アホヲタ元法学部生の日常

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寿司債権論研究序説〜寿司債権の法的性質と執行方法〜


鮨 すきやばし次郎: JIRO GASTRONOMY

鮨 すきやばし次郎: JIRO GASTRONOMY

(イメージ)



1.はじめに
 寿司債権は、現在の法クラ(法学クラスタ)においては、寿司債権発生原因事実が生じた場合に、債権者が債務者に対して有する債権という意味で使われることが多いようである*1。この語は、2014年の法クラ流行語大賞で入賞*2しており、法クラの間では寿司債権の発生及び履行は相当普遍的に見られる現象と言える。しかし、その法的分析が進んでいるとは到底言えない。例えば、寿司債権に関する公刊された論文は私がci.niiで探した限り一本もなく*3、その意味では、法的議論の空白地帯が存在するのである。


 それでは、寿司債権発生原因事実とは何であろうか。また、寿司債権は寿司以外で履行することはできるのだろうか、寿司債権者は寿司債権をどのように執行すればいいのだろうか。その他の寿司債権にまつわる諸問題について、「試論」という形で問題を提起し、私のテンタティブな見解を述べたい。本論稿の趣旨は、議論の喚起に過ぎず、私自身、自説が正しいとは露も思っていないことから、皆様からの反論を歓迎したい。



2.寿司債権発生原因事実論


 まず、いかなる場合に寿司債権は発生するのか、要するに、寿司債権履行請求訴訟の請求原因事実は何か。これを、債務者側の要件と債権者側の要件に分けて検討する。


(1)債務者側の要件
 まず、債務者側の要件というのは要するに、寿司を奢らせるべき理由である。



(a)不労所得の獲得
 例えば、寿司債権の現実の履行案件として著名な、本年4月29日に実施された寿司債権者集会においては、債務者がベストセラーライトノベルを執筆し、印税収入という不労所得を得たことから寿司債権が発生されたものと推測される。


 もちろん、印税収入は、それまでの執筆作業に対する対価という意味もあるので、それを「不労」所得と評すべきかには争いがあるところだろうが、少なくともベストセラーまで行けば、それにより得られた超過利潤分を世の中に還元すべきという議論は十分に合理的であり、これが発生原因であるという通説的理解は妥当であろう。
 

(b)高収入を誇示する発言
 次に、例えば、「税金が高い」「節税しなきゃ」「今月は新件が多い」発言をする等、高収入を得てそれを誇示するような発言をすることも、寿司債権の請求原因事実と理解することができる。


 ここで、この類型の発生原因事実が、「高収入を得た事」そのものなのか、それとも公然と高収入を「示唆した事」なのかについては争いがあり得る。私は、不労所得の獲得と同様、社会通念上、他人に還元すべきと認められる程度の高収入を得た事そのものが債権の発生原因事実であって、それを示唆したことはその証拠(間接事実)に過ぎないと考えるが、金持ちアピールをしたことではじめて、「そんなに金があるなら寿司奢れ」という形で寿司債権を発生させるという反対説も合理的であって、この点は更なる議論が必要であろう。


(c)ぼっち飯発言?
 上記2類型とやや様相を異にするのは、「夕飯を一緒に食べる相手がいない」発言である。要するに、ボッチ飯の寂しさをアピールし、その裏で「誰か一緒に食べてくれるなら奢ってあげてもいいよ」と示唆することも、寿司債権の発生原因事実になり得るのではないかという問題である。ただし、この類型はあまり事例(特に、ぼっち飯アピールの後に実際に奢ったのかどうか)が蓄積しておらず、この点は今後の研究課題と思われる。


(2)債権者側の要件
 次に、債権者側の要件というのは要するに、この人が寿司を奢られるべき人である理由である。


(a)具体的な内容
 例えば、宣伝が挙げられる。特に上記の(a)不労所得の獲得の場合には、当該本を宣伝してくれた人が債権者と理解するのは自然である。


寿司債権発生の瞬間 - Togetter


 という数少ない、寿司債権の発生の瞬間が目撃された事案においても、当該書籍の宣伝者(寿司債権者)につき、印税の獲得者(寿司債務者)に対する寿司債権が発生するという前提であることが読み取れる。


 その他、ツイッターを「寿司債権」で検索すると、寿司債務者が必要としている情報を提供したり、「明示的に寿司債権者であることを強く主張する」こと等が寿司債権者となる要件として認められていることが推測される。


(b)相関関係論
 私は、これらの多様な「債権者側」の発生原因について、相関関係論を提唱したい。
すなわち、上記で見たような債権者側の発生原因は一言で言えば「(寿司債務者に対する)貢献」という言葉でまとめられるであろう*4。そして、債務者側の奢るべき理由が強ければ強い程、貢献の程度が低くても成立するというのが、私の提唱する相関関係論である。


 例えば、某ベストセラーライトノベルに関しては約30名というかなりの多くの人が寿司債権者として債権届出をしたそうであるが、これは、当該ライトノベルがベストセラーであって、債務者側の奢るべき理由が強い事案であったからという分析ができる。このような事案においては、超過利潤が莫大であるから、比較的貢献度が乏しい人も寿司債権者となり得る。これに対し、印税が少ない書籍等であれば、相当大きな貢献が必要であり、もしかすると寿司債権者となり得る程の貢献者は1〜2名しかいない*5ということもあり得るだろう。


 更なる問題は、このように相関関係論を取った場合において、「寿司債務者側の奢るべき理由が莫大であれば、貢献が0に限りなく近くても寿司債権者になれるのか」ということであるが、「相関関係論を取る以上、超過利潤が無限大なら理論上貢献が0でも寿司債権者になれると考えるべきで、単に実務上超過利潤が無限大にはならないことから、実務上寿司債権者となるため0を超える貢献が必要とされているだけ」という考えと、「最低限満たすべき貢献の程度はある」という考え方の双方があると思われ、今後の議論を待ちたい。



(3)まとめ
 以上をまとめると、


(超過利潤を得る等して)社会通念上世間に対する還元を求められても当然と解される地位にある寿司債務者に対して、何らかの意味での貢献を行った寿司債権者が有する債権が寿司債権である


という寿司債権理解に到達することになる。これが正しい理解なのか、異論もあろうことから、皆様の反論を待ちたい。



3.寿司債権と債務の本旨に従った履行
 寿司債権の実際の履行においては、それが債務の本旨に沿った物かが問題となる。例えば、回転寿しの場合はどうか、例えばフレンチはどうか、天ぷらは、焼き肉は? という問題である。


 まず、寿司債権者がそのような履行でよいと同意・承諾している場合には、その内容が債務の本旨に従っていると言える。


 問題は、例えば「寿司債務者は1000円の回転寿しで安くあげたいが、寿司債権者は1万円の回らない寿司を要求する」というように、寿司債務者と寿司債権者の見解が対立する場合であろう。この場合については、社会通念上どのような内容が「寿司」債権かというのを基準として判断せざるを得ないのではなかろうか。そして、寿司債権というのは、貢献者たる寿司債権者が、超過利潤を得る等した寿司債務者に対して有する債権なのである。そこで、そのような状況下において「寿司を奢る」ならば、「最低限これくらいは必要だろう」という水準が寿司債権が債務の本旨に従った履行として認められる最低限であろう。


 その観点からすると、回転寿しというのはいかにも安上がりであって、あえて寿司債務者に対して奢らせる内容としては社会通念上不足している、つまり、債務の本旨に従った履行ではないという考えを持つ人が多いのではなかろうか。逆に言うと、厳密な意味での「寿司」ではなくとも、天ぷらやフレンチのような(回らない)寿司と同等ないしそれ以上の価値のものであれば、債務の本旨に従った履行であるという考えを持つ人が多いのではなかろうか。(もちろん、異論はあるだろう。)


 なお、寿司債権の履行に際し、寿司債権発生原因事実について債務者に自ら説明させるという実務上の取扱いがなされた例があると仄聞するが、この事案が特殊事例か、一般化できるものかについて、今後の事例の蓄積を待ちたい。


4.寿司債権と相殺
 寿司債権については、やや特異な考えかもしれないが、私は相殺禁止債権であると考える。つまり、民法505条1項但書は「債務の性質がこれを許さないとき」は相殺が不可能であるとするところ、寿司債権の性質上相殺が許されないと解するのである。


 それは、寿司債権について相殺を認めると、実務上不都合が生じるからである。すなわち、寿司債権者と寿司債務者の関係を考えると、例えば、「Aが本を書く際に、Bが協力し、逆にBが本を書く際にはAが協力する」とか「Aがその専門分野外の事件の処理をして儲ける際に、専門家であるBからの情報提供を得て、逆にBがその専門分野外の事件の処理をして儲ける際に、専門家であるAからの情報提供を得る」といった持ちつ持たれつの関係が少なからず存在するように思われる。此の様な場合に、相殺を許してしまうと、寿司債権が履行されることが実務上かなり減ってしまうのである。


 もちろん、「現実の履行が減ったって別にいいじゃないか」という見解も十分説得的である。この点は、寿司債権の実務上果たしている機能と関連するところ、これは単独説かもしれないが、私は「寿司債権」という言葉には、他人を食事に誘う際のきっかけと言う面があるのではなかろうかと考える。つまり、私のようなコミュニケーション能力が低い人は、一般に自分から他人を食事に誘うのは躊躇してしまうことが多いものの、「この間お世話になったので『寿司債務』を履行させて下さい!」という形であれば、人を食事に誘うハードルが低くなるということである。


 もし、このような機能(私はこれを「誘い水機能」と呼びたい。)を重視すれば、寿司債権が相殺で消えてなくなってしまうと、この誘い水機能が果たせなくなる。それよりもむしろ、相殺禁止債権と考えることで、多くの人がより気楽に食事に誘って、人間関係が円滑になり、社会がうまく回って行くことに貢献するという効果を期待してはどうだろうか。更に、寿司債権者及び寿司債務者が弁護士の場合には相互に奢り合うことで、節税できるという効果も期待できるだろう。


 この辺りはもしかすると解釈論というより立法論なのかもしれないが、一応1つの試論として提示させて頂きたい。



5.寿司債権と執行
 最後に、寿司債務者が寿司債務を履行しない場合、寿司債権者は寿司債権を法的手段を用いて実現できるかという問題がある。


 この点は、私は寿司債務について、自然債務説を取り、法的手段を用いた実現を否定したい。その理由は、寿司債務者が嫌々奢る寿司は美味しくないからである。これは、人それぞれ考えが違うのかもしれないが、寿司債権の履行の際、寿司債権者と寿司債務者が二人、ないしは複数人で寿司ないしはその他のおいしい料理を食べることになる。そして、この状況下において、寿司債権者と寿司債務者が寿司等を食べながら語り合い、相互に親睦を深めるという現象が比較的普遍的に見られる。このような現象を、もし、寿司債権履行に伴う反射的効果に過ぎないと考えるのであれば、寿司債権の本質は「寿司の引渡し請求権」ないしは「寿司代金相当額の金銭支払請求権」であり、寿司債権も執行が可能という解釈になるだろう。


 しかし、上記の通り、寿司債権の呼び水機能を重視すると、寿司債権の履行に伴い債権者・債務者同士のコミュニケーションが図られる機能(これを「寿司債権のコミュニケーション機能」と呼びたい)は無視できない。そして、このような寿司債権のコミュニケーション機能を重視すれば、寿司債権を無理矢理行使しても、何らコミュニケーションは果たされず、むしろ寿司債権者と寿司債務者の間の人間関係が悪化するのであるから、寿司債権はあくまでも寿司債務者が任意に履行してはじめて意味がある、自然債務と解するのが自然ということになるだろう。


まとめ
 寿司債権については、法クラの間でよく使われる法律用語であるにも関わらず、法的分析がこれまでほとんどなされてこなかった。
 そこで、1つの試論として、上記のとおり、テンタティブな見解を提示させて頂いた。例えば、寿司債権発生原因の相関関係論、寿司債権の誘い水機能、寿司債権のコミュニケーション機能等は全て私の造語であって、それもかなり特異な議論である。その意味で、私は本稿の内容が正しいとは思っておらず、むしろ、皆様の議論の「呼び水」として使って頂ければという趣旨で本稿を執筆させて頂いた。
 なお、寿司債権と相続・債権譲渡、寿司債権の電子化、寿司債権回収機構と弁護士法72条・サービサー法、寿司債権者集会による遮断効等の他の論点については他日を期したい。


【追記 8/19】
このような論文(論文形式を取ったネタ記事)を書いたところ、バベル先生から以下のような補足・批評を頂いた。

改めて感謝の意を評させて頂きたい。


【追記 8/20】
 上記脚注で「反論の論文があればぜひ読んでみたいものである」と書いたところ、野良猫氏が、原義主義に基づく論文を公表された。
寿司債権に関する基本的な考え方について|猫務庁
 まず、野良猫氏が思想の自由市場にふさわしい「論文」の形で反論を行われたということは、それ自体賞賛に値する。そして、このことから、野良猫氏が、私の論文を反論に値するものと認めていると推察され、それについても感謝したい。
 次に、反論文の「内容」であるが、野良猫氏は、パクツイ以外に寿司債権の発生原因は存在しないとでも考えているのであろうか。もしそうであれば、現実に法クラにおいて発生し、履行されている「寿司債権」はいったい何なのであろうか?(本文でも寿司債権の発生及び履行の事例をいくつか紹介しているが、ツイッターで「寿司債権」を検索すれば、


https://twitter.com/search?q=寿司債権


私の論文の意味での「寿司債権」という用語の利用例が圧倒的多数であり、パクツイを理由とする例が圧倒的少数であることはお分かりになるだろう。)
 野良猫氏をはじめとする原義主義者の皆様が、「寿司債権が実際に法クラにおいてどのように使われているのか」という現実を直視せず、原義にのみこだわることにつき、疑問なしとしない。
 なお、私は、単に、「寿司債権」の現実の利用実態から見ると、パクツイは「用語の発生の経緯」に過ぎず、実際にはそのような意味で利用されている事例がほとんどないという点を重視して、上記のようにパクツイを寿司債権の発生原因事実から一応除外しているに過ぎない(私はこのような「実質」を重視しているのであり、「形式」的な批判をしているものではない。)。今後原義主義者の皆様が、精力的に「パクツイ」により発生する債権という意味で「寿司債権」という用語を利用され、その頻度・利用事例が一定程度に達するのであれば、私は喜んで寿司債権の発生原因事実としてパクツイを追加する用意がある
 最後に、寿司債権に関する論争が更に深化し、本論文と上記反論文の間で交わされた論争が、例えばイースターブルック対レッシグの「馬の法」論争に比肩するものとして歴史に残ることを期待する次第である。


【追記 8/23】
リーガルニュース様にご紹介頂きました。ありがとうございます。

http://legalnews.jp/2015/08/22/okaguchik_girl/

*1:なお、某ツイッタラーがパクツイをしたお詫びに寿司を奢るという経緯から「寿司債権」という言葉が生まれたとのことであるが、私は原義主義を取らない。ただし、原義主義者からの反論がなされることは、「思想の自由市場」において望ましい事態であり、むしろ反論の論文があればぜひ読んでみたいものである。

*2:法クラ流行語大賞2014【本選】投票結果速報 #LCN2014award - Togetter

*3:なおci.nii「寿司」and「債権」で検索すると一本論文が出て来るが、全く無関係の論文である。

*4:債権者であると強く主張するというのは「何らかの形で自分は寿司債務者に対して貢献した」と強く主張をするということであろう

*5:この場合の寿司債権者がその本の謝辞欄に記載された人と一致するかについてはまだ事例が少ないので、今後の事案の蓄積を待ちたい