- 作者: 中山信弘
- 出版社/メーカー: 有斐閣
- 発売日: 2014/10/27
- メディア: 単行本
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1.感情がこもった本の面白さ
学者の書く学術書は、客観的な観点から、冷静沈着にというものが多い。
しかし、一部、その著者の感情が浮かび上がる記述スタイルを取る本もある。
このような記述に対しては、一部では批判もあるところだが、私は全面的に支持したい。
それは、学問の原動力が、「これを伝えたい」という力だからであり、それが紙面にもほとばしり出るくらいパッションが込められている本には、(今その考えが通説ではなくても)必ずやその「思い」に共感する人の輪が広がっていくだろうと思うからである。
この観点から、すでに「龍田節」を取り上げたことがある
龍田節万歳!〜楽しめる基本書「会社法大要」 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常
龍田先生の『会社法体要』は、第2版が出ないのがさびしい、非常によい本である。
他には、(学者というのか立法担当者というのかという問題はあれど)稲葉威雄『会社法の解明』や、特にシェーン判決に関する加戸守行『著作権法逐条講義』があげられる。
2.デジタル時代の著作権の新たな形とは何か?
この行列に今般参加することになった(と私が個人的に感じている)のが、中山信弘『著作権法(第2版)』である。もちろん、その萌芽は2007年の初版からあった。しかし、特にデジタルと著作権という観点からいえば立法においても司法においても著作権法における「激動の時代」と評さざるを得ないこの7年を経て、中山先生の本は大幅にパワーアップして帰ってきたのである。
ここで、「フェアユースがすごい」という論調の書評もみられる。
中山『著作権法』第2版必読です | 栗原潔のIT弁理士日記
確かに、フェアユースの論点は、初版と第2版とで、中山先生が大きく考え方を変えられたところである。
しかし、第2版の一番の特徴は「著作権の強化と情報の共有あるいはネットの自由の狭間(8頁)」で「混沌(11頁)」とする中、「憂鬱(i頁)」になりながらも、「現代では著作権法が産業政策的な意味合いを持つ(27頁)」という認識の下、デジタル時代の新しい現象に対応しながら、いかに「真の意味での豊かな文化の発展を図る(例えば161頁、283頁等参照)」のかを追求する姿勢だろう。
原著作物の著作権者の保護範囲を広げるということは、全く新しい創作へのインセンティブにはなるが、改作へのインセンティブは減少する。この両者の調和をとりつつ、真の意味での豊かな文化の発展を図るためには、二次的著作物の権利範囲をどのように捉えるべきか、という視点が重要である。
中山信弘『著作権法(第2版)』161頁
には、心の中で拍手喝采をした。
3.炸裂! 中山節!
さて、本書ではどの辺りに「中山節」が出ているのだろうか。私が読んでいて「これは!」と思ったものをいくつか列挙したい。
・(著作権法は)古くて立派な老舗旅館のようなもので、本館と新館と別館があり、その間を渡り廊下で結び、迷子になりそうな感じの作りになっている(11頁)
・いかに強い著作権を有しているとしても、強力なプラットフォーマーの前では跪き、提示される契約を飲まない限り情報の配信が困難となる状況も予想される(10頁)
・著作権法が小説からコンピュータ・プログラムまで多種多様な性格を有するものを取り込むことが可能であったという懐の深さ、悪くいえば掃き溜め的性格(12頁)
・ネットを通じて瞬く間に有名となった例は枚挙に遑がなく、昨日までろくに「飯も食えなかった」者が、今日は「こんな不味い飯が食えるか」と言ったという逸話もある(31頁)
・『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(ダイヤモンド社、2009)という本が大ヒットしたが、このくらいになると著作物性を満たすか否かの境界線(87頁)
・実質的には著作権法で保護すべき者を表現(略)と称し、保護すべきでないものを「内容」(アイディア)と称しているともいえる(158頁)
・権利者側も技術的保護手段を施して自衛するようになってきたが、それを破る技術との鼬ごっことなっている(291頁)
・(ダウンロード違法化の)効果も検証されないうちに刑事罰化することには疑問がある(略)いかに民事・刑事の規定を強化しても、ネットから違法複製物を退治することは困難であろう。刑事罰で抑制するのではなく、啓蒙活動の他、新しいビジネス・モデルで対処すべきであろう(298頁)
・違法ダウンロードを行うのは青少年が多く、彼らを犯罪者に仕立てる前に啓蒙の努力をすべきであろう(296頁)
・ミッキーマウスの描かれたTシャツを着せた場合とミッキーマウスの人形をだかせた場合とでは、犯罪の成否を分けるほどの大きな実質的な差異はあるのであろうか(307頁)
・(検討の過程における利用、30条の3)何故に審議会報告書に反し、このようなミスリーディングな限定要件を定めたのか、理解に苦しむ(309頁)
・(検索エンジンの例外、47条の6)技術進歩が激しいため、現在現れている問題だけを解決するための細かい規定を置くことが、デジタル時代にはいかに危険であるか、ということを如実に物語っている。(略)今後の立法の悪い参考例となる条文である(380〜381頁)。
・中国や韓国では国産検索エンジンが主流であるが、IT技術の優れた技術があるはずのわが国では外国の検索エンジンに席巻されており、この改正自体は余りに遅きに失したものであるといえる(381頁)
・例えばゴッホなような強者の保護が必要であるとも解かれるが、現実にはマイクロソフト社やIBM社のような世界的覇者が著作権者である場合も少なくないのであり、著作者・著作権者は弱者であり一律に立法保護しなければならないという理由はない(420頁)
・(平成18年の)改正は、有体物*1の侵害と情報の侵害との区別の議論を全くしないままに政治主導でなされたものであり、法改正としては極めて遺憾である。
まとめ
中山信弘『著作権法(第2版)』は、デジタル時代の著作権はどうあるべきかを考え抜いた中山先生の「憂鬱」が、通読して目についたものをピックアップしたでもひしひしと感じられる、とても人間臭いいい本である。
ぜひ、皆様にもお読み頂きたい!
*1:誤字がありました。luckymangan 様ありがとうございました!