アホヲタ元法学部生の日常

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石川義夫『思い出すまま』〜戦後30年の「裁判所の裏の裏」を知る一級資料

思い出すまま

思い出すまま

1.淡々とした筆致で「全て」を語る
 「裁判所の裏の裏」を知ることができる本、等というと、普通の人は、いわゆる暴露本をイメージするのではないか。そして、最近の裁判所に関する「暴露本」は、私の知る限りあまり成功していないものが多いのは事実である。いわゆる「暴露本」の失敗の理由は、個人的な怒りの感情が先行していることや、サンプル数1(n=1、しかもランダムサンプリングではなくサンプル=俺)の例を使った「客観的」、「根源的かつ構造的分析」、(根拠が明示されていれば納得し得るのに)根拠が曖昧で陰謀論っぽく感じられること等が指摘できるだろう。

 このような「暴露本」と一線を画しながらも、中身としては、裁判所の「裏の裏」まで語りつくした本が、石川義夫『思い出すまま』である。同書は、矢口浩一最高裁長官の後継者と目されながら、結果的に異なる道を歩んだ裁判官が、1950年から1981年までの約30年間の裁判官生活を詳細かつ赤裸々に記した著書である*1



 同書のスタンスがいわゆる「暴露本」と大きく違うことは、倉田卓次判事の推薦があることからもよくわかる。倉田判事は、


君子は交わり絶って悪声出さず。組織を離れると、まるで人が変わったみたいな悪口を言い出す人があるが、私の趣味ではない。
倉田卓次『裁判官の戦後史』(はしがきの2頁目)

という明言を残しているように、エリート裁判官として支配側にいながら、辞めた後に、被害者顔をして「実は私は反対だった」と言い出すようなことを絶対に認めないだろう


その倉田判事が、誰にでも「そのままお読みなさい」と薦められる*2とお墨付きを与えていることは重要である。倉田判事によると、一高時代の寮で一緒だった石川判事にオネスト・ジョン」というあだ名をつけたそうで、その理由は、石川判事がウソの吐けない真っ正直な男だからということだ*3



そして、実際に、『思い出すまま』は、変に気負わず、淡々と、まさに「思い出すまま」に、裁判官だった当時を振り返っていることから、逆に、法曹になりたい人の成長に役立つ本であり、かつ、戦後裁判史を知る上での一級資料となっていると言っていいだろう。



2.躊躇なく語られる失敗談
 往々にして、自伝を書く場合には、成功談のみがクローズアップされ、失敗談が極小化される。自分にとってあまり書きたくない話をきちんと書く人は少ない。裁判官の自伝もので失敗談を比較的きちんと書かれているなと感じたものとしては、倉田卓次『続々裁判官の戦後史』285頁以下の、いわゆる「家畜人ヤプー」事件の総括であったが、石川義夫『思い出すまま』もその意味ではかなりよくできている。



・刑事事件を単独でできるようになった頃、昔の裁判長をまねて、余裕を見せつけるために被告人をからかうようなことを言ったところ、判決時に不満をもった被告人が、椅子を振りかぶって裁判官席にとびかかろうとして、あわやとなり、人まねはダメだということをしみじみ反省させられた*4
検察庁から「被疑者との闇取引」というまったくのウソがリークされて新聞記事でやり玉に挙がった。新聞社に事実無根だと主張したら、記事訂正は人目につかないところへ載せるので石川さんは満足されないだろう、それよりも、コラム欄で反論してはどうかと言われて、反論文を掲載してもらった*5
・子供の名前をどうしようか迷っているうちに14日以内に出生届を提出できず、同僚の簡裁判事のところに過料請求が来てしまった。「判事は、同室のよしみで、過料をとらない処置をしてくれたようだった。」*6


 等々。このような、「失敗」エピソードは、(その対処法は現在そのままはあてはまらないにしても、)若手法曹や、修習生等にとって良い教材になるだろう。


3.周りの人への率直な評価
 同書では、周りの人への率直な評価が展開される。要するに、いい人は徹底的にほめるし、悪い人は徹底的に実名でエピソードを挙げている。


 いい方だと、当時の五鬼上堅磐大阪高裁長官*7のエピソードがある。石川判事が大阪高裁に着任する際、どの部も石川判事を受け入れようとしなかった。それをみかねて、長官が「石川か、あいつは出来る」と発言し、それにより受け入れ部が決まったそうである。何がすごいかと言えば、「実は五鬼上長官は私のことなどそれまでまったくご存じなかった」のだそうだ*8


悪い方だと、郡山支部支部長は「申し訳ないが、東京や横浜では考えられない完全なスクラップで、職員一同から疎まれていた。」*9となるわけで、「オネスト・ジョン」の本領発揮である(なお、同支部長の名誉のため、本ブログでは役職名のみを記載しているが、石川義夫『思い出すまま』には実名が載っている)。



4.当時の司法の「闇」
 そして、特筆すべきは、戦後司法の「闇」の部分まで赤裸々に綴っていることである。


・書記官研修所の事務局長時代、事務局職員に出張を命じた際に出張旅費の1割を「後援会費」名目でキックバックさせて裏金として利用していたことが判明した。これを石川判事の代で廃止し、旅費は全額支給するようにした*10
・地裁所長をしていた頃、事務局長が一冊の大学のノートを持ってやってきて、カラ出張で蓄えた裏金の出納について説明し、承認印を求めた。公式に拠出される交際費が少ないからしょうがなくやっているのだろうと考え、毎月ポケットマネーから1万円を拠出することにした*11


 このような裏金の実態は、戦後の「あの時代」にあったというだけで、2014年には状況は様変わりしていると思われるが、戦後司法の「闇」の一端が明らかにされるという意味で重要である。


 特に、矢口浩一最高裁長官との関係では、元々親密な関係であったが、そのあと袂を分かったこともあり、極めて辛辣である*12


・当時矢口判事自身「私を自分の後継者になぞらえていたのではないかとも思う」状況があったが、青法協を追放した、いわゆる「ブルー・パージ」問題の時期に、良心的で勤勉な青法協会員も冷遇されているのは気に入らず、矢口人事局長(当時)と電話で1時間以上話したりしたことをきっかけに、信頼関係が急速に冷えて行った*13
最高裁で主計課長を命じられた時、事務総局の裁判官達が銀座のクラブ等で飲み歩き、その「つけ」が自分のところに来て、これを「会議費」名目で処理していた。これは良くないということで、この慣行を始めたと思われる矢口判事に相談したところ、矢口判事の営繕課長時代に営繕会議費の大幅増額を勝ち取ったから心配するなと言われた。ただ、営繕会議費は工事関係者の打ち合わせのためのもので、事務総局の銀座のクラブの飲み代のためのものではない*14
・矢口判事は、2人だけの席で、裁判実務オンリーの現場の裁判官たちを「度し難い愚か者ども」と罵っていた*15
・矢口判事は人事局長時代、「裁判所の諸悪の根源は、歴代事務総長が最高裁判事に栄進することにある」と述べており、自分はそうはしないということだろうと思っていたが、その舌の根も乾かないうちに最高裁長官の席を冒すに至った」*16
・矢口判事は、人事局長時代、青法協に入会している任官希望者について、「疑わしい連中の成績を悪くしておいてくれ」と上席教官と次席だった石川判事に頼んだが、上席教官が断った*17


等々、いわゆる「清濁併せのむ」タイプの矢口長官の「濁」の部分のエピソードの数々が率直に表現されている

まとめ
 本書は、「暴露本」とは一線を画し、淡々とした筆致で戦後司法の30年を生きた裁判官の人生をありのままに明らかにしており、だからこそ、非常に成功している。
 同書を読むことで、若手法曹や法曹志望者が、赤裸々な失敗談や、人物評から様々なことを学ぶことができるだろう。
 また、戦後司法、特に矢口長官の「闇」の部分を知りたい人にとっても、率直にエピソードが開示されるという意味で、一級資料である。
 すでに出版から8年近くが経過しているが、同書には、「暴露本」にはない、色あせない価値があると思う。

*1:なお、前半は修習生までの前半生を語っている部分で、人格形成の分析という意味では役に立つと思われるが、本書評の焦点と異なるため、本書評ではあえて扱わない。

*2:石川義夫『思い出すまま』2頁

*3:石川義夫『思い出すまま』3頁

*4:石川義夫『思い出すまま』139頁

*5:石川義夫『思い出すまま』141〜142頁

*6:石川義夫『思い出すまま』157頁、なお、同事案については事実関係は曖昧であり、本書評では、あくまでも「失敗談」の一例として紹介しているに過ぎず、また、どのように解したとしても既に「時効」であることに留意されたい。

*7:ごきじょう・かきわと読む。記者会見で「一番美しいと思う女性は?」との質問に、「ワイフ」と即答した愛妻家(恐妻家?)ことでも有名。

*8:石川義夫『思い出すまま』168頁

*9:石川義夫『思い出すまま』151頁

*10:石川義夫『思い出すまま』163頁

*11:石川義夫『思い出すまま』215頁

*12:出版が、矢口長官の死亡した後ということもあり、より「オネスト」に書けるという面もあったのだろう。

*13:石川義夫『思い出すまま』188〜189頁

*14:石川義夫『思い出すまま』174〜175頁

*15:石川義夫『思い出すまま』196頁

*16:石川義夫『思い出すまま』195頁

*17:石川義夫『思い出すまま』199頁。なお、192頁、200頁に、本当に成績不良のために任官を拒絶されたが、たまたま青法協だったために、ブルー・パージだという運動が起こってしまった事案についての説明がある。流石にここは匿名になっている。