憲法記念日ネタ〜アルスラーン王子とH教授の対話で学ぶ立憲主義
- 作者: 荒川弘,田中芳樹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/04/09
- メディア: Kindle版
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H教授「お会いできて光栄でございます、王子。さて、時間もないので早速本題に入らせて頂きましょう。」
アルスラーン「我が国は、異教徒の国ルシタニアから侵略を受けている。どうすれば戦争を早期に終わらせ、ルシタニア人とパルス人が和解できるようになるのか。ダリューンの友人が、異世界のやり方にその解決の鍵があると言うので、簡単に説明して欲しい。」
H教授「お断りします。」
アルスラーン「なぜ・・・・・・」
H教授「単純でない問題を単純であるかのように説明するのは、詐欺の一種です。多少の複雑さを我慢していただかなければなりません*1。」
アルスラーン「わ、分かった。複雑な話でもいいから、宗教戦争を終わらせ和解を実現するための方法を教えて欲しい。」
H教授「私の世界でも、宗教戦争の時代がありました。宗教は、究極的価値観を信者に与えることで、信者の生を充実させる反面、一度他宗教と対立が起これば、それぞれの人生の意義、宇宙の意味がかかっている以上、たやすく相手に譲歩できません。そこで、自然と血みどろの争いに陥りがちです*2。」
アルスラーン「ルシタニア人が信じるイアルダボート神は、人々の平等を信じる。それだけならまだ理解できるが、パルス人のように奴隷制を支持する異教徒は差別し殺してもいいというのだ。私には支離滅裂に聞こえるが。」
H教授「そもそもすべての人が平等だと宣言したアメリカの建国の父は奴隷主だった*3訳ですが、特に宗教により与えられる人生の意味といった究極的価値観は、その人にとって極めて大切なものなので、異なる価値観の人がいれば、相手を抑圧してでも「正しい」価値観に立ち直らせるのが自分の務めだと考えたり*4、自分たちが人間として生きる上でこの上なく大切だと思う文化や価値を重んじない人が現れれば、そんな人は自分と同じ人間とは扱わない傾向にあるとも指摘されています*5。」
アルスラーン「どうすれば、ルシタニア人に、自分達の価値観が間違っていると悟らせることができるのだろうか。」
H教授「その前提が間違っている、と答えておきましょう。」
アルスラーン「それは、どういうことだ?」
H教授「王子は、正しい価値観と間違った価値観があるという観念にとらわれているようです。本当にルシタニア人の価値観は間違っているのでしょうか?」
アルスラーン「何もしていない善人でも、異教徒なら殺していいという考えは間違いなのではないのか? パルスで、奴隷になったり殺されたりするのは、戦争を挑んだり、犯罪を犯した場合に限られる。」
H教授「パルスでは、人を殺していいのは、よっぽどの理由がある場合に限られるということなのでしょう。ルシタニア人に言わせれば、異教徒であること、特にパルスが奴隷をこきつかっていることこそが『よっぽどの理由』なのです。」
アルスラーン「ルシタニアの侵略が正しい、とでもいうのか?」
H教授「どちらの言い分が正しくて、どちらが正しくないという話をしているのではありません。例えば、ある人が政治家として一国を指導することと、優れた画家として活躍すること、これはどちらがより善いとも言えず、だからといって両方が同じ価値を持つとも言えないでしょう。これを『比較不能』と言います*6。」
アルスラーン「パルス人の価値観もルシタニア人の価値観も比較不能だ、というのか。」
H教授「私の世界の経験からは、異教徒同士の対立の場面において、双方の価値観は通常、比較不能と言えるでしょう。」
アルスラーン「比較する物差しがないところで、究極的価値観同士が争えば、血みどろの争いになりがちだというのは分かる*7が、この対立状況はどうすれば解決できるのか。一方が他方を徹底的に打倒するまで戦いは続くということか。」
H教授「対立する、比較不能でさえある究極的な価値観が相互に対立し、せめぎあっているという事実の認識自体からは、何をどうすべきかという実証的結論が直ちに導かれる訳ではありません*8。例えば、その事実認識から、『何が正しいかわからない以上、自分が正しいと信じることを行うべき』という相対主義の結論を出せば*9、ルシタニア人は自らの信じるとおりパルス人を殺戮すべきで、パルス人は自らの信じるとおり奴隷制を維持し、ルシタニアと戦うべきということになるでしょう。」
アルスラーン「それだけでは今と何も変わらないではないか。結局、異世界では今もルシタニア対パルスのような宗教戦争が続いているということか。」
H教授「もちろん、今も宗教的対立から戦争が起こったり、戦争と言うかはともかく人々が殺し合うことはあります。しかし、いわゆる宗教戦争の時代よりは確実に抑えられています。」
アルスラーン「その秘訣は何なのか?」
H教授「秘訣、と言う程のものはありませんが、要するに、異なる価値観が共存する社会の枠組み*10を構築しようとしています。」
アルスラーン「ルシタニアとパルスが友人となれる社会ということか。それこそ、私の求めていたものだ。」
H教授「国家には同盟はありえても、友人はありえません、王子は国家を擬人化し過ぎている、もう少し言うと夢を見過ぎているとも言えるでしょう*11。」
アルスラーン「。。。ともかく、異なる価値観を持つ人が共存できる社会はどういう社会なのか。」
H教授「人々の価値観が政治対立を生むのであれば、人々の価値観の対立が、社会生活の枠組みを設定する政治の舞台に入り込まないようにすれば、対立をゼロにできなくても減少させることができるでしょう*12。」
アルスラーン「その論理自体は理解できるが、違和感があるなぁ。」
H教授「人間の本性に基づいていない人為的で不自然な考えですから、違和感を感じるのも当然です*13。私の世界では、宗教戦争の悪夢を経験し、疲弊した国々が、徐々にこの考えを受け入れるようになりましたが、まだ少数派です*14。」
アルスラーン「この考えを受け入れた国は具体的にどのような対策を取っているのか?」
H教授「典型的には政治と宗教の分離ですが、それだけではなく、『公』と『私』を区別して、自分の信じるところに従い志を共にする仲間と高め合う『私』の部分と、資源をどう社会で配布し使用するかを決める『公』の部分が相互に独立することを確保するシステムを取り入れています*15」
アルスラーン「そのシステムの名前は何というのか?」
H教授「立憲主義、といいます。立憲主義は、民主主義と国家権力の制限を含みます*16。」
アルスラーン「国家権力の制限というのは、国家が『私』の領域に介入するなということだろうが、民主主義はどういうことか。」
H教授「一般には、意見が対立するものの、社会全体で統一的に意思決定をしなければならない問題について、人々が参画して議論をし、最終的には多数決によって結論を出すのが民主主義です*17。」
アルスラーン「王が優れた臣下の意見を聞くという方法であっても、意見が対立するけれども、社会全体で統一的に意思決定をしなければならない問題について結論を出せるではないか。」
H教授「賢人君主の独裁と愚者による民主主義のどちらが優れているかは議論がありますが*18、王の下に優れた臣下が集う保障はあるのか、王が耳が痛い意見を受け入れる保障はあるのか等という一般論だけを考えれば、民主主義になるでしょう。その上で、民主主義の方式によっても国家が決められることと決められないことがあるという『限界』を画するものとして国家権力の制限がある訳です。この2つがあわさったものが立憲主義と呼ばれる訳です。」
アルスラーン「つまり、パルスが立憲主義を受け入れ、民主主義を取り入れ、国家権力を制限すれば、ルシタニアとパルスの間の和解も可能となる、こういうことか。」
H教授「実はそんなに簡単な話ではありません。戦争や独裁を通じてしか解決しない深刻な問題もあるでしょう*19。現状でルシタニアが立憲主義の考えを受け入れないのであれば、パルスが一方的に立憲主義を受け入れただけでは和解できることにはならないでしょう。」
アルスラーン「それでは、立憲主義は我々にとって何の役にも立たないではないか。」
H教授「立憲主義は、むしろ、力による戦いが終わった後に重要になってくるかもしれません。一方が他国民全員を殲滅ないし改宗・同化するというシナリオは1つあり得ますが、それ以外にも、一方の支配領域に他方の文化・宗教を持った人が残るシナリオや、両国が並立するシナリオもあり得る訳です。その場合に、現状を維持し、双方が平和的に共存する方法として、立憲主義の導入が考えられるということです*20。」
アルスラーン「まずは戦って平和を取り戻さないといけない、そういうことなのか。」
H教授「もちろん、どのように平和を取り戻すのかという方策については、色々な選択肢があるところでしょうが、戦争を回避できるかかどうかは為政者の腕次第であり、パルスがルシタニアとの戦争を回避して平和を取り戻すための名案は、異世界の一憲法学者には預かり知らぬところでございます*21。」
まとめ
アニメ→漫画→小説という「にわかファン」でかつ法学徒(しかも長谷部恭男教授のファンの、「ハセビアン」)の私の第一印象は、「アルスラーン王子は立憲主義を学んではどうだろうか?」というものでした。
「立憲主義」を真っ向から否定する政治家も多い現代日本において、アルスラーン王子のような政治の中枢にいる者はもちろん、一般の人もぜひ学ぶべきなのが「立憲主義」の考え方とその意義です。
個人的には、長谷部恭男『憲法と平和を問い直す』は、高校生から(法学部に限らない)大学生までが立憲主義を平易に学べる名作だと思っております。10年以上前の本になってしまいましたが、私が上記のような対話形式でまとめたよりも、同書を読む方が正確で深い理解が得られると思います。