アホヲタ元法学部生の日常

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「鬼門! 原作者チェック」〜判例に見るSHIROBAKOの法律問題


注:本エントリは、SHIROBAKOの主に23話(但し、23話までの話も色々と出てきます)ネタバレを含みますので、未見の方は十分にご注意下さい!


1.はじめに
 SHIROBAKOとは、高校時代アニメ同好会でアニメを作り、商業の世界でまた一緒にアニメを作りたいとの誓いを立てた5人が、アニメ業界における新人として、それぞれの立場で奮闘する姿を描き出したアニメである*1
 武蔵野アニメーションという架空のアニメーション制作会社で、「えくそだすっ!」と「第三飛行少女隊(サンジョ)」という2つの架空の*2作品を制作する過程で生じるトラブルと、その解決に奮闘する宮森あおい(新人制作進行→新人制作デスク)、そして悩みながらも自分の居場所を見つけていく安原絵麻(新人原画→作監助手)、坂木しずか(新人声優)、藤堂美沙(新人3Dクリエーター)、今井みどりシナリオライター助手)*3らの姿に涙が止まらない視聴者も多い*4。メインの5人以外のキャラもなかななか魅力的であり、個人的なオススメは、「武装」してても、可愛い後輩のためには一肌脱ぐゴスロリ様(小笠原綸子)ですね


 さて、SHIROBAKOには、色々な法律問題があるが*5王道を行く法律問題として、原作者とアニメ制作会社との関係を取り扱いたい。


 SHIROBAKO23話では、サンジョ最終話のアフレコも終わった後で、原作者が「結論」(結末)にキレてNGを出し、全修正を命じたという恐ろしいトラブルが生じた。これを監督がどのように解決したかは、23話を見て頂くとして、最後まで揉めて裁判沙汰になった場合、裁判所ではどのように判断されるのかを、判例から見てみたい。


2.原作者の意向は尊重される
 まず、一般論であるが、裁判所は、アニメの内容、特にその「結論部分」(結末部分)について、原作者の意向を尊重している。
 この事を示す興味深い事例として、東京地判平成21年4月17日がある*6。この事案は、1月放映のアニメ(1クール、13話)について4月くらいから本格稼働を開始したが、シリーズ構成及びシナリオについて、(当初の)制作会社側と原作者の間で9月段階まで対立が続き、結局折り合えなかったことから、注文者(製作委員会の幹事会社)が制作会社への発注を取りやめ、契約を解除したという事案である*7
 この事案では、原作者側と制作会社がアニメ化自体に合意したのだが、制作会社の連れて来た監督と原作者が「合わなかった」というのに尽きるだろう。原作者が「シリーズ構成は自分でやりたい」と言い出したので、じゃあ、原作者にシリーズ構成を出してもらいましょうということで、原作者に案を作ってもらったものの、監督は「アニメにはアニメのやり方がある」等と言って原作者のシリーズ構成案を没にし、制作会社側で独自にシリーズ構成案を作成した。しかし、原作者は、逆に制作会社側のシリーズ構成案を「原作の世界観にあっていない」等と言って批判した。判決文によると制作会社側が4回、原作者が5回シリーズ構成案を出したとされており、お互いの対立の深刻さが分かる*8
 制作会社の方は、原作者らが、制作会社側のシリーズ構成案に対してキャラ設定やストーリー変更を求めているものの、見解の相違は致命的ではないと甘く考えていたようである。その結果、原作者からの反対があったにもかかわらず、制作会社側の案をベースにシナリオ作成に入ってしまったようである。ただ、そのシナリオ作成は難航したようで、シナリオが締切に遅れたことから、更に原作者側の信頼を失ってしまったようである。シナリオ読み合わせの当日早朝にやっとシナリオができたものの、その場ではそのシナリオについて合意できず、むしろ原作者側からのクレームが入る状況であった。そして、最終的には原作者側は、制作会社側のシナリオが、結論部分(結末部分)において本件原作の世界観を無視している旨を指摘し、制作会社とはアニメを作ることはできないと伝えた。その結果、注文者(製作委員会の幹事会社)は制作会社への発注を取りやめ、契約を解除した。


 裁判所は、

被告において,本件原作の世界観等に配慮し,(原作者側)が本件原作のキャラクター等の使用を許容する内容のストーリーを作成しなければ,(原作者側)の了解を得られないことは明らかであるから,被告(制作会社)は,原告(注文者)に対して本件アニメーションの制作を約束した以上,原告に対して(原作者側)が許容するような本件アニメーションのストーリーの作成をも約束したものと認めるのが相当である

と認定している。


 この事案では、制作会社側がそのアニメーションを作りたいと考えて原作者側と交渉した上で、出資者として注文者(原告、製作委員会幹事会社)を勧誘したという経緯がある。そこで、例えば広告代理店等が中心となってある原作のアニメ化を企画し、出資者を手配した上で、「これを原作するアニメを作ってくれ」と指定してアニメ制作会社に委託するという場合*9にはまた異なる判断になる場合もある。とはいえ、サンジョ制作過程におけるムサニと原作者側の関係を考えると、ナベPが主体的に動いて雀荘で原作者側と交渉して契約にこぎつけているという状況からみると、この東京地判のような判断を食らう可能性が高いだろう*10。そう、企画の時点でアニメ化の許可を得たら後は勝手に進めていいのではなく原作者の了解を得られるような、原作者の許容範囲のものを作らなければならないのであり、特に、アリアが再び飛行機に乗るのかどうかという、ストーリーの「結論」(結末)部分は重要である。


3.原作者チェックの時期
 しかし、いくら原作者が「神様」でも、アフレコ後にダメ出しというのはないだろう、というのは多くの人が思うところではなかろうか。
 この点については、なかなか適切な判例が見つからなかったが、裁判所の考え方を知るヒントになる判決がある。これが東京地判平成20年8月5日である*11

 この事案は、わずか1年くらいで企画から訴訟まで突っ走っているのだが、この期間に
・作業量に関する認識の相違(当初の想定と比べて大幅な業務量の増加)
・報酬の過少見積り(自分のところが受けた単価より低い単価で受けてくれる外部委託先さん*12がいない!) 
・引っ張ってきた人材の能力の問題が顕在化
・作業が遅延し「作業の遅延原因報告書」の提出を余儀なくされる
・注文主が「手を抜け」と言ったかと思えば「クオリティも心配」と言ったりする
・永遠に終わらないリテイクの嵐(リテイク3のカットも。結局多くのカットにつき最終的承認が得られないまま裁判に突入)

といった、数多くの問題が発生しており、最後は訴訟提起で終わっていることから、この事案において、制作会社側で進捗管理をやっていた人*13のことを考える度に胃がキリキリと痛むSHIROBAKOの宮森あおいを見て、制作進行という仕事をちょっとでも「いいかも」と思った方は、自分が原告側の制作進行をやっていると想定してこの判決の事案の経緯を読むと良いのではないか。*14


 さて、既にこれだけトラブルが出てきているこの事案、もうこれ以上トラブルはご免と言う感じだが、現実は厳しい。更なるトラブルとして、著作権者修正があった。この事案は、実は典型的なワンクールアニメの制作ではなく、某有名ロボットアニメ*15の劇場版をパチスロ用の3DCGにする業務であり、当該ロボットアニメの著作権者の承認を得る必要があった。上記のような色々な苦労をして制作会社が制作したカットについて、著作権者である会社の担当者が125カットをチェックし、うち102カットに修正指示が入ったそうである。この修正について、裁判所は「本来的に本件業務の作業としては,疑問の余地のある指示がされたとも窺える」と判示しており、著作権者から、注文者との間で合意した内容と異なる「ちゃぶ台返し」がされた*16という制作会社側の主張をほぼ認めている形になっている。
 しかし、この著作権者修正による追加コストについて、裁判所はこれを注文者が制作会社に追加で支払う必要がないと判断している。その理由として裁判所は、

本件元映像(注:某ロボットアニメの映像)を扱う本件業務の性質上,被告(注文主)としても,(著作権者担当者)氏の意見に一定の配慮をもって対応せざるを得なかったことも止むを得ないと考えられることからして,なお,(著作権者担当者)氏の意見に基づく被告(注文主)の指示が本件各契約の作業範囲を超えるものであったとまでは認め難い

と述べている。要するに、注文主が一部著作権者の追加指示により、「ちゃぶ台返し」的な指示を制作会社にしたとしても、それが本来の契約の範囲(本来の契約の報酬の範囲)を超えないというものである*17



 この判断だけを見ると、カットが一度できた後(サンジョもほぼ同様の状況と言えよう)に著作権者(サンジョの場合は野亀先生)が後だしで「ちゃぶ台返し」をしても、制作会社(ムサニ)は(当初の契約の内容として)これに従わなければならないということになるかもしれない。



 しかし、注目したいのは、実際の作業量である。そもそも、制作会社は報酬として約1億円*18を求めており、判決では一部作業の未完成等を理由に約5000万円弱が認められている*19。このうち、著作権者の指示による追加作業というのは約10人で約10日かけて行う作業で、約300万円相当の作業とされている。100人日の作業は「軽い」作業とは言わないまでも、このプロジェクトにおいて制作会社によってなされた作業全体に占める割合は制作会社の主張によれば3%、判決の認定でも5%強である。この判決の判断は、著作権者の修正指示が仮に「後出し」であっても、その影響範囲がそこまで大きくないならば、その追加作業は制作会社が「原作あり作品」に付随するリスクとして想定すべき範囲だから、これを甘受すべきというものと理解される。逆に言うと、影響範囲が甚大な後だし指示による追加作業まで甘受すべきという趣旨ではないだろう。


 このように考えると、例えば、サンジョについては、「そういう経緯」*20で100カット追加、50カット削除という修正によりなんとか原作者の野亀先生と折り合いがついた訳だが、この件で発生した追加費用*21をムサニが製作委員会*22に対して請求するのはなかなか微妙であり、もしかすると難しいかもしれない*23。しかし、もしも、野亀氏が、当初の主張通り、シナリオ総取っ替えの大修正をあくまでも求め続けたという場合、上記のような裁判例を前提としても、夜鷹出版の承認を得てそのシナリオで作業を進めていたムサニ側がそのような要求を飲まなければならないとはいえないだろう。


まとめ
 SHIROBAKOで描かれたような原作者による修正要求事案は現実のアニメ制作過程でも起こっており、「訴訟沙汰」になったものもいくつかある。
 裁判所は、一般論として原作モノでは原作者の意向を尊重すべきという考えを示しており、原作者の了解が得られないようなシナリオしか作れない制作会社は下ろされてもしょうがないし、一定の範囲では後だしで原作者側が修正を指示しても、その要求に応じなければならないとしている。ただ、そのような原作者の権限も有限であって、裁判所が「原作者は神様」と言ってるとまでは読むべきではないだろう。
 いずれにせよ、現実の裁判沙汰になった事案では、制作進行の仕事はアニメの宮森あおい以上にストレスフルであり、安易に制作進行の道に進む前に、判決文を読んでどんなトラブルが待っているのかを理解しておくことは、これから制作進行になりたいと思った人(特にSHIROBAKOの宮森あおいの姿に憧れを感じた人)にとって重要であろう。

*1:登場人物が一丸となって完成を目指す成果物の「入れ物」の名前をタイトルとしているので、検察アニメにこの命名法を応用するなら「FUROSHIKI」になりますね。

*2:とはいえ、BD/DVD3巻には「えくそだすっ!」第1話がついているので、「全くの架空」ではない

*3:個人的にシンパシーを感じたキャラは、好奇心旺盛で調査をガンガン進めていくディーゼルさん(今井みどり)。私にはシナリオライター方面の才能はないですが。

*4:かくいう私も。。。

*5:例えば、本田デスクがなかなか最終話のコンテを切れない監督を監禁したところとか

*6:以下は、基本的に裁判所の判決の認定に準拠する。

*7:その後制作会社を変えて4月アニメとして放送しているようである。

*8:回数的に言うと、井口祐未ちゃんのキャラデザの時と同じかそれ以上のダメ出しが入っている

*9:内藤篤「エンターテイメント契約法第3版」418頁参照

*10:なお、判決では、原作を今後も発展させていくつもりであることも強調されているが、その観点からも、サンジョはアニメ放送終了後も第6巻以降のストーリーが続いていくという点で、強調できる

*11:http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/292/037292_hanrei.pdf

*12:イメージとしてはスタジオカナブンみたいな感じのところ。

*13:判決文からはあまり明確ではないが、各会議における報告者名を見ると、α10ではなかろうか。

*14:「それでもやっぱり制作進行がやりたい!」「自分ならうまく社内と外部委託先をコントロールして、この事案でも裁判沙汰にせずにうまく回せるはず!」と思った方こそが、制作進行に向いていると思います、本当に。

*15:イデポンの元ネタの方とは別の物

*16:「指示は,本件各 契約上の本件仕様に合致せず,これと矛盾したり,これを超えていたりした」

*17:なお、経緯として、注文主側が制作会社側に事前に一定程度著作権者の意向を踏まえないと行けない旨伝えているというのが出てきている。

*18:但し、うち既払い金約1500万円

*19:ただし、既払い金を除き約3327万円の支払いが認められている。

*20:詳しくはアニメをご覧下さい

*21:赤鬼プロダクションに払った坂木しずかの出演料とか。

*22:製作委員会からムサニが元請けしていることは、政治力で声優をごり押ししようとした会社が出てきた第14話「仁義なきオーディション会議!」辺りの経緯から推定される

*23:製作委員会側は上記2判例を根拠に追加費用を拒否するだろう。これに対しムサニとして対抗するとすれば夜鷹出版の承認の話でどこまで押していけるかだろう。

憲法記念日ネタ〜アルスラーン王子とH教授の対話で学ぶ立憲主義

注:本エントリは必ずしも明確なネタバレはないですが、概ねアニメ版第1話(漫画版第1話)辺りを読んでいる前提で書いているので、一切情報を得ずにご覧になられたい場合には、そちらを先にご覧下さい。



アルスラーン異世界までお越し頂き、ご苦労である。」


H教授「お会いできて光栄でございます、王子。さて、時間もないので早速本題に入らせて頂きましょう。」


アルスラーン「我が国は、異教徒の国ルシタニアから侵略を受けている。どうすれば戦争を早期に終わらせ、ルシタニア人とパルス人が和解できるようになるのかダリューンの友人が、異世界のやり方にその解決の鍵があると言うので、簡単に説明して欲しい。」


H教授「お断りします。」


アルスラーン「なぜ・・・・・・」


H教授「単純でない問題を単純であるかのように説明するのは、詐欺の一種です。多少の複雑さを我慢していただかなければなりません*1。」


アルスラーン「わ、分かった。複雑な話でもいいから、宗教戦争を終わらせ和解を実現するための方法を教えて欲しい。」


H教授「私の世界でも、宗教戦争の時代がありました。宗教は、究極的価値観を信者に与えることで、信者の生を充実させる反面、一度他宗教と対立が起これば、それぞれの人生の意義、宇宙の意味がかかっている以上、たやすく相手に譲歩できません。そこで、自然と血みどろの争いに陥りがちです*2。」


アルスラーン「ルシタニア人が信じるイアルダボート神は、人々の平等を信じる。それだけならまだ理解できるが、パルス人のように奴隷制を支持する異教徒は差別し殺してもいいというのだ。私には支離滅裂に聞こえるが。」


H教授「そもそもすべての人が平等だと宣言したアメリカの建国の父は奴隷主だった*3訳ですが、特に宗教により与えられる人生の意味といった究極的価値観は、その人にとって極めて大切なものなので、異なる価値観の人がいれば、相手を抑圧してでも「正しい」価値観に立ち直らせるのが自分の務めだと考えたり*4、自分たちが人間として生きる上でこの上なく大切だと思う文化や価値を重んじない人が現れれば、そんな人は自分と同じ人間とは扱わない傾向にあるとも指摘されています*5。」



アルスラーンどうすれば、ルシタニア人に、自分達の価値観が間違っていると悟らせることができるのだろうか。」



H教授「その前提が間違っている、と答えておきましょう。」


アルスラーン「それは、どういうことだ?」


H教授「王子は、正しい価値観と間違った価値観があるという観念にとらわれているようです。本当にルシタニア人の価値観は間違っているのでしょうか?」


アルスラーン何もしていない善人でも、異教徒なら殺していいという考えは間違いなのではないのか? パルスで、奴隷になったり殺されたりするのは、戦争を挑んだり、犯罪を犯した場合に限られる。」


H教授「パルスでは、人を殺していいのは、よっぽどの理由がある場合に限られるということなのでしょう。ルシタニア人に言わせれば、異教徒であること、特にパルスが奴隷をこきつかっていることこそが『よっぽどの理由』なのです。」

アルスラーンルシタニアの侵略が正しい、とでもいうのか?

H教授「どちらの言い分が正しくて、どちらが正しくないという話をしているのではありません。例えば、ある人が政治家として一国を指導することと、優れた画家として活躍すること、これはどちらがより善いとも言えず、だからといって両方が同じ価値を持つとも言えないでしょう。これを『比較不能』と言います*6。」


アルスラーン「パルス人の価値観もルシタニア人の価値観も比較不能だ、というのか。」


H教授「私の世界の経験からは、異教徒同士の対立の場面において、双方の価値観は通常、比較不能と言えるでしょう。」


アルスラーン「比較する物差しがないところで、究極的価値観同士が争えば、血みどろの争いになりがちだというのは分かる*7が、この対立状況はどうすれば解決できるのか。一方が他方を徹底的に打倒するまで戦いは続くということか。



H教授「対立する、比較不能でさえある究極的な価値観が相互に対立し、せめぎあっているという事実の認識自体からは、何をどうすべきかという実証的結論が直ちに導かれる訳ではありません*8。例えば、その事実認識から、『何が正しいかわからない以上、自分が正しいと信じることを行うべき』という相対主義の結論を出せば*9、ルシタニア人は自らの信じるとおりパルス人を殺戮すべきで、パルス人は自らの信じるとおり奴隷制を維持し、ルシタニアと戦うべきということになるでしょう。」



アルスラーン「それだけでは今と何も変わらないではないか。結局、異世界では今もルシタニア対パルスのような宗教戦争が続いているということか。」


H教授「もちろん、今も宗教的対立から戦争が起こったり、戦争と言うかはともかく人々が殺し合うことはあります。しかし、いわゆる宗教戦争の時代よりは確実に抑えられています。」



アルスラーン「その秘訣は何なのか?」


H教授「秘訣、と言う程のものはありませんが、要するに、異なる価値観が共存する社会の枠組み*10を構築しようとしています。」



アルスラーン「ルシタニアとパルスが友人となれる社会ということか。それこそ、私の求めていたものだ。」


H教授「国家には同盟はありえても、友人はありえません、王子は国家を擬人化し過ぎている、もう少し言うと夢を見過ぎているとも言えるでしょう*11。」


アルスラーン「。。。ともかく、異なる価値観を持つ人が共存できる社会はどういう社会なのか。」


H教授「人々の価値観が政治対立を生むのであれば、人々の価値観の対立が、社会生活の枠組みを設定する政治の舞台に入り込まないようにすれば、対立をゼロにできなくても減少させることができるでしょう*12。」



アルスラーン「その論理自体は理解できるが、違和感があるなぁ。」



H教授「人間の本性に基づいていない人為的で不自然な考えですから、違和感を感じるのも当然です*13。私の世界では、宗教戦争の悪夢を経験し、疲弊した国々が、徐々にこの考えを受け入れるようになりましたが、まだ少数派です*14。」



アルスラーン「この考えを受け入れた国は具体的にどのような対策を取っているのか?」



H教授「典型的には政治と宗教の分離ですが、それだけではなく、『公』と『私』を区別して、自分の信じるところに従い志を共にする仲間と高め合う『私』の部分と、資源をどう社会で配布し使用するかを決める『公』の部分が相互に独立することを確保するシステムを取り入れています*15



アルスラーン「そのシステムの名前は何というのか?」


H教授「立憲主義、といいます。立憲主義は、民主主義と国家権力の制限を含みます*16。」



アルスラーン「国家権力の制限というのは、国家が『私』の領域に介入するなということだろうが、民主主義はどういうことか。」



H教授「一般には、意見が対立するものの、社会全体で統一的に意思決定をしなければならない問題について、人々が参画して議論をし、最終的には多数決によって結論を出すのが民主主義です*17。」


アルスラーン王が優れた臣下の意見を聞くという方法であっても、意見が対立するけれども、社会全体で統一的に意思決定をしなければならない問題について結論を出せるではないか。」


H教授「賢人君主の独裁と愚者による民主主義のどちらが優れているかは議論がありますが*18、王の下に優れた臣下が集う保障はあるのか、王が耳が痛い意見を受け入れる保障はあるのか等という一般論だけを考えれば、民主主義になるでしょう。その上で、民主主義の方式によっても国家が決められることと決められないことがあるという『限界』を画するものとして国家権力の制限がある訳です。この2つがあわさったものが立憲主義と呼ばれる訳です。」


アルスラーン「つまり、パルスが立憲主義を受け入れ、民主主義を取り入れ、国家権力を制限すれば、ルシタニアとパルスの間の和解も可能となる、こういうことか。」


H教授「実はそんなに簡単な話ではありません。戦争や独裁を通じてしか解決しない深刻な問題もあるでしょう*19。現状でルシタニアが立憲主義の考えを受け入れないのであれば、パルスが一方的に立憲主義を受け入れただけでは和解できることにはならないでしょう。」



アルスラーン「それでは、立憲主義は我々にとって何の役にも立たないではないか。」


H教授「立憲主義は、むしろ、力による戦いが終わった後に重要になってくるかもしれません。一方が他国民全員を殲滅ないし改宗・同化するというシナリオは1つあり得ますが、それ以外にも、一方の支配領域に他方の文化・宗教を持った人が残るシナリオや、両国が並立するシナリオもあり得る訳です。その場合に、現状を維持し、双方が平和的に共存する方法として、立憲主義の導入が考えられるということです*20。」


アルスラーン「まずは戦って平和を取り戻さないといけない、そういうことなのか。」


H教授「もちろん、どのように平和を取り戻すのかという方策については、色々な選択肢があるところでしょうが、戦争を回避できるかかどうかは為政者の腕次第であり、パルスがルシタニアとの戦争を回避して平和を取り戻すための名案は、異世界の一憲法学者には預かり知らぬところでございます*21。」


まとめ
 アニメ→漫画→小説という「にわかファン」でかつ法学徒(しかも長谷部恭男教授のファンの、「ハセビアン」)の私の第一印象は、アルスラーン王子は立憲主義を学んではどうだろうか?」というものでした。
 「立憲主義」を真っ向から否定する政治家も多い現代日本において、アルスラーン王子のような政治の中枢にいる者はもちろん、一般の人もぜひ学ぶべきなのが「立憲主義」の考え方とその意義です。
 個人的には、長谷部恭男『憲法と平和を問い直す』は、高校生から(法学部に限らない)大学生までが立憲主義を平易に学べる名作だと思っております。10年以上前の本になってしまいましたが、私が上記のような対話形式でまとめたよりも、同書を読む方が正確で深い理解が得られると思います。

*1:長谷部恭男「憲法と平和を問い直す」9頁参照

*2:長谷部恭男「憲法と平和を問い直す」56頁参照

*3:長谷部恭男「憲法と平和を問い直す」45頁参照

*4:長谷部恭男「憲法と平和を問い直す」45頁参照

*5:長谷部恭男「憲法と平和を問い直す」57頁参照

*6:長谷部恭男「憲法と平和を問い直す」57頁参照

*7:長谷部恭男「憲法と平和を問い直す」56頁参照

*8:長谷部恭男「憲法と平和を問い直す」57頁参照

*9:長谷部恭男「憲法と平和を問い直す」58頁参照

*10:長谷部恭男「憲法と平和を問い直す」58頁参照

*11:長谷部恭男「憲法と平和を問い直す」162頁参照

*12:長谷部恭男「憲法と平和を問い直す」59頁参照

*13:長谷部恭男「憲法と平和を問い直す」65頁

*14:長谷部恭男「憲法と平和を問い直す」180頁

*15:長谷部恭男「憲法と平和を問い直す」59〜60頁、65〜66頁参照

*16:長谷部恭男「憲法と平和を問い直す」12頁参照

*17:長谷部恭男「憲法と平和を問い直す」39頁参照

*18:例えば、民主主義そのものを自己目的化する見解であれば、常に愚者による民主主義の方が優れていることになるが、そのように、民主主義を自己目的化する見解が正しいとは限らない。長谷部恭男「憲法と平和を問い直す」34頁以下参照

*19:長谷部恭男「憲法と平和を問い直す」40頁

*20:長谷部恭男「憲法と平和を問い直す」102〜105頁も参照

*21:なお、長谷部恭男「憲法と平和を問い直す」第II部「平和主義は可能か」111頁以下も参照のこと。

例の紐の法的分析、、、ではなく「ダンまち」の例のシーンの法的分析

注:本エントリは「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」第一話のネタバレを含みます。ご了承下さい。



1.はじめに
 今期のアニメの話題を突然かっさらっていたのはダンまち、つまりダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうかである。女神が現世に光臨して人間と契約を結ぶ世界において、女神ヘスティア様と契約してヘスティア・ファミリアの一員となった主人公、ベネ・クラネルが祖父の遺言に基づき、女性との「出会い」を求めてダンジョンに潜る、そんな物語。下馬評が他のアニメに比べて特に高い訳ではなかったが、「例の紐」と呼ばれるヘスティア様の胸部に結ばれている青い紐(乳紐)がオタク達の琴線に触れ、人気が沸騰している。


 最近は、色々趣旨が違ってきているが、当サイトは一応「アニメを法律的に分析する」サイトなので、例の紐の考察をしようと思った。ただ、原価がほぼ0の紐を1000円で売ることが「暴利行為」として公序良俗違反(民法90条)で無効になるかという事くらいしか思いつかなかった。



  それでは、ということで、本編の「あるシーン」の法的分析をしようと思う。




2.ベネ・クネラル「トマト事件」
 主人公は、ヘスティア様と同居できている(しかもボディータッチも)という客観的には超幸せな人生を送りながらも、ヘスティア様にはとんとなびかず、女剣士アイズ・バレンシュタインにご執心である。その理由は、地下5階層でミノタウロスに襲われているところを彼女に助けられたからである。



 さて、この話には続きがある訳である。アイズと同じロキ・ファミリアに所属し、ミノタウロスの返り血を浴びたまま町に戻った主人公を「トマト男」と呼ぶベート・ローガ(犬男)等の説明によれば、ロキファミリアが地下17階層で狩りをしていた際に、ミノタウロスに逃げられ、暴走したミノタウロスが普段はいない5階まで上がってきたという。



 そうすると、そもそも、ベートらのミスでベネが死にかけたって話ではないのか?これは法的にどうなのか、分析をしてみよう。


3.冒険者の義務?
 民法709条は、不法行為、つまり、故意過失によって他人の権利を侵害する行為をした場合の損害賠償責任を規定する。例えば、この文脈に関連して比較的多く見られる例では、ハンターが誤射をする例であり、人間を獲物だと思って銃を撃ってしまうといった例は、過失(ミス)により他人の生命や身体を侵害したとして損害賠償が認められている。
不法行為の要件として「トマト事件」で問題となるのは、注意義務である*1


 そもそも、ロキ・ファミリアは、ベネを殺そうと思っていた訳ではなく、故意はない。そこで過失、つまりミスがあったかが問題となる。
 何を持って過失とするかは色々議論があるが、一般には、注意義務に違反することと考えられている。誤射の例であれば、「獲物が人間であるかを確認する注意義務があるのに、(軽率にも)確認せずに引き金を引いてしまった事」が注意義務違反の内容となる。
 例えば、「加害者の行為→動物の行為→被害者の被害」という事例の関係では、最判平成元年10月27日集民158号117頁が参考になる。要するに自転車で走っていた加害者が、犬を連れていた被害者を追い抜いたが、犬が加害者に驚いて不規則な動作をしたため、被害者が転倒したと言う事案である。


 最高裁は、

犬の性癖等は様々であって、ことに自転車で接近したときの犬の反応動静を予測することは一般的に困難であり、特段の事情がない限り、犬が驚いて不規則な動作をすることによって歩行者が転倒するということを予見することも困難である(から)本件事故につき不法行為法上責められるべき注意義務違反はない
最判平成元年10月27日集民158号117頁

として、加害者の責任を認めなかった。要するに、犬が変な動きをするという結果が発生するとは予測できない(予見可能性がない)ことから、それを避けるために近くを追い抜かない(またはもっとゆっくり追い抜く)という注意義務も発生しないということである。


 ここで問題となるのは、冒険者に、獲物に逃げられないよう注意する義務があるかという点であろう。一般論としては「ない」であろう。獲物のレベルが高ければ確実に仕留められるとは限らないし、もし絶対に逃げられないように仕留めなければならないとすれば、憧憬一途(リアリス・フレーゼ)発現後のベネのように、分不相応な高難度階層に降りていって短期間で急成長なんてこともできなくなるだろう。


 しかし、よく考えてほしいのは、ロキ・ファミリアが「巨人殺し」のファミリアであり、女剣士たった一人でミノタウロスを八つ裂きにできる位の実力差があるという点である。彼らに取っては、ミノタウロスごときであれば、逃げられないような布陣を敷いて仕留めることも不可能ではないだろう。
 反面、ミノタウロスは、ベネのような駆け出し冒険者にとっては「出会い」がそのまま死を意味するような怪物でもあり、このような怪物が暴走して低階層に上がっていったら、どんな被害が生じるかは容易に予想できるだろう。



 このような点に鑑みれば、この具体的な状況下においては、特別にベートらに対し、「戦いにおいてミノタウロスが低層階に逃げないようにする」という注意義務を認めることも可能なのではなかろうか。


4.自ら危険なところに来た?
 ここで、ロキ・ファミリアとしては、ロリ巨乳一家に賠償金を払うのはシャクであろうから、色々と難癖をつけるだろう。その中で考えられるのは、こういう議論だろう。


 そもそも、ダンジョンというのは危険である。例え低層階であっても、「爪っぽいアイテムをゲットしたらそれがトラップで大量のモンスターに襲われる」といった命の危険にあふれている。そうすると、危険なのを分かっていてあえてそこにやって来たベネにとって、ミノタウロスに教われるのはその予想された危険が予想通り現実化しただけではないか、それをもってロキ・ファミリアに責任を転嫁するべきではない。このような議論であろう。


 この点については狩猟に関する文脈で似た先例がある。東京高判昭和49年5月21日判タ316号254頁は、100メートル程先に人がいるのにその方向に向けて散弾銃を発射して狩猟したという鳥獣保護法違反の事案であるが、弁護人は、ハンター相互間には、銃猟は「許された危険」として行為の違法性を阻却すると主張した。しかし、裁判所は、

猟仲間に向つての銃猟行為が、所論の如くいわゆる「許された危険」として違法性を欠く、というが如きは、とうてい賛同することのできない
東京高判昭和49年5月21日判タ316号254頁

としてこの考えを一刀両断した*2


5.アイズに助けられているから損害がない?
 ロキ・ファミリアの最後の主張としては、「結果的にアイズに助けられたから損害はない」というものがある。しかし、この主張は受け入れられないだろう。


 ベルは、ミノタウロスに教われ、今まさに命を奪われるという恐怖を感じた。死の恐怖については有名な例として、ヘリコプター事故の事案において被害者が死の恐怖による極度の精神的苦痛を被ったことに対する慰謝料を50万円とした東京地判昭和61年9月16日判タ618号38頁(新日本国内航空ヘリ墜落事件判決)がある。その後の慰謝料相場の上昇*3に考えれば、ベルはもっと慰謝料をもらえるだろう。

まとめ
 ベートらのロキ・ファミリアは、ミノサウルスを暴走させベルを死の恐怖に陥れたことにつき、不法行為として慰謝料を支払わなければならない。
 これにより、ベルはヘスティア様との貧乏暮らしを脱出することができそうである。例の紐の色のバリエーション等も増えるかもしれない。
 なお、公衆の場で「トマト男」と呼んで侮辱した件については、別途問題となろう。

*1:細かいことをいうと因果関係だが、予見可能性のところの議論と概ね軌を一にするだろう。

*2:この事案が猟仲間であることが、判決の射程を限定することにつながるかは各自ご検討頂ければ

*3:例えば、林道建設の際に投棄された残土による盛土が台風に伴う集中豪雨によって崩壊し、それによって生き埋めとなった者が味わった死の恐怖の慰謝料として150万円が認められた大阪地判平成元年1月20日判タ695号125頁

バレンタイン判例ベスト10


本日は私のような非モテにとって一年で一番辛い日、つまりバレンタインデーである。
先月情報法面白文献10選をやって意外な人気を博したので、それに味を占めて、バレンタイン判例を独断と偏見で10個選定したい。
情報法関連オススメ海外文献10選+おまけ(by 独断と偏見) - アニメキャラが行列を作る法律相談所withアホヲタ元法学部生の日常



まず第10位はドジッ子社員事件です。ドジッ子は二次元では可愛いが、三次元では、という事案ですね。

被服店の契約社員が雇止めが違法として仮処分を求めた事案で、依頼を受けてバレンタインギフトの財布にチョコを同封したが、チョコレートが溶けた等のクレームを短期間に複数件発生させていること等から更新拒絶は可能とした事案(大阪地決平成14年12月13日労判844号18頁)


9位は、三倍返しならず、1万倍返しの事案です。ここまでくると意思能力が否定されるのもやむを得ないですね。

バレンタインデーにチョコレートをくれたケースワーカーの女性にジャガー(外車)を買いたいと発言する等の行動から、養子縁組当時意思能力がなかったとして、養子縁組を無効とした事案(名古屋家審平成21年11月20日)


8位は、婚姻関係の破壊有無の認定において、バレンタインデーが関係した事案です。この事案の面白いところは、離婚届を持ってきたらもう破壊されているだろうと思うかもしれませんが、「離婚届を渡すシチュエーション」がバレンタインデーのお返しと一緒だったので、婚姻関係の破壊が否定されたということですね。

原告の夫がバレンタインデーのお返しとともに離婚届を持ってきたとしても、当時原告は離婚といわれる理由が分からずそれを真剣に受止めておらず、被告が原告の夫との交際を始めた際婚姻関係は破綻していないとして、被告に慰謝料支払いを命じた事案(東京地判平成17年9月30日)

第5位〜第7位はまとめて同じような傾向の判例です。セクハラ加害者が「バレンタインにプレゼントをもらっているからセクハラじゃない!」と主張した事案です。残念ながら、この主張は全て否定されているようですので、本日(仕事・学校なら昨日?)バレンタインチョコをもらった相手から、後でセクハラと訴えられる可能性に留意が必要です。

セクハラを受けているはずの相手に対し、バレンタインデーに「いつも2人の愛をたくさん頂いています。ありがとうございます。愛を表現するバレンタインはとても美しいと思いました。」等と記載したカードを送ったが、宗教的権威である相手に絶対的に従順であるように教えられていた前提の下では矛盾しないと判断した事案(東京地判平成26年5月27日)

セクハラを疑われ懲戒免職になった従業員につき、バレンタインにハートマーク付きで「大好き」と記載されたチョコをもらったので相思相愛だと誤解した等の弁解は疑問だとしたものの、約2年後に懲戒解雇するのは時機を失しているとして、解雇を無効とした事案(東京地判平成24年3月27日)

教員のセクハラにつき、教員はバレンタインチョコをもらったとの抗弁を出したが、生徒が教師にバレンタインデーにチョコレートを届けるのは社会的儀礼の範囲内にとどまるものといえセクハラを受けていなかったとはいえないとして慰謝料を認めた事案(大阪地判平成20年5月20日)


第四位は、バレンタインのせいでワインがめちゃくちゃになったこの事件ですね。ワイン好きも非モテと連帯してバレンタイン廃止運動に加わるべきでしょう。

14度でワインを保管するという寄託契約において、被告がバレンタインの時期だけチョコレートをワインセラーで保管し、そのために10度位まで温度を下げた可能性があると認定した上で、その状況が被告から原告に明示されていたとすれば、わざわざ料金を支払って本件ワインセラーの利用をすることはないといえ、定温・低湿義務違反があったとした事案(札幌地判平成24年6月7日判タ1382号200頁)


ここで、第三位に入る前に、1つの事件を紹介しましょう。木谷明先生が朝日新聞のインタビューでこのように語っています。

 「私が扱った事件で、うつ病にかかった母親が3人の子を殺した上で自分も自殺しようとしたことがありました。捜査段階の鑑定では『うつ病はそれほど重くなく、限定的な責任能力がある』とされていました。ところが、裁判所が鑑定を命じた鑑定人は『うつ病は相当重く、責任能力はない』という趣旨の鑑定書を提出。私は後者の鑑定の方が説得力があると思い、無罪に傾きました。それを感じた検事が、再鑑定を請求してきます。却下してもまたしつこく請求します」

 「最後に論告で『懲役13年』を求刑した揚げ句、『再鑑定をしないまま無罪判決をしたら審理不尽になる』とまで声高に叫びました。これは、『再鑑定しないまま無罪にしたら控訴するぞ。そうしたら、お前の無罪判決などすぐ吹き飛んでしまうぞ』という意味の恫喝(どうかつ)です。結局、無罪判決をしましたが、検事は控訴できず、無罪が確定しました」
http://d.hatena.ne.jp/yumyum2/20121108/p1


検察による裁判のコントロールの実態がよく分かる事案なのですが、なんと、この事件もバレンタイン事件なのです。

内因性うつ病に罹患した母親が、バレンタインデーのためのチョコレートを作っていた2人の娘に対し、風邪薬と偽って睡眠導入剤を飲ませ、同人らを寝つかせた後殺害した後自殺を図った事案で、心神喪失による無罪を言い渡した事例(浦和地判平成元年8月23日判タ717号225頁)


一見関係なさそうな事件も実はバレンタインに関係していることがあるのですね。



さて、第三位は、女心の難しさにより一審と控訴審の判断が分かれた事案です。なぜバレンタインチョコレートを渡すのか(=なぜ私がもらえないのか)については、更に深い女性心理の考察が必要なようです。

教員による女子中学生に対する準強制わいせつがあったとされる半月後のバレンタインデーに、被害者が手作りチョコレートを渡している等として無罪とした一審判決(静岡地浜松支判平成22年5月24日)を破棄し、被告人の行為を拒み難い心情やぬいぐるみ等を買ってもらった事への返礼あるいは社交辞令的なものとも理解できる点を踏まえて考察すると必ずしも不自然ではないとして有罪とした事案(東京高判平成23年1月13日)


第二位は、教員が女子中学生からバレンタインチョコをもらうと服務規律違反と明示してくれ、非モテに「服務規律違反だから僕はチョコをもらってないんだ」という言い訳を与えてくれたこの事件ですね。

中学校の教師が生徒からバレンタインチョコレートを受領した行為及び当該生徒に対して返礼としてチョコレートを贈った行為並びにハロウィンに菓子を配った行為は服務規律違反であるが、懲戒解雇は余りに重過ぎるものと言わざるを得ないとして解雇を無効とした事案(東京地判平成23年4月15日)


第一位は、やはり、なんといっても、このリア充少年の事件でしょう。

地裁所長に対する強盗致傷事件の共犯とされる少年につき、彼女がバレンタインプレゼントを渡したので少年にはアリバイがあると証言し、大筋電子メールとも符合しているとしてその証言に信用性を認め、被告人に無罪を言い渡した事案(大阪地判平成18年3月20日判タ1220号265頁)

まとめ
 結局バレンタイン判例のナンバーワンは、彼女にバレンタインのプレゼントをもらったことで強盗致傷の犯人から一転、無罪となった少年です。
 結局我々非モテの日ではなかったということで。

3月のリヴァイアサン〜「妻子捨男」の脅威から三姉妹を守れ!


本ブログ記事は、羽海野チカ3月のライオン』10巻最終ページまでの内容のネタバレを含みます。未読の方は、先に読んでから本記事をお読み下さい。


1.はじめに
 その男は些細な事から塾講師を辞めてしまう。仕事もせず、家業の手伝いも長続きしないまま、ダラダラと暮らす。
 家の中で居心地の悪さを感じたその男は、「そのままの自分でいい」*1という女性と不倫。
 不倫相手と暮らすため、妻と三人の子を捨てた。妻は、泣く泣く離婚に同意する。


 それから、はや5年が経った。男は、音信を絶ち、三女の顔さえ一度も見た事が無い。
 妻はその後病で亡くなり、長女は母の代わりに三女を育て上げ、次女を中学校から高校へと通わせた。


 突然、何の前触れもなく、そんな最低最悪の「妻子捨男」が帰ってきた。
 勤め先で再度不倫問題を起こし、セールスをやっていた中古車販売業者を解雇され、社宅を追い出される運命となったその男は、
 今の妻子を連れて元の家に引っ越したい、同居がいやなら三姉妹が家を出ていってもいいと言い出す


 これに対し、三姉妹の家に居候している若き天才棋士桐山は、次女と結婚するといって異議を申立てる。



 これが、羽海野チカ先生の名作*2『三月のライオン』、妻子捨男編(10巻115頁以下)の「あらすじ」である。
 桐山が直面する「バケモノ」(10巻169頁で「父親」についたルビ)は、法律を学んだ者なら誰もが知るホッブズの『リヴァイアサン』に出てくる怪物リヴァイアサンを思い起こさせる。


 法律的に見て、桐山に勝機はあるのだろうか??



 光栄にも、大変熱烈なリクエストを頂いた以上、これに応えるのが「仁義」というものだろう(謎)。


2.三姉妹の法律関係
 まず前提として、川本三姉妹は、今どういう法律関係にあるのだろうか。



 夫婦が離婚すると、子どもの親権者は夫婦のどちらか一方となる(民法819条1項、2項参照)。
 父母の離婚直後は、少なくとも母親が親権者となったと理解される。問題は、母親がいなくなった後である。



母親がいなくなると、元父親が自動的に親権者として復活するのだろうか?



 この点は争いがあり、一部の学説は、当然に元父親が親権者として復活するとする*3


 しかし、審判例の主流はそのようには考えていない*4


 主流的考え方に基づけば、唯一の親権者である母親がいなくなった以上、「未成年者に対して親権を行う者がないとき」民法838条1号)として、後見が開始する。そして、父親に対しては、一定の要件の下*5家庭裁判所が、これを親権者として指定する(親権者を変更する)ことができるに過ぎない(民法819条6項)。




 すると、例えば、ひなたちゃんが問題なく高校へ通えているということからすれば、未成年後見人が既に選任されていると考えるのが自然である。おばさんの美咲もしくは、祖父の相米二が後見人になっていると理解される。


 そして、5年以上音信不通ということは、妻子捨男を親権者とする親権者変更の審判は行われていないと理解される。



 よって、法的に言えば、「妻子捨男」は、川本三姉妹の財産を管理し、監護・養育する権利*6を持たない、赤の他人ということになる。



 桐山は自分で生計を立てられるが、妻子捨男は生計を立てられていないと指摘する桐山にいらだった、妻子捨男は、

あのさあ
自分語りしたいなら
ホント早く消えろよ
これは家族の話
なんだよ
他人には
関係ないだろうがっ

羽海野チカ3月のライオン』10巻163頁


と捨て台詞を吐くが、法的に言うと、妻子捨男こそが、家族ではない他人なのである。


その意味は、川本三姉妹の住む家に対して、妻子捨男が住む権利はない*7ということを意味する。むしろ、嫌がるのに入っる行為が住居侵入罪、出て行けといわれても居座る行為が不退去罪になるのだ。



3.父母の同意権
 ただし、現行民法がおかしな規定を置いているので、桐山とひなたちゃんの間の結婚はなかなか難しい。

(未成年者の婚姻についての父母の同意)
第七百三十七条  未成年の子が婚姻をするには、父母の同意を得なければならない。
2  父母の一方が同意しないときは、他の一方の同意だけで足りる。父母の一方が知れないとき、死亡したとき、又はその意思を表示することができないときも、同様とする。


この民法737条は、要するに、未成年であるひなたちゃんが桐山と結婚するためには、その父母の一方が同意しなければならないというものであるが、これがなぜ規定されたかといえば、判断能力が低い未成年である子の保護にある。そこで、一部の学説*8のいうように、本来は同意権者を親権または監護権を有する父母に限定すべきであろう。



 もっとも、法文上「親権者」ではなく「父母」と書いてしまっている以上、妻子捨男のような親権のない父母も同意権があると解さざるを得ない*9。その意味で、民法737条1項は「立法ミス」といえる。



 この点、父母全員が同意するのではなく、父母の一方が同意すればそれで足りる(民法737条2項)ので、親権がある方が同意をすることによって通常は大きな問題にはならない。そこで、学説上も「実際問題としては、かかる(注:親権のない)父母の同意なしに婚姻を成立せしめることも可能であろう」*10として、この「立法ミス」を大きな問題とは捉えていないようである。



 確かに、親権者である母親がいた頃であれば、その母親が同意すればよかった。しかし、まさに本件のように、親権があった母親がもはやいない場合には、一方の同意の意味は「ひなたちゃんが桐山と結婚するためには、妻子捨男の同意が必要」ということである。妻子捨男に嫌われている桐山は、ひなたちゃんと結婚できるのだろうか?



4.養子縁組
 この問題の「法的」解決策としては、ひなたちゃんの養子縁組が考えられる。
 すなわち、ひなたちゃんがおばさんの美咲もしくは、祖父の相米二と養子縁組をすると、実父である妻子捨男に加え、養父母が生まれる。
 そして、養父母を同意権者とするのが戸籍実務である*11


 そう、養子縁組をして、新たに養父母となるおばさんないしは、祖父に同意をしてもらうことにより桐山はひなたちゃんとの結婚ができるようになる。

まとめ
 バケモノ(リヴァイアサン)である妻子捨男の「俺は家族(親権者/監護権者)だから一緒に住む権利がある」という主張は法的に理由はない。
 しかし、民法737条が、未成年者の婚姻に同意をすべき人を「父母」とだけして親権者であるかを問わないという「立法ミス」の結果、桐谷とひなたちゃんの婚姻が妨げられてしまう。
 これに対して実務的には養子縁組による解決は可能であり、リヴァイアサンを「退治」することはできる。しかし、そもそもこのような「立法ミス」は即刻直すべきだろう。 
 「三月のライオン」の事例は、この「立法ミス」が時に深刻な結果をもたらすことを教えてくれるものであり、法学的にも大変重要な意味を持つ。

*1:Let it go!?

*2:「歩」君にすごく同情するのですが、読みながら色々なところで涙を流しました。

*3:当然復活説。同説の具体的内容については『新版注釈民法(25)』255頁参照。

*4:『新版注釈民法(25)』51頁

*5:この「要件」については、後見人未選任であることを要件とするべきかについて、制限回復説と無制限回復説が対立する。

*6:ここで限定をしている理由は、相続権等、監護権・親権とは無関係な権利は残るからである。

*7:監護養育の一環として同居するとは言えない

*8:『新版注釈民法(21)』236〜237頁

*9:『新版注釈民法(21)』237頁

*10:『新版注釈民法(21)』237頁

*11:昭和24年11月11日民事甲2641回答

『楽園追放』に見る、「ヒトたるもの」と「ヒトたりえないもの」の境界線〜デジタル世界の「人」と権利享有主体性



注意:本エントリは『楽園追放』の結末までを含んだ完全なネタバレ記事です。楽園追放はまだ映画公開を継続しておりますので、ぜひ映画館へ急ぎましょう! もしくは本日一般発売開始のDVD又はブルーレイを見てから本記事をご参照下さい。



1.「おっぱい」か「お尻」か?
 法学クラスタ(法クラ)に属する方は、よく「おっぱい」と呟かれる。しかし、今年の11月以降の私のTLは「おっぱい」ではなく「お尻」で埋め尽くされた。ご存知、「楽園追放」のアンジェラ・バルザック(マテリアル・ボディーの年齢16歳)のお尻のことである。私も早速鑑賞したが、「2014年最高のアニメ」の座は揺るがないと言える、素晴らしい作品である。


 ナノハザードにより肉体を捨て、電脳世界「ディーヴァ」で暮らすシステム保安要員アンジェラ三等官が、ディーヴァに侵入する謎のハッカー、フロンティアセッターを摘発するため、マテリアル・ボディーを生成して地球へと降り立ち、「地球人」のオブザーバー、ディンゴと共にフロンティアセッターに迫るが、その正体は。。。というのがあらすじである。


 「楽園追放」に関しては、もちろんアンジェラのお尻についてて語る事も可能であるが、当ブログは法律&アニメブログであるところ、この論点は単純に、児童ポルノ法2条3項3号の「衣服の全部又は一部を着けない児童の姿態であって、殊更に児童の性的な部位(性器等若しくはその周辺部、臀部又は胸部をいう。)が露出され又は強調されているものであり、かつ、性欲を興奮させ又は刺激するもの」の解釈を語るだけになりそうなので*1、この点は、他日を期させて頂きたい。


 今回検討したいのは、「権利享有主体性(憲法でいうと人権享有主体性)」である。ご存知のとおり、今の日本の圧倒的通説によれば、


魔法少女まどか☆マギカキュウべぇがいたいけな少女を騙して魔法少女契約を結ばせる行為」


「妖怪達が人間に対して行う悪さ」


「提督が艦娘に対して行うセクハラ・パワハラ


等は基本的には*2法律による規制が及ばない。それは、人間ではない艦娘等は、どんなかわいそうな目にあっても基本的には*3法律で保護されず、人間との間で「労働契約」も締結することができない反面、キュウべぇや妖怪等が何をしても、それは天変地異と同じであって、法律によってキュウべぇや妖怪等を規制する余地はないのである。


しかし、本当にそれでよいのだろうか。


 大部分のヒトがマテリアル・ボディーを離れディーヴァに行ってしまった『楽園追放』の世界を通じてこの問題について再度検討してみよう。


2.法律が適用される対象についての明確な言及
 『楽園追放』では、ディンゴとの間で「フロンティアセッターを他の保安官に先んじて見つければ、サテライトスキャンした地下資源のデータを渡す」という請負契約(成功報酬制)を締結するように、ヒトは当然に契約(法律)の対象である。問題は、それ以外である。


 ここで、アンジェラが、ディーヴァの法律が適用される対象について明確な言及をしている。


『そもそも独自進化で知性を勝ち取ったAIなんてディーヴァの法律で裁ける相手じゃないし。』


 つまり、ディーヴァにおいて、法律が適用対象となる「人」には、人工知能は含まれないのである。フロンティアセッターが自我や感情を持っていることは、権利享有主体性(法律・契約の対象)であるかとは直接関係がないらしい。


 これに対し、アンジェラが(多分いわゆる「治安維持法」みたいな法律の適用により)反逆罪で強制凍結を受けているように、デジタルデータであるにもかかわらず、アンジェラのようなディーヴァ市民は権利享有主体性(法律・契約の対象)が認められている。


 この間を矛盾なく説明するのが、アンジェラの説明である。ディーヴァの居住者が受精後1300時間は実在の存在として培養され、その後で電脳世界の住民となる。つまり、実際の肉体としてのヒトが存在し、そのヒトの情報をデジタル化した場合には、当該「デジタル情報」(たるアンジェラ・バルザック等のディーヴァ市民)も法律が適用され契約等を結べる権利享有主体性を持つが、ヒトの存在を基礎としないフロンティアセッターのような人工知能は、いくらそれが「人間くさく」ても、人扱いはされない訳である。これは、人間が肉体の枷から解き放されたデジタル世界に住むというパラダイムシフトを経た後の、権利享有主体性に関する1つの「体系」として完成されていると言える。この辺りまで考えているところが流石虚淵アニメというところである。


3.ディーヴァ法理論の帰結
 このディーヴァ法理論をもう一歩進めると、「大事なのは、ヒトから抽出したデータであり、それ以外は重要じゃない」ということになる。


 デジタル化され、貢献度に応じてメモリ等を割り当てられたディーヴァ市民は、「肉体の枷」を外れている。そのようなディーヴァ市民にとって一番恐いのは、自分の唯一のアイデンティティたる「データ」が消されてしまうことであろう。


 このデータの重要性は単なる市民レベルに留まらない。ロックを「有害」として消滅させることができるように、ディーヴァ上層部*4にとっては、データのコントロールによってディーヴァ市民をいかようにでも管理できる訳である*5。そう、データ(やメモリの割当に対する)ディーヴァ上層部による思いのままの管理*6こそが、ディーヴァ上層部*7の権力の源泉であり、その最も重視するところである。


 今回のハッキングは、そのディーヴァ上層部による意のままの管理が、地上からの侵入者によって侵害され得ることを示した事例であり、その動機が善意に基づくものであっても、ディーヴァ上層部がそれに対して多いに警戒し、フロンティアセッターのメインコンピューターの破壊を絶対的な任務として明じ、それに逆らうアンジェラを反逆罪としたのは、「彼らの論理からすれば」当然の結論であろう*8。それが分からず、フロンティアセッター温存説を主張する辺りが、アンジェラが、これだけ向上心を持ちながらも、三等官という比較的低い地位に留まり、十分なメモリ等を与えられていない所以だろう*9


 ただ、このディーヴァの法理論は、我々のようなマテリアルボディーにとらわれた地上の「ヒト」にとっては大きな違和感を感じさせる。


 つまり、「殺人行為が野放しにされる」ということである。


フロンティアセッター『あなたがディーヴァに帰還した後、その身体はどうなるのでしょうか?』


アンジェラ『パーソナリティの転送が済めば、マテリアルボディーは昏睡に入るし、正式に任務完了となれば、テロメア短縮コードを送り込んで処分することになるわ。その時は一方を入れるから、わるいけど埋めるなり燃やすなり後始末を頼むわ。』


ディンゴ『あ〜。毎度ことだが、これだからディーヴァのエージェントとの別れ際ってのは苦手なんだよ。後味悪いったらありゃしない』


『楽園追放』より

 と言っている。マテリアルボディーをまとって地上で任務を遂行した保安官は、その後次の任務があれば、またそのマテリアルボディーを見にまとうが、任務がいわば「完了」した後は、そのマテリアルボディーにテロメア短縮コードを打ち込んで「処分」等している。


 ここで、マテリアルボディーからデータが抜けても、あくまでも抜けたのは「データ」であって、その瞬間に死ぬ訳ではない(つまり、本編でアンジェラがディーヴァに戻った時点で死んだ訳でもなく、その後再度フロンティアセッターの手引きで戻ってきた際に再度「生まれた」訳ではない)。あくまでも「意識を失った昏睡状態で保存されている」に過ぎない。すると、「用済み」になったマテリアルボディーにテロメア短縮コードを打ち込んで「処分」した段階で、身体が不可逆的に死亡するのであり、ディーヴァは日欧的に殺人行為を行っているということになる。


 このような行為をディーヴァが許容するのは、まさに、ディーヴァにおいては、マテリアルボディーについて何らの重要性を感じていないことの所以であろう。


4.フロンティアセッターの権利主体性
 このように、マテリアルボディーの重要性を否定することは、それとの関係で、なぜヒト由来のデータが重要なのかという点に疑問を投げかけることになる。アンジェラ達のような法律で保護/規律される「ディーヴァ市民」と、自我と感情を持つ人工知能フロンティアセッター、この二つの間にある相違点は、「ヒト由来か否か」の一点に絞られるだろう*10


 その説明としてあり得るのは、従来の「法律というものがヒトを対象に専ら適用されれてきた以上は、ディーヴァにおいて『最もヒトらしいもの』としてのヒト由来性を重視するしかない、さもなくば際限なくその辺縁が広がりかねない」というものである。


 ただ、このような説明になったら最後、後は程度問題ですよねという切り返しが可能になってしまう。地球人は幸か不幸か、マテリアルボディーとデータの完全な分離が今はできていない。だからこそ「マテリアルボディーの不可逆的機能停止(=死)」というメルクマール(分岐点)が重要になったのだが、ディーヴァではそのメルクマールが使えなくなる。


 すると、出てくる議論は、当然「どうして自我をメルクマールとしてはいけないのですか?」ということになる。自我の存在はヒトがヒトたる所以とも思われてきたが、フロンティアセッターも自我を持っているのであれば、なぜそのような「ヒトとしての性質」を兼ね備えているフロンティアセッターを人としては認めてはいけないのか、なぜヒト由来かどうかに決定的重要性があるのか、そこが問われるのである。


 むしろ、自我ないしは自由意思を持ち、社会との相互関係の中で、契約によってその自由意思を自ら制約しようとする者であれば、全て権利享有主体性を認めていいのではないか。少なくともディーヴァのような『楽園追放』の世界観の中においてはそのようなことが言えるのではなかろうか。




一人旅立つフロンティアセッターに、ディンゴは言う。


「俺たちが失い、忘れたものを、誰よりも強く受け継いできたのがあんたなんだ。だから胸を張って行ってこい。いずれ旅先で出会ったやつには、堂々と名乗ってやりなよ。地球人類の末裔だってな。」


ディンゴの中では、フロンティアセッターは、既に人間として扱われている。法律は、フロンティアセッターを、どう扱うべきだろうか?

まとめ
 『楽園追放』は法学界に対し、人権享有主体性の範囲という重大な問題を投げかける。


 近時、ロボット法学会立ち上げの動きがあるようであるが、将来どのようになるか分からない*11ロボットの権利主体性*12については、「そんなことを検討するなんて、民法3条1項を根本的に誤解している馬鹿馬鹿しい話だ」なんてつまらないことを言わず、自由闊達な議論を期待したい。そして、『楽園追放』は、このような自由な議論を行う上で参考になる素晴らしい映画と言っていいだろう。


 確かにアンジェラちゃんの「お尻」も大注目であるが、「おっぱい」と呟いている法クラにとっても大注目のアニメ映画である!

*1:なお、現行法だと三次元のモデルがいなければセーフです。

*2:もちろん、ワルプルギスの夜が登場すれば、災害対策基本法により避難を命令したりすることはあり得るが、これは、「台風」や「地震」と同じである。

*3:なお、「愛護動物」等の限定列挙された非人間に対する例外的保護があるが、艦娘はこれにはあてはまらない。

*4:あの仁王様達は単なる保安部上層部という「中間管理職」であって、本当の「ディーヴァ上層部」に対する報告・説明ができなければ、自分自身が凍結させられる立場なのだと想像する。

*5:そして、向上心がなければアーカイブ・凍結してしまう訳だ。

*6:誰が優秀で社会に有益な人材なのかや、何が有益な情報かを選択できる権限

*7:ディンゴのいうところの「社会」

*8:繰り返すが、多分仁王様はその上層部の意向を忖度しただけの中間管理職であり、彼らは「本物の悪役」ではない。

*9:まあ、ここで「フロンティアセッターを破壊しましょう」といったら最後、もはや「虚淵ストーリー」ではなくなってしまう訳ですが。

*10:なお、フロンティアセッターが「自我」を認識するに至る過程では、違う意味のマテリアルボディー(ロボットの身体)が重要であったが、現在既に自我を獲得した以上、データを別のロボットにそのまま移転することは容易であり、ヒト由来のアンジェラのように「遺伝子を同じくするクローンの精神マトリクスでないと完全にはシンクロできない」という状態にもならない訳である。

*11:最近ではチューリングテストに通過した人工知能があるとの報道もある

*12:ただ、この動きを考えている人達は、メインとしてロボット自身の権利主体性を考えるのではなく、自己の肉体の拡張としてのロボット等の側面から検討を進めているようである事には留意が必要だろう。

黄昏色の詠使いの刑法的考察〜名詠学舎トレミア・アカデミーの管理責任は?

注:当エントリは、「黄昏色の詠使い イヴは夜明けに微笑んで」のネタバレを含みますので、未読の方は先にお詠みください!

1. 「黄昏色の詠使い」シリーズとは

 召喚モノのアニメ、漫画、ライトノベルの中でも有名なものの1つに、「イヴは夜明けに微笑んで」以下一連の、「黄昏色の詠使い」シリーズがある。

 召喚士が「詠使い」と呼ばれ、召喚対象と同じ色の媒体(カタリスト)を使い、讃来歌(オラトリオ)を詠って召喚対象を讃えると、物体や、名詠生物と呼ばれる生物が名詠門(チャネル)から現れる、そんな世界。召喚術を学ぶ学舎、トレミアアカデミー。そこで生まれる、様々な音楽と色が織りなす物語が「黄昏色の詠使い」である。


2.名詠学舎トレミア・アカデミーでの大事故?
 「黄昏色の詠使い」シリーズに関する法的問題としては、例えば、名詠生物との間の召喚契約の考察も面白い(讃来歌が申込にあたり、名詠生物が名詠門(チャネル)から現れることで、意思実現による承諾(民法526条2項)が認められるという意思実現説や、召喚の予約契約が既に成立しており、讃来歌を詠んだ時に、予約完結権が行使されるという予約説とかがあり得るだろう。)。しかし、今回は、もう1つの問題について検討したい。

 トレミアアカデミー最大のイベントは、競演会(コンクール)。日頃の学習の成果を生かし、できるだけ素晴らしい召喚対象を呼び出そうと、生徒達は練習にいそしむ。

 最上級生ベンドレルは、資料館に秘密の触媒が隠されていることを知り、これを使ってすごいものを呼び出そうと考える。しかし、その触媒、「孵石」は、触っただけで強制的に名詠を発動させ、キマイラを吐き出すヒドラを呼び出してしまう、凶悪な触媒。トレミアアカデミーは大混乱に陥った。この事故によるクルーエルをはじめとする生徒たちの怪我について、トレミアアカデミーにはどのような責任があるのだろうか?


3.学校の責任

 学校は生徒に対し安全配慮義務を負う。要するに、学校の支配下にあ生徒の生命、身体、精神及び財産等の安全を確保しなければならないのだ *1

 トレミア・アカデミーにおいては、授業の一環としてコンクールが行われてるところ、何も対応策を取らなければ危険な名詠生物等が呼び出され、生徒たちが怪我をする等、生徒の生命・身体の安全が危機にさらされる可能性がある。そこで、トレミア・アカデミーは、生徒の安全に配慮すべきであり、トレミア・アカデミーの安全配慮が不十分で、生徒の生命身体等が害されれば、トレミア・アカデミー側は損害賠償義務を負うことになる


4.学校もある程度対策を講じている?

 ここで、トレミアアカデミーは、安全配慮義務のための措置を一定程度講じている。例えば、みだりに召喚をされないよう、学校内の備品を触媒として利用しにくくする*2といった対応をしている。

 そして、この程度の対応でよいと学校が考えたのは、学生のレベルでは、低級の名詠しか詠うことはできず、召喚対象の危険は低い*3

 通常は危険が少ないにもかかわらず、今回のような事件が起こってしまったのは、学校で保管されていた触媒を、生徒の一人が盗んで使った*4という、通常の学生生活では想定できない、意図的な不法行為が行われたことが原因である。このような危険によって生じた生徒の怪我についても、学校側は責任を負うのか?


5.最高裁判例からの考察

 ここで最高裁安全配慮義務に関する判例で参考になるものがある。場所は学校ではないものの、宿直勤務中の従業員が盗賊に殺害された事件で、従業員の遺族が会社を訴えたという件である*5

 最高裁は、会社側に安全配慮義務の違反による損害賠償責任があるという判断を下している。夜間に高価な反物、毛皮等を多数陳列保管している事務所であって、夜間出入口にのぞき窓やインターホン等の最低限の安全設備を設けたり、複数宿直体制にするべきであり、それらの対策を講じずに、新入社員一人に宿直させるというのは、安全配慮義務に違反している。これが最高裁の論理である。

 要するに、会社自らが積極的に危険なことをしている訳ではない*6場合でも、貴重品が沢山存在する等、第三者による危険な行為(強盗等)が予見される場合には、その危険な行為に対応した安全措置を講じる必要があり、それを怠れば安全配慮義務の責任を負うというのが最高裁の考えといっていいだろう。

 本件も、外部の犯行か、内部(学生)の犯行かという違いがあるものの、最高裁の事案と類似しているといえる。すなわち、非常に簡単に危険な名詠生物を召喚ができてしまう媒体(カタリスト)である「孵石」を保管していた以上、それを誰かが盗み出して危険な名詠生物を召喚し、生徒たちの生命身体の安全が犯されるという危険が存在していた。そこで、それに対応する安全措置が必要であった。



 しかし、「孵石」を保管している資料室に鍵をかけた位で、資料室内の机の上に無造作に孵石がおかれており、一度資料室への進入を許せば、その利用は容易であった。「孵石」は、それを触っただけで、名詠が発動し、強力な召喚生物が召喚されるという危険なものであったところ、その危険に対応する安全措置が講じられていたとは言えない。



 そこで、トレミアアカデミーには安全配慮義務違反が認められ、生徒の怪我について責任を負わなければならない。

まとめ

学園もののアニメ、漫画では、主人公をはじめとする登場人物が学園内で負傷したり、場合によっては死亡する。

ここで、「教師の暗殺に失敗した生徒が、教師から仕返しを受ける」といった、通常の教育課程の一貫で負傷等が生じる場合はもちろん安全配慮義務の問題になるが、それ以外の、「犯罪」や「故意の不法行為」による事故の場合であっても、その事故が予見できる場合には、学校が適切な安全措置を講じていない限り、学校は安全配慮義務違反の責任を負う。

トレミアアカデミーの事案は、他のアニメ、漫画の学園の経営陣に対し、大きな教訓を残すと言えるのではなかろうか。

*1:東京高判平成19年3月28日等

*2:学校の備品はほとんど「需要者の後罪(クライム)」、つまり、一度触媒として利用したものでできており、その結果、名詠門が開きにくい。

*3:例えば、学生レベルで呼び出せる第二音階名詠であれば、たとえば黄の小型精命の討伐難易度が「易」(2巻89頁)であるとおり、生徒への危険は少ない

*4:使われたというのが正確か。

*5:最判昭和59年4月10日

*6:強盗については会社も「被害者」である。