アホヲタ元法学部生の日常

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憲法9条の解釈における「武力なき自衛論」の再興〜ガルパン劇場版の法的考察

お断り:本エントリは、ガルパン劇場版のネタバレを含みます。アニメ版(OVA*1を含む)ガルパンオールスターと新キャラが大活躍で誰(どの学校)のファンでも楽しめる劇場版は必見です!!


1.法の光を行き届かせる必要性を実感させる映画
 ガルパンファン待望の、ガールズ&パンツァー劇場版がついに公開された。法クラにとって一番の注目は、なんといっても、口約束でも契約が成立する根拠として生徒会長*2が、民法91条、97条」を指摘したことではなかろうか。


 もちろん、民法91条は「法律行為の当事者が法令中の公の秩序に関しない規定と異なる意思を表示したときは、その意思に従う。」という規定であるし、
 民法97条は「隔地者に対する意思表示は、その通知が相手方に到達した時からその効力を生ずる。」という規定であって、いずれも口約束でも契約が成立する根拠条文ではない
 法律をちょっとでもかじったことがある人は誰でも知っているように、現行民法にはこのことを明示的に規定する*3根拠条文はなく、民法改正案第522条2項の「契約の成立には、法令に特別の定めがある場合を除き、書面の作成その他の方式を具備することを要しない。」がこれに該当する*4



 この辺りの民法の超基本的な事柄について、大洗女子学園で一番交渉がうまく、全生徒を代表する生徒会長ですら理解できていない*5のは、法の光を世の隅々まで行き届かせる必要性を感じさせるところであり、映画を鑑賞しながら、大洗女子学園を廃校にしてロースクールに転換する必要性は高いなぁとしみじみと思ったところである。



 さて、冗談は兎も角、本エントリでは、あまりにも直球過ぎて前のエントリ
ガールズ&パンツァーの法的考察〜突然戦車道を復活させた大洗女子学園は、戦車道が嫌で転校した西住みほに対して法的責任を負うか? - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常
ではあえて言及を避けた、ガルパンと戦力不保持(憲法9条について検討したい。


2.敵に攻められたら、民衆の蜂起に期待しよう?
 日本国憲法第9条が、以下の通り規定して戦争放棄と戦力不保持を定めることはあまりにも有名である。

日本国憲法第9条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


この条項、特に戦力の不保持については、特に自衛隊の文脈で大きな論争となっていた。



戦力とは陸海空軍、あるいはそれに相当するような、外敵の攻撃に対して実力をもって抵抗し、国土を防衛することを目的として設けられる人的及び物的手段の組織体である(長谷部恭男『憲法』(有斐閣、第6版、2014年)58頁)。


 色々な議論はあるものの、自衛隊違憲とする見解は、以下の2つの見解のうちのいずれかを取っていることが多い。
 まず1つ目は、憲法9条1項を広く解する見解である。憲法9条1項であらゆる戦争、武力による威嚇、武力の行使が放棄されているとした上で、そうであれば当然に2項はあらゆる戦力を放棄していると論じるのである。
 2つ目は、憲法9条1項を狭く解する見解である。憲法9条1項はあくまでも侵略戦争を放棄しているに過ぎないとした上で、そうであっても2項があらゆる戦力を放棄していると解するのである。

1項であらゆる戦争、武力による威嚇、武力の行使が放棄されているとする者はもちろん、1項では侵略目的の戦争、武力による威嚇、武力の行使のみが放棄されていると解する立場の学者も、その多くは、2項前段で保持が禁止されているのはあらゆる戦力であると考える。あらゆる戦力を放棄しない限り、正義と秩序を基調とする国際平和の実現という1項の目的は実現されえないし、また憲法の条文中に自衛のための戦争や軍備の存在を予想した規定は存在しないからである。
長谷部恭男『憲法』(有斐閣、第6版、2014年)58頁


 その結果、憲法学会における従来の通説は、(上記2つのいずれの議論を採用するとしても結局は)憲法9条2項はあらゆる戦力を放棄したというものである。


 このような見解を取る限り、現在の自衛隊は、上述の意味における憲法によって保持が禁止された戦力にあたることとなろう(長谷部前掲書・58頁)。このような文字通りの「武力なき自衛論」は、あの芦部信喜教授も提唱している非常に有力な見解である(芦部信喜憲法学I」(有斐閣、初版、1992年)266頁)。


 この、「武力なき自衛論」によると、日本が万が一敵に攻められたらどうすればいいのだろうか。
 この場合の対処としては、「群民蜂起」(芦部前掲書・266頁)等がその方法として挙げられている。要するに一般の民衆が手に手に武器をとって、パルチザン戦ないしはゲリラ戦を展開し、それをもって敵に対抗するという考え方である*6


 ただ、このような見解には様々な問題がある。例えば、この理論に基づき、本当に自衛隊がある日突然解散すると、極東地域に突然戦力の空白域を発生するということになるが、これは、平和を生むよりも、戦争を生む可能性の方が高いのではないだろうか?

 一国のみが通常兵器を含めて軍備を全面的に放棄してしまえば、他国は軍縮へのインセンティヴを失ううえに、侵略によって得られる期待利益を増大させることにより、非武装によって生じた力の空白は、逆に周辺地域を含めて不安定化し、武力紛争の危険をもたらす危険がある。
長谷部恭男『憲法』(有斐閣、第6版、2014年)68頁


 現代のように、組織的に訓練された兵士が高度に発達した兵器を利用して戦争を行う時代において、群民蜂起などで本当に日本を敵から守れるか、やはり大いに疑問が残るところである。この「武力なき自衛論」を説得的に提唱する上での前提は、自衛隊がいなくとも、市民が手に武器を取って蜂起すれば敵から日本を守れるということではなかろうか。


そんな世界線が。。。。



あった!!



3.「武力なき自衛論」が適用可能なガルパンの世界
 ガルパンの世界では、戦車道が淑女のたしなみとして広く普及し、大量の戦車が日本に存在する。
 様々な私立学校等、多くの非政府組織が戦車道の修練のために大量の戦車を保有しており、(劇場版における大学選抜との戦いのように)「いざ鎌倉!」となれば、駆けつけて主砲をぶっ放して敵を撃滅することができるのである。


 なお、劇場版では、大洗女子学園が色々な経緯で大学選抜と戦うことになった際、多くの「仲間」が戦車を持って加勢に駆けつけた。ストーリー上はこれらの仲間は、私物の戦車を持って大洗女子学園に転入したという建前になっていた。この点は、「単なる建前」であって、実際は各学校の戦車の「使用窃盗」ではないかという疑惑も強いが、本エントリの関係においては、国家・政府機関の所有か、私的団体・私人の所有かが重要な区別であることから、この点については、あえて詳論に入らない*7


 この意味は、ガルパンの世界においては、多くの私人または私的団体がその私物として戦車を所有しており、その陸上兵力は強大だということである。


 しかも、個人の私有する航空戦力の強さも本映画の中では明らかにされた。


 サンダース大付属高校は、スーパーギャラクシー(C-5M輸送機)を持っており、これを学生が操縦している。


 世界最大級の輸送機を普通の学校が保有している世界線なのだから、その航空兵力もまた莫大なものがあるだろう。


 そして、海軍力についていえば、学園が(近代化改修をしなくても普通に空母として使えそうな)学園艦という形で艦隊化されている世界線である以上、水上においても強力な兵力が期待される。


 つまり、敵に攻められた場合には、このような軍事力を擁する私人(私立学校を含む)が陸海空において私有する兵器を活用して敵を殲滅することが期待できるのである。


 このような世界であれば、自衛隊といった戦力を国家機関が有する必要はない。自衛隊が解散しても「力の空白」が生じないばかりか、むしろ高校選抜と大学選抜が手と手を取り合い、(ボコの縁で)西住流と島田流が力をあわせれば、普通に自衛隊より強いのではないかとさえ思われるところである。


 これこそ、武力なき自衛論ないしは群民蜂起説が大手を振って実務で通用する世界線である


4.やっぱり大洗女子学園は廃校に!
 しかし、このような世界線においては、自衛隊違憲だとして即時解散させるだけでは足りない。文字通りの武力なき自衛論(群民蜂起論)をガルパンの世界で採用した場合、もう1つ、即時解散させるべきものがある。それは、大洗女子学園である!!



 ご存知のとおり、大洗女子学園は「県立学校」つまり、公的機関なのである。このような公的機関が日本の高校のトップに君臨するような強大な戦車道部隊、つまり、「陸海空軍、あるいはそれに相当するような、外敵の攻撃に対して実力をもって抵抗し、国土を防衛することを目的として設けられる人的及び物的手段の組織体」を有することは、少なくとも、武力なき自衛論に基づく憲法9条の戦力不保持の解釈上は許されない


 仮に大洗女子学園のみの力では「戦力」に至らないと解するとしても、日本中の国公立学校(大学を含む)の有する戦車道部隊の総力を集結すれば、頻繁に実戦(戦車道大会)を繰り返してその実戦力を強化していることも鑑みれば、違憲の疑いが極めて強いと言わざるを得ない。


 そう、あの超ムカツク文部科学省所属学園艦教育局長のやろうとしている学園艦統廃合は、憲法9条を遵守するため、「戦力」に該当する大洗女子学園等の国公立学園艦を徐々に廃止していこうという、「立憲主義」の観点からは賞賛に値する行動だったのだ!!



 ここでも、「法の光」を隅々にまで広め、立憲主義をみんなが理解し、これを尊重することが必要である。生徒会長のやるべきことは、大洗女子学園の存続のための約束を引き出すことではない。聖グロリアーナ女学院、サンダース大学付属高校、アンツィオ高校プラウダ高校、黒森峰女学園、知波単学園、継続高校その他の各校と手と手を取り合い、県立大洗女子学園を公立高校から私立高校へ転換し、憲法9条を守ることである*8

まとめ
 ガルパンの世界は、憲法9条の解釈における「武力なき自衛論」をそのまま実務に適用できる世界線であるという意味で法律的に非常に興味深い。
 そして、その世界線において文部科学省学園艦局が必死で大洗女子学園を廃校にしようとしているのは、憲法9条を守るための正当な行為なのである。
 憲法9条がある限り、何度でも、何度でも大洗女子学園は閉校の憂き目にあうだろう。
 生徒会長は、閉校撤回の条件について文部科学省と交渉するのをやめ、即刻大洗女子学園を私立学校へ転換するための行動を始めるべきである。
 これが、立憲主義のあり方であり、法の光がガルパンの世界の隅々まで行き届いた場合のあるべき姿なのだ!!

*1:TOKYO MXで2016年1月3日に地上波初放映ですが、これを先に見ておくと、ガルパン劇場版がもっと楽しめます!

*2:角谷杏

*3:民法416条2項がわざわざ「保証契約は、書面でしなければ、その効力を生じない。」と規定していることはこのことを裏から確認していると言えるかもしれない。

*4:なお、同条は現行法では承諾通知の延着に関するもの。一般的な法律の条文がどう消えてどう変わっていくのかについては、「大嘘判例八百選」の「削除された条文は,いったいどこへ行くんだろう。」参照

*5:ここは「本当に知らないのか」という問題があるが、国家公務員試験を突破し、法律知識を有する官僚に対し、「適当な法律の条文を言う」ということがハッタリとして効くとは到底思えないので、個人的には本当に知らない説を採りたい。

*6:「国家の自衛権の行使方法についてみると、つぎのような採ることのできる手段がある。つまり甲第一七九号証、証人田畑茂二郎の尋問結果からは、自衛権の行使は、たんに平和時における外交交渉によつて外国からの侵害を未然に回避する方法のほか、危急の侵害に対し、本来国内の治安維持を目的とする警察をもつてこれを排除する方法、民衆が武器をもつて抵抗する群民蜂起の方法もあり、さらに、侵略国国民の財産没収とか、侵略国国民の国外追放といつた例もそれにあたると認められ、また証人小林直樹の尋問結果からは、非軍事的な自衛抵抗には数多くの方法があることも認めることができ、また人類の歴史にはかかる侵略者に対してその国民が、またその民族が、英知をしぼつてこれに抵抗をしてきた数多くの事実を知ることができ、そして、それは、さらに将来ともその時代、その情況に応じて国民の英知と努力によつてよりいつそう数多くの種類と方法が見出されていくべきものである。」とした長沼ナイキ事件第一審判決札幌地判昭和48年9月7日民集36巻9号1791頁参照

*7:この段落につき、12/20に修正

*8:私立学校化に必要な資金は「ガルパンおじさん」が出してくれるかもしれない。

ガールズ&パンツァーの法的考察〜突然戦車道を復活させた大洗女子学園は、戦車道が嫌で転校した西住みほに対して法的責任を負うか? 


【ご注意】本エントリは、テレビアニメガールズ&パンツァーのネタバレを含みます。テレビアニメを見ていない人も、劇場版の公開前に予習したい人も、ぜひ先にテレビアニメ版を見てから本エントリをご覧下さい。


なお、12月20日0時(19日11時59分が回ったところ)にあわせ、劇場版のネタバレを解禁しました。
憲法9条の解釈における「武力なき自衛論」の再興〜ガルパン劇場版の法的考察 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常
以下のエントリでは「まあ、それは「設定」ということで、とりあえず置いておこう。」と書いてしまったネタを正面から扱っています。


1.ガールズ&パンツァーとは


 「戦車道」ガルパンの世界において女子の嗜みとして行われる武芸である。法律の世界には、「職質道」がある(相良真一郎ほか『誰にでもできる職務質問―職質道を極める』参照)があるが、それと似た、インパクトのある言葉である。


 西住流戦車道の家元の家に生まれた西住みほは、戦車道の名門黒森峰女学園で戦車道に邁進していたが、ある事故を原因として、戦車道をやめる。そして、戦車道のない学校を探し、茨城県にある大洗女子学園に転校した。


 ところが、文部科学省の方針による統廃合の波は大洗女子学園に及び、大洗女子学園は廃校の危機に瀕した。廃校を免れる唯一の方法は、スクールアイドルの祭典、ラブライブ!で優勝すること。



 ではなく、戦車道の公式戦に参加し、黒森峰女学園を初めとする名門校を押しのけて、優勝することである。この目的を達成するために白羽の矢が立ったのは、学園唯一の戦車道経験者である、西住みほ。必修選択科目に戦車道を復活させると、猛烈な圧力をかけて戦車道を選択するよう要求する。西住みほは最初は断るが、最後は再び戦車に乗ることを決意する、そして、旧式車両に未経験者という極めて厳しい条件の下、公式戦を戦う。これが、ガールズ&パンツァーである。


 2015年11月21日からは「劇場版 ガールズ&パンツァー」が公開される。劇場版公開を祝してガルパンを法的に分析したい。


2.「ええっ!話が違う!」


 ガルパンで一番の法的問題は、やはり大量かつ強力な*1戦車を有する国公立学園艦の集合体は、もはや「実力であって戦力ではない」と言える程度を遥かに凌駕しており、憲法9条に違反するのではないかという点なのだが、まあ、それは「設定」ということで、とりあえず置いておこう。


 この問題を除くと、やはり大きな問題は、かわいそうな西住みほであろう。


 そもそも、西住みほがなんで転校したか、特になんで転校先として大洗女子学園を選んだのかといえば、それはまさしく戦車道がなかったからである。それにもかかわらず、完全な学校側の事情で戦車道を復活させて、しかも、廃校を免れると言う高度な必要性から強いプレッシャーをかけて西住みほに戦車道を選択させた。西住みほにいわせれば、「話が違う!」である。



 このような、学校教育の内容が事後的に変更され、入学(転校)を決定した際のものと大きく異なってしまった場合に、学校は責任を負わないか。


3.教育内容の変更と学校の責任
 もちろん、「教育内容が宣伝・説明と元々違っている」という詐欺的な事案は多い*2が、本件のような「当初は説明どおりだったのだが、その後事情が変化して大きく違ってしまった」という事案はほとんどない。


 しかし、最高裁判例に、本件に一見似ている事案がある。それが最判平成21年12月10日民集63巻10号2463頁である。同判決とその調査官解説*3の内容を簡単に説明しよう。



 この事件が起こったのは、茨城県(残念ながら大洗ではない)のとある高校である。この高校では、前校長が、特色のある論語に依拠した道徳教育を行っており、それを生徒募集説明会等で明確に説明し、原告を含む親権者の中には、このような道徳教育を受けさせたいと考え、子女を同高校に入れさせようとした者が少なくなかった。ところが、前校長が金銭問題等を原因として突然解任されるという事件が起こり、外部から新校長を招へいする必要性が生じた。新校長は、論語に依拠した道徳教育を廃止し、通常の学習指導要領どおりの道徳教育に切り替えた。そこで、原告らが、学校選択の自由を侵害された、ないしは、論語に依拠した道徳教育がなされるという期待・信頼が侵害されたとして提訴したものである。


 原審(東京高判平成19年10月31日判例タイムズ1271号165頁)は、原告勝訴の判決を下した。要するに、このような突然の教育内容の変更が学校選択の自由を不当に侵害したとしたのである。


しかし、最高裁は、原判決を取消し、学校を勝たせた。


 最高裁のロジックはややわかりにくいが、主に2つの議論をしている。
 まず1つ目は、学校選択の自由の侵害の問題である。最高裁は、親の学校選択の自由については,その性質上,特定の学校の選択を強要されたり,これを妨害されたりするなど,学校を選択する際にその侵害が問題となり得るものとした上で、本件では、そのような事情はないとして学校選択の自由は侵害されていないとした。*4


 そして2つ目として、期待・信頼への侵害について検討した。そして、学校による生徒募集の際に説明,宣伝された教育内容等の一部が変更され,これが実施されなくなったことが,親の期待,信頼を損なう違法なものとして不法行為を構成するのは,当該学校において生徒が受ける教育全体の中での当該教育内容等の位置付け,当該変更の程度,当該変更の必要性,合理性等の事情に照らし,当該変更が,学校設置者や教師に裁量が認められることを考慮してもなお,社会通念上是認することができないものと認められる場合に限られるとして、本件においてはやむを得ない変更だったとして、期待・信頼への侵害を否定した


 ここで、留意すべき点が2つあるだろう。
 まず1つ目は、本件と最高裁判決の共通点である。特に最高裁判決が重視したのは、学校設置者や教師の教育内容等における裁量である。入学後、小学校であれば最大6年間の期間があるのであって、その間に諸般の事情が変更し、入学前に宣伝、説明していた内容の教育を行うことがむしろ不合理になることは十分あり得る。そして、どのような教育内容を行うかどうかは、専門家である学校設置者や教師の裁量にゆだねられるべきものとしたのである。この点は、本件と最高裁判決の事案で共通しており、裁量の存在は否定すべくもないだろう。


 次に2点目は、本件と最高裁判決の違いである。調査官解説を参考に最高裁判決を読むと、重要な違いが見つかる。最高裁判決では「親」が教育変更を問題視しているのである。特に、調査官解説では、(私見と付されながらも)中学校以上の場合には生徒が在学契約の当事者と解すべきとの見解が付されており(928頁)、結局、最高裁判決の事案は、在学契約の当事者ではない親がその利益侵害を主張したものであるところ、本来子が在学契約の債務不履行の問題として学校設置者に対し責任追及すべきものであり、それと別個に親の利益が認められるとしても、それは狭い保護にならざるを得ないのは必然だろう(調査官解説918頁参照)。



 そして、実際に、下級審ではあるが、事後的な変更を理由に損害賠償請求を認めた事案がある(東京高判昭和52年10月6日判例タイムズ352号163頁)。この事案は、大学生であった原告に対し、大学側が大学学部と修士の計6年の一貫したプログラムがあると公示し、原告に対して編入を勧めたので、原告は編入を決意して大学4年生まで来たところ、修士課程の募集を突然打ち切ったというものである。裁判所は、このようなプログラムがあるという言明を信じて神学科三年に編入学した原告に対し、大学は信義則上正当な理由なくしてその信頼に違背するようなことをしてはならない義務を負担するとし、その信頼を裏切ったとして、慰謝料の請求を認めた。


そう、在学契約の当事者である生徒本人が学校を訴えれば、勝つ余地はあるのである。


4.西住みほは勝てるか?
 西住みほは、大洗女子学園との間で、在学契約を結んでいる。西住みほが損害賠償を請求する上で、1つ目の課題は、在学契約において、戦車道が存在しないことが契約の要素になっているかである。確かに西住みほ本人の主観としては戦車道がないことが重要な選択な理由だったのだろう。しかし、上記高裁判決のように、「修士一貫プログラムを提供すること」という教育内容として積極的に何かが宣伝・説明された場合と異なり、単に存在しないというだけである。もしかすると、「戦車道はありますか?」「ありません」というやりとり位はあったのかもしれないが、戦車道がないことを積極的な学校の選択理由とする人は、西住みほのような特殊事情でもない限り普通はいないと思われ、在学契約の中に「戦車道が存在しないこと」が含まれたかは、難しい問題である。


仮にこの課題をクリアしても、更に難しい2つ目の課題に引っかかるだろう。それは、学校による教育内容変更の裁量である。最高裁が述べているように、教育期間中に事情が変更し、それに応じて教育内容を変更する必要が生じることは否定できない。
 そして、今回の事情変更は、戦車道をやらないと、いや、戦車道の公式戦で優勝しないと廃校である。このような緊急事態を招く重大な事情変更があった以上、論語に依拠した道徳教育を(論語に依拠しない)学習指導要領に依拠した道徳教育に切り替えことのが正当化されたように、西住みほに対する教育内容を(戦車道以外の)何らかの伝統的な伎芸から戦車道へと切り替えることも正当化されるのではなかろうか。


まとめ
判例の学校による教育内容変更の裁量を念頭に置くと、大洗女子学園は戦車道を復活させて、西住みほに戦車を操らせることが正当化される。
そう、テレビアニメシリーズにおける大洗女子学園の行動は、法律的に分析しても適法だったのである。
さあ、待望の「ガールズ&パンツァー劇場版」公開は明日11月21日。映画館へ、パンツァー・フォー!

*1:12/20修正

*2:詐欺的事案については、平野裕之「教育サービスの債務不履行とその救済」http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php?file_id=12727 が詳細な説明をしている

*3:平成21年度調査官解説民事編(下)907頁以下、西田隆裕裁判官

*4:調査官解説では「教育内容の変更が、当該学校で教育を受け続けることを強制するものではないし、他の学校の選択を妨げているわけでもな」いことを強調している(916頁)。

ビジネスロージャーナルに「辛口ブックレビュー」を掲載します!

BUSINESS LAW JOURNAL (ビジネスロー・ジャーナル) 2015年 2月号 [雑誌]

BUSINESS LAW JOURNAL (ビジネスロー・ジャーナル) 2015年 2月号 [雑誌]


1.ご好評頂き、ありがとうございました!

昨年末発売のビジネスロージャーナル2015年2月号に、2014年に発売された企業法務向けの本に関するブックガイドを掲載させて頂きました。私が捕捉した範囲では、以下のような多くの法務関係者の皆様からご好評頂きました。どうもありがとうございました。


・企業法務マンサバイバル(橋詰)様
元企業法務マンサバイバル : 法務パーソンのための基本書ブックガイド2015
「私も知らなかったレアな情報もあり、かつブックレビューなのになぜか脚注を読むと大変勉強になるという、おかしなことにもなっています」と過分なお言葉を頂きました。なお、当初「おすすめ本は1冊を除き同感」とされていた1冊につきましては、

元企業法務マンサバイバル : 【本】『契約書作成の実務と書式』― 食わず嫌いは損をする


という補足を頂いております。


・dtk様
dtk's blog (ver.3):BUSINESS LAW JOURNAL (ビジネスロー・ジャーナル) 2015年 2月号 [雑誌]


「初登場のronnorさんによるレビューは、絶好調というか、注釈における個別の記載への突込みまで、最近の無双ぶりからすれば驚くことはないのだろうが、それでも目を引く。」


と、これまた過分なお言葉を頂きました。



・企業法務戦士様
「ブックガイド」企画に訪れた刺客。 - 企業法務戦士の雑感
「一つひとつの書評に、(業界ではかねてから定評がある)鋭い指摘とウィットの利いたユーモアが散りばめられており、ややマニアックな印象すら受ける脚注の記述まで、隅から隅まで面白く読める。」と、これまた過分なお言葉を頂きました。


その他様々な方にも取り上げて頂いておりますが、総じてご好評頂いたようです。


拾い読み BLJ2015年2月号から : 企業法務マン迷走記2
BLJ「法務のためのブックガイド2015」に寄稿しました&「実務書と実務家、そして編集者について」 - bizlaw_style


どうも、ありがとうございました。


2.今年も寄稿させて頂くことになりました


このように昨年のものにつきご好評頂いたことを踏まえ、ビジネスロージャーナル編集部の方から、今年も寄稿をさせて頂くことになりました。どうぞよろしくお願い致します。
今年も、私が今年発売された本から厳選し、辛口で批評するという昨年ご好評頂いたコンセプトで書かせて頂く予定です。


3.お願い

ただ、前回の反省として、やはり一人だけで読むと、抜け漏れが出てしまったり(企業法務に関係する本のうち認識できていないものがある可能性がある)、パラパラと読んで「ダメだ」と簡単に評してしまった本についても、もしかすると熟読すれば良いところが実感できるかもしれないという意味で、選書から評釈まで全部一人でやるのは限界があると思いました。


評釈の方は一人でやるにせよ、選書については、他の皆様にもご意見を頂ければよりよいものになるかもしれない、そのような観点から、皆様のオススメ本とその理由を一言教えて頂ければと考えております。


 このお願いの目的は記事の「参考」にさせて頂くということです。そこで、頂いたご意見がそのまま記事になるのではなく、記事でどの本を選ぶか、選んだとしてどのようなコメントを付すかは私の方で判断させて頂きます。しかし、参考になった情報につきましては、記事中でクレジットをさせて頂きます(記事中で触れて欲しくない場合はその旨もお伝え下さい)。


Twitterが利用可能な方は、本年1月〜10月発売の本を #BLJreview のタグを付けてご紹介頂ければ幸いです。それ以外の方は、本記事のコメント欄か私のメールアドレスまでご連絡頂ければ幸いです。期間は反映できる最後の日として11月23日までとさせて頂きます。どうぞよろしくお願い致します。

ツイッター企業法務の可能性〜新時代の企業法務の姿を模索する

ツイッター創業物語 金と権力、友情、そして裏切り

ツイッター創業物語 金と権力、友情、そして裏切り

1.はじめに
 ツイッターは企業法務においては、これまでは、いわゆるSNS規程(名称は各社によって異なる)によっていかに従業員及び会社の公式アカウントが違法行為や会社の名誉・信用を毀損する行為を行うことを防止し、炎上を予防するかという観点から検討されてきたことが多いと言える。


 しかし、ツイッターと企業法務の関係はそれだけであろうか。ツイッターにまつわる企業法務についてSNS規程以外を若干検討してみたい。



2.反社条項との関係

事例1 契約後、先方の社長が反社会勢力の「組長」と相互フォローの関係にあり、親しげにリプライを交わしていることが発覚した。契約の反社条項に該当するか。


反社会勢力排除の社会運動が高まるにつれ、反社会勢力との関係は秘密のうちに行われるようになった。そこで、契約雛形においては「反社条項」が標準的に入っている。もっとも、契約時において反社会勢力やその関係者ではないことの表明・保証をさせるとしても、契約後、当該相手方当事者が本当に反社会勢力と関係を持ち続けていないことを確認することはそう容易ではないのが現状である。


ところが、ツイッターで公開アカウントを持っている反社会勢力関係者が少なからず存在し、万単位のフォロワーを有しているアカウントも存在すると仄聞する。すると、相手方当事者の役職員等がフォローをしていることもあり得るところである。そして、公開アカウントであれば、そのリプライの内容等を第三者が検証することができ、上記事例のような状況が生じ得る。問題は、このような状況が、反社条項に該当し、契約の解除事由になるかである。


まず、重要なことは反社条項の内容だろう。例えば、昔は、暴力団暴力団員・暴力団準構成員・暴力団関係企業・総会屋等、社会運動等標ぼうゴロまたは特殊知能暴力集団等とでないことを誓約させられることが多かったが、ここでいう「暴力団関係企業」というのは、いわゆるフロント企業であって、単に組長とツイッター上で親しく会話をする程度ではこれに該当しないだろう。


ところが、近年では、より実質的な関係を考える条項例が増えている。例えば、銀取には、以下のような定義がなされることが多い。

私または保証人は、現在、暴力団暴力団員、暴力団員でなくなった時から5年を経過しない者、暴力団準構成員、暴力団関係企業、 総会屋等、社会運動等標ぼうゴロまたは特殊知能暴力集団等、その 他これらに準ずる者(以下これらを「暴力団員等」という。)に該当しないこと、および次の各号のいずれにも該当しないことを表明 し、かつ将来にわたっても該当しないことを確約いたします。
1.暴力団員等が経営を支配していると認められる関係を有するこ と
2.暴力団員等が経営に実質的に関与していると認められる関係を有すること
3.自己、自社もしくは第三者の不正の利益を図る目的または第三者に損害を加える目的をもってするなど、不当に暴力団員等を利 用していると認められる関係を有すること
4.暴力団員等に対して資金等を提供し、または便宜を供与するな どの関与をしていると認められる関係を有すること
5.役員または経営に実質的に関与している者が暴力団員等と社会的に非難されるべき関係を有すること
http://www.zenginkyo.or.jp/fileadmin/res/news/news230602_1.pdf


基本的には1〜3号は単に組長をフォローするだけでは該当しないということになるだろう。問題は4号と5号である。


例えば、何万人というフォロワーのいる会社のアカウントが、組長のツイートをリツイートすることで、当該組織の知名度向上を助けたと言える場合、「便宜を供与」として、4号該当の可能性が出て来る。
また、役員等の経営者が、組長と儀礼的以上に仲の良いリプを送り合っている場合、それが「社会的に非難されるべき関係」として、5号該当の可能性が出て来る。


一般には、ツイッター上の行為が反社条項に該当する場合はあまり多くないとは思われるものの、特にそれが会社の公式アカウントや役員等の経営者のアカウントによる場合、実際の行為態様を当該反社条項の個別の規定の解釈にあてはめて判断する必要が出て来ることがあることから、社長のこれまでの会話のログを分析した上で、それを当該契約の反社条項にあてはめて検討する必要がある。


3.契約の成否

事例2 携帯電話の利用者が携帯電話会社の社長に対し「Aができるようにして下さい」とツイッター上で依頼したところ、社長から「やりましょう!」というリプが来た。


保証のような例外を除き、ほとんどの契約は不要式契約なので、理論的には口頭ですら成立し得る。そこで、ツイッター上におけるコミュニケーションだからといって契約が成立しないとは言えない。実務上、このような契約の成否の問題における要点は(1)権限の問題と(2)表示内容の解釈になるだろう。


まず、権限というのは、仮に先方の役職員が「承諾」をしたとしても、その人が権限を持っているのかである。権限を持っていなければ、無権代理表見代理の問題となる。代表取締役であれば権限の問題は少ない*1。しかし、従業員等であれば権限がない場合も十分あり得る。


次が表示内容の解釈である。ここで、企業法務実務においては、大きな傾向として、重要な契約であれば契約書という書面に押印するという慣行が見られることが多い(大島眞一「完全講義 民事裁判実務の基礎」529頁参照)*2。すると、契約書作成前の口頭や電子的なコミュニケーションは、あくまでもこのような契約書を作成したいとの意向や契約書の内容にそのような内容を盛り込みたいという意向の表明に過ぎず、正式な契約の「申込」や「承諾」ではないことが少なくない。特に、公開の場での契約合意というのは、少なくともこれまでの企業法務実務における限りにおいて、特段の事情がない限り普通は行われないだろう。仮にツイッター上で法的拘束力のある合意を行うのであれば、DM等の非公開の場で行うのではないかとも思われるところであり、ツイッターの公開アカウントでのリプライによって「申込」と「承諾」が一致し契約が成立するというのは、少なくとも企業法務実務ではあまり多くはないように思われる。


例えば、上記事例の「やりましょう」は、あくまでも、Aという内容を契約(約款)に盛り込む方向で社内調整を行いたいという意向に過ぎず、契約内容の変更合意とは解されないという場合が多いのではなかろうか。但し、今後ツイッターが企業法務実務で用いられることが増えて来れば、また新たな慣行が生まれ、上記と異なるべき解釈をすべき場合も出て来るだろう。


4.債権回収

事例3 お金がなくて払えないと言っている相手方の社長が別荘でクルーザーを乗り回している姿をツイッター上のアップした。

ツイッターから債務者の生活状況、財産等を伺うことができる。毎日高級レストランで食べている姿をアップしていれば、そのような生活をする資金がどこからか来ているということである。もちろん、直接財産のありかを示す場合は少ないが、財産調査の「端緒」となることは少なくない
上記の事例では、ツイッター上にジオタグ等で場所を表示している場合はもちろん、そうでない場合でも、他のツイッター内外の情報と結合する等の方法で別荘やクルーザーを特定し、登記・登録を元に財産を突止めることができる可能性がある*3


5.訴訟

事例4 当社製品について欠陥があって怪我をしたとして損害賠償請求をするクレーマーがツイッターで、同業他社から同種事故の示談金・和解金をせしめた旨を呟いた。

 ツイッターにおける相手方当事者の呟きの内容が訴訟における主張等において参考になることがあり得る。直接当社に言及する呟きは流石に自制することが多いが、それとは直接関係のない呟きに「宝」が埋まっていることも少なくない。そしてこれらの呟きから相手方の認識や意図を推測することができることがある
上記の事例であれば、仮に怪我について診断書等が一応あっても、このような呟きから、他の会社の製品の欠陥等、当社製品と無関係の怪我ではないか*4といった推測ができ、これを1つの間接事実として主張することができる場合もあるだろう。


 なお、このように訴訟でツイッターを用いる場合には、個別ツイートを表示させ、そのURLを含めて印刷することが望ましい*5

まとめ
 これまで、企業法務とツイッターといえば、その利用をSNS規程により制限し、会社に累が及ばないようにするという発想が多かったように思われる。
 しかし、ツイッターがいわばインフラとしてコミュニケーションで広く活用される現状においては、企業法務において、SNS規程以外にも色々とツイッターは問題となってくるのではなかろうか。これが、このブログ記事を書こうと考えたきっかけである。
 もちろん、上記はあくまでも「やっつけ」で考えた「私案」に過ぎず、間違いも多いと思われるが、逆に忌憚なきご批判を頂くことで、ツイッター企業法務をより精緻なものへと深化できればと期待している
なお、もし万が一、twitterを会社のパソコンからアクセス禁止にしてる会社があるとすれば、 このようなツイッターの企業法務における重要な意義に鑑み、法務部だけでもアクセス可能にすべきであろう。(えっ、当社のパソコンでツイッターにアクセスできるか? それはもちろん「禁則事項」ですっ!)

*1:もちろん、社内規程で一定の行為は取締役会の決議等が必要とされているだろうが、「代表取締役は、株式会社の業務に関する一切の裁判上又は裁判外の行為をする権限を有」(会社法349条4項)し、こ「の権限に加えた制限は、善意の第三者に対抗することができない」(同5項)ことから、権限があると信じていれば救われることは多い

*2:もちろん、この慣行は業界や契約類型等によって異なっており、例えば、原稿の依頼について、事前に契約書が交わされることはむしろ少ないかもしれないのであり、この問題の検討は業界別や契約類型別に検討する必要がある。

*3:なお、契約の相手方が会社であり、別荘等が社長の個人財産である場合等には、債務者が誰かという問題等が別途生じ得る

*4:更には、各社に対して、当社と同様に「御社の製品のせいで怪我をした!」と言っているのではないか

*5:「インターネットのホームページを裁判の証拠として提出する場合には、欄外のURLがそのホームページの特定事項として重要な記載であることは訴訟実務関係者にとって常識的」とした知財高判平成22年6月29日参照

寿司債権論研究序説〜寿司債権の法的性質と執行方法〜


鮨 すきやばし次郎: JIRO GASTRONOMY

鮨 すきやばし次郎: JIRO GASTRONOMY

(イメージ)



1.はじめに
 寿司債権は、現在の法クラ(法学クラスタ)においては、寿司債権発生原因事実が生じた場合に、債権者が債務者に対して有する債権という意味で使われることが多いようである*1。この語は、2014年の法クラ流行語大賞で入賞*2しており、法クラの間では寿司債権の発生及び履行は相当普遍的に見られる現象と言える。しかし、その法的分析が進んでいるとは到底言えない。例えば、寿司債権に関する公刊された論文は私がci.niiで探した限り一本もなく*3、その意味では、法的議論の空白地帯が存在するのである。


 それでは、寿司債権発生原因事実とは何であろうか。また、寿司債権は寿司以外で履行することはできるのだろうか、寿司債権者は寿司債権をどのように執行すればいいのだろうか。その他の寿司債権にまつわる諸問題について、「試論」という形で問題を提起し、私のテンタティブな見解を述べたい。本論稿の趣旨は、議論の喚起に過ぎず、私自身、自説が正しいとは露も思っていないことから、皆様からの反論を歓迎したい。



2.寿司債権発生原因事実論


 まず、いかなる場合に寿司債権は発生するのか、要するに、寿司債権履行請求訴訟の請求原因事実は何か。これを、債務者側の要件と債権者側の要件に分けて検討する。


(1)債務者側の要件
 まず、債務者側の要件というのは要するに、寿司を奢らせるべき理由である。



(a)不労所得の獲得
 例えば、寿司債権の現実の履行案件として著名な、本年4月29日に実施された寿司債権者集会においては、債務者がベストセラーライトノベルを執筆し、印税収入という不労所得を得たことから寿司債権が発生されたものと推測される。


 もちろん、印税収入は、それまでの執筆作業に対する対価という意味もあるので、それを「不労」所得と評すべきかには争いがあるところだろうが、少なくともベストセラーまで行けば、それにより得られた超過利潤分を世の中に還元すべきという議論は十分に合理的であり、これが発生原因であるという通説的理解は妥当であろう。
 

(b)高収入を誇示する発言
 次に、例えば、「税金が高い」「節税しなきゃ」「今月は新件が多い」発言をする等、高収入を得てそれを誇示するような発言をすることも、寿司債権の請求原因事実と理解することができる。


 ここで、この類型の発生原因事実が、「高収入を得た事」そのものなのか、それとも公然と高収入を「示唆した事」なのかについては争いがあり得る。私は、不労所得の獲得と同様、社会通念上、他人に還元すべきと認められる程度の高収入を得た事そのものが債権の発生原因事実であって、それを示唆したことはその証拠(間接事実)に過ぎないと考えるが、金持ちアピールをしたことではじめて、「そんなに金があるなら寿司奢れ」という形で寿司債権を発生させるという反対説も合理的であって、この点は更なる議論が必要であろう。


(c)ぼっち飯発言?
 上記2類型とやや様相を異にするのは、「夕飯を一緒に食べる相手がいない」発言である。要するに、ボッチ飯の寂しさをアピールし、その裏で「誰か一緒に食べてくれるなら奢ってあげてもいいよ」と示唆することも、寿司債権の発生原因事実になり得るのではないかという問題である。ただし、この類型はあまり事例(特に、ぼっち飯アピールの後に実際に奢ったのかどうか)が蓄積しておらず、この点は今後の研究課題と思われる。


(2)債権者側の要件
 次に、債権者側の要件というのは要するに、この人が寿司を奢られるべき人である理由である。


(a)具体的な内容
 例えば、宣伝が挙げられる。特に上記の(a)不労所得の獲得の場合には、当該本を宣伝してくれた人が債権者と理解するのは自然である。


寿司債権発生の瞬間 - Togetter


 という数少ない、寿司債権の発生の瞬間が目撃された事案においても、当該書籍の宣伝者(寿司債権者)につき、印税の獲得者(寿司債務者)に対する寿司債権が発生するという前提であることが読み取れる。


 その他、ツイッターを「寿司債権」で検索すると、寿司債務者が必要としている情報を提供したり、「明示的に寿司債権者であることを強く主張する」こと等が寿司債権者となる要件として認められていることが推測される。


(b)相関関係論
 私は、これらの多様な「債権者側」の発生原因について、相関関係論を提唱したい。
すなわち、上記で見たような債権者側の発生原因は一言で言えば「(寿司債務者に対する)貢献」という言葉でまとめられるであろう*4。そして、債務者側の奢るべき理由が強ければ強い程、貢献の程度が低くても成立するというのが、私の提唱する相関関係論である。


 例えば、某ベストセラーライトノベルに関しては約30名というかなりの多くの人が寿司債権者として債権届出をしたそうであるが、これは、当該ライトノベルがベストセラーであって、債務者側の奢るべき理由が強い事案であったからという分析ができる。このような事案においては、超過利潤が莫大であるから、比較的貢献度が乏しい人も寿司債権者となり得る。これに対し、印税が少ない書籍等であれば、相当大きな貢献が必要であり、もしかすると寿司債権者となり得る程の貢献者は1〜2名しかいない*5ということもあり得るだろう。


 更なる問題は、このように相関関係論を取った場合において、「寿司債務者側の奢るべき理由が莫大であれば、貢献が0に限りなく近くても寿司債権者になれるのか」ということであるが、「相関関係論を取る以上、超過利潤が無限大なら理論上貢献が0でも寿司債権者になれると考えるべきで、単に実務上超過利潤が無限大にはならないことから、実務上寿司債権者となるため0を超える貢献が必要とされているだけ」という考えと、「最低限満たすべき貢献の程度はある」という考え方の双方があると思われ、今後の議論を待ちたい。



(3)まとめ
 以上をまとめると、


(超過利潤を得る等して)社会通念上世間に対する還元を求められても当然と解される地位にある寿司債務者に対して、何らかの意味での貢献を行った寿司債権者が有する債権が寿司債権である


という寿司債権理解に到達することになる。これが正しい理解なのか、異論もあろうことから、皆様の反論を待ちたい。



3.寿司債権と債務の本旨に従った履行
 寿司債権の実際の履行においては、それが債務の本旨に沿った物かが問題となる。例えば、回転寿しの場合はどうか、例えばフレンチはどうか、天ぷらは、焼き肉は? という問題である。


 まず、寿司債権者がそのような履行でよいと同意・承諾している場合には、その内容が債務の本旨に従っていると言える。


 問題は、例えば「寿司債務者は1000円の回転寿しで安くあげたいが、寿司債権者は1万円の回らない寿司を要求する」というように、寿司債務者と寿司債権者の見解が対立する場合であろう。この場合については、社会通念上どのような内容が「寿司」債権かというのを基準として判断せざるを得ないのではなかろうか。そして、寿司債権というのは、貢献者たる寿司債権者が、超過利潤を得る等した寿司債務者に対して有する債権なのである。そこで、そのような状況下において「寿司を奢る」ならば、「最低限これくらいは必要だろう」という水準が寿司債権が債務の本旨に従った履行として認められる最低限であろう。


 その観点からすると、回転寿しというのはいかにも安上がりであって、あえて寿司債務者に対して奢らせる内容としては社会通念上不足している、つまり、債務の本旨に従った履行ではないという考えを持つ人が多いのではなかろうか。逆に言うと、厳密な意味での「寿司」ではなくとも、天ぷらやフレンチのような(回らない)寿司と同等ないしそれ以上の価値のものであれば、債務の本旨に従った履行であるという考えを持つ人が多いのではなかろうか。(もちろん、異論はあるだろう。)


 なお、寿司債権の履行に際し、寿司債権発生原因事実について債務者に自ら説明させるという実務上の取扱いがなされた例があると仄聞するが、この事案が特殊事例か、一般化できるものかについて、今後の事例の蓄積を待ちたい。


4.寿司債権と相殺
 寿司債権については、やや特異な考えかもしれないが、私は相殺禁止債権であると考える。つまり、民法505条1項但書は「債務の性質がこれを許さないとき」は相殺が不可能であるとするところ、寿司債権の性質上相殺が許されないと解するのである。


 それは、寿司債権について相殺を認めると、実務上不都合が生じるからである。すなわち、寿司債権者と寿司債務者の関係を考えると、例えば、「Aが本を書く際に、Bが協力し、逆にBが本を書く際にはAが協力する」とか「Aがその専門分野外の事件の処理をして儲ける際に、専門家であるBからの情報提供を得て、逆にBがその専門分野外の事件の処理をして儲ける際に、専門家であるAからの情報提供を得る」といった持ちつ持たれつの関係が少なからず存在するように思われる。此の様な場合に、相殺を許してしまうと、寿司債権が履行されることが実務上かなり減ってしまうのである。


 もちろん、「現実の履行が減ったって別にいいじゃないか」という見解も十分説得的である。この点は、寿司債権の実務上果たしている機能と関連するところ、これは単独説かもしれないが、私は「寿司債権」という言葉には、他人を食事に誘う際のきっかけと言う面があるのではなかろうかと考える。つまり、私のようなコミュニケーション能力が低い人は、一般に自分から他人を食事に誘うのは躊躇してしまうことが多いものの、「この間お世話になったので『寿司債務』を履行させて下さい!」という形であれば、人を食事に誘うハードルが低くなるということである。


 もし、このような機能(私はこれを「誘い水機能」と呼びたい。)を重視すれば、寿司債権が相殺で消えてなくなってしまうと、この誘い水機能が果たせなくなる。それよりもむしろ、相殺禁止債権と考えることで、多くの人がより気楽に食事に誘って、人間関係が円滑になり、社会がうまく回って行くことに貢献するという効果を期待してはどうだろうか。更に、寿司債権者及び寿司債務者が弁護士の場合には相互に奢り合うことで、節税できるという効果も期待できるだろう。


 この辺りはもしかすると解釈論というより立法論なのかもしれないが、一応1つの試論として提示させて頂きたい。



5.寿司債権と執行
 最後に、寿司債務者が寿司債務を履行しない場合、寿司債権者は寿司債権を法的手段を用いて実現できるかという問題がある。


 この点は、私は寿司債務について、自然債務説を取り、法的手段を用いた実現を否定したい。その理由は、寿司債務者が嫌々奢る寿司は美味しくないからである。これは、人それぞれ考えが違うのかもしれないが、寿司債権の履行の際、寿司債権者と寿司債務者が二人、ないしは複数人で寿司ないしはその他のおいしい料理を食べることになる。そして、この状況下において、寿司債権者と寿司債務者が寿司等を食べながら語り合い、相互に親睦を深めるという現象が比較的普遍的に見られる。このような現象を、もし、寿司債権履行に伴う反射的効果に過ぎないと考えるのであれば、寿司債権の本質は「寿司の引渡し請求権」ないしは「寿司代金相当額の金銭支払請求権」であり、寿司債権も執行が可能という解釈になるだろう。


 しかし、上記の通り、寿司債権の呼び水機能を重視すると、寿司債権の履行に伴い債権者・債務者同士のコミュニケーションが図られる機能(これを「寿司債権のコミュニケーション機能」と呼びたい)は無視できない。そして、このような寿司債権のコミュニケーション機能を重視すれば、寿司債権を無理矢理行使しても、何らコミュニケーションは果たされず、むしろ寿司債権者と寿司債務者の間の人間関係が悪化するのであるから、寿司債権はあくまでも寿司債務者が任意に履行してはじめて意味がある、自然債務と解するのが自然ということになるだろう。


まとめ
 寿司債権については、法クラの間でよく使われる法律用語であるにも関わらず、法的分析がこれまでほとんどなされてこなかった。
 そこで、1つの試論として、上記のとおり、テンタティブな見解を提示させて頂いた。例えば、寿司債権発生原因の相関関係論、寿司債権の誘い水機能、寿司債権のコミュニケーション機能等は全て私の造語であって、それもかなり特異な議論である。その意味で、私は本稿の内容が正しいとは思っておらず、むしろ、皆様の議論の「呼び水」として使って頂ければという趣旨で本稿を執筆させて頂いた。
 なお、寿司債権と相続・債権譲渡、寿司債権の電子化、寿司債権回収機構と弁護士法72条・サービサー法、寿司債権者集会による遮断効等の他の論点については他日を期したい。


【追記 8/19】
このような論文(論文形式を取ったネタ記事)を書いたところ、バベル先生から以下のような補足・批評を頂いた。

改めて感謝の意を評させて頂きたい。


【追記 8/20】
 上記脚注で「反論の論文があればぜひ読んでみたいものである」と書いたところ、野良猫氏が、原義主義に基づく論文を公表された。
寿司債権に関する基本的な考え方について|猫務庁
 まず、野良猫氏が思想の自由市場にふさわしい「論文」の形で反論を行われたということは、それ自体賞賛に値する。そして、このことから、野良猫氏が、私の論文を反論に値するものと認めていると推察され、それについても感謝したい。
 次に、反論文の「内容」であるが、野良猫氏は、パクツイ以外に寿司債権の発生原因は存在しないとでも考えているのであろうか。もしそうであれば、現実に法クラにおいて発生し、履行されている「寿司債権」はいったい何なのであろうか?(本文でも寿司債権の発生及び履行の事例をいくつか紹介しているが、ツイッターで「寿司債権」を検索すれば、


https://twitter.com/search?q=寿司債権


私の論文の意味での「寿司債権」という用語の利用例が圧倒的多数であり、パクツイを理由とする例が圧倒的少数であることはお分かりになるだろう。)
 野良猫氏をはじめとする原義主義者の皆様が、「寿司債権が実際に法クラにおいてどのように使われているのか」という現実を直視せず、原義にのみこだわることにつき、疑問なしとしない。
 なお、私は、単に、「寿司債権」の現実の利用実態から見ると、パクツイは「用語の発生の経緯」に過ぎず、実際にはそのような意味で利用されている事例がほとんどないという点を重視して、上記のようにパクツイを寿司債権の発生原因事実から一応除外しているに過ぎない(私はこのような「実質」を重視しているのであり、「形式」的な批判をしているものではない。)。今後原義主義者の皆様が、精力的に「パクツイ」により発生する債権という意味で「寿司債権」という用語を利用され、その頻度・利用事例が一定程度に達するのであれば、私は喜んで寿司債権の発生原因事実としてパクツイを追加する用意がある
 最後に、寿司債権に関する論争が更に深化し、本論文と上記反論文の間で交わされた論争が、例えばイースターブルック対レッシグの「馬の法」論争に比肩するものとして歴史に残ることを期待する次第である。


【追記 8/23】
リーガルニュース様にご紹介頂きました。ありがとうございます。

http://legalnews.jp/2015/08/22/okaguchik_girl/

*1:なお、某ツイッタラーがパクツイをしたお詫びに寿司を奢るという経緯から「寿司債権」という言葉が生まれたとのことであるが、私は原義主義を取らない。ただし、原義主義者からの反論がなされることは、「思想の自由市場」において望ましい事態であり、むしろ反論の論文があればぜひ読んでみたいものである。

*2:法クラ流行語大賞2014【本選】投票結果速報 #LCN2014award - Togetter

*3:なおci.nii「寿司」and「債権」で検索すると一本論文が出て来るが、全く無関係の論文である。

*4:債権者であると強く主張するというのは「何らかの形で自分は寿司債務者に対して貢献した」と強く主張をするということであろう

*5:この場合の寿司債権者がその本の謝辞欄に記載された人と一致するかについてはまだ事例が少ないので、今後の事案の蓄積を待ちたい

海未を絶望のどん底へ陥れた穂乃果の責任?ーラブライブ!The School Idol Movieで学ぶ国際私法


当エントリは、映画「ラブライブ!The School Idol Movie」のネタバレを含みます。未見の人は映画館へ急げ!なお、私はアメリカ法の専門家ではありませんので、本エントリを元に行動をされても、何ら責任を負いかねます。


1.簡単な事案の、ような……
 スクールアイドルブームを更に盛り上げるため、ニューヨークはJFK空港*1に降り立ったμ'sの9人。3人ずつタクシーに分乗してホテルに向かうことに。ホテルに着けるか不安がる海未に、穂乃果はホテルの名前を書いたメモを渡す。


 しかし、海未らは、ニューヨークの町外れ、場末の寂れたホテルの前で下ろされる。なんと、穂乃果が軽率にもメモをする際にホテルの名前をミスしてしまい、別のホテルに連れていかれてしまったのである。絶望のどん底に陥る海未。この場合の穂乃果の法的責任はどうなるか?



 実は、この問題は簡単、いや、むしろそもそも論じる価値すらない問題のように思われる。日本では不法行為民法709条)は過失によっても成立する。転記ミスという過失によって、海未に精神的損害を与えた以上、穂乃果は慰謝料を払わなければならない。死の恐怖の慰謝料としては、ヘリコプターの墜落による死の恐怖について50万円の慰謝料を認めた東京地判昭和61年9月16日判タ618号38頁や、土の中に生き埋めとなった者が味わった死の恐怖の慰謝料として150万円が認められた大阪地判平成1年1月20日判タ695号125頁等から考えると、あんなに精神的に追いつめられた海未は、穂乃果に対して不法行為に基づき、数十万円の損害賠償請求権を持つということで終わり、こう考えてみると、あまりにも簡単であって、わざわざ取り上げて法的分析をするまでもない話である。



2.ニューヨーク州法の適用なんて、こんなの絶対おかしいよ
 ところが、本件の大きな特徴は、アメリカで起こっているということである。アメリカで発生した事件を例えば帰国後に東京地方裁判所で裁く場合を考えよう*2



 そもそも、アメリカで、日本人同士の間で行われた不法行為について関係しそうなのは、日本法とアメリカ法の2つである。ただ、日本法とアメリカ法では規律が全然違っている。そこで、このような国際訴訟においては、どちらの法律が適用されるかを決めるルールが必要である。



 それが、国際私法ないしは抵触法といわれる問題である。日本の裁判所で裁かれる案件で適用される、法の適用に関する通則法*317条はこのように規定する。

不法行為によって生ずる債権の成立及び効力は、加害行為の結果が発生した地の法による。ただし、その地における結果の発生が通常予見することのできないものであったときは、加害行為が行われた地の法による。

 要するに、結果発生地を原則として、例外的に加害行為地を考慮する。本件の場合、精神的ショックを受けた場所はニューヨーク州、そして、加害行為地もニューヨーク州であるから、いずれにせよニューヨーク州となる*4



 ニューヨーク州法では、過失による精神的加害(Negligent Infliction of Emotional Distress)が認められる条件は厳しい。要するに、
・精神的損害だけではなく、物理的損害を伴う場合(physical injury)
・後一歩で物理的損害が生じた場合(near miss cases)
・危険区域で近親者が死傷するのを目撃した場合(bystander cases)
等の非常に特殊な場合にしか過失によって、精神的被害が生じた場合にこれを不法行為として認めてくれないのである。


 これに対し、故意による精神的加害(Intentional Infliction of Emotional Distress)は比較的緩い
 これは、極悪な行為(outrageous conduct)の結果*5、重大な精神的損害(severe emotional distress)が発生することが必要である。

 このうちの、「重大な精神的損害」については、海未のあのショックの受け方を見る限り、この要件を満たすと思われる*6


 また、「故意」とはいえ、この故意による精神的加害の場合には、軽率な行為(reckless conduct)を含む。そして、本件の穂乃果の行為は、生徒会長とは到底思えないような非常に軽率なものであり、これに該当すると言ってもよいのではないか。


 問題は、「極悪な行為」である。ここでいう、極悪な行為というのは「脅し、嫌がらせ又はちょっとした圧迫、又はその他の現代生活において予想され、随伴するたいしたことのない出来事(threats, annoyances or petty oppressions or other trivial incidents which must necessarily be expected and are incidental to modern life)」を含まない*7。本件では、確かにひどい行為であるが、この範囲であれば、現代生活において予想されるという議論はあり得る。しかも一回限りの出来事である。この点において、海未の主張はなかなか難しいところがある。


 そう、ニューヨーク州法が適用されることによって、海未の法的主張は、日本法と比べて格段に弱くなるのである


3.当事者による準拠法の変更も、明らかにより密接な関係がある地がある場合の例外も、あるんだよ。



 ここで、まず海未が考えるべきは、穂乃果と「日本法を適用する」ことに事後的に合意することである。通常、契約がある場合には、事前にどこの法律を準拠法とするか合意している(法適用通則法7条参照)。そこで、どの国の法律が適用されるかはあまり問題とならない。そして、不法行為については、事前に合意できないにせよ、法は第三者を害さない限り、事後的に合意を許す。そう、穂乃果が法律にうといことを利用して、日本法を適用するのに合意すればいいのだ*8


 しかし、このような合意をしなくても、海未を救う方法がある。それが、法適用通則法20条である。

前三条の規定にかかわらず、不法行為によって生ずる債権の成立及び効力は、不法行為の当時において当事者が法を同じくする地に常居所を有していたこと、当事者間の契約に基づく義務に違反して不法行為が行われたことその他の事情に照らして、明らかに前三条の規定により適用すべき法の属する地よりも密接な関係がある他の地があるときは、当該他の地の法による。

 要するに、機械的に適用される法律を決めたのではおかしな結論になる場合に、もっと密接に関連し、もっとふさわしい法律があるというのであれば、そちらを適用できるという条項が設けられているのである。


 本件では、ニューヨーク行きは一時的な出張に過ぎない。海未も穂乃果もその常居所は日本である。そうすると、日本法が二人にとって最も密接な関係がある地の法律と言えるので、日本法を適用することができるのだ*9


まとめ
 国際紛争においては、どこの法律を適用するかで結論が全然違ってくる事がある。過失によって精神的な損害を与えた場合は、アメリカ法(ニューヨーク州法)と日本法の間で大きな相違が存在する。
 そして、どの法律を適用するかを決めるのが、国際私法・抵触法であり、日本の裁判所では法適用通則法が適用される。
 そして、法適用通則法には、個別の事案に応じた柔軟な解決を認める条項も設けられているので、国際弁護士等の専門家に依頼することで、合理的な解決を図ることが可能である。

 

*1:実はこれがニュージャージー州ニューアーク空港だったら法的に全く異なる話になる。一応特定班の皆様によれば、JFKらしいので、それに従うことにする。

*2:ニューヨークの裁判所で裁く場合、アメリカ国際私法を考えないといけません。

*3:昔、「法例」と言われていたものが改正されたもの。

*4:そして、だからこそ、ニューアーク空港が加害行為地だと、「その地における結果の発生が通常予見することのできないもの」かどうかを判断するという必要が生じる訳です。

*5:Murphy v American Home Prods. Corp., 58 NY2d 293, 303

*6:身体的症状(physical symptom)は不要

*7:Zimmerman v. Carmack, 292 A.D.2d 601 (N.Y. App. Div. 2d Dep't 2002)&Lincoln First Bank v Barstro & Assoc. Contr., 49 AD2d 1025, 1025-1026

*8:ただ、穂乃果の「真姫ちゃん! 電車賃貸して!」は法的に考え抜かれた非常に「うまい」方法。未成年である穂乃果が消費貸借契約を取り消せば(民法5条2項)、現存利益を返還するだけでよい(民法121条但書)。電車に乗って消費してしまえば、もはや返す必要はなくなるのだ。

*9:なお、ニューヨーク州法の結論が非常におかしい時には公序違反(法適用通則法32条)等を使うこともできる。

生徒会は一度決定した美術部への活動費支給を撤回できるのか〜ラブライブ!の行政法的考察

μ's Best Album Best Live! Collection II (通常盤)

μ's Best Album Best Live! Collection II (通常盤)


本エントリはラブライブ!第2期までのネタバレを含みます。未見の方は先にご覧になって、ぜひぜひラブライバーになってください!(布教) そして、ぜひ、大人気の映画「ラブライブ! The School Idol Movie」もご覧になって下さい! *1

なお、本エントリにつきましては、ぱうぜ先生(@kfpause)に目を通して頂き、アドバイスを頂きました。ありがとうございました。ただし、本エントリ中の誤りは全て私の責任です。


1.美術部予算支給撤回問題とは
 廃校の危機にある母校・国立音ノ木坂学院*2を救うため、スクールアイドル、μ’sを結成した高校二年生の高坂穂乃果らの奮闘を描いたのがラブライブ!第一期である*3。学校を廃校の危機から救った後、第二期では、元生徒会長でμ'sのメンバーである絢瀬絵里*4に推薦され、穂乃果は生徒会長になる。しかし、新生徒会長の穂乃果は、μ'sの活動に追われる中、大失敗をしてしまう! それが、美術部活動費支給撤回問題である。



 音ノ木坂学院において、各部への活動費の配分は、来期の予算申請書を各部が提出し、その後全部長が集まった予算会議を開催した上で、最終的に予算が承認・決定される。ところが、予算会議開催前に、美術部の予算申請書を間違って承認の箱に入れてしまい、そのまま承認印を押してしまった。美術部は、「予算が通った」と大喜びで、それを聞いた他の部活から高坂会長に対してクレームが入った。実際は、入学者が減少し、各部の活動費に回せる予算の総額が減少していることから、申請どおり承認することは不可能であり、かつ、予算会議という必要な手続も経ていなかったのであり、これは、穂乃果を始めとする新生徒会執行部の大きなミスであった。美術部活動費支給撤回問題を簡単にまとめると、概ねこんな感じである。


 さて、アニメ本編では、なんとかしようと手を差し伸べる絵里に対し、穂乃果は、「自分で解決します!」と新生徒会長の自覚を表明した。μ'sのメンバーでかつ新生徒会執行部である穂乃果、園田海未及び南ことりの三人は、美術部に対して不手際を謝罪した上で、各部の従前の活動の継続に支障がないよう、申請額の8割以上を確保するという方針で予算案を作成し、各部の代表者に丁寧に説明し、予算会議を通した訳である。
 しかし、もし、一度承認された活動費支給を撤回されてしまった美術部がこれに納得しなかったらどうなるのだろうか。映画『ラブライブ!The School Idol Movie』が大ヒット中である今、この問題を法的に検討したい



2.行政行為の職権取消と取消し制限の法理
 そもそも国立学校内の生徒会と各部の間の関係をどのように捉えるかは議論があるところであるが、今回は、行政庁たる生徒会長(穂乃果)*5が、美術部長*6に対して給付決定を行い、美術部の活動費を給付するという理解を前提に検討したい。


 給付行政に関しては様々な法的仕組みがある*7。部活の活動費等の給付決定については、行政行為という行為形式で行政庁の一方的決定として行うという可能性と、契約という行為形式で行うかという双方の可能性がある*8。本件の場合には、(1)美術部に対する助成金補助金の給付という実質があることから、補助金給付に準じて理解することができること*9、及び、(2)限られた予算総額の中から他の部活との関係で分配を決定するという側面があり、当該給付が行政(生徒会)と受益者(各部活)の二者間に留まるものではなく、第三者との関係でも影響があるという2点に鑑み、これを行政行為と理解することが適切であろう。


 そして、予算会議の位置づけはアニメだけからは不明確ではあるものの、予算会議を経なくても一応有効な(ただし瑕疵が存在する可能性のある)活動費給付決定がなされていることが前提になっていると理解されるので、予算会議は一種の審議会のようなもので、そこに諮問をすることが根拠法令上要求されていると理解される*10


 このように理解すると、今回の美術部に対する活動費給付という行政行為は法定された予算会議への諮問手続を欠いた、瑕疵ある行政行為となる*11。そして、当該行政処分を行った行政庁*12職権取消と言って、職権で当該行政行為の効力を失わせることができる*13。「法律による行政の原理」は、行政行為が違法にされた場合、これを是正することを要請する。そこで、職権取消を認める明文の規定がなくても一般的に職権取消が可能であり、かつ、原則として取消をすべきとされる*14。なお、活動費支給の決定は、裁決等の紛争を裁断する行政行為ではないので、いわゆる不可変更力はない*15


 しかし、補助金の給付のような受益的行政処分等の場合には、行政庁が自ら誤ってした処分を任意に取り消すと、相手方その他関係者の法的地位を不安定にし、信頼を裏切る結果になる*16。取消の効果は原則として遡及するので*17美術部は一度貰えたと思った活動費を失ってしまうから、この美術部の信頼は保護に値するのではないかという問題である。



 確かに、取消し制限の法理が一般に該当すると言われており、受益的処分等の取消しは、国民の信頼や既得権益の尊重を上回る特段の必要性が認められない限り許されない*18。問題は、本事案において、美術部の信頼と、取消の必要性のどちらが重要かということであろう。



 そこで、法治行政と信頼保護に関するリーディングケースである最判昭和62年10月30日判時1262号81頁で検討された諸点*19を参考に検討すると、活動費の予算には上限があり、美術部にだけ申請通りの予算を認めると、他の部活の活動費がその分減額になるという意味で、他の部活との間の平等・公平を犠牲にしても美術部を保護すべき場合か疑問があること、美術部は毎年予算会議を経て予算承認をされてきていることを知っているはずであること、また、美術部は予算申請書どおりの活動費を得ることができる「既得権」を有している訳ではなく、入学者が減少する中、申請よりも減額される可能性が高いことは分かっているはずであることに鑑みると、美術部の責めに帰すべき点は特にないことを鑑みても、取消しを認めていいのではないかと思われる。
 ただ、この点はやはり難しい問題であり、その判断には異論もあり得るところだろう。



3.「部分社会の法理」と判例法理による
 1つの解決策は、かなり「やらせ」的な訴訟だがμ’sのメンバーである矢澤にこ取消訴訟を提起させることであろう。にこは、生徒会から活動費の支給を得ている「アイドル研究部」の部長である*20。ある年の部活全体に対して配分できる活動費の総額が決まっている中、美術部に対する活動費全額支給処分と、いわば競願関係にあるアイドル研究部等の他の部活に対する活動費減額処分は裏表の関係であることから、東京12チャンネル事件*21の法理に基づき原告適格を認めることができるだろう。



 職権取消ではなく取消訴訟を用いることの最大のメリットは、美術部の信頼を考慮しなくてもよいということである。

 職権取消しの限界は、行政が処分を職権で取り消した場合に、処分を信頼した者の保護との関係から論じられる理論である。これに対し、裁判所が違法処分を取り消す場合には、処分を信頼した者の保護という観点から、取消権の限界があるとの発想はない。裁判所の取消権は法治行政一本である。例外は行訴法31条の事情判決である。さもないと、処分の相手方に利益を与える行為を第三者が争うことはそもそもできなくなり、原告適格(これは第三者が出訴する場合にだけ問題になる)という行政法上最も重要な問題も、ほとんど意味がなくなるからである。
阿部泰隆『行政法解釈学I』354頁

 つまり、*22違法な処分であれば裁判所はこれを取消すことができ、この際に、美術部の信頼保護と言う観点を検討することは不要なのである。



 この意味で、この方法はかなり良さげな気もするが、実は結構難しい。それは、「部分社会の法理」があるからである。
 「部分社会の法理」とは、団体の内部規律については、それが一般市民法秩序と直接抵触しない限りは、司法権が及ばないという法理である。国立学校内部の問題はその典型である*23


 ここで、一般市民法秩序と抵触するかという問題は、要するに、団体内部の問題でも、それが名誉毀損等の不法行為に該当するとか、業務に影響を及ぼすとか、一般市民として享有する権利を侵害するという場合にはなお裁判所は審理できるという法理である。この点については、既に響け!ユーフォニアムとの関係で検討したので、興味のある方は、こちらをご参照頂きたい。


「中世古先輩がソロを吹けないのは許せません!」吉川優子の訴えは法的に通るのか〜響け!ユーフォニアムの法的考察 - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常


 いずれにせよ、内部における予算分配は通常『一般市民法秩序との抵触』には当たらないと言えるので、裁判所は審理を差し控える可能性が高い。裁判所で審理をしてもらうことはあまり現実的ではないだろう。



 この問題を解決する方法は、職権取消しを前提にむしろ、高松高判昭和45年4月24日判時607号37頁を使うことではなかろうか。
 この事案は、旧軍人の遺族扶助料支給裁定について職権取消をしたという事案である。上記の通り、職権取消の遡及的効力になり、給付時に遡って扶助料は本来全額返還しなければならない。しかし、このような誤って支給された扶助料を、その処分が違法だと知らずに利得した(善意の利得者)として、民法の規定*24を適用して*25取消された時点でまだ残っている利益だけを返還すればよいとしている*26


 本件でも、美術部が既に全額使ってしまっていたのであれば、その後に生徒会がミスをしたとして返還を求めるのはあまりにも美術部に酷だが、まだ使っていない段階で返還を求めるのであれば、それは上記の諸点に鑑みれば正当化が可能だろう。そこで、高松高判の理論を使うことを前提に職権取消をすれば、現行法上最大限美術部と生徒会の利害を適切に調整することが可能ではなかろうか。


 そして、本件で穂乃果はかなり初期にミスに気付いて謝罪しており、部費はまだ使っていないと理解される。そこで、美術部が異議を申し立てたとしても、なお美術部は一度承認された活動費を返金し、減額された新しい活動費に基づき活動しなければならない

まとめ
 予算会議を経ずに承認した美術部への活動費支給は違法であり、行政法上穂乃果は(「既に承認してもらったと信頼して使ってしまいました」という場合には高松高判の法理によって救済することを前提とすれば)これを適法に取り消すことができる。
 ただし、違法・適法の問題と、生徒会への信頼の問題はまた別問題である。穂乃果がしたような、謝罪をし、全ての部が妥協できそうな予算を組んで承認を求めるというのは、行政の説明責任という意味でも妥当な対応と言えよう。

*1:私は映画は見ていますが、本エントリにおいては映画のネタバレを含みません。

*2:国立大学の附属高校として、同大学の学則により設置されている可能性が高いところ、同大学における学則改廃手続を経ることにより廃止をすることが可能だろう。

*3:第1期は、法科大学院の廃校過程を知っているとめちゃくちゃ心にグサグサ来るので、法クラの皆様に特にオススメである。なお、『女性法曹のあけぼの』は、母校の明治大学女子部廃校の危機を救おうとしたOGの奮闘が描かれており、ラブライブとあわせてオススメである。

*4:特に何かを批判する時はエリチの様でありたいものです。ただ、特にCGの時のエリチのダンスは、私の目からは他のμ’sのメンバーとの違いがよく分からないので。。。なお、「響け!ユーフォニアム」の高坂麗奈のレベルの覚悟を持って批判をするのは一般人にはかなり難しいと思われます。

*5:行政機関は生徒会

*6:権利能力なき社団たる「美術部」等を支給の対象とするとの理解もあり得るが、そうすると、権利関係が複雑になるので、今回は分かりやすいよう、「美術部長」という個人に給付するという仮定をしたい

*7:太田匡彦「権利・決定・対価(1)〜(3)」法協116巻2号185頁、3号341頁、5号766頁参照

*8:これは通常立法裁量による。宇賀克也「行政法概説I第5版117頁参照。

*9:補助金等に係る予算の執行の適正化に関する法律は交付決定を行政行為としていると解される、宇賀前掲117頁。

*10:最低賃金法上の最低賃金審議会のような、利害関係人からの意見聴取手続なのだろう。

*11:例えば、審議会の諮問を経ることが法定されている計画立案に関する、「この手続(注:審議会への諮問)が法律上要求されているのに、特段の事由もなくこれを省くことは許されない。諮問を経ずに策定された計画は違法である。」原田尚彦『行政法要論』全訂第7版補訂2版127頁参照。

*12:この場合は生徒会長。但し、上級行政庁の職権取消については争いがある。宇賀前掲358頁参照。

*13:宇賀前掲書358頁

*14:宇賀前掲書359頁

*15:宇賀前掲書351頁

*16:原田前掲書190頁

*17:宇賀前掲書359頁

*18:最判昭和33年9月9日民集12巻13号1949頁参照

*19:同判決は、青色申告の承認の申請をせず、青色申告書を提出した場合について、(1)納税者間の平等・公平を犠牲にしても納税者を保護しなければならないか、(2)税務官庁が納税者に信頼の対象となる公的見解を表示したか、(3)納税者が税務官庁の表示を信頼して行動したことにより経済的に不利益を被ったか、(4)納税者に責めに帰すべき点はないかを検討して判断した。

*20:なお、自分の部の部員であり、かつ後輩である穂乃果に対し、部費増額を頼むとプレッシャーをかけるにこの行為は疑問なしとはしない。

*21:最判昭和43年12月24日民集22巻13号3254頁

*22:上記のとおり、にこに原告適格が認められるという前提において

*23:国立大学の単位認定が司法審査の対象にならないとする、最判昭和52年3月15日民集31巻234頁

*24:民法703条は善意の受益者について「その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う」としている

*25:同判決は「民法703条にもとづいて」と判示しているので、本文中は「適用」と書いたが、行政行為による給付について民法703条を直接適用したというものであれば、疑問なしとはしない。

*26:上記高松高判は、結論として、現存利益なしとして返還不要とした。