劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編]叛逆の物語 (1) (まんがタイムKRコミックス フォワードシリーズ)
- 作者: ハノカゲ,Magica Quartet
- 出版社/メーカー: 芳文社
- 発売日: 2013/11/12
- メディア: コミック
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ツイッターでも予告しましたが、12月になりましたので、魔法少女まどか☆マギカ劇場版のネタバレを解禁します。なお、当サークルは、冬コミで映画「魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語」の同人誌を発行しますので、続報をお待ちあれ!
1.リプレイ
全てを犠牲にして神になったはずの「彼女」が普通に魔法少女をしている空間。
「友達」同士で助け合って、ナイトメアを倒す。それは、とっても嬉しい…はずなんだけど…。
「違和感」に業を煮やし、調査を始めた「彼女」。
消去法で「敵」を探すと、こんなことをするのは「あいつ」しかいない。
マミ先輩をマミった、あの「魔女」。
忘れもしないあの「敵」が、マミ先輩のペットの座にちゃっかり収まっている。
時間停止の魔法を使い、マミ先輩の目を欺いて「そいつ」を誘拐する。
首を絞め、「目的を吐け」と詰問する。
「何も知らない…」と否認する「そいつ」の言う事を信じず、更に「尋問」を続けようとしたその時…。
急に現れた、黄金色のリボン。
そして始まる、血みどろの戦闘。
2.憲法の規定も、国際条約も、あるんだよ?
拷問の禁止については、「既に議論の終わった問題」という見方も可能だろう。憲法や国際条約で、拷問は固く禁じられている。
例えば、憲法36条の規定がこれを明示する。
憲法36条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
特に大事なのは、憲法36条の「絶対」の意味である。他の条項どこを見ても、「絶対」とは書いていない。この点につき、芦部教授はこのように指摘している。
日本でも明治憲法時代、法律上禁止されていたにもかかわらず、実際にはしばしば行われたので、憲法でとくに「絶対に」禁ずることにしたのである
芦部信喜『憲法』第5版246〜247頁
このように、日本の現行法上、拷問が厳禁されていること自体は、まぎれもない事実である。
しかも、国際的にも拷問は禁止されている。1984年に採択され、1987年に発行し、日本も1999年に加入した拷問等禁止条約では、2条1項で「締約国は、自国の管轄の下にある領域内において拷問に当たる行為が行われることを防止するため、立法上、行政上、司法上その他の効果的な措置をとる。」とした上で、「戦争状態、戦争の脅威、内政の不安定又は他の公の緊急事態であるかどうかにかかわらず、いかなる例外的な事態も拷問を正当化する根拠として援用することはできない。」として、拷問の絶対禁止を国際法のレベルにまで高めている。
そうすると、まさに、国内法的にも国際法的にも「拷問、ダメ、絶対!」であって、拷問の可否を論じる意味はないようにも思われる。
3.「最後に残った道しるべ」としての拷問?
しかし、いわゆる911以降テロ対策の「最後に残った道しるべ」としての拷問が必要だとの見解が示され、実際に拷問も行われている。特に、キューバにある、アメリカのグアンタナモ収容所での拷問は非常に有名である*1。
この問題が根深いのは2つの理由があるだろう。1つ目は、司法審査を受けることが難しいということだ。その原因としては、アメリカ合衆国憲法修正5条という、意に反し自白させること等の強要を禁止する連邦憲法の条項が海外*2における外国人に対する拷問にあてはまらないと解され得ること*3や、最高裁も拷問被害者の訴訟に対し消極的な態度を示している事*4等が挙げられる。そして2つ目は、少なくとも拷問を行っている側は、拷問がテロとの戦いに対して有効だと考えていることである。元CIA長官が、水責め等の「過酷な尋問」を行うことでオサマ・ビンラディンの隠れ家を突き止めたと語った等とも報道されている*5。
このような状況に鑑み、倫理学の観点からも議論がされており、特に、スタンフォード編『拷問』の中のヘンリー・シューの投げかける説例は参考になる。
狂信者が、核爆発を起こす起爆装置を密かにパリ中心部のどこかに設置した。無辜の人々や芸術品を避難させる時間はない。惨劇を避けるための唯一の望みは、その実行犯を拷問にかけて起爆装置を見つけ出し、それを解除することである*6
シューは、このような場合には、道徳的に拷問が許される可能性があると論じている*7。
拷問をしなければ、また、911の様なテロが起こり、多くの犠牲者が出るかもしれない。そういう「最後に残った道しるべ」としての拷問は許されるのではないか?
テロとの戦いは、このような疑問を我々の前につきつけているのだ。
4.テロとの戦いのための拷問、そんなの、あたしが許さない
純粋な「現行法の解釈」という、法律論の側面では、日本ではアメリカと異なり「残念、修正第5条はグアンタナモでは使えないんでした!」という議論にはならない。むしろ、憲法に「絶対」とまで書かれて禁止されている拷問をすることが例外的に許されることはあるかと言った観点からの検討になるため、法的に言えば、非常に狭い穴がそもそもあるか、あるとしてこれを通れるかどうかという問題となる。ただ、某党の憲法改正案では「絶対」が抜けており、憲法改正後は、「公共の福祉(公益及び公の秩序)」の観点から、拷問が許される場合もあり得るという議論は十分に出てくるだろう*8。
この点については、1つの参考になる議論がある。要するに、理論的に突き詰めると、拷問が許され得る状況はあり得るかもしれないが、現実の事案はそんなに単純なものではないということである。
眞嶋俊造*9は、上記シューの事例を、改変する。
誰かが核爆発を起こすためにパリ中心部のどこかに起爆装置をこっそりと設置したという情報に基づき、ある容疑者の身柄を確保した。全ての無辜の人々や持ち運び可能な芸術品を避難させる時間は限られている。惨劇を避けるための最も効率的かつ効果的な方法は、その容疑者を拷問にかけることで場所を聞き出し、起爆装置を見つけ出し、それを解除することである*10。
この改変された事例は、上記のシューの事例と似ているが、「その被疑者が真犯人か分からない」「時間は限られているが、避難が一切不可能な訳ではない」「拷問が唯一の方法とは限らない」といった違いがある。そしてこの事例の方が現実に即しているだろう。
つまり、現実には、このようなテロ対策のため捜査機関が拷問を欲する事案は、事件がまだ「熱く」、真相が良くわからない状態で起こる。「(起爆装置の場所以外の)全てが明らか」だという理想的な事案はないだろう。そうすると、現実の事案において拷問を認める場合には、シューの事例のような理想的な状態が達成されることはなく、眞嶋の事例ような状態で拷問をするという事にならざるを得ない。
もちろん、このような状態でも、「もし何もしなければ1万人が死ぬという場合、被疑者一人の人権を侵害することで、1万人の命を救えるのであれば、1対1万なのだから、えん罪の可能性が50%あったとしても、まだ救える人数の期待値が5000ある以上、拷問を認めるべきだ」という論者はいるだろう。ただ、問題は、「人権」、特に刑事手続における人権というのはそんな数の対比で比較していいのかという問題であり、例えば、真犯人の可能性が51%あるからといって、有罪にしてはいけない(「疑わしきは被告人の利益に」、強い言葉でこれを表すものとして「十人の真犯人を逃すとも、一人の無辜を罰すなかれ。」)といったものは、これを表しているだろう*11。このような刑事手続における人権観に従うとすれば、(仮想事例においてシューの議論を承認するか否かを問わず)現実の事例においては、拷問は許されないということになるだろう。
消去法によって、ベベ(シャルロッテ、百江なぎさ)をすべてのからくりの「真犯人」だと合理的に推理したほむほむは、拷問で自白を迫る。その姿は、グアンタナモ基地におけるCIAの拷問を彷彿させる。そして、映画を見た方はお分かりのとおり、ベベへの拷問は、まさに「濡れ衣」もいいところであった。これこそが、まさに「現実の拷問」なのであり、被疑者についてテロリストだという「合理的な疑い」と、公益上重大な必要性*12があれば拷問をしていいというルールが導入されれば、第2、第3のべべが出てくるだろう*13。
まとめ
古くて新しい「拷問の禁止」の論点。米国はテロとの戦いで実際に拷問を用いており、また、憲法改正で日本でも現実化する恐れがある。しかし、実際の拷問が問題となるシチュエーションが、「不確実な事実」の中で行われるということを軽視してはならない。人権を数によって比較してはならないとのテーゼを承認するのであれば、現実の不確実性に鑑み、拷問の絶対禁止を維持すべきということになるだろう。『魔法少女まどか☆マギカ叛逆の物語』における、暁美ほむら(ほむほむ)によるベベへの拷問は、まさにこの不確実性(えん罪の可能性)を示す良い事例である。魔法少女まどか☆マギカは、劇場版もまた「法学」なのだ。
*1:「告発文」としてhttp://hrn.or.jp/activity/guantanamo_report_Kazuko_Ito.pdf等参照。
*3:Hurbury v. Deutch, 233 F.3d 596 (D.C. Cir. 2000
*4:例えば、http://www.law.tohoku.ac.jp/gcoe/wp-content/uploads/2009/03/gemc_01_cate4_4.pdfのケースの後日談として、拷問被害者の損害賠償を求めた訴訟が第一次控訴審で棄却された後、最高裁は再考を求めたが、差し戻しを受けた第二次控訴審は再度棄却した。そして最高裁は裁量上告の受理をせず、第二次控訴審が確定している。http://www.reuters.com/article/2009/12/14/us-guantanamo-torture-idUSTRE5BD31N20091214
*5:読売新聞の元記事はネット上で見つからなかったが、これを引用した記事として以下がある。http://www.kcn.ne.jp/~ca001/E41.htm
*6:前掲書57頁、なお、下記眞嶋論文中の訳を参考にした。
*7:同様の議論は法哲学者W・ブルガーが行っている。http://www.quon.asia/yomimono/business/column/mizushima/287.php。ドイツの議論を詳細に紹介した論文として、『理論刑法学の探求6』中の深町晋也「ドイツにおける「拷問による救助」をめぐる諸問題」がある。なお、@kfpause様と@synnA207様に情報を頂きました。改めて感謝の意を表させて頂きます。
*8:http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf
*9:同「正しい拷問?」応用倫理4号13頁以下
*10:眞嶋前掲論文18頁
*11:人数で比較していいのならば、10人の真犯人を逃がすくらいなら一人の無辜を罰すべきだとなるだろう。
*12:こちらは大規模テロの恐れがあれば多分常に認められる要件と思われる
*13:グアンタナモ基地の元収容者がえん罪で拷問を受けたと告発するものとしてhttp://voicejapan2.heteml.jp/janjan/world/0911/0911032649/1.php