- 作者: 手塚治虫
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1995/11/10
- メディア: コミック
- 購入: 1人 クリック: 7回
- この商品を含むブログ (19件) を見る
悪魔:あなたの残りの命はあと5分なのよ
ファウスト(一ノ関教授):わしのいのちが5分? わしが死ぬ? 死んで地獄へでも堕ちるのか?
悪魔:くやしいけど、今のあなたは天国行きよ。でも、私としましては、地獄行きをおすすめいたしますわ。
ファウスト:わしが、あと5分で死ぬだと! ほんとか...
悪魔:そうよ 宇宙の真理を聞きたい?
ファウスト:あほか、今さら宇宙の真理を知ったとしてなんになる! わしゃ若くなりたいのだ。わしは20歳の青春に戻りたい。そして人生をやり直したい。そうだ、これはわしの望みだ。わしはお前を思うがままに使いたい。そして、わしを今までの生活とうって変わった快楽の世界に導くのだ!
悪魔:結構ですわ。召使いになれとおっしゃるのね。期限はいつまででしょうか?
ファウスト:わしがもうこれで満足というまで...。ある瞬間「時よ止まれ、お前は美しい(Verweile doch! du bist so schoen!)*1」と言うまでだ。
悪魔:ではその時、先生の魂はこのあたしがいただきますけど。
ファウスト:ああ、どうでもし給え!
悪魔:じゃあ、ここにサインをお願い
ファウスト:そうか、契約書か。こんなものなくっても約束は破らんよ
悪魔:まって、ただのインクじゃだめ。先生ご自身の血でサインを。血は特別のインクですからね。
ファウスト、サインをする。
手塚治虫「ネオ・ファウスト」p53以下より抜粋して引用
その後、ファウストは死ぬ間際に、「時よ止まれ、お前は美しい(Verweile doch! du bist so schoen!)」と述べたが、魂が天国にいってしまった*2ことから、悪魔メフィストフェレスが、魂を返せと天使に訴えた場合、メフィストフェレスの請求が認められるか。
この問題について、ドイツにおいては法学者が激論を戦わせている。以下、石井彦壽東北大学法科大学院教授の「メフィストフェレス対天使事件」法曹養成実務入門講座 (2)p300以下に紹介されている議論を要約しよう。
なお、条件(民法127条以下)は、それが成就することで、契約等の効果が生じる*3。上記契約であれば、「時よ止まれ、お前は美しい(Verweile doch! du bist so schoen!)」と言うことではじめて条件が成就し、魂を悪魔が入手できるのである。
コーラー教授は、本件契約において、そんな条件をつけたファウストの意思は、彼が堕落し、俗な快楽に身をゆだね、「もうこのままでいてくれ! 時よ止まれ!」と言ったたならば、死んでもよいというところにある。ところが、ファウストは死ぬ間際に「Verweile doch! du bist so schoen!」と述べた趣旨は、堕落し快楽に身をゆだねたのではなく、そもそも人類の救護者たらんとする尊い大歓喜を享受する趣旨*4であるから、メフィストフェレスは勝っていない、条件は成就していないとする。
これに対し、ランズベルヒ教授はこの契約はいわゆる賭け*5であり、結局はファウストは賭けに負けたんだと述べている。では、負けたファウストは魂をメフィストフェレスに渡さなければいけないかというと、公序良俗(90条)、つまり社会秩序や善良な風俗に反する契約だから無効だと議論している。
議論としては、悪魔に対して辛い方向で固まっているが、他にもミュラー教授も条件は成就していないという方向での議論をしている等、ドイツの法学者がこの問題を真剣に論じているのである。
このようなドイツの議論を紹介する石井教授の論考自体要件事実論にからんだ興味深い論考であるが、ドイツにも、空想上の問題に法律を適用して、喧々諤々議論する風習があったことが分かるのであり、空想上の問題に法律を適用して議論することを趣味とするronnorとしては、非常に興味深いものであった。
まとめ
日本のみならず、ドイツでも空想上の問題について法学者がまじめに議論する風習があった。
とはいえ、そもそも「魂の引渡し」を目的とする契約は、その引渡しが不可能*6であるから、不能な内容の契約であり、だからこそ無効と言えば、公序良俗や、条件の複雑な解釈を持ち出さなくとも契約の無効(=悪魔の敗訴)を導けるのではないだろうか。
関連エントリ:日本の検察官が落語界の刑事事件を解決していく「落語国検察録」
*1:なお、後掲書p301によると、この訳は不正確であり、「素晴らしい時間よずっと続いてくれ!(If ever to the moment I shall say; beautiful moment, do not pass away!)」辺りが正確だと述べられている
*2:なぜか等はファウスト早わかりが詳しい。グレートヒェンと呼ばれた少女の霊の取りなしによる
*4:ファウスト早わかりに詳しいが、大干拓事業を行っていたファウストは、「建築工事のつるはしの音」に聞こえる音を聞いて、仲間のために働くという最高の幸福を予感しながら上記発言をする。
*5:Wette、賭事契約
*6:少なくとも裁判上は絶対不可能であり、経験則上も不可能