- 作者: 松宮孝明
- 出版社/メーカー: 成文堂
- 発売日: 2004/04
- メディア: 単行本
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そんな折、id:masujirou様から、
故意の内容として「違法性の認識」を要求する説(厳格故意説)に向けられた批判に対する再反論としては、「可罰的違法性のある事実を認識しながらその違法性を認識しないのは無知のためであって、必要なのは処罰よりも啓蒙ではないかと思われる」(松宮)という意見があります。
「認識可能性」で足りるとしても、「相当の理由」がある場合には責任(故意)阻却させるというのが判例の立場である以上、実際上はあまり差異はないのかもしれません(認識まで必要だとしても、結局は「相当の理由」を立証することになるので)。
引用元:http://d.hatena.ne.jp/ronnor/20051013/
というコメントをいただいた。
これは興味深い考察である。これで一気に京都学派の刑法に興味を持ち、松宮総論講義を買ってしまった。
読んでみての感想は、
なんだ、京都学派も東京学派もほとんど同じだ。
であった。
これまで、京都学派と東京学派は全然違う刑法を打ち立てていると聞いていた。行為無価値も、向こうでは、行為反価値なんぞと呼んでいる。まさに、行為無価値・結果無価値の対立ばりに、全く異なる刑法体系が存在すると思っていたのである。
それなのに、松宮刑法では、山口刑法とそう変わらない見解を取っているのだ。
例えば、法益侵害説、具体的符合説、(中止犯の)政策説等々。
それはなぜか、ちょっと調べてみた。
今の京都学派(この言い方は時代遅れか?!でもあえて言おう)
は、もともと結果反価値論(佐伯博士など)ベースだったのが団藤博士、
大塚博士(東京学派)の行為反価値論の影響を受けて今日に至っている。
その反面、行為反価値論ベースだった東京学派は、平野博士が佐伯博士の
影響を受けて、結果反価値論ベースに移行したと言われている。
引用元:http://www.kyoto-u.com/lounge/tokeidai/html/200112/01101008.html
これで、分かった。つまり、京都学派と東京学派はお互いに影響を及ぼしあっているので、結果として似てきているのである。だから、すいすい読めたのだ。
内容面としては、まず、体系的思考を非常に重視している。
犯罪体系論と個々の解釈論との相互関係の欠如は、実務や通説における目を覆いたくなるような体系矛盾、カズイスティックな問題処理を生み出す。それは、結果的には、法を運用する側による恣意的な方の解釈・適用を導くと同時に、「法の支配」に対する人々の信頼を揺るがせ、社会の混乱と不安定を招く
松宮孝明「刑法総論講義」p45
とはいえ、ガチガチの体系論で、無味乾燥かというとそうではない。具体例が面白い。例えば、罪刑法定主義が内容的適正を要求するという例としては
たとえば、18歳未満の青少年との性交渉はすべて3年以下の懲役に処するという法律は、たしかに明確ではあるが内容としては適正とはいえないであろう。というのは、現在の民法では、女性は16歳から婚姻できるのに、これでは、せっかく婚姻しても奥さんの18歳の誕生日まではセックスはおあずけということになりかねないからである。
といった非常に面白い例が出ている。
しかし、だからといって、内容のわかりやすいさや面白さのために、内容の高度さを犠牲にしているのでもない。赤の囲みで、高度な部分を解説している。p31のインターネットと属地主義の解説は、非常に内容的に高度であるが面白かった。
まとめ
一見、水と油のように思えた京都学派の教科書は、実は東京学派と親和的でかつ興味深かった。
「関西の論文は読む価値がないから読まない。*1」なんて食わず嫌いをせずに、広い視野を持って情報を収集すべきである。
謝辞:最後に、この本を紹介してくださったmasujirouさんにお礼を申し上げて、書評とさせていただく。
*1:山口御仁の発言とされる。但し松宮は読むらしい。でも、「関西」って言うと、山口タンの第1弟子のカナタンも入るので...。