答案練習会の活用法
- 作者: 中央大学真法会
- 出版社/メーカー: 法学書院
- 発売日: 2006/12
- メディア: 単行本
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どこの予備校という訳ではないが、最近、答案練習会における添削の質の低下ということがよく言われる。
例えば、「解説に書いているのと違うことがコメントに書いている」「自分の説と矛盾する議論をするようにコメントされた」「きちんと書いているのに、書いていないかのように言われる」等々である。
「質の低下」というのは、確かにその通りかもしれない。
まず、問題の難易度が上がった。問題は長くなり、学術的ポイントのみならず、実務的なポイントも問われるようになってきている。答案も長くなり、添削が難しくなっている。
さらに、添削者の能力は、昔と比べれば下がっているといわざるを得ないだろう。合格者1000人前後の時代から、1200人時代を経て1500人時代が来ている。すると、合格者は毎年修習へ行って実務家になってしまうのだから、添削者である「その前の年の司法試験ないし新司法試験の論文合格者*1」のレベルが昔よりも下がるのは、ある意味当然と言えよう。
添削者は1通5分位で添削しなければ、割に合わないそうだから、難問を質の下がった添削者が短時間で添削する以上、「きちんと読んでもらえない」「自分の答案内容を理解してもらえない」のも、ある意味当然であろう。
そのため、「添削をしてもらう意味はない。問題集をもとに、自分で答案構成をしたり、模擬試験を時々受ければ足りる。」という意見の受験生も少なからずいる。
しかし、本当に答案練習会で添削を受ける意味がないのか?
そもそも、「レベルが下がった」と嘆いて、添削者を批判してみても、何も始まらない。
新司法試験においては、各科目8人の委員が5401人*2ー1000前後*3の添削をするのだから、単純計算で一人550通*4の採点をしなければならないことになる*5。
そう、バイトの添削者なんかよりもずっとスピーディーに採点しなければならないのである。
この時に大切になるのは、「一読してすぐ分かる」答案を書くことである。
何度も何度も読み返して、結論から逆算して、書いていることを全て善意に解釈してやっと議論の筋を追える答案では、新司法試験委員の先生が高評価をしてくれるはずがない。
論点知識、情報処理能力、判例知識に加え、一読了解型の答案であることが、今後ますます激戦になる新司法試験に合格する鍵になってくる。
そして、答案練習会における添削というのは、自分の答案が分かりやすいかのバロメータなのである。
自分の答案は、自分では分かりやすいに決まっている。自分で読んで分かりにくいではどうしようもない。
しかし、5分間でザッと目を通して添削する必要がある添削者が読んだ場合には、分かりやすいかどうかで大きく添削が変わってくるだろう。
添削者がザッと読んで分かれば、その内容が正しい限りにおいて、よい評価がなされるであろう。コメントも的確なものが多い*6だろう。
しかし、添削者が読んで全然わからなければ、「わからない」ままコメントがされる。だからこそ、前述の「内容が分かってないコメント」をされてしまうのである。
まとめ
添削者のおかしなコメントは、自分の論文が分かりにくいということを教えてくれる。
添削者を責め、答案練習会に参加しないというのではなく、特に、「変なコメントされた前後の論旨が分かりにくいんだ」と自覚して、わかりやすい論文を書くことに努めるきっかけにする。
これが、現在の添削者の能力*7を前提とした、新司法試験合格のための、答案練習会の有効活用法なのではないか*8。
*1:某校では、司法試験の択一連続合格者も含まれているらしい
*2:H19の場合。http://www.moj.go.jp/SHIKEN/SHINSHIHOU/h19syutugan.pdf参照
*3:択一足きり、なおH18の場合の20%という数字を使っている
*4:なお、系統毎に2問、各系統2科目16人の先生となるので、結局8人が1問の問題についての4000人の回答を添削する計算になる
*5:なお、2人が同じ問題を採点して照らし合わせるとするとこの2倍になる!
*7:なお、一部の予備校で行われている現行論文試験合格者に行政法の添削をさせるのは問題外。解説と食い違うコメントといった問題外なことはこういう理由で発生する。
*8:なお、中には非常に良心的で、わかりにくい論文も丁寧に読んで丁寧にコメントしてくださる添削者の方がいらっしゃることも事実である。そういう方に添削してもらえることも考えると、答案練習会の意味は大きいだろう。