これは、ある弁護士の方が書き溜めた随想を綴ったものである。
はっきり言うと話の内容は「バラバラ」で「脈略」がなく、松宮先生*2に言わせれば「目を覆いたくなるような」ものかもしれない。しかし、私の高校時代の恩師はこうおっしゃった。
どんな本にも、一つは学ぶべきことがある。
逆にいえば、1つ学べれば、十分その本を読んだかいがあったってことだ。
2つ学べれば、御の字。
この言葉を胸に、読み進めてみると、p53に興味深い図式があった。
ーー国家観・人間観からの学説の争いーー
国家観 人間観
市民社会観ー権力不信ー性悪説
福祉主義国家観ー権力肯定ー性善説○憲法
市民社会観ー法実証主義=価値相対主義ー京都学派ー佐々木惣一
福祉国家観ー自然法論=価値絶対主義ー東京学派ー宮沢俊義、清宮四郎
○民法
市民社会観ー私権重視主義=裁判規範ー川島武宜
福祉国家観ー取引の安全重視主義=行為規範ー我妻栄
○刑法
市民社会観ー客観主義=裁判規範ー応報刑論ー小野清一郎
福祉国家観ー主観主義=行為規範ー教育刑論ー牧野英一
○民事訴訟法
市民社会観ー旧訴訟物理論=裁判規範ー兼子一
福祉国家観ー新訴訟物理論=行為規範ー三ヶ月章
○刑事訴訟法
市民社会観ー当事者主義ー平野龍一
福祉国家観ー職権主義ー団藤重光
引用元:「法律学楽想」内野経一郎 p53
ちょっと学者が古いのと単純化すぎるきらいがあるが、非常にわかりやすい。
また、
「旧憲法に既に天皇は国政に対して何の権限ももたない」と明文で書いてある(中略)
第1条は天皇は神聖にして犯すべからずとある。(中略)
責任とらん奴に権限あるわけないだろう
引用元:「法律学楽想」内野経一郎 p57
まあ、「国家無答責」の原則を考えると、この議論の前提自体に疑問はあるが、面白い考えではある。
とはいえ、以下の記述はちょっとおかしいのではないか。
明治憲法の成り立ち自体を考えるならば、(中略)
薩長を中心とする政治勢力が天皇の名において、徳川中心の政治勢力を倒してつくった政治体制を世界的潮流にのせたのであって、欽定形式をとった民定憲法なのだ。欽定憲法なら帝国議会の協賛など不要の筈だ。
引用元:「法律学楽想」内野経一郎 p58
これは明らかな誤りであろう。欽定憲法の典型といわれるドイツ憲法も、国王と衆議院・貴族院が立法権を共同して行うことになっていた(参考:http://law.leh.kagoshima-u.ac.jp/staff/OGURI/siryou5-6.htm)これを「民定憲法」だというのであれば、欽定憲法がなくなってしまう。君主が、他勢力の妥協の中で、自分の権力を制限する憲法を作ることは十分ありえるのであり、それを「欽定憲法でない」というのは、欽定憲法概念を殺すことに他ならない。
まとめ
どんな本にも1つや2つは学ぶべき点がある。
本書にも、上記2つの学ぶところがあった。
最後まで根気強く本を読もう。