- 作者: 杉井光,岸田メル
- 出版社/メーカー: メディアワークス
- 発売日: 2007/01/06
- メディア: 文庫
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1.「神様のメモ帳」とは
NEET、又は「ニート」。一部界隈ではマイナスの響きをもった単語として呼ばれているが、そんなに悪いのか。
例えば、新司法試験を受験し、合格して法曹になるため、司法研修を受ける人達。ロースクールを卒業した3月末から、11月の司法研修所入所*1までの半年以上は、定義上「NEET」である*2。著者の杉井光氏も、文筆で稼いでいるが、教育も受けず、雇用もされていないから定義上NEETになると「あとがき」で記していた。
本作品は、ニート・ティーン・ストーリー。本作品のニート観を象徴するのが、NEET探偵アリス、紫苑寺有子のこの言葉である。
ニートというのはね、何かが「できない」人間や、なにかを「しようとしない」人間のことじゃないんだ。
(中略)
ちがうのはただ、ルールなんだよ。みんなが双六をやっている盤の上に、ぼくらだけチェスの駒を並べてるようなものさ。
杉井光「神様のメモ帳」11頁
「神様のメモ帳」は、NEET探偵アリスを中心に、アイスの方がむしろうまいラーメン屋の「はなまる」に集う、NEETとその予備軍(主人公の藤島鳴海と、篠崎彩夏)の物語である。
2.彩夏の麻薬植物栽培事件?
大麻栽培で摘発というニュースが一時期世を賑わした。家の中に蛍光灯*3をたくさん置いて栽培する「植物工場派」と、森の中に*4農場を作るという「地場栽培派」に分かれる。
ここで、彩夏は、温室で花を栽培するつもりで、大麻ならぬ、麻薬の原料を栽培してしまっている。これは何かの罪に問われないだろうか*5?
この点は、 微妙だが、結論としては「問題なし」と考えて良い*6。問題なしの結論に至るまでの過程を簡単にご説明させていただこう。
彩夏が栽培したのは、一種のポピー、ケシだ。法は、ポピー、けしの栽培について、あへん法と、麻薬取締法*7の2つによって規制している。
あへん法3条1号は、パパヴェル・ソムニフェルム・エルとパパヴェル・セティゲルム・ディーシー*8をあへん法で規制する「けし」とする*9。栽培については、あへん法4条で規制されている。
しかし、あへん法上、パパヴェル・ブラクテアツム・リンドル(和名ハカマオニゲシ)は規制対象に挙げられていない。
じゃあ、自由に栽培してもいいのかというと、そうではない。麻薬取締法の出番だ。
パパヴェル・ブラクテアツム・リンドル*10は、麻薬取締法別表2において規制される麻薬原料植物(2条4号)だ。麻薬取締法12条3項で、麻薬原料植物も栽培が禁止される。
そうすると、彩夏が パパヴェル・ブラクテアツム・リンドルを栽培したのは、違法な麻薬原料植物の栽培ではないか?
確かに、客観的に見ればそうだ。しかし、近代の刑法は「故意責任の原則」を規定する。わざと(故意で)麻薬原料植物を栽培したのであれば刑務所に入れる等してその責任を問うべきだが、誤って(過失で)栽培してした場合に、刑事責任を問うのは酷だ。だから、過失で栽培しても、「無罪」なのだ。
彩夏はもちろん、トシさんに頼まれて、墓見坂さんの研究を手伝っていると思って栽培していただけである*11。麻薬原料植物の栽培をしているとは夢にも思っておらず、故意はなく無罪だ*12。
3.鳴海の麻薬使用事件?
故意という意味では間違いなく問題があるのは主人公の藤島鳴海自身である。エンジェル・フィックスを飲んだもの同士でなければ流通ルートを解明できないという理由でエンジェル・フィックスを自ら飲んでいるが、刑法の建前は、「捜査は警察に任せろ」である。探偵業務のためとはいえ違法な薬物を摂取することは、国家が許容することではない。すると、藤島は、薬物乱用者の非行少年として、少年院行きか?
ところが、近代刑法には、事後法の禁止という原則もある*13。前まで許されていたものが、突然後になって(事後的に)禁止され、遡って処罰されるとすれば、国民は何がやっていいことで何がやっていいことかわからない。だから、あくまでも規制がされて、その後に行った行為のみが罰せられる。
この考えを薬物に適用するとどうなるか。新種の薬物は、規制されるまでは使っても違法ではないということになる*14。
エンジェル・フィックスの成分が、 パパヴェル・ブラクテアツム・リンドルそのものの薬効成分であるテバインであれば、麻薬取締法別表1*15に明記されており、麻薬として使用が禁止される*16。しかし、エンジェル・フィックスの原料は、パパヴェル・ブラクテアツム・リンドルが突然変異した青花の植物である。特に、エンジェル・「フィックス」というとおり、物が止まって見える作用が特徴であるところ、テバインは一般に抑制作用よりも興奮作用のほうが強いと言われており、*17デバインそのものと考えるのは、エンジェル・フィックスの薬理作用と整合しないように思われる。
エンジェル・フィックスが、既存の麻薬成分と同一、ないしはその混合されたものであれば、鳴海は罪責を免れられない。しかし、新しい植物の新しい薬効成分であれば、これは、未だ規制されていないとして、鳴海も無罪なのだ。
このように、新しい薬効成分につき当初規制が及ばないのは一見不当なようにも見える。確かに、新しい薬物が出る度に法律を作って規制するのは機動性を欠くと言える。しかし、現在は薬事法に、大臣指定薬物制度ができ*18、中枢神経系の興奮若しくは抑制又は幻覚の作用を有する蓋然性が高く、かつ、人の身体に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれがある物(簡単に言うと「麻薬やその仲間で、まだ規制されていないもの」と考えてもらっていい。)については、厚生労働大臣が指定するだけで禁止できるのだ。そこで、機動的に新種の薬物に対応できる。
*19多少誇張的に言えば、昨日の合法(脱法)ドラッグは、今日の「違法」ドラッグということで、問題のあるドラッグを規制できない状況を可及的に減らそうとしているのだ。
まとめ
彩夏も鳴海も、犯罪ギリギリではあるものの、「故意責任の原則」「事後法の禁止」により、処罰を免れる。
神様のメモ帳は、このような近代刑法の原則を見つめ直すことができるように神様が「メモ」しておいた作品なのかもしれない。
*1:といっても、実際に和光のあそこに行くのは約1年も後だが。
*2:採点官である大学教授の夏休みに合わせたということだが、大学4年で受験して卒業と共に研修所に入れた旧試験と比べて評判が悪いことこのうえない制度である。
*3:最近はLEDランプというのもあるそうだが、思わず、こんなところでエコやってる場合じゃないだろうというツッコミを入れたくなる。
*4:ツワモノは公園とかに作るが、普通バレるぞ。
*5:注:以下、最新8巻の内容に触れず、第1巻の内容だけに基づきます。最新8巻に関する補足をもうしばらくしたら行う予定です。
*6:刑事訴訟法上の心神喪失(314条)を思い浮かべられた方もいらっしゃるかもしれないが、実体的な要件を先に考えるべきである。
*7:麻薬及び向精神薬取締法という長い名前があるが略す
*8:後者の規制に疑問を呈するものとしてhttp://33765910.at.webry.info/201005/article_4.html
*10:「神様のメモ帳」195頁ではパパヴェル・ブラクテアトゥム・リンドルだが、正式な法令名は「ブラクテアツム」だ。
*11:200頁参照
*12:なお、意味の認識とか、規範的故意についていかなる立場を取るにせよ、彩夏が栽培したのは、通常の赤いハカマオニゲシとは異なる「青い」ポピーであり、故意は認められないだろう。
*13:遡及法の禁止の適用場面でもありますね。
*15:「四二 テバイン及びその塩類」
*16:麻薬取締法2条1号、27条1項
*17:デバインに化学構造の似たアルカロイドであると予想されるが
*19:本当は審議会の意見とか聞くので、1日では指定できませんが、