アホヲタ元法学部生の日常

連絡はTwitter ( @ahowota )でお願いします。アニメを見て法律を思い、法律を見てアニメを思う法アニクラスタ、ronnorのブログ。メールはronnor1あっとgmail.comへ。BLJにて「企業法務系ブロガー」として書評連載中。 #新人法務パーソンへ #オタク流勉強法 #明認方法 「アホヲタ元法学部生の日常」(ブログ)、「これからの契約の話をしよう」(同人誌)、『アニメキャラが行列を作る法律相談所』(総合科学出版)等。

母体保護法の黒歴史

母体保護法とわたしたち

母体保護法とわたしたち

 母体保護法という法律がある。これは、堕胎罪(刑法212条)で禁止されている堕胎を一定の要件*1の下で合法とするものである。

 母体保護法の「堕胎合法化」という役割は、法律を学ぶものの間ではよく知られている*2。しかし、母体保護法黒歴史については、知らない人も多いのではないか。この歴史を紐解く鍵は母体保護法改正附則にある。

附則(平成八年六月二十六日 法律第百五号)(抄)
(施行期日)
第一条
 この法律は、公布の日から起算して三月を経過した日(平成八年九月二十六日)から施行する。
(経過措置)
第二条
 この法律による改正前の優生保護法(以下「旧法」という。)第十条の規定により行われた優生手術に関する費用の支弁及び負担については、なお従前の例による。
第三条
 旧法第三条第一項、第十条、第十三条第二項又は第十四条第一項の規定により行われた優生手術又は人工妊娠中絶に係る旧法第二十五条の届出については、なお従前の例による。

「優生保護」とか「優生手術」といった怪しげなキーワードが出てくる。

 そもそも、優生思想・優生学とは、社会的介入により人間の遺伝形質の改良を提唱する社会哲学である。この思想をものすごく大雑把にいうと「優秀な遺伝子を後世に残し、劣等遺伝子を断絶することで、人間はもっと素晴らしくなるから、優秀な遺伝子同士の結婚を奨励し、障害者、遺伝病者等の劣等遺伝子を持つ者の強制去勢、強制避妊を行おう」という考えである。

 この考えをナチス・ドイツが取り入れ、精神的または肉体的に「不適格」と判断された数十万の人々に対して強制断種を行い、強制的安楽死計画によって施設に収容されていた数万の人々を殺害した*3ことは有名である。

 しかし、このような優生学的立法・政策を行ったのは、ナチスだけではないアメリカでも、いくつかの州が白人と有色人種間の混血を禁ずる法律を作ったり、知的障害者に対する断種が行われ、また。スウェーデン政府も40年の間に優生計画の一環として6万2千人の「不適格者」に対する強制断種を行っていた*4

 そして、日本も優生学的発想に基づき、強制的に優生手術、つまり強制去勢手術を行っていたのである。

 1940年、「悪質なる遺伝性疾患の素質を有する者の増加を防遏すると共に健全なる素質を有する者の増加を図り以て国民素質の向上を期することを目的とす*5」る国民優生法が制定された。
本人ないし四親等以内の血族中遺伝性の精神病・精神薄弱・病的性格・身体疾患・畸形があり、その子、孫が同じ病気にかかる可能性が著しい時(3条)に優生手術の申請ができるが、「本人の疾患著しく悪質なるとき」等「其の疾患の遺伝を防遏することを公益上特に必要ありと認むるとき」は家族等が優生手術の申請ができ(6条)、去勢ができる制度が作られた。

 さて、この歴史をナチスと組んで戦争をした時の過去の遺物と思ってはいけない。
ついこの間の
1996年まで強制断種がされていた
のである。

 その名も優生保護法という母体保護法の直接の前身(国民優生法の後釜)は、1条からしてすごい。

(この法律の目的)
第一条
 この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする。

 こんな目的で作られた優生保護法は、国民優生法にすらなかった強制断種を創出した*6。つまり、その4条で「医師は、診断の結果、別表に掲げる疾患に罹つていることを確認した場合において、その者に対し、その疾患の遺伝を防止するため優生手術を行うことが公益上必要であると認めるときは、都道府県優生保護審査会に優生手術を行うことの適否に関する審査を申請しなければならない。」と、医師の申請義務を規定した上で、優生保護審査会が優生手術の適否を判断し、これが認められると本人の意思に反してでも優生手術ができる(12,13条)仕組みを作ったのである。


 *7実際に、この「医師の申請による優生手術」*8の一九四九年から九六年までの実施件数は、公式記録にカウントされているだけでも一万六五二〇件にのぼる*9


 この法律の反憲法性については、既に1984年に我妻尭*10先生が

優生学上の立場から法律によって個人の基本的権利に干渉するのは全く時代錯誤と言わねばならない。
(中略)
遺伝性疾患を有するものに対して不妊手術を行う場合にもあくまで本人の希望によって実施すべきであり、第三者である意思に申請の義務を負わせたり、「公益上」などという表現を用いるべきではない。
ジュリスト812号p88〜

と批判されている。

しかし、なかなか改正されず、1996年になってやっと優生学的発想の部分が全部削除され、名前も「母体保護法」に改められたのである。
 そこで、今でも母体保護法改正附則には、このような優生保護法黒歴史の「なごり」が残っているのである。

まとめ
 「優生学による強制断種なんていうのは、第二次世界大戦までの過去の話だ。」
 この考えは全くの誤りであり、日本でも1996年までは、本人の意思に反する優生手術が可能となっていた。
 「黒歴史」にも光を当てると、いろいろ新しいことが見えてくる。

*1:経済的困窮等で妊娠を継続したり出産すると母体の健康を著しく害する場合で、指定医師が22週未満の胎児に対して施行する場合

*2:例えば山口厚「刑法」p206は「堕胎罪の規定は、実際にはほとんど適用されていない。それは、母体保護法が、一定の要件の下、堕胎を人工妊娠中絶として許容しているからである。」とする。

*3:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%AA%E7%94%9F%E5%AD%A6参照

*4:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%AA%E7%94%9F%E5%AD%A6参照

*5:1条、なお原文カナ

*6:http://www.arsvi.com/1990/971100my.htm参照

*7:4/28補足

*8:またの名を「審査を要件とする優生手術」

*9:http://www.arsvi.com/1990/990501iy.htmより

*10:我妻榮先生の次男