アホヲタ元法学部生の日常

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「熱い」刑法の基本書〜「捜査実例中心 刑法総論解説」

刑法総論解説 捜査実例中心

刑法総論解説 捜査実例中心

1.判例・実務の観点から書き下ろした基本書
法学部生、ロースクール生が、法律の勉強のために読む、ある程度網羅的に学習事項が記載された本、これが「 基本書」である。
 通常、基本書といえば、学者が自らの体系に従って書き起こしたものが定番であり、学者の名前で呼ばれる。刑法であれば古くは団藤から、大谷、前田、山口等が定番であろう。
 しかし、基本書を学者以外が書いていけないはずがない。学者が書いたのが基本書だというのは常識であるが、この常識を疑ってみよう。すると、新しい世界が広がってくる。


 本書は、幕田英雄検事が書き起こされた*1主に若手警察官向けの基本書である。実務で必要な刑法総論知識を基本から解説してくれる。
  新司法試験は、実務への架け橋としての役割がある。すると、刑法を実務の観点から研究することは、新司法試験合格への最短距離と言ってよいのではないか。
 具体的に、本書の特徴を見てみよう。



2.判例を中心とした「考える刑法」
 本書が採用する説を一言でいえば「判例・実務の考え方」である。

大審院及び最高裁は、一貫して因果関係について条件説の立場を取っていると理解されている。
本書52頁

という文言が目に飛び込んできた時は、学者本を中心に読んできた身としては、正直一瞬ギョっとした


 しかし、単に結論だけを説明するのではなく、学説と判例が分かれている等の重要論点については、学説の考え方を説明して批判したり、一見すると学説のいうとおりのようにも思われる判例を説明する等している。
  例えば、因果関係についても、「特異事情の存在(介入)と因果関係」という一節を設け、判例、通説で結論が違ってくる場面でのあてはめと、*2理論的にどう考えるべきかを説明する。
 また、従来の判例に反するとも思われる判決*3にも言及し、これを判例の立場から説明する*4
 このような説明方法は、著者の学説に関する態度に由来する。

判例の意味するところを理解するには、主要な学説の考え方を理解し、判例がどの考えを採用しているのか、どのような未解決の問題点が残っているのかということを理解しておく必要もある。その場合、オーソドックスな学説の基本概念や考え方を理解しようとすることが大切である。あらゆる学説を網羅的・機械的にマル暗記しようという勉強でははく、その学説がなぜそのような考え方と結論を採用するのか、自分の頭で考える勉強が有効だと思われる
本書39〜40頁


このような自分の頭で考える勉強ができる刑法の基本書、これが「捜査実例中心刑法総論解説」である。


3.具体例豊富な解説
刑法の重要概念については、具体例豊富に解説する。例えば、未必の故意については、認識・認容という故意の本質を噛み砕いて解説した上で、「犯罪事実の実現が不確実だが可能であるとの認識しか有していないものの、その実現を認容しているという場合の故意」と定義する。ここまでは普通の本でもあり得るが、半ページ以上を使って、裁判例の認めた未必の故意の心理状態を例示する。
「(泥酔している被害者を川の中に投げ込んで死亡させた事案で)たとえ被害者が溺死する結果に至ってもやむをえないものと考え、あえてこれを認容し本犯行に及んだ」「多数の歩行者に自動車を衝突させる危険を十分認識しながら意に介することなく、あえて自動車を運転し(暴行の未必の故意)」等の具体的事例を通して理解を深めさせてくれる*5


 特に、捜査実務上重要な故意や共謀については、具体的な実例に即して、あてはめのポイントを説明する。

部下の捜査官が、次のとおり、殺人事件の発生を報告し、捜査についての指揮を求めてきたとして、どのような捜査事項についてどのように指揮したらよいか説明しなさい。
「被疑者甲と被疑者乙は同じ会社の同僚であり、同じく同僚もVと会話中、甲、乙の両名はVと言い争いになり、甲、乙両名とVはお互いに「お前なんか殺してやる」と怒鳴り合ううちに、甲が懐に隠し持っていた登山ナイフでVの胸を刺し即死させた。甲がVを刺したのを見た乙は「ざまあみろ」と言っていた
本書549頁

 ロースクール生レベルであれば、「乙に殺人の共同正犯が成立するか」が問題になるのは分かると思われる。しかし、何がポイントか、具体的に分かる人は多くはないのではないか。本書は、事前共謀と現場共謀に分けて、それぞれを認定するための間接事実を示す。認定に必要な間接事実・証拠を集めさせることがすなわち指揮官としての捜査官への指揮内容になる
 また、組長の、対抗組事務所へのカチコミ事案について、具体的な「望ましい供述調書」の記載を通じて、共謀共同正犯の勘所を掴ませてくれる*6のも、魅力的である。
 本書を使えるば、刑法総論のあてはめに使える「事実」がどんなものかを実例で学べる。この点は、新司法試験で事実をピックアップしてあてはめる際に役立つのではないか。


4.刑法総論ができる警官を育てたいという情熱
 「厚い」基本書は多いが、「熱い」基本書は珍しいといってよかろう。本書を貫くのは、刑法総論ができる警官を育てたいという情熱である。

ある取り込み詐欺事件で「取り込んだ時点で代金を支払うあてはあった。相手を結果的に騙して商品を取り込んだことに相違ないと反省しており、刑を受けるつもりである」などという供述を、詐欺の犯意を認めた自供だとして送致してきた捜査員がいた。
 また、捜査員から、「被疑者は容疑をすべて認めています」と説明を受け安心して傷害罪の被疑者の調書を読むと、「傷害事件を起こしたことは認めます。しかし、殴ったときには、殴る気はなく、手を振り回しているうちに当たったのです」という否認調書だったこともある。
本書34頁

法の執行を司る警察官の刑法の理解がこの程度とは到底信じ難く、幕田先生によるデフォルメないしフィクションと信じたい*7
 しかし、いずれにせよ警察官の刑法総論の理解に不十分なところがあるという認識から、著者は刑法総論をきちんと理解し、罰すべき被疑者はきちんと罰し、罰すべきではない被疑者は早期に解放したい*8という情熱をもって本書を執筆したものである。行間から立ち現れるその熱意には感服した。筆者のような検察官が日本の検察組織の多数を占めている、そう信じたい。

まとめ
 捜査官に正しい刑法総論の知識を持たせたい。この情熱から執筆された本書は、新司法試験対策にも有効と思われる。
著者による刑法各論の基本書が執筆されるのが待ち遠しい

*1:正確には「実例中心 刑法総論解説ノート」の大幅加筆

*2:判例の考えを支持する立場から

*3:米兵ひき逃げ事件、最判昭和42年10月24日刑集21巻8号1116頁

*4:因果関係に関する証明の問題とする、73頁

*5:本書112頁

*6:本書542頁以下

*7:もし実話であれば、日本の司法に絶望してしまう

*8:例えば、精神鑑定をする前に、被害が被害者の自傷であれば、罪とならないのだから、鑑定留置せず即刻釈放すべきといった記載に現れる。