喰いタンと不法行為
- 作者: 寺沢大介
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2002/11/20
- メディア: コミック
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第709条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
要するに、交通事故等他人の権利を侵害する行為をわざと、ないし間違って起こした場合には、損害賠償を払いなさいよという規定である。
ここで、故意・過失という要件があるが、これまで、故意と過失は別個のものとして扱われてきた。伝統的に、故意は、主観的な相手の権利を侵害しようと意欲する悪い意思、これがあるから、責任を負うんだと言われて来た。これに対し、過失は違うとされてきた。スタートライン債権法の記述を引用しよう。
「過失」というのは、昔の学説は、個々人の主観的な不注意と考えていたが、近年は、これをより客観的に、通常なら他人に損害を与える結果が発生することがあらかじめわかって、それを回避できたはずなのに、(中略)それをしなかったこと、というふうに、結果回避義務の違反ととらえている。
池田真朗「スタートライン債権法」p139
ちょっと難しいが、要するに、故意犯は主観的な「悪い意思」が責任の根拠なのに、過失だと、客観的な「義務違反」が責任の根拠となっているのだ。
その理由としては、このように説明される。
過失は昔は「うっかりしていること」とされたが、「うっかりしているか」は本来人毎に異なる。一生懸命やっても失敗するドジっ娘もいる訳で、そのような人を「うっかりしている」とはいえない。
しかし、被害者としては加害者がうっかりものかどうかによって損害の補填がされたりされなかったりするのでは困る。「この娘は、ドジっ娘だから、一生懸命やった結果こうなったのであって、うっかりしていたわけではないから、過失はありません」と言われれば、損害をうけた被害者は困るのだ。そこで被害者救済の観点から、判断を客観化、基準を一般人にして、「こういう状況に陥った一般人であれば、損害発生を回避するために何らかの行為をする義務(回避義務)があるだろう!」という場合に、この回避義務に反して回避をしなかったことを「過失」として責任を負わせることにしたのである。
さて、このように、故意と過失を分ける考え方には批判がある。道垣内教授は、
故意と過失を別々にすることはおかしい。故意について主観的意図だけを考えると、例えばある蕎麦屋(蕎麦屋A)の売上を減らそうと、隣に蕎麦屋(蕎麦屋B)を作って安売りをする(自分が儲けるためではなく、つぶしてやるという目的)場合、悪い意欲があるから故意があるとして、不法行為が成立してしまうではないか。蕎麦屋を営むということがどんな内心でも不法行為になるわけがない。
また、条文があれば、なるべくそれに忠実に運用するべきであるが、条文上「故意」と「過失」は完全に併置されている。2つの不法行為を全く別とするのはどうだろうか。
このような批判をなさっている。そこで、道垣内教授は、故意と過失を一元化し、まず、故意でも過失でも結果回避義務がなければならない。その上で、結果回避義務を認識して「この結果は回避しないといけないんだな」と分かっててやれば故意であり、結果回避義務を(うっかり)認識せずにやってしまった場合が過失だ*1という(要するに、故意も過失も「客観」の方に統一してしまえ! ということ)。
蕎麦屋の例では、蕎麦屋Aの売上減少という結果を回避する義務は一般に存在しない(資本主義)。そこで、この要件がないので、不法行為は成立しない。
なるほど。と思ってしまいがちである。
しかし、「喰いタン」の例を考えると、この道垣内説は、おかしいのだ。
ある女性(A女)が、高齢の夫(高血圧気味、B男)に、おいしい食事をつくってあげる。B男は喜んで食べる。ところが、この食事は、全て脂分の多い、こってりした食事であり、実は、A女は、B男にこの食事を食べさせつづけることで病気にして殺そうとしたのだった!
結局、この試みは未遂に終わるわけですが、仮にB男が死んだとしよう。この場合、道垣内説をとると、A女に不法行為が成立してもしなくても変な結果になる。
まず、不法行為が成立しない場合ですが、糖尿病の人に砂糖を飲ませて殺せば殺人になるのであり、これと同じようなことをしているA女が責任を負わないというのは、おかしな結論です。
逆に、不法行為を成立させると、過失の場合がおかしい。それは、Cさんが、よかれと思って高血圧気味の夫に、大好物の脂っこい食事を食べさせてあげたところ、病気になって死んだという場合にも道垣内説からは故意過失をパラレルに考えることから不法行為になってしまう*2のである*3。
じゃあ、どうすればいいか。簡単である。旧来の故意と過失を峻別する説に戻ればいいのです。故意と過失を分ければ、過失のCさんであれば、まあ、よっぽどのことがない限り結果回避義務がないとして、不法行為の成立を否定できる。そして、故意のA女については、「悪い意欲があり、損害との間に因果関係があるから不法行為になる」と言える。
まとめ
一見合理的にみえる道垣内説も、
喰いタンの事例を考えれば不合理だと分かる。
喰いタンは、民法の不法行為学説の進化に影響を与えたのだ!