アホヲタ元法学部生の日常

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美味しんぼと家族法〜山岡士郎が「法律的」に「山岡」と名乗る方法

美味しんぼ (1) (ビッグコミックス)

美味しんぼ (1) (ビッグコミックス)

1.はじめに
 三軒茶屋 別館様が「アホヲタ法学部生の日常さんをリスペクトして法律ネタを書いてみよう第二弾(第一弾はこちら当サイトの補足はこちら)の企画として、美味しんぼの山岡士郎はなぜ『山岡』なの? - 三軒茶屋 別館という記事を書かれている。旧来の先行研究を総括し、公文書偽造説を論じられている非常に素晴らしい研究である。そして、僭越ながら当方からも補足させていただきたい。


2.旧来の説について
 この「山岡士郎はどうして山岡なのか」という問題は、即ち、「海原」雄山の実子である「山岡」士郎が、どうして海原ではなく「山岡」を(婚姻届に実名として「山岡」と書いているように)正式に名乗れるのかという問題である。

 さて、三軒茶屋様が作成されたこれまでの「山岡」を名乗れる理由についての学説のまとめ表を引用させていただきたい。

長所 短所
氏の変更届説 現行法で考えられる最も自然な手続き 実現性ゼロ
偽装養子縁組説 実現性がなくはない 法的問題あり
偽装婚姻説 実現性がなくはない 山岡の結婚観にそぐわない。法的問題もあり
海原夫妻内縁説 かなり有力 ない(?)
海原雄山通称説 かなり有力 作中での名字が違う理由の説明と少し齟齬
公文書偽造 最有力。作中の言動を全肯定可能 犯罪行為

http://d.hatena.ne.jp/sangencyaya/20070506/1178378075より引用

 これらの各説の詳細は三軒茶屋様を参照されたいが、三軒茶屋様は、上記表の「短所」に掲げられている他の説の問題点を指摘された上で、基本的に公文書偽造罪説*1を採用される。この*2公正証書原本不実記載罪」説には他説の欠点を克服するメリットがあることは間違いがないが、*3「犯罪行為」という短所があるのであり、山岡さんはひねくれ者だが犯罪には手を染めない人という前提からは、取るのは難しい。


3.旧民法の「離籍」規定による改姓
 ここで、新説として「離籍説」が考えられる。これは、旧民法742条前段の「離籍」という規定を使うものである。

742条 離籍セラレタル家族ハ一家ヲ創立ス他家ニ入リタル後復籍ヲ拒マレタル者カ離婚又ハ離縁ニ因リテ其家ヲ去リタルトキ亦同シ

 そもそも、民法下、戸主には絶大な権力があった。その象徴がこの「離籍」であり、「戸主が家族をその家より放逐する*4」、いわゆる「勘当」に近いものである。
 そして、この効果として、離籍された家族が「一家創立」、つまり家そのものを設立させ、これによって(通説によれば)自由な氏を名乗れる*5のである。
 そこで、海原雄山が山岡を離籍し、これによって山岡が新しい「山岡」家を創設し、山岡氏を名乗ったという説(離籍説)が考えられるのである。


 この説の難点は離籍等の旧家族法の規定は昭和22年12月31日で廃止されたことである。
 そこで、仮に離籍の時期を大学生、即ち20歳の時と仮定した場合、遅く見積もっても山岡は昭和2年生まれで、山岡が「27歳」である美味しんぼ開始時期が昭和29年、1954年になってしまう。明らかに「80年代〜90年代」である本作の時代背景と大幅に齟齬する。
 それならば、と離籍の時期を大幅にさかのぼらせて、昭和22年に山岡が0歳の時に離籍したと仮定すれば、一応山岡が「27歳」である美味しんぼ開始時期が昭和49年、1974年になり、本作の時代背景との乖離は最小限に抑えられる。しかし、まだ父子関係が悪化しているわけもないのに0歳児を離籍するということは考えがたく、このような仮定にも無理がある。
 そう、この説は離籍時を山岡が海原と反目してからとすると作品の時代背景と齟齬し、時代背景とあうように離籍時期を早めると、山岡と海原の反目がありえない時期になってしまうという難点があるのである。


4.再び、「氏の変更届け」説
 このように、新説が成り立たないとすれば、既に排斥された旧来の説について再び考えるしかないだろう。ここで、興味深いのが氏の変更届説である。これは、要するに戸籍法107条1項に基づいて裁判所の許可を得て氏の変更を届けるというというものである*6

第107条 やむを得ない事由によつて氏を変更しようとするときは、戸籍の筆頭に記載した者及びその配偶者は、家庭裁判所の許可を得て、その旨を届け出なければならない。

 この説は非常に分かりやすい。届出のためには戸籍筆頭者である必要がある(107条1項)ので、山岡は「分籍(21条)」*7して、海原雄山の戸籍を飛び出し、新たな戸籍を作った上で、裁判所の許可を得て届出をすることになる。このことは「縁を切った」「関係ない」という海原との絶縁状況についての山岡発言と非常に整合的である。

 もっとも、三軒茶屋様ご指摘の通り、やむを得ない事由が裁判所によりかなり厳格に解されており、ちょっとやそっとでは許可してもらえないのである。例えば、元の姓が珍奇・難解であることを理由に許可の申し立ててがされた事案においては、「天狗」「素麺」「飯」「目」といった普通に考えて珍奇で「やむを得ない事由があるだろう」という場合にも「やむを得ない事由」はないとして却下している*8
 判例は、氏の変更を許容すべき「やむを得ない事由」とは、通姓に対する愛着や内縁関係の暴露を嫌うというような主観的事情を意味するのではなく、呼称秩序の不変性確保という国家的、社会的利益を犠牲にするに値する程の高度の客観性を意味するとする(札幌高決昭和41年10月18日等)のである。このような厳格な解釈の背景には姓をコロコロ変えられれば社会が混乱し、ある人がこの人だという同一性が害されるという考えがあるのだろう。山岡は、「山岡」姓を長く使っており、通姓を永年使用しているといえるが、この点は「単に通姓を長時間継続してきたという理由だけで安易にそれを許可すべきでない*9」とされてしまっている。

 こりゃあ、だめかな...。半分あきらめながら、家裁月報*10を調べてみた。

そっくりの事例があった*11
 
 京都家審昭和35年5月7日、昭34(家)2365号という事案である。
事案を要約すると、

道家元家「千」家に生まれたXは、茶道を継承せず、別の仕事をしていた。しかし、「千といえば茶道の家元」というイメージができているため、社会生活上の不利益が生じていた。そこで、別の姓*12に改めようと考えて許可を求めた。

こんな事案について、京都家裁は以下のような判断を示して、この場合には「やむを得ない事由」に該当するとした

現行法の氏は、法的秩序の基礎単位である人の同一性を表象する記号としての機能を営むものであるから、その呼称が変更することなく一貫性を保つことは法の要請するところであり、また氏はこれを軽々しく変更しない方がその当事者自身にとつても利益であるのが通例であるけれども、他面さきに指摘したような社会的必要に答え、また有利且つ便宜な氏に変更を希望しようとする強い意図を重んじることは、個人の自由と幸福追求を基本的に承認しなければならぬ近代法の精神からいつて無視することのできない原則である。それ故に、申立人等が、氏変更につき上記のような社会的必要性を感じかつその変更を切実に希望するものである以上、申立人等の職業に関係のない茶道家元としての千の呼称を強要することは、かえつて社会秩序維持の上からも思わしくない結果を生ずるおそれがあるので、このような場合には千の氏の変更を承認する方がむしろ社会的便宜にも一致するものということができ、従つて申立人等の氏の変更についてはやむことを得ぬ事由があるものといわねばならない。

 要するに、千利休以下の千家のそうそうたる「超一流」の面々によって「千=茶道」というイメージが社会に定着してしまった。そうなった以上、「茶道をやっていない『千』姓」というのは社会生活上よろしくないので、本人が真に姓を変えたいなら、「やむことを得ぬ事由がある」として、姓を変えるのを許そうではないかという内容である。

 そして、本件について考えるに、海原雄山」が超一流の芸術家として、世に広く知られていることは「美味しんぼ」47巻p122,216等を引くまでもない自明のことである。そして、「海原」といえば、このような芸術家の一族だというイメージが社会に定着しているといっても言いすぎではないだろう。このような状況下においては、まさに京都家審昭和35年5月7日と同じ状況が起こっているのであり、「芸術をやっていない新聞記者が海原姓というのは社会生活上都合が悪い」といえ、真に山岡が山岡姓を希望している以上、「やむことを得ぬ事由がある」として、氏の変更を許可するのが相当である。
 そう、氏の変更届説は十分ありえるのである*13

まとめ
 常識的には無理とされる「氏の変更届」説も、判例を丁寧に探せすことで、類似事案で氏の変更を認めた判例が見つかり、息を吹き返した。常識だけで「無理」と思わず、丁寧に判例を探す努力をすること、このことが実務家にとって大変重要であることを、山岡「改姓」問題は示している。

謝辞:本稿はひとえに三軒茶屋様のおかげである。勝手な補足をお詫びするとともに重ねて感謝をしたい。

*1:なお、「本名は海原士郎だけど、そんなの無視して(引用者注:47巻p164の婚姻届に)山岡士郎と記載するという考え方です。婚姻届にこのような虚偽の記載をすることはもちろん違法な犯罪行為です(刑法第155条:公文書偽造罪)。」とあるが、成立する犯罪名の点は誤解であろう。「本名は海原士郎だけど、そんなの無視して山岡士郎と記載する」行為は、犯罪であるが、あくまでも刑法157条の公正証書原本不実記載が成立するに過ぎない。この公正証書原本不実記載罪は「公務員に対し虚偽の申立てをして、登記簿、戸籍簿その他の権利若しくは義務に関する公正証書の原本に不実の記載をさせ」た場合に成立する犯罪である。虚偽(本当は「海原」なのに「山岡」となっている)の内容の婚姻届が受理され、戸籍簿(今だと電磁ファイルだろうが、当時は戸籍簿だろう)に虚偽の事項が記載されることで、公正証書の原本に不実の記載がなされることから、本罪が成立する。なお、余談であるが公正証書原本不実記載罪は未遂であろう。「受理」した区役所職員は、後で戸籍簿に記載しようとして、山岡の本当の氏が海原と気づくはずで、戸籍簿原本に虚偽の記載がされなければ既遂にならない(大塚等「第コンメンタール刑法8巻」p162参照)。仮に気づいた職員がそれでもあえて虚偽の記載をした場合には、山口説によれば未遂である、それは、山口厚「刑法各論」p448によれば「申請者が虚偽の申し立てをしたところ、権限ある公務員が、虚偽の申立てであることを、たまたま知るに至ったにもかかわらず、不実の記載をなした場合には、因果関係の要件が充足されず、公正証書原本不実記載罪は未遂となろう」ということである

*2:公文書偽造罪改め

*3:この点は三軒茶屋様も指摘されているが

*4:梅謙次郎『民法要義 巻之四親族編〔第22版〕』(有斐閣書房,1912)なお、http://homepage1.nifty.com/ksk-s/MY4.htm様の復刻による

*5:唄孝一「氏の変更」日本評論社p14、なお『乃木家再興問題』で問題となっている一家創立は、一家創立の中でも特殊な「爵位授与」が問題となっている。爵位授与については学説によっては自由な氏を名乗れないとされているが、少なくとも「爵位授与以外の一家創立」について通説は自由な氏を名乗れるとする。乃木家再興問題については同書p48が詳しい

*6:岡垣学・野田愛子編「講座・実務家事審判法4」p198参照、以下ページ数のみの引用は同書

*7:元市民課職員の戸籍の話は非常に詳しい。ぜひ参照のこと。

*8:p205。なお、許可した例として腹巻、色魔等がある

*9:p206

*10:家事判例等が載っている雑誌。マニアックだけど結構面白い雑誌です

*11:家月12巻7号117頁

*12:納屋

*13:現在の私見は氏の変更届説である。