アホヲタ元法学部生の日常

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五分五分以上かの判断の難しさ〜IFRSと弁護士業務

決算書の50%は思い込みでできている

決算書の50%は思い込みでできている

1.決算期の恒例行事
  弁護士事務所における決算期の恒例行事と言えば、監査法人から送られて来る「確認状」に記入して返信することである。


  監査法人が弁護士に何を確認するのか。これは、訴訟が係属している場合等に、そのリスクを弁護士に確認し、この点に関する経営者の報告の裏付けを取るということである。
 平成14年監査委員会報告書73号「訴訟事件等に係わるリスク管理体制の評価及び弁護士への確認に関する実務指針」には

監査の過程において、会社の財務諸表に重要な影響を及ぼす可能性がある訴訟事件等のリスクが存在し、その会計処理又は注記等による情報開示の要否に関する監査人の判断に際して、法律的専門家の見解を入手する必要があると認められる場合には、弁護士への確認を行わなければならない。
 平成14年監査委員会報告書73号「訴訟事件等に係わるリスク管理体制の評価及び弁護士への確認に関する実務指針」より

とある。 
 監査法人が把握している以外に重要な訴訟事件ないしリスクはないかや、監査法人が把握している訴訟事件のリスクについての弁護士の見解等が確認されることが多いだろう。


2.引当金についての日本GAAPIFRS
 ここで、上記の弁護士確認が必要となる「会社の報告」には様々なものがあり得るが、なんと言っても重要なのは引当金(訴訟損失引当金である。ざくっと言えば*1、1億円*2の訴訟の被告となっている会社について、当会計年度に既に敗訴濃厚になっていれば、実際に敗訴して払わなければならなくなる前でもそのような債務に対応する引当金を費用ないし損失として計上しておかなければ、投資家等の判断を誤らせる恐れがある訳である。


 従来の日本会計基準では、引当金計上については、

(1)将来の特定の費用又は損失であって、
(2)その発生が当期以前の事象に起因し、
(3)発生の可能性が高く、かつ、
(4)その金額を合理的に見積ることができる場合
 には、当期の負担に属する金額を当期の費用又は損失として引当金に繰入れ、当該引当金の残高を貸借対照表の負債の部又は資産の部に記載するものとする。
基準会計原則註解 注18より。ナンバリングは筆者

 という四要件で運用されてきた。


 すると、少なくとも過去に結んだ契約責任を問われる場合や、過去の行為に関する損害賠償責任を問われるという典型的訴訟では、当該訴訟による賠償義務は(1)将来の特定の損失で、(2)発生が当期以前の事象に起因するとは言える。
 もっとも、法定監査を受けるような企業*3は基本的には相手の主張に理由があれば訴訟外和解ないし早期の訴訟上の和解をするはず*4であって、敗訴して賠償金等を払うことが(3)発生の可能性が高いと言えるのは訴訟の後半、事案によっては終わりに近い場合だろう*5
 よって、期末において既にそのような発生可能性が高いという時点まで至っているという場合を除けば、通常は弁護士も、引当金を計上するほどのリスクはないという会社の判断と同意見ということで差し支えないのではないか*6


 ところが、IFRSは違うらしい。ビジネス法務の部屋様で紹介されていた会計士の村井直志先生の最新刊である「決算書の50%は思い込みでできている」によれば、

この引当金の4要件について、IFRS国際財務報告基準)では、(3)発生の可能性が高い、という要件を撤廃することを検討しています。
もし、(3)の引当金要件が撤廃されることになれば、従来は敗訴が目に見えた時点で訴訟損失引当金を計上していたのが、訴訟になってから早い時点、より具体的には敗訴の確率50%を超過した時点で訴訟損失引当金を計上することになる(IAS37号)といわれています。
訴訟という会社にとってナーバスな部分だけに、勝敗が五分五分の段階で訴訟引当金を計上することで、あらぬ噂を巻き起こしかねない、との懸念が浮上しています。
村井直志著「決算書の50%は思い込みでできている」38〜39頁

とされる。
 つまり、IFRS導入後は、訴訟での敗訴確率が五分五分を超えたら引当金を積まなければならない*7のである。

3.「水もの」の訴訟と五分五分の難しさ
 村井先生が指摘されるとおり、五分五分で引当金を計上するのは、日本の実務に混乱を引き起こしかねない懸念がある。
  訴訟は「生き物」であり、訴訟係属後に先方から代理人にとって初見の(先方に有利な資料)が証拠提出されるリスク*8 や、裁判官の考え方によるリスク*9、証人尋問リスク*10等、様々である。そこで、相当客観的証拠がそろっている事案や相手の主張が明らかにアレな場合等以外は、「筋的に勝てる」と思っていても、上記のようなリスクから、大丈夫、少なくとも五割以上勝てますとまでは言えないケースも相当あるのではないか。
 また、監査法人という三者に提出し、監査意見の基礎となる正式書面に書く意見という意味で微妙な問題もある*11。例えば、「相手もやや言い分があるが、相対的には六対四でこちらの言い分が通るだろうと思っていても、「依頼者側だけの資料と情報で六対四なら、相手の言い分を聞けばもっと分が悪くなるのではないか。五割以上勝てると本当に言い切れるのか?」と極限まで論理的に詰めれば、「敗訴リスクが50%を超過していないとは言い切れない」と、保守的に答えることにもなりかねない。


 もし、IFRS導入後に、監査法人側から厳しく引当金計上要件を弁護士に確認するという実務が行われれば、実際よりも保守的に訴訟損失引当金の計上が行われることが予想される*12


3.IFRS後の訴訟戦略!?
  すると、IFRS導入後、原告の訴訟戦略は、まずは、被告の財務諸表に訴訟損失引当金を計上させることを目的にした訴訟活動をする方向になるのではないか。原告によっては、訴訟提起の時期を操作することで、訴状が期末に送達されており、引当金の計上を検討しないといけないところ、調査のために十分な時間がとれないので50%以上(被告が)勝てるとは言えないという状況に被告を追い込み、訴訟損失引当金を無理やり計上させるところも出てくる可能性がある*13。それを証拠提出、ないし弁論準備手続期日で事実上指摘して、有利に和解を進めるという戦略を取る原告が出かねないのである。
  また、原被告双方が負けそうになれば引当金計上をする訴訟*14では、お互いに相手が先に引当金計上を開示するよう手管を尽くす駆け引きが行われるかもしれない。相手が開示する、つまり相手にとって敗訴率50%超というのは、こっちにとっては敗訴率50%未満を意味するので、こちらは開示しないですむことになるだろう。
  こういう事態は、各企業の開示を傍目から見て楽しみたい人にとってはよいかもしれないが、企業にとってそれがいいのか、ひいてはこれらの企業に投資する投資家にとって本当に役に立つのかが問われなければならないだろう。少なくとも、濫訴的な原告に会計制度を悪用され、本当はしなくていい和解をして会社資金が流出する状況ステークホルダーの利益になるとは思えない。
 IFRS引当金要件によって起こり得るこのような事態が好ましくないとすれば、その原因は そもそも、訴訟が水ものなのを看過して50%を超えるかという難しい判断を弁護士に強いようとするところにある。これは単なる会計の問題ではないのであって、法律家も会計士と共同して、この点を是正する方向で働きかける必要があるだろう。

まとめ
 法曹界では、一部の先進的先生を除けばIFRSなんて自分には関係ないと考えている節がある。
 しかし、IFRS、特に引当金計上要件の変化は、法律家、特に弁護士が確認書を書く際に多大な影響を及ぼし得るし、場合によっては訴訟戦略を左右するかもしれない。
 会計関係者のみならず、法曹関係者も、IFRSの自己やクライアントに及ぼす影響を検討する必要があるのではないか。

*1:私の会計知識のなさから、詳細には言えません・・・

*2:あ、一億円が「重要」といえる会社であることが前提です。

*3:法定監査を受けない企業もやはり引当金は積む必要があるものの、政策的にそれでいいかはともかく、監査法人からの確認状が来ないので、弁護士実務ではあまり論点にはならないだろう。

*4:まあ、一概にそうとも言えない会社もあるのですが・・・

*5:まれに判決当日ビックリという事案もあるのですが・・・

*6:慣れていない先生が「敗訴リスクが高くないとは言い切れません」とか仰り出して大わらわってことも稀にはありそうですが・・・

*7:ことになりそう

*8:相手とがっぷり四つに組む訴訟では、有利さの程度を問わなければほぼ100%あるリスクではないか? 突然、担当者レベルの「覚書」「謝罪文」や、録音テープ等が出てくるのは頻繁にあると聞く。

*9:異動等で裁判官が変わった瞬間に、勝訴案件のはずが敗訴的和解を余儀なくされたという体験談はよく聞きます。

*10:最近は書面主義が進んでいるので余り聞きませんが、ガードを高く上げすぎた敵性証人を崩した等の成功談を時々聞きます。

*11:電話相談より面談による相談の方が保守的になり、面談による相談より意見書の方が保守的になるというのは、法務部員が肌で感じている感覚だろう。

*12:なお、見積ができるという部分でなんとか引当金計上を免れることができるかもしれませんが。

*13:そこまでやるかや、うまくいくのかは不明の、仮定&想像による議論ですが

*14:いろいろあると重いますが、パッと思いついたのは、システム開発紛争でベンダは「約束のもの作ったから代金払え」、ユーザは「未完成/瑕疵等があるから解除する、損害賠償払え」といった訴訟でどっちも上場企業の場合