- 作者: 林則清
- 出版社/メーカー: 立花書房
- 発売日: 1996/07
- メディア: 単行本
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1.八百長研究の一線級資料
近時、八百長だの、スポーツ賭博だのという事件の報道に接する。本稿はこれらの具体的事件について論じるものではない*1が、一点気になったのは、過去の類似事件の経験について、どこまで周知、理解されているかという点である。
プロ野球の黒い霧事件は、スポーツ選手の賭博に関わる八百長事件として有名であるところ、その捜査の際、捜査機関がどのように考えたかを内部者が具体的に明らかにした資料がある。
これが、林則清著「組織暴力の一断面」である。著者は昭和45年に兵庫県警で「プロ野球の黒い霧」事件の捜査に携わった警察官である。本書内の一章を割いて*2「プロ野球の黒い霧と野球賭博ー八百長問題のからむ野球賭博事件の一考察」と題し、捜査の裏側を説明する。まさに、八百長研究の一線級資料である。
2.野球賭博から八百長へ
この点は、報道ですでにご存知の方も多いと思うが、 野球賭博のポイントはハンディである。ハンディなしに、概ねAクラスの某球団と某Y球団の試合について賭ければ、結論はかなり見えており、一方に賭け金が偏る。これを、ハンディで補正することで、賭博妙味を向上させるのである。ハンディを決めるための素材として最も重要なのは、登板投手であるが、登板投手が確実に予想されるならば、胴元にとっても、客にとっても、極めて有利であることは言をまたない。ここから、いわゆる「プロ野球の黒い霧問題」として大きな社会問題とまでなった、プロ野球と暴力団との結びつき、賭博関係者と関係を持つ疑惑の選手の出現、はては八百長試合といった一連の不明朗な問題が起こる最大の原因が生じた*3。
林警察官(筆者)はこう考える。プロ野球選手の中に賭博という不正行為にからみ、しかも多額の金員をもらって、いわゆる八百長行為をなしていたものがあるとすれば、そのような大衆を欺くような不明朗な行為は、まさに社会的倫理観念にいちじるしく反する行為であり、真相が明白にされ、なんらかの国家の刑罰を持って制裁されるべきものではないかと考えられるのは当然の国民感情であろう*4。
3.現行刑法では裁けないという警察庁の見解
ところが、八百長問題の捜査は、最初から大きな壁にぶち当たった。
この点の捜査に乗り出すにあたっての最大の問題点は、
「はたして、現行の刑罰法規によって八百長選手を罰することが可能かどうか。」という問題であった。
林則清著「組織暴力の一断面」290頁
警視庁は昭和45年に、「プロ野球問題をめぐる議論と問題点」といわれる見解を出した。その中で、(1)個人プレーそのものが賭けの対象の場合と、(2)試合結果が賭けの対象の場合を場合分けした*5。
そもそも、選手が賭博自体に関与していなければ、賭博罪の共犯というのは難しい。しかし、賭けの形をとって「カモ」からお金を出させるが、胴元が結果を操作しており、常にカモが損をするというのは、賭博ではなく、賭博に名を借りた詐欺であり、これを助けた野球選手にも詐欺罪の共犯が成立する。そこで、結果を操作しているか否かが、詐欺罪成否のポイントである。
まず、(1)個人プレーが賭けの対象となっている場合、当該選手が賭博の勝敗を左右することができるので、いわゆる詐欺賭博となり、選手が詐欺罪の共犯となることが考えられるとした。
これに対し、(2)試合自体が賭けの対象の場合、当該選手により賭けの勝敗を左右できる場合のみ、詐欺賭博罪となるが、野球のような集団スポーツについて、そのような認定が困難であり、検挙できない場合が多いとされた。
プロ野球の黒い霧問題の事案は、(2)試合の勝敗が賭けの対象の場合である。このような警視庁の公式見解に準拠したのでは、八百長に関与した野球選手を検挙できない。
4.執念の捜査で実態に迫る
野球選手を検挙できないのは、国民感情に反する*6。こう考えた兵庫県警は、賭博の実態に迫って解決策を模索した。
そもそも、八百長を依頼する側がなぜ大枚をはたいてまで選手を買収するか。それは、ギャンブルの常で、はまり込んだ者が勝敗の予想を立てるに際し、少しでも多くの判断材料を得たい。そこで、選手と接近して登板投手を聞いたり、果ては八百長を依頼する。選手も賭博者も、確実に勝敗を左右するとは思っていないが、八百長を依頼する側は、これで賭博に勝てる確率が極めて高まったと考え、おおいに力をいれて勝負に出る。その意味で選手の八百長行為は、賭博行為を精神的に促進する、つまり幇助する行為である。
以上のような見解に立って*7、兵庫県警は野球選手を賭博罪の幇助等で起訴し、略式事件ながら、有罪判決を得た。
賭博の実態に迫るため、「くずかごの中の紙片」「週刊誌の余白」を捜索するといった徹底的な事実調査を行い、申込の多い午後四時以降にガサ入れするといった細かい配慮も怠らなかった*8。
ここには、思い込みに囚われず、地道な捜査で事実をあぶり出し、その実態に迫って現行法の範囲内で妥当な結論を導こうという執念が見られる。
まとめ
同じような八百長や賭博事件でも一つとして同じものはない。そこで、過去の経験をそのまま当てはめることはできないだろう。
しかし、少なくとも、公式見解や常識に囚われず、事件の実態に迫って法律構成を考えるという、プロ野球の黒い霧事件で兵庫県警が行った捜査態度には、現代でも学ぶべきところが多いのではないか。