黒執事と労働法〜「今年の新人はゆとりだからな」と思っているあなたへ
- 作者: 枢やな
- 出版社/メーカー: スクウェア・エニックス
- 発売日: 2009/11/27
- メディア: コミック
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1.黒執事とは
時は19世紀後半。ヴィクトリア朝後期のイギリスはロンドン近郊に、一人の若き貴族シエルと、その執事セバスチャンがいた。
その二人の織りなす、一見華麗で、実は結構ダークな物語、それが、黒執事である。
さて、シエルの屋敷には、セバスチャン以外にも、使用人がいることになっている。
家令(ハウス・スチュワード)のタナカ
庭師(ガードナー)のフィニアン
料理人(シェフ)のバルドロイ
家女中(ハウスメイド)のメイリン
の四人である。
もっとも、この四人、セバスチャンの下*2で使用人としてのまともな仕事をしたことが一度もない*3。
具体的には、
・中庭の草むしりを放棄*4してセバスチャンと拳法の達人の戦いに目を輝かせるフィニ
・シーツの洗濯なんか忘却の彼方*5。「流石私のセバスチャン」と言いそうになって顔を赤らめるメイリン
・晩餐の仕込みを中断して*6、目を細めるバルド
黒執事1巻8〜10頁
除草剤のフタが開いているのに気付かず芝生を除草したフィニ
台車にぶつかってティーセットを粉砕するメイリン
火炎放射器で生肉を黒焦げにしたバルド
にこやかに微笑んでお茶をすするタナカ
黒執事1巻16〜17頁
執事から夕食の準備を命じられながら、庭の木を使った割り箸づくりにかまけた三人
その頃竹とんぼで遊んでいたタナカ
黒執事1巻119〜120頁
1巻だけでも、こんな感じである。
セバスチャンも、
明らかにおかしいのは説明書ではなく自分の頭という事に何故気付けないんでしょうか?(中略)うっすら殺意すら覚えます
(中略)
料理を語るのは一度でいいから「料理」を作ってからにして頂きたいですね(中略)貴方も炭になればいいと思います
(中略)
馬鹿とハサミは使いようと言いますが、馬鹿にハサミを持たせるのも問題ですね。(中略)私も大分長い間生きていましたが、宇宙人に出会ったのは初めてです。
黒執事2巻12〜19頁*7
といった評価をしており、使用人達のフリガナが「役立たず達」になっている*8。そして、使用人が仕事をしようと思っても、セバスチャンが「結構です」と断ることも増えてしまった。
こんな彼らは解雇されないのだろうか?
2.解雇制限についての厳しい判例法理
判例は、解雇を極めて厳しく制限する。
典型的な事例を1つ挙げよう。
従業員が業務課でパソコンへの入力業務を担当していたが、ミスが著しく多い。
あまりにもミスが多いので、短期間のうちに会社側が修正した入力ミスの数は89件。
注意しても注意してもミスが直らず、ついにはその従業員のミスのせいで決算書の修正さえ余儀なくされた。
これはかなわんと解雇をしたところ、従業員が解雇は不服と裁判所に訴えた。
森下仁丹事件大阪地判平成14年3月22日労判832号76頁
さて、この職員の解雇は認められただろうか?
判例は、それでも解雇を認めず、この職員を継続して雇えと命じた*9。
3.解雇ができる場合
このような判例によれば、解雇ができるのは、その従業員の無能力さにより、企業経営に現に支障を与えているか重大な支障を与えるおそれがあり、かつ、今後の改善の見込みがない場合に限られる*10。
具体的には、故意の業務懈怠の場合が挙げられる。すなわち、ミスが従業員の過失によるものではなく、会社への不満等を背景にわざとミスをするといった場合には、このような従業員を解雇出来る場合が多い*11。
この点、黒執事に出てくる使用人は、こりゃ絶対故意だろと思う場面は多々ある*12が、本人達はいたって真面目である。故意による業務懈怠ではない。
また、上司に対する反抗的態度も解雇を有効にする重要な要素とされている*13。
しかし、身体中を怪我しながら、大広間をバラで飾り付け、お菓子や丼を作って主人であるシエルの誕生日を祝う等、みんな上司に忠誠を誓っている*14。
すると、彼ら四人を解雇することは、判例法理に則ると、極めて難しいと言わざるを得ない。
4.解雇させないのが正解
このような解雇を極めて制限的に解する判例の考え方には批判もあるが、最高裁も馬鹿ではない。このような考えの裏には、合理的な判断が潜んでいる。
長期雇用システムにおいては、新卒採用以外はかなり採用の門が狭まる。そこで、会社は一度採用した以上は、その職員が仮にダメ社員であっても、会社には、適任の部署には移転する、改善のための教育を行う等して、なんとか最後まで会社員生活を全うできるよう努力する義務があり、このような努力をせずに無能力を理由に一方的に解雇することはできないというのが判例の基本的な考えである。
ここで重要なのは、本当に、彼ら四人は、改善の見込みがないのだろうかという疑問である。改善の見込みがないというなら、改善のための機会を与える必要があろう*15。
例えば、アグニが行ったように*16、バルトは「料理長!」とおだてて、玉ねぎのみじん切り等火力を使わせない料理をさせる、フィニにはその馬鹿力が間違った方向にいっても問題がないようなじゃがいもを潰す作業等をさせる、メイリンは、焦るからメガネの度が合わないのとあいまってミスをするのであり、ゆっくりじっくり仕事をさせる等、その人にあったやり方で改善をさせれば、十分に使える人材になる。
くしくも、アグニはこう説明している。
人にはそれぞれ生まれ持った才能があります
神が示してくださった道と使命があるのです
我ら人間(神の子)はそれに従って自然にゆっくりと出来ることをしていけば良いのです
黒執事第4巻98頁
セバスチャンは、自分がなまじっか「できる」ために、どうしても他の使用人にも、高レベルの仕事を期待してしまう。そこで、それができないとだめな奴と判断して、閑職に追いやってしまう。しかし、それは、労働者側も使用者側も不幸である。それぞれ生まれ持った才能を活かせるように、自然にゆっくりと出来ることをさせる、これが必要なのである。
最高裁が、解雇に厳しいのは、まさにこのことを実践させるためである。解雇を考えた使用者に、こう訴えかけるのである。この人は「本当に才能がない」のですか? それとも、「環境が悪い」のですか? 本当にその人の才能を生かせるように会社は努力していますか?と。
そして、最高裁は、このような会社側の改善の努力を通じて、労働者も会社側もハッピーになる帰結を期待しているのである。
まとめ
社会人の皆様の中には、今年の「ダメ新人」に悩まされている人もいるかもしれない。
ここで、「あいつらはゆとりだから」と切り捨て、有意義な仕事をさせなければ、それは、セバスチャンと同じことをしていることになる。これでは、新人はいつまでもお荷物のままである。
最高裁の示す判例法理の意義をもう一度見直して、アグニのような心で新人に接する、すると先輩も後輩も幸せになる可能性が出てくるのではないか。
黒執事は、このような労働法という観点からもとても面白い漫画であり、第9巻の発売が非常に楽しみである*17。
*1:主にサーカス編の前までですが、若干サーカス編のネタバレっぽいものもない訳ではないです
*2:タナカはセバスチャンの上だというツッコミはなしということで
*3:「一般の」使用人としては想定されていないところで色々活躍はしているのですが...。
*4:草むしりなんかフィニにさせると危なっかしいというツッコミはやめておきましょう
*5:洗濯はメイリンにさせない方がみんなが幸せというツッコミもやめておきましょう。
*6:仕込みをしない方がみんなにとって幸せというツッコミはやめておきましょう
*7:なお、誰に対するコメントかはもはや書かない
*9:なお、判決は業務の内容が「慣れないもの」であったこと等を理由の1つとしており、判旨からは、「本当にこの人はできない人なの?それよりむしろ、会社側の配慮不足でないの?」というニュアンスがにじんでいる点を付言する。
*10:エース損保事件東京地決平成13年8月10日労働判例820号74頁
*11:例えば古川製作所事件東京地判平成9年6月9日労働判例720号61頁
*12:2,3日前に除草剤を芝生に撒いたばかりなのに、また同じことをする等
*13:例えば、山本香料事件大阪地判平成10年7月29日労働判例749号26頁
*14:バルドはよく「料理は芸術だ!」と怒鳴っているものの、これは芸術家としての心の叫びであり、反抗的態度ではないと思われる。
*15:例えば、複数の部署で仕事をさせるための配転をして、改善可能性がないことを示した事例で、解雇の有効性が認められた三井リース事業事件東京地決平成6年111月10日労経速報1550号23頁参照。
*17:最後に、森崎博之・下野健著「解雇ー近時の判例から学ぶ 第1回無能力解雇」ビジネス法務2008年8月号70頁が非常に参考になった。ここに感謝の意を評する。