめ
 「法的」な観点から「巫女の日」問題を検討すると、
1.商標登録により影響を受けるのは主にメイド喫茶における巫女の日イベント。ネット上で画像をアップする等はほぼ大丈夫
2.商標登録自体の有効性・適法性について
・記述商標ではないか
・自他商品(役務)識別力がないのではないか
・使用の意図も能力もないのではないか
・先使用者の権利によりメイド喫茶は商標を使用できるのではないか
 といった問題がある
  ということが分かる。

*1:http://miki.miko.net/mi-blo/参照

*2:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8F%B1%E9%89%9B%E7%AD%86参照

*3:歴史上先に三菱鉛筆の方が三菱の商標を使っていたという理由もあるが

*4:正確に言えば、不正競争防止法等の問題も出てくるので、問題なしとは言い切れないことに注意。

*5:なお、一切問題がないかといえば嘘で、この巫女の日企画に出品することでメイド喫茶の「巫女の日」企画の宣伝をする等、極限られた場合に問題となる可能性はある。

*6:以下、網野誠「商標」5版p223以下を参照

*7:小野昌延「商標法概説」p109参照

*8:正確に言えば「旧法の特別顕著性がないもの」なのですが、ここは簡単に。

*9:http://blog.livedoor.jp/geek/archives/11673717.html

*10:というか、そもそも商標権者は喫茶店等での巫女の日イベントを未だにやっていないと思われる。

*11:網野誠「商標」5版p297より

*12:牧野利秋著「法律知識ライブラリー5 特許・意匠・商標の基礎知識」p272参照

*13:ないし商標登録者公認

*14:紋谷暢男「商標法50講」p174。要するに4条の周知要件に該当するとそもそも商標登録を受けられない、「独占ができない」状況になる。これに対し、32条の先使用は、基本的に商標権者が独占できるが、先使用者も使えるというだけだから、より要件は緩くてよいということ。

著作権法違反の非親告罪化

注:元々のエントリがわかりにくいようなので1/29に書き直した。

著作権法コンメンタール〈下巻〉75条~124条

著作権法コンメンタール〈下巻〉75条~124条

1.著作権法違反が親告罪ではなくなる!?
 2007-01-27 - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記/はてダ版様によると、著作権法違反の非親告罪化の動きがあるらしい。

非親告罪化の話の出所は第8回知的創造サイクル専門調査会の議事資料(中略)
海賊版対策として出てきたもので、営利目的又は商業的規模など一定の場合に限る
2007-01-27 - カルトvsオタクのハルマゲドン/カマヤンの燻る日記/はてダ版より

 *1著作権法違反のうち営利目的がある等の重大な場合について、著作権者の告訴なくして、著作権侵害者を有罪にできるという改正である。つまり、著作権者が「別に処罰しなくてもいいんじゃない。」と思っている著作権法違反事件でも、警察が勝手に捜査して、*2勝手に起訴し、それで有罪にすることが可能になるのである。


 親告罪とは、被害者が告訴(犯罪があったことを告げ、加害者の処罰を求めること)しないと、犯人を起訴できないという犯罪である。ところで、刑法上、告訴がなくとも起訴ができるのが原則であり、親告罪は例外に過ぎない。例えば、窃盗は親告罪ではない。そこで、理屈から言えば、10円のものの万引き事案で、被害者が処罰しなくてもいいと思っているのに、検察が起訴するということはありえる*3。このように、刑事上は通常は被害者は訴追をするかどうか決められない。
それにもかかわらず、著作権法は、著作権法違反を親告罪とする著作権法123条は、「第百十九条、第百二十条の二第三号及び第四号、第百二十一条の二並びに前条の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。」としているのである*4
なぜ、著作権法は、その違反を親告罪としたのだろうか。


2.著作権法違反が親告罪の理由
 親告罪は「被害者の名誉の尊重」、「軽微犯罪について被害者の意思を尊重」、「家族関係の維持」という目的のためにつくられたものというのが伝統的見解である*5
 名誉尊重のため親告罪になったものとして強姦罪、被害者意思尊重のためのものとして器物損壊罪、家族関係の尊重として親族相盗*6というのが挙げられる。


 さて、著作権法親告罪である理由は何か。当然、家族間で著作権侵害がされる場合は例外的であるから、家族関係の尊重ではない。また、著作権が侵害されることは、一般に著作権者の名誉を害するものとも言えない*7。すると、趣旨として最も近いのは軽微な犯罪についての被害者意思尊重であろう。

 ただ、ここで「軽微な犯罪について」という点を過剰に意識すべきではないだろう。田宮守一先生は、

訴訟外における事件当事者による紛争の解決をもって、刑事司法上の事件の解決とみなすことができるから
田口守一「親告罪の告訴と国家訴追主義」「宮沢浩一先生古稀祝賀論文集・第一巻・犯罪被害者論の新動向」p258

 という理由で、親告罪については、告訴なくして起訴できないとされる*8。要するに、重要なのは、「紛争が解決し、被害者が処罰を求めないのならば、その被害者の意思を尊重しよう」という部分なのである。

 そもそも、著作権法違反が行われた場合の著作権者への影響は、マイナスばかりではなく、プラスになる場合すらあり、非常に複雑である。例えば、「涼宮ハルヒの憂鬱」事案におけるyoutube等、動画投稿サイトへのアップロードは、著作権法違反であるが、これが客観的にみて、本やDVDの売り上げ向上に貢献したことは否定できないだろう。また、作者が自分の作品の同人誌を楽しむ事例も存在する*9


著作権がノーという著作権侵害は、きちんと刑事罰等で制裁を受けなければならないが、著作権者が黙認しているものに、あえて刑法が介入する必要があるのか、これが重要な問題意識である。
 著作権者の著作権法違反に対する反応としては、

(a)怒り、著作権侵害者の訴追・処罰を求める、
(b)怒るが、著作権侵害者との交渉により解決*10し、処罰まで求めない、
(c)怒るが、訴追を求める程の怒りではないので、処罰を求めない、
(d)怒らない、ないしむしろ喜ぶ

という4つのパターンがありえるだろう。
 著作権法がその違反を親告罪にしたのは、このうちの(a)のパターンにおいて起訴すればよいのであり、それ以外の場合には国が刑罰をもってして処罰するほどの紛争は存在しないのだから、起訴は不要という趣旨と考えられる*11

 著作権法コンメンタールでも

119条の保護法益は、著作者人格権著作権、出版権、著作者隣接権といった私権であるから、その保護について(中略)法益主体たる著作者の判断に委ねることにした。
金井他「著作権法コンメンタール」下巻p315

 と説明されている。この説明は、著作権者と侵害者の間で紛争が解決すれば、著作権の問題は私権の問題なんだから、起訴は不要という意味で、上記田口の説明と整合的に解することができる。

 なお、注意すべきは、この理は営利目的と非営利目的で大きく変わるとものではないということである。確かに、営利目的であれば、(c)の場合が減り、(a)(b)の場合が増えるということは言えるだろう。しかし、(a)の場合、すなわち怒り、訴追を求める場合であれば、まさに告訴がある場合で、現行法でも十分起訴が可能である。また(b)の場合、すなわち交渉で解決する場合であれば、紛争は解決しているのであり、被害者の意思に反してまで*12訴追をする必要はない。特に、同人誌等、営利目的と非営利目的の違いが非常に微妙であることを考えれば、営利と非営利で大きな差をつける意味は薄いというべきである。

まとめ
親告罪というものの趣旨にさかのぼって考えれば、著作権法違反のうち、営利目的等のあるものを非親告罪とする改正の根拠が薄弱であることが分かる。

付記:このエントリの結論は「従来の著作権法の枠組み」を維持する限り、著作権法違反のうち営利目的等一部を取り出して非親告罪化することは不合理だというものである。従来の枠組みを吹っ飛ばし、著作権法違反は、当事者間で紛争が解決しただけで国が処罰できなくなるようなやわな犯罪ではない!! 著作権の侵害は、単に著作権者の私権の侵害のみならず、一国の文化という公共的利益の侵害でもあるんだ!として、現在では立法当時の親告罪とした趣旨があてはまらなくなっているから非親告罪にするといった改正に対し、このエントリの議論は正面から反論していない。ただ、本当にそんな従来の枠組みをぶっ飛ばす改正をするだけの立法事実があるかは疑問である。著作権の問題は、「著作権者を保護しすぎると、(パロディや引用等が抑制され)新たな表現が出にくくなる」「著作権への挑戦者を保護しすぎても、(表現しても、どうせだれかにパクられるとなって)新たな表現が出にくくなる」という2つの利害の「拮抗する関係の調整」にあるのであり、「著作権の侵害は私的な問題ではない! 公益的な問題だ!」とするのは、あまりにも著作権者保護に傾きすぎ、逆に健全な文化の発展を阻害する考えではないだろうか。

なお、構成の全体において黒澤睦様の黒澤睦のホームページ/黒澤睦「親告罪における告訴の意義」法学研究論集第15号(明治大学大学院,2001年9月29日)1-19頁を参考にさせていただいた。この場で謝意を表する。

*1:全ての著作権法違反ではないものの

*2:検察が

*3:当然、被害者の処罰意思は警察や検察が処分を決める際に考慮されるので、実際には、被害額が僅少で被害者が処罰して欲しくないという場合には起訴されることはまずないが

*4:なお、親告罪とされていないものとしては、例えば120条の2第1号の技術的保護手段の回避を行うこと(いわゆるプロテクト解除)を専らその機能とする装置を公衆に譲渡等した場合といった、「誰が告訴権者かわからない」場合や、121条の著作者でない者の実名等を著作者名として表示した著作物の複製物を頒布するといった、「公衆」もまた被害者である場合等です。

*5:三分説。なお、家族関係の維持を重視しないのが二分説。

*6:一定の親族間で窃盗等の犯罪が行われた場合には、親告罪とされている、244条2項参照

*7:キャラクターの過激なポルノ化等、一部名誉を害する場合があることは否定しないが、例外的である。なお、親告罪である119条は著作者「人格権」侵害のみならず、著作権著作隣接権等の財産的な権利もまた保護している条文であることに注意。

*8:なお、田口先生は伝統的な二分説、三分説を批判し、これらの3つの理由だけでは国家訴追主義抑制する理由にならないのであり、紛争解決が一番の趣旨だという文脈でこの表現を使っていることに注意。

*9:著作権者ではないので、あんまり適切な事例ではないが、http://d.hatena.ne.jp/Raz/20061223/p9

*10:削除、出版停止、賠償の支払い等

*11:また、ある行為が著作権侵害かは非常に微妙な問題である。例えばある人の伝記であれば、その人の著作物の引用がかなりの部分を占めるだろう。パロディにおいても、元の作品を「使用」することは必要になってくる。これらの事例は、特に「線引き」が困難な事例であるが、そもそも先人の遺産の「使用」なくして著作物の創造は不可能なのだから、著作権侵害か否かの判断の微妙さは、著作権侵害において不可避的に発生する問題である。そこで、この判断をまずは一番著作権侵害の有無に利害関係を持つ著作権者にまかせ、「著作権者すら著作権侵害でないと思って告訴しない」という場合には、国があえて起訴する必要はないという趣旨も併せて考えることができるのではないか。

*12:賠償の支払いを受けたり、削除させても、だからといって告訴できなくなる訳ではないことに注意。