アホヲタ元法学部生の日常

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青少年の性に関する意識の不定性と法規制のあり方〜近親相姦&ロリコン&強姦&監禁のコンボを公然と擁護した裁判官

*今回のエントリは十八禁リンクを飛ばしてますので、その点をご注意願います

1.条例制定プロセスで検討されるべきであったこと
 先日極めて遺憾にも都条例(東京都青少年健全育成条例)が可決された。 遺憾というのは、プロセスとして検討すべき点の検討が十分になされたかという点である*1
 既に繰り返し論じられているので、ここではやや議論をはしょるが、(規制法の)「謙抑主義」と「思想信条の自由」という観点から、他の手段ではどうしても実現不能かという検討が不十分だったのではないか*2
 ここで、謙抑主義は、簡単に言えば法律・条例で義務を課し、刑罰の威嚇で守らせるということは、「最後の手段であるべき」という考え方で、刑法の教科書なら、どれでも冒頭に書いている内容である。啓蒙、自主規制、任意の指導等他の手段では目的を達成できない場合にはじめて規制立法が正当化される。
 「思想信条の自由」ないし内心の自由は、心の中で何を思っても自由という、憲法基本的人権の根源的考え方である。そして、その思想を「実行」するに至れば、他人の権利利益との衝突もあろうから、一定限度の規制はやむを得ないことがあるが、内心を「表現する」だけに留まれば、他人の権利利益を害する程度は一般に低い。しかも、自由な表現による自由な意見交換、問題提起は民主主義の根幹である。そして、曖昧な表現規制は、どこまでが問題なく、どこからが問題かが分からないために、過度に表現を抑圧する傾向が強い
 そのような観点から、規制の必要不可欠性の検討、他の手段による実現不能性の検討、規制内容の明確性の検討が行われるべきであったところ、それが不十分なまま、成立したように思われる。


 ここで、都条例については既に盛んに議論されているので、このエントリでは、「思想信条の自由」に関連して、「性、特に青少年の性に関する意識が人毎、そして時代毎に大きく変化する」という点に焦点を当てたい。
 この点は、一般には、「ヌード」についての意識の変化や、猥褻表現についての意識の変化*3が指摘されるが、ここでは、「青少年の性」そのものについてのエピソードを紹介したい。


2.近親相姦&ロリコン&強姦&監禁を擁護した裁判官
 都条例の言いたいことは青少年の性交渉を賛美擁護する表現青少年に悪影響を与えているということのようである。
 報道によれば、審議の際、少なくとも「 コミックエルオー(LO)」(2010年5月号、茜新社)、指定図書は尾崎晶氏の『人妻爆乳アナウンサー由里子さん』(10年2月、双葉社)の二冊が参考として議論されたそうである*4
どうも、都側はこれらの資料により、「子どもとの性行為を描いてこれを賛美する悪質な漫画が野放しになっている」と言いたいらしいところ、これらのうち、コミックエルオー(LO)は、表紙のセンスがよいことで有名なロリータ漫画月刊誌であるから、これが主に槍玉に挙げられたのだろう。
 内容は未確認であるが、茜新社の公式HPによれば、掲載漫画は以下の通りとのことである。

ヒヂリレイ
  …「ちさとおにいちゃま」
 上田裕
  …「お外で撮ろう」
 鬼束直
  …「アイワナビーPrincess's Pet.」
 スミヤお
  …「あなたの視界」
 いさわのーり
  …「今日のらぶらぶ。」
 オオカミうお
  …「眠り姫」
 嶺本八美
  …「来て!見て!イジって!」
 おおたたけし
  …「ナナのドキドキプレゼント 前編」
 鶴山ミト
  …「少女をお持ち帰りしてみた」
 Noise
  …「ママは小学30年生」
 浦井 民
  …「はるがきたから」
 MOLOKONOMI
  …「アカネちゃんと少年A」
 ねんど。
  …「シスタードリラー4」
 前島龍
  …「僕の妹がかわいすぎてやばい」
 あわじひめじ
  …「肉傘(ペニス)を挿す男」
 姫野蜜柑
  …「エレベーターアクション
 せいほうけい
  …「ロリコンを治すひとつの方法」
 うさくん
  …「マコちゃん絵日記」
 東山 翔
  …「ひがしやまんがの作り方」
http://www.akaneshinsha.co.jp/online/lo/lo-bn2010.htmより

タイトルから推測される内容は、近親相姦、ロリコン、強姦*5といった内容と思われる。
こういう内容について、「健全な常識人であればこれを擁護したり賛美することはあり得ないし、そのような表現は悪いものである」というのが立法者の考えであろう。しかし、このような考えは、「ある一定の時期のある限られた範囲*6思い込み」に過ぎず、人や時代によっては、違う考えは十分あり得る。その極北を例にとれば、健全な常識に基づいて判決を下す裁判官、しかも高裁の部総括にまでなった人が、これらを堂々と擁護したことさえあるのである。


 ここで、尊属殺違憲判決*7という有名な最高裁判決がある。これは、昭和48年まで、親等の尊属を殺すのは道徳に反するから普通の殺人より重くし、必ず実刑にするという規定があったが、やむを得ない事情*8で娘が父親に手を掛けたという事件が発生した。被告人*9を執行猶予にしてあげたいが、尊属殺人だと執行猶予にできず極めて不当な結果になる。控訴審は、刑法の尊属殺人罪をそのまま適用して実刑としたが、最高裁尊属殺人罪を違憲とし、控訴審判決を破棄して、被告人を執行猶予とした。これをきっかけに尊属殺人罪が刑法改正で削除されたというのがこの事件についての一般的理解である。
この理解は間違ってはいないが、実は重要な事を忘れている。東京高裁の裁判官*10が、この事案では実刑やむなしと判断したことである*11
 なぜ、そのように判断したのか。それは、東京高裁の裁判官が父親に同情したのである。

では、ここで、東京高裁の裁判官が父親に同情したところの本件の事情をかいつまんで説明しよう*12

被告人は、満14才になって間もない中学2年生の昭和28年3月頃、父親(「殺人の被害者」)は妻の眼をぬすんで非道にも被告人を無理に姦淫しそれを契機としてその後も不倫行為を反覆した。被告人が約1年後、そのことを母に訴えてからも父親の行為はやまない。被告人は母親や親族の者の協力により再三父親の魔手からの脱出を図ったが、その都度失敗して幸雄に連れ戻され、依然不倫な関係を継続することを余儀なくされた。結局被告人は五人も父親の子を産まされ、一時は逃げ出すのを諦めた。
その後被告人の理解者が現れ、父親から離れて被告人と結婚しようとしたが、被告人は途中で父親に発見されて無理矢理に連れ戻されてしまい、その後は近所への日常の用事以外には被告人の外出、出勤をも許さず、自らも仕事を休んだりして、被告人の行動を監視することが多く、在宅中は連日のように昼間からでも飲酒しては結婚反対乃至妨害の脅迫的言辞を繰返して被告人をおどし、夜は疲労に苦しむ被告人に対し仮借なく性交を求め安眠を妨害した。
その中で被告人は、独り煩悶、懊悩し、食欲も減退し、それに睡眠不足なども加わって心身共に疲労するに至った。そして遂に父親をあやめてしまった。それが昭和43年9月25日、つまり最初に強姦された15年以上が経過した時点であった。

 
このように本件を要約してしまうと*13
「こんな、近親相姦&ロリコン&強姦&監禁のコンボの悪魔のような父親に東京高裁が同情したのではなく、単に法律が違憲とまでは言えないから、法律上実刑にするしかなかったと判断しただけなのではないか?」
と思う向きもあろう。

しかし、判決時の説諭(いわゆる「お言葉」である*14)の中で、東京高裁部総括の裁判長であった井波七郎裁判官はこう述べた。

被告人とお父さんの関係は、いわば『本卦がえり*15』である。大昔ならばあたりまえのことだった。ところで、被告人はお父さんの青春を考えたことがあるか。男が三十歳から四十歳にかけての働き盛になにもかも投げ打って被告人と一緒に暮した男の貴重な時間をだ。
津田岳宏「賭け麻雀はいくらから捕まるのか〜賭博罪から見えてくる法の考え方と問題点*16」169頁


この記載を読んだ時、一瞬目が点になった*17が、これを冷静に受け止めるべきである。*18この裁判官は「父親が14歳の娘と性交渉をするのは昔はよくあったことで、(歪んではいるが)これは父親の愛なんだから、被告人はもう少し父親の気持ちを理解するよう努めるべきだった」と言おうとしたのだろう。少なくとも、立法に携わった方達が若かった昭和40年代は、「常識に従って裁く」裁判官はこんな考えを堂々と開陳していたのである。人によって、そして時代によって、青少年の性に関する意識は大きく変わり得るのであり、少なくとも「一つの考え方」を押し付け、それに反する表現を抑圧することはあってはならないだろう。

まとめ
このような人毎、そして時代毎に大きく変わる青少年の性に関する意識に関し、少なくとも「どう考え、どう表現すべきか」について、ある時代の一部の人が「正解」を決めて規制することは、殊に謙抑的であらねばならない。曖昧かつ広範な規制は、青少年の性の望ましいあり方を「議論」することについてすら不当な制約をはめることになる。
少なくとも、井波判事のエピソードや、同種の問題が、立法過程で議論されたとは聞かない。
今一度、思想信条の自由と謙抑主義の観点から、再考すべきだろう。


追記(1/27):一応、なぜ「当時の裁判官がこう考えたのか」についての仮説を説明しておきたい。

もちろん、本当のところは、本人しかわからないのだが、多分、高裁裁判官は年齢が高い人が多く、井波裁判官も戦前の「物の考え方」が体に染み込んでいたのだろう。戦前の家父長は、子供、娘に対して絶対的服従を強いていた。「子供達に対しては絶対の統制権がある(中略)家父長が家の全権の代表であり、子供は完全人格として認められない。*19」等と評される。
本当のところはわからないが、井波裁判官はこのような家父長の統制権的な考えによって、父親側に同情した可能性がある。
もし、そうだとすると、井波裁判官のパーソナリティの問題*20ではなく、考え方が時代の影響でこうまで変わり得るという例になろう。

*1:機会があれば内容も検討してみたいが、現時点では、残念ながら、内容を十分に検討するに至っていないので、内容についてはさて置く。

*2:なお、規制手法の問題や立法事実の問題等、他の問題も多いが、全て論じることはできないのでご了承いただきたい。

*3:チャタレイ婦人の恋人は今猥褻とはみられない等

*4:http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/story.html?q=cyzo_21Jan2011_20301。なお、同記事の提起する、これらの書籍が規制済みで新たに規制を設ける理由にならないという点は重要な問題であるが、本論との関係でひとまずおかせていただく。

*5:正確には眠らせた場合準強姦になる可能性が高いだろう

*6:例えば都議会多数派

*7:最判昭和48年4月4日

*8:具体的内容は後述

*9:娘さん

*10:合議体であるから裁判官三人

*11:そうじゃなければ、最高裁で逆転違憲にはならない。

*12:高裁判決の認定事実をかいつまんで要約しているので、やや表現が固い

*13:要約方法の問題ではない。高裁判決に準拠している。

*14:お言葉については、

裁判官の爆笑お言葉集 (幻冬舎新書)

裁判官の爆笑お言葉集 (幻冬舎新書)

)参照

*15:元に戻るという意味

*16:近代麻雀漫画生活様にて取り上げられていた本であるが、賭博論としても非常に面白い。機会があれば別途紹介したい。

*17:二次元ならともかく三次元で、目の前に「被害者」がいる訳ですからねぇ…

*18:この裁判官の考え方の当否はともかく、

*19:http://www1.tcue.ac.jp/home1/c-gakkai/kikanshi/ronbun8-4/shen.pdfより

*20:当時の人は誰もそんな風には考えていなかったが、井波裁判官だけがこのような(当時においても)異端な考えを持っていた