- 作者: 私屋カヲル
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2005/12/12
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金融商品取引法上、自主規制というのは肯定的にとらえられ、金融商品取引所(証券取引所とか)の自主規制や、金融商品取引業等協会といった自主規制機関制度が強化されている。
これに対し、メディア、特にテレビにおける自主規制は、一般に否定的なものととらえられることが多い。自主規制のために報道できなくなることで、報道の自由、知る権利が奪われる点が問題となっている。
この違いはどこにあるのか。
2.自主規制のメリット・デメリット
自主規制の利点は、私人同士でルールを決めてそれを守る私的な規制であり、違反したからといって即座に刑罰・行政処分に直結するわけではないという点にある。このようなソフトな手段で規制目的が達成できるならば、わざわざ強硬な手段である刑罰を科す必要はなく、自主規制が機能すれば、国による干渉を避ける効果もある。また、国による規制では、適時のきめの細かな規制をすることが困難であるが、自主規制であれば、業界をよく知る人たちが規制を発動することから、適時のきめ細やかな規制が可能となる。
これに対し、自主規制のデメリットとしては、他人の目等がないところでは、過度に緩やかな規制になりやすく(みんなで渡れば怖くない)、逆に他の人(国を含む)のチェックが入るところでは、過度に強烈な規制になりやすいことが挙げられるだろう。
3.試論ー金商法とメディアの違い
私が今のところ考えている金商法とメディアで自主規制への評価が違う理由は「市場間競争」が働いているか否かである。
金融商品取引法の自主規制の1つの例として、証券取引所の自主規制を例にとろう。
A証券取引所はとっても自主規制がゆるく、倒産寸前といわれながら長らく上場を続け、「1円買いの2円売り」といった形でデイトレーダーのおもちゃになっていたような株もあった。
B証券取引所はとても自主規制が厳しく、簡単には上場できず、上場後も、適時開示をきちんとしないといけない上、財務状態が悪化すると、すぐに上場廃止になってしまう。
これは模式的に2つの証券取引所の自主規制をあらわしたものであるが、このようなバラバラな自主規制状態で問題はない。なぜかというと、上場を目指す企業にはA証券取引所とB証券取引所という選択肢があり、自主規制の内容をみながら自由に選択することができるからである。
たとえば、B証券取引所の規制が厳しすぎると考える企業が多ければ、上場企業はA証券取引所の方に行ってしまい、B証券取引所が廃れるだろう。
逆に、A証券取引所の規制がゆるすぎて、A証券取引所の上場企業ということでは信用が得られず、投資家からの資金を十分に得ることができないのであれば、企業はB証券取引所の方に行ってしまい、B証券取引所が廃れるだろう。
このように、証券取引所間の競争が起こっているからこそ、自主規制の内容も適切なものになり、自主規制が肯定的に評価されるのだろう。
なお、この点は、投資家や上場企業等のステークホルダーにとって、どの証券取引所がどういう自主規制になっているかの情報が広く公開されていることが前提だろう。パターンAの取引所に上場していると思って信頼して投資したら粉飾決算等の問題が生じるという事態が頻発すれば、かかる競争の前提が崩れてしまう訳である。
これに対し、メディア、特にテレビにおいては、競争がそこまで大きくない。「地上波」「衛星」「ケーブル」等と、チャンネルは広がってはいるが、そこまで多いわけではない*1し、確かに、「地上波よりケーブルの方が規制がゆるい」等の自主規制の違いはあるが、いずれにせよ総じて厳しく、公序良俗違反と表現の自由の限界にある作品を流せるテレビチャンネルは現実には存在しないといっても過言ではないだろう。その理由として、テレビ局の許可を取るのが総じて困難であり、一度限界を超える作品を流してしまい、許可取り消し等となれば、その損害が莫大となるという点が考えられる。
これでは、「さまざまな自主規制を持つ市場間の競争により、適切な自主規制を達成する」ということが、不可能となってしまう*2。
このように、規制が緩やかな市場も厳しい市場もあり、その市場間で健全な競争が起こっている金融商品取引法の世界では、自主規制がよいものとして肯定的にとらえられているが、総じて規制が厳しく、市場間での競争が不十分なメディア、特にテレビの世界では、自主規制が過度のものとなったまま、引き下げの動力が働かない。その結果、自主規制が悪いものととらえられているのではないか
まとめ
自主規制が肯定的にとらえられるか否定的にとらえられるかの違いは、「市場間競争が働いているか」という観点から1つの説明ができるのではないか。
本稿をもって、某ロースクール生の方の1ヶ月前の言及に対する回答とさせていただきたい。大変遅くなり、別の事案が問題となってしまう時期になってしまったことを深くお詫び申し上げる。