アホヲタ元法学部生の日常

連絡はTwitter ( @ahowota )でお願いします。アニメを見て法律を思い、法律を見てアニメを思う法アニクラスタ、ronnorのブログ。メールはronnor1あっとgmail.comへ。BLJにて「企業法務系ブロガー」として書評連載中。 #新人法務パーソンへ #オタク流勉強法 #明認方法 「アホヲタ元法学部生の日常」(ブログ)、「これからの契約の話をしよう」(同人誌)、『アニメキャラが行列を作る法律相談所』(総合科学出版)等。

縦割り精神福祉行政の問題点

精神保健福祉法詳解

精神保健福祉法詳解

ブラックジャックによろしくに影響されて、こんな本を読んでしまった。
800p超。定価6000円。

しかし、それだけのものはあった。
ブラックジャックによろしく (12) (モーニングKC)

ブラックジャックによろしく (12) (モーニングKC)

 現在、精神病患者に対処する場合の基準には大きく2つのレベルがある。
 まず、措置入院レベル(精神保健福祉法27, 29条)である。措置入院とは、医療及び保護のために入院させなければ自傷他害のおそれがあると認められた精神傷害者を、強制的に入院させるものである。強制的入院であるから、人権の観点からも相当のレベルが要求される。
 この場合の基準については、

入院させなければその精神障害のために、次の表に示した病状又は状態像により、自殺企図等、自己の生命、身体を害する行為(以下「自傷行為」という。)又は殺人、傷害、暴行、性的問題行動、侮辱、器物破損、強盗、恐喝、窃盗、詐欺、放火、弄火等他の者の生命、身体、貞操、名誉、財産等又は社会的法益等に害を及ぼす行為(以下「他害行為」といい、原則として刑罰法令に触れる程度の行為をいう。)を引き起こすおそれがあると認めた場合
引用元:http://www005.upp.so-net.ne.jp/smtm/page3301.htm

という基準が厚生労働省により提示されている。これを見ると、軽犯罪法等の軽微な犯罪ではなく、自殺・殺人等の刑法犯に限定し、また、刑罰法令に触れることを要求しているので、強制入院もやむをえないなと思うかもしれない。
 しかし、「暴行」という概念は、かなり広い。例えば

他人に塩をかける

 という場合も、判例によれば「単なる深い嫌悪の情を催させる行為」も暴行にあたるとして、「暴行」にあたるとなっている。同様のことは、器物損壊にも言えます(他人の本のページを破る等)。

 このような、実際に行われても微罪処分で終わりそうな犯罪についてまで、強制入院を認めるのは、合理的関連性が存在するか不明です。身体の自由を束縛する訳ですから、明白性の原則で判断すべきではなく、このような法律は、合憲限定解釈しないかぎり、憲法31, 34条違反でしょう。


 次のレベルが、任意入院者の退院制限レベルです。任意入院(22条の3)というのは、本人の意思によるものです。じゃあ、退院も自由とも思えますが、「医療及び保護のため入院を継続する必要がある」場合においては、退院できず、入院を継続させられます。

病識がなく、幻覚、妄想等の精神症状があり、入院の必要性が認められるような状態
引用元:精神保健福祉法詳細解説

つまり、このレベル以下にならない限り永久に入院し続けることになるのである。


 最大の問題は、このレベルと、完治の間のグレーゾーンである。「ブラックジャックによろしく」に出てくる小沢さんは、確かに完治に近い状態ですが、多少気性のアップ・ダウンが激しい(家を飛び出す、自殺する...)。
少なくとも、「完治」までは至っていません。
 じゃあ、「完治に至るまで閉じこめるべきか」といえば、そんな訳はない。社会で生活する中で精神障害は回復していくという側面は大きく、社会生活が可能であれば、退院させ、通院等で様子を見ながら完治を目指していくというのが、理想である。
 しかし、この「社会生活が可能」というラインがどこになるか。これは、我々社会の構成員の態度に大きく影響される。小沢さんも、就職ができず、自分の居場所がないという点で、非常に傷ついた。このような、「完治に至っていないが、入院継続レベル以下の患者」を社会が受け入れなければ、「完治まで病院に閉じ込める」ということが横行しかねない。

 このことに関連して、気になったのは、以下の記述です。

また、職業安定所その他の労働関係の行政機関との連携も重要である。精神障害者の自立と社会参加を促進するためには一般の就労の促進が重要であり、作業能力が低い者の場合には、授産施設小規模作業所で作業(中略)など、福祉サイドでの対応となるが、一般就労が可能な程度の能力がある場合には、労働行政サイドでの対応が行われる
精神保健福祉法詳解」より

 この表現に違和感を感じた訳です。この本の作者は、福祉サイド(社会・援護局、精神保健福祉課)である。この人達が「労働行政サイドでの対応が行われる」と言って、自分たちが一般就労可能な精神障害者に対し、しようとする施策や決意表明がない。

 まるで、
「一般就業が不可能なら、我々の縄張りですから、きちんと面倒を見ます。一般就労が可能なら、労働行政サイドにおまかせします。我々は知りません。」
といっているような印象を受けた。

 小沢さんの場合には、完治に近いが故に、小規模作業所ではなく、普通の就職を目指していた。しかし、就職先を見つけることはできなかった。やはり壁があったように思われる。

 そして、その壁を作る原因の一端に、縦割り行政はなかっただろうか?
「一般就労が不能なら、旧厚生省系の社会・援護局。でも、一般就労が可能なら、旧労働省系の職業安定局の仕事」このように行政事務を割り当て、相互に縄張り争いをしたりはしていなかっただろうか? もしも、相互連携が密に行われるか、「障害者の社会復帰」という側面を担当する1つの行政主体が存在するならば、もう少し、小沢さんも楽に就職ができ、家庭を持って仕事をするという「普通」の生活の夢がかなったんじゃないかなぁ。これは、私の官僚への偏見でしょうか。

精神福祉行政の縦割りが、社会復帰を妨げていると思うが、こういうことは条文を読んでいるだけでは分からない。
本による勉強よりも実践が大切であることを実感した。