アホヲタ元法学部生の日常

連絡はTwitter ( @ahowota )でお願いします。アニメを見て法律を思い、法律を見てアニメを思う法アニクラスタ、ronnorのブログ。メールはronnor1あっとgmail.comへ。BLJにて「企業法務系ブロガー」として書評連載中。 #新人法務パーソンへ #オタク流勉強法 #明認方法 「アホヲタ元法学部生の日常」(ブログ)、「これからの契約の話をしよう」(同人誌)、『アニメキャラが行列を作る法律相談所』(総合科学出版)等。

紹介のお礼等

http://osterrentwurf1968.blog4.fc2.com/様のエントリ「かしましの刑を科しました」において
母体保護法の黒歴史 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常等を紹介いただきました。ありがとうございました。http://osterrentwurf1968.blog4.fc2.com/様のこのエントリは、性同一性の問題、「男」「女」ってそもそも何といった問題を含む面白いものです。ありがとうございました。今後もよろしくお願いします。

空想庭園様に、空想庭園というエントリで、「理系と文系の差異」についての、私の雑感めいたものに対し、「理系の視点」から、非常に面白い意見をいただいた。

実際、理系でいう真実は『真実と見なしてもいい程度の仮定的事実』であることが多く、その仮定を暗黙的了解として論証することになります。例えばアインシュタイン相対性理論などは、現在の実証実験において矛盾が見られないから支持されているに過ぎないというわけです
http://www.spherewind.com/?id=1766より引用

つまり、

理系=真実は分からないが、仮説が検証に耐えることで真実に近づいてくる
訴訟=真実は分からないが、お互いに「これが事実だ!」と主張しあい、それに沿う証拠を提出しあい、これを裁判官が見ることで「これが真実に一番近いんでないの?」と判断する

 といったものでしょうか? 文系も理系も「真実は究極のところはわからない」ということで共通しているというのは、面白いと思いました。

『結論に対する社会的な要請の違い』ではないかと思います。理系では仮説は仮説であり、ある一定期間以上その仮説に矛盾がなければ暗黙的にその仮説を『事実』として認めていることが多いですが、その期間に明確な規定などはありません。一方、裁判では最終的に判決を下さなければならないので、ある事件の結論に対して時間の制約がつくことになります。
http://www.spherewind.com/?id=1766より引用

 確かに、裁判の中で一応の結論を出さないといけないという制約は理系と異なっているところですね。これは法学が「実社会において使われる」点からくる制約なのでしょう。もちろん、理論としての法学においては、このような制約がないので、未だに「50年前の裁判は誤判だ!」といった言説はありますし、場合によっては再審等でそれが明らかになったりもするのですが。

パラレルというか本質的には同等なものなんでしょうか。テクニカルタームに対する拒否的感情が先行するだけで。最終的には理系文系という分類の仕方がそもそも妥当ではなく、学問という大きな括りでの専門的な細かい差異というようにも感じられます。
http://www.spherewind.com/?id=1766より引用

 確かに、上記のように考えていくと、文系も理系も近いなあと感じてしまいます。これまで、文系と理系にかなりの壁を感じていたのですが、このエントリを見て、大分「理系」というものに親近感を持ちました。
 なお、知り合いの理系の人によると
「理系の人が文系の議論で一番違和感を持つのは言葉を定義しないで使うことだ」
ということですが、この辺りの「議論の精緻性の差異」とか、あとは「実験の可能性の差異*1」位しか違いが思いつきません。

 興味深い考察をありがとうございました。今後もよろしくお願いします。

*1:雨の日の投票行動を調べようにも「投票日が晴れの場合」「投票日が雨の場合」の2回投票するわけにはいかない等