アホヲタ元法学部生の日常

連絡はTwitter ( @ahowota )でお願いします。アニメを見て法律を思い、法律を見てアニメを思う法アニクラスタ、ronnorのブログ。メールはronnor1あっとgmail.comへ。BLJにて「企業法務系ブロガー」として書評連載中。 #新人法務パーソンへ #オタク流勉強法 #明認方法 「アホヲタ元法学部生の日常」(ブログ)、「これからの契約の話をしよう」(同人誌)、『アニメキャラが行列を作る法律相談所』(総合科学出版)等。

「古典」の古いところ新しいところ

日本人の法意識 (岩波新書 青版A-43)

日本人の法意識 (岩波新書 青版A-43)

 本書は法社会学の「古典」である。「古典」であるから、もう既に古くなっていることと、未だに新しいことがある。

 まず、古くなっていることとしては、所有権意識であろう。

第1は、所有者が所有物に対して独占排他的な支配をもっているということー特に所有者が所有物に対して現実に支配を及ぼしているのではない場合にもそうだということーの意識がない(或いは、弱い)ということであり、その第二は、所有物が、所有者の現実の支配をはなれて、他人の現実支配に置かれた場合には、所有者の「権利」は弱くなり、これに反比例して、非所有者の現実支配が、その支配事実そのものに基づいて新たに一種の正当性をもつようになっている
引用元:川島武宜著「日本人の法意識」p74

 この具体例が「衣類等を農家の押入れを借りて疎開させてもらったら勝手に使われた」といった事例である。事例の古さもあるが、現在、特に資本主義が発達し「商売」としての場所の貸借が一般的なことを考えると、もう古いだろう。貸倉庫に置かせてもらった物を勝手に使われたら、これは「しょうがない」ことではなく、「違法・不当」なことである。上記のような所有権意識はかなり古いものだろう。

 しかし、未だに新しいことも多い。例えば、法律学についてこういう指摘が掲載されている。

わが国の法律学はドイツの法解釈学(ドイツでは法教義学Rechtdogmatikと呼ばれる)にならったとはいえ、わが国では「法律学」は「法解釈学」と同義語である
引用元:川島武宜著「日本人の法意識」p41

 その理由は、日本人が法律の文言について「本来言葉の意味は不確定で非限定的」だと考えており、だからこそ、「種々の具体的ケースに対する法的判断の結論を、法律の条文の「解釈」によって引き出す」作業に終始することになるというのだ。

 確かに、この後著者が指摘する「これでは裁判の予見を目的とする研究にならない!」という批判の妥当性は疑問だが、少なくとも、日本においては、「法律にはないけど条理がこうだから」といった形の法律論は少なく、ほとんどが法律の文言を半ば「むりやり」解釈している。「むりやり文言を解釈して『ひぃひぃ』いうよりも、条理等を使い、それでもだめなら法改正をする」こういう方法もあるんだという著者の指摘は、未だ「条理からこうなる!」という形の議論が少ないことからも、意味を持っているのではないだろうか。

まとめ
古典的作品には、時代にあわない古いところと、未だに輝きつづける新しいところがある。
「法律は改正される」といわずに、法分野でもきちんと古典を読んでいきたい。