- 作者: 伊藤醇
- 出版社/メーカー: 東洋出版
- 発売日: 2006/04/22
- メディア: 単行本
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一昔前までは、不祥事が起これば「隠す」というのが常道であり、「棺桶まで秘密を持って行く」社員が優秀な社員とされた。
時代は変わった。特に上場企業では、ステイク・ホルダー全体のために、「膿」を出しきることが求められており、完全な調査をして自浄作用を見せるのが、「信頼回復」の王道とされている。
このような調査を誰が担当するか。当初は、会社の内情を分かっており、調査や対策を会社の実情に即してできるということで内部者による調査が行わて来た。
しかし、内部者の調査には、「トップ不正の場合にトップを批判するのに躊躇し、『トカゲの尻尾切り』が起こりやすいのではないか」「ステイク・ホルダーの利益ではなく会社経営者の利益を尊重するのではないか」という疑義が生じた。もちろんしっかりした内部調査が行われることもあるが、第三者が見た時の信頼感といった、「外観上の正統性」という観点からも外部調査が望ましいとなった。
そこで第三者委員会による調査が盛んに行われるようになった。近時、日弁連の企業等不祥事における第三者委員会ガイドラインが公表され、金融庁等がガイドラインの使用を薦める近時の「デファクト・スタンダード」化している。
2.「Asahi Judiciary対談」と山一証券第三者委員会
このガイドラインを策定した久保利英明弁護士、國廣正弁護士、斉藤誠弁護士の三人の弁護士が Asahi Judiciaryで対談している。
第三者委ガイドラインを作った久保利、國廣、斉藤の3弁護士に聞く - 法と経済のジャーナル Asahi Judiciary
内容は、「きちんと調査した結果上場廃止になり、会社が消滅する可能性がある場合でも第三者委員会は調査・公表すべきか(積極)」等、興味深いテーマ目白押しである。
この中で、一つの段落が目に止まった。
■第三者委員会の歴史
――國廣さん、最近のご著書『それでも企業不祥事が起こる理由』にも書かれていますけど、山一証券の社内調査委員会に参加されて……。
國廣氏:1997年11月に山一証券が破綻して、12月に社内調査委員会が設置され、そこに外部委員として私が入りました。4カ月間ほどかけて、ほとんど泊まりがけで報告書を書きました。山一は、ある意味つぶれた会社ですから「やめてくれ」という圧力が無かったんですね。前例もなかったので期待もされてなかった。そういう幸運がいくつか重なって、「どの会議でどのように粉飾(飛ばし)が決定されたのか」「その後、どいう手法で隠し続けたのか」、さらに、「大蔵省はそれにどう関与していたのか」「自主廃業決定の最後のところで、山一と大蔵省との間でどういうやりとりがあったのか」、そういうところを全部書いた。だから、みんなびっくり仰天した。
それが、多分、わが国の調査委員会の第1号だったと思います。当時は「第三者委員会」という言葉も、「ステークホルダー」や「説明責任」という考え方も一般的ではありませんでしたが、この前、山一の調査報告書を見直していたら、第1ページ目に、「山一証券には今回の事件に関する事実を明らかにする義務がある。これは株主、顧客、取引先、職を失った全社員とその家族に対する義務であるとともに、本件の社会に与えた影響の重大さに鑑み、社会に対する義務である」と書いているんですね。これは、山一の役職員の「思い」を受けて自分で書いたものなんですが、当時から社長のためにではなく、ステークホルダーのために調査をするという意識があったんだなあ、と。
山一の調査報告書というのは高く評価され、続いて「法的責任判定委員会」というのができました。今度は純粋な第三者のみの委員会です。私はこの法的責任判定委員会の委員にもなり、関係者の法的責任の有無を判断することになったわけです。ここで約10名の取締役と粉飾決算を長年にわたって見逃してきた監査法人を「責任あり」とし、「山一は提訴すべきだ」という調査報告書を出しましたが、これは握りつぶされました。
久保利氏:公表されなかった。
國廣氏:されなかった。
なぜかというと10人は多すぎると言うんです、残っていた経営陣が。要するに、先輩たちの責任を問うのは情において忍びないということです。「監査法人を訴えるなんて正気の沙汰ではない」とも言われました。98年ころですから、監査法人を訴える前例などは無いと。
久保利氏:今は当たり前だけど。
國廣氏:私は一生懸命粘ったんですけど、結局そこで出てきたのは守秘義務、弁護士倫理、「カネを払ってるのはだれだ」。私は「いざとなったら自分一人で公表する」と言って騒いだんですけども、結局それはできなくて、結局それは公表されませんでした。
久保利氏:逆にいうと、つぶれちゃったものの強みだね。生きていると「公表しなきゃ大変ですよ」と言われたらむしろ「公表してしまえ」と、「悪かったのはこいつらであって、大勢の従業員たちではない」というふうにむしろ言えるかもしれないけど、山一はつぶれちゃってるから、発表しないでもらった方が好都合な人たちって実はいたわけだ。
國廣氏:いたわけです、法的責任の部分に関してはですね。もっとも、我々が報告書で「責任あり」と判定した人たちの一部に対しては、最終的には提訴したようですが、報告書自体は最後まで公表しませんでした。監査法人には最後まで訴訟を起こしませんでした。監査法人に訴訟を起こしたのは、破産管財人です。
第三者委ガイドラインを作った久保利、國廣、斉藤の3弁護士に聞く - 法と経済のジャーナル Asahi Judiciary - WEBマガジン - 朝日新聞社(Astand)より
これは一見、「昔は第三者委員会に理解がなく、せっかく第三者委員会が頑張って調査して提訴という解決策を提言したのに握り潰された」というエピソードのように見える。これだけを読めば、提訴しなかった会社は何をやっていたんだとなるだろう。
しかし、本当にそうなのか!?
注:以下は取締役の責任ではなく、監査法人の責任のみを検討する。監査法人と異なり、取締役側の言い分が分かる適切な資料がないからである。
3.「命燃やして」に見る監査法人の言い分
興味深いことに、後に管財人らに責任追及された監査法人の公認会計士である伊藤醇先生が、「命燃やして」という本を出されている。
この中では裁判所が監査法人は責任がないと判断したという事実が明らかになる。7件、後に併合されて4件となった訴訟のうち、和解で終わった一件以外は全て監査法人の責任がないと判断したのである 。
簡単に言うと、公認会計士は、粉飾を見逃しても自動的に責任を負うのではなく、「監査の失敗」つまり監査人としてすべきことをしない場合に責任を負う。監査には期間の制限や強制調査権がないこと等一定の限界があり、「監査の限界」で見逃しても法的責任は負わないのである。
伊藤先生の言い分によると、監査法人が提訴されるまで、監査法人が問題ありとしたのは「法的責任判定委員会」のみであるところ、法的責任判定委員会が杜撰な報告書を出したため、これに基づく訴訟が頻発したとのことである。そして、なぜ法的責任判定委員会の結論と裁判所の結論が異なったのかという理由について、伊藤先生は以下のように述べる。
誤った報告書を作成した原因は、山一事件の実態及び監査の内容を全く調査しなかったことに尽きる。
(中略)
監査責任を判定する委員会でありながら、監査責任の有無を「監査の基準」に照らして法的に、公正に判断することなく、取引の実体、監査の内容さえ調査せず、只管、監査責任を監査法人に課そうとしたのである。
(中略)
判決によって監査の過失を掲げた報告内容がいずれも事実無根であることは、法廷においても明らかにされた。山一の「法的責任判定委員会」の「最終報告書」は、真実には程遠い前代未聞の報告書であり、社会に大きな汚点を遺したと言える。
伊藤醇「命燃やして」62〜63頁
もし、伊藤先生が指摘されるような杜撰な報告書だったのなら、山一が、正気の沙汰でないといって監査法人を提訴しないのは正当であろう。報告書は残念ながら公開されず、本書にも要点が載るだけである。そこで、この点について明確な判断をする材料はない。
しかも、伊藤先生の本書の説明は「山一事件の本質を全て分かっている」ことを前提としており、バックグラウンド情報なしに読んでもよく分からないという問題もあった。
幸いにも、大阪地判平成17年2月24日(判時1931巻152頁)と大阪地判平成18年3月20日(判時1951号129頁)が公刊されていたので、その内容と併せ読むと、おおよそ以下のような実態が明らかになってきた。
山一は一般に信頼できるとされる信託銀行*1や国際的大手監査法人*2に虚偽内容の報告書等を出させており、監査法人はこれらの巧妙な隠蔽工作により求められる監査はしていたにも関わらず、粉飾決算を発見できなかったということのようである。
平成18年判決を解説した弥永先生も「本件においては、A1(注:山一)が構築した粉飾のスキームが巧妙であり、Y(注:監査法人)にとっての監査期間及び監査資源を前提とする限り、飛ばし(注:粉飾の手口)を発見できなかったという結果から、Yが正当な注意を払わなかったと判断するのは適当でないということもできる*3」としている。
*4判例で 認定された 巧妙な隠蔽スキームのうち、「信託銀行」スキームの概要を説明したい。信託銀行に財産を預け、運用については山一が指示するという口座を山一は持っていた。こういう口座があること自体は問題がないが、期末に「口座残高国債◯円分」とあれば、実際に◯円分の国債が置いてないといけない。これが、関連会社への貸付け等で流出していれば、大きな問題であえる。
山一は信託銀行に国債を預かってもらった上で、期末には信託銀行に「現物の国債が確かに◯円分あります」と報告させていた。
監査法人は、信託銀行のお墨付きがあるのだからと、異常な取引ではないと判断した。
ところが、実際には、信託銀行の国債はペーパーカンパニーに貸し付けられ、これが「飛ばし」と言われる粉飾決算の原資になったようである。つまり、信託銀行の報告書は誤っていたのである。
ここで、法的責任判定委員会は、記録上、国債が「*5期中に貸し付等されていたことが伺われる」ので、法的責任判定委員会は、監査法人がきちんと疑って調べるべきとし、監査の失敗と主張したようである。
しかし、監査法人の言い分はこうだ。「国債を信託する場合、ずっと保管するだけではなく適宜期中に貸し付けて運用すること自体あり得ることである。問題は、期末に「ある」とされていた◯円分の国債が貸付け等の形で流出していないかということであり、この点は、信託銀行の報告書に従う限り、流出の疑いを持つことはできなかった。」
裁判所は、監査法人の言い分を認め、「信託銀行作成の運用状況報告書に殊更真実と異なる信託財産の運用状況が記載ああれるとは通常想定し難い*6」として、監査法人の責任を否定した*7。
4.第三者委員会の「限界」を検証すべき
そもそも、 第三者委員会には、強制的調査権はないのに、よく知らない会社について、短期間に真相を究明しないといけないという限界がある。第三者委員会の判断が正しいことはよくあると思うが、常に正しい訳ではない。監査と同じで、「第三者委員会の失敗」や「第三者委員会の限界」はあり得るのだ。
そして、第三者委員会がもし誤って責任がない者を「有責」と判断してしまうと、その者は長期に渡って裁判の被告席に座らせられ、場合によっては人生を棒に振るような苦痛を味あわされる。
上記のように第三者委員会の判断と裁判所の判断が異なったことは、このような「第三者委員会の失敗」や「第三者委員会の限界」があったことを強く窺わせる*8。
果たしてこれが、伊藤先生の言うとおり「第三者委員会の失敗」なのか、それとも「第三者委員会の限界」なのかについては、判断材料がほとんどないのでコメント不能であるものの、第三者委員会隆盛の今だからこそ、山一証券法的責任判定委員会という「結果的に裁判所と違う判断となった」事案をもとに、「第三者委員会の検証」をすべきではないか。
なお、「ビジネス法務の部屋」の山口先生が第三者委員会が対象会社に嫌われる理由について分析されている。
ビジネス法務の部屋: 企業不祥事発生時の「第三者委員会」はなぜ嫌われるのか?
信頼関係維持の難しさや、第三者委員会による不正認定の問題等、極めて興味深い。
まとめ
第三者委員会は素晴らしいという印象が広がっている感がある。第三者委員会の「功」の存在自体は否定しないが、「罪」の面もクローズアップされてよいのでははいか。
そう、第三者委員会の問題を検証する第三者委員会でも作ってはどうだろうか。