アホヲタ元法学部生の日常

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「魔法科高校の劣等生」の憲法学的考察〜一科生・二科生の差別は違憲?

魔法科高校の劣等生〈1〉入学編(上) (電撃文庫)

魔法科高校の劣等生〈1〉入学編(上) (電撃文庫)

1.はじめに
  とある本屋に積まれた二冊の本。タイトルを法科大学院の劣等生と空目して、これはアニクラスタとして買わざるを得ないと思って即購入した。


 ところが、これは「魔法科高校の劣等生」であった。
  読んでみると、人気Web小説を加筆補訂しているということもあって、中々面白い。
  魔法、これが高校・大学で教えられる世界。日本には9つの魔法科高校が設立されていた。そのうち一番優秀な魔法科高校、第一高校。そこは、第一科100人と、第二科100人が入学する。第一科はブルームと呼ばれるエリート。第二科はウィードと蔑称される補欠。第一科の主席で入った妹の司馬深雪と、第二科の補欠の兄、司馬達也。二人の対照的な兄妹を主人公とすることで、ブルーム/ウィードの身分制度等の設定を生かしている。そんな、物語。


2.平等原則違反?
  さて、ここで、憲法14条は、国民一人一人が平等に扱われることを保障している。一般には、中世のような身分社会を打破し、平等な市民が形成する近代社会においては、平等な扱いは憲法上の権利として保障されるといわれている*1


 ところで、現代*2社会において、未だ中世のような身分制が残っている場所がある。
  他ならぬ魔法科高校である。


 魔法科高校では、ブルームかウィードかで確固たる「階級」が形成されており、ウィードは辛い差別を受けている。これは、憲法的にどうなのか?


3.教育に関する差別と憲法14条
  憲法学上、ある差別が憲法14条に違反するかを判断する過程にはいろいろな方法があるが、最近の有力説である「三段階審査」という考え方からは、(1)憲法がそのような事柄を憲法上保障しているのか、(2)それが国家によって制約されているのか、(3)制約を正当化する事情があるのかという順番で検討を進める。この考え方の参考になる書籍として、宍戸常寿先生の「憲法解釈論の応用と展開」をレビューしたことがあるので、参照されたい。
2010年代司法試験の「憲法」の方向性を決定付ける一冊!〜「憲法解釈論の応用と展開」 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常


  まず、「ウィードも、ブルームと同じように教育を受けたい」という教育に関する差別を受けない自由を問題にしよう。三段階審査では、これが憲法上保護されているかが問題となる。
  この点は、教育を受ける権利という問題を立てることも可能だろうが、教育の方法について差があるということで、平等権、憲法14条の問題と解することができる。平等権は憲法上の権利である*3

第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない


 そして、今回達也が通うのは国立魔法大学付属第一高等学校である。国立の高校なので、私立高校と異なり、私人間効力*4の問題にはならない。つまり、国が運営する高校で差別が行われているのだから、まさに、第二科生の平等権が国家によって侵害されているのである。


 平等権における最大の問題は、「制約を正当化する事情があるのか」である。野坂先生によると、国籍法違憲判決(平成20年6月4日民集62巻6号1367頁)の読み方はいろいろあるものの、木村草太先生は、比較的シンプルに、目的が正当で、その目的と合理的関連性のある区別であれば合憲という判旨と読まれているようである*5


 判例は、このように、比較的緩やかな基準を立てるところ、学説の多数説は、一定の場合には厳しく正当化の有無を判断すべきとする。具体的には、憲法14条1項後段に列挙されている「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」については、偏見の対象となり易く、それを用いた区別が不合理なものになる可能性が高いため、区別の目的が重要で、区別の目的との実質的関連性を要求するという比較的厳しい基準を用いるべきとする*6


 問題は当てはめだ。今回の差別は「入学試験の成績」による。これが、例えば「魔法を使える能力を持って生まれて来たか」というような生来的なものだけを基準としているのなら、なんらかの社会的身分*7と言う余地があるだろうが、CADを使った居残り練習をみていると、先天的な素質と、後天的な訓練の双方によるところが大きそうである。
 結局、先天的なものによる区別ではなく、後段列挙事由でないと考えられる*8
 よって、判例・多数説いずれの見解をとっても、比較的緩やかな、目的が正当で、その目的と合理的関連性のある区別であれば合憲という基準で判断される。
  

  本件では、目的は限りある魔法師資源の有効活用が目的である。確かに魔法師は国防等の上で重要な役割を果たしているのに、人数が少ないのだから、その資源の有効活用は正当といって差し支えないだろう。そして、合理的関連性の有無については、
生徒会長七草真由美の演説を聞こう。

全員に不十分な指導を与えるか、それとも半数の生徒に十分な指導を与えるか。
当校では後者の方法が採用されています。
そこに差別は、確かに存在します。
(略)
しかしそれ以外の点では制度としての差別はありません。
もしかしたら意外に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、第一科と第二科のカリキュラムは全く同一です。
進捗速度に差が生じることがあっても、講義や実習は同じものが採用されています
佐島勤魔法科高校の劣等生2」173頁

 200人全員に中途半端な教育を施すのか、それとも優秀な人に個別指導をして、その他には指導の手厚さを下げるか。この選択肢の中で後者を選択したのが魔法科高校であり、これは、資源の有効活用という目的達成のため合理的関連性があると言ってよいだろう。


 魔法科高校の第一科・第二科の区別は「正当化」されるものであり、憲法14条には違反しない*9


4.生徒会役員についての差別と憲法14条
 ところで、第二科生は生徒会長以外の生徒会役員になれず、正規の役員ではない風紀委員になれるだけだ。
  生徒会役員になる権利は、選挙権と異なり憲法上の権利ではないだろうが、公立高校において、生徒会役員になる資格がないという差別が行われていることは、平等権の制約と言えるだろう。


  問題は正当化である。生徒会役員は人心を掌握すべきところ、第二科生では第一科生から不満が出るので人心を掌握できないとかを考えてみたが、これはいかにも詭弁である。ブルーム/ウィードの対立を前提とすれば、「全学生の人心を集める」ために必要なファクターはその人の人柄であって、一科や二科という地位ではないだろう。二科生役員に一科生が文句をいうというのと同様、第一科生が生徒会役員になっていることに対し第二科生も不満なはずである。一科と二科の違いは入試の成績に尽きるのであって、人格、人柄ではない。結局、一科生でなければ人心を掌握できないとったことは、生徒会の資格を制限する理由にはならないだろう。つまり、目的と合理的関連性のある区別ではないのだ。
 だからこそ、真由美は、この違憲状態を是正しようと、演説する。

実を言えば、生徒会には一科生と二科生を差別する制度が、一つ残っています。
それは、生徒会長以外の役員の指名に関する制限です。
現在の制度ではl生徒会長以外の役員は一科所属生徒から指名しなければならないことになっています。
この規則は、生徒会長改選時に開催される生徒総会においてのみ、改定可能です。
私はこの規定を、退任時の総会で撤廃することで、生徒会長としての最後の仕事にするつもりです
佐島勤魔法科高校の劣等生2」173頁

 真由美は憲法の平等原則を深く理解した上で、合憲のものは維持し、違憲のものは撤廃しようとしているのである。

まとめ
  魔法科高校の劣等生は、単にストーリーが興味深いのみならず、このような平等権に関する深い理解がベースとなっている。
 法学部生、ロースクール生は、「魔法科大学院の劣等生」と空目しなくとも読むべき本であろう。
  なお、新司法試験レベルとしては、「仮に違憲として、司法審査の対象となるか」も興味深い問題である*10

*1:芦部「憲法学III」2頁参照

*2:正確には未来だ

*3:木村草太「憲法の急所」253頁はこれを当然の前提とする

*4:木村先生の本で問題意識は少し分かったものの、三段階審査で私人間効力は書きにくいです…。

*5:木村草太「憲法の急所」255頁

*6:木村草太「憲法の急所」255頁

*7:血統等の生来の身分。なお、職業等の継続的に占める社会的地位も含むという広義説もある。

*8:広義説をとった上で、「3年間と継続的に二科生であり続けるから社会的身分」という考え方もあるかもしれないが、一般に高校の学科(これも生来の素質と努力を測る試験で決まる部分が大きい)が社会的身分と解されているとは思われず、疑問である。

*9:なお、試験制度の精度の問題は残るが、合理的関連性の緩やかな基準で判断すると、こういう厳格なことは考えにくいだろう。大雑把でも、資源の有効活用のできる限度でスクリーニングされていれば、合理的関連性はあると考えられる。

*10:木村草太「憲法の急所」107頁参照。富山大学事件判決等を考えると結構「一般市民社会秩序と無関係」という議論が説得的ですが、なぜか生徒会が十師族の庇護の下警察のような仕事をしているので、そこで「一般市民社会秩序」と関連付けられないか考えています。