条文の曖昧さをQ&Aで補うことの危険性〜治安維持法とカネボウ事件から〜
- 作者: 奥平康弘
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2006/06/16
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1.「条文の曖昧さをQ&Aで補う」ことはできるのか?
近年、立法機関・行政機関が詳細なQ&Aを公式に発表することが増えてきた。
例えば、金融庁は、「株券等の大量保有報告に関するQ&A」「株券等の公開買付けに関するQ&A」等を出して、複雑怪奇な金商法の解釈について具体的に説明している。
また、近時話題になったものとしては、青少年育成条例改正案について、都がFAQを公表し、「ドラえもん」のしずかちゃんの入浴シーンや「新世紀エヴァンゲリオン」の綾波レイのヌードシーンなどは「対象ではない」などと説明している。
ここで、根本的疑問がわいてくる。本来は、条文そのものを*1明確に記載すべきであり、条文の曖昧さをQ&Aで補うことはできないのではないか?という疑問である。
この点について、治安維持法とカネボウ事件という2つの事例をもとに検討したい。
2.治安維持法の立法過程と実際の運用
まず、政府や地方公共団体は、前言を翻すことがある*2。この例を、治安維持法で見てみよう。
治安維持法は、1925年4月22日に公布され、同年5月12日に施行された、戦前の日本の法律である。
この法律は、政府・裁判所により、国に都合の悪い者を拘束して刑罰を下すという目的で利用されたため、戦後まもなく、GHQにより廃止された*3。
ところで、治安維持法は「法律」であることから、国会(帝国議会)の審議を経ている。その当時、ソビエト連邦という共産主義の国家と日本は国交を樹立させ*4たことから、国会では、主に「共産主義者や無政府主義者が入ってきて、日本でもソビエトで起こったのと同様、共産主義革命が起こるのではないか。それを防ごう。」という観点から議論がなされた。
つまり、立法者の説明は、無政府主義、共産主義という特定の思想を目的とする結社等を処罰する法律を作ったというものだったのである。
そもそも、無政府主義、共産主義という特定の思想を目的とする結社等を処罰すること自体が現在の価値観からすれば全くおかしいというところはさておき、治安維持法の条文は、「そう読もうと思えば読めなくもない」ところがある。
治安維持法1条1項*5
国体を変革し又は私有財産制度を否認することを目的として結社を組織し又は情を知りて之に加入したる者は10年以下の懲役又は禁錮に処す
つまり、無政府主義者が政府を解体させる*6ことを目的とした結社や、共産主義者が日本における私有財産制度を否認する*7ことを目的として結社について、これを組織したり、知って加入してはいけないという風に、治安維持法を「読もうと思えば読めなくもない」のである。そこで、国会では「確かに、ソ連の無政府主義者や共産主義者がやってきて日本に革命が起こるのは嫌だな」と思った議員*8が賛成し、治安維持法は可決・成立した。
しかし、この「国体」という言葉は非常に曖昧である。政府は、この曖昧さを利用して、国際主義、民主主義、あるいは特定の宗教をも「国体の変革」を目的とするものとして同法の適用範囲を拡張した*9。
治安維持法の事例は、曖昧な文言について政府や地方公共団体が「こういう趣旨ですから大丈夫です」という説明をしても、後になってその説明を翻して広範な規制をする可能性があることを示している。
3.カネボウ事件
また、立法機関・行政機関には法律解釈の権限はない。FAQを出すのは立法機関・行政機関*10であるところ、政府や地方公共団体は責任をもったQ&Aを出せないのである。
具体的に、カネボウ事件*11を見てみよう*12。
事案としては、カネボウの株式をあるファンドが購入したという事案である。ここで、カネボウは複数の種類の株式を発行していた。イメージとしては、「会社が解散して、残った財産を分ける時に優先して財産をもらえる株式(株式X)」と「会社が解散して、残った財産を分ける時に、株式Xよりも優先順位が低い株式(株式Y)」の2つがあったというイメージである*13。
当時カネボウは上場していたので、大量の買い付け等、一定の条件にあてはまる場合には、公開買付(TOB)が必要であった。しかし、公開買付には例外があり、少数の人しか持っていないような株式について、持っている人全員が「TOBでなくていいよ」と言えばTOBは不要とされていた。
ここで、株式Xは上場しており、「多くの人」が持っていた。しかし、株式Yは上場しておらず、少数の人しかもっていなかった。つまり、株式Xと株式Yをバラバラに考えれば、株式Yについては公開買付の例外規定でTOBを免れられるが、株式Xと株式Yを一緒にして「カネボウの株」と考えてしまえば、カネボウの株は多くの人が持っているので、公開買付けをしなければならないということになる。
金融庁は、当時、パブリックコメント等において明確に「同じ会社が発行した株式でも、種類が違えばこれはバラバラに考えるべきであり、少数の人しか持っていない種類株については公開買付の例外規定でTOBを免れられる」という考えを示していた*14。
ファンドは、この考えに従って、株式Xについては162円で公開買付を行ったが、株式Yを201円で取得した時には公開買付を行わなかった。
ところが、株式Xの株主が「本来株式Yも公開買付を行うべきであり、201円で『カネボウ株』に対するTOBをすべきだった」*15として損害賠償を請求する訴訟を提起した。
そして、東京高裁は、株式Xと株式Yを一緒にして「カネボウの株」と考え、カネボウの株は多くの人が持っているので、株式Xだけではなく、株式Yについても公開買付をしなければならないと判示した。
つまり、金融庁が公式に示し、実務も従っていた見解を裁判所が覆したのである*16。
これは、裁判所が悪いのではない。そもそも、立法機関や行政機関には法律を解釈する権限はなく、司法は立法者の説明や、行政の取締基準を無視して、独自の判断で「正しい法解釈」を示すことができるのである。
追記:最判平成22年10月22日は、控訴審判決を破棄し、結果的にはガイドラインに沿った判断をした。しかし、これは「控訴審が行政のガイドラインに従うべきだった」としたのではない。裁判所の独自も判断の結果行き着いた結論が結果的にガイドラインと同じだったというだけである。
まとめ
法律が曖昧な場合に、Q&Aで補うことは全くの誤りである。
Q&Aを出した国や地方公共団体が後に前言を翻して規制する可能性がある。
更に、Q&Aを出す政府や地方公共団体には法律や条例の解釈権限はないことから、後に司法が異なる解釈をする可能性がある。
そもそも、法律の条文を、誰が見ても一義的にわかるよう、明確に定めることが筋であり、それをせずに「Q&Aを出したからいいでしょ」という態度自体が不当なのである*17。
*1:FAQが不要になるように
*2:普天間問題とかもこのことの例に挙げられるかもしれません
*3:終戦直後に廃止されたのではなく、終戦直後も日本政府は維持を求めていたが、GHQが廃止を強く求めたという経緯は興味深いが、このエントリの本題ではないので割愛する。
*4:1925年1月、日ソ基本条約
*5:カタカナを平仮名に修正
*6:国体を変革し
*8:まだ普通選挙は実現していませんでしたが、一応「衆議院」もあった。
*9:この点は、http://www.nichibenren.or.jp/ja/opinion/hr_case/2004.htmlの日弁連の2005年2月2日付勧告の中で詳細な説明がされている。
*10:裁判所が法律についてFAQを出しているのを見たことがない。これは、司法権が「具体的な争訟について、法を適用し、宣言することによって、これを裁定する国家の作用」であって、具体的事件もないのにFAQを出すことは裁判所の職分ではないからだろう。
*11:東京高判平成20年7月9日金融商事判例1297号20頁
*12:この問題については太田洋「種類株式の買い付けを通じた上場企業の買収とTOB規制」金融法務事情1854号35頁が詳しい
*15:ファンドが違法に公開買付を行わないために、201円での売却機会を失った