- 作者: 佐藤幸治
- 出版社/メーカー: 青林書院
- 発売日: 1995/04
- メディア: 単行本
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芦部との双璧として、特に関西の受験生に大きな人気を博したのが佐藤幸治「憲法」である。佐藤先生は、激論を巻き起こした司法改革を主導され、平成24年には学士院会員に叙されている。
佐藤憲法に関して、まず、面白いのが、統治が先に書かれていることである。私がいままで読んだ憲法の教科書のほとんど*1が人権を先に書いていたので、そのスタイルにはちょっと驚きいた。また、国民審査の法的性質等が冒頭にあるのは、よく考えてみると納得できますが、最初は違和感があるものであった。
さらに、議論の厚さという意味では、裁判所が好きらしく、80ページを割いていた(ちなみに、内閣は30ページ)。ちょっと裁判所の議論が厚すぎるきらいがある。
また、A説B説というのを多用するのだが、半ページ程後に「B説」とかが出てきても、「あれ、どんな見解だっけ?」と思うので、「B(肯定)説」等と書いて、読者の便宜を図ってもらいたかった。
択一の長文穴埋め、長文並び替え問題で見たことがあるような記述(平成8年第8問等)が随所に出てきており、なるほど、これを読めば択一は楽だなと思ったのですが、よく考えてみると、これらの択一問題は平成のひとけたの年位までの問題であり、最近は、傾向がかわったこともあって、あんまり佐藤「憲法」を読む意味はないかもしれない。
また、論文対策では、論証が辛いところがいくつかある。例えば、政党への政治資金を与えることについて「党内民主主義」を条件とすることの可否(平成15年第二問*2 )という点については、
政党の公的特殊機能に鑑み、抽象的要請としては、党内民主主義の確立の要請が憲法上導かれるとみることもできよう。ただ、抽象的要請であるから、基本的には自由なる結社体としての政党がそれぞれ独立の立場で追求すべき課題であるとみるべきである。したがって、精神的訓示規定としてはともかく、何らかの強制力を伴う形で公権力が政党の意思形成およびその方法、党役員の選任や党規律などの党内事項に関与することは原則として許されないと解される。
引用元佐藤幸治「憲法」p119
としか書いていません。規制行政ならいいですが、給付行政が(佐藤先生のいうところの)「強制力」を伴うといえるかどうか、かなりよく分からないところです。
以下、内容面で興味深かったところを列挙する。
まず、八月革命説を批判しているところが驚きであった。
(ポツダム)宣言がかかる(国民主権)の要求を含むものであったとしても、同宣言の受諾は国際法上の義務を負ったことを意味するにとどまり、受諾と同時に国内法上も根本的変革を生じたとみることは困難であること(八月革命説は、「国体」の変革の義務がいわば債権的にではなく、いわば物権的に日本国家に生じたものとみるもので、それは徹底した国際法優位の一元論を前提とせずには成立しえない)
引用元佐藤幸治「憲法」p73
といった批判はかなり鋭いものです。
法原理機関性は、予備校での勉強では、相当訳が分からなかったが、きちんと原典に当ってみるとそんなに難しくなかった。
要するに、国民の立法過程への参加のアナロジーとして裁判過程をとらえるというだけなのだ。
(以下、佐藤憲法を一読しただけの若輩者が、勝手に「理解した」と思って書いているだけです。間違っていたらばコメント、トラバでお知らせ下さい。)
国民は、選挙をして、代表を選ぶ。その代表が国民の具体的権利義務を規定する。この、治者と被治者の自同性があるから、「国民各自の具体的権利義務は国民自らが決める」といえる。
裁判過程も同じであり、当事者自身が立証と推論に基づく弁論という形で、判決形成過程に参与する。この参与があるから、紛争当事者が自己の権利義務をめぐって真剣に争うから、これに依拠して裁判所が行う判決に当事者が拘束されても、「自分自身の具体的権利義務を自ら決めた」といえる(自己責任)。そして、このように裁判過程の正当性が当事者自身が立証と推論に基づく弁論という形での参与、紛争当事者が自己の権利義務をめぐって真剣に争うことに依拠するからこそ、司法権を行使できるのは、このような「当事者が自己の権利義務をめぐって真剣に争う」という具体的事件性・争訟性があるとみなせるような場面においてのみであり、「当事者が自己の権利義務をめぐって真剣に争う」側面が認められない場面において司法権を行使することはできない。このような「当事者が自己の権利義務をめぐって真剣に争う側面が認められない場面において司法権を行使することはできない」ことを「裁判所の法原理機関性」という。
実際、民衆訴訟や機関訴訟において違憲審査権を行使できるかが問題となるが、問題は、要するにこのような場面において裁判所が審査権を行使することが裁判所の法原理機関性に反するかどうかであり、実際の民衆訴訟や機関訴訟では、「当事者が自己の権利義務をめぐって真剣に争う」と言いきれないけれど、少なくとも「当事者が自己の権利義務をめぐって真剣に争う」ことに近い側面が認められるので、なお、違憲審査権を行使しても「裁判所の法原理機関性」には反しない。
また、佐藤先生は検閲と事前抑制を区別していないが、驚いたのは
とおっしゃっているところである。判例は佐藤説的な考えを取っていないと理解していた私には驚きであった。まあ、「何と」類似しているのか、という問題はありますが。
まとめ
佐藤「憲法」は、議論が興味深く、楽しく読めた。巷で言われているよりわかりにくくない。むしろ*3芦部より分かりやすいのではないか。
司法試験対策としては、10年前は最適の教科書だっただろう。問題は、現在の問題に対応できるかであり、多少論証作成に難があると思われる。この辺りは、論文を読んで佐藤説を極めるか、他説の「いいとこどり」をするかで対応は可能であろうが...。
結論としては、「芦部から乗り換えるべき!」という程のものではないが、参考書として読む価値はあるし、芦部でいいか悩んでいる人にとっては選択肢を提供するものといえよう。