とある飛空士への追憶と法律

- 作者: 犬村小六,森沢晴行
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2008/02/20
- メディア: 文庫
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1.とある飛空士への追憶とは
神聖レヴァーム王国と帝政天ツ上。2つの国の間の広大な中央海の中心を貫く大瀑布により、両国は隔てられ、その存在すら知らずに暮らしていた。大瀑布超えが成功し、2つの文化が出会った時、起こったのは戦争だった。レヴァームは空軍力で天ツ上を圧倒し、サン・マルティリア島を占領する。その60年後ー。
天ツ上は軍事力を増強し、中央海の制空権を握り、サン・マルティリア島の再征服を狙う。このサン・マルティリアには時期皇妃ファナがいた。ファナだけはレヴァームに連れ戻したい。婚約者カルロ皇子は、特務艦隊を編成し、時期皇妃奪還を狙うが、特務艦隊は音信を絶った。そこで白羽の矢が立ったのが、天ツ上との混血(ベスタド)の傭兵飛空士シャルルだった。「次期皇妃を水上偵察機の後席に乗せ、中央海を単機敵中翔破せよ。」こうして、二人の旅が始まった。
二人の旅の詳細は同書に譲るが、ファナを連れ、レヴァームへ帰ったシャルルを待っていたのは、階級差別という現実であった。難関を越えたシャルルへの賞賛はなく、口止め料を投げよこされ、些細な行動を盾に脅しつけられる。シャルルは、ファナを乗せる巨艦の上空を舞い踊りながら、報酬の砂金を舞わせ、シャルルにお別れを言った。
2.法律は、シャルルを助けられないか
シャルルをなんとか助けられないか。
法律は、こういう場合には、かなり無力である。
(1)追加報酬請求
まず、約束した報酬額は、皇太子がアホな情報漏えい*1をしないことが前提であり、アホな情報漏えいのせいで余分にかかった労力分の報酬を追加せよという主張が考えられる。
請負契約は、請負人(工事等をするほう)が注文者(お金を出すほう)に対し、仕事の完成を約束し、注文者がそれに対する対価(代金・報酬)を支払うことに合意することで成立する。
通常、請負契約においては、対価は契約時に決まっており*2、予想外に経費がかかったとしても、原則として追加報酬を請求できない。例えば、家の建築を1000万円で請け負ってもらって、完成してから「実は材料が高騰しているので、100万円増やしてくれ」といわれても、増やす必要はないのは常識だろう。
しかし、この報酬額というのは、契約締結時に予想される経費と利益を合わせて決められる額である。そこで、まず、(1)契約締結後に注文者が新たに要求(追加注文)をしたことによる増加分は基本的には追加請求できる。また、予想外の事情変更があったという一事だけで、増額請求はできないといっても、(2)契約締結時に当事者が予想できない事由によるものであり、かつ請負人の責に帰することのできない事情の発生によるもので、かつ契約で定められた請負代金の支払いのみに限ったのでは、契約当事者間の真偽公平の原則に反すると認められるような事情の変更があるような例外的場合には、増額請求ができると解するのが公平であり、裁判所*3も増額請求を認める。
今回の場合、追加注文というよりも、「馬鹿皇太子による情報漏えい」が原因となって多大な危険が生じているのだから、(2)の予想外の事情の問題である。
そして、今回の予想外の事情は、シャルルには一切責任のないものである。そして、シャルルは、情報漏えいの可能性は容認しながらも、「単機海上突破のような危険を冒すことは天ツ上も想定しないだろう」というようにその任務の危険の度合いを想定していた。それが、皇太子の情報漏えい行為のため、敵方「おまちかね」の状況で単機逃避行を繰り返すという状況に陥ったのである。これは、当初の契約条件では公平を害するといわざるを得ないだろう。
この観点から、判例によっても、シャルルは追加報酬を請求できる*4。
(2) 名誉毀損による損害賠償
また、名誉毀損による損害賠償も考えられる。日本法においては、国の公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行うについて、故意または過失によって違法に他人に損害を与えたとき(国家賠償法1条1項)には、国に対し損害賠償を請求できる。
ベスタドを理由に、ファナとのお別れも言わせず、強制的に隔離させた将校の行為は、人種差別(憲法14条違反)の言動を直接的に被差別者に対して行ったものとして、この要件を満たすだろう。
なお、レヴァールの裁判所。が、大日本帝国憲法下の日本の裁判所のように、国王に従属する*5場合には、こういう判決を下しづらいかもしれない*6。
まとめ
このように、シャルルは、追加報酬を請求し、損害賠償請求もすることができる。
しかし、空を生き、地上の価値観に興味を持たない*7シャルルにとっては、こんな追加報酬などは、心を動かすに足りないだろう。
こういう例を見ていると、地上の価値観を前提に、金銭面の解決を主とする法律による解決の限界を強く感じる。
*1:既読方前提ですので、詳しい説明はしませんが、敵に筒抜けの暗号電信で、詳細に単機敵中翔破するファナの身を案じる手紙を送ってよこしたことです。103頁等参照。
*2:定額請負。なお、業種等によっては対価が決まっていないもの(概算請負)もあるが、多くは業務内容は大雑把にしか決まっていない場合であるところ、今回は「目的地まで、運送対象者を無傷で運送する」という、業務内容がしっかり決まっているものであるので、定額請負であること自体は争えないだろう。
*4:額の認定は困難。普通は、大雑把にいえば、「予想外の状況があるとわかっていればいくらで受けたか」という額との差額が追加報酬になる。しかし、なにしろ「敵に、いつどのような態様でファナが逃げるのかを知らせた状態で、いくらならパイロットを受けるか」というと、普通は「誰もが受けない」であるから。
*5:三権がきっちり分立していない
*6:なお、大日本国憲法のような法制度下であれば、国家無答責の原則をとっており、国の行為は責任を負わないという建前になっている可能性もある
*7:329頁参照