アホヲタ元法学部生の日常

アニメを見て法律を思い、法律を見てアニメを思う法アニクラスタ、ronnorのブログ。頻繁にツイッター(@ahowota)に出没しております。メールはronnor1あっとgmail.comへ。BLJにて「企業法務系ブロガー」として書評連載中。 #新人法務パーソンへ #オタク流勉強法 #明認方法 「アホヲタ元法学部生の日常」(ブログ)、「これからの契約の話をしよう」(同人誌)、『アニメキャラが行列を作る法律相談所』(総合科学出版)等。

日本の政治問題に対しても示唆的? 〜「Republic, Lost(仮訳:失われた共和国)」

Republic, Lost

Republic, Lost

1.リア充ネタを楽しんでいただけのはずだった?
4月のある日、ツイッターでは、「リア充法制審議会」というネタが話題になっていた。要するに、リア充を法律で規制するとすれば、どうなるのだろう?」という方向性で大喜利をやっていたのである。
【政策】リア充法制審議会でありがちなこと【大喜利】 - Togetter
最初は、単なる冗談だったが、日本の立法制度の現状に対する問題意識が話題になり、その文脈で 一冊の積読本」の名前を出した。これが、「Republic, Lost(仮訳:失われた共和国)」である。
そうしたところ、@inflorescenciaさんと@satoshinr先生に書評を書くようにと勧められ、いわば「おだてられた豚」として、「木登り」をすることになった次第である。そもそも、英語は苦手な方であり、また、英米法はさっぱりであり、
というのは、当時の私の本音である。


2.どういう本なのか
本書の著者は、ローレンス・レッシグ教授である。憲法学者・インターネット法/知財法学者だが、たぶん日本では、インターネット法/知財法学者の側面が紹介されることが多いと思われる。クリエイティブ・コモンズの創設*1や、インターネットの規制手段の4類型*2という枠組等、レッシグ教授のインターネット法/知財法に関する理論の学問的な影響や実務的な影響は、アメリカのみならず、日本においても大きい。
しかし、少なくとも初期は、統治に関する論文を積極的に書かれる、憲法学者でもあった。そして、著作がインターネット法や知財にやや偏っていた時期を経て、最近再度著された憲法学(統治機構)に関する主要な著作が、本書なのである。

さて、タイトルからすると、本書は、「Republic(共和国)」に関するものである。そして、それが「Lost(失われた)」というのである。本書によれば、共和国とは、その政治が有権者のみに依存する政体*3をいう。これが失われたというのは、要するに、政治が有権者以外*4に依存しているように見え、そして、有権者がそれにより政治に対する信頼を失ったことを指す。

本書は、極わずかな少数の富裕層による政治資金によって、政治過程が歪曲していると主張し、これを「腐敗」であると批判しているのだ。


3.各章の構成
本書は21章構成になっており、4つのパートに分かれている。
パート1は、病の性質と題して、問題点への導入を図る。
第1章で提示されるのは、依存という概念である。ある医学部の教授は、ある治療方法を生徒に教えている。その治療のためにはいくつかの種類の薬を使える。ある製薬会社は、その教授に、講演会でスピーカーを務めてくれと依頼する。定期的に仕事が来るし、支払いもいい。教授はその収入に依存するようにあなる。製薬会社は、教授がどの薬を使うよう薦めているのか知っている。お互い何らかの約束している訳ではない。著者は、このような状況を、依存の1つのカテゴリーとして取り上げる*5。講演によって得る「金銭」と「教授が推薦する薬」の間に因果関係があるとまでは言わない。しかし、教授の行う推薦の客観性が下がりますよね、ということである。この類の依存による腐敗を著者は、依存性腐敗(dependence corruption)と名づけた*6
著者は、アメリ憲法第1編第8節第9項*7を引く。

合衆国は、貴族の称号を与えてはならない。合衆国から報酬を受け、またはその信任を受けて官職にある者は、連邦議会の同意を得ることなく、国王、公侯または他の国から、いかなる種類の贈与、俸給、官職または称号をも受けてはならない。

起草者が恐れていたのは、このような依存性腐敗がアメリカで生じることであった*8

第2章では、研究結果とそれに対する資金提供に関する2つの例が挙げられる。乳児用の「おしゃぶり」に使われる科学物質の安全性、携帯電話の身体への影響。数百の研究をその研究のための資金源(どこの研究助成を受けているか)によって分類すると、どれも、業界によって資金援助された研究と、業界と無関係の資金源の場合の研究では、その結論がきれいに分かれる*9。ここでも、この2つの間に因果関係があるというのではなく、そこに、「公平性が疑われる」関係があるという指摘である。そして、この公平性が疑われる関係というのは、裁判官であれば忌避事由に該当する。市民の司法制度への信頼を害するからだ*10
第3章では、著者の立場が明確にされる。著者は別に政府を魔物が裏で操っているとか、議員たちが不真面目で怠け者だというつもりはない。著者が問題にしているのは、民主主義の屋台骨を揺るがすやり方で、善人(である議員)が依存してしまっていること、そして、善人(である有権者)が、その依存の姿を見て最悪の事態が起こっているとみなしているということである*11


パート2は、具体例について語る。
第4章は、「自由な市場」に関し、農業、特に砂糖やトウモロコシへの補助金や保護的関税がどれだけ「悪い政策」であるかを語り、その上で、砂糖業界やトウモロコシ業界が大量の政治資金を流し込んでいることを示す。悪い政策と、政治資金、この2つの事実は、どうしてその政策になっているのかに関する読者の判断力に影響を与えるだろうか*12
第5章は、「効率的な市場」に関し、環境問題も著作権問題も、どちらも、外部性の問題であるところ、著作権問題では迅速に法改正が行われるのに、環境問題では、行われないことを示す。その上で、環境問題では現状維持派の政治資金が、改革派よりも圧倒的に多いのに対し、著作権問題では、法改正を目指す既得権益からの政治資金が、反対派よりも圧倒的に多いことを示す。悪い政策と、政治資金、この2つの事実は、どうしてその政策になっているのかに関する読者の判断力に影響を与えるだろうか*13
第6章は、「教育問題」に関し、教育問題、特に、一定の教師に終身雇用が適用され、無能教師の首を切れないことがどれだけ「悪い政策」であるかを語り、その上で、教師組合が大量の政治資金を流し込んでいることを示す。悪い政策と、政治資金、この2つの事実は、どうしてその政策になっているのかに関する読者の判断力に影響を与えるだろうか*14
第7章は、「金融システム」に関し、金融政策について現在の政策がどれだけ「悪い政策」であるかを語り、その上で、金融業界が大量の政治資金を流し込んでいることを示す。悪い政策と、政治資金、この2つの事実は、どうしてその政策になっているのかに関する読者の判断力に影響を与えるだろうか*15
第8章では、これらの具体例のまとめとして、アメリカ人の75%は、政治資金が議会の(投票)結果に影響を与えていると信じており、それは、共和党支持者でも民主党支持者でも同じように高率だという調査結果を引く。われわれ有権者は、単に誤解しているだけなのだろうか?*16


パート3は、本書のうちのまさに本論というべき部分である。
第9章は、「政治とカネ」が問題となった経緯を語る。(民主党の)ジョンソン大統領による公民権確立により、民主党の長年の優位が揺らいだ*17。そのため、いつ民主党が勝っても、共和党が勝ってもおかしくない政治状況が生じた。その結果、現代的な「政治資金集めをする議会」が誕生した訳だ。政治資金依存の状況において、ロビイスト達が政治資金の出し手と政治家の間にうまく入り込んだ。そこにあるのは、交換経済ではなく、贈与経済である。つまり、直接的な政策と引き換えの資金提供(賄賂)は例外的であり、そこにあるのは、具体的な政策実現と紐付けられていない政治資金の提供(贈与)により、徐々に公衆のための使命を忘れ、政治資金の出し手への忠誠心を高めていく政治家の姿である*18。そして、元議員は、議員時代の人脈を生かしてロビイストとなり、システムは再生産を繰り返す*19
第10章は、再び憲法の条文が出てくる*20。起草者の考える共和制という政体が、その政治が有権者のみに依存する政体*21をいうとした上で、憲法の様々な条項がこの目的を実現するためにあると指摘する。
その上で、実は政治資金が政策に影響を与えているという確実な因果関係を示す資料は少ない、ないしは、確実な因果関係があると実証はされていないと指摘する*22
実証研究によって因果関係が証明されていなくても、なお、この問題は喫緊の対処すべき問題である*23。その理由は、資金集めのために議員が忙殺され、委員会や本会議等に集中できないこと*24、貧富の差が開く中、一般の有権者の問題関心と、利益団体の問題関心が異なっていること*25、多くの有権者が政治への信頼を失っていること*26である。
第11章、第12章は、改革の声が政治資金によって潰される姿を描いている。著者はオバマ大統領の支援者であったが、オバマ大統領が公約した政治システムの変革はなされず、たとえば、医療保険改革で、いかに製薬業界が「焼け太り」したか*27や、単純な税制への試みがなぜ失敗するか*28が描写される。
第13章では、「政治資金を集めるためにまたお金がかかる」という統括政治資金団体の実態や、議会職員がロビイストになる姿等を描き出す。
第14章では、2種類の腐敗として、人が腐敗というとすぐに思い浮かぶ賄賂はあくまでも腐敗の1つのカテゴリーに過ぎず、依存性腐敗という問題があるとする。ここでは、近年の政治に関する最重要憲法判例であるCitizens United v. FEC(2010)について議論がなされる*29日本でいうところの八幡製鉄事件のアメリカ版とまで単純化すると専門家の方に怒られてしまうだろうが、要するに最高裁は、企業献金規正法を修正1条(表現の自由)違反としたのである*30。いまや、アメリカ人で議会を信頼している人は11%に過ぎない*31


最後のパート4は、解決策ということで、著者の提案が示される。
第15章は、政治資金を透明化しても、それでは不十分であり、また、実務的には寄付の匿名化も不十分だとする。
第16章では、フランクリン・プロジェクトを取り上げる *32。要するに、有権者は最低50ドルを税金として納めているだろうから、この50ドルについて有権者それぞれが自分の支持する政治家に行くように指定できるようにする、そのお金をもらいたければ、政治家は、一人の支持者から(50ドル以外に)100ドル以下しか受け取ってはいけないというものである。
第17章では、1つ目の解決策が提示される。通常通り政治資金等に関する改革を行う法律が両院で通過し、大統領が署名すればいい。しかし、これには著者自身懐疑的である*33
第18章では、2つ目の解決策が提示される。例えば、選挙を市民の手に取り戻そうと訴える素人が、議員選挙で10%の得票を得れば、それはニュース価値が高い出来事だろう。憲法上同じ州内の複数の選挙区に出馬できることから、素人が、選挙を市民の手に取り戻すことに消極的な現職のいる選挙区に出馬し、大量得票を得るという「平和的テロ」は改革を引き起こせる可能性がある。この手法の成功率について、本書は楽観的に見て5%だとする*34
第18章では、3つ目の解決策が提示される。それは、政治資金への依存からの脱却を訴える大統領が当選し、大統領の権力を使って改革を行うというものである。改革法が通ったら、その時点で辞任する*35。実際に、レーマー元ルイジアナ州知事は、2012年の大統領戦において改革の実現を訴えたが、泡沫候補扱いされて終わった。その理由は、まさに、レーマー元州知事が、100ドル以下の寄付しかもらわないと主張し、それが勝てるわけがないとの評判を招いたからである*36。この手法の成功率について、本書は楽観的に見て2%だとする*37
第19章では、4つ目の解決策が提示される。この案は、まさに憲法学者らしいもので、長年使われていなかった、3分の2の州の請求による憲法改正会議(constitutional convention*38)を開催するという条項を使うというものである。通常は、連邦議会憲法改正を発議しており、憲法制定会議は最初の憲法制定の際に行われたきりである。しかし、憲法改正会議こそが、(「腐敗」した)連邦議会のイニシアチブを回避して、憲法を改正できる迂回路である。この手法の成功率について、本書は最低でも10%はあるとする*39
第20章は、これら4つの中のどの解決策を追求すべきかというと、これまでにない後3者の方に優越性があるとする。それは、アメリカの政治は、前例がないこれらの政治プロセスに対する対応の準備ができていないからである。もちろん、それでも確率が低いことは事実である。このような成功の確率が低いことをやろうというのは不合理かもしれない。しかし、わが子に対する不合理性を人は賞賛するではないか。国に対する場合と何が違うのか*40。これが、著者の主張である。


4.本書の意義
本書は、以下のとおり、非常に重要な意義を有する。
第1に、アメリカの憲法統治機構)および政治に関する知見がないと、本書を理解することが難しい、逆にいうと、本書を理解する中で、憲法と政治に関する理解も深まるということである。
たとえば、日本では、政党交付金制度と政治資金規正法が合憲と解されているが、アメリカの憲法感覚は大分日本とは違うようである。たとえば、上述のフランクリンプロジェクトについて、様々な細かな規定を説明しており、その中でも、自分の信じない表現(嫌いな政治家)を助けるために有権者個人のお金が使われないようにすること*41が重要だとされているが、この観点からは、有権者から集めた税金について、それぞれの有権者の指示する人ではなく、議員数および得票数に基づいて交付する、日本の政党交付金は大丈夫なのだろうか政治資金規正法はCitizens United判例から見ると大丈夫なのか等、日米の憲法感覚の違いを顕在化させてくれる



第2に、本書の指摘する 「政治とカネ」とそれによる国民の政治不信の問題は、日本でも同じように社会問題化している。もちろん、アメリカと日本では、政治システムが違う*42以上、ここで議論されている内容はそのまま日本の政治状況にあてはまる訳ではないし、解決策も日本でそのまま使える方法ではないものも多いだろう。しかし、本書の切り口である「賄賂とは異なる意味での『腐敗』」とか、「金と政策の因果関係ではなく、この2つに関係があると有権者が疑って政治への信頼を失うことの問題」等は、分析の観点として、日本でも有益なように思われる。


第3に、レッシグ教授、および教授が現在行っている運動への理解を助ける。教授は、単なる象牙の塔の人間ではなく、クリエイティブ・コモンズ運動等、社会運動を担ってきた。最近の運動としては、Change Congress(仮訳:国会を改革せよ)、Rootstrikers(仮訳:諸悪の根源を叩く者達)、憲法改正会議運動等が挙げられる。本書第5章でも著作権について言及があるが*43著作権等のインターネットや知財法に関する活動をする中で、教授が議会に問題があることに気づき、関心が知的財産権から政治腐敗に移った。まさに本書は、教授のこの関心の変化を示す書といえ、後々、 「この本を執筆した頃にターニングポイントがあった」と言われるであろう本といっていいだろう。


5.本書への疑問
もっとも、もちろん本書には疑問がなくもない。
まず1点目は、「今実現されている政策は、本当に『悪い政策』なのか?」という点である。本書の前提は、悪い政策が実際に行われているところ、その悪い政策の受益者が多くの政治資金を出しているという部分であり、悪い政策だからこそ、国民の信頼が失われる。しかし、例えば、第6章で批判されている教育政策について言えば、私の知り合いで、アメリカの大学院で教育学を学んでいる人に聞いてみたところ、上司ないし管理職が教師に不当な介入をすることがあり、実際に、アトランタで教育長らが、教師に統一テストの成績を上げるよう強いプレッシャーを掛け、集団的な成績改ざんが起こった事件等もあったらしい。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/america/642396/
知り合いによれば、アメリカの教育学においても、教師がこのような介入から独立して子どものためになる教育をするためには、終身雇用は重要であるという考えが有力であるということである。
もちろん、私は、どちらの考えが正しいのかを論評する立場にはないが、第4章から第7章の例について本当に「悪い政策」が実現されているのかという点は検討の余地があろう*44


2点目は、上記の第9章の「政権交代が現実的に可能になったから政治資金が必要になった」という議論の直後に、(政治資金を集めるために、極端な主張をする傾向が生じてきたという文脈で、)「安全な議席つまり、落選のおそれのない選挙区が多いという議論がされている。

(略)少なくとも、下院における85%の選挙区が安全な議席であり続けた。(at least 85 percent of the districts in the House remained safe seats)
ローレンス・レッシグ「Republic, Lost仮訳:失われた共和国」97頁

この2つの議論は、一応、「安全でない15%の選挙区の結果で党としての勝敗が変わるから、すべての選挙区で政治資金を集めないといけないが、85%の選挙区では負けることはないので、一見選挙区民に嫌われそうな極端な主張をすることが(政治資金を得る上では有効なので)頻繁に見られるようになった」という形で、相互に矛盾しないように考えることもできるのだろうが、やや方向性が逆を向いている気もしており、個人的には違和感が残るところである。


3点目は、そもそもの政治観であり、例えば、長谷部教授は、政治は、魑魅魍魎である利益団体がその利益を実現しようと蠢く世界という割り切りをされる。いわゆる経済的自由権に関する消極目的と積極目的の審査基準の違いで、なぜ積極目的について裁判所が審査を謙抑的に行うべきだが、消極目的について審査を積極的に行うべきかといえば、積極目的というのは、まさにその利益団体の主張が「建前」レベルで表明されているということであり、その上で国会がこれを通した以上、裁判所はそれを尊重しましょう、しかし、消極目的というのは、「世の中の人々のため」ということだが、本当に世の中の人々のためなのか、本当は単に一定の利益集団の利益を実現するためだけれども、それをうまくカモフラージュして、国会を通しやすくしたのではないかという問題があるから、裁判所がきちんと審査するべきだという議論である*45このような政治観を推し進めれば、著者が問題とする、「政治が国民のみに依存しておらず、利益集団に依存すること」というのは、「それ自体を変革すべき」という話よりも、それが政治の現実なのだから、裁判所の違憲立法審査のレベルでこのような現実を踏まえた審査基準の使い分けをすることの方が重要ということになるのかもしれない。


いずれにせよ、これらの疑問は、私の英語力の問題による可能性が高い。私は基本的には、洋書の段階では読まず、和訳されるのを待って読むというのが通常の読書行動である。その意味で、誤読等があれば、皆様にご指摘いただきたい。

まとめ
ローレンス・レッシグ「Republic, Lost(仮訳:失われた共和国)」は、アメリ憲法および政治を理解するのに有益でり、日本の「政治とカネ」の問題等にも応用し得る考えを示す等、重要性が高い。この重要性に鑑みると、ぜひ早急に日本語訳を出版していただきたい
 私の英語力のせいで十分に理解できなかった部分はあるものの、邦訳が出た折には、もう一度読み直し、レッシグ教授の真意を汲み取って再度レビューをしてみたいと思っているところである。

*1:http://creativecommons.jp/;title

*2:http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/blog/media/7/20111019-81_5.pdf参照。

*3:128頁

*4:具体的には、政治資金の出し手である一部の富裕層。

*5:本書15、16頁

*6:本書17頁

*7:この記載方法は、樋口範雄「アメリ憲法」12頁による

*8:18頁

*9:21〜28頁

*10:30頁

*11:39頁

*12:52頁

*13:60頁

*14:66頁

*15:85頁

*16:88頁

*17:公民権確立の演説前、止めに入る側近に「大統領の任務は何だ?」と言ったというエピソードは印象深い。93頁

*18:110頁

*19:123頁

*20:129頁以下

*21:128頁

*22:Stephen Ansolabehereの研究等、134頁以下

*23:138頁

*24:138頁以下

*25:142頁以下

*26:166頁以下

*27:178頁以下

*28:199頁以下

*29:238頁以下

*30:238頁

*31:247頁

*32:265頁

*33:274頁

*34:279頁

*35:288頁

*36:283頁

*37:289頁

*38:第5編、なお、制定時のConstitutional Conventionは憲法制定会議が定訳と思われるが、今回問題としているのは、改正のための会議convention for proposing amendmentsなので、憲法改正会議とした。

*39:304頁

*40:306頁

*41:267頁、つまり、自分が出し手となっている50ドル分の配分は自分が決められること

*42:日本において、自国の政治体制を示す意味で「共和国」「共和制」といった言葉がほとんど使わないのは1つの例であろう。

*43:ただ、本書全体で見るとあまり著作権の例を挙げていない

*44:なお、教授の立場からすると、問題は、「有権者が『悪い政策』と思うか」であり、「本当に悪い政策かどうかは問題ではない」という反論がされる可能性がある

*45:かなり乱暴に要約してしまいました。