アホヲタ元法学部生の日常

連絡はTwitter ( @ahowota )でお願いします。アニメを見て法律を思い、法律を見てアニメを思う法アニクラスタ、ronnorのブログ。メールはronnor1あっとgmail.comへ。BLJにて「企業法務系ブロガー」として書評連載中。 #新人法務パーソンへ #オタク流勉強法 #明認方法 「アホヲタ元法学部生の日常」(ブログ)、「これからの契約の話をしよう」(同人誌)、『アニメキャラが行列を作る法律相談所』(総合科学出版)等。

法律文書に著作権が発生!?〜日米比較を通じた法律文書の著作物性の検討

著作権法コンメンタール Copyright Law Commentary

著作権法コンメンタール Copyright Law Commentary


1.法律文書に著作権が発生?
 最近法務界隈で話題になったのは、東京地判平成26年7月30日である。


企業法務戦士の雑感様は、
「規約」の著作権侵害が認められてしまった驚くべき事例。 - 企業法務戦士の雑感
の中で、契約書の著作物性を謙抑的に考えられる中山先生のご著書を引用されて、

「規約」について、正面から著作物性を肯定し、著作権侵害を認める、という驚くべき判決が最高裁のHPにアップされた。
判決の読み方如何によっては、今後の約款、利用規約等の実務にも大きな影響を与えうる
「規約」の著作権侵害が認められてしまった驚くべき事例。 - 企業法務戦士の雑感


と論じられている。


 本ブログも、法律文書の著作物性の問題に関心を持っていることから、本日このブログが10年目に入るにあたって、この問題について検討したいと思う。



2.日本法上の判例学説について
 まず、参考になる、日本法上の判例学説を探してみた。



 ここで、企業法務戦士の雑感様が引用されているのが契約交渉過程での契約草案について、思想又は感情を創作的に表現したものとはいえないとして著作物性を否定した東京地判昭和62年5月14日判時1273号76頁である。ただ、著作権法コンメンタール20頁は「簡単な契約条項のごときものを送りつけたというもので、紛争の経緯も著作権が本筋の事案ではなく、到底この事案での判断を一般化することはできない」としている。


他の先例では、法クラ腐女子界隈で有名なB/L事件(東京地判昭和40年8月31日判時424号40頁)であり、これは、ウホッではなく、船荷証券のB/Lといわれる書式(ブランクフォーム)について原告の思想は何ら表白されておらず著作権の生じる余地はないとしたものである。


 学説上は、中山先生をはじめとする、契約書の著作権について謙抑的に考える見解が有力であるが、その中山先生すらも「著作物性が認められる余地も否定していない」*1ことには留意が必要である。そして、もう少しこれを押し進めて、「だれが作成しても、ほとんど同一の文面にしかならないというものを除いて、著作物になりうる」とする見解もある(『著作権法コンメンタール』21頁)。



 また、最近の別の判決として、規約や契約書ではないが、同様に、同じ類型であれば、どうしても内容が似てきてしまう「法律文書」である催告書についての2判決がある。


 まず、東京地判平成21年3月30日である。これは、YがXから送付を受けた催告書をネットにアップしたことが、Xの著作権侵害になるかが問題となった事案である。この事案では、様々な理由でYの責任を否定したが、その理由付けの1つとして、

作成者の個性が何ら現れていない場合は,「創作的に表現したもの」ということはできないと解すべきところ,言語からなる表現においては,文章がごく短いものであったり,表現形式に制約があるため,他の表現が想定できない場合や,表現が平凡かつありふれたものである場合は,作成者の個性が現れておらず,「創作的に表現したもの」ということはできないと解すべきである。

という規範を立てた上で、催告書の各表現や全体の構成が平凡でありふれているとして著作物性を否定した。


 これだけを見ると、催告書(ないしは「この事件の催告書」)に著作権侵害が認められないということになりそうだが、実は、同じ事件の「後始末」的な事案として、福岡高等判平成25年3月15日がある。要するに、本件について、事前にXがYに仮処分をかけていたところ、東京地判平成21年3月30日で勝ったYがXに責任を追及した訳である。そして、福岡高判は、Xに故意・過失を認めることができない特段の事情があるとした。福岡高裁は、

著作物とは,思想又は感情を創作的に表現したものであるが(著作権法2条1項1号),その要件については一般に広義に解されており,創作性についても,厳格な意味で独創性が発揮されることは必要ではなく,記述者の個性がなんらかの形で現れていればそれで十分と考えられている。近年,様々な言語著作物について著作物性が主張される中,具体的事案の判断では,ありふれた表現であることを理由に著作物性が否定されることがあるが,著作物性が弱い場合にデッドコピーかそれに近い態様の侵害については侵害行為の差止め等を認める見解もある。


とした上で、仮処分申し立てに故意や過失は認められないとしたのであった。


 まさに、本件(東京地判平成21年と福岡高判平成25年)は、著作権侵害と不侵害の限界事例と言えるのであり、特にデッドコピーであることからは、ありふれた表現であっても、例外的に侵害が認められてもおかしくない(つまり著作物性が肯定されてもおかしくない)事案と言えるのではないか。



3.米国法
 ここで、少し外国に目を向けて米国法を見よう。私は米国法については何ら資格も持っていないただの素人であるので、この点は十分ご留意頂きたいが、同国の弁護士が「催告書を受領した人がそれをネットでアップして反論するという場合には、通常(著作物性はあるが)フェアユースだから、著作権侵害にはならない」と説明するのを聞いた事もあり、その意味で、日米の違いの検討は興味深いと考えた。



最近アメリカの著作権法界隈で話題になったニュースにWhite v. Westがある。

http://www.arl.org/storage/documents/publications/White-v-west-publishing-decision-3jul2014.pdf


これは、いわゆるSDNYの判決であるが、いわゆる法律データベース会社であるWestlawとLexis Nexisが、弁護士の作成した準備書面をデータベースに収録したところ,準備書面を作成した弁護士が、これを著作権法違反としてデータベース会社を訴えたというものである。2013年2月11日に被告のサマリージャッジメント申請を認めた(つまり、著作権法違反はないとされた)が、そこには理由は付されなかった。そこで、2014年7月3日に本Memorandum and Orderが出され、なぜ被告の行為が著作権法に違反していないのかの理由が説明された。


結論としては、裁判所は、原告である弁護士の訴えを否定したが、その理由としては、弁護士に著作権が認められないという構成を取らなかった。

Accordingly, for the foregoing reasons, the Court finds that the defendants' use of plaintiff's brief was a fair use.
(仮訳:そこで、上記の理由に基づき、裁判所は、被告による原告の準備書面の理由はフェアユースであると認める。)
http://www.arl.org/storage/documents/publications/White-v-west-publishing-decision-3jul2014.pdf


このように、裁判所は、フェアユース構成を取ったのである。


 これは、被告の争点設定に応じた判断ということはできる。しかし、被告が著作物性の争点を捨てて、フェアユース一本に絞ったこと自体が、アメリカ法に基づく限りにおいて、このような事案で著作物性を否定することが無理筋であり、フェアユースで戦うのが筋だということを示しているといっていいのではなかろうか。


4.まとめ
 法律文書の著作物性を否定する考えの背景にある核心的価値判断は、以下の点にあると思われる。

どんな会社でも、常に他のライバル会社に先駆けて「規約」を作れる立場にあるわけではないこと、さらに、「規約」が著作権で保護されたところで、作成者にとってのメリットはそんなに大きいとは言えないこと(多くの会社は、第三者との関係で、単に「規約」だけが類似しているからといって、それを排除しようとする動機自体がほとんどないように思う)から、「規約」に強い保護を与えることについては、首をかしげる者の方が多いように思えてならない。
「規約」の著作権侵害が認められてしまった驚くべき事例。 - 企業法務戦士の雑感


この趣旨を、私なりに、規約だけではなく、法律文書一般に敷衍すれば、


「法律文書は、どうしてもその内容が似てきてしまうところ、先にその類型の法律文書を作った者にこれを独占させる弊害が大きいことから、法律文書は自由な利用を認めるべきだ」


というものである*2


 この説明は、私個人としても、この限りでは、納得できるところがある。もっとも、逆に言えば、独占の弊害防止という趣旨があてはまらない、「工夫が凝らされた法律文書」や「(実質的)デッドコピー」については例外的に著作物性を否定しなくてもいいのではないかという気持ちもあるところである。つまり、法律文書については、「原則著作物性否定、例外肯定」という枠組みにシンパシーを感じる。



 例えば、東京地判昭和62年(契約書)や東京地判昭和40年(B/L)は、単純で簡素な法律文書について原則通り著作物性を否定した事案、そして、東京地判平成26年は、実質的デッドコピーとして例外に該当するとして侵害を認めた(そのために著作物性を肯定した)事案と見ることができるのではなかろうか。



 ここで、日本法で悩ましいのは、デッドコピーであるため著作物性を肯定したいが、その行為が、単純な不正な行為とは言い切れないので著作権侵害としてしまって本当にいいか悩ましい場合である。東京地判平成21年・福岡高判平成25年は、まさにこの(不当な通告を批判するため通告書をネットにアップするという)「(一定の)合理性があるが、著作権法30条以下に規定する著作権法上の例外に該当するといいにくい」デッドコピー行為についてどのように対応するかについて裁判官の悩みが表出された事案と言っていいのではなかろうか。



 ここで、アメリカ法のような、広いフェアユースの例外がある国では、このような場合には、著作物性を一応肯定した上で、フェアユース勝負に持ち込むという方法が可能である。この1例がWest v. Whiteである。



 要するに、日本の裁判例に見られる「普通は独占を認められない平凡な記述でも、デッドコピーだけに対しては保護してあげる」という考え方は、一見合理性があるが、日本著作権法上、無権利者が著作物を利用しても大丈夫な例外は、「限定列挙」であることから、「デッドコピーではあるけれども、フェアな利用だ」という場合には、著作権侵害を認めることが不合理に感じられる場合がある。その場合に、(いわば「例外の例外」を設けて)著作物性を否定するという考えもあり得る。しかし、このように基準を操作することは、著作物性の判断をあまりにも恣意的にしてしまう可能性がある。

原則:独占の弊害が大きいので、どうしても似通ってしまう法律文書に著作物性は認められない
                 ↓
例外:例外としてデッドコピーについては、著作物性を認める
                 ↓
例外の例外:デッドコピーでも利用がフェアであれば、著作物性を否定!??


 アメリカ法では、「デッドコピーではあるけれども、フェアな利用だ」という場合には、フェアユースで救うことができる。そこで、少なくとも法律文書の著作物性については日本のような分かりにくい議論をしなくてすむ。少なくともこの論点については、日本法よりアメリカ法の方が優れているように感じられる。

まとめ
 日本の立法において、結局アメリカ的フェアユースは導入されなかったが、限定列挙形式の著作権制限にあてはまらないが合理性のある、いわば「フェア」な行為をどのように著作権法上処理するかが悩ましい。そこで、例えば、通告書のような法律文書を、それを批判する趣旨でネットにアップするような行為について「著作物性」を否定するという手段でフェアな行為を行った者を救済したと読める判決もある。しかし、このような判決の著作物性についての判断は、「デッドコピーについて著作権侵害が認められる(つまり著作物性が認められる)余地を広げる」というこれまでの裁判例の傾向との整合性は疑問があり、むしろ、その点においては、規約に著作物性を認めた東京地判平成26年の方が、「実質デッドコピーについて広く著作物性を認めた判決」として、これまでの裁判例の傾向と整合的とすら見る余地もあるかもしれない。
 このような裁判官の悩みは、まさに、日本の著作権法フェアユースのような規定がないことから生じているのであり、この問題についてのアメリカのような対応は、1つの参考になるように思われる。

付記:脱稿後
ウェブサイト記載の規約の著作権侵害 東京地判平26.7.30(平25ワ28434) - IT・システム判例メモ
に接したが、同記事も、実質的にデッドコピーである点に着目されている。
また、
諸々 | 日々、リーガルプラクティス。

American Family Life Insurance Co. of Columbus v. Assurant, Inc. (N.D. Ga. 2006)
に触れられている(著作権侵害が認められた事案)。

*1:http://d.hatena.ne.jp/FJneo1994/20140908/1410196746

*2:なお、企業法務戦士の雑感様は「「契約書」が、「独占を認めることの弊害が大きいものについては著作物性を否定すべき」という、現在の著作権法解釈の根底にある考え方を体現した素材として位置づけられていることは、間違いない」ともおっしゃられている