「最高裁の暗躍」―守秘義務の問題を提起するほどの深掘り取材
- 作者: 山口進,宮地ゆう
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2011/01/13
- メディア: 新書
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最高裁の暗闘、朝日新聞GLOBEの記事を元にまとめ直した朝日新書である。
在外邦人選挙権判決、国籍法違憲判決、光市の母子殺害事件…。近年話題になった最高裁の判決について、単に個別意見から伺われる内容を書くに留まらず、いわば最高裁判決の裏側とでもいうべき内容に踏み込んでいることで評判である。
これら有名判決を、本書に描き出された背景を踏まえてどう見るかというのも興味深いが、このエントリではまた違う観点から検討してみたい。それは、評議の秘密である。
裁判員に課せられる守秘義務。そのうち、最も重要なものは「評議の秘密」を他に告げないことと言われる。要するに、評議の経過、それぞれの裁判官及び裁判員の意見とその多少の数は秘密であって、これを外部に漏らしてはならないのである。
しかし、最高裁の暗闘に記載されている「裏側」は、評議の秘密に立ち入っているのではないかと疑われるものも多い。
これが、いわゆる立法の経緯ならぬ「判例法制定の経緯」を明らかにする意味がある反面(2)、守秘義務違反の問題をもたらすのではないか(3)、そして裁判員との関係は(4)という点を検討したい。
2.葬り去られた新判断!?
本書89頁以下には、最判平成22年4月27日刑集64巻3号233頁という最高裁判決に関する詳細な記述が掲載されている。
この事件は複雑だが、大阪市平野区で主婦と長男が殺害され、同マンションが放火された事案である。義父が殺人等の罪に問われ、大阪高裁は死刑判決を下したが、義父は無実を主張していた。この事案の1つのポイントとなったのは、義父のDNAの付いたタバコの吸殻が、事件直後にマンションの灰皿から発見されたことだった。大阪高裁は、「タバコの吸殻のDNA→義父がマンションに来ていた→犯行を行ったかも」という推認を行い、他の証拠とあわせて義父が放火殺人犯と見るのに十分とした。
本書によると、この事案が係属した最高裁第三小法廷は、「最高裁は高裁の事実認定にどこまで踏み込むべきか」で割れたという。要するに、最高裁判所は、法律的な問題を判断する「法律審」であり、判断の前提となる事実は「事実審」である、地裁と高裁が決めるというのが大原則である。そうしないと、万の単位でやってくる上告事件を捌き切れない。とはいえ、本件では、高裁の事実認定に問題があった。煙草の吸殻が茶色に変色している、しかも、普通に吸った程度では変色しないくらい真ん中まで。この事実からすると、吸殻が発見された直前に吸ったものではない、つまり、大阪高裁の事実認定は穴があるということである。
堀籠裁判官は刑事裁判官出身。事実認定に踏み込むべきではないとして、死刑判決を維持しようとした。
これに対し、他の4人の裁判官は、大阪高裁は「認定した事実を前提とした法的判断」においてもおかしいと言ったのだ。ここで持ちだしたのが
(被告人が犯人であることを直接示す証拠がなく、間接的ないろんな事実から被告人を犯人と認定する場合には、)状況証拠によって認められる間接事実の中に、被告人が犯人でないとしたら合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれている(ことが必要)
という法則(経験則)である。
つまり、4人の裁判官は、原判決は、認定した事実を元に、有罪無罪という法的判断をする際に、「いろんな事実は被告人が犯人であると仮定すると矛盾なく説明できる」という積極的な方向での検証はしたけれども「このような事実は、被告人が犯人でないとすると合理的に説明がつかない」という消極的な検証をしておらず、それは裁判官が事実に基づき行う判断として不当だ、だから、法律審である最高裁もこの事件を判断できるんだという論理である。そして、この4人が多数を占め、大阪高裁の死刑判決は破棄された。
このような経緯からはこの判決は、状況証拠によって有罪か無罪かを判断する上での法則、経験則を示した判決と見るのが自然なように見える。
ここで、ドンデン返しが起こった。全ての最高裁判決が重要なのではない。何しろ「三行半*1」といわれる門前払い判決が最高裁の判決の大多数を占めるのだ。そこで、裁判官6人で構成される判例委員会という組織が、どのランクの判例集に載せ、どのようなタイトルを付けて掲載するかを決める*2。
本判決は一応Aランクの刑集に掲載されることになったが、その際に、本判決のタイトルを判例委員会が決めた。「原判決の認定に事実誤認の疑いがあるとされた事例」。要するに、1つの事例判断ということで小さく扱われ、「状況証拠によって認められる間接事実の中に、被告人が犯人でないとしたら合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれている」かという基準を定立した判決としては評価されなかったのである。
実際、実務裁判官の多数派は、この判決は新しいことは何も言っていないと評しているといわれる*3。
しかし、学者の中には、本判決を新しいルールを定立したものと評価する考えもある。「立法の経緯」ではなく、「判例法定立の経緯」を本書に基づいて考えると、やや、新ルール説の方が正しいような気がする。複数の評釈が本書を引いているが、学者が書く判例評釈が新書を引くというのはめったにないことだろう。もっとも、そもそも評議の秘密があるのに判例法定立の経緯なんて考慮していいのかという辺りは気になるところである。
2.滝井裁判官の幻の少数意見
このような判決の裏側に潜る取材は、本書をよく見ると、ちょっと大丈夫かという部分もある。
例えば、滝井裁判官の幻の少数意見である。要するに、
・共犯事件
・殺人事件
・捜査段階には自白
・平成18年10月以降に第2小法廷で全員一致の上告棄却判決
という条件を満たすある事件について、主任裁判官である滝井裁判官が記録を精査したところ、被告人や共犯者の自白が信用できるか疑いが残るという結論に至ったのだそうである*4。
予め捜査官の知り得なかった事項で操作の結果客観的事実と確認されたもの、いわゆる秘密の暴露に相当するものはみられない、そして供述には自白と否認の間に変遷がある。その内容には客観的証拠の裏付けがないばかりか、需要な点において事実に反すると思われる供述や、その内容に不自然、不合理な点が少なからず含まれているなど、その信用性の判断において慎重を期すべき留意事項とされてきたものがみられる。
このような意見を滝井裁判官は書こうとした。
ところが、最高裁調査官が難色を示し、滝井裁判官の退任により時間切れとなり、この意見は公にされなかった。こんな事実が、本書には記載されている。
たぶん、他の裁判官の意見は上告棄却なので、調査官がごねなくとも上告棄却の結論は、変わらなかったのだろうと思う。そこで、「最高裁調査官による判断の歪曲」という事例ではないのだろうが、少なくとも少なからぬ受刑者が疑心暗鬼にかられるのではないだろうか。要するに、上記の条件に該当すると思われる事件は複数あると思われるので、もしかすると自分の事案は、こういう問題のある高裁判決によるものではなかったかと思い、納得して刑に服することが非常に困難となる可能性がある。
朝日新聞の記者にこの話をしても適法というのであれば、むしろ、朝日新聞の記者にこっそり漏らすのではなく、正々堂々と、判例タイムズやジュリスト等に事案を特定して論稿として説明すべきではないのか。それができないのであれば、やはり朝日新聞の記者にこの話をしたのは評議の秘密との関係で問題があったのではないか…。こんな疑問が残るところである。
3.裁判員裁判と評議の秘密
裁判員も、守秘義務を負う。記者会見において述べられる内容が限定されるだとか、ちょっと怪しいことを言ったら裁判所職員に制止されただとか、いろいろな報道が出ている。
ここで、最高裁裁判官が新聞記者に漏らしていいなら、裁判員も漏らしていいという風潮になりやしないか。
もちろん、少数意見の付記が認められる最高裁とそれ以外の裁判では守秘義務の範囲は異なるだろう。しかし、守秘義務を狭く解する見解は、裁判の検証のためには広く議論を公開すべきという方向性を採っていると思われる。この方向性は、裁判員裁判にも敷衍可能ではないだろうか。
反対に、「判決書」が全てであり、その過程のいわばワークプロダクトである評議は秘密であるべきという方向性は、裁判員裁判にも、最高裁にもあてはまるのではないか。
まとめ
「最高裁の暗躍」は、有名判決の裏側を知ることができるというだけではなく、「守秘義務」という観点からも面白い問題を提起している。
議論がありそうだが、とりあえず読んでおいて損はない一冊である。
*1:みくだりはん
*2:いわば「Aランク」「Bランク」「Cランク」の3つのランクに分ける。Aランクは、最高裁判所刑事/民事判例集(民集/刑集)という広く読まれる判例集に掲載される。Bランクは、最高裁判所裁判集民事/刑事(裁判集民/裁判集刑)と呼ばれる判例集に掲載される。Cランクは掲載されない。
*3:中山孝博「最判平成22年4月27日が定立した基準を用いて情況証拠を評価した事例」速報判例解説刑事訴訟法No.72・2頁、要するに、「合理的な疑いが残るか」という観点から見ると「状況証拠によって認められる間接事実の中に、被告人が犯人でないとしたら合理的に説明することができない」なら、合理的な疑いは残るだろう、つまり、合理的な疑いが残るなら有罪にしてはいけないということを言い換えただけだと説明する訳である。
*4:本書77頁