アホヲタ元法学部生の日常

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よりよい弁護を目指し、弁護過誤を防ぐために〜「もう一歩踏み込んだ薬物事件の弁護術」

もう一歩踏み込んだ薬物事件の弁護術 (GENJIN刑事弁護シリーズ15)

もう一歩踏み込んだ薬物事件の弁護術 (GENJIN刑事弁護シリーズ15)

1.基本かつ奥が深い「薬物事件」
 弁護士が扱うことが多い犯罪といえば、「窃盗(含占横)」「暴行・傷害」、そして、なんといっても「薬物事件(覚せい剤大麻等)」である。


 修習中はもちろん、弁護士登録直後から薬物事件を受任することは多い。特に覚せい剤の使用、所持、大麻の所持が多い。薬物事件の弁護術すべての刑事弁護人が習得すべき、まさに、刑事弁護の基本である。


 基本であると同時に、薬物事件は奥が深い。
 まず、否認事件が多い。特に、覚せい剤常用者の間では、「一回目は即決裁判で1年6ヶ月執行猶予3年、猶予中に捕まると実刑で、一回目とあわせて約3年刑務所に行くことになる」という「実務」*1がよく知られており、執行猶予中に捕まった被疑者が時には「荒唐無稽」とも思われる理由をつけて頑強に否認することがままみられる。これがウソ否認なのか、真実の否認なのか、弁護人が信じてやらなければ、裁判官が信じるはずがないという姿勢で熱心に事実を調べて証拠開示を求めると、どんどん被疑者の主張が裏付けられ、無罪になることもある*2


 また、違法捜査が多い「薬」か「尿」を鑑定して「陽性」との結果が出れば勝ちだと思っている捜査官が多く、「薬」や「尿」を獲得する過程でかなり危なっかしい手法がとられることは珍しくもない*3。それが違法なのか適法なのか。この点が争われ、違法収集証拠排除法則で無罪になる例も少なくない


 さらに、自白事件でも簡単ではない。なにしろ、再犯率が高いこの分野*4。この逮捕を最後の逮捕にするために、弁護人として何ができるか、これが問題である。


 基本かつ奥が深い薬物事件に習熟すること。これは、刑事弁護人として必須のスキルといえる。


2.よい本がない
 しかし、本格的に薬物事件の弁護について研究しようとした場合、「本当によい本」がなかなかみつからなかった。


 数少ない参考になる本としては、
東京弁護士会期成会明るい刑事弁護研究会「入門・覚せい剤事件の弁護」

入門・覚せい剤事件の弁護 (期成会実践刑事弁護叢書)

入門・覚せい剤事件の弁護 (期成会実践刑事弁護叢書)

がある。これは、タイトルどおり入門としては非常に参考になり、基礎を身に着けるにはふさわしいといえる。もっとも、応用的な実務について研究したい場合には物足りないものがある。


 法科学的アプローチの本としては、井上堯子「覚せい剤Q&A―捜査官のための化学ガイド 」

覚せい剤Q&A―捜査官のための化学ガイド

覚せい剤Q&A―捜査官のための化学ガイド

井上堯子 「乱用薬物の化学」
乱用薬物の化学 (科学のとびら)

乱用薬物の化学 (科学のとびら)

等があるが、刑事弁護の弁護術が書いている訳ではない。これらの本の知見を元にどのように刑事弁護に生かすか。これまでは、弁護士各人の努力にゆだねられていたといえよう。


 その中で、現代人文社の雑誌、「季刊 刑事弁護」

季刊 刑事弁護71号

季刊 刑事弁護71号

(参考画像:最新刊の「季刊 刑事弁護」*5
 に過去連載されていた、小森榮先生の「 もう一歩踏み込んだ薬物事件の弁護術 」と題する一連の連載は、 「鑑定書(鑑定人の電聴)に書いていることが絶対おかしいんだけど、どうやって崩せばいいんだろう」とか、「検事が保釈不相当意見なんだけど、どうやって保釈させてあげようか」とか、「前刑終了後7年で捕まったのですが、執行猶予つきますか?」といった熱心な刑事弁護人であれば必ず持つ疑問に答えており、極めて有用であった。


 この度、満を持してこの連載が単行本化された!。もちろん、「買い」である


3.「微妙なところ」に「経験に基づく」実務解説を加える
 本書の最大の特徴は、刑事弁護人がどうしても悩んでしまう「微妙なところ」に小森先生の「経験に基づく」実務解説を加えるところである。


 例えば、「所持」の中でも一番微妙なのは、共同所持である。家の中に覚せい剤が発見された場合、これはいったい誰のものだろうか。こんな事案について、小森先生が経験された2組の夫婦の事例をもとに解説してくださる*6


 さらに、再犯者の執行猶予では、通常は前刑執行終了から何年経過しているかで判断し、7〜8年目くらいから執行猶予を期待できると言われている。ところが、小森先生はもう一歩先を行かれる。

前刑が実刑の場合、刑の執行終了から今回犯行までの経過時間が問題となりますが、私はたいてい、小技を用いて、被告人が仮釈放で社会復帰してからの経過時間をあげることにしています。ちょっとした数え方の差で、印象が異なる場合もあるからです。
小森榮「もう一歩踏み込んだ薬物事件の弁護術 」301頁

 このような、微妙な事案での結論を左右し得る、「小森流」の実務経験に裏打ちされた弁護技術を学ぶことができるのである。


4.弁護過誤を防ぐために
 ここで指摘できるのは、本書の内容は被告人の刑事責任を大きく左右し得るということである。


 例えば、所持事案では、薬物の所持量は量刑に大きな影響を及ぼし得るところである。
 ここで、「被告人は、みだりに、某日某所において、覚せい剤である塩酸フェニルメチルアミノプロパンを含有する結晶○グラムを所持したものである。」という公訴事実の場合、「そっか、○グラムかぁ」と単純に量刑資料を眺めてはいけない

鑑定書では、主文は普通「資料は○である」、「○と認める」と記載されます。(略)
ところが、ときどき、この部分の表現が微妙に異なる鑑定書に出会うことがあります。(略)
資料は塩酸フェニルメチルアミノプロパンを含有する(略)
この表現の違いは、何を意味しているのでしょうか。
小森榮「もう一歩踏み込んだ薬物事件の弁護術 」131頁


 本書132頁以下によると、鑑定試料のほぼすべてが覚せい剤であれば「資料は○である」、「○と認める」となるが、不純物が混合していると「含有する」となるとのことである。
 特に末端の取引では、覚せい剤に異物を混入して、質量を増すというやや詐欺的な行為が起こることもある*7。よく混ぜられるのが、チオ硫酸ソーダ(カルキ抜き、ハイポ)、ジメチルアンタフェミン、ジメチルスルホン、メントール等である*8。そうすると、覚せい剤が「含有する」という事案では、不純物の量によっては、「覚せい剤」部分はかなり少なく、より軽い刑が適当であることも十分あり得る 。ここを指摘すべき場合にこの点を指摘できなければ、「弁護過誤」にもなりかねない。


 また、例えば、被告人が覚せい剤を使用した同居人の副流煙により知らないうちに吸引していたとか、そういう意図しない少量の摂取を主張した場合、検察側が被告人の尿中の覚せい剤濃度はとても濃く、自分で意図的に注射/炙りにより摂取しない限りこのような濃度にはならないという主張をすることがままみられる*9。これは一見なるほどとも思えるが、ちょっと待った覚せい剤鑑定の過程をよく見てみよう。

前処理における検体の濃縮→薄層/ガスクロマトグラフィー等で分析

 というプロセスである*10
 

さて、お分かりだろうか?

 尿中覚せい剤試験ではほぼすべてのケースで資料の濃縮という前処理を経ているので、資料の「濃い、薄い」という差は鑑定担当者の個人的な印象でしかないことになります。
小森榮「もう一歩踏み込んだ薬物事件の弁護術 」152頁


 こういう非科学的な鑑定人の言い分を鵜呑みにして有罪判決に加担するのは、弁護過誤にもなりかねない*11


 そう、およそ薬物事件の弁護をする以上、すべての弁護人は、本書の内容を習熟すべきである。さもなくは、弁護過誤のリスクがつきまとうことになる。 本書は、この意味でも刑事弁護人の必読書といえよう。



5.増補への期待
 このように、本書は薬物事件の弁護を担当する弁護士の行うべき「ベストプラクティス」を定めた必読書であるが、やや増補を期待するところとしては、「索引」「弁護士倫理」、「訴因の特定」である。


 まず、「索引」であるが、例えば、量刑については、CDに量刑資料集が掲載され、再犯者の執行猶予については第13章、営利事犯は第14章、大麻の量刑は16章等といった感じである。要するに、充実はしているものの、同じテーマの情報が一つの本の中にバラバラに散っている。400ページ超えの大部ということもあり、索引をきちんと作っていただければ、必要な情報にすぐにアクセスできるので、ぜひ、増補版では検討をお願いしたい。


 また、「弁護士倫理」に関する記述はやや物足りなかった。よくあるパターンは、接見にいったところ、「家の冷凍庫の中の缶に粉ミルクが入っているが、腐るとこまるので、内妻に渡しておいてくれ。」といわれる等のパターンである。もちろん、覚せい剤の証拠隠滅をしてほしいということであって、この言葉を信じて何も確認せずに「粉ミルク」を渡した後、内妻が逮捕されると、弁護士が「覚せい剤譲渡」の被疑者として逮捕されてもおかしくない。
 ここまで典型的なものはともかく、過去に弁護士した覚せい剤常用者から「職務質問を受けている」と電話で連絡が来て、そこに駆けつけて警察官とやりあうことも多い。これが行き過ぎると、
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201010180016.html
というように、弁護士が逮捕されることもある*12
 こういう刑事弁護人が薬物関係で遭遇し得る各場面において弁護士倫理上、「どこまでが正当な防御権の行使」でどこを超えると危ないのか、経験豊富な*13小森先生にご解説いただきたいところである。


 最後に、「訴因の特定」であるが、本書では、「いたずらに長すぎる期間と訴因の特定」という問題を扱っている。要するに、覚せい剤が検出されるのは、長くても7〜10日、最長12日といわれており*14「7月上旬頃から同月28日」って、約4週間もの期間は長過ぎませんかという問題である。
 ただ、覚せい剤事犯では、もう1つの訴因不特定性の問題がある。それが、情状に関する重要な事実に関する検察官の主張により、訴因はそこに収斂されないか、収斂させるべきではないかという問題である。小森先生も、 犯情が特に悪いと指摘される特段の事情の存在が量刑に重大な影響があり得ることを指摘されているところであるが、例えば、起訴状は、「7月上旬頃から14日頃」の自己使用と書かれているものの、冒頭陳述で検察官が、「逮捕前日の7月13日の夜に無理矢理女性に覚せい剤を注射し、自らも自己使用した」と主張し、それに沿う立証を行うといった場合である。この場合、被告人として、覚せい剤を常用していたが、逮捕前日の7月13日には使っていないし、もちろん他人に注射もしていない」として争うことがある。この場合に訴因を「7月13日」と特定してもらえれば攻防の対象は非常にわかりやすいが、検察官が当初訴因を維持した場合、弁護側としては自白と否認の狭間で悩むこともあり得る。このような場合の実務対応について小森先生にご解説いただきたいところである。

まとめ
小森榮先生の「 もう一歩踏み込んだ薬物事件の弁護術 」は、基本であってかつ奥が深い薬物事件の弁護術について、「これを知っておくと微妙な事案で良い結果をたぐり寄せられるコツ」から「これを知らないと弁護過誤にもなりかねない知識」まで、重要な情報目白押しであり、およそ刑事弁護を扱う可能性のある弁護士にとって必読といえる。
ただし、その内容が貴重であるからこそ、その情報を簡単に検索できる索引等、増補版への期待も高まるところである。

*1:例外も多いが、「まあまあ」あっている

*2:法曹関係者必読の原田國男元裁判官の事実認定〜逆転無罪の事実認定 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常で参照させていただいた原田國男「逆転無罪の事実認定」掲載の風俗嬢無罪事件も、弁護人が当初開示されなかった調書について熱心に開示を求めて初期供述を確定させたことが重要な要素となっている

*3:本書第5章の対談や、17頁以下の「任意」同行に関する具体例参照

*4:小森榮「もう一歩踏み込んだ薬物事件の弁護術 」393頁以下

*5:最新刊には小森榮先生の「 もう一歩踏み込んだ薬物事件の弁護術 」は連載されていません。

*6:小森榮「もう一歩踏み込んだ薬物事件の弁護術 」73頁

*7:「質が悪いパケ」から「混ぜ物入りパケ」そして、「偽パケ」と、純粋な覚せい剤の割合によってグラデーションがあることは周知のとおりです。

*8:小森榮「もう一歩踏み込んだ薬物事件の弁護術 」332頁。

*9:小森榮「もう一歩踏み込んだ薬物事件の弁護術 」151頁

*10:小森榮「もう一歩踏み込んだ薬物事件の弁護術 」116頁以下

*11:実際、知り合いの弁護士の先生から、この点を主張して裁判官の理解を得て良い結果を得たことがあるというご経験を教えていただいたこともある

*12:やや詳しいものとしてhttp://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110114/crm11011418430174-n1.htm参照。

*13:小森榮「もう一歩踏み込んだ薬物事件の弁護術 」18頁参照

*14:小森榮「もう一歩踏み込んだ薬物事件の弁護術 」156頁