- 作者: 和田俊憲
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2013/11/07
- メディア: 新書
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1.はじめに
「鉄道と刑法の話」は、鉄道オタクの刑法学者である和田俊憲教授が、「鉄道と刑法」という内容で半年の演習が成立したことに触発されて「書斎の窓」で連載された、「鉄道と刑法(1)〜(10)」に大幅に加筆したものである。ガソリンカー事件、三鷹事件、松川事件等の刑法を学ぶ者は誰しも知っている有名な事件から、マニアックだがうならせられる事件までを縦横無尽に駆使して法律と刑法の関係を描き出す、「則鉄(のりてつ)」必読の、「法鉄学」の最良の書である。
ところで、ひるがえって考えてみると、これは、「鉄道だけについて成立するのか」という思いにかられる。和田教授は「法律関係者には鉄道好きが多い」とおっしゃる*1が、鉄道に限らず、法律関係者にはオタクが多いようにも思われる。じゃあ、「オタクと刑法の話」で半期の演習は成立するのだろうか。
そういう思いに一度捕らわれると、実際にやってみたくなるのが人間というものだ。アイドルオタク、鉄道オタク、そしてアニメオタクを題材にした3つの判決を元に、オタクと刑法のお話の始まり始まり。
2.握手権は有価証券?
アイドルオタクと刑法といえば、最近の凄惨な事件を除けば、握手権偽造が有価証券偽造罪になるか否かが問題となった東京地判平成22年8月25日が外せない。
そもそも、権利、義務若しくは事実証明に関する文書(私文書)を偽造すれば、私文書偽造罪で三月以上五年以下の懲役である(刑法159条1項)。しかし、偽造したものが「有価証券」だと、三月以上十年以下の懲役と、刑の長期が2倍に伸びる(刑法162条)。要するに、握手権というのを単にアイドルと握手できる権利を証明する文書に過ぎないと考えれば私文書偽造罪で軽い刑になるが、これが「有価証券」だと刑が重くなるのである。当然、弁護人は、握手権は有価証券ではないと主張して、激しく争った。「AKBの握手券」は、「有価証券」なのだろうか?
有価証券の代表例は、国債、手形等であり、これまでの教科書で握手券を明示的に有価証券だと述べたものは、私の知る限り存在しない。しかし、有価証券かどうかは、有価証券の典型例と似ているかどうかではなく、刑法がなぜ有価証券偽造罪という犯罪を定めているのかから考えるべきである。上述のとおり、ある文書が「有価証券」だとすると、刑が重くなる。その意味は、それだけ国家として偽造を防ぎたいのであるから、有価証券とされるものは、単なる権利、義務若しくは事実証明に関する文書についての取り扱いを超える手厚い法的保護が必要なものでなければならないだろう*2。
ここで興味深いのは、各法律間における有価証券の定義の違いである。有価証券という語は、代表的には、民商法、金融商品取引法、そして刑法で用いられる。
民商法*3における有価証券は、概ね財産的価値ある権利を表章する証券であって、権利の行使および譲渡に証券が必要とされるものをいうとされている*4。定義だけを読むと砂を噛むようでなかなか分かりにくいのだが、概ね、「別の方法で権利を証明して権利行使ができるのか」を考えればいいというわけだ*5。例えば、「借用書」は、これがなくても貸し借りの立ち会人の証言等があれば貸したことを証明して権利を行使できるので、民商法上の有価証券ではない*6。また、例えば、クロークの携帯品預かり札(例えばコートを預けた時にもらうもの)は、これをなくしても、例えばコートの裏地に縫い込まれている名前等から、自分のコートであることを示せばコートは返してもらえるので、民商法上の有価証券ではない*7。
これに対し、金融商品取引法上の有価証券は特殊である。ある方の整理によれば、民商法上の有価証券(+α)*8に加え、有価証券に表示されるべき権利*9、特定電子記録債権(法2条2項中段)、いわゆる「みなし有価証券」(法2条2項後段・各号)の計4種類があるという*10。これは、要するに、「投資者保護」のために何を規制すべきかという観点から、民商法上の有価証券に限らず、広く投資対象を列挙しているものと理解される*11。
最後が、まさに今回問題となった、刑法上の有価証券である。判例は、*12財産上の権利が証券に表示され、その表示された権利の行使又は移転に通常その証券の占有を必要とするものを指称する(最判昭和34年12月4日民集13巻12号3127頁)としており、この「通常」という辺りから、民商法上の有価証券をベースに、普通の文書以上に保護すべき必要性が高いものを追加しよう(民商法上の有価証券+α)という最高裁の態度が見え隠れする*13。
分野 | ポイント | 理由 |
---|---|---|
民商法 | 財産的価値を示すもので、証券がないと権利行使ができないもの | 権利取引の円滑確実性の保護 |
金商法 | 民商法上の有価証券に加え、証券が発行されていないもの等についても広く含む | 投資者保護のために規制が必要な投資商品を広く含む |
刑法 | 民商法上の有価証券をベースとしながら、法的保護の必要性が高いものは加える | 有価証券偽造を私文書偽造よりも重く罰するのは、その分高い法的保護の必要性があるから |
AKBの握手券は、(少なくとも本判決で問題となった握手券に関する限り)CDを購入すると、CD1枚につき1枚の割合で受け取ることができ、握手会のイベントにおいて、握手券と交換で券面上に記載されたメンバーとの握手をすることができる。すると、有価証券の定義について上記のように考えると、まさに、証券(握手券)がなければ(握手会で握手するという)財産上の権利を行使できない以上、握手券は、刑法上の有価証券と考えられる。
この意味で、握手券偽造事件においては、検察側がそもそも優勢な事案であった。これに対し、被告人側は、握手券が表象しているのは「財産上の権利」ではないとして争ったのである。弁護人は、握手券は、発売されたCDに同封されていた付属物にすぎないし、表象された権利自体は金銭的価値を評価することができないと主張した。握手券は、CDを買った場合のただのオマケに過ぎず、AKBに興味がない人にとって、メンバーと「握手」ができることに何ら経済的価値を見出し得ないのであって、主観的にうれしいと思う人がいる(主観的価値)以上に、客観的にみて経済的価値があるものとは言えない、とまあそんな感じである*14。
裁判所は、弁護人の主張を採用しなかった。被告人自身、対価を受ける約束で、偽造握手券を渡しているし、ネットオークション上で出品されており、財産的価値の存在は明らかだとしたのである。結局、被告人に対し、懲役1年6月執行猶予3年の判決が下された。
被告人が犯行に至った動機は今一つわからないところがあるが、どうも、偽造の握手券を流通させて混乱を生じさせたいというものだったようである。ファン以外には価値はないものでも、オークション等の社会的実態からみて財産的価値がある権利を示していて、その権利を行使するのに証券が必要な握手券は有価証券であるということを明確に示したこの判断は、アイドル業界に限らず、「おまけ」として様々な引換券が現代のビジネスにおいて広く使われていることに鑑みれば、そのようなおまけとしての引換券を使ったビジネスが、偽造券により混乱しないよう、強力な「有価証券偽造罪」が守ってくれることを示していると言え、アイドル関係に限らない意義を持つ判断と言えるのではないか。
3.鉄道オタクだから無罪?
和田先生が挙げられなかった鉄道関係裁判例に、東京地判平成24年4月19日がある。これは、窃盗未遂事件について、被告人が鉄道オタクであることを理由に無罪とされた事案である。
この事案は、被告人は、夕方7時頃、新宿駅停車中の埼京線の車内で、スリをしようとして隣の人のトートバッグに左手を差し入れたとして、警察官に現行犯逮捕された事案である。捜査機関としては、警察官がスリの現場を現認してその手をつかんで逮捕したのだから、間違いなく有罪と考えていたものと思われる。
しかし、埼京線車内には防犯カメラが設置されていたところ*15、その映像は、警察官の証言と異なっていた。警察官は、被告人がバッグに手を入れたところで手を掴んだが、被告人がものすごい勢いで手を引っこ抜いたと証言した。しかし、防犯カメラ映像上、被告人の手は大きく動いていなかったのである。しかも、逮捕した警察官と同行していたもう一人の警察官は、逮捕時には被告人は手はバッグに入っていなかったと証言したのである。
検察官も、逮捕した警察官の証言の信用性が揺らぎつつあることは感じていたのだろう。検察官は、被告人の信用性を徹底的に突き、「無罪と言っている被告人は、こんなにおかしいことを言っている/やっている、こんなに怪しい」と主張して、無罪という判断を避けようともがいた。
この事案の被告人の行動は、確かに、普通の人としてはおかしな行動を繰り返していた。例えば、パスモの履歴によれば、「赤羽駅で入場してから池袋駅で出場するまでに1時間40分以上」かかっていたり*16、電車に乗って駅間を往復する行為を行ったりしていた。検察は、こんな「おかしな行動」をした理由は、スリのターゲットを探していたからに違いないと主張した訳である。
しかし、その検察官の唯一の望みは、ある1つの事実によって粉砕された。そう、被告人は鉄道オタクだったのである。「通常の交通手段として電車を利用した状況とは考えにくいものの,他方において,被告人が鉄道ファンであり,電車の車両や運行状況などに興味を持って調べていたことも証拠から認められるところであり,被告人が鉄道の乗車状況やその理由として供述するところを直ちに排斥することもできない。」等として、裁判所は、被告人の一見怪しい行動は、鉄道オタクであることから説明が可能だとしたのである。
状況にもよるだろうが、多くの場合、満員電車で他人のバッグの近くに手が行ったり、バッグに触れる程度であれば、よくあることで、よっぽどの事情でもない限り、それをもって「スリ」とか「窃盗未遂」と言えることは難しい。しかし、他人のバッグの中に手が入るという状況は、逆に何か事情がなければ、それは客観的に見て「バッグの中のものを盗もうとした」と見られてもやむを得ないところがある。だからこそ、逮捕した警察官の、被告人の左手がバッグの中に差し込まれたという証言が信用できるかが本件では決定的に重要であって、この決定的に重要な証言が防犯カメラの映像とも矛盾し、同僚の警察官の証言とも異なる、信用できないものである以上、他の事情が何であれ無罪とすべき事案と言えるだろう。それにもかかわらず、検察が、被告人が怪しい言動をしていると主張するのは、はっきり言って苦し紛れであり、裁判所がそれを排斥したのは正しい判断と言える。
もっとも、私の狭い範囲の経験では、本件のように、検察が、要するに検察側証人の証言と、被告人の主張、どっちが信用できるんですか?という論法を使って、怪しげな検察側証人の証言をもとに被告人を有罪*17にしようとする例は実は結構あるように思える。そもそも、怪しくない人は逮捕・勾留・起訴されないのであって、被告人になった以上は、何らかの「怪しい」*18ところがあるのは当然である。だからこそ、裁判官、裁判員は、被告人の表面上の怪しさに目を狂わされることなく、果たして検察官は、提出した証拠・呼び出した証人の証言により、被告人の有罪を合理的疑いを容れない程度に立証できたのかを判断することが重要である。
本判決は、被告人の外見上の「怪しさ」が、鉄道オタクであることから合理的に説明された事案であるというだけではなく、刑事裁判における裁判官・裁判員のあるべき判断手法を学ぶという意味でも意味のある判決であろう。
4.ガンダムファンだから無罪?
最後に紹介するのが、東京高判平成22年1月26日である。本件は、一言で言えば、エスカレーターでの盗撮事案であり、「被害者」の女性が膝の後ろ辺りに何かが触れる感じを覚え、直後に電子音が聞こえたので、後ろで携帯を握りしめていた被告人が盗撮したものと判断し、すぐに被告人を取り押さえたという事案である。駅員に事情を聴取された際、「どうしたの,盗撮しちゃったのか,まだ若いんだから,素直に認めて謝りなさい。」と言われて「はい、はい」と素直に応じており、状況証拠的にはかなり有罪は固い事案であったと言える。
本件で興味深いことは、被告人がアスペルガー障害を負っていること、及び、被告人の携帯に被害者のスカートの中の画像が残っていなかったことである。後者の、画像が残っていない点については、被告人は、駅員から「画像をどうしたの。」と問われて、「消しました。」と返事していたことから、検察は、盗撮後画像を消したのだと主張していた。
被告人は、自分はアニメオタクであり、携帯電話でガンダムの画像をいくつか切り替えながら見るのに熱中していたことから、偶然持っていた傘が前に立っていた女性の足に当たってしまっただけであり、女性が聞いた電子音は、画像切り替え時の音であると主張した。実際、女性を証人尋問に呼んでみると、足に何かが触れたのは一瞬のことで、携帯か傘かを判別できないと証言しており、また、女性は、聞いた電子音は短いものだったと証言したが、被告人の携帯で写真を撮った時には、「かっしゃ〜ん」という長い電子音がするのであって、現行犯性を裏付ける事実はどんどん崩れていった。
数少ない重要な発言としては、「消しました」という発言がある。検察は、盗撮画像を消したと認めたものだと主張した。しかし、被告人は、「その時見ていたガンダムの画像の画面を消した」という趣旨だと述べた。裁判所は、被告人が、アスペルガー障害で、一つのことに過剰に集中する性格であることに着目した。つまり、被告人は当時ガンダムについてのみ集中しており、「画像をどうしたか?」という質問はガンダムのことを言っているとしか聞こえなかったとしても不思議ではないとしたのである。
最後に残った被告人に不利な事実が、検察官が非常に詳細で迫真的な自白調書を取っていたことである。自白調書によると、被告人は、「1週間に3,4回恒常的にエロビデオを見る生活」をしていたところ、ビデオのシーンが浮かんで盗撮に至ったのだそうである。このような説明は、何も知らない人が聞くと「なるほど」と思ってしまいがちである。ところが、これは検察官による真っ赤な作文だったのである。
被告人は,幼稚でアニメキャラクターにのめりこみ,およそ女性への関心が薄いことが認められ,被告人が1週間に3,4回恒常的にエロビデオを見るような生活をしているということはあり得ないというのである。さらに,被告人がレンタルビデオ店において,アニメ等のDVDを借りていることはうかがえるものの,アダルトビデオ関係のDVD等を借りている状況は全くうかがえず,被告人の趣味はガンダム(ロボット)などのアニメであることが明らかである。
東京高判平成22年1月26日
こうして、被告人は無罪になったが、アスペルガー障害のために誤解を招く言動をした被告人について、警察・検察段階で障害に一切配慮せず、むしろ、その性格を悪用して、捜査機関の思うがままの「作文」を書いた自白調書に署名をさせて、有罪にしようとしたことが濃厚である。
被告人が猛烈なアニメファンで、アニメキャラクターにのめりこみ,およそ女性への関心が薄いことや、大量のアニメビデオを借りていたこと等から、検察官の作った「作文」のウソが明らかになり、本件の被告人は無罪となった。しかし、被告人は、地裁では有罪となっていたのであり、高等裁判所で、大変な思いをしてやっと冤罪を晴らすことができたのである*19。
アニメファンであることを1つの理由として無罪となったこの事案は、捜査機関による不当な取り調べが行われていることや、自白調書が(それが表面上迫真的で生き生きとしていても)いかに信用できないか等を教えてくれる重要な事案である。
まとめ
オタクがからむ3つの刑事事件は、それぞれ、重要な意義を持つものであった。
「鉄道と刑法の話」だけではなく、「オタクと刑法の話」も、研究テーマとして面白いのではないだろうか。
*1:和田「鉄道と刑法の話」3頁
*3:民法にも若干の規定があるが、大部分は商法に規定されている。そこで、「商法」上の有価証券という文献もある。大コンメンタール刑法第8巻248頁以下参照。
*4:森本滋『商行為法講義第3版』166頁、なお、学説上の対立は概ね株券の扱いについてのものである
*5:要するに、権利利益の流通が円滑確実にするために、券面なくして権利行使できなくしているものが有価証券なのだから、別の方法で権利を証明して権利行使ができるなら有価証券ではないということ。
*7:いわゆる、「免責証券」
*8:「金商法2条1項各号の有価証券」
*9:有価証券表示権利、法2条2項前段
*11:森本商行為法講義166頁
*12:実は、その2年前に、最判昭和32年7月25日刑集11巻7号2037頁というものもあるのですが
*13:この点について、『大コンメンタール刑法第8巻』250頁参照。そしてこのように考えているからこそ、最高裁は、上記昭和34年最判において、増資新株式申込証拠金領収書という権利が本当に証券に化体されているか疑わしいため、民商法上の有価証券とはいえなそうなものでも、経済価値をもって流通する以上は刑法上の有価証券として保護するという態度を取っている。『大コンメンタール刑法第8巻』257頁
*14:なお、判決文からの推論である。
*15:なぜ埼京線に設置されているのかは、分かりますよね?アレですよ、アレ。
*16:ちなみに、普通に行けば8分である。
*17:フォロワーの方(@ushimilksan様)に誤記のご指摘頂きました。ありがとうございました。
*18:それは、本件のような、本人の言動が「怪しい」場合もあれば、例えば、「(足利事件のような)誤った鑑定書がある」とか、「(村木さんの事件のような)まったく事実無根であるにも関わらず、『犯人だ』と供述する人がいる」とかそういう場合もあるだろう。
*19:なお、その後、国家賠償が認められている。横浜地判平成24年10月12日参照。