パターナリズムの限界
- 作者: 沢登俊雄
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1999/09
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少年を「小さな大人」とみなして、したことに対応する責任を取らせるという方向性と、国が親代わりで道を外した少年の面倒をみてやろうという方向性の対立の中で現行少年法が制定され、運用されてきたという。
このような少年法において特に重要な概念がパターナリズムである。これは、
ある個人の行動が他者の利益を侵害することがなくても、そのまま放置することによってその個人自身の利益が侵害されるというだけで、その個人の行動に介入・干渉することができる。
引用元:「少年法」澤登俊雄著
ということだと説明される。
これまで、私は、「パターナリズム一辺倒で少年の自由を害してもいいのか」という漠然とした不安があった。つまり、国家権力への漠然とした不信から、「自身の利益が害されているぞ!」という国の判断を安易に是認していいか疑問であった。この本はこの疑問を解決してくれた。
まず、パターナリズムの問題は、本人の要求がないのに、本人の利益のためだといって本人の自由を制約することが、自由社会のなかでどの程度認められるかある。これについて著者は、自由社会の前提を「自己決定権」にみる。つまり、一人一人の人間が自己決定できる地位と、それによってもたらされる生活利益に最高の価値が認められているということです。そこにおいて、自己決定が誤った情報・あるいは不十分な情報にもとづいて行われた場合には、その自己決定には価値がない。むしろ、この自己決定が害を与えることもある。だからこそ、著者は、<パターナリズムが自由の原理に適合するという。
問題は、先ほど述べた、少年法の保護処分・刑罰の限界にある。これらは確かにパターナリズムからきている。しかし、これは少年の自由を大幅に制限する。そこで、簡単に使用を認めず、明瞭な正当根拠たる侵害原理つまり、非行ある少年についてだけ処分ができるとするのである。
要するに、パターナリスティックな制約というだけではなく、「他者の利益を現に侵害したか、その恐れのある場合」という絞りを加えることで、侵害原理をもまた、保護処分・刑罰の根拠とすることで、これらの自由制約を正当化しているのである。
まとめ
「少年法はパターナリスティックな制約にもとづく」とよくいわれるが、実際には、侵害原理をもまた制約理由としており、これにより、パターナリスティック一辺倒の場合に生じる問題を解決しようとしていた!