アホヲタ元法学部生の日常

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法曹関係者必読の原田國男元裁判官の事実認定〜逆転無罪の事実認定

逆転無罪の事実認定

逆転無罪の事実認定

1.「無罪の発見」「刑事裁判の心」に続く名著
 原田國男元裁判官は有名である。ただ、一般には量刑研究者として名が知られている。
量刑判断の実際 第3版

量刑判断の実際 第3版

裁判員裁判と量刑法

裁判員裁判と量刑法

 確かに、「量刑判断の実際」や「裁判員裁判と量刑法」等の量刑理論に関する文献は、実務において多く参照されている。
しかし、原田國男元裁判官が、東京高等裁判所部総括時代の8年間に約30件以上の逆転無罪判決*1を言い渡してきたことはあまり知られていない。しかも、検察官からの上告はなく、無罪部分は確定している*2
 この数字がどれくらい稀かといえば、 平成22年司法統計第61表によると同年に6856件あった控訴事件のうち、無罪判決が21件(0.3%)という事実が如実に物語っているだろう*3たった一人の裁判官が、わずか8年で全国の逆転無罪判決の一年あたりの総件数を遥かに超える逆転無罪判決を下している。


本書は、

事実認定は、オール・オア・ナッシングの判断で、その誤りは、無実の者を刑務所に入れてしまう、さらには、死刑にしてしまうという、まさに正義に反する致命的な結果を招くおそれがある。(略)
私 は、否認されると、これでえん罪を避けることが可能になるかもしれないと思い、よし徹底的に調べてやろうという気分になる。(略)多くの被告人は、真犯人 なのに否認してなんとか罪を逃れようとするであろう。そういう被告人にとって、私のような裁判官は、これは甘い、付け込めると考えるであろう。しかし、それでよいのである。本当に無実の者を有罪にしないことが大切なのである。真実、有罪の者をある程度 手間をかけて有罪にしてもかまわない。ごくまれには、真犯人なのに無罪にしてしまうこともあろう。これも不正義の一つである。しかし、 いくら、真犯人であっても、証拠がなければ、あるいは証拠が不十分であれば、無罪とせざるを得ない。「疑わしきは罰せず」の世界なのである。(略)
二 つの場合があろう。真犯人であるのに無罪とした場合と、真犯人でないのに有罪とした場合である。後者の場合は、裁判官の良心としての責任は免れない。前者の場合、被告人は喜んで心のなかで舌を出しているであろう。その意味では、正義に反している。しかし、前述したように、疑わしきは罰せずということからす れば、これはこれで、その司法的な正義は実現されているのであるから、裁判官の罪は軽いというべきである。前者を避けることばかり考えていると、後者の誤りを犯すことになる
原田國男「逆転無罪の事実認定」6頁〜19頁

 とおっしゃる原田元裁判官が実際に関与された20件の判決文を収録するとともに、各事件の「へそ」*4について、原田元裁判官ご自身が解説されるという構成をとる。これにより、えん罪を防ぐ方法が具体的に明 らかになる


 まさに、 渡部保夫元裁判官の「無罪の発見〜 証拠の分析と判断基準」

無罪の発見―証拠の分析と判断基準

無罪の発見―証拠の分析と判断基準


 木谷明元裁判官の「刑事裁判の心」
刑事裁判の心―事実認定適正化の方策

刑事裁判の心―事実認定適正化の方策

一緒に読むともっと面白い「刑事裁判の心」と「無罪事例集」 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常


 に次ぐ、元裁判官による事実認定名著シリーズ三部作が完結したということができよう。


2.刑事手続の裏にある「えん罪を防ぐ契機」
 刑事手続の裏には何があるのか。
 司法修習生なら、法律(刑事訴訟法、刑事訴訟規則)があると教え込まれることだろう。


 しかし、原田元裁判官は、もう一歩先を見つめている。
 刑事手続において重要なのは、被告人が公判でいいたいことがいえる雰囲気を作ることである*5
 被告人が萎縮して、いいたいことがいえないと、えん罪を見過ごしたまま有罪判決ということになりかねない。


 そこで、原田元裁判官は、刑事手続の各場面を活用して、 公判でいいたいことがいえる雰囲気を作る工夫をされる。
 例えば、人定質問において、起訴状に住居不定との記載があっても、「住居不定か」とは聞かない。住居不定という言葉に反発する被告人がいるし、それを無理矢理「住居不定だろ」と押し付ければ、被告人の方が心を開いて大事な 事実について語る心組みを萎えさせる恐れがある*6。「今住所はどうなっている」と聞けば、本人が「公園に住んで いる」等と様々なことを言い、住居不定といわれてもしょうがないと納得する。無職の被告人でもこれは同じである。


 特に原田元裁判官が工夫されているのは、権利告知である。権利告知というのは黙秘等をしていい旨を裁判長が伝える手続きである。典型的な権利告知の言葉はこんな感じであろう。

 被告人は、この法廷では、いいたくないことはいわなくてもいい。ただし、被告人がこの法廷で述べたことは、有利にも不利にも、証拠として判決で使われることがあるから、注意するように。


 しかし、原田元裁判官は違う。

 被告人は、この法廷では、いいたくないことはいわなくてもいい。あなたには黙秘権という権利があるから、個々の質問にも答える必要はない。逆に、いいたいことがあれば、なんでも自由にいいなさい。ことに、君が犯人でないときは、必ず、この機会にいいなさい。今いわずに、後になって、控訴したり、上告して、じつは自分が犯人でないといっても、今の裁判所ではまず救ってもらえない、再審で主張してもだめだ。だから、犯人でないなら、今いいなさい。
原田國男「逆転無罪の事実認定」10頁

 ここまで言うのは、執行猶予が見えている事件等、被告人が犯人ではないのに被告人が認めてしまうことがままあることから、入念に警告をするためである。
 最近、アレインメント制度導入論等、自分で犯行を認める被告人は、有罪としておけばいいと割り切る意見も指摘されているところである。しかし、原田裁判官が、「そうとはいえまい」*7と強く反対されていることは印象に残った。


3.一見荒唐無稽な被告人の主張に真摯に向き合う
 無罪というのは、検察官が起訴をするために起こる。起訴便宜主義の下では、検察の方でも、起訴時にフィルターをかけている。その意味で、明らかに無罪な事件はまず起訴されない。
 しかも、逆転無罪となると、一度裁判官すら有罪と確信したということである。被告人の主張がまともであり証拠で裏付けられているにもかか わらず、一審有罪となることは少ない。 原田國男元裁判官も、証拠を見ただけで「これは無罪だ」と直感する事件はそうはないと指摘される*8


 そうすると、結局、無罪を訴える被告人の主張が一見「荒唐無稽」に見えるのは当然である。もちろん、一審有罪事件の被告人がすべて真犯人であるという前提にたてば、控訴して無実を主張する被告人はすべて「嘘つき」であるということになるだろうが、裁判官は神様ではない。そこで、そのような主張を一顧だにしないのではなく、とても本当とは思えなくとも、一度は本当かもしれないと考えてみろというのが、 原田國男元裁判官のえん罪を避けるための提言であり、実践である*9


 例えば、風俗勤務の女性が「自分の知らないうちに客に薬物を注射された」という事件。「おいおい、またそんな言い訳を」と思うかもしれない。実際、一審の裁判官は医師の資格もあるきわめて優秀な方*10で、注射痕が内出血を伴わないきれいなものであって、無理矢理打たれた場合にこんなきれいな注射痕はできない等として有罪判決を言い渡した*11
 しかし、原田裁判官は、被告人がひょっとしたら本当のことをいっているのではないかという目で見ると、被告人の主張も合理的に説明できるとおっしゃる。被告人は寝ており、突然客から注射をされ、その後は急性症状として体に力が入らなくなった。このような事実経過を考えれば、内出血を伴わないきれいな注射痕となることはあり得る。このような「目」を持って、控訴審では被告人が入院した病院の医師の証言を求めたところ、医師がその通りの証言をしたことから、逆転無罪判決となった*12


 本書は、裁判官をはじめとする法曹実務家に、事件をどのような「目」で見るべきか伝えるという意味で、法曹実務家必読の一冊である。


4.ロースクール生の事実認定の教材にも
 本書は、法曹実務家のみならず、ロースクール生の事実認定の教材にも役に立つ。
 例えば、作為犯と不作為犯の共同正犯については、本書第1事件(偽証発覚事件)の事実認定がよい教材である。

 この事案では、息子(V)に虐待を行っていた母親(被告人)が、一審では息子の傷害致死の実行犯であるとして有罪になったところ、控訴審では、「つきあって いた男(X)が実行犯である」との主張が認められた(どのような経緯で認められたかについては、本書38頁以下参照)。とはいえ、被告人は既に自ら息子に虐待を加えており、さらにXが息子を折檻しようとして「顔をなぐらない」 と言っているのを聞いて了承していた。
 「顔を殴らない」というのは逆に言えば、「顔以外には暴行を加える」ということである。そこで、原田元裁判官は、不作為犯たる被告人と、作為犯たるXとの間に、Vへの傷害致死の共同正犯を認定した。

  被告人自身,Vに対して前記のような幼い子供 からすれば,かなりの激しい暴行を加え,かつ,厳寒の季節なのに下半身裸のままで約1時間も家の外に追い出していたのであり,いくらV自身意識がはっきり していたからといって,母親としてVが相当のダメージを受けていたことは十分に推測できる状況にあったのであるから,Xに声をかけるだけでは,到底十分ではなく,Vの傍らにいて,Xが手を出すのを現に阻止すべきであったというべきである。この点は,(略)先行行為としてこれだけの暴行等を加えた者について は,その暴行により被害者に生じた具体的危険な 状況を自ら解消すべき義務があるから,他の者によるさらなる暴行を積極的に阻止すべき義務があるというべきなのである。しかも,顔を殴 らないというXの言 葉からは,当然,顔以外の部分には手を出すという趣旨がうかがわれるのであって,(略)少なくとも,XがVに手を出すこと自体は認容していたとみるほかない。しかも,実際にも,その後に行われたXの暴行 は,Vの足を払うというものであって,顔以外の部分を対象としたものであり,その程度についてはともかく,行為の態様は被告人が十分予想し得る範囲内のも のであったというべきである。それが,予想以上に激しかったとしても,それを事前に阻止しなかった被告人の責任を否定することはできない。そして,被告人 の目撃状況,Xの暴行の態様と回数,想定される時間等からは,被告人がBの暴行を止めることは,事前はもとより,その途中でも可能であったというべきであ る。(略)
  以上によれば,被告人は,本件当時,X のVに対する暴行につきこれを阻止することなく,容認していたと認められるから,被告人の責任は,幇助犯に止まる ものではなく,不作為の正犯者のそれに当たるというべきである。そして,顔を殴らないというXの言葉に対して,被告人がこれを了解した時点において,Vの作為犯と被告人の不作為犯との共同意思の連絡,すなわち共謀があったと認められる。
原田國男「逆転無罪の事実認定」45〜46頁

この認定なんかは、まさに、不作為犯と作為犯の共同正犯の認定例としてはとてもわかりやすくロースクール生にとっても勉強になるだろう。

まとめ
 原田國男元裁判官の「逆転無罪の事実認定」は、えん罪を避けるための実務上の知恵を具体的事例に則して説明しており、法曹実務家はもとより、ロースクール生も必読の一冊である。

*1:原田國男「逆転無罪の事実認定」36頁。なお、主文で原判決を破棄して無罪を言い渡したものが少なくとも24件、それ以外の実質無罪判断を含め30件を超えるとのこ と。

*2:原田國男「逆転無罪の事実認定」 i

*3:http://www.courts.go.jp/sihotokei/nenpo/pdf/B22DKEI61.pdfなお、実質無罪を含む一部有罪判決や差し戻しを含めても1%にも満たない。

*4:原田國男「逆 転無罪の事実認定」22頁

*5:原田國男「逆転無罪の事実認定」10頁

*6:原田國男「逆転無罪の事実認定」7頁

*7: 原田國男「逆転無罪の事実認定」11頁

*8:原田國男「逆転無罪の事実認定」21頁

*9:原田國男「逆転無罪の事実認定」22頁

*10:原田國男「逆転無罪の事実 認定」65頁

*11:原田國男「逆転無罪の事実認定」63頁

*12:原田國男「逆転無罪の事実認定」65頁