アホヲタ元法学部生の日常

連絡はTwitter ( @ahowota )でお願いします。アニメを見て法律を思い、法律を見てアニメを思う法アニクラスタ、ronnorのブログ。メールはronnor1あっとgmail.comへ。BLJにて「企業法務系ブロガー」として書評連載中。 #新人法務パーソンへ #オタク流勉強法 #明認方法 「アホヲタ元法学部生の日常」(ブログ)、「これからの契約の話をしよう」(同人誌)、『アニメキャラが行列を作る法律相談所』(総合科学出版)等。

紹介のお礼等

著作権法コンメンタール - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常
メモ - 一般 - 血統の森+はてな様にご紹介いただきました。ありがとうございます。
>ある意味で(法律ではなく、権利としての)著作権侵害なんだろうか、とか思ってみたり。自分で権利をコントロールできるから権利っていうんじゃないのかな。
 おっしゃるとおり、民事上は、権利を行使するかしないかは、まさに権利者の自由です。
 ただ、窃盗については10円のものを万引きしても*1親告罪ではないわけです。このように、刑事上は通常は被害者は訴追の有無を決められない*2。それにもかかわらず、例外的に著作権法違反を親告罪としたのは何か。ここが問題だったわけです。
 この点につき、著作権は侵害されたか否かが微妙な場合が多く、また侵害によって必ずしも権利者が不利益を被るとは限らない、そこで権利者と侵害者の間で民事的に紛争が解決したならば、それ以上国が介入しなくてもいいじゃないか。こういう趣旨だと解することができます。
 このような考えで著作権法がつくられたと解することを前提に、この枠組みの中で「営利目的」だけを取り出して非親告罪が合理的か否かを論じたのが当該エントリだと考えていただけるとわかりやすいのではないでしょうか。多少専門的な話で、わかりにくいところがあり、すみません。

*1:当然、検察官は被害者の処罰感情を考慮して起訴不起訴を決めるが

*2:むしろ親告罪は例外的。

看板作品の休載と錯誤〜ローゼンメイデン休載問題についての法的考察〜

コミック BIRZ (バーズ) 2007年 03月号 [雑誌]

コミック BIRZ (バーズ) 2007年 03月号 [雑誌]

雑誌には、看板作品というものがある。
Comic Gum (コミック ガム) 2007年 03月号 [雑誌]コミックガム月詠
電撃大王 2007年 03月号 [雑誌]電撃大王よつばと!*1
そして、
コミック BIRZ (バーズ) 2007年 03月号 [雑誌]コミックバーズRozen Maidenである*2

大多数の読者がその雑誌を読む目的は看板作品を読むためといって過言ではなく、看板作品が掲載されていない場合、読者は多大な精神的苦痛を感じる。

さて、

読者Aは、Rozen Maidenが掲載されていることを期待して、コミックバーズ2月号を購入したが、その号においては、Rozen Maidenが休載であり、読むことができなかった。

こんな単純な例を考える。この場合、読者Aは、法的に何か言えないか。

・契約にいたるプロセスについての法律家の考え方
この場合、思いつきそうな法的構成としては錯誤無効がある。
民法95条を見てみよう。

第95条 意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする。ただし、表意者に重大な過失があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない。

この条文を読んだだけでは、法律を学んでいないとよくわからないだろう。要するに、こういうことである。
民法を作った先人は、人間が法律行為(ここでは法的に意味がある行為位に考えてもらってかまわない*3)をする際、以下のプロセスを経ると考えた。具体例として、マンガを挙げる。

1.動機
 「どうせ暇だし、マンガでも読んで幸せな気分になろう!」といった動機がまずはじめに存在する。
2.効果意思
 次に、心の中に法的に意味がある効果を発生させようという意思(効果意思)が生まれる。つまり、この具体例では、「マンガを買おう」という効果意思が生まれる。
3.表示意思
 とはいえ、内心に意思(効果意思)があるだけでは、契約は成立しない。きちんと効果意思を「このマンガ下さい」等という形で表示しなければならない。そこで「マンガをくれ!」というように、既に生じている効果意思を外部に表示ようという意思(表示意思)を生むことになる。
4.表示行為
 そして、この表示意思に従って実際に「マンガをくれ!」と申込む(表示行為)。うまく承諾が得られれば(いいよ!と言ってもらえれば)、売買契約の効果が生まれることになる。

そして、民法はわれわれ個人の意思を最も大切なものと考える*4

すると、この意思がないのに、誤って表示のみがされて契約が(形の上では)結ばれた場合、民法が最大の価値を置く「意思」がない以上、そのような契約は無効とすべきことになる。まさに、この理を表したのが民法95条の錯誤といわれる。

・動機の錯誤
しかし、実際には、第二段階の「意思」と異なる「表示」がされる例はほとんどない。あるとすれば、値段の書き間違い*5や単位の間違い*6位であろう。実際には、第二段階の「意思」はあるのだが、それを形成してしまったのは、第一段階の「動機」において誤解があったためだという場合(これを「動機の錯誤」という)がほとんどである。
 上記事例においても、Aは

1.動機=「Rozen Maiden読みたいな! 今日発売のコミックバーズには新作が掲載されているはずだ!」
2.効果意思=「コミックバーズを買おう!」
3.表示意思=「お店でコミックバーズをレジに持っていって「これください」と言ってお金を出そう。」
4.意思表示=「これ下さい(店でコミックバーズをレジにもっていって)」

という過程で雑誌を取得しており、2.効果意思たる「コミックバーズを買おう!」と、4.意思表示たる「これ下さい(店でコミックバーズをレジにもっていって)」に何ら齟齬は生じていない。
1.動機たる「Rozen Maiden読みたいな! 今日発売のコミックバーズには新作が掲載されているはずだ!」において、誤解(=現実*7との相違)が生じているに過ぎない。

 このような錯誤(動機の錯誤)をいかに処理するかは議論があるところだが、判例・通説は

原則として動機は意思表示の内容にならないので、錯誤無効を主張しえないが、表意者が動機に属すべき事由を明示的または黙示的に意思表示の内容とした場合には、動機の錯誤も意思表示の錯誤となる
池田真朗著「スタートライン民法総則」p118

とする。実際的にも、動機が表示されていて、契約の内容となっていれば、相手方にとって大きな弊害を与えないという考察が働いていると考えられる。
では、上記事例において、「Rozen Maidenが掲載されていること」が契約の内容となっていたか。

「Aは一言も『Rozen Maidenが掲載されているこのコミックバーズを下さい!』と言っていないじゃないか!」
この議論は一理あるが、残念ながら、判例理論では、これだけではAの主張を否定する理由にならない。
すなわち、判例は「動機が黙示に意思表示の内容となる場合」を想定している。
そこで、明確に動機を表していても、通常の行動から、暗にその動機が示されているといった場合には、動機は意思表示の内容になっている。
看板作品という場合においては、その雑誌の通常の購買動機は「看板作品を読みたい」であるから、コミックバーズを買うという時点でRozen Maidenが読みたいという動機が黙示に示されているといってよいだろう。

さて、Aが錯誤を主張するためには、まだまだクリアすべきハードルがある。
それは、「要素の錯誤」性、そして「重過失の不存在」である。

・要素の錯誤
95条においては、「錯誤」は法律行為の「要素」といえる重要な錯誤の場合のみが主張できる(条文参照)。
この「要素」の錯誤というのは、まず、「その人」が、その錯誤がなければそのような契約をしなかったという場合(因果関係)があり、かつ「通常人」も、そんな錯誤がなければ、そのような契約をしなかったという場合(重要性)である。
 例えば、あるコミックにおいて、ある場面のキャラクターの手の指が6本になっているという場合を考えれば、少なくとも「通常人」は、6本になっているというミス位で、そのコミックを買わなくなるとはいえないので、重要性の要件を欠き、要素の錯誤にならない。
 では、事例の場合はどうか。まず、その読者にとっては、看板作品が読みたくて雑誌を買っている以上、看板作品が掲載されていなければ、雑誌を買わなかっただろうという関係が認められる(因果関係)。問題は重要性であるが、

同じような取引に携わる通常人(中略)なら(そのような取引をする)などとは言わないだろうというとき、(中略)要素の錯誤となる
内田貴民法I」東京大学出版会p60*8

という内田教授の言及が参考になるだろう。

 例えば、10キロの重さの薄型テレビを買ったが、テレビが映らなかったという場合、「これを漬物石に使うこともできるから、テレビが映るかどうかは重要性のないことだ」という理屈は通用しないだろう。
 一般人を基準として、(あることを知っている場合に)取引をするかどうかを決する場合には、「普通の人がその物を買う場合に果たそうとする目的が果たせるか否か」を錯誤が重要かどうか判断する基準にするのが適当であろう*9
 すると、看板作品においては、「その看板作品があるからこそ読者が買っている」というような関係が認められ、一般的に見ても、その雑誌を購入する目的は看板作品を読むためと言える(それ以外の作品を読むためという目的で買う人の方が例外的)だろう。
 そこで、重要性の要件を満たし、なお要素の錯誤といえる。

・重過失
 最後が、Aに重過失がないことという要件である。重過失というのはほんの少し注意すれば間違えずにすんだのに間違えたということを意味する。
 錯誤が、契約の無効という重大な効果を持つものであることから、ほんの少しの注意もせず、間違ったというだけで、簡単に無効の主張を認めるのは相手方(この場合は本屋さん)に酷である。
 そこで、重過失の要件が要求された。

 通常、雑誌においてはどの作品が掲載され、どの作品が休載なのかは、後ろのほうのページに一覧化されている。そこで、そこを見ればどの作品が休載かわかる以上、それを確認すべきとして、Aに重過失を認める考えもありえる。
 しかし、この重過失は、

普通人に期待される注意を著しく欠いていること
内田貴民法I」東京大学出版会p69

であり、普通の人だったら当然すべきチェックをしないで契約をしたという場合に重過失ありとなる。
 中には用心深く休載か否かの確認をする読者もいるだろう。しかし、確認をしない読者の方が多い。ましてや雑誌がビニール等でパッケージングされていることが多い昨今ではなおさらである。
 なお、コミックバーズ2月号においては訂正印刷が間に合わなかったらしく表紙に「Rozen Maidenpeach-pitと明記されていた。かかる場合にはまずAに重過失はないことになる。

まとめ
 Rozen Maidenが掲載されていることを期待してコミックバーズを買ったのに、掲載されていなかったという場合、困ったAは「法律的」には、錯誤を主張して、契約の無効を主張できる(要するに本を返すから金を返せといえる)*10
 もっとも、本当にRozen Maidenを愛する読者であれば、返品せずに、雑誌の中にあるアンケート葉書*11「peach-pit先生との早期和解、早期連載再開を!」等と書いて編集部に送るべきあろう。
 法律的な「正解」と、真の「正解」は違うのである。

追記:1月30日に発売されるコミックバーズにおいても、Rozen Maidenは掲載されていなかった*12そうである。休載が連続すれば、次も掲載されないだろうという蓋然性が高まる(HUNTER×HUNTERを考えれば自明)。そこで、より重過失が認められやすくなる。また、休載の連続により、その「看板作品」目的でその雑誌を買う人も減少する(これもHUNTER×HUNTERを考えれば自明)ので、要素性の立証も困難になる。いろんな意味で早期に連載再開をしてもらいたいものである。

追記(5月1日):上記記載のうち削除部分である「「peach-pit先生との早期和解、早期連載再開を!」等と書いて編集部に送る」という部分は、編集部が本件休載の原因だということを前提としておりましたが、編集部が原因だという確証がない段階で、編集部側が休載の原因だと決め付けて記載した点につきお詫びし、削除いたします。

*1:少年エースA 2007年 02月号 [雑誌]少年エース涼宮ハルヒの憂鬱を当初は挙げていたが、例として不適切とのご意見を多数いただいたので、1/30に削除した。

*2:なお、Cobalt (コバルト) 2007年 02月号 [雑誌] Cobaltマリア様がみてるは意識的にはずしている。確かにこれは「看板作品」であるが、短編が載ったり、インタビューが載ったり、アニメの情報が流れたりするだけで、作品が毎号掲載されるわけではないからである。

*3:典型は契約であり、今回は契約が問題なので、以下契約で代表する。

*4:わかりやすく、かつ短くこの理を説明したものとして、「近代市民社会において望まれる市民とは、他人にあれこれ命令されて行動する人ではなく、自分の意思で周囲の人々との社会生活関係を築き、その代わり自分の決めたことに責任を持つ、つまり現代の言葉で言えば、『自己決定、自己責任』の考え方を実践できる人なのである。そこから、民法は、われわれ個人の『意思』を最も大切なものと考える。判断力のある一人前の市民に、自分たちの自主的な意思でお互いの社会関係を形作ってもらおうというのが、民法の基本的なねらいとするところなのである。」池田真朗著「スタートライン民法総則」p7参照

*5:0を1個多く書きすぎた!

*6:1万ドルを1万ポンドと書いた

*7:コミックバーズにはRozen Maidenは掲載されていない

*8:中略部分が多いのは、ドルとポンドを勘違いするという事例についての言及だから

*9:なお、「普通の人が」という留保をつけているのは、中には漬物石代わりに薄型テレビを買う人もいるかもしれないので、そういう個人的な場合を問題とするのではく、あくまでも「「一般人」を基準として考えるためである。例えば、「ダイエットできると思ったから納豆を買ったがやせない」という場合には、一般人は「誤判の供」として納豆を買うのであり「ダイエット」のために納豆を買う人は少数派であるから、要素の錯誤にはならない。ただ、96条2項の第三者による詐欺の要件を満たす場合に救済されるのみであろう

*10:この結論は、法曹資格のない一私人の私見です。こう主張しても、書店が抵抗すれば、Aは訴訟を提起して、錯誤の要件について(正確には重過失以外)立証していかなければなりません。

*11:正確には葉書に貼り付けるべきアンケート用紙

*12:http://www.new-akiba.com/archives/2007/01/_birz.html参照