- 作者: 三井俊紘
- 出版社/メーカー: 保険毎日新聞社
- 発売日: 1987/01
- メディア: 単行本
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1.アメリカPL訴訟
以下の訴訟、どれがフィクションだろうか?
・ミシガン大学の学生が、ドイツ語の授業で優を取れると思ったら不可になったので、精神的苦痛を被ったとして、大学当局に85万3000ドルの損害賠償を求めて提訴
・ペンシルヴァニア州の郡刑務所から脱走を図った囚人が、脱走を理由に刑を延長された。囚人は、保安官と看守に対し、脱走を阻止できなかったせいで脱走できてしまい、そのせいで刑が延長されたと100万ドルの賠償を求めて提訴
・コロラド州に住む24歳の男性が、子供の頃の両親の世話の仕方が無慈悲かつ不適当であったために、成人した際社会に適応できなくなったとして、両親に対し、35万ドルの賠償を求めて提訴
・プロテスタントの若者が失恋の悩みで自殺したことにつき、彼の通った協会の牧師が適切な指導を怠ったことが原因として4人の牧師を訴える
賢明な読者の方は薄々お気づきかもしれないが、全て三井俊紘*1「企業を襲うPL訴訟ー想像を絶するアメリカの実態とその対応策」にある実話である*2。
コーヒーが熱すぎて火傷したといってM社を訴え、陪審員が巨額の賠償を命じた事件等をご存知の方もいらっしゃるかもしれない。
2.日本のPL、アメリカのPL
PL、product liabilityの略で、製造物責任である。
日本も、製造物責任法ができたので、PL訴訟もあるが、いたましい重大事故事例において被害者救済に役立つ一部の事例を除くと、あまり活用されていない。少なくとも、クレーマー系原告がどんどん訴訟を起こすといった事態にはなっていないようである*3。
これに対し、アメリカは全く違う。まず、どうみてもいちゃもんとしか思えない事案にも弁護士がつく*4。そして、証拠開示*5や証言録取*6等で被告は多大な負担を負わされ、*7陪審員による裁判である*8。
陪審員が、被告は悪質と思えば、懲罰的損害賠償が下されることも多い。原告が勝訴すると、賠償金のかなりの部分が弁護士の成功報酬になる。
成功報酬が高額なので、着手金0又はそれに近い状況で弁護士が付いて提訴され、被告は応訴を迫られるのである*9。
3.PLにどう対抗するか
PLのあまりの酷さに、会社はこぞってPL保険に入った。しかし、PLで敗訴すると莫大な損害賠償なので、保険料は高額になる。誰もリーズナブルな保険料で受ける保険会社がいない。これが、保険危機である。
これを直で経験されたのが著者である。著者は東京海上でPL畑を歩まれてきた。外資系と異なり、本邦系の保険会社では、PLは「おいしい」他の保険を受けるためのものという位置づけが長く続いた。そこで、ものすごい大変な割には評価されにくい部署であった。それにもかかわらず、必死でアメリカPLと戦われた著者の実務経験が、ここにある。
単に「アメリカ変だね」で終わるのではなく、「質問事項への回答ノウハウ」「証言録取手続ノウハウ」等を著者が経験した事例に基づき解説される。日系企業がからむ和解事例の「勝訴的和解と敗訴的和解を分けたポイント」等は非常に参考になる。
4.アメリカ人の考え方
上記のアメリカの訴訟社会を「変わってる」というだけで終わらせるのはもったいない。
一つの見方は市民が訴えたるという方法により、社会的コストをかけずに法の適用・社会秩序を確保するというものである。
コーヒーが熱すぎて火傷したといってM社を訴えた訴訟を肯定的に評価してこう説明するものがある。
巨額の損害賠償を命じられたM社はそれでコーヒーの温度を下げたわけだから、結果としてレストラン等のコーヒーの温度には、実質上、規制がされるようになった(中略)無論、違う規制方法もある。「レストラン等で売るコーヒーの温度等に関する法律」を作ればよい。
(中略)
(しかし、法律制定を待つ場合)そのような法律が制定されるまで火傷する人はどうなるのか。(中略)また、法律ができたとしても、誰が執行に当たるのかが問題として残る。(中略)あるいは法律だけができて「執行されない法律」になってしまい、熱過ぎるコーヒーで火傷する人は依然として保護されないことになる。
それに対して訴訟制度に任せると、当事者が自主的に解決して、訴えられる方も再発防止のために積極的に自分の業務を点検し、自ら規制するようになる。(中略)このアプローチでは、政府が提供するのは中立で効率的な裁判制度だけだ。
コリン・P.A.ジョーンズ「手ごわい頭脳」156頁〜
もちろん、損害賠償防止のための自主規制が便益を低下させ、より大きなコストを発生させないか等、この見解に懐疑的見方もある。
しかし、その内容の当否はともかく、このようなアメリカのPLを代表とする訴訟社会の実情及び背景を知ることは、異文化理解という意味でも、日本の制度の批判的検討という意味でも意義深いだろう。
まとめ
「企業を襲うPL訴訟ー想像を絶するアメリカの実態とその対応策」は、アメリカPL訴訟の実務的ノウハウをあますことなく提供する良書である。
アメリカ法実務に興味を持つ人はもちろん、異文化理解、日本法の批判的検討等多様な使い方がある。
唯一の欠点は、昭和62年刊と古いことである。最新の実務と知見をアップデートした新版を心待ちにしている。
*1:この「紘」字は、なぜか「八紘一宇」以外では変換できない・・・。
*2:本書16ページ
*3:本人訴訟のハードルの高さ、立証責任(欠陥自体は原告が立証)、証拠開示制度等が関係するだろう
*4:なお、一部であるが、原告の訴えが日本的観点からも正当な事案もある。
*5:disclosure
*6:deposition
*7:サマリー・ジャッジメントで救済されたり、和解ができなければ
*8:陪審員の判断がいつもおかしいとは言えないが、「deep pocket理論」つまり、金があるなら理屈を曲げてでも貧乏人を救済すべきという考え方が根強く、不合理な判断もまま見られる。一例として、医療過誤で足を失ったとして医者を訴えた原告側弁護士、メルヴィン・ベライ弁護士の例を本書131頁から挙げよう。審理期間中、白い包みを机の上においていたが、それが何かを明かさなかった。陪審員は専門的な証言にうんざりし、包みの中身に興味を持つようになった。証言では何ら有利なことを引き出せず、書証もなかったので、敗訴確実と思われたが、最終陳述で、ベライ弁護士は、白い包みを明けた。それは原告の義足だった。「この義足は当代随一の技術を駆使し、莫大な費用を掛けて極めて精巧に作ってあります。しかし、それでもかわいそうな被害者が失った本物の足とは比べ物になりません。そして、そのかわいそうな被害者の大切な足を奪った張本人は、今その被告席に座っている大金持ちの被告なのです。」陪審員は、これまでの証言を無視し、被告側に相当高額な賠償金の支払いを命じたという。
*9:これはPLに限られないが、PLはこの典型である。