アホヲタ元法学部生の日常

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検察審査会の現実、裁判員の現実

検察審査会の午後 (新潮文庫)

検察審査会の午後 (新潮文庫)

 三軒茶屋様の別館号外さんちゃ0122号 - 三軒茶屋 別館の記事に触発されて読んだのが、「検察審査会の午後」である。

 「検察審査会の午後」は、検察審査員補充員である主人公の佐田が、検察審査会で様々な事件に出会い、証人を呼ぶ、他の審査員と議論する等しながら、「事件解決」ないし「事件の落としどころ」を見つけていくというミステリーである。

 同書のテーマになっている検察審査会について簡単に説明すると、検察が「不起訴」処分にした事件について、告訴人等が不満がある場合に、有権者から無作為で選ばれた11人の検察審査員が、「起訴すべきか否か」を議論して決めていくというシステムである。ちなみに、佐田はこの11人の審査員に事故病気等があった場合のための「補充員」(いわゆる補欠)である。

 この「検察審査会の午後」に持ち込まれる事件は、「よく分からない」「有罪判決は難しそう」なものが多い。「友達にプレゼントをもらったぬいぐるみに盗聴器が入っていたので『平穏の窃盗だ』として告訴したが不起訴になった」だとか「夫が不倫相手とホテルに行った後、ホテル内で脳出血で死んでいるのが発見された。不倫相手のアリバイからは、夫の体調が悪くなった頃には既に不倫相手はホテルを出ているので遺棄罪にはならないとして不起訴になった」「ボケ防止といってお守りを5000円で売っているのは詐欺として告訴したが不起訴になった」といった事案を聞くと、この事情を聞けば普通の検察官なら不起訴にするわなといった問題ばかりである。

 しかし、[1]検察審査会では、これらの事案について丁寧に証人尋問等を行い、その上で、不起訴不当、起訴相当、不起訴相当といった判断を下している。
 特に、[2]本書においては、例えば「審査員である新聞記者が足で情報を調べて証人尋問をした結果真相が明らかになる」といった特殊な事情がからんで、全ての事件について最終的には「一応の落ち」がついている

 検察審査会が[1]のように、こういう「よくわからない」事件についても丁寧に調べて議論することは望ましいことである。

 検察審査会というのは、検察官が起訴しなかった事案について審議するわけだから、ある意味では検察官より厳しい立場で、事件を考えなければならない。
佐野洋検察審査会の午後」p77

 と同書にも触れられているが、厳しい視点で再調査することが、検察の持つ起訴裁量権(刑事訴訟法248条参照)を濫用させないためにも必要だろう。

 とはいえ、[2]の「一応の落ち」という点はフィクションだからこそという面が強い。例えば、「殺人で捕まった被疑者に対する嫌疑不十分での不起訴に対し、審査が申し立てられたが『不起訴相当』の意見となった」等の場合において「じゃあ、いったい本当は誰が殺したの?」といった疑問が審査員に残る可能性は高い。このように、実際の検察審査会では、落ちがつかないことの方が多いだろう。

 そして、これから導入される裁判員にとっても、検察審査会と同じことは言えるだろう。裁判員は裁判官と共に議論し、事実認定及び量刑を行っていく。しかし、非常に怪しいが、証拠が不十分で合理的な疑いを超える証明がなされていないから無罪といった事案を判断せざるをえない場合もあるだろう。この結果、被告人は無罪だが、真犯人はシャバで自由の身になっており、被害者は誰が本当の犯人なのかと途方にくれるといった「事件解決」にならない*1場合がある。
 こんな場合に、「事件解決」を求めて「やっぱり被告人しかやれる人はいないから有罪にしよう」といった動きが裁判員の間で出てくるのは非常に危険である。このような事案の場合には、「本当の犯人は誰かはこの法廷では問題となっていない」「問題は、検察側が被告人を有罪とするだけの十分な証拠を提出できたかのみである*2として、心を鬼にして判断しなければいけない。

まとめ
 「検察審査会の午後」は、裁判員制度に似た制度である検察審査会の様子が分かって興味深い小説である。
ただし、現実には「検察審査会の午後」のような落ちがつかない、事件の真相が見えない」ことも十分ありうる。同様のことは、裁判員でもいえるだろう。ここは同書が「フィクション」だということを理解して、ある意味冷酷に判断していくことが求められている。

*1:被告人については一つの解決にはなるだろうが

*2:なお、木谷明「刑事裁判の心」p35では元裁判官の著者に対する「木谷さんが無罪を言い渡された事件で、本当は被告人がやっているかもしれないと思ったことはどれほどありますか。またやっているかもしれないと思えた場合に、一人の人間としてどのように気持ちの整理をつけていったのですか。」との質問に対し「刑事裁判の事実認定は、あくまで、検察官が合理的な疑いを容れない程度の証拠を提出したかどうかを判定する佐合だと割り切って考えていましたし、今でもそう考えています。ですから、私は、証拠は薄いが本当は被告人が真犯人ではないのかというような次元の問題で裁判官が悩む必要はないし、またそのようなことで裁判官が頭を悩ましてはいけないのだと割り切っております。」と答えている。